みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

彼の名に望みをかける

2014年05月24日 | マタイの福音書
マタイの福音書12章9-21節


 昨日の午後、近づいている教会の伝道礼拝の案内チラシをポスティングして歩きました。教会の案内をすることができて良かった、たくさん歩くことができて良かった、人とことばを交わすことができて良かった、きれいな花や緑を鑑賞できて良かったと、良いことずくめ。
 配布しながら、この町に教会を建てようと来たころを思い出していました。歩いて配るというのは、今風のスタイルではないかもしれませんが、私にとっての伝道の出発点に立つことができる機会でした。またやります。

 安息日を巡ってのパリサイ人の「あら探し」が続きます。彼らは、イエスについて行きました。会堂で片手のなえた人を見ると、「安息日にいやすのは正しいことでしょうか」と質問します。イエスを訴えるために…。こんなとき、並の人なら「空気を読んで」安全策をとるところですが、イエスはそうはしません。手をおいやしになったのです。

 病気で苦しむ人が一人いやされたのですから、一緒に喜ぶのかと思いきや、彼らは会堂を出てイエスを滅ぼそうと相談するのです。ゆがんでいます。けれども、イエスを何とかしようと思っているので、気づかないのです。

 マタイは、イエスのお姿にイザヤの預言の成就を見ています。
  滅ぼす算段をするパリサイ人と争ったり大声で論破したりしないイエスのお姿に…。
  片手のなえた人に見て見ぬふりをせずいやすイエスのお姿に…。
  ユダヤの民には受け入れられず異邦人がその名に望みをかけるというイエスのお姿に…。

 自分は何に、だれに望みをかけているのかと、21節のことばに心探られます。
     


2011-2024 © Hiroshi Yabuki