みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

「万軍の主よ」と祈る

2014年05月02日 | サムエル記第一
サムエル記第一 1章


 「みことばの光」では、きょうからしばらくの間、旧約聖書「サムエル記」と新約聖書「マタイの福音書」を交互に読み進めます。
 「サムエル記」には、サムエル、サウル、そしてダビデが主要人物として登場します。サムエル記第一の前半のほぼ半分ずつがサムエル(1-7章)、サウル(8-15章)についての記述だとすると、覚えやすいのではないでしょうか。

 1章は最後の士師であるサムエル誕生についての記述。
 ハンナの夫エルカナが、子どもが産まれないハンナよりも子どものいるペニンナを特に愛したということではありませんでした。ところが、ペニンナのふるまいがハンナをいらだたせます。エルカナとの間に多くの子どもたちを設けたペニンナと、子どもがいないハンナとの間の力関係が逆転してしまったのです。

 子どもは神からの賜物であるがゆえにペニンナが誇ることはないのですが、彼女は神からの祝福を得たことで、かえって心が神から離れ、ハンナをいらだたせるという行動へと向かっていきます。一方のハンナは、心の痛みを抱えて神へと心を向けます。

 心に留めたのはハンナの祈り。彼女は「万軍の主よ」と祈ります。
 「万軍の主」ということばが聖書に登場するのは1章3節が最初。そして、「万軍の主よ」と祈りの初めで主を呼ぶのは、ハンナが最初なのです。

 「万軍の主よ」との呼びかけは、戦いに際しての祈りでなされるような印象があります。ハンナの戦いとは何でしょう。ペニンナと…ということではありません。不妊の自分に子どもが産まれるという不可能に向かっていこうとするのは、ハンナにとっては万軍の主に拠り頼まなければなしえない戦いことではなかっただろうか、と想像するのです。

 何もかもわかり切ったように思える時代にあって、神の民が「万軍の主よ」と祈り進むチャンスをいただいている恵みを、改めて覚えました。
     


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