みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

いつもいっしょに

2014年05月22日 | マタイの福音書
マタイの福音書11章20-30節

 
 Img_1907 昨夜の祈禱会は、おいしいおまんじゅう(酒まんじゅう)とお茶付き。温泉に行った方のお土産をみんなでいただきました。食べ終わったあと、「ああ、きょうは特養での会議で『十万石まんじゅう』食べたんだっけ!」と思い出しても後の祭り。
 どちらもとてもおいしかったです!



 「主の弟子の幸い」がきょうの「みことばの光」のタイトル。
 この箇所には、わざわいとは何か、幸いとは何かが記されています。

 わざわいとはどのようなことでしょう。
 思い浮かぶのは、地震や台風などの自然災害、事件や事故、病、そして死…でしょうか。メシヤであるイエスのことばを聞き、いろいろなわざを見ても、イエスを受け入れずに悔い改めなかった町々をイエスは嘆いておられます。イエスによってもたらされる神の恵みに背を向けることこそ、わざわいなのだと教えられます。
 
 幸いとは何でしょう。
 神を知ること、主イエスが自分とくびきを一緒に負ってくださること、それゆえの安らぎが常にあること…。 
 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」とは、多くの人々に投げかけられるイエスからの招待のことばです。けれども、これは直接には、イエスについて行こうとする弟子たちに語られているというのです。

 「イエスさま、きょうもよろしく」と言ったら、どんなお返事がイエスさまから来るのでしょうか。
      


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