マタイの福音書 26章1−13節
小さな荷物を送ろうと集荷所に行くと、営業を終えて6分経っていました。間に合いませんでしたので、もう一度明日チャレンジです。帰路、切手を貼った郵便物をポストに入れようとすると、ちょうど郵便物を回収するトラックと遭遇。こちらはぴったりのタイミングでした。
きょう読む短い箇所には、三つのことが書かれています。はじめは、オリーブ山での話の最後にご自分が十字架につけられるために引き渡されると、イエスが語ったことです。二つ目は、イエスに敵する者たちがイエスを殺そうと画策していたことです。そして、三つ目はイエスへの香油注ぎです。
最初の二つを改めて比べてみますと、以前から弟子たちに予告しておられたように、イエスは過越の祭りに十字架につけられると語っています。一方で祭司長たちはイエスを殺そうとするのですが祭りの間はやめておこうと考えていました。イエスの十字架は、祭司長や長老たちの思惑とは違って過越の祭りの時でした。ここからも、十字架刑が権力者たちの思いどおりになったのではなくて、イエスのお考えのとおりに進められたことが分かります。神のご計画が成るのです。
香油注ぎの出来事は、マルコ、ヨハネの福音書にも記されています。ヨハネの福音書では12章1−8節にあり、香油を注いだ女性の名前、無駄だと最初に憤慨した弟子の名前も明かされています。
「何のために、こんな無駄なことをするのか…」という弟子たちのことばが目に留まります。弟子たちの言っていることはもっともなことに響きます。「無駄だ」というのは説得力のあることばです。「無駄!」と言われると萎縮してしまうかもしれません。
しかし、イエスのために何かをするのは無駄なのかと考えるのは大切なこと。「わたしに良いことをしてくれ」たとイエスが言ってくださるのを励みにしたいものです。