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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

その先にあるもの

2024年03月15日 | マタイの福音書

マタイの福音書 24章15−28節

 一ヶ月不在でしたので、冷蔵庫が空っぽ。ということで買い物に出かけました。おいしい苺を見つけましたので、1パック購入。じゃがいも、タマネギ、ニンジンという「素材三兄弟(?)」も籠に入れたのですが、持ち帰るのが重かったです。

 これから先何が起こるのかについての主イエスの教えは、より具体的になります。15節には「荒らす忌まわしいもの」とありますが、これは主が言われたようにダニエル書に預言されたもののことです。そして、それはすでに、シリアがエルサレムに侵攻したことによって実現しました。シリア王アンティオコス4世(アンティオコス・エピファネス)は、エルサレムをギリシア化しようとして、紀元前167年にエルサレムの神殿でゼウスにささげ者をするように強制したのです。

 しかし主イエスは、「荒らす忌まわしいもの」はさらに出現すると語っておられます。それが紀元70年のローマによるエルサレム破壊という出来事です。16節以降にある具体的な指示は、その時にどのように行動するべきなのかについてのものだと考えられています。23節以降の「偽キリスト」「偽預言者」の出現も、紀元70年に見られたと言われます。

 けれども、ここでイエスが語っておられることは、歴史上すでに起こった二つの出来事ですべてなのではありません。これからこの世界が通らなければならないことでもあるのです。

 人はどんな未来を描いているのだろうかと、ここを読んで思います。ある人はどんどん良くなるという未来像を描きます。しかしある人はそれとは逆に絶望的な未来を予想しています。イエスを主と信じる人々はどうだろうかと考えます。イエスがこのように未来について詳しく語っておられるということから考えますと、信仰者にとって未来は確かな希望なのです。多くの苦難や惑わしを経験する、その先にあるのは平和であり、喜びであるのです。


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