マタイの福音書 25章14−30節
木曜日に帰独、土曜日にストラスブールへ、そしてきょうの礼拝。帰宅したらどっと疲れが出た感じがします。人間は為すべきことがあるとどこか気が張りつめるのでしょうね。それを終えると弛緩し、ヘタっとなります。でも、この感覚が大事なのだと思います。
終末を待つ態度について、イエスが話されたたとえの二つ目は、「タラントのたとえ」です。ここでのタラントとは、1デナリの6000倍。1デナリは一日分の労賃だと考えられていますので、1タラントは相当な金額だということが分かります。
ここでは、5タラント預かった者も2タラント預かった者も主人から同じおほめのことばをもらっています。しかし、1タラント預かった者は逆に叱られているのです。1タラントを彼は使い果たすことなく、地面に穴を掘って何の損失も主人に与えなかったのだから、主人は叱るべきではないという「突っ込み」がはいりそうです。
いいえ、そうではありません。主人が三人のしもべに期待していたたことは、彼らが預かったものをどのように用いるのかということでした。ですから、それを用いることなく土の中に隠す者は「悪い怠け者のしもべ」なのです。
神は一人一人に応じてタラントを与えておられること、そして神から与えられたタラント(賜物)は用いなければならいということを考えます。さて私に神は…と立ち止まってみましょう。