高校時代、奥様は茶華道部所属だったので足は速かったものの運動神経は
いい方ではなかった。
それでも身長165cmでジャンプ力もあったので横須賀時代に所属していた
ママさんバレーボールチームでは主にブロッカーとして活躍した。
当時「やまゆり杯」という大きな大会がありベスト8の試合からTV中継さ
れるというので、ママさん達はそれを目指して頑張っていた。
他のチームに元ニチボー貝塚のメンバーだったという選手がいて、対戦し
た際にはサーブもアタックも「ズシリと重かった」とのこと。
スポーツとは無縁に近い人間が金メダル選手と対戦出来ただけでも極めて
光栄なことだった。
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日本のセッター岩崎が釜石時代のチームの仲間に似ていた。
才色兼備の美人で岩崎同様にセッターのみならずアタッカーも出来る
オールラウンドプレーヤーだった。
彼女には釜石を離れた後もバレー以外のことで色々とお世話になった。
二人でネーションズリーグの日本チームを応援しながら、そんな昔を
懐かしんだ。