津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■黒御門と欅御門

2018-04-30 13:49:48 | 地図散歩

 藩主の居館・花畑邸を中心に坪井川を挟んで御城が見え、左に下馬橋(現在はやや左手に行幸橋)、右手に厩橋がみえる。
厩橋の手前左角の敷地が厩があった場所で、現在の熊本市役所が建つあたりである。右手の広い通りが通町筋と呼ばれる現在路面電車が通る、熊本の幹線道路となっている。右へ延びるのが上通、左へ延びるのが下通で現在も同様である。

この絵図は熊本日々新聞が発刊した、伊藤重剛熊大教授編著の「甲斐青萍・熊本町並画集」から引用させていただいた。
赤い〇印で表示した二つの御門がある。
右上のほうが「黒御門」とよばれるものだが、光尚公が「忍び」で屋敷を出られるとき使われたと伝えられる御門である。
この門は花畑邸の裏手にある畑や馬場に出入りする人の通用口のように思える小さな門である。
現在の坪井川河岸の散策路(長塀の対岸部)にあたる道に面しているが、随分高低差があるが、ここから密かに忍び出られたというのだから、まさに確信犯である。光尚公の死にあたって殉死した池田久五郎が道案内としてお供した。

左下の方は「(けやき)御門」、こちらは重賢公に関する逸話が残る。水前寺に出浮きされた際帰りににわか雨に遭遇され、「田際門(場所不明)」から入館せらる旨先觸が伝えたが、「紙面をもっての届がない」として拒否、仕方なくこの「欅御門」に廻られここから入られたという。この御門は敷地内の諸宮や築山に通じている。
この門番はのちに奉行となる、蒲池喜左衛門である。

このような逸話は色々残されているのだろうが、中々伝わってこない。此の画集によくぞ書残されたと驚くばかりである。


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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (6)

2018-04-30 07:43:02 | 史料

 ニ一
 ○百姓の姦曲を止る事
一下方の姦曲ハ不足より生し、且廉直ハ衣食足りて恥を知
 る所より生し候儀常の行にて候、まして御損引の節ハ不
 作して御土免に不足する処より下見いたし候ニ付、いか
 にもして下り米多き様に志候心目より見積候間、私欲に
 流レ申候、私欲に流レ候ヘハ本心を失申候、本心を失候
 得は姦曲なる謀に與し不届なる事共仕出申候、依之損引
 の場に指懸り以下躰申開候ても、耳に留り不申習にて
 候、されハ春の初御高札の表讀聞せ、先初の御ヶ條に有
 之候忠孝をはけまし夫婦兄弟諸親類にむつましく、召仕
 の者に至迄憐憫を加へ、家内之者共申合農業出精いたし、
 一家よく相治候上、五人組示し合之譯等精々教諭いた
 し、内外和上の上、我を勵に作出候事を心に懸、御損引
 に心懸候ては、中々御百姓は取續かたきものと相心得候
 様、尤非情の凶作ハ勿論、災害所にて地位相衰へいか躰
 にも定免に届兼候不作の村々は、不得止御損引仕候様相
 心得候儀、百姓共の勤方と合點いたさせ候取計庄屋・村
 役人の本務にて、御損引の世話いたし候事ハ、凶年の變
 務にて候、然處間にハ本務を忘れ變務に専なる取計い
 たし候様なる行苦々敷事ニ候、何事に不依、役人ハ不及
 申百姓にいたる迄本を務候儀肝要にて候故、勸農筋行れ
 候様厚世話加致候、譬(タトエ)同キ地味の田相割に有之、一方ハ
 手入肥存分に仕届一方ハ可也ニ致置、作毛出來之上下見
 いたし候ヘハ、手入れ肥存分仕届候方の田一歩舛もミ壹升
 餘も有之所、可也ニ致置候分の田ハ六七合ならて無之
 候、壹升餘の田ハ三石の籾有之處、六七合の田ハ貮石内
 外有之候、左候ヘハ一反ニ壹石の籾出來不出來有之、一
 町にてハ拾石程の違にて、一町作る百姓籾拾石取かち取
 後レ相見候、此境より曲直を生し候、凡下方之姦曲は不
 足より生し、廉直は衣食の足る所より生し候間、勸農筋
 に精を入、手入肥存分に仕届候様、御惣庄屋以下の役人
 百姓共の骨折同前に相心得、晝夜となく相勤候ハヽ、い
 つとなく一歩壹升の籾作出候様相成可申候、然るに貧窮
 者ハ肥の買入届兼任心不申事多、是等ハ厩こへ或ハかし
 き草肥又ハ山土削り芝堀溝の垢土なと、いつれも其地味
 に可應銭不入の肥しも有之候、然處右類之肥ハ心懸さへ
 厚有之随分出來可申候、冬中より田植迄の間追々に相備
 可申候、左候て夫々入わたし、地拵入念根付草浚水引等
 無怠、自然蟲入等之節ハ油差入等無間抜、夫々の手數抜
 不申候ハヽ、常並の百姓銭こやしいたし候様大かた出來
 可申候、然處一村之中には、農業には疎く御損引等ニは
 巧者なるもの有之、右勸農筋の取行ひいたし候場におゐ
 ては責を受候ニ付、不氣受ニ有之、却て村方之者を誘ひ
 教育の障に相成候、是等ハ速ニ遂吟味急度可申付候、尤
 親類五人組迄兼々示方届兼候子細相糺、五人組法急度行
 れ候様可申付候、尤下見の姦曲ため直し候事ハ、村々毛
 上見分之時分片遠所の下ヶ名の内數ヶ所に目印を付置、
 田主の名前等記し置、村近所又ハ方角能道端の田、片遠
 所の目印に引合毛上に目印いたし置、何レも名前承
 置、見圖帳の番畝等書抜置、村方の者知り不申様秘置、
 至秋下見帳仕出し、御惣庄屋内舛の節下見帳を見渡し、
 双方目印田の籾反引合、もし甲乙有之候ハヽ双方共舛を
 入、割起の不同有之候ハヽ其子細遂吟味、石見甲乙之譯
 可相分候、其節下見の主に相成候者共遂吟味、初春より
 教諭いたし置候廉直正道の筋に違、表裏の取計いたし候
 所糺シ候上にて、御法に背候段相達候ハヽ、屹ト御咎可
 被仰付候、教無して御咎二出し候得は御惣庄屋の荒打に
 も可相當候間、右之通教を初として咎を後にいたし候へ
 は、自然と正道に懐き姦曲を止メ可申候 

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■御用番心得

2018-04-29 19:35:00 | 史料

                     御用番心得
                   一自然監物宇右衛門宅江
                    八代家来内為強訴数人被越
                    不穏振合ニ茂至り候て届可有之
                    左候て御用番同席中幷御用
                    受持之御奉行御目附佐貮役江○  (ここに付紙か)
                    方角分之早使を以知せ可申事
                     
                     但し其家々之手人数ハ致■衛等
                     守勢之事ニ候へ者火用心等
                     為見繕廻役料人数差越候様
                     左候て主人/\ゟ順事差圖ニ
                     可應旨御奉行ゟ申聞相達
                     候様可申遣事

                   御付紙
                    ○ヶ様之非道ハ御奉行ハ火見廻役
                     等之手賦可有之御目録佐貮役
                     丹者知せニ及申間敷哉

                     御目附佐貮役茂存候方可然哉
                     宇右衛門様御書入       (御付紙のことか)

 時代の特定が出来ないが、御用番が自宅で政務をとっているから宝暦以前の事であろう。(宝暦6年6月20日、城内奉行所にて政務を執る旨の通達)
故に監物(米田氏)、宇右衛門(沢村氏)も同名の人が居り、何代目の人物であるのか判らない。
八代城主で筆頭家老の松井家の家来が、御用番の所にやってきて強訴に及んだというのは穏やかではない。
慌てて奉行や家老の秘書役である佐貮役等に使いを出すという慌てぶりが判る。
どういう顛末であったのか、まったく承知していない事件である。
今後いろいろ資料を見ながら、詳細にたどり着きたいと思う。

これもヤフオクで入手して久しぶりに目にしているのだが、思いがけない書状であった。

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (5)

2018-04-29 06:49:40 | 史料

 二〇
 ○御例之事
一御徳懸の割起太如何躰二も御受仕得不申、御例願出候
 村有之、御例被仰付候節ハ、御内檢と御百姓勝負を決候
 様なり意味有之、御例坪極之儀、御内檢ハ見落の毛上延
 畝有之坪を見立、御百姓ハ見詰置候毛上延畝無之坪を見
 立、双方御例ニ相成、例籾はかり立候ヘハ、両舛の割起
 不輕甲乙にて本意に叶不申候ニ付、寛政八年より一例ニ
 被仰付候間、御立會の御役人中衆儀一決の上例坪相極申
 御法ニ候、扨御内檢より例坪を見立、立會御役人の衆儀
 にかけ村方へ申談候節、延畝山影見損イ等之起割太キ坪
 ハ村方より相断坪替願出候處、猶見立ニ相成候坪も起割
 太く相見、村方受兼再三相断候ヘハ、御内檢腹を立、上の
 威を以下方ひしく勢に相成、立會御役人衆も下方姦曲を
 構再三相断候様なる御見込に成行可申候、於此時前條之
 通御惣庄屋始中終参考を以其村々の中墨を取出し、御内
 檢見立の坪中墨に當候所を村方より相断候得は、村方の
 姦曲ニて候間、其坪にて御例に相成候様急度可申付候、扨
 例方之事ハ従前ニいろ/\被仰付置候處、上下こも/\
 利を争ふ境にて、公平の中墨に當兼候所より、御例の御
 仕法も追々御變革被仰付候、然處貴賤の等差、上下の勢
 相異り居候ニ付、於衆儀は御内檢百姓に勝つ威勢有之所
 より、上下二例に相極り居候處、今一ト例に被仰付候ニ付
 ては、勢の強弱に不拘公平の中墨に當り候迄ハ、下方よ
 り申出候儀も一はひに盡せ、双方熟得之上實ニ叶候様極
 方不被仰付候ては的當不仕候、左無御座候ては、威勢を
 以急に決談いたし候ヘハ、下情塞り偏頗に片付下方の難
 澁に相成申候間、此境大切の場にて、御惣庄屋能々其中
 墨を極置、若偏頗に片付候ハヽ其日ハ及暮翌日ニ相成候
 とも、中墨に相當候所相願可申候、下方の申口なとを践
 へ中墨を極候様なる事にてハ危く、公平中墨相極候
事ハ
 御惣庄屋の勢力に有之候、扨衆儀一決のうへ例坪相極例
 舛入方等ハ、前條御試舛之通相替儀無之候、御例籾拵上
 之儀も御試例に相替不申候得共、少心を用不申候ては難
 叶儀有之候、御試例は少々御了簡引も被仰付候得共、本
 例は其儀無御座、算用前之割起不残上納被仰付候ニ付、
 上納米に可成籾少も簸出し不申様糠秕を能ひ分ヶ、上納
 米に可相成籾を撰立候様箕取之者へしかと申付、ひわけ
 明白致シ申候迄ハ、御内檢・御惣庄屋片言を用不申様双
 方申談、下方落付候て寛々拵上せ可申候、もミ方箕方共
 入念候得ハ、御内檢より申分之事も可有之候、若一圖の
 申付等有之候ハヽ、御惣庄屋より相断拵方の者ともうろ
 たへ不申様取計可申候、左無之急に致せ候ヘハ、上納米
 に可相成籾をも箕出し、又糠秕離れ不申候上納米拵立
 候、田中に刈干候上こきおとし二三日干候て唐箕にてく
 り上ヶ、籾摺に到赤米腹白より以下折レ砕ヶ板秕の類繰
 クリックすると新しいウィンドウで開きます
 出、おろしくす、あらもと等仕分候上、御繰ニ至り繰減
 有之品々の出物ハ拵籾之内より撰出候ニ付、上納米之拵
 立は至極減詰に相成申候、其上ハ一割程の入米を加不申
 候得ハ俵拵出來兼申候、右之通手數掛り候上、上納米に可
 相成収納之品刈る/\之生籾ニて即時に相決し、上納米
 のかね取出候事ニ付、急にいたし候てハ當り兼申候、此
 子細ハ先御例に決候時分立會候役人へ内達いたし置可申
 候、左無之候得は、御法なんとと申いかつヶ間敷申分有
 之節強て相断候ヘハ、御内檢方と御惣庄屋いさかひの様
 に成行、大切成御免極之場所におひて甚恐不尠候、扨山         恐不尠=おそれすくなからず
 陰畝廣等にて例方無之様ニとの儀ハ、安永三年御免方御
 潤色の砌、御内檢へ被仰聞置、例籾拵方之儀付ても御僉
 議之趣、歛法彙函に委ク有之候間、熟讀いたし其味胸腹
 に籠置、屹となくか申談候、例籾の手しこ見込より少く
 相見候ヘハ間ニハ氣せきいたし候御内檢も有之、籾拵箕
 取なと呵り廻し候様なる儀も可有之候、右様之時分御惣         呵り=しかり
 庄屋必氣悶き不仕徐/\と始末を付可有之候、扨又御百姓
 例し負起割を増上納被仰付候とも、其村々中墨にて例方
 に成候上は、夫たけの作出來居候ニ付、毛頭無難澁相
 納、御役人を怨不申様示諭いたし、以來不都合の下見等
 不仕、廉直にいたし候様相戒可申候、且村々毛上の中墨
 を極候儀、御惣庄屋深く心力を用ひ貫通いたし居不申候
 ヘハ、御例等之時に至、御百姓之浮沈にかゝる儀出來い
 たし候間、春以來毛上見分之節精々心を用、手永中村々
 の毛上見極置可申候
  [付箋]「下モにてせり例と唱習せるもことわりなる事
  他、損引之節ハ毎モ試例とて損引村々之内ニて、一村
  追取まわしニ三歩篗を入延畝ともニ積り加、一坪試有 
  之、其起割之内より少々了簡引候て、其村之徳懸ス

  ル、是を試例といふ、尤試例□(虫くい)内檢役之見立坪迄ニて     試例の定義         
  下よりハ見立不申候、此試例ハ損引毎ニ有之、既に寛
  政之比木倉手永損引之時、西木倉村ニて試例有之、其
  節之内檢正木某試例之籾計り立けるに、村方之下見籾
  よりハ引入候ニ付、立會之御吟味役幷上内檢甚氣色あ
  しく、折角正木公平之仕法いたせしか共不首尾に成、
  翌年ハ木倉之内檢を除かれ邊鄙に轉奉せり、此事其節
  上益城郡代白石某傳聞して政府へ議問ありけるハ、
  試例村方之見立より引入しハ畢竟正木か公平なり、□(虫くい)
  邊鄙に被轉てハ此後之内檢公平之行仕間敷段頻に被申
  けるにそ、程なく正木ハ上内檢に昇進せり、誠に白石
  か忠言難有事なり、尋常の試例すら斯のことし況ヤ上
  下於せり例乎 

 

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■旧細川家京都別荘「怡園」

2018-04-28 20:48:25 | 徒然

 今日のブラタモリでは京都南禅寺界隈の別荘が紹介された。
その中でチラリと名前が出てきたのが旧細川家別荘「怡園(イエン)」である。細川家16代当主・護立侯により作られたものである。
内部は公にされていないが、いくつかのサイトが情報を提供していただいている。

      japan-geographic.tv では割と多くの外周部の紹介が見られる。クリックすると大きな写真に拡大出来るし、配置図も見れて有難い。

      京都市指定・登録文化財-名勝(左京区)では、建物の遠望が紹介されている。

所在は左京区南禅寺下河原町43-1,22である。ちなみに細川幽齋公の墓所がある南禅寺・天授庵は、南禅寺福地町86-8である。

17代細川護貞様の著に「茶・花・史」があるが、「怡園随筆」とある。「怡園」とは護貞様の雅号でもある。

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■志水才助の無礼討ち

2018-04-28 15:34:16 | 史料

 昨年ヤフオクで落とした数々の品を遅ればせながら内容の確認を始めた。
この書状等は差出人と宛名を確認したままで、其の後箱の底にさびしく取置かれていた。

詳しい読み下しは完了していないが、志水才助が、薪取りの男を無礼討ちにした事が述べられている。
寛文九年閏十月廿四日付、差出人は山田淳助、宛名は松岡久助とある。
志水才助は当時立田村山口に在宅していたらしく、山田は見廻りで志水宅を訪ね偶然事件を垣間見たらしい。
志水才助といえば、宝暦の改革に携わり後に大奉行となった人物(6代)があるが、時代が合わない。
2代目金右衛門が寛文四年六月・御侍帳に「長岡監物組 二百石」と登場しているから、この人物であろうか。
この事件については私は全く知らなかった。「熊本藩年表稿」や「肥後先哲偉蹟」でもふれられていない。事件に関しては初出史料かもしれない。
GW中にくわしく読み下しをしてまたご紹介したいと考えている。
                

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (4)

2018-04-28 06:36:21 | 史料

 一六
 ○御試例之事
一御郡代・上地御内檢・御惣庄屋見聞方ハ、御郡吟味役
 幷御郡横目立合御見分、先御内檢より舛坪を見立、御惣
 庄屋へ申談ニ成候へハ、御惣庄屋より村方へ申達、村方
 熟談いたし候坪ニ相究、其段御郡代衆・御吟味役衆へ申
 達、衆議一決の上竿を入、延畝・縮畝算用仕出し、舛所
 ハ其田の中分之所に入可申候、舛ハ三歩舛にして四角の
 篗(ワク)隅より隅に筋違を張込眞四角に居込申候、惣て一方ハ
 外せきと申稲株を篗の内に入篗竹の内面に付寄、二方
 ハ中分と申双方稲株の中程に篗竹當候様居込候御法ニて
 候、しかるに稲株のうね通り揃ひ兼候ニ付、内せき外せ
 きの恰好能き程ニ有之候ヘハ、双方中分之所ハ見配を以
 中分に當候様、彼株ハ内に入此株ハ外に出し、其株ハ内
 外に割候て釣合候様に御内檢より取計、居込相濟候上、
 村役人へ見せ、御惣庄屋見分いたし、正敷相見候得ハ存
 寄無之段申達、御郡代・御吟味役御見分之上御存寄於無
 之ハ苅揚被仰付候、刈夫・莚持・手傳夫共都て裸ニ成、
 一粒もこほれ不申様に入念苅揚、莚に包収納場持行、扨
 収納之節ハ立合之御役人中目通ニてこき落、もむあけ迄
 こほれ散不申様、會所役人付添精々入念申候、且ひわけ
 之儀ハ御内檢中の籾見糺、秕籾ハ手にて切落申候、惣
 て例籾御内檢幷手傳役手合はかり立、延畝迄打込割起の
 算用いたし、例目録相認御郡代へ相達候、右割起の程に
 應し御徳懸被仰付候、尤御試例之儀ハ少々宛御了簡引有
 之候事
 [付箋]「潤色帳ニは三歩篗之繪圖有之、内せき外せきの繪
  圖有之たる也、潤色帳をは火に焼申候、御惣庄屋之例
  ハ壹歩わく、御郡代之例は三歩わく也」

  
      「箕」の画像検索結果  

 一七
 ○御立會見分之事
一御立會見分ハ村々下見相濟、御惣庄屋内舛・御内檢内舛
 相濟、諸帳面出來揃候上、於御内檢手元一稜/\見圖帳
 ニ引合朱點を打、其上ニて稜/\徳籾を懸出、且置揚等
 夫々清算いたし、右濟候上御郡代・御吟味役・上地御内
 檢立會見分被仰付候、右見分之儀は坪々に建札いたし、
 村々小百姓を手配置、坪限畔廻して笹竹を振立、其坪の
 引合相濟候得は次の坪に移す、番讀の者建札の番讀上候
 ヘハ、御内檢下見帳を以、下名枚數・畝數・籾反を讀立
 引合ほしを付申候、扨又會の御役人衆村々見込之勾配等
 見分之次第、各心中に被納置、衆儀の節、各見分之趣を
 含御徳懸の申談相極候事
  但、御郡代・御郡御吟味役へ籾反帳相達候事

 一八
 ○御徳懸積之事
[付札]「御郡方記六之内ニ、ゆるますからます虎口深長之
  意味と認有之候、此記六も焼申候也」
一御徳掛積之儀、御惣庄屋之積ハ彼一手の規則有之候ニ
 付難書述候、御惣庄屋の積ハ前條内外に書付候通、ゆる
 ますからけさる様にとの中墨を以積立いたし候、ゆるむ
 時は上の御損、からくる時ハ下の難澁、二ツのさかひ大
 切の儀ニ付、前條毛上見分之意味を始として、内舛糺か
 たの規則を中とし、御立會見分の勾配御試例の起割等を
 終とし、始中終の三ツのものを考合、去當両作の釣合村
 々の盛衰等斟酌いたし、先割起の位を定め、積立の差引
 去當の上り下り作並に見くらへ、彼是以相考へゆるます
 からけさるの中墨至當の所相極、割増治定いたし、御郡
 代へ相伺、見聞方へも書附相達可申事
  御惣庄屋積・御内檢積・御郡代幷見聞方へ差出候上、御
  内檢積之通被仰付、双方之積符合不仕一二割の違有之
  候とも御察討無之、偏に御内檢積に片付候御仕法之様
  に成行候ニ付、御惣庄屋積は何の役ニも立不申候ニ付
  無益の事相當候間、積方相断申度内々申者多く、表立
  其願も仕得不申、少々宛割増を引程能取合せ候為不得
  止積いたし候程之儀も有之哉ニ相聞、實情立兼残念之
  事ニ候、依之安永三年御免方御潤色、其後猶御改之時
  分、御惣庄屋積も御僉議に相成居候、子細ハ歛法彙函
  に委有之候間、熟讀いたし心中に貯置、御惣庄屋積も
  役に立可申御時節を相待可申事

 一九
 ○御徳掛村々申渡之事
一御徳掛相決、下見帳一紙之所に石に何割増と御内檢書
 入、御惣庄屋え渡方に相成候を、御惣庄屋手前の積に引
 合、程々に有之、又からけ候と申勾配引合候上村々へ申
 渡、左候て程々の村々御受申上難澁申共決て取上不申、
 急度御受仕候様に可申談候、且又御内檢見損ニてからけ
 候村々難澁申出候ハヽ、其程に應し御例相願可申候、尤
 御例願出候村々の下見分正道にいたし置、いつれの下名
 にて御例被仰付候とも行當候儀無之と、村役人を初御惣
 庄屋得斗呑込居候様無之候てハ難成候、於此所下見に不
 正有之候てハ行當候間、彌以正道之下見いたし候様教化
 いたし候儀肝要に候、所詮二諭の下見と相見、御惣庄屋
 下呑込の村方御例願出候ハヽ、精々相諭し受除候様可申
 談候、惣て御請相濟村々、下見帳割増書入之所に庄屋共
 印形を取、右下見帳御内檢へ返達いたし、其趣御郡代へ
 相達、見聞方へも可相達事                   

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■夕日の中で

2018-04-27 21:49:15 | 徒然

       

                           餌は押し麦ですが、口いっぱいです。
                           夕日を受けて羽毛が輝いています。                                             

                                                   

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (3)

2018-04-27 06:52:14 | 史料

 一ニ
 ○田方下見の事
一下見ハ惣百姓立合一歩舛を入、有籾はかり立、一反ニ何
 石何斗と積立、此毛上何石何斗段と極、且其あたり同し
 下名之内に右同壹歩禮、其外下ヶ名/\に舛を入、石見
 の目かねを取出す、尤作り物により異同有之、同坪の内
 にも窪かしめと申、一方ハ宜敷、一方は悪敷、又は穂枯
 圓座蟲なとにて不揃の田方、又ハ山付谷筋等之田方ハ一
 坪の内枚數多ク同毛に無之、是等之下見ハ都て見撫しに
 て相極候ニ付、的當之所六ヶ敷、よつて下見の仕法は村
 々致馴候通村格之様に相成り、譬ハ五帳・七帳と申所有
 之候、五帳見ハ頭立たる者を五人帳取を極、惣百姓五手
 ニ分ヶ、七帳見は右同断七手に分ヶ、損引に出候作高何
 レも石見を極、不残見仕廻候上、七帳・五帳共一所に突
 合、隋一の高段と随一の下段を除き、五帳候中の三帳を
 合三割にして石段を極め、七帳は同高下の二帳を除、中
 の五帳を合五割にして石段を極申候、此儀は檢見先の實
 事にして不同無之候、又ハ村中一帳にて見候所も有之
 候、一長見ハ下名/\に舛を入、東西南北中程の下名舛
 田/\の毛上を目かねにして、石段を記候上見撫しいた
 し候も有之候、然處、村中一帳にて見候村の内、勢ひ強
 聲高にいひいたし候者の籾反下ヶ候様の事も有之、又
 ハ内證にて歪曲の謀なといたす村方ハ、道上ヶ奥引なと
 ゝ申、道端の田方ハ石段を上ヶ、奥深き所々田見分役人
 参不申所にてハ石段を下ヶ、御徳懸相濟候うへ於内輪
 差引いたし候村も有之由、各所々の仕馴候通の下見仕出
 候儀實前二て候、尤毛頭甲乙無之様
廉直に下見仕候様、
 兼々被仰付置候間、道上奥引不同之下見可仕様は無之
 候、然共、人ハ欲に就き候習にて油断難成候間、陰微の
 事も記録いたし候、右之通下見相濟候上、見立籾置上人
 別積立、下り米相見不申者ハ通り方に極め、下り米相見
 候者共迄下見帳に書のせ、御惣庄屋へ相達候事

 一三
 ○人別小積之事
一人別小積ハ御免帳之作高一組限書抜、御土物成田畝數に
 割付候へは、上田勝に受取候物ものハ、村中の撫土反譬ハ
 壹石に當候所ハ壹石壹貮斗に當可申候、下田勝に受取候
 者ハ八九斗ニも相當可申候、惣て下見帳之見立籾置合見
 込ニ應し割増を加へ、上納米取出し小積帳に突合、上り
 下りをしらへ付、通り高・御損高相極より可申事

 一四
 ○御損引高分之事
一高分之儀、惣百姓庄屋元え呼出、通り高・御損高相極候
 節、庄屋・村役人・惣百姓之見込、何某/\ハ上作ニて
 御土免通之毛上と見込、其身/\も大かた其見込有之受
 除申候、其次二諾の作高ハ下見に加り、不作之御百姓打
 込に下見いたし、見立籾置合見込に應し割増を加へ、上
 納米取出し、小積帳に突合見候得は、上り下り明白に致
 候ニ付、御土免すり/\已上の作高ハ都て通り方に相
 極、高分を堅、下見帳相添御惣庄屋へ可相達候事
  但、本行之通ニて御百姓共廉恥に基き、正道の下見い
  たし、欲をはなれ候様成行候へハ、高分至て安く田方
  一はたの所柄なと聊の甘ゆき無之候て、民産立兼候村
  柄ハ、すり/\の作高分り兼、役人の困窮是等の境ハ
  村々の強弱に取切可申事

 一五
 ○御惣庄屋内舛の事
一村々より下見帳・高分帳調達いたし候上、御惣庄屋内舛
 に出、下見の勾配を見渡し、中分と相見候坪々數ヶ所に
 壹歩舛を入、惣百姓目前にてはかり立、割起の算用いた
 し、人別に積致せ、自然下り米相見不申、作高御損引に
 加り居候得は遂吟味、御損引ハ差省其段御達申上、兼て
 被仰付候趣違背いたし、右躰下り米無之、作高御損引に
 出候儀不埒之至、急度被仰付筈ニ候、且又莫大の見込い
 たし候村々は、正道の教に背莫大の見込仕候ニ付、是又
 相達候ハヽ被仰付様も可有之候へ共、左候てハ不簾に舊
 染いたし候下方、陥穽の難にかゝり可申と其恐不少候ニ
 付、代々の御惣庄屋取計を以、見込深き下見ハ上ヶ方申
 付、御土免刷り/\以上の作高ハ教示を加へ、通り方の
 申談來候、よつて御惣庄屋の内舛は高分舛の様ニも成行
 候所も有之由、御法を敷、教を施し候も、風俗に随ひ斟
 酌いたし候も當前之儀ニ候、依之御惣庄屋内舛ハ下見の
 甲乙を正し、高分の勾配に極候準縄にて、御徳掛積立の
 場に至候得ハ、御内檢と百姓の間中正を極る規則と相成
 候間、聊私情を用ひ候てハ其中を得不申候、御損引の節
 ハ上下こも/\利を争ふ様になり安き境にて候間、御内
 檢よりハ下方不直にて籾反を見下け損引すると見て、内
 舛の坪より初、御試舛・御例舛の見立等起割の太き坪に
 かたより、其意終に聚斂に至り申候、下方ハ下り米の多
 きを好む所より御試の坪見立、起割の細キにかたり其意
 終に不簾に至申候、聚斂不簾何レも可不及之病有之候、
 よつて両端の境を相考候處、御内檢は御損米の少きを主
 として取計ふ一偏役にて、其條理か有之候、又下方ハ御
 物成之外、三口米・水夫米・諸出米、其外高懸の品々肥
 大手間料迄取束候得は、五割の作徳にてハ不足に及ひ何
 を以渡世可致哉、不残御取上被成候ハヽ御百姓は是限と
 覺語(ママ)いたし候、此儀諸上納内輪の諸懸物迄苛刻(ママ)の御仕法に    覚悟 過酷
 相當り、御役人の取計におゐて有間敷事ニ候、依之寛政
 八年被改一例に被仰付候、其節之御書附ニも右之意味相
 見、両端の通弊改り兼候所よりと相聞申候、所詮兼て被
 仰付置候ゆるますからけさる様ニとの中墨肝要ニ候、下      中墨=どちらにも偏らないこと
 り米少きを主とする御内檢之取計におゐて、中墨に當る
 へき様無之候、御惣庄屋ハ其間に取計を入候役前ニて、
 中墨を目當に取計可申儀肝要ニ候、其中墨の準備を立可
 申ものハ、内舛にてハ御惣庄屋之内舛に當、毛上相應の
 損高相極御内檢へ相渡候得は、御内檢も疑惑なく、其高
 分帳・下見帳無事故受取、内舛を入、下見の甲乙も無之、
 下見の勾配等御惣庄屋の糺方中正に當ると相見候へは、
 御試舛の見立も強チ割起の太キ坪にかたより可申様も無
 之、夫に應し御徳懸の割増も程々に有之、下方御請相濟
 不及御例候、御内檢は向役と申聚斂の仕形相見候ニ付、
 一手永の御百姓を預り御撫育筋取計候御惣庄屋の心とハ
 不輕違にて、難忍儀も有之所より、大かた下方ニ就き候
 實情有之候、下方に就キ候得は忽中墨を迦れ候ニ付、御
 内檢よりハ下贔屓と見なし聚斂の心益強く、すへて下方
 の難澁とも可相成事ニ付、只中墨を主としてかたよる事
 無之候儀肝要ニて候、安永年中御免方御潤色の砌、御内
 檢向ニ被立置候儀御法の一と有之候ヘハ、筋々の御役方
 粉骨を盡ても存分正敷不相成ものと可相心得事
 

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■水夫米という税

2018-04-26 18:07:16 | ご挨拶

先に「年貢+雑税」を書いた際「水夫米(カコマイ)」に触れたが、これがいつの比に規定されたのか判らずにいた。
その答えは最近発刊された熊日新書、大島明秀著「細川侯五代逸話集」にあった。この著は「随聞録」にある55条の記録を原文+現代語訳で紹介したものである。
これは上妻文庫を基にその他の史料により校訂されたとあるが、私は記憶が定かではないが数年前宮村典太の「盤桓随筆」か「藻塩草」で読んでいる。
氏の筆跡は少々悪筆(謝)で難行苦行で読んだから、内容の事は頭に残っていない。

さてこの水夫米については「井田衍義」(654)に次のような記述がある。

      「水夫米之事、御参勤・御隣國長崎・天草御用渡海之御船/\、在役二て高千石ニ夫柄一人宛出申筈ニ極候處、海邊
       ニて無之御郡/\より指出候ても船方之働不相成居候ニ付、高百石壹石五斗宛出来定ニ相成候、然處其通ニてハ下
       免之所迷惑ニ及候ニ付、寛文八年より右之通壹石五斗を算用ニ〆、當時は物成百石ニ三石六斗六升六合宛出し、右
       之出来を以水夫給米又ハ雇賃米等ニ相渡候得共、惣躰近年御用多、船之渡海繁ク候ニ付、右之賃米ニてハ船々水夫
       飯米・跡扶持幷定抱之水夫給米不足をいたし候ニ付、元禄十三年より増水夫米被仰付、其時より始て被召上、同十
       五年以来年々上納被仰付候事」 

「藻塩草・巻90」に「千石水夫米物成百石ニ三石六升六合宛」とあり、上記記述に符号している。
在役にて千石に一人宛出さなければならないところ、在方では馴れない船方の仕事は無理であろうから、水夫給米に宛てるために「水夫米」の規定がなされた。

この規定の始まりが「随聞録」にあるのだが、細川家の肥後入国後本藩では既に運用されていたらしい。その「水夫米」「墓所年貢」について、三齋が八代においても同様の運用について異(相当怒っている)を唱えたことに端を発している。
発案者(?)である野田小右衛門幸長(奉行150石)は八代へ出向き三齋に説明をしているが、その弁舌鮮やかな説明に却って心を打たれて「忠利は良い家臣を持っている」といっている。

詳細な日時については「熊本藩年表稿」でも見つけ出しえないでいる。

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■お連れ様あり

2018-04-26 11:48:39 | 徒然

                 三匹やってきましたが、カメラを向けると一匹は飛び去ってしまいました。
                 雀の撮影もそろそろ止めにしようと思いますが、正面からのショットを物にしたいと思っています。

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (2)

2018-04-26 06:19:09 | 史料

 
 ○春御免被仰渡之事
一御土免帳、手永限御惣庄屋仕出、上地御内檢當加印を
 取、御郡代衆・御郡方御奉行衆中へ當上にて相違
一御土免差紙、御郡代衆仕出にて御惣庄屋當り也
  但、半紙巻目録村々御土免高ニ幾ツ何分と書記、會所
  /\より仕出、御内檢苗字口印日之下、御郡代印形有
  之、御免被仰渡相濟候上、御内檢より御惣庄屋へ渡す
一御郡中當御土免一紙目録、年番會所にて御郡中分継立清
 長紙清書いたし、御惣庄屋連名仕出判印にて仕出、上地
 御内檢・御郡代・御郡方御奉行衆中と當上にたいし、上
 地御内檢加印を取御郡代へ達ス、右は春御免被仰渡候
 節、會所/\より相達候手數にて候、御免被仰渡之儀は
 御郡代年番會所へ御出在、上地御内檢・御惣庄屋出席・
 御郡中村々庄屋・村役人共へ御郡代より直に被申渡、其
 詞ニ曰
  當御免御蔵納・御給知・新地方共、去御土免通ニ被仰
  付之、何れも奉得其意、小百姓共へも此旨申渡候様
一村々よりハ當御土免御受状庄屋/\持参、御惣庄屋へ相
 達候事

 
 ○御土免割しらへ方之事
一御免被仰渡相濟候得は、御内檢ハ直に手永/\之小屋へ
 出在有之、糺方有之候、よつて其以前より村々田畑抜差
 之儀、庄屋元にて質地・譲地・高出作等相糺し、見圖帳
 二付札を用、名寄帳付送いたし、御蔵納・御給知・新地
 ・諸開共持合の地方夫々相しらへ、一組限清算いたし、
 組一紙突合少も相違無之様にすゝめ立、村一紙に突合毛
 頭於無相違ハ御土免割帳仕立、諸帳取揃會所へ差出候得
 ハ、御惣庄屋手前にて御免帳の人數と竈數引合、質地、
 譲地・高出作・抜差之稜々、證文扣に引合候分ハ證文扣
 にて引合、高出作等ハ向合之名前抜差帳にて引合、見圖
 帳付札之銘書、名寄帳之付違(送ヵ)等向合/\之引合一々相
 糺、坪分之高分物成分等清算を入、或ハ諸開添畝の分ヶ
 高等精々相糺、於無相違ハ御内檢へ相渡す、御内檢手前
 ニても右同断相糺シ、抜差の稜々抜差帳より引合、於無
 相違ハ付札付送等印形を用、名寄帳清算を入、御土免割
 帳之畝高物成讀合、抜差之面々清算いたし、村一紙之置
 揚等夫々の手數相濟候上、庄屋より小百姓當之手札調達
 致候得は、御惣庄屋ハ御免帳と手札に割印いたし、御内
 檢ハ手札の裏に苗字を書印形を用、御内檢出在して小百
 姓人別へ相渡す、是迄之手數春御免割と申候

 
 ○青葉改の事
[付箋]「青葉改ハ畑損引之為也、畑損引は本蒔之粟畝迄ニ
    て大小豆畝ハ除ル也、其為之改也」
一大小豆作付候坪々、村役人帳面野面に罷出、見圖帳に張
 札いたし大小豆の畝を付記申候、尤見割等之畝數は遠見
 にてハ間違有之、自然畑御損引等致時間違、小前之難
 澁とも相成候ニ付、坪毎に見しらへ青葉帳仕出せ、一紙
 帳三冊上地御内檢へ遣置候上、五ヶ村組之内一ヶ村見分
 の鬮(くじ)を入、右鬮當り之村へ入、下ヶ名鬮を入、鬮當之下
 名見分ニて相違無之候得ハ相濟、若相違之儀有之候得は
 外之下名ニて引合、其下名も相違有之候得は、五ヶ村組
 不残引合相成筈

 
 ○田畑作色付の事
一田方ハ早・中・晩田或は早大唐・中晩大唐、畑方ハ大小
 豆・粟諸作・居屋敷と何れも見圖帳・名寄帳に腰札を張
 り、坪々色を付記、名寄帳田畝合の所幷は田畝合の所に付
 札いたし、一品限坪々算用仕上、右付札に書ならへ、組
 一紙を堅惣一紙に突合清算相濟候上、村々一紙帳仕立、
 手永一紙相添、御内檢加印・御郡代中印之上、毎年六月
 廿五日限御郡方へ相達候事

 一〇
 ○荒地改方之事
一洪水之節田畑當毛荒有之候分ハ、洪水損所改書附ニ加、     毛荒=けあれ
 遠方いたし置候ヘハ、上地御内檢中見分にて當毛荒に被
 立下候間、損所達之扣上地御内檢へ壹通可遣事
  但、本行之通、享和元年迄の御仕法猶御改、左之通
一田畑當毛荒、是迄ハ上地御内檢一手の改方被仰付置候
 處、以來ハ皆無同前、御郡御吟味役・御郡横目両役の内
 立會被仰付候段、享和二年二月改
一田畑荒地一紙目録之儀、御郡中継立にて上地御内檢仕
 出、御郡方へ達ニ成り、尤年番會所にて帳面出來之事
一荒地之儀、五ヶ年目/\改方被仰付候段、安永二年四月
 御達
一極荒之内御百姓手入仕作付候分は、御惣庄屋改起ニいた
 し相達候得は、五ヶ年は無免にて六ヶ年より本免上納被
 仰付候事

 一一
 ○御惣庄屋毛上見分の事
一田畑作の毛上を見ることハ、一朝一夕の見様にてハ實ニ叶
 かたし、第一御惣庄屋ハ百姓の生産を能存知候て、各生
 産に精を入取継候様に導き申心配無之候ヘハ、手永中の
 治方實に叶不申候、就中御免方仕損等有之、不慮の難澁
 引受候様之事有之、一秋の仕損より終身之難澁、且御損
 米の多も大切之儀に有之候、依之初秋迄之内、手永中
 村々田畑の毛上得斗見究置候儀肝要ニ候、先春の初勤農
 の道を施し、人別家内/\に至迄農業出精いたし、定免
 に作出候様心懸、手入肥水引等精を入候様教示いたし、
 其教に化し出精いたし、又ハ不合點にて出精不致境ハ田
 面にて見分、折々精粗等相糺、精敷者ハ彌勤め惰なる者
 ハ督責いたし、察討褒貶の糺方仕候内ニハ、相境の田主
 の名をも聞覺目印も出來申候、惣て村々の強弱、地味善
 悪、無難所・災害所之境等見糺、春耕の時より根付草浚
 かりほしまての間、度々見分いたし、實々の所見極加申
 候、常並の年ハ左程心を用不申候とも見損無之候得と
 も、旱雨風蟲の災有之候年ハ至て見にくに、先旱田ハ旱
 田の見様あり、水害田ハ水害の見様あり、風災・蟲災共
 各見様有之候、不覚心を用ひ候ヘハ其術を得る事難から
 さる事ニ付不能委筆候、右之通心かけ手永中見極、何村
 /\は土反に引合候得ハ通方之毛上又ハ分り損引にも成
 不申、又ハ何村々々村高之半を過損高ニ成可申、又ハ惣
 損引ニも至可申哉と胸算用いたし置、至秋村々より損引
 願等いたし候節、即席に及議論候様に有之候得は、容易
 なる損高ハ出し不申候、若又右之通心を不用、春以來取
 構不申押移、至秋不當之損高出し候時、内舛入候上減高
 申付候とも、下方より侮を入容易に除かたし、其時に
 至、見落之坪抔にて内舛いたし、高割なと切起し火急に
 追除候様に有之候てハ當り兼申候、是等之儀未御内檢
 の手にわたし不申内、御惣庄屋の計ニおいて困窮いたす
 なと申、氣受悪相成候、是境能々相考農務に心を盡し、
 毛上を見極置候儀肝要ニ候事

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今朝のワンショット

2018-04-25 10:27:27 | 徒然

             

                              今朝9時すぎのワンショット

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■井田衍義・歛法式令ー八・九 (1)

2018-04-25 06:15:28 | ご挨拶

 
 ○毛上見様之事                                                                    毛上
一先其所の田地の居りを能見撫し、田一反に上々作の出來
 籾六石有物也、此心を以段々下を見分るなり、但し毛上
 にても、惣躰田地悪敷所は、収納ニ至り取實少きものな
 り、尤畝之延縮に能々心を付見分仕候事
一畑方之儀は上場作の時、大豆は貮石、粟は四石、稗ハ六
 石、蕎麥ハ貮石、大略此趣を以随分入念見分之事

 
 ○御試例目録之事
 志水縄手田壹枚七百六拾四番                  縄手
一田畝數貮畝六歩       地主  彌 兵 衛
   此籾四斗四升     反貮石
 三歩例貮升六合六勺    但壹歩荷付八合八勺七才
 惣坪數六拾六坪八勺
 有籾五斗八升六合壹勺三才
      内
   四斗四升       見立籾引
 残籾壹斗四升六合壹勺三才
  割ニ〆三割三分貮朱壹厘  延畝有ハ其分割増申候也、高  
                    割起候ヘハ御了簡引と申て五
                    歩、一割又ハ一割五分御引被
                    下候也
      已上
    年號月        何村庄屋  何  某
            御惣庄屋
           御内檢

 
 ○籾反帳之事
 土七五七
 田畝數壹丁六反七畝六歩    何村
一御籾貮拾壹石貮斗三升四合四勺 貮大唐
                反壹石貮斗七升
                石五割
 徳大籾三拾壹石八斗五升壹合
  上納大米拾石六斗六升七合  反六斗三升四合
              土より壹斗八升下ル
              去より壹斗壹合上ル
 眞米ニ〆九石六斗五升壹合八勺貮才
 土七五七
 田畝數三反三畝拾八歩
一籾八石九升          一中田
                反貮石四斗七合
                石同割
 徳籾拾貮石壹斗三升五合    是を三に割
  上納米四石四升五合     反壹石貮升三合
              土より四斗四升七合上ル
              去より壹斗貮升六合上ル
 土八〇八
 田三町七反九畝
一籾五拾壹石四斗貮升貮合    二中田
                反壹石三斗五升五合
                石五割
  上納米九斗七升三合     反七斗
              土より壹斗七升六合下ル
              去より壹斗六升三合上ル

 
 ○御免之事
一御免と云名目の初を尋るに、田畑作の實のり極りて御位
 備る、くらひ備て後盛定る、盛定つて後分米古分米と云ハ今の高の事也
 る、分米算積て高となる、又文米を上下に分ち上に納る
 を土反とし、免るゝものを作徳とす。土反積て土物成と
 名つく、右之高を土物成を割れハ、幾ツ何分何厘弗出
 ツ、是を免と名つくる事ハ、(たとえ)ハ高千石に實るもの千石
 有内、百姓の取續分を殘さしめ、貢納の規律を極、此
 かねを以上納せよ、餘ハ御免なるとの謂れにて、高に幾
 ツ何分餘と記したるものを御免と名つくるよし

 
 ○御土免定る事
一延寶七年迄ハ定御土免無之、前秋の御免を御土免といた      土免(つちめん)
 し候ニ付、秋免極と申候、延寶八年御仕法御改、御土免
 定ニ相成候由、其以前十ヶ年の御免を撫し、是を土臺と
 して地味の善悪土反別等考合、彼是的善のしらへ綿密に
 して、漸々成就いたし候と申傳候、右土免に定方被仰
 付候御趣意ハ、塀念にハ随分御免を上ヶ、其上リ分御圍
 置せられ、損毛の年御償可被成由、是よりして御損引と
 申名出來仕候由、十ヶ年の撫四ツ成と當ハ村方地位十
 反作の取足し考合、一つ成上り候ても外に五割の作徳可
 有之と見込、御僉議決断之上五ツ成と極方被仰付、惣て
 無難の年五成を以上納いたし候ハヽ、五年・十年のうち
 一両年皆無に成程の天災有之候ても、一ツ成の上り分
 を以御償可被下との御経済の由、延寶八年正月廿四日御
 沙汰の外、御口達委敷有之候段申傳候、延寶七年迄ハ定
 御土免無之、不作之年下見の仕法段見にて有之候處、同
 八年定免極り候、付てハ御仕法御改、石見ニ被仰付、檢
 見先の御法相備り候由
 
  

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■ピンボケ証拠写真

2018-04-24 17:55:08 | 徒然

            

 ベランダに小鳥の餌をまき始めて以来、ここ四五日すずめがよくやって来るようになった。
証拠写真を撮ろうと思うがいつやってくるかもわからず、今日などは雨がふり油断をしているところに二三匹が飛んできた。
慌ててカメラを構えるが何度も失敗、ようやく撮れた一枚も望遠のピントがあわずこんな有様・・・
足元に白く見えるのが餌、左の黄色いのがデザートのみかん・・・
今も一匹やってきていますが、少々暗くなり又後日といたしましょう。

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