津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

Everything is impermanent

2011-01-30 22:55:14 | 徒然

 有縁の人の訃報ほど辛いものはない。

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桜の馬場「城彩苑」3月5日オープン

2011-01-29 14:42:29 | 熊本

 熊本城内桜の馬場に建設が進められていた「城彩苑」がいよいよ3月5日にオープンの運びとなった。熊本城の魅力を発信する施設として、多いに役立つものと期待している。

           http://www.sakuranobaba-johsaien.jp/

実はこの「城彩苑」では、いろいろ熊本の歴史に関する講演等が行われる予定があるのだが、上記サイトではまだ発表されていない。
熊本市の「市政だより」2月号にスケジュールが掲載されているので、興味ある方は出席されては如何だろうか。
           http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/Content/Web/Upload/file/Bun_52988_21004.pdf

http://www.city.kumamoto.kumamoto.jp/Content/Web/Upload/file/Bun_52988_22005.pdf

3月12日の九州新幹線全線開通に向けて、新たな顔を見せつつある熊本である。

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殿様の日常

2011-01-29 11:51:50 | 歴史

 今までいろいろな資料を見てきたが、今年は藩主の私的な部分を追いかけてみようかと思っている。どういう資料があるのかも把握できていないのだが・・・

 世の中に「殿様の日常」を扱った参考になるような著作はないかとググっていたら、大垣藩主戸田家に係る「殿様のくらし十万石藩主戸田氏」があることを知った。
            http://www.bunhogo-ogaki.jp/intro/publi.html
 戸田氏といえば二代当主の戸田氏銕(氏金とも)が細川家とは大変仲が良かった。
            http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E7%94%B0%E6%B0%8F%E9%89%84
そんな戸田氏の歴代の殿様の日常が描かれているらしく、購入しようと市役所に連絡を取ったりしている。上記サイトを見ると大垣の歴史書の多さに驚かされるとともに、文化財保護協会と言う団体の活発な活動がうかがい知れてうらやましく思える。

 昨年亡くなられた熊本の郷土史の重鎮・鈴木喬先生はご先祖様が大垣藩士、お宅にあった資料から「大垣藩戸田家の見聞書 二百年間集積資料・御家耳袋」をお出しになっている。
            http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/ISBN4-87294-052-0.htm
この御著と読み合わせるのも面白いだろうと思ったりしている。

 

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泰勝寺で落語会・・?

2011-01-28 22:46:26 | 熊本

 夕刻新聞を隅から隅まで目を通していたら、小さなお知らせ記事を見つけた。「細川佳代子・熊本扇治の会」主催の泰勝寺新春寄席とある。これはまったく知らない話で驚いてしまった。入船亭扇治を招いて、1/30の11時、14時の2回催されるそうだ。

さてどうする津々堂・・・・・

当日は午前中は「熊本史談会」の一月例会、昼食をとって雑談していると1時をちょっと廻る、会場から泰勝寺まではそうかからないから、なんとか間に合うかもしれない。

しかし佳代子夫人が落語家さんを応援されているとは知らなかった。
在るお寺で永く開かれていたお馴染みの落語会が終了して、なかなか生の落語を聴く機会もなくなってきたと思っていたら、思いがけないことであった。

行くべし、津々堂

http://senji.exblog.jp/
http://homepage3.nifty.com/isamukoubo_nippon/senji%20profile.pdf#search='入船亭扇治'

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カマキリの雪予想 ×

2011-01-28 17:01:03 | 歴史

 ヤフートピックスに次のような記事が出た。

アブラムシ 「積雪占い?」 卵産む高さと関連調査 仙台

 積雪予想、アブラムシにもできる? 仙台市の「富沢遺跡保存館(地底の森ミュージアム)」(太白区)が、2万年前の植生を再現した屋外自然観察施設「氷河期の森」で、害虫のアブラムシを駆除せずに、その卵の位置と積雪の深さの関係を調べている。カマキリが積雪より高い位置に卵を産み付けるという俗説は有名だが、保存館職員によると、昨冬からの調査で、アブラムシにも同じ傾向がありそうだという。(河北新報)

 いつも私が陣取っている机の横の本棚に、十数冊の「ベストエッセイ集」が並んでいるが、06年版はずばり「カマキリの雪予想」である。株・酒井無線会長 工学博士 酒井與喜夫氏の作品である。「カマキリの雪予想」と、よく似た話だと思いながら上の記事を読んだところである。そしてスクロールしていると、とんでもない記事に出会った。ずばり【カマキリは積雪量を予測していない】 - JT生命誌研究館 とある。慌てて読んでみると、 酒井與喜夫氏の説を全否定されるコメントである。いやはやこれには参ってしまった。
学問の世界は日日の進歩でこういう話はよくあることなのだろうが、エッセイを楽しんだ私としては何とも釈然としない。・・・・・「仕方ないか」・・・・・・nnnnn

 ちなみにこの「06年版ベストエッセイ集」は、長くご厚誼いただいているサラリーマンエッセイスト・近藤健氏からご恵贈いただいたものである。
氏の秀作「昆布干しの夏」が掲載されている。ユーモアとペーソスにあふれたこの作品を是非ともお読みいただきたい。当サイトの「コーヒーブレイクエッセイ」に納めている。

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最近のブックマーク

2011-01-28 10:48:22 | 歴史

                   信長学起動
 各位にはすでにご存知のことと思われるが、当方はいささか遅きに失してしまった。
           http://nobunagagaku.com/index.html

 いろいろ御託を並べることはやめておく。素晴らしいの一言である。

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松本 清張著「火の縄」

2011-01-28 09:35:33 | 書籍・読書
 火の縄 (講談社文庫)
 松本 清張
 講談社

 実はこの作品は未読で、2月12日に熊本県立美術館で開催される 講座・細川コレクション・5 「細川ガラシャの最後をめぐって」 までには完読しておかねばとすこし焦っている。ガラシャ夫人の最後に当り屋敷から逃げ出したあの稲富祐直の話である。

稲富祐直については次のような作品がある。  
中村彰彦
『ガラシャを棄てて』(徳間文庫・『敵は微塵弾正』収録)
松本清張『逃亡者』(角川文庫・『軍師の境遇』収録)
汚名は一生付きまとっているようだ。

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資料所在「興津弥五右衛門の遺書」に関する三つの資料

2011-01-28 08:58:56 | 歴史

 これは東京大学総合図書館の「鴎外文庫書入本画像データベース」にある、「七十六翁 興純識」の文書忠興公以来三代殉死の面々である。鴎外が手に入れ、自筆の題簽を「細川家殉死録」とした。サイトの説明文によると、奥書には「忠興公御以来御三代殉死之面々長傳略阿部茶事談共二巻 北岡御邸御文庫中之御本也邸外他方持出難成規定也下宿迄持下願滞態二日三夜燈下寫取處拙筆老眼誤字落字可推續也 大正元壬子年十二月中旬七十六翁 興純識」とあるそうだ。鴎外の改稿『興津弥五右衛門の遺書』の資料である。
 「鴎外は初稿『興津弥五右衛門の遺書』を大正元年(1912)10月の『中央公論』に掲載したが、その後、本書及び『興津又二郎覚書』(鴎H20:442)・『興津家由緒書』(鴎H20:432)を入手し、これらに基づいて改稿を加え、単行本『意地』(籾山書店,大正2年6月)に収めた」と説明文は記している。
     http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/H20_530.html

ちなみに「興津又次郎覚書」「興津家由緒書」も納められている。

     http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/H20_442.html
     http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/H20_432.html

 

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2/5 BS-TBS 「八千代座100年物語」を御覧あれ

2011-01-27 16:50:46 | 熊本

                     熊本関連記事につき、ゆるキャラ「くまもん」登場
 熊本県山鹿市に開業100年を迎えた木造の芝居小屋「八千代座」がある。
例年、坂東玉三郎が訪れて公演がなされてきた。今般その玉三郎氏などの協力を得て、開業100年を記念して「関口弘のベストセレクション」で1年をかけた取材による、「八千代座100年物語」が2月5日放映されることになった。 BS-TBS で20:00~22:00である。ぜひとも御覧いただきたい。

      http://www.yachiyoza.com/   
      http://www.dandl.co.jp/gold/yachiyoza/

 国指定重要文化財であるこの建物は一時期廃墟となっていたが、地元の人たちの強い思いが復興へとつながり、歴史ある建物が生き返った。そして復興後のこの貴重な芝居小屋は、歌舞伎関係者の協力もあって、多くのフアンがその素晴らしい世界を堪能する場となっている。その他種々のイベントの場として活用されている。豊前街道・山鹿宿の地としていろいろな活動が目覚しい最近の山鹿市がどう紹介されるのか、待ち遠しいことではある。

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資料所在「都甲太兵衛」に関して

2011-01-27 11:28:43 | 歴史

 いつの頃UPしたのか記憶がさだかではないが、森鷗外の小説「都甲太兵衛」の全文を「津々堂電子図書館」で公開した。青空文庫で取り上げていただくのが一番だと思いご連絡をした覚えがあるが、当時はまだ対応していただけなかった。
 UPしたあと、鴎外研究者の方から一二問い合わせをいただいたり、その為にご子孫を探したり、お墓を訪ねたりした。ご子孫探しについてはその顛末をブログに書いたことがあった。その後ご連絡もしていないが、如何お過ごしだろうかと気にはなっている。

 最近、いろいろな資料の所在を調べている中で、東京大学総合図書館に「鴎外文庫書入本画像データベース」があり、この中に「都甲文書」があることを知った。「東京大学総合図書館が所蔵する「鴎外文庫」(森鴎外の旧蔵書コレクション)のうち、主に鴎外自筆写本、書入れ本を電子化したもの」と説明があった。
     http://rarebook.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/ogai/data/G27_213.html
鴎外自身が筆記したものであろうか、大変興味深い。

 この資料の所在については、跡見学園女子大学紀要・第十号(1977年3月号)の 鷗外・史伝『都甲太兵衛』論 でも紹介されているところだが、その論考が下記の如く公開されている。  
     http://sucra.saitama-u.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=atomi-KJ00004208575
 改めて内容に触れると、平易に読み飛ばしているこの作品の奥の深さを改めて感じるのである。

 「青空文庫」で早々に取り上げていただき、こちらは撤収したいと考えているのだが・・・・ 

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「熊本史学」と「CiNii」

2011-01-26 10:57:41 | 書籍・読書

 熊本の歴史研究が公開される、尤も権威ある図書である。
私は何度かその目録をこのサイトでご紹介すべく頑張ってみたことがあるが、途中で頓挫してしまった。
最近は「CiNii」で、その目録を検索できるから大変有難い。
一部は「機関リポジトリ」で全文を見ることができるし、プリントアウトも可能でこれが大変有難い。

http://ci.nii.ac.jp/search?journal=%E7%86%8A%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E5%AD%A6

 「機関リポジトリ」での公開がもう少し広がれば有難いのだが・・・・関係者のご努力を促したい。

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無為介と父親・英記

2011-01-25 14:44:40 | 歴史

 「むいのすけ」と読むのであろうか、時代小説の主人公かと思わせる名前である。
実はこの人、郡代などを勤めた松村英記の嫡男である。「肥後先哲偉蹟」の松村大観(英記)の項に次のように記されている。

      松村英記江戸詰の節、嫡子菊壽に改名させんとて、下書を下し、名は無為助、
      實名昌言、判は拜と云字なり、兎角人は無為なるがよし、無為にして人の言を
      能聞べしとて、昌言と付、拜の字を判にすることは、禹拜昌言と云より出たり
      (以下略)

 確固たる心情が伺えて面白い。
ご子孫は佐伯にお住まいのようで、「別府大学地域連携プログラム-佐伯史談」に、松村昌勝という方の「参勤交代に於ける毛利藩と細川藩との誼(よしみ)」という論考が見受けられる。英記25歳の時参勤の御供を命ぜられ、佐賀関から御座船「波奈子丸」を先頭に、六十余隻の船団を組んで出発した。処が1隻の船が荒天のため南に五十里(200キロ)流され引返す途中で、佐伯の毛利藩にいろいろご配慮をいただいたと言うのである。英記が記した「船中日記」が翻刻されて紹介されているが、大変興味深いものである。

  http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/detail.php?id=ss17002    

 英記は長く郡代職を務め、又藩校時習館の改革案などを献策している。
無為介は如何であったかまだ知り得ないでいる。

 

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久我美子

2011-01-25 11:46:08 | 徒然

 女優・久我美子(くがよしこ)は、清華公家・久我(こが)侯爵家のれっきとしたご息女である。本名も美子、ただし「はるこ」と読んだらしい。財政が破綻した久我家の為に女優になったとされるが、「こが」の名乗りを許されずに「くが」としたと伝えられている。

 前内大臣久我通明卿の御廉中も美子、この方は細川治年の息女・就(ナル、ナリ)姫である。こちらはなんとお呼びしたのか良くわからない。女優久我美子の名前も案外就姫さまから来ているのかもしれない。

 久我家は細川家とは大変つながりが深い。
            http://www1.parkcity.ne.jp/sito/k104.html

そのさきがけは、綱利女・具姫(初・鍋、常)が右大臣・久我惟通に嫁いだことによる。
実は綱利弟利重の息女であるが、綱利が養女とした。
惟通の孫通兄女・由婦姫が細川重賢の室となっている。就姫は重賢の孫娘である。

 八代古文書の会が発行した「熊本藩家老・八代の殿様 松井章之の江戸旅行日記」によると、天保十二年の参府のおり伏見(今出川)の久我家を訪れている。このとき就姫は「久々御不例」で「漸ク昨日迄ニ御櫛御ほとき仕舞被候得共、未タ御平常通り御仕舞不被出来候」状態で表向には出られず、のち御居間で久しぶりの対面を果たし「太守様え御伝言等」をお聞きし退出している。その際の部屋の間取りや出入りの状況などが記されていて大変貴重な記録とも言える。大変こまめな殿様であったことが伺える。このとき就姫様は54歳である。弘化四年四月61歳で亡くなられた。
「東路日記」「桂能里乃紀行」「散九良木集」などの優れた紀行文、歌集などが残されている。

        
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刑部家

2011-01-24 16:18:53 | 歴史

 泰勝寺のすぐ近くに細川家御一門の「刑部家」の菩提寺慈眼庵がある。泰勝寺の塔頭であったと言うが其の痕跡は見当たらず、「刑部家」一族のお墓がすごい数で整然と並んでいる。一度詳しく拝見したいと思うのだが、勝手に入ることもはばかられて未だ外からの拝見に止めている。
         http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/bochihskw.html

 忠興公と五男・刑部少輔興孝(刑部家祖)の仲違いはつとに有名だが、その原因が何であるのかよく判らない。天草島原の乱の勃発の際、證人として江戸にあった興孝は忠興にたいして出陣することを強く願ったらしいが、これは将軍家のご指示に従うべきとしている。案外こんなところが原因なのではないかと考えている。二歳から21年に及ぶ證人としての江戸暮らしも、鬱憤の原因であったのかもしれない。帰国途中に病気となり剃髪、帰国後も菊池に在郷し、府中に屋敷を構えるのは正保三年九月と言うから、忠興の死後九ヵ月後の事である。

於豊前小倉御侍帳(妙解院忠利公御代・於豊前小倉御侍帳并軽輩末々共ニ)によると、「興孝公 御子孫今御国一門ニ而長岡之称号也、但御嫡男興之公御早世ニヨツテ断絶、御二男御取立興知公ヨリ新知一万石ニ而長岡之称号(御)国一門也、已前ハ御連枝様ニ而細川之御称号也」とある。興孝の隠居により跡式相続した二代興之は25歳の若さでなくなった。知行差上となり御連枝細川刑部家嫡流は断絶の取り扱いとなり、弟興知が新知一万石を拝領し、後は一門としての扱いとなり長岡姓となったわけである。これもまた「御一門払い」の一貫とするのは考えすぎであろうか。後、刑部家・内膳家の二家を御一門と称する。

子飼にあった下屋敷が現在城内三の丸に移転されて、藩主一門の武家屋敷の有様を現在に伝え、多くの観光客の目を楽しませている。
         http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=436
 30年ほども前であろうか、泰勝寺の邸内に住まわれていたご子孫の長岡度世様にたびたびお目にかかる機会があった。古武士然とした風格が今でも思い出される。いろいろお聞きしておきたかったという思いでいっぱいである。

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秩禄処分 明治維新と武士のリストラ

2011-01-23 22:11:04 | 書籍・読書
 秩禄処分―明治維新と武士のリストラ (中公新書)
   落合 弘樹
   中央公論新社

  熊本藩における秩禄処分の元になっているのが、「改正禄高等調」である。
 その索引とも言うべきものが、「有禄士族基本帳」。いずれも熊本県政資料として熊本県立
 図書館で見ることが出来る。

 秩禄処分がどのように行われたのかを知る上での佳書である。

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