津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■御請状

2018-01-31 20:57:02 | 史料

 内田手永岩尾村の久助は去年の御年貢の上納が出来ずにいる。才覚の手立てがなく一ヶ年倅が奉公に出ることとなる。
その給銀が充てられることになる。時は文政十一年三月、宛名は志口永村の源七とある。この人物が立て替え払いをしたのであろう。
委しく読んでいないが、当然利息が加算されて一年後の完済が条件である。その請状である。

私は長く町政・農政に関わる資料をご紹介しているが、この様な話は日常茶飯の事なのかもしれないが、直接このような書状を目にすると
いたたまれなくなってしまう。力ある御百姓は金融業者でもある。後には豪農と言われるようになっていく。
その豪農と言われた人たちが、明治の新しい政治に関わっていくのだが、何時も取り残されるのはこういう底辺の人たちである。

                     地図の説明

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■明和繁雑帳・會所舊記から(27)

2018-01-31 07:17:49 | 史料

九五七ー(2)

一蠶桑之儀、相應之所々は何方/\ニて御座候哉、書上        蠶=かいこ
 可申旨被仰付、奉得其意候
  宇土両手永野山空地等は地味悪敷、折角仕立候ても        両手永=松山・郡浦
  聊桑相應不仕候、尤御百姓屋敷内、畑畔・岸・井手
  塘又は宇土町屋敷内等ニ、少々桑仕立申畾地所持仕        畾=らい・るい 田畑を区切る土盛り。田の間の土地。
  候者は仕立置、縦は一ヶ村ニ竈數百軒御座候處、貮        竈数=かまどすう 所帯数
  三拾軒又は拾軒五軒宛、其外は一ヶ村ニ一両人宛、
  宇土町ニ拾軒程養蠶仕、多クは一向養蠶不仕候、右
  之通ニ付、宇土郡之儀養蠶相應と申儀極て難申上奉
  存候、委細は去々年書上置申候通ニ御座候間、宇土
  郡養蠶之儀下方心掛次第ニ被仰付置被下候ハヽ、自
  然と徳用之儀を存付蠶桑ニ進ミ、遂年をは繁昌仕ニ

  ても可有御座哉と奉存候
一宇土・葦北御牧山之儀、近年中津角七殿ニ被仰付、段
 々取計御座候、角七殿ニ成不申以前之様子と當時之様
 子、委敷書上可申旨被仰付、奉得其意候
  此儀、宇土郡網津村ニて高百ハ拾石、長濱村ニて百
  五拾一石、都合三百三拾壹石役高を引、前々より右
  両村ニて御牧山請持居申候、近年中津角七殿請込ニ
  相成、犬打六人増方ニ成、壹人ニ貮拾五人宛引夫を
  遣、五人分都合百五拾人、毎歳宇土両手永ニて引方
  ニ相成申候、角七殿請込ニ成、此分以前ニ増申候
  其外相替申儀無御座候
一葦北御郡筒地方何程/\被渡置、御郡中御用何人ニて
 何々如何様ニ勤候哉、夫々書上可申旨被仰付、奉得其
 意候
  但、此儀宇土郡ニ見合無御座候
一水尾木建替之儀、葉竹ニても其邊之獵師共請ニ被仰付         水尾木=みおつくし 
 請込候獵師は、船之運上ニても御免被仰付様成御仕法
 は如何可有御座哉、勿論、水木尾筋目印麁略無御座様
 相極、書上可申様被仰付、奉得其意候
  但、此儀宇土郡ニ水尾木建申所無御座候
                                  「水尾木」の画像検索結果
一御在宅人衆内作之高主ニ相成村人數ニ加り候者は、差
 障り無御座筋を相達可申旨、一季抱之者ニも少々之内
 作は被為致候、其類は人置所え抱差出御座候處、村方
 ニて高主ニ立候ては不都合ニ御座候、高主ニ立候者如
 何様之者ニて御座候哉書上加申旨被仰付、奉得其意候
  此儀、御在宅人幷御扶持人衆・寺社方・御郡醫師・
  一領一疋・地士・御郡代衆御直觸之面々・陪臣支配
  家来之面々高主之儀、縦は最初市助と定り、いつ迄
  も市助と申躰なしの名高主ニ居申候て、一季抱等之
  者内作仕、人置所へ抱差出御座候、此者御年貢、諸
  公役・諸出来銀等村並之諸拂仕候、但、不如意之御
  家人等纔之高主も右之通ニ立、内證は自身又は子弟
  之内被承、勿論不埒之節筋も無御座候ニ付、宇土郡
  之儀村人數ニ加へ五人組ニ入申儀は相成申間敷と奉
  存候、尤今分ニて何そ故障之儀無御座候
一御百姓之内、御給人衆幷他御侍衆家来ニ成候儀、先年
 被仰付候趣御座候、以来忽セニ成候儀無御座候、何某
 /\家来ニ何村/\之者、ヶ様々々之筋ニて相成候と
 の儀、一々書上加申旨被仰付、奉得其意候
  此儀、宇土郡両手永ニは、右之御衆家来ニ相成候者
  無御座候
一古船御焼印之儀、零落者は修復難成、解除も難奉願と
 申者、如何成遠慮ニて御座候哉、書上加申旨被仰付、
 奉得其意候
  此儀、宇土郡両手永ニ右躰之儀無御座候
一鐵御道具請取候節焼刃祝と申入用も御座候由、如何様
 /\之筋ニて御座候哉書上加申旨被仰付、奉得其意候
  此儀、宇土郡御普請石方小頭幷抱夫共、手前委ク承
  合申候處、焼刃祝之入目と申候ては當時無御座由申
  出候
 右之稜々、私共存寄之趣書上加申旨被仰付、奉得其意、
 御尋之御ヶ條を本行ニ立、私共存寄之趣細書を以申上
 候通ニ御座候間、宜敷被成御達可被下候、為其覺書を
 以申上候、以上
  明和九年五月十三日        松山 理三次
                   郡浦又左衛門
       筑紫一郎左衛門殿

明和七寅六月廿五日より廿七日迄寄合
   但廿五日・本庄善光院 廿六日廿七日・大津竹迫宿
   永井宇七兵衛 大賀嘉兵衛 田迎兵右衛門 横手金
   兵衛 池田立蔵 銭塘仙助 正院次郎三 小田茂助
   河原長左衛門 大津佐七 布田太助 鯰市右衛門
   矢部忠兵衛 松山宇七 杉嶋茂次右衛門 河江宅右
   衛門 野津瀬兵衛
  閏六月四日於野津會所一手寄合
   郡浦又左衛門 種山彌平次 高田富右衛門 松山宇
   七 野津瀬兵衛
  閏六月十一日本庄 十二日池田 十三日田迎 十四日
  横手 十五日本庄 十六日池田 十七日本庄 日數寄
  合人數之内左之通
   永井宇兵衛 大賀嘉兵衛 田迎兵右衛門  横手金 
      十三日不参  十三日より十七日迄不参 十一日より十三日迄不参
   兵衛 池田立蔵 銭塘仙助      正院次郎三
                十五日より十七日迄不参 
   南關次郎左衛門 小田茂助 山鹿素兵衛   深川
                    十六日十七日不参
   次右衛門 竹迫宇左衛門 内牧半助  久住文五郎
         十一日十二日不参  十一日十四日十七日不参 
   高森喜三太 木倉平蔵   鯰市右衛門 河江宅右
                 十七日不参   十六日不参
   衛門 松山宇七 種山彌平次 田浦助兵衛 津奈木

   養右衛門
              




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■熊日新書・新刊「細川侯五代逸話集 ―幽斎・忠興・忠利・光尚・綱利―」

2018-01-30 19:39:50 | 書籍・読書

細川侯五代逸話集 ―幽斎・忠興・忠利・光尚・綱利―〈熊日新書〉New

近世後期に編纂された逸話集「随聞録」全55話の現代語訳と原文を初めて活字化!

著 者  :大島 明秀(熊本県立大学文学部准教授)
体 裁  :新書判、並製本、232ページ
出版年月日:2018年1月24日(発売)
定 価  :本体価格1,000円+税(税込:1,080円)
I S B N   :978-4-87755-573-3 C0221
発 行  :熊本日日新聞社
制作・発売:熊日出版

 

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説明

内容紹介

近世後期に編纂された逸話集「随聞録」には、細川家初代当主幽斎(1534~1610)から五代綱利(1643~1714)治世に至るまで、予想を裏切る行状がふんだんに収録され、歴代当主と家臣の意外な人となりがありありと描かれています。当時の人々にとって〝史実〟以上に〝真実〟であった逸話というもう一つの歴史。本書は、「随聞録」全五十五話の現代語訳と原文(校訂版)を初めて活字化し、歴史的な背景を踏まえながら分かりやすく解説しています。

【目次】
第一章 現代語訳編 -「随聞録」の世界-
第二章 解題編 -史実と物語のあいだ-
第三章 資料編 -校訂版「随聞録」-
あとがき

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■久しぶりのオークション

2018-01-30 14:51:18 | オークション

昨年末オークションオーナーからわざわざ古文書の出品(佐田文書)を終えた旨のご挨拶があった。
それでも気になって時折覗いていたら、ここ数日数点の古文書が出品されており、二点を落札した。
そのうちの一点だが、どちらのお宅の物かわからぬ「甲立物幕之紋定紋附」である。
名前が墨で消されている。誰が消したのか不思議なしわざではある。これで応札者が現れず最初の表示価格で落札できた。
名前が消してあっても私にとっては大事な史料である。
どうみても最初の文字は「武」だとおもわれるが?、「家紋入り先祖附」「肥陽諸士鑑」を眺めても該当するお宅がない。
明日は現物が送られてくるが、少々待ち遠しい。

家紋・剣花菱紋からすると落合氏(1,000石)かな~

 

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■明和繁雑帳・會所舊記から(26)

2018-01-30 09:26:23 | 史料

九五七ー(1)
百廿九
一御郡御記録之事
  此儀、前々被為仰出候趣幷數十ヶ年御觸事、數多之儀
  ニて御座候、御郡より會所/\御惣庄屋御入替、又は
  新役等を被仰付候所柄は、古キ御記録相分不申宜多御
  座候、其上近年追々と御達筋御座候得は、御百姓共え
  申聞置候御仕法事多御座候間、數々ニは餘計之儀にて、
  却て御百姓共あやふミ、於私共も御記録を鑑ニ不仕候
  ては、役所も疎ニ相成可申所奉恐入候、依之、恐多奉
  存候得共、新古共ニ御糺方被仰付候御記録之帳面御渡
  被下候ハヽ、私共より村々ニは寫一冊宛相渡置、無怠
  相守候様申付度奉存候、乍憚宜敷被仰付可被下候
[上ノ付札]「此儀、御記録帳出来之上、可被下旨候事
    覺
 一御年貢抜米御座候儀、取立役人之油断ニて御座候得共、
  御家人被差出候も御代官ニ御加勢ニて御座候、御加勢
  ニ不及と申す儀、上ニもたれ不申自分/\より埒を付可
  奉伺旨被仰付、奉得其意候
   此儀、御年貢皆濟不仕内抜米堅不仕様、御百姓人別
   委ク申付、村役人は一村限抜米仕せ不申、若取抜候
   は御咎被仰付候様ニとの請書仕せ、宇土町幷在中有
   徳米之者共ヘハ、私共より之賣手形持参不仕米穀は買
   取申間敷旨堅申付、熊本・河尻御町其外近御郡在町
   えは、夫々其御達被成被下候ハヽ、一手永限■くヽ        ■=扌偏に乄・締
   り仕、抜米仕せ不申、御年貢米銀速ニ取立上納可仕
   候、右之通被仰付候得は、宇土郡口留之在御家人被
   差出、及不申小頭も出し不申、飯米雑事代分之出銀
   減奉相成申候
 一小庄屋之儀、如何様/\ニ有御座度との儀、私共存寄
  書上可申旨被仰付、奉得其意候
   小庄屋之儀、委敷は去々年書上置申候通ニて御座候、
   乍然、前々より今分ニて堅り居、今分ニて被差置候
   ても其者之心持ニ寄、役方至極入念相勤申者も御座
   候、又、給米引高等被増下候ても、生得不心得之者
   はいや共不心得ニ可有御座候、右躰直方之儀、時之
   頭人之意之用様ニもより可申儀歟と奉存候、宇土郡
   之儀、當時聢寄せ村も無御座、小高之村勝ニて徳米
   引立等小ク、成程役儀ニ染不申、實情之勤方之者少ク
   御座候ニ付、一圓ニ給米引高等被増下候得は無比上
   奉存候、然共、何分其所其者其時節ニ應し、いやと
   もニ村組も遠申儀ニ付、給米引高等被増下候ハヽ、
   成程當分はめきと入念可申候得共、遂年を段々人躰
   替候ハヽ、右同前之心持ニ相成可申哉と奉存候、縦
   は高壹貮百石程より五六百石程迄之所を、千石程之
   村庄屋引高等ニ准候様ニ被仰付候ても、六百石以上
   之所ニつり合兼、實ニ叶不申候、尤百石程より五百
   石程迄を五百石程ニ撫し、六百石程以上は今迄之通
   ニて被差置共ニては有御座間敷哉、畢竟、小高所之
   申分ニ付、此御仕法共ニては如何程ニ加有御座哉、
   且又小庄屋給米計少々宛被増下候ハヽ、一統ニ撫合
   實叶可申候、乍然、集候ては莫大之米高ニ成可申候、
   寄セ村ニ被仰付候節、脇差も御免被仰付、今分ニて
   當時迄可也ニ堅居申儀ニ御座候、右躰之儀は小庄屋
   限り不申、私共之役前も小手永ニて大手永よりも御
   用多所も御座候、其外迚も同前ニて、一躰之儀減方
   被仰付御時節柄ニ、小庄屋給迄を増方之儀奉願候て
   は、一躰之儀をさそひ起し申様共は被為思召上間敷
   哉、依之、私共より極候て書上申儀極々恐多奉存候、
   小庄屋役代々も相續仕度心得ニて、役方ニ染為申、
   小庄屋一統ニ吉凶禮之節禮副等御免被仰付被下候ハ
   ヽ、役儀を惜ミ極て入念相勤可申と奉存候、然共、
   小庄屋迄右之通被仰付候ては、會所役人二つり合不
   申、手代以下小頭迄も必多度御役所えも大切成御帳
   面御書付等持参仕、雨天之節は蓑・草鞋かけ二ては、
   右帳面書付等もそんさし、御役所をもいやともニ踏
   よこし申儀奉恐入候間、此者共も小庄屋役同ニ被
   仰付不被下候てはつり合兼、小庄屋役段を御付被下、
   手代以下小頭之段式落申候ては、私共名代役相勤申
   者之儀ニ付、自然と會所元より之申談も徹し兼可申
   哉と、此所落着不申候、依之、庄屋ニても會所役人
   ニても、勤方ニ至て宜敷者は相しらへ可申上候間、
   其度々被賞可有御座哉奉存候、右之通ニ付、小庄屋
   之儀迄私共より相極書上申儀は極々奉恐入候間、右
   書上申候内、何レニても宜敷被仰付可被下候

          (2)へ続く
   

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■明和繁雑帳・會所舊記から(25)

2018-01-29 16:02:29 | 史料

 九五三
百廿五
一旱魃之年柄、天水之田方根付難成畝方之事
  但、潤を相待少々旬後レニ相成候ても、田方根付仕セ
  申候、潤を待居候ても振不申、其内苗立延申候得は、
  無據畑作替奉願儀ニ御座候、夫々畝數相改しらへ御達
  申上、御役人衆被差出御見分相濟、御埒被仰付候上畑
  作仕候て、年ニより旬後レニ相成申儀ニ付、少々之畝
  數作業替願出候節は、御内検衆、私共立合見届畑作仕
  セ、追て畝數御達申上候様被仰付被下候様ニ有御座度
  奉存候
   但、山付在は寒深ニ御座候ニ付、畑作延引仕候ては
   霜ニ逢ヒ、用立不申候間、宜被仰付可被下候

 九五四
百廿六
一水痛・蟲痛幷越潮ニて竪無ニ相成候畝方作替之儀も、右
 ニ被准、宜様ニ被仰付被下度奉願候
[上ノ付札]「此二稜、達之通ニは難叶候間、今迄之通被相心
  得候様ニ被及達旨候事」

 九五五
百廿七
一地方振を替、又は堤井手等立替、新開山仕立等願上候節
 之事
  此儀、下方願出筋は、當時迄私共手前ニて有前之様子、
  且所柄故障有無之儀等委敷相糺、奉願儀ニ御座候、然
  處ニ、御見分方大勢之御役人立合被仰付候ニ付、零落
  之所柄は宿家等差支、仕夫失墜も有之候、其上御役人
  衆銘々ニ繪圖書附等取被申候ニ付、書付數ニ相成、調
  方手入迷惑仕候、依之、以来右類願之節下方難澁之
  儀無之、手安ク相濟候様ニ被仰付被下度奉存候
[上ノ書付]「此儀、御役人不被差出儀は難成候ニ付、今迄之
   通ニて諸造用減方等之仕法も有之候ハヽ、猶又存知
   寄可被相達旨ニ候、尤繪圖之儀は、明和九年被及御
   達候通可被相心得候事」

 九五六
百廿八
一抜穂改在之事
  此儀、前々御直役人被差出來候所、先年在御家人ニ被仰
  付、小頭も壹人宛被差添、飯米雑事代餘計之費ニ相成、
  小頭も手足不申、極々差支申候ニ付、去戌年在受御免
  被仰付被下候様ニと願上候得共、相濟不申候、其後熊
  本口々は御直役人被差出、其外は在御家人被差出、毎
  歳閙敷最中と申、御家人幷小頭飯米雑事代失墜多、迷             閙=さわがしい
  惑ニ奉存候間、在御家人被差出候儀は止方ニ被仰付被
  下度奉存候、尤御年貢米は御蔵送り、御扶持方拂は
  通を差出可申候間、是を見合、熊本口々被差通可被下
  候、御年貢皆濟仕候者は、口留無之所々も賣手形私共
  より相渡賣セ可申候、其外抜米賣仕候者買候者共ニ、
  稠敷御咎メ被仰付被下度奉存候
[上ノ付札]「此儀、今迄之通相心得候様可及達旨候事」

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■本を探す

2018-01-29 09:24:12 | 徒然

                    

 西部暹氏が亡くなった。予言通り?というかその死にざまに驚いてしまった。私は氏の著書については僅かしか読んでいないが、何故か共感するところが多くて、YouTubeで西部暹ゼミナールを眺めたりして氏の発言を追ってきた。改めてその数を確かめてみると大変多くて驚かされた。そしてそれぞれが万以上視聴されているのも驚きである。(中には安倍晋三+稲田朋美出演の777回というのもあるが)
声を荒げて発言されることもなく、穏やかで説得力がある。
二三購入したい本がありAmazonを眺めてみたが、現在ほとんどが売り切れ状態になっている。(尤もkindle版はあるのだが)
図書館で借りてもよいのだが、これは座右に置きたいと願い、本屋さん迄出かけてみようかと思っている。
そして寝る前の30分程、焼酎片手にYouTubeで毎日一本を眺めようと思っている。遅ればせながら、改めてご冥福をお祈り申し上げる。合掌。



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■明和繁雑帳・會所舊記から(24)

2018-01-28 09:55:36 | 史料

九四九
百廿一
一海邊・川塘御普請方石場ニ御渡成鐵道具之事
  此儀、極々鍛不宜石割方差支申候付、至極之堅石は
  御郡ニより御支配銀の内を以、先為御試先掛被仰付、
  各別石割方宜御座候第一のミ掛替、先掛ニ差出申候て
  も急ニ相濟不申、且又焼刃祝なと御座候て、入用も御
  座候由、受取ニ参候者別て及迷惑申候ニ付、一切之鐵
  御道具為御試、一ヶ年分炭代共御惣庄屋へ被渡下候ハ
  ヽ、其所々之医師ニ合候様ニ、仕覺候鍛冶共ニ拵さセ、
  召仕セ申度奉存候、左候ハヽ御鍛冶方も御用滅シ、抱
  夫共之費も無之、石割方敢果取可申儀ニ付、願は右之
  通被仰付度奉存候
[上ノ付札]「此儀、追て可被及御達候事」

九五〇
百廿二
一津口・陸口出入運上銀之事
  此儀、上り帳・御郡代衆御扣・津方役人扣・御惣庄屋
  扣共ニ四冊調出申候ニ付、繁多ニ御座候間、上帳迄被
  仰付度奉存候、左候ハヽ問屋扣帳ニ私共加印仕、差返
  置、見合申節は其時々取寄見合可申と奉存候
[上ノ付札]「此儀、本行之通被相心得、御郡代扣は被差出候
   ニ不及候事」

九五一
百廿三
一諸船焼御印之事
  此儀、造替候得は、古船之御印は切抜返上仕、造改候
  船ニ焼御印願仕上申筈ニ御座候ニ付、必多度右之通申
  付候ても、船數餘計之所は居兼、前々焼御印繰状跡船
  ニ繰はめ置申候もの多御座候、此類其通ニ被仰付置被
  下候得は手數も滅シ申候
   但、零落之者共修復も難成、船及退轉解船之儀も難
   奉願、右船之姿ニて數年押移、運上銀上納仕候も御
   座候、右之通躰無シニ相成候船之儀は、御根帳御消
   シ被下度奉願候
[上ノ付札]「此焼印之儀、本行之通ニは難叶候、今迄之通可
   被相心得候、但書之儀は實ニ叶候様ニ委敷相しらへ、
   願出候ハヽ、根帳消方可被仰付旨候事」

九五二
百廿四
一諸船根帳之事
  此儀、年々御船方え調出申候、願クハ御根帳中折紙ニ
  座取廣調出置、若賣船解船等御座候節は願書差上申事
  ニ付、右御根帳朱書等を以、年々御用イ被下候様ニ、
  被仰付被下度奉存候
[上ノ付札]「此儀、本行之通根帳ニ成候様こしらへ、川筋御
   船方え差出置候ハゝ、彼方ニて願之時々直シ方有之  
   筈ニ被及御達候間、御郡間え年々仕出方ニは不及、
   勿論、御郡間え年々仕出來候も同前ニ被差止候旨候
   事」

  

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■図書館行き・返却のみ

2018-01-27 15:24:01 | 徒然

昨日までの寒さは少し和らいで今日の気温は7度、良い天気になったので意を決して図書館行き。
明日は雨模様の様だし、少々返却が遅れている本を催促の電話が入る前に返そうと思っての事である。
最近血圧が高くて体がふらふらしているから、自転車ででかけるのも少々不安があるが防寒対策万全で「えいもさいさい」で出かけてみた。
いつも史料をながめる3階の郷土コーナーに上がるのも億劫で、コピーもせず、本も借りずに帰ってきた。
借りればまた返しに行かなければならないからだ。
帰りは僅かの上り坂がだらだら続き、これが応え案の定へばってしまった。途中自販機でコーヒーを求めて一休みし、道を間違えて大迂回して帰宅。
76の歳を大いに感じさせるこの頃である。



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■混浴罷りならず

2018-01-27 11:18:22 | 史料

 文政4年(1821)、風呂屋の男女混浴に対する達しが出されている。
男女混浴の有様はペリーが来航(1853~1854)した際、この様な日本の風俗に接し大いに嫌悪感を持ち「日本遠征記」に記録を留めている。ペリーが仰天したこの風俗は、彼が感じた「謙虚さと礼儀正しい日本人」だからこその驚きがある。
熊本在住の渡辺京二氏の著「逝きし世の面影」は、多くの来日外国人が目にした風景風俗人情その他の記録を取り上げて、日本のありし日の姿に想いを寄せている。
大方の人たちが日本に大いなる好感を抱く中、この風景だけはいただけなかった様だ。まさに西洋文明の渡来によって、あちこちで見られた恥しげもない女性の行水姿や、外人女性が目を背けた町中を右往左往するふんどし姿の男たちが消えてしまうのである。
下記通達はペリー来航の30年ほど前の事である。それ以前の文化10年(1813)代にも達が出されているようだが、為政者は大いに努力していたことが判る。「男女七歳にして席を同じゆうせず」の御侍の世界と、おおらかで自由な町人世界のなんと乖離していることか、非常に興味深い。

     五月廿九日
      一、風呂屋又々男女打込ニ入候様子、男女引分ケ入候様申談、様子相達候様御達有之候
     六月
      一、男湯ハ五ツ半時を限り、夫より女湯と刻限ヲ一統定メ申候ハヽ相行レ可申と奉存候段、
        別当中存寄之書付、委細記し有之候
     七月
      一、町中風呂屋之儀、男女打込ニ湯あみ致せ候儀難叶、刻限を以男女之別を立候様ニとの
        儀ハ、文化十年十二月・同十一年三月屹ト及御達置筋有之候処、近来猥ニ相成候様子
        二相聞不埒之事ニ候、向後弥以右御達之通男は夜五半限り相仕舞、夫より女湯ニ相究
        メ替り目之時分男女混雑不致様屹ト相心得可申候、若猥之儀有之候得ハ先年御達之通
        風呂職可被差留候、尤火廻り御物頭よりも吟味有之筈候條、此段風呂屋共へ及達町中
        へも可被相知置旨候、以上
           七月三日           町方根中
             藤芳新三郎殿
      御付紙
        火事ニ罷出候もの入湯之儀ハ刻限不拘臨時之取斗可有之候事


                        「ぺルリ 混浴」の画像検索結果

                          「ペルリ提督日本遠征記」より

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■明和繁雑帳・會所舊記から(23)

2018-01-27 07:35:07 | 史料

 九四四
百十六
一石橋積之事
  此儀、飽田・託麻は掛直之願出候得は、日を御極在御
  家人被差出、小頭共立合積仕候、然共差たる盆ニも相
  成り申間敷様ニ奉存候間、御家人立合は被禁止、御郡
  中定積之根帳御取被為置、不時破損又はじねん損し之
  様子、御達申上次第、右積帳を以年數御引合被成、被
  仰付候ては如何可有御座哉と奉存候、尤餘御郡は御家
  人立合之儀無御座候得共、定積り根帳之儀は右同前ニ
  被仰付被下度奉存候
[上ノ付札]「此儀、今迄之通可被相心得候事」

 九四五
百十七
一石井樋上橋之事
  此儀、石井樋御仕替之節、竹木縄等積仕上時々増減も
  可有御座と奉存候、定積根帳御取被召置候ハヽ、御仕
  替之節々御郡中小頭共立合、積仕候ニも及申間敷と奉
  存候、尤此積ニは何方も御家人之立合は無御座候
[上ノ付札]「此儀、時々増減可有之儀と、定積を以取計可申
   との儀聞へ兼候、今迄之通時々見積、費無之様可申
   付旨候事」

 九四六
百十八
一砂河原水筋堀替、幷川内へ新規ニ土積石積等之不審之事
  此儀、其在所より願出申たる儀ニても無御座處、間ニ
  は御役人衆見込を以、大造之御普請被仰付候、御百姓共
  甚困窮仕儀ニ御座候、然處、右御普請所永久も不仕候
  ては、下方氣晴も悪敷相成、氣毒ニ奉存候、何とそ以
  來は右躰之御普請容易ニ不被仰付候様有御座度奉存候
[上ノ付札]「此儀、近年ヶ様之御普請容易ニ無之候事」

 九四七
百十九
一用水御普請積帳之事
  此儀、翌年之積前年之暮ニ帳面差上申候、上り帳、塘
  方御役人衆扣・助役之御家人扣共ニ三冊入申候、紙數
  多帳面ニて時分柄調方迷惑仕候間、上帳迄調上、塘方
  御役人・助役之御家人は私共扣を見申候様ニ有御座度
  奉存候
[上ノ付札]「此儀、去ル卯三月及達候事」

 九四八
百廿
一井樋御作事之事
  此儀、井樋數少キ御郡は、願は一郡限ニ御惣庄屋引請
  ニ被仰付候ハヽ、宜板を調、年久敷もたへ候様ニ造立
  させ、小井樋は古板差シ専ニ仕、何とそ出銀滅し候様
  仕度奉存候、尤海邊・大川筋大井樋之儀は、井樋方御
  役人衆被差出、居込方私共より村々無支時節を見合、
  居候様ニ被仰付被下、井樋多御郡は今迄之通被仰付可
  被下候、且又灰石井樋之儀、地場ニ不應所も御座候得
  共、御作事願之ヶ所/\年内御見分之節、間ニは不相
  應之場所は灰石井樋可被仰付旨、御役人衆被申聞候ニ
  付、断申達候ても押し居方ニ成、下方難澁仕候、右小
  相應之所は板井樋方御役人衆も御存被申候得共、聢と
  申談も無御座、灰石井樋ニ被相決、一和不被仕様子ニ
  相見へ申候、扨又、灰石井樋戸前之儀は、近年灰石井
  樋方大工共御居込之場所/\え罷越切組申候、左様御
  座候ては造用も御座候ニ付、以前之通、井樋方ニて戸
  前切組居込之場所/\え被差越度奉存候、尤板井樋之
  御積方、幷灰石井樋入用之白灰鹽之御積方、一通私共
  へ御見セ被下候様ニ有御座度奉存候、如何仕候儀ニ御
  座候哉、近年は不時之痛相見へ申候間、纔之痛より大
  破ニ成候ては御所務も抜、御百姓共も迷惑仕候ニ付、
  板材木重疊被為入御念被下候様ニ有御座度奉存候
   但、御郡ニより前々より元木被渡下、又は井樋材木
   ニ相成候元木無御座手永/\は、才覺材木を以取出
   御記録前之杣飯米被渡下、井樋御作事出来仕候、然
   處、御仕替井樋之内、灰石井樋可相成ヶ所ニては灰
   石井樋方請ニ相成、灰石ニて取出ニ成、山出之儀は
   御郡請ニて出方ニ相成り申筈之由ニ候、灰石井樋方
   山出夫賃銀受取被申儀御座候、灰石井樋ニ成候ては
   山出共ニ灰石井樋方之受ニて可有御座と奉存候、右
   一手之御役人中承り候ても得斗相分不申候、此儀、
   御糺方被仰付、下方落着仕候様被仰付被下度奉存候
[上ノ付札]「此儀は追て可申達候事」

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■わくひき川原

2018-01-26 12:08:28 | ご挨拶

O家の御赦免開きに関する「扣」を読んでいる。
いくつか判読不明の文字があり、苦闘数時間ようやく完読して誠に清々たる気分である。その一つが以下に取り上げるのはこの三文字

                      
現在の阿蘇市にある地名だが、一番最初の字は「己」といった形、これは「王」のくずしで「わ」、王を「わう」とした名残。
二番目は平仮名で「く」、三番目は「川」の字の中棒が抜けた形、これは「くずし字辞典」でも見当たらないが「引」だろうと推察した。
「わく引」というわけだが、インターネットで検索しても手ごたえがない。
O家の御赦免開地は知行地である現在の阿蘇市に集中している。そこで阿蘇市のHPを開いてみると、地区別に「小字」が紹介してあった。
これを全てチェックしていると、「黒川地区」に「蒦引川原」とあり、読みを「わくひきかわら」としてあった。
小字まで紹介してくれるサイトは中々ない。阿蘇市に感謝して一件落着。
古文書の文字を確認するための苦労はいとわない。「楽せず楽しく・・なかなか楽々とはいかない」

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■明和繁雑帳・會所舊記から(22)

2018-01-26 07:20:39 | 史料

九三一
百三
一奉公人有附一紙之覺
  但、前年十二月より翌十二月朔日迄相勤居申候者共、
  何百何拾人之内何人御侍衆取立之若黨、何拾人御家中
  抱幷在御家人、若狭守様・宇土御家中諸方支配浪人陪
  臣何十何人、熊本幷在寺社共何十何人、熊本御町在町
  と一紙之書付十二月朔日ニ、奉公人受込之小頭仕出候
  て、私共中富・人置所え當上ヶ仁人置所案文を以仕出
  申候

九三二
百四
一増奉公人名付帳
  但、去ル辰ノ年より年内柄出被仰付候ニ付、十一月之
  時分より十二月初迄之間ニ調出申候、尤此帳面前々は
  二月柄出之節仕出來申候ニ付、新規ニては無御座候

九三三
百五
一増奉公人根居帳
  但、奉公人村名抱主之名書出申候

九三四
百六
一諸方抱方ニ成候者共、病死缺落構吟味達帳
  但、何之何某抱何村何某、何月病死、何之何某抱何月
  より取立若黨何村何某、何月幾日ニ缺落、何之何某抱
  取立若黨、或小者或下人等之様子、壹人限之小前帳、
  十二月朔日仕出、人置所え直當ニて差出申候

九三五
百七
一一切諸抱方、追々在中え引込候者小前帳
  但、何拾何人之内壹人は何之何某より何月暇を取、何
  村之何某と申者若黨ニ被取立、何之何某名苗字刀取揚
  ニ成、在人畜ニ成候者壹人、何之何某より御暇を取、
  何村何某當時御百姓史候壹人、何某より何日暇を取、
  何村何某當時在中へ引込、為渡世何稼仕候、殘何拾何
  人在中作り子奉公ニ有付候者共、壹人前之小前銘納書
  つらね、十二月朔日御惣庄屋仕出、御郡代衆中え當、
  人置所へ當上仕候

九三六 
百八
一増奉公人之内、主人より望柄御惣庄屋取継分割渡之願書
 十二月増奉公人柄出之節差出申候

九三七
百九
一同半途ニ病死仕候跡柄差出候様ニとの儀ニ付、跡柄出候
 者、直ニ右之主人え被遣被下候様ニと願書差出候様、人
 置所より御差圖ニ付、村庄屋仕出ニて御惣庄屋共肩書中
 印を用、人置所當上ニて差出申候

九三八
百十
一在中寺社幷御家人・在町出小屋暇之差出
一根落奉公人、過怠柄割付之願書差出候様ニと、案文相
 渡申候
  右は近年段々ニ仕法相改、帳書付増方ニ相成申候事

九三九
百十一
一在御家人・寺社方在中抱之奉公人、二月二日暇差出取揃、
 請込之小頭奉公人召連、人置所へ柄拂仕候
  但、暇達之書付人置所へ達候節、其奉公人共も人置所
  へ罷出柄拂仕、殊之外迷惑仕候、尤遠在内暇達ニ人
  柄を差出候儀、人置所へ断申達候得は、達書迄ニて相
  濟候處も有之、區々ニ相見申候
[上ノ付札]「此儀、在御家人・寺社方と申ヶ條より以下五ヶ
   條、當時ニては強て煩敷事も相見へ不申候ニ付、各
   別不及達候事」

九四〇
百十二
一御家中奉公人、二月暇差出持参ニて人置所へ柄拂仕候得
 は、當年奉公仕候哉と尋御座候ニ付、奉公仕候と申達候
 得は、直ニ御定之給銀ニて割付ニ相成申候、且又奉公不
 仕引込候と申達候得は、左候ハヽ在所へ引取、高を請持
 農業仕との趣、書付を以相願、御郡代衆御中印を取相達
 候様ニ、當春より新規ニ立候事

九四一
百十三
一奉公人之内、主人親類之内抔ニ加勢と申様成儀ニても御
 座候哉、向々え遣被置候儀御座候て露顕仕候は、其奉公
 人を為過怠給銀四拾目ニて、翌春地奉公ニ割付ニ相成申
 候
  此儀は何そ奉公人迄の誤ニても無御座候得共、甚迷惑
  仕候儀ニ御座候

九四二
百十四
一質奉公身代銀・一年奉公給銀立方之事
  但、近来人置所御取立ニ相成、却て取計之筋繁雑ニ御
  座候、前は請状無之分は取計ニ掛り不被申處ニ、近年
  間ニは請状なくも同前ニ相成、下女給ニ至迄小頭共へ
  内意之筋も御座候
[上ノ付札]「此儀被及御吟味候處、人置所より申達之趣有
   之、貼付紙之通ニ候事」
[下ノ付札]「本行之趣吟味仕候處、惣而立銀之儀、主人より
   取立方願書人置所へ差出被申候節、請状を添相達被
   申候得は、請状書面之趣右願書ニ引合、相違之儀も
   無之候得は、右之請状は人置所へ納置、立銀取立之
   儀及達申儀ニ御座候、受状無シ取立之儀決て不仕筈
   御座候、勿論下女給之儀、内證願迚も受合可申様無
   之、小頭共へ内意等之筋可申談様無御座候
  一右立銀取立願之節、受状は為證據人置所へ取置、立
   方相濟候上主人ニ差返し申儀ニ御座候、右は人置所
   ニて取計筋ニて御座候處、受状無しニも同前ニ相成
   候と申儀何方より承傳、本行之通相達申候哉、役間
   之取計筋、御惣庄屋共存可申譯は無之儀歟と奉存
   候、右之通受状無シ取立等之儀、及達候儀ハ決て無
   御座候、已上」

九四三
百十五
一小頭壹人年中人置所受答ニ附置候、間ニは小頭貮人も差
 出申候
  右之通人置所御仕法追々手數多相成困窮仕候、別て増奉
  公之儀、年内柄出被仰付候ては、居續之ものは及月迫
  主人も手支、新柄は大切成ル時分稼を止、數日懸り御
  割付相濟申迄之間出入仕候、失墜旁殊之外迷惑仕候、
  前々は正月末比より二月初比迄柄出被仰付、御割渡ニ
  相成濟來申候儀ニ御座候、只今之通ニては極々及難澁
  申儀ニ御座候間、何とそ年々御取計之變化不仕、手安
  ク相成候様ニ被仰付被下度奉存候
   但、奉公人之儀、何村何某を被召抱度段届之方多、
   人置所へ相達候得は、私共方へ申談有之候様ニと差
   圖有之様子ニて、私共段々取遣御座候、皆濟目録最
   中之儀ニて、此取計甚受答迷惑仕候間、望柄之儀、人
   置所迄之御取計ニて相濟候様ニ被仰付被下度奉存候  



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■極寒に一衣不着のもの

2018-01-25 16:25:21 | ご挨拶

 連日寒い日が続いているが暖房の風が不得手な私は、大いに着込んで暖をとり、脱いだり着たりして調整をしている。
文政10年11月朔日の「惣月行事記録抜書」は、寒さに差向う中「一衣不着」の人たちに対する御救いに触れている。
しっかり頑張ってこのような状況から抜け出るようにと、苦言も呈している。

       例年極寒ニ差向候得は各支配内一衣不着之ものとも不及飢寒候様ニ連年被取救來候処、
       何之申分も無之有力達者之もの等第一衣不着ニ居候もの全銘々不心得故之事ニ付、夫
       等之類ハ救不申候て其段被相達候様との儀ニ付てハ、委細天明八年及達置候通候処、
       近年間々右体之もの有之哉ニ相聞、不心得之至第一風俗ニおゐて難相済事ニ候、根元
       鰥寡孤独其外病者不具之類或ハ非常之災難等ニて一衣不着之其身之力ニ難及難儀之訳
       ニ被対、御仁慈之筋を以取救候様ニ被仰付、其功を夫々被賞事ニ候得は取も直又上よ
       り之御救ニ候処、右躰之もの如何相心得候哉、平日己か振捌ハ自由ケ間敷候ても被取
       救候節ハ義理も恥も無之、剰人並ニ口を張居候など重疊不埒之至候間、以来右躰之者
       有之段相聞ハ屹ト御吟味之上、町人末座ニ被仰付筈ニ候、若其上ニも心底不相改産業
       不心懸にて徒らニ日を送り候者ハ一統風儀之妨ニ相成候間、猶稠敷被仰付筋も有之候
       間、其旨能々相心得候様、常々各以下役脇より之教示ハ不及申、五人組なとよりも無
       油断心を付、気立能成立産業心懸救を受不申程之自分ニ相成候ハヽ、其段達出有之次
       第屹ト御褒美被下置筈候条、右之趣委しく申諭候様、町中一統可被達旨候、以上
           十一月朔日           町方根取中
                渡辺甚三郎殿

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 朱書きした「振捌」は何と読むのだろうか、インターネットも効力を発してくれないが「振りさばく」か?
 棒手振り商売ということなのか。

 実は現在あるお宅の先祖附けを読んでいるが、二男が「不法之振捌いたし候付」、監督不行き届きで注意を受けている。
 武士の子が棒手振りすることもあるまいから、なにかを「売り捌いた」と理解しているが如何だろうか?
 どなたかご教示給われば幸いである。

 

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■太守様御縁組仰せ出さる

2018-01-25 12:45:50 | 歴史

 文政十年(1827)のお正月の事である。太守斎護の縁組について、幕府のお許しが出ている。
熊本藩年表稿には、その旨の書き込みがない。(こんなこともある!!!)

     正月十六日
      一、御縁組御願之通被仰出候ニ付、明後十八日二汁五采之御料理被遊御祝、
        且上々様御使者御一門衆初御近習御次諸手伝等迄御祝頂戴被仰付候、
        依之河内・松合其外之漁所今十六日より明十七日迄熊本直段元問屋え
        有限り持出候様、御達有之候                          大判振る舞い・魚問屋大忙し
     正月十九日
      一、旧臘十六日依召御名代細川邦衛(新田藩主・利用)殿登城之処、太守
        様え松平安芸守様御
息女益姫御縁組御願之通被仰出候段、御達有之候

先代藩主斎樹は先の年の2月12日に死去、3月29日幕府は宇土支藩藩主細川立政をもって本家相続をなした。
5月25日江戸発駕、6月27日熊本に着している。
文政10年3月4日参勤の為熊本初駕、4月19日江戸着。同6月9日益姫龍ノ口邸入り、11月6日婚姻となった。
斎護24歳、益姫21歳である。

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