昨晩右のふくらはぎがこむら返りを起こし、後遺症で歩くのに難儀している。
奥方は元気よく一日延期になった花火見物に出かけた。一人さみしく留守番をしている。
久しぶりの熊本市の花火大会は、所を変えて江津湖で行われれている。わが屋から5~6キロほど離れているが風に乗って音だけは届いている。
「音はすれども姿は見えず ほんにあなたは■のような」と云うが、花火ばかりは音ばかりではどうしようもない。
寛永五年、三齋の許に愛娘・万の一家が訪れている。それも三か月ほどの長逗留だが、七夕の日には花火でもてなし、子供たちも大喜びしている。
好々爺ぶりが目に浮かぶ。上の文書は三齋が息忠利に宛てたものである。
追而申候 車火・りうしや・ねすみ火初ニ見申候 事之外慰申候侍従殿(資慶)其外子たちの面
白かり無申計候 此地ニハ何も見せ申遊無候 此比ハ徒然處持給候 満足申候
石谷家文書 将軍側近のみた戦国乱世 | |
吉川弘文館 |
石谷家文書の発見は明智光秀の謀叛に関わる貴重な資料として脚光を浴びた。
刊本の発行が待たれたが、当方は「美濃源氏フォーラム」のH氏からわざわざご連絡をいただいて知る事となった。
実は「美濃源氏フォーラム」の講義録が引用されている。会の活動の素晴らしさが伺われ羨ましい限りである。
この書き込み後にAmazonに注文しようと思っている。
お贈りいただいた佐藤誠氏は近世史家にして赤穂義士に関する研究をされている。長いお付き合いをいただいているが、今回所属されている「草志会」の年報として出版された「隣人・第28号」を御恵贈いただいた。有り難く御礼申し上げる。尚「隣人」の「隣」の字は旧字で表示が出来ないことをお断り申上
げる。
今回取り上げられたのは、赤穂義士のリアルな画を数多く書き残された画家・長安雅山を取り上げられている。
氏のあくなき探究心はこのようなところまでに及び、雅山に関する伝記やその他関係資料を読み解き、素晴らしい論考となっている。
いつもながらの氏の真摯な取り組みに教えられる処が多い。
赤穂義士の討ち入りの様がどのようなものであったのか、雅山の努力によって我々は真実に近い情報を得ることが出来る。
幕末維新 『 熊本藩筆頭家老 松井盈之 書簡 』 蒸気艦 古文書
出品者者は佐々木與太郎についての説明をしていないが、時の家老(有吉)立愛のことである。有吉氏が本姓佐々木氏を名乗るのは明治二年十月の事であり、明治三年七月には又有吉姓に戻している。その意味では大変貴重な資料といえる。
明治三年熊本藩は朝廷に対し蒸気船「龍驤艦」を献上するが、そのことについて連絡する人吉藩宛ての書状である。
徳富蘆花が「肥後の維新は明治三年にやってきた」と記した、まさにその直前のものである。(従四位と有るのは韶邦、新従四位と有るのは護久である。)
一筆致啓達候各様弥
御堅固可為御勤珍重存候
然者今度
朝廷江相伺候筋等御座候ニ付
従四位儀東京江可被
相越處所労ニ付為名代
親従四位儀来ル晦日熊本
發途蒸気船ニ而被相越筈
御座候此段御知如是御座候
恐惶謹言
藪 一
三月廿七日 政敏 花押
佐々木與太郎
立愛 花押
松井新次郎
盈之 花押
山田造酒蔵様
犬童平兵衛様
「龍驤艦」
今朝は3時半頃サッシュをたたく雨と風の音に目を覚ました。1時間ほどウトウトしていると次第に強くなる風の様子に起き上がり、PCのスウィッチを入れて台風状況を確認するが、情報がずいぶん遅れていて参考にならない。5時半頃風はピークに達し、尋常ではない状況が見て取れる。
どうやら八代海から有明海へと進んで現在荒尾市に上陸、北上しているようだ。熊本市は台風の東側にあたり最悪のコースになった。
平成3年の19号台風が思い出されてまんじりともしない時間を過ごした。現在7時30分もう熊本県は通り過ぎただろう。
945HPと勢力は衰えず、熊本市の最大瞬間風速は41メートルだったと報じている。5時半頃のことらしい。
御近所のカーポートの屋根が大きくなみうち飛ばされるのではないかと心配したが、どうやら無事にすんだようだ。
風の方向が変わりそして随分静かになってきたが15~20メートルくらいだろうか。時折耳をつんざくような突風が吹くが、その間隔も長くなってきた。
いまから被害状況が明らかになっていくのだろうが、「荒尾梨」など農業被害は避けられないだろう。
天災故なんともしがたい。被害の少しでもすくなからんことを願うのみである。 台風お見舞い申し上げます。
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追記10:28
一二時間寝ようとベッドに潜り込んだが、吹き戻しの風がものすごくゴウゴウとうなり声をあげて吹き出して目が覚めてしまった。
現在は雨は降っていないが、一時間120ミリ降ったというところもあるらしい。がけ崩れなどの被害が出なければ良いのだが・・・・・
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追記12:55
熊本城三の丸の細川刑部邸の塀が70メートルにわたって倒壊した。復旧するのにまた大変な事だろうが観光の目玉でもある刑部邸、早急の復旧が望まれる。
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追記 26日 08:25
わが母校大江小学校の校庭の真ん中に在った大榎(大江の木)が倒壊したという。現在地に後者が建てられた祭記念植樹され樹齢 118年、高さ16メートル、幹回り4・1メートルの巨木となり生徒たちを見守ってきた。
昭和28年の大水害で20数名の死者・行方不明者の追悼式が、暑い中この大榎の緑陰の下で行われたことを思い出す。残念の極み・・・・
今度の台風15号はどうやら九州上陸の気配が濃厚になってきた。熊本は台風の進行方向の右側(東側)に当る最悪のコースに成るかもしれない。
今は御湿り程度の雨と、少し蒸し暑いがカーテンを少し揺らす程度の風が吹いている。通過は明日の御昼前頃だろうと思われるが、まさに嵐の前の静けさである。
二百十日は今年は九月一日のようだが、15号は秋台風の第一号と云ったところか。
熊本は平成3年の台風19号に遭遇、県下一円膨大な被害を蒙った。電気が一週間ほど止まり大迷惑した経験がある。このときのコースによく似ているのが気にかかる。
加藤楸邨の句に 颱風の心支ふべき灯を点ず という句があるが、暗闇の中で風をやり過ごすのは本当に心細いものである。
何事もないようにといささか身構えてしまう。お手柔らかに願いたいものだ。
◆0.08 青潮社 【限定500部 復刻版 箱入 肥後川尻町史】
かっての肥後藩五ケ町の一つ川尻町の町史、日本の古本屋に四件出品されていますが現在このオークションには応札は有りませんが一番安いようです。
士中知行代々相續之事 大躰當
國之高に應し 古代之定有之候處
中古より我等に及ふ迄 新知加録等も
総而世禄に申付来候付 當國不相(應)
之高に至り 将来勤労之者有之候とも
賞すへき禄乏く 数世背前代之
本意候 依之慶安二年以前之知行は
舊故之家ニ付無相違相續せしめ 右
以後之新知加録は代々相續之高を
斟酌し可申付候 尤子孫抜群之勤
労によつてハ 旧故之家に准し或は
子孫之材能によつてハ 強に世減す
へからす 新知加録之儀ニ付而は近年
申渡候趣も有之候条 何も存候ため申
聞置もの也
宝暦六年閏十二月 御印
これにより慶安三年時新知の家については次のように改められた。
慶安三年以降新知の家(旧知の家は対象外)
5,500石~4,500石 500石減
4,400石~3,400石 400石減
3,300石~2,200石 300石減
2,200石~1,200石 200石減
1,100石~ 600石 100石減
500石~ 150石 50石減
100石新知 御擬作 という風に各家の家禄が減らされた。
慶安三年というボーダーラインは、「慶安年間を以て治乱の境界」とし、旧知の家は「元亀天正以来矢石を冒し、干戈を踏み、死生の間を馳突して君主を擁護し、或いは武勲抜群の誉ありしものゝ子孫」であるとして一線を引いている。
「宝暦四年此ヨリ減候知行・60,094石程、同28,770石程、右同蔵米擬作取・30,610石程」とある。減知約12万石、重賢の宝暦の改革の第一歩である。
ホトトギスの鳴き声 https://www.youtube.com/watch?v=B9iCdYj-VIE
大変唐突な話だが、便所の中でホトトギスの声を聞くと大病に成ったり、悪くすれば死んだりするという俗説がある。
ホトトギスという鳥は古来その鳴き声が好まれ、万葉集以来文学上においても取り上げられている。なんでこのような説が生まれたのだろうか。
熊本に住んでいるとホトトギスに御目にかかることはなく、私は一度もその声を聴いたことはないように思う。
ところが最近、阿蘇地方にそのためのお呪いの言葉があるということを知った。
「ホトトギス今日は初音と思うなよ、昨日もきいた今日の古声」(宮地・乙姫)
「ホトトギス今日は初音と思うかよ、聞き知りきいた今日の古声」(宮地)
ということは、阿蘇地方にはホトトギスが生息しているということだろうか。
「便所でホトトギス」の話で有名なのは、文豪夏目漱石の逸話である。
時の宰相・西園寺公望が時の名だたる文豪を集めて三日にわたり宴を催したが、漱石にも当然案内状が送られてきた。
鬱陶しく思い欠席をするために「時鳥厠半に出かねたり」という句を添えて返事を出したという。「時鳥が鳴いている、あいにくのことに、厠に入っているために直ぐに出て行って聞けないのが残念だ」という意であるとされる。
江戸っ子らしく小気味よく痛快である。
この話はサイトでも多く取り上げられているが、出典は漱石の妻・鏡子さんの述による「漱石の思い出(29朝日入社)」である。
ホトトギスの鳴き声を聞いたことのない私としては、高邁な文学作品や和歌・俳句などどうもピンと来ないのである。
卯の花の、匂う垣根に
時鳥、早も来鳴きて
忍音もらす、夏は来ぬ
ホトトギスの初鳴きを「忍音」ということをしったのも50歳過ぎてからでしたねー !!!!
熊本には「目がうす(薄)うなって・・・」という言葉がある。良く物が見えないという意である。
私は毎日PCの前で数時間過ごしているから、夕方になると脇に置いている資料の文字がぼやけてしまうことがある。
「目がうすうなって・・・」という言葉を実感することになる。
最近では眼鏡の度が合わなくなってきて、そろそろ眼鏡屋さんに出かけたいと思うのだが、これを云い出すと奥方から「PCのやりすぎ」と一喝されそうである。
子供のころは「目ヤニ」をつけた人を多く見かけたものだった。いわゆる「トラホーム」というやつで、ホウ酸を水でといて、脱脂綿に含ませて目を洗ったりしたものだ。
つい最近左目にそのトラホームを思わせる不快感があって何とも気持ちが悪い。眼医者にいかずばなるまいと思ってよくよく鏡で眺めてみると、上瞼の付け根部分が肥大している。瞼をあけ〆する時その部分が下まぶた触るのが原因だと判った。
どちらかというと「デカ目」の私だったが、寄る年波のせいでまぶたも重力には逆らえず、いささか瞼下垂の状態で少々人相が変わってきた。
それこそPCのやりすぎの疲れ目のせいだと思っていたが、すっかり症状は定着してしまった。
かっての韓国大統領某氏が「瞼下垂」を手術して何ともかわいらしい二重瞼に成られたことを承知している。
この手術は眼医者さんではなく整形医がやるらしい。整形は願い下げだと思っているが、なんとも不愉快なことではある。
以前ご紹介した自画像を描き直そうかと思っている。