津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(558)寛永八年・日帳(十一月五日~六日)

2021-04-30 13:56:28 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)五日~六日

         |                                       
         |   五日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也
         | (規矩郡)
弓場ニ死セル八開 |一、篠崎之弓場ニ、はちひらき壱人死有之由候間、御さうちのものニ捨させ候へと、上林甚介所へ、
ヲ捨テシム    |  又右衛門を以、申遣候也、
片山示庵鳴海丹後 |一、片山示庵■家・鳴海丹後家修繕作事ノ奉行ニ、高田久三郎・服部左次兵衛両人申付候処、久三郎当
ノ家修繕奉行   |        (筑後)
         |  秋初ゟ相煩、宗庵薬をたへ申候へ共、然々験も無御座候、乍去、打ふしふせり申ほとハム御座、
         |  ふら/\と相煩申候間、さしかへ候様ニと候て、誓帋被差上事、
         |                                      (土々呂木以心)
上野清兵衛中風ニ |一、佐渡殿ゟ、山本源左衛門を以、被仰候は、上野清兵衛中風をさん/\相煩申候間、意心を被遣候
土々呂木以心ヲ遣 |  へと被仰越候、意心申付、可遣と、返事申候事、
ス        |
焔硝桶ニ欠タツ  |一、重田吉左衛門申候は、五月ニ塩硝桶三拾積下候、壱桶ニ付、百五、六十日ほと、かん立申候間、
         |  就其、大坂へ之送状、かん立申儀を御極候て、被仰上候而、被下候へと、吉左衛門申候、其段談合
         |  仕候て、可申遣と、返事■■申候事、
         | (土々呂木以心)
         |一、十時意心登城被仕候間、申候は、上野清兵衛中風相煩申ニ付而、佐渡殿ゟ、意心被遣候へと被申
         |  候間、被参候へと、申渡候事、
可児某病死    |一、可児清左衛門病死被仕之由、小崎與次兵衛被申候事、
         |                    (信茂)
城信茂ヘノ貸船ニ |一、白井兵介・鏡善右衛門登城ニて申候は、城織ア様御舟御かり被成候ニ付而、御加子無之候間、当
水夫ナシ     |                      (町奉行・吉田縫殿助)
町浦奉行等町水夫 |  町、又は浦水子可申付通、被申候ニ付而、則、吉田ぬい・御浦奉行両人ともニ登城被仕候間、相
浦水夫ヲ充ツ   |                       (へ脱)
         |  究候て、町加子四十三人・浦加子五十人被仰付候と、ぬい・浦奉行へ申渡候事、
寛永三年北国へ遣 |一、兵介・鏡善右衛門被申候は、寛永三年ニ、北国へ被遣候御舟之内、三艘北国ゟ戻不申候、就其、
セル船三艘戻ラズ |                        (破)
舟帳ノ肩書証判ヲ |  御舟帳究不申間、北国ニて弐艘はうり、壱艘は波損申候由申候ま、其段無紛との肩書を仕、印
求メラル     |  判仕候様ニと、兵介・善左衛門申候、重而財津惣兵衛ニ、御算用聞置候御帳を見候て、かた書、
         |  印判可仕と申候て、申渡候事、

         |                                       
         |   六日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也
門司雁木修繕奉行 |一、矢野勘右衛門登城被仕、被申候は、竹内八兵衛、事之外わつらひ申候間、神西金右衛門壱人にて、
大病       |  門司御修繕御奉行被仰付候へと、加被申候事、
         |  (伊与・長沢顕長室、沼田清延女)
奥方物師ヲ召置カ |一、いよ殿・けいしゆゐん殿、皆川治アを以、被仰候は、新参ニ被召置候御物師衆壱人、当壬壱〇月廿
ル扶持米ノ差紙  |      (慶寿院ヵ)  
         |  六日ゟ被召置候、御切米七石ニ弐人ふち被遣候、月引ニ〆弐石被遣候へと、差かミ参候事、
         | (沢村吉重)                      (炉甘漢方薬か
長崎ニテ炉甘石購 |一、大学殿ゟ、切帋にて被仰越候ハ、長崎にて、ろかん石百斤ほとかい調候へと、被仰越候、銀子な
入ノ命      |  と不足二候ハヽ、五十斤にて不苦由候、又、長崎へ便有之ハ、可申入由候事、
         |                          (掘)
路地用二砂利ヲ掘 |一、御ろちノ衆申候ハ、しやりを田町之とぎ喜助前にて堀せ申候、今日ほり候て、明日ハ埋申候由申
ラシム      |  候、念を入、埋候へと申付候事、吉田縫殿へも其段申理、堀せ候へと申付候事、
         |              〃〃
町奉行闕所ノ刀脇 |一、吉田縫殿助所ゟ、御闕所物之由にて、刀一こし・わきさし四こし被差上候、御闕所奉行へ可被相
差ヲ上グ     |  渡由申候て、返し申候事、
闕所奉行へ渡セシ |
ム        |
中津へ出ス町水夫 |一、中津ゟ、御過去之儀被仰下早漏に付、町加子弐百人、浦加子七百人、内大坂へ上り、爰元二
浦水夫人数    |         (ママ)                            (ママ)     百七十四人
         |  不有合分五十人ハ、豊後へ遣、〆而只今出分四百七十七人出され候へと、御浦奉行衆へ申渡候事、
家老惣奉行ノ談合 |一、御年寄へ、八つゟ後、爲御談合被召寄候事、
         |一、三斎様之御飛脚、江戸ゟ下候を、此方之御小早中靏二左衛門、中津へ直ニ乗せ下候由にて、今日
         |  爰元着候事、
  

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■散歩の距離を伸ばしてみる

2021-04-30 11:16:36 | 徒然

 私の散歩コースAは、健軍自衛隊の西ブロックを一周(≒2.45㎞)するコースで都合3.8㎞ほどである。
夏に向かい腹を引っ込めようと思い、距離を伸ばしてみようと考えた。
自衛隊は大きな道路を挟んで東ブロックがある。こんどはこちらも回ってみようと歩いてみた。
約960mほど長くなるから、合計4.7㎞ほどになる。少々高低差もあってこれも良い。
今日はひたすら歩いて、55分で帰ることができた。時速5㎞ほどで歩いたことになる。

 実は少々ずるをして、一週間ほど血圧の薬を呑まずにいたら、身体がぶれて仕方がない。
慌てて病院にいったらお小言を頂戴してしまった。そして薬を呑み始めたが、血圧は以前の値に戻り切っていない。
「薬と運動と当分控えめ」を厳命されて、今回の事を思いついた。
今日は強い風が吹いて夏の日差しもなかったが、それでも大いに汗をかく。今後は少々早い涼しい時間に歩くことにしよう。
地震の片付けものに負われていた時分は70㎏を割っていた体重が、現在は5㎏ほど増加している。
そこまでは無理だが、あと2~3キロ落として、少々腹囲を落とそうという魂胆である。

そして、自衛隊のA・Bブロックを8の字に回れば、都合5.4㎞ほどになるから調子が良いときはこれもチャレンジしようかと思っている。(さぞスマートになる事でしょう・・・)

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■徳富蘆花「みみずのたはごと」から・・・

2021-04-29 16:46:10 | 書籍・読書

 「青空文庫」で徳富蘆花の「みみずのたはごと」を読み始めた。重版を重ねた名随筆集である。
その二題目の「都落ちの手帳・千歳村から」をよみはじめて、その「二」であれっと思わせる文章に出くわした。
「家を有つなら草葺くさぶきの家、而して一反でもいい、己が自由になる土を有ちたいという書き出しで、少年時代を過ごした熊本大江村の家のことに触れている。
そしてそろそろ咲き始めるその旧居である「徳富蘇峰記念館」のカタルパの花についての記述があった。
現在では、蘇峰が新島襄から種を譲り受けて植えたとされており、私もずっとそういう認識でいたが、この文章を読むとなんだかこの説が怪しくなってくる。

「父は津田仙さんの農業三事や農業雑誌の読者で、出京の節は学農社からユーカリ、アカシヤ、カタルパ神樹しんじゅなどの苗を仕入れて帰り、其他種々の水瓜、甘蔗さとうきびなど標本的に試作しさくした。好事となると実行せずに居れぬ性分で、ある時菓樹かじゅは幹に疵つけ徒長を防ぐと結果にこうがあると云う事を何かの雑誌で読んで、屋敷中の梨の若木わかきの膚を一本残らず小刀でメチャ/\に縦疵たてきずをつけて歩いたこともあった。」

つまり、蘆花の父・徳富一敬が津田仙(津田梅子の父)の学農社からここに記されている樹木を仕入れていたというのである。屋敷の梨の樹の記述などからすると、カタルパもここに植えられた可能性がある。
そうなると蘇峰と新島襄の絆として植えられたという話は、「作り話」ということになるが如何だろう。

いろいろググっていたら、やはり同志社関係の永井康博氏の特別寄稿「同志社の完成は三百年‐新島襄と津田仙」という論考に出くわした。
永井氏はまさにこのことに触れられているが、蘇峰先生の言がいよいよ怪しく思える。

GW頃にはカタルパの花は見頃ではないのか、自転車を漕いで拝見に出かけてみようか。
「蘇峰先生、真実は如何に」とお聞きしたい。

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■細川小倉藩(557)寛永八年・日帳(十一月三日~四日)

2021-04-29 09:05:49 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)三日~四日

         |                                       
         |   三日  加来二郎兵衛・奥村河本瀬兵衛
         |              〃〃
         |
         |一、修理・助進兵庫当番也
         |     〃〃
善光寺九月ノ祈祷 |一、善行寺之坊主、九月御祈祷之御札上可申と仕候処、相煩、延引仕由にて、今日使僧御札持参被申
札ヲ上グ     |  候、則、御本丸ニ納させ申候事、
鷹師捉飼ニ手伝ヲ |一、京都郡へ、明後日御鷹遣ニ、山本三蔵罷越候間、御小人弐人、手明之衆五人申付候様ニと、被申
乞ウ       |  候事
         |一、今日、長崎へ御飛脚差下候、様子ハ鏡善右衛門ゟ、高原二右衛門儀ニ付、書状遣候を、持せ遣候、
長崎ノ荷口明ノ時 |  幷御かい物奉行衆へも荷口いつ明候共、不知候ハヽ、様子立聞、此返事ニ可被仰越候、それニ
期ヲ問ウ     |  したかひ、迎舟下可申由、申遣候事、
         |    (縫殿助、町奉行)                        (伯 楽)
あかや某布代銀ヲ |一、吉田ぬい被申候は、あかや二郎兵衛ぬの代銀取こミ申候、二郎兵衛請人ニハ、はくらく久丞・二
取込       |  郎兵衛せかれ伊上吉十郎、此両人手前ニて知行へかけ候て、来年ノ御借米ニて成共、取立申候様
         |  ニと、ぬい被申、候事、其段修理・助進とも談合可申候、兵庫返事申候事、
         |          〃〃
入籠人餓死セム  |一、同人被申候は、東円応寺町喜右衛門事、籠之内ニて、事之外草臥申候間、か様ニ御座候は、死可
飯米ナシ     |  申事も可有御座候間、其子細は、飯米一円無之ニ付、かつへ候て草臥れ申候と、相見へ申候間、先
         |          〃
         |  籠ゟ出シ申候かと、又は飯米とも給させ申候様ニ成とも、被仰付候へと被申候、其段修理・助進
         |         兵庫
         |  とも談合可申と、返事申候事、       注:入籠者の食事は自前であったことが判る。
鷹師捉飼ニ小人ノ |一、御鷹師山本三蔵、明後日京都郡へ御鷹遣ニ参候ニ付而、御小人弐人召連参候に付而、御小人小頭
用        |  左衛門ニ申渡候事、
         |                     (周防熊毛郡)
忠利出府ノ乗船上 |一、谷忠兵衛・竹内吉兵衛、 上様御舟無事ニ、上ノ関まて送届、仕舞申由にて、今日被罷戻候事、
ノ関ニ着ス    |
積載ノ荷物ノ覚  |  但、御舟ニ御積被成候荷物、
鉛        |  一、なまり  百斤包百壱丸、
棕櫚竹      |  一、しゅろ竹 八桶、
砂糖       |  一、四拾ハ  さたうノ筵包、
         |  右ノ分、御舟ニ御積被成候事、
         |  (近元)津川立珍の兄・津川近利の嫡男
伊豫松山ノ稲生某 |一、津川数馬殿ゟ、使者を以、被仰候は、伊与之松山ニ被居候稲生次五兵衛殿と申仁ゟ、早晩御鷹上
ヨリ鷹ヲ贈ラル  |                                (松井興長)
         |  申由にて、御鷹弐連居参候間、御鷹請取せ可遣通、被仰早漏間、其段佐渡殿へ御鷹師衆を被仰付、
         |  (ママ)
         |  可被遣候へと、佐渡殿へきりかミ遣申候事、
町人借米銀取立ノ |一、円応寺町喜右衛門と申候もの、かし付申候借米銀取立之奉行ニ、橋本惣右衛門申付、遣候也、
奉行       |
松山ヨリノ鷹請取 |一、伊与之松山稲生次五兵衛ゟ、三候御鷹請取せニ、山本三蔵・渡辺三十郎両人申付、遣也、
ニ鷹師ヲ遣ス   |
         |一、三斎様へ被進之候御飛脚ニ、 殿様ゟ我々へ被成下候 御書、此地御家老衆ゟ、中津へ参候飛脚
         |  ニ、貴田半左衛門所ゟ言伝遣申候也、

         |                                       
         |   四日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也
稲生某使者ニ銀子 |一、伊与之松山ニ被居候稲生次五兵衛ゟ之使者ニ木戸茂左衛門と申ものニ、銀子弐枚被遣候、上田忠
ヲ贈与ス     |                     〃
         |  蔵持参被仕、被相渡候由、忠蔵被申候、右使者茂左衛門ゟ、忠蔵ニ扇子弐本持参申由、忠蔵申候事、

                   参考:■銀一枚とは・・


         |                 (規矩郡)ノ
大里ノ茶屋ノ掃除 |一、佐渡殿ゟ、使者を以、被仰越候ハ、大里御茶や掃除已下申付候や、いまた不申付候ハヽ、御郡奉
ヲ命ズ      |  行をよひ、可申渡由、幷先被鷹野弐罷越候て、御茶やを見申候処、たゝミ事之外悪敷候、是も表
畳ノ表替     |  かへ可申付由、被仰越候、得其意存由、御返事申候事、
         |  


           

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■山名重澄・軸

2021-04-29 06:42:40 | オークション

           【真筆】【蘇山】[山名十左衛門重澄] 11112 掛軸 横書 合箱 紙本 熊本 肥後 細川幽斎 在銘

         

細川家家臣・山名重澄の和歌がしたためられた軸である。
大河ドラマ「麒麟が来る」で全国区になった、三淵藤英と細川藤孝の末弟・山名好重の曾孫に当たる、三淵家4代当主である。
妻は松井寄之(松井家四代・細川忠興六男)の女・國である。
多くの和歌が遺されている。

長岡十左衛門の名で知られ、従弟・前川勘右衛門の嫁取問題がこじれ、相手方の一族を誅伐する「北の関事件」に深くかかわり、鉄炮などを携え柳川藩領・北関まで入り込みこれらを殺害した。
豪放な性格であったろうと思われるが、一方ではこのような和歌を残している。剛柔持ち合わせた人物であることを窺わせる。

         山名聴水 名は重澄、十左衛門と称す、致仕して後聴水と改む。藩の家老職となり食禄五千石。
              先祖長岡伊賀守好重は細川幽斎の実弟たるを以て累代重職たり。延宝年間筑後北關
              に於て
前川勘右衛門(従弟)を助けて藤田助之進親子を討取り武名を現はす。
              聴水又筆札に妙なり世に伝へて珍蔵す。
              享保六年九月十三日没す。享年七十六。坪井宗岳寺に葬る。

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■細川小倉藩(556)寛永八年・日帳(十一月朔日~二日)

2021-04-28 12:42:09 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十一月)朔日~二日

         |                                       
         |   朔日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         | (田中氏次)(横山重嘉)
         |一、兵庫・助進当番也 
         |
長崎ヨリ通過ノ公 |一、長崎ゟ、 公儀御飛脚両人罷上候を、御舟にて下関迄送上せ候、吉田縫殿被申ニ付、右之分ニ候
儀飛脚ヲ下関へ送 |  事、
ル        |
しなへ竹伐採ノ用 |一、上田忠蔵、昨晩御しなへ竹切せ、被罷帰候由にて、今日登城被仕候事、
惣奉行松井興長邸 |一、今日三人ともニ、佐渡殿へ御談合ニ仕候事参候事、
ニテ談合     |                  〃〃〃

         |                                       
         |   二日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |    (浅山)
         |一、助進・修理当番也
鉄炮足軽三十一人 |一、今日江戸へ、御鉄炮衆三拾壱人差上せ候ニ、相渡遣候物数之事、
出府       |
         |      文箱
江戸へノ書状覚  |  一、言上壱つ、御年寄衆参人ゟ、
         |      
         |  一、言上壱つ、大学殿ゟ、
         |      同        (衆)
         |  一、言上壱つ、御奉行所ゟ、
         |              (神)
         |一、右之人数乗上候御船頭ハ袖野九右衛門也、大坂へ之書状共一からけ、ク右衛門ニ相渡ス、
出府ノ荒仕子狂気 |一、田川郡ゟ、江戸へ参候御荒仕子狂気仕、切腹仕候ニ付、かわり差越候へと、申来ニ付、此度、右
切腹       |  御鉄炮衆ニ付、遣候事、
大橋ニテ飼養ノ鷹 |一、大橋ニ、被召置候わしおち申由にて、さうちのもの持参候、山本二介所へ持参候へと申付候、羽
         |        (利)
落ツ 羽ハ矢矧師 |  ハ藤田宗作理所へ可被払由、申遣候事、
へ払ハシム    |      〃

白石小源病死ノ始 +一、白石小源病死仕り、諸親類一人も無之由候て、御郡奉行衆ゟ、刀一腰・わきさし一つ・鑓壱本被
末        |  上候、先御闕所奉行ニ渡置候事、
遺品ノ売立    |一、小道具うりたて候由にて、銀子拾五匁余被差上候事、
         |一、古小袖壱つ火差越候、是も返し申候、国東にてうりたて、右之銀ニ加、重而可被上由、返事申候
         |  事、
知行書出ヲ請取ル +一、御知行御書出ハ、請取置候事、

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■来ましたけど・・

2021-04-28 06:51:55 | 徒然

            

 コロナが急激に広がって、昨年の今頃の雰囲気に似てきました。図書館や美術館などはすでに閉鎖という現実に見まわれています。
史談会の会場である熊本市民会館も新規予約をストップしましたし、某会合は取りやめのメールが入ったりしています。

そんな中、コロナワクチン接種の案内が届きました。
コールセンターはとてもではないでしょうから、ぼちぼち受付サイトに申し込もうと思っています。
慌ててもしようが有りませんから気長に待っことにしましょう。オリンピックは本当に大丈夫でしょうか・・・

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■クローバー・白詰草・苜蓿(もくしゅく・うまごやし)

2021-04-27 12:41:11 | 徒然

  

    最近はすっかり熱くなって、散歩から帰るとぐったりしてしまう。今日はやや早めに出て、扨どこを歩こうかと考えたが、やはり緑陰を求めて公園に入った。
テニスコートの東側の広場は、今は写真のようにクローバーが盛りである。
3・40年以前の私の駄作
           幼子に 白詰草の冠かな

この句を作った時、クローバーでは中七がまとまらないから「白詰草」にしたのだが、当時はその名前が急には思い出せなかった。
長じて歳時記などを眺めるようになってから、「うまごやし」という名前があることも知った。
そして当てられている漢字の「苜蓿(もくしゅく)」も初めて知った次第である。

公園のクローバーの広がりは、さながら「うまごやし」の名が適当かともいえようが、随分な広がりを見せていた。
蝶も飛び交っていて、一句ひねりたいところだが、最近はとんとだめであきらめて退散した。

 

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■細川小倉藩(555)寛永八年・日帳(閏十月廿七日~廿九日)

2021-04-27 10:34:48 | 先祖附

    日帳(寛永八年閏十月)廿七日~廿九日

         |                                       
         |   廿七日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也 
         |  茶道肥後古流古市家初代                                 (掘)
古市宗安快気登城 |一、古市宗安永々相煩、快気仕候由にて、登城被仕候、其次而ニ被申候ハ、御本丸御路地ニ植申木、堀
ス  本丸路地ノ |  ニ遣申度候間、人を拾人ほと可申付由、被申候、則、人割衆へ申渡候事、
植樹ノ用     |
         |                  (松井興長室、三斎女)                
慶徳院ヨリこほノ |一、佐渡殿ゟ被仰聞候ハ、慶徳院殿へ、御こほ殿ゟ当年被借進御米、元利御返弁候、当分御蔵へ入置
貸米返弁サル   |  度候間、御蔵奉行衆へ其分ニ申付候へと、被仰聞候、則、御かし被成時も、惣米方ゟ返上米ノ内
蔵米へ入置キタシ |  を、御蔵ゟ被借進候間、其分ニ心得候へと、被仰越ニ付、粟野伝介へ其分ニ申渡候事、                 
紅屋安入御預米ノ |一、紅や安入、米前かと被成御預、去々年被返遣候処、其内弐石八斗余滞、于今請取不申候、此請人
滞リノ取立    |   (下毛郡)      (蠣瀬)
請人ニ下毛郡惣庄 |  ニ御惣庄や東谷孫介・かきぜノ新五兵衛相立申候、色々請人ニ申届候へ共、公儀へ申上、取候へ、
屋        |  此方ゟ取立、渡候事不相成由申候、いかゝ可被仰付候やと、紅や太郎兵衛、同中津ニ居候安入子同
         |  道にて参候、すいふんさいそく仕、取可被申候、それにて埒明不申候ハヽ、御郡奉行へ可申付由、
         |  申候事、

         |                                       
         |   廿八日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也
江戸ヨリ佐方友信 |一、佐方與左衛門、江戸ゟ被罷下候ニ、参候 御音信、但、昨廿七日ニ中津着仕由にて、與左衛門ゟ
持参ノ書状数   |  被持、差越候、
忠利書状     |  一、佐渡殿への 御書壱通、
         |  一、御年寄衆参人へ之 御書壱通、
         |     (長氏)                             (田中氏次)
         |  一、平野九郎右衛門所へ之 御書壱通、持せ届候、但、兵こものニ持せ遣候、
         |  一、御本丸御つるへの 御書壱通、林おきを以、届候、
         |     (筑紫重門室、細川幸隆女) 
         |  一、御かね殿へ之の 御書壱通、請取人御かね殿内、青木茂兵衛〇(黒印)
         |          (衍)
         |    (国遠)      (横山重嘉)
         |  一、道倫へノ 御書壱通、助進ものニ持せ届候、
         |  一、修理・兵庫・助進へ被成下候 御書壱通、
         |  (沢村吉重)               (細川幸隆)
細川幸隆ノ廿五年 |一、大学殿ゟ、使者を以、被仰せ候は、妙庵様御年記、来朔日ニて御座候、先日も申入候へとも、又、
忌法事ノ準備   |         (雲嶽霊圭)
         |  申入候間、其段圭首座へ可申遣由、被仰候間、則、心得申候と、返事申候事、
犬ノ鞣革三十枚制 |一、吉田太郎介登城被仕候間、申候は、犬なめしのかわ三拾枚仕せ置可申通、大学殿ゟ被申越候間、
作奉行      |  其方御奉行日仕候へと、申渡候事、
          
           
         |                                       
         |   廿九日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也
林隠岐頭巾ヲ忘ル |一、昨日林おき、頭巾を御奉行所ニ被忘置候を、祐甫を以、おき所へ遣候也、
大坂ニテ絞殺ヲ企 |一、吉田縫殿助登城にて被申候ハ、大坂にて、しめころしを可仕と仕候御加子七左衛門親彦左衛門と
テシ水夫ノ親ヲ船 |  申ものしめ置候へと、被仰付候ニ付、船町中ニ預ヶ置申候、一日すぎを仕、日を送り申者にて御
町中へ預ク    |  座候処ニ、主家内斗ニ居候ヘハ、かつゑ死申候間、下関渡海を仕候様ニ被仰付可被下候、若彼
下関渡海     |  の走候ハヽ、私共可存との舟かしら共、五、六人書物差上申候、如何可被仰付やと被申候、堅誓詞ニヨリ〆置ヲ |                                           兵こ
釈ス       |  書物ノ上ハ、其分ニ先ゆるし置可被申候、残両人衆へも書物を見せ可申候間、置可被申由、〇申
         |  渡、取置候事、

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■ただいま読書中

2021-04-27 06:55:02 | 書籍・読書

                                                                           

 随分以前に購入した本だが、完読していない。
実は私も江戸期に存在した「熊本の橋」について、いろいろ調べて「肥後の橋ものがたり」でも書いてみたいと思い立って、参考の為に購入した本だ。
成程参考にはなったが、すっかり自信を失ってしまい、読書も中途半端で終わっていたのだ。
最近史談会の仕事から手を引いて時間もたっぷりあるので、いろいろ調べ物をしてまたチャレンジしてみたいと思い、今度は完読してヒントを得たいと思っている。
江戸の橋は、それぞれが豊かな歴史の中に存在感を示している。
熊本の橋は、大いに地味だが府中の防衛のためにわずかの橋が存在し、交通の要となつていた。
白川にはいくつかの渡しもあったが、詳しい資料を見たことがない。

橋が語る熊本の歴史を掘り下げてみたいと思うのだが、調べ事だけで難儀しそうな気配である。
悪友から「新・肥後細川藩侍帳の方はどうなるのか?」と、又御小言を食らうのは必至である。

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■残念・熊本城公開延期

2021-04-26 08:41:35 | 熊本

 今日から公開予定であった、復旧なった熊本城天守の公開の延期が急遽発表された。
熊本もご過分に洩れず、コロナ感染者が急増している。この急激な広がりは「変異ウイルス」のせいであろうか?
一方、熊本駅ビル「アミュプラザ」は昨日グランドオープン、大賑わいしたそうだが、過日の駅前広場完成を含め、駅前開発は完了したことになる。
熊本は何事か祝い事があると、災害・災難に見舞われて水を差されている。
何はともあれ、コロナ禍の終息がすべてである。

        熊本城調査研究センター提供

 残念と書いたのは「私事」で、先にも触れたが、私が所蔵する「米田邸絵図」をもとに、一部熊本城郭・城下模型図が作り直され、これが今日の熊本城公開と共にお披露目されるところだったが、これもかなわぬことになってしまった。

           ■嬉しい知らせ
           ■「二ノ丸・米田御屋敷絵図について」

我慢の日々が続きます。
 

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■細川小倉藩(554)寛永八年・日帳(閏十月廿四日~廿六日)

2021-04-26 07:14:44 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年閏十月)廿四日~廿六日

         |                                       
         |   廿四日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也
江戸詰小人中間出 |一、今日、江戸へ御小人二人・御中間拾五人差遣候ニ、相渡候物数事、
府        |
         |                  (信茂)幕臣2,000石、のち九州巡見使
江戸大坂ヘノ書状 |  一、佐渡殿ゟノ言上ノ御文箱壱つ、城織ア殿ゟノ御返書ノ文箱壱つ、
等ノ出数     |  一、我等共ゟノ言上ノ文箱壱つ、
         |  一、御供中へ方々ゟ遣候書状壱からけ、渡遣候事、右分、御中間小頭二右衛門ニ渡ス、
         |  一、大坂へ諸白樽六つかい、下候へと申上せ事、
         |            (主水)
         |  一、井門亀右衛門ゟ、寺嶋方へノ状幷銀子壱包、
         |    (修理)   (慰英)
         |  一、修り方ゟ、仁保太兵衛方ヘノ状幷銀壱包、
船頭請取     |  右両通、銀子請取申候、明石喜平次(花押)

         |                                       
         |   廿五日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也
木屋ヨリ買上ゲシ |一、檜木角を、木や忠兵衛・木や甚右衛門、去々年請候而、買上申候、遣余り之木をかへさせ候へと、
桧木角材ノ余分ヲ |  被 仰出ニ付、松ノ丸衆へ其段申渡候処、右弐人書物にて申上候ハ、今更かへ申儀めいわく仕候
節なしニ替へシム |  由、書物上候、とかく、ふしなしノ木ニかへ候ハて不叶筈ニ究候間、被得其意、可被申付由、吉
         |  田縫殿をよひ、申渡候事、
         |   (隠岐)                       (恵重)
林隠岐百姓ノ出入 |一、林おき、百生之出入有之ニ付、御郡奉行へ申付くれ候へと、志水新丞を以、被申上ニ付、御郡へ
         |  其通申遣候処、返事参候、則、新丞をよひ、見せ申候事、
         | (ママ)
         |一

         |                                       
         |   廿六日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也
鉄炮足軽惣小頭中 |一、芦田與兵衛与之吉右衛門・友田与之三丞・黒部与之久左衛門、三人之小頭、惣小頭中之使ニ罷上、
         |                                   
ノ使ノ口上    |  申候ハ、此度江戸へ御鉄炮衆ニ付被遣小頭衆之儀、古参衆之内ニ、未江戸〇終ニ不仕小頭と、
忠利江戸詰鉄炮足 |                           〃〃
軽之小頭任命方ニ |        
意見ヲ問ウ    |  新参之小頭と調こミ、くじ取ニ仕、遣候儀、非例之様ニ思召候通、昨日被仰聞候間、惣小頭衆中
         |  へ申聞候処ニ、今迄ハ不存当、右之通ニ仕来候、被仰聞通、一段ろくの道と何も存候間、御与頭
         |  衆へも申入、此次之番ゟハ、、をくり遣候様二可仕候、此度ハ御急用にて、近日参候間、御与
         |  頭衆も御在郷ニ而、もとおりかね可申候条、此度ハ修理殿御小頭忠左衛門を不請なから、先被遣
法ヲ仕置シ次第ヲ |  候て被下候様にと、惣小頭中申候由、登城ニ而申ニ付、然上ハ、忠左衛門を申付、可遣候間、急  
定置クベシ    |          法を仕直し、
         |  度此次之番ゟ、はや〇次第を究置可申由、申渡候事、
門司早鞆ノ雁木修 |一、門司、早友かんき損申ニ付而、繕御奉行ニ、神西金右衛門・竹内八兵衛、申付、遣候、
繕ノ奉行     |

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■細川小倉藩(553)寛永八年・日帳(閏十月廿日~廿三日)

2021-04-25 08:53:10 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年閏十月)廿日~廿三日

         |                                       
         |   廿日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也
         |  (松井興長)                        (有吉英貴)
松井興長有吉英貴 |一、佐渡守殿ゟ、使者を以、被仰候は、今日は天気もよく御座候ニ付、頼母佐殿鷹之ばをかり候て、
ノ鷹場ニ狩ス   |  (大里、規矩郡)
         |  たいりまて参候間、其心得候へと、被仰越候事、
         |                                 (俵山、長門大津郡)
春木金大夫俵山へ |一、春木金大夫登城仕、被申候は、私事今程御用すきにて御座候間、中国たわらやまへ湯治仕度候、
ノ湯治願     |                                         (脚気)
同行者      |  就其、私せかれ壱人、又、御鉄炮衆奈良崎理介・御馬夫・大工藤井八左衛門、此弐人ハかつけ・
家老ヘノ届    |  中風相煩申候間、召連可参哉と被申候、尤つれ被参候て可然通申候而、其段御家老衆へも被仰候
         |  へと申渡候事、
         |                         来ル十一月朔日ゟ、
金山ノ米大豆小豆 |一、御金山御米・大つ・小つ、金子壱匁ニ付、四斗宛ニ〇売せ被申候へと、加藤新兵衛と談合之上に
ノ価壱壱月朔日ヨ |  て、春木金大夫・沢治吉右衛門へさしかミ遣申候也、
リ改訂ス     |
金子壱匁ニ付四斗 |
唐津ヨリノ走者河 |一、唐津ゟ走り来候少蔵と申茂の、人留之ものつれ参候を、則、御家老衆へ召連参候へと、申渡候、
本瀬兵衛草履取ニ |  然処ニ、河本瀬兵衛、さうり取ニ拘申度と申ニ付而、則、瀬兵衛御家老衆へ申上候ヘハ、其方
望ム       |          (ママ)
         |  ■■相対ニてかゝへ候て被仰付候間、瀬兵衛召連申由、申候事、又、爰元ゟ、十四、五成男壱人、
筑前へ走リ捕へラ |  筑前へ走り申候を、是も人留之ものとらへ候て参候を、御家老衆へつれ参候へと、申候ヘハ、則、
レシ者ヲ町奉行へ |  御家老衆ゟ、吉田縫殿助ニ御渡被成候事、
渡ス       |

         |                                       
         |   廿一日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、兵庫・修理当番也
作事惣奉行大橋修 |一、和田伝兵衛登城ニて被申候は、はや大橋をも大形仕廻申候、左様ニ御座候ヘハ、私知行所之庄や
築完工ヲ告グ   |  少シ出入御座候ニ付而、走り申候、就其、今迄すきにて御座候間、改ニ六、七日之逗留ニ、知行
給知ノ庄屋走ル  |  所へ参度御座候、如何可有御座哉と被申候、尤被参候而可然と、申渡由申候、
         |                                 〃
国東郡ノ大豆不作 |一、国東御代官衆ゟ、当年ハ大つ悪敷候由にて、松ノ丸衆へ包大つ壱つ被差越候、我々へも見候へと
         |  候て、松丸ヨリ被差越候、殊之外悪敷候也、

         |                                       
         |   廿二日  加来二郎兵衛・河本瀬兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
         | (ママ)
         |一、

         |                                       
         |   廿三日  河本瀬兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也、
幕府横目へ諸白ノ |一、豊後御横め衆へ被進諸白、樽之指帋を調、明日ノ便ニ、大坂へ遣候へと、熊野半左衛門ニ申付候
用        |  事、
鷹匠ニ鷹師ノ現状 |一、明日、御中間十五人・御小人弐人、江戸へ遣候ニ付、河井権丞所へ、御鷹師之様子申上候へと、
ヲ言上セシム   |  申遣候事、

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2021-04-25 07:36:19 | 論考

                                             

 熊本大学永青文庫研究センターの、この二冊の貴重な資料の無償配布につきましては先にご紹介したところですが、昨日私方には送られてきました。
皆様にもぜひお取り寄せになりまして、ご活用下さいませ。

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■メダカのすまいを考える

2021-04-24 14:18:35 | 徒然

             

 散歩の途中、ペットショップによってメダカ鉢や、鉢に入れる植物などをチェックする。
最近わがビオトークは、青苔(藻)がやたらと繁茂して除去するのに苦労している。
まだ産卵の時期には達していないが、産卵して小さな稚魚のころ、この中につっこんで死んでしまうことが有る。
もう三年ほど水は入れっぱなしで、掃除もしていない。今年くらいは掃除をして赤玉土も入れ替えてあげようかと思いいたった。
綺麗な焼き物の大鉢が眼に入った。直径45㎝程、水の色もきれいに映えそうだ。
これでも13疋ほどの家族には密状態になる。まだ増えるかのうせいもあるから小さいのを二鉢にするか?・・いろいろ考えが浮かんでは消え・・・今日は退散
この店が近くておおいに重宝しているが、免許返納してから、こんな買物も簡単には持って帰れないからこれが難儀ではある。
勢いAmazonのお世話になる事になりそうな気配ではある。
 

 

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