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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大暑

2025-07-22 21:39:36 | 俳句

        鬱憤や声をあらぐる 大暑かな     津々

 脳梗塞を起こしてからの妻には、思いがけない変化が出てきて驚かされる。
カレーの皿をスプーンでカチャカチャ音を立てて食べるようになった。思わず「うるさい」と怒鳴ってしまう。
みそ汁の出汁の「袋」を破ってしまって、お椀の底にはそれらが異物のようにたまっている。「なにやってんだよ・・」
かっては愛用のiPadをひらいては、料理のレシピなどをみていろんな料理を出してくれたいたが、オリジナルの料理が作れなくなり、近くのスーパーから出来立ての総菜をかって盛り合わせるというのが毎度のこととなった。
iPadは全く開かなくなり、いろんな買い物をしていたがこれがすっかり止んでしまった。
眼も悪くなっていて、レトルトなどの説明書が読めないと一々声を掛けてくる。鬱陶しいことこの上ない。
いろんなことがかさなって、まずいとは思いながら少々声を荒げてしまう。「ごめんね・・」と返されると反省しきりである。
失語症もあって会話が成り立たず、本人もいらいらがあるのだろうから、こちらも余り声を荒げないように心掛けなければならない。
今日は大暑それにしても熱い・・後2ヶ月ばかり我慢しなければならないかと思うと、欝憤も大いにたまるというものだ。

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■州浜という紋

2025-07-21 06:08:13 | 俳句

                                                うすものに 州浜の紋のうすうすと      高浜虚子

 高浜虚子にこのような句がある。うすものは夏の季語「羅」であり、紗・絽・明石といったものをいう。
ご婦人の夏物の「羅」で有ろうことはなんとなくわかるが、その「羅」の模様に「州浜紋」が描かれているというのだろう。
「うすものに・・・・うすうすと」とは随分作為が感じられる。
州浜とは海の満ち引きによって砂浜に作られる自然の造形の事だが、州浜紋の方は「 装飾具である洲浜の島台」の形から来ている。

                  洲浜   洲浜紋洲浜紋

 熊本藩の紋帳を眺めていると、阿蘇組の財津一族にこの州浜紋が大変多く、それも鬼洲浜が多いことに気づく。
先に故人となられたコメディアン・財津一郎さんやチューリップの財津和夫さんもご先祖様は熊本のご出身だが、たぶん「洲浜紋」だろうと推察する。
               ■御侍帳・家紋から考える(56)  
               武家家伝ー財津氏

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■類似句

2025-07-12 09:12:04 | 俳句

            砂を吹く 江津の汀や まくわうり    津々

 熊本県立図書館前の道を進むと突端部分にあたるあたりに、母方の祖母の姪にあたる人の家があった。
神水(くわみず)から江津湖を越える橋がかけられる都市計画にひっかかったが、地元の猛烈な反対があってこの計画はとん挫した。
下段の「象の池」からすると3メートルほどの高台にあるがいわゆるASO4の崖地で、江津湖に下る階段があって舟がもやってあった。
竹籠にまくわ瓜が二三個冷やしてあって、これをご馳走していただいた。古泳法踏水術の小堀家の屋敷である。
10年ほど前崖下からその場所をのぞき込んでみたが、相変わらずきれいな水が自噴していた。阿蘇の恵みである。
そして、幼少時代のそんな経験を俳句にしてみた。

 最近、「日めくり子規・漱石」という本を眺めていたら、夏目漱石に次の句があることを知った。
なんだか私の句は盗作めいた類似句になっていて、少々憮然とする思いがよぎった。

            吹き井戸や ぼこり/\と真桑瓜    漱石

「ぼこり」が吹き井戸に掛かっているのか、真桑瓜に掛かっているのか両方考えられさすが漱石先生と感嘆せずには入れれない。

 昭和28年の大水害を経験した出水(いずみ)に住んでいたころの話だが、その水害で道路を挟んだ前の家が流失した。
そのお宅の庭先には、竹を地中に突っ込んだだけの突井戸があったが、その竹筒から清冽な水が噴き出ていたことを強烈に覚えている。
そして我が家にも、井戸側を3,4段掘り込んだ井戸があって、いつも地上すれすれほどの水位をたもって水が自噴していた。
釣りをした釣果の小魚を入れたりしていたが、数年後大きくなった魚をみて驚いてしまった。キュウリやトマトなどが冷やされていたが、時々贅沢にまくわ瓜が浮いていることもあった。
江津湖の湧水量がずいぶん減っていて、そんな風景はとっくの昔に消え去ってしまったが、それでも熊本市民の水道が阿蘇の恵みのミネラルウォーターの水道水となっていることは熊本の大いなる誇りである。

 

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■「惜命」の文字に父を想う

2025-07-07 09:19:28 | 俳句

             七夕竹 惜命の文字隠れなし   石田波郷
 
 石田波郷の有名な句である。結核療養所に飾られた七夕の竹に「惜命」という短冊が揺れている。
七夕の竹の多くに短冊の中に見え隠れする、自ら書いた「惜命」の文字は「生きたい」という想いそのものである。
万感の思いがこの文字に込められている。

 私がこの句の存在を知ったけら相当の時間がたつが、若くして死んだ父親もさぞかし無念であったろうと思うのである。
母親に父の死に関して何度か尋ねたが、頑として語らなかった。七歳上の姉は九歳の時に父の死に遭遇しているが、父が結核であったことは十分認識していた。
「奥まった部屋に寝ていた。」「奥の部屋に入っちゃダメ、といわれた。」「結核よ。」姉から聞いた断片的な話である。
昭和19年、祖父・祖母・父が相次いで亡くなった。それぞれが家の行く末に心を残していたろうが、特に父には特段にその思いは深かっただろうと想像するのである。
「死ねない」「生きたい」そう思い続けての寿命であったろう。父も無念であったろうが、父の顔を知らぬ私の無念はこの年になっても続いている。

 波郷は肋骨を何本も切除したりしながらも、終生病と闘い昭和44年まで生きた。56歳。「惜命」という想いを心に充満させて永らえられた。
近所の保育園の子供たちが七夕のささ竹の元、無邪気に「ササの葉さらさら~」とうたう声が愛らしい。ご一家の皆様のご健勝をお祈り申し上げる。

 

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■いじめられっ子と蝉

2025-07-02 06:55:06 | 俳句

            セミなくや ぼくわるいことなんか してないよ   しげる
      じすいろう
 俳人・江國滋酔郎(本名・滋)氏の幼少の頃の俳句である・・・「栴檀は双葉より芳し」というが、本当にそうだなと私はずっと理解していたが・・・実はそうではなかった。

氏は敗戦直後、東京のおぼっちゃま学校からとある漁師町に転校している。五年生の頃だそうだが、強烈ないじめにあったという。
殴られたりするのは日常茶飯事で、金品を家から持ってくるように強要されたり、こばむとベルトで校庭の木に縛られた。
五分刈りの頭の毛を抜かれたりしたともいう。
氏にとってこのことは人生半世紀を過ぎても、なんとも不愉快で屈辱的な事として頭からはなれないらしい。
もし小学五年生のあの時、自分が「俳句ができる少年であったならば、こんな句を作っていただろう」と述懐されているが、何歳の頃作られたのかははきとしない。

 東京から地方へ引っ越したりすると、いじめにあった経験がある人は多いことだろう。
私の姉は、生まれが江國氏と一年しか違わない年下だが、9歳の時に東京から熊本へ帰ってきた。
姉も東京弁で大いに苦労をしたようだ。そのせいかどうかは定かでないが熊本弁がきらいだったようだが、年を重ねるに従って言葉の端々に熊本弁が混じるようになった。
 私は2歳だったから、すぐさま熊本弁に適応できたのだろう、言葉で嫌がらせをされることはなかった。
中学入学時に、クラスメートに東京から来た学友がいて、家が近かったしともに越境入学で登下校を一緒にしていたが、この男はそんな嫌がらせにはびくともしなかったが、私は三年間彼の標準語を聞かされて随分と影響を受けた。

 滋少年の忘れようとしても忘れられないこの不愉快な思いでは、ベルトで縛られた蝉のなく日だったのかもしれない。
私は家にこもりっきりで、今年はまだセミの鳴き声を聞いていない。

 

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■梅雨寒

2025-06-12 19:35:14 | 俳句

 室内温度が26度ほどあるが、短パンTシャツで過ごしていると時折足元がゾクッとする。
風邪をひくぞとシャツを羽織った。
「梅雨寒」という言葉は本来は東北地方の言葉で、20度くらいに下がることを言うのだそうだが、九州でも夜間にはそんなときもあり思わずフトンを引っ張り上げて丸るまることもある。

久保田万太郎の句に
      うとましや声高妻も梅雨寒も  という有名な句があるが、うまいな~と思ってしまう。

今日はカレーを食べる妻が、スプーンで皿をカチャカチャさせるのに思わず「うるさい」と声をあげてしまった。
少々疲れ気味の私は鬱憤が破裂してしまったが、「まずい」と反省しきりである。

      

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■額の花

2025-06-11 11:43:47 | 俳句

 渡辺立男という方の句に次のようなものがある。

        細川の抱地の跡 額の花 

場所がわからないが、東京のどこか旧細川邸の屋敷跡に額紫陽花を見つけられたのであろう。
藩政期における細川家の抱え屋敷はあちこちにあった。例えば拝領屋敷の隣接地に買い増した敷地などは抱え屋敷として扱われている。
下屋敷の白金邸や、「和敬塾‐永青文庫‐肥後細川邸」の目白邸もそうで、他にも数えればきりがないが、そう考えるとこの句からははきとした風景が浮かんでこない。
それにしても「抱地の跡」とは恐れ入ったが、無難に考えると現在の「肥後細川庭園」あたりが一番お似合いかもしれないが・・・
何方かご存知であれば御教示いただきたい。

我が家の近くでもあちこちに紫陽花を見ることができるが、私は年を取ってからは紫陽花の中でも特に「額の花」が一番好きである。

        否応もなく年経りて 額の花    伊丹三樹彦

                     

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■夏に入る

2025-05-06 07:28:51 | 俳句

 昨日は立夏、いよいよ夏の到来である。
去年はすっかり夏痩せをしてしまったが、元に戻ることもなく、今年も体重が落ちていて記録を更新しつつある。
体力が落ちないように心掛けなければならない。


句帳を眺めていたら、子供たちが小さい頃の私の駄句が見つかった。子供たちと過ごした夏の記録である。

        漱石の道の木立や 夏に入る
        江津の水 子らの歓声夏来る 

 次の二句は熊本地震直後と一年後の作句であるが、振り返ってみるとその情景がまざまざと脳裏によみがえってくる。
最初の句は地震後、横井小楠の四時軒を訪れた時、被害を受けながらも菖蒲が軒に挙げられていてちょっと胸に迫ったことを思い出す。
後の句は、熊本地震後のあちこちで見られた風景である。そんな風景もどうやら落ち着き始めた感じがするが来年は10年目を迎える。

        傾きし 家の軒端の 菖蒲かな 
                             崩れ家の 跡片付いて 夏に入る 

一向に上達しない私の俳句だが、句帳に書きとどめていたものを振り返ると、映像と同様の力があることを思い知る。
「下手な鉄炮も数打ちゃ当たる」で、時折褒められる句もあることを申し上げておきたい。

         怪しからぬ暑さと記す古き文   津々

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■リリーマルレーンけったるく

2025-04-27 10:01:16 | 俳句

 私は「句帳」なるキャンパスノートがあって、何となく書き付けているが、時にはひっきれ紙に書きつけたものを挟んだりしている。
一昨日某家の史料袋を点検していたら、袋の底から何やらメモが出てきたが、何とも下手な句だったが、偶然にも今の時期にぴったりのものであったから驚いてしまった。
恥を忍んで私の実力のほどをご披露しよう。

       行く春や リリーマルレーン けったるく

なんという駄作という感じだが、数十年前の状況がよみがえってきた。
鈴木明氏の著「リリーマルレーンを聞いたことがありますか」という本があって図書館から借りだして読んだことがある。
この本を切っ掛けに日本でも「リリーマルレーン」が知られるようになり、日本の女性歌手たちも歌い出した。
私が設計事務所を開いていたころは、設計室に一人でいる時はFMなどを流していた。
或る時、ドイツの女性歌手のこの曲が流れてきて、なんだかレコードの回転数を間違えてるんじゃないのかと思うほどけったるい感じを受けながら聞いたのだろう。
今回調べてみたら、ドイツの歌手ララ・アンデルセンが1939年2月に録音したバージョンだったろうと思われる。
私が生まれる3年も前の録音だ。
「かったるい」という表現はいささか当を得ていないかもしれないが、初めて聞いた感じはそうであったのだろう。
一向に成長を見ない私の俳句だが、「句帳」を「駄句帳」に変えなければならないと思ったりしている。

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■日脚のぶ

2025-01-21 08:07:22 | 俳句

 冬至の頃からすると日の入りの時刻が17分程遅くなっている。これだけ「日脚」が伸びていることになる。
これが季語となった。
私の句帳をのぞいてみると

      川底にASO4露呈 日脚伸ぶ   というすごい句があった。

      こたつ猫ぞろりと這い出 日脚伸ぶ

      カーテンがつくる影絵や 日脚伸ぶ

      足の爪を切るに難儀す 日脚伸ぶ 

昨日も妻のお伴をして買い物に出かけたが、温かい日差しがありがたかった。
我マンションの前に、地区の公民館があるが最近は度々麻雀会が催されている。
そこで口をついて出たのが

      公民館は老人マージャン会 日脚伸ぶ

誠にお粗末な句ばかりだが、歳時記をめくり、季節を感じながら作る駄句が山となりつつある。

      

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■晩秋の・・・

2024-10-30 15:24:40 | 俳句

 あと十日もすれば暦の上では冬だというのに、ちょっと外に出るとまだ汗ばんでしまう。
今年の秋は短かった。先日の選挙の日には、会場の小学校から隣の広い公園の中を通って帰ってきたが、まだ木々は青々としている。
       晩秋の樹々青々と色失わず   と思わず口に付いた。

       晩秋や選挙は波乱の予感有   とも・・・

結果は御覧の通りである。自民党はお金の問題で終始して大敗北となったが、今後の政局が興味深い。
晩秋の季節感あふれる、しっとりとした句をものにしたいところだが、こう暑くては脳みそが反応しない。

       晩秋や季節外れのあせもかな

                      お粗末・・・・
 

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■川上の桃源郷

2024-04-22 06:53:20 | 俳句

            けいしょうざん
 夏目漱石に「行く春や 瓊觴山を流れ出る」という句がある。
漱石俳句集には「けいしょうざん」としているが、浅学菲才の身には「瓊觴山を流れ出る」の意を解し得ない。
ところが、半藤一利先生は「けいしょう、やまを」と読むべきだとされる。「瓊=玉」であり「觴=酒杯」だから、「瓊觴=玉杯」だとされる。
そして、これは漱石先生お好みの「蒙求」の「劉阮天台」の話しからこの句をものにしたのだろうと推理される。
ある人が山中に迷い込み、桃の実を食べていたら川に玉杯浮かんで流れてくるのを見て、上流に人が住んでいると思った。
仙女と出会い歓楽を共にして半年後に帰宅してみると、知る人は居らず七代後の子孫にであったという話である。

別の一句にはやはり「蒙求」の「武陵桃源」から「桃の花民天子の姓を知らず」という句があるが、桃源の別天地を詠んでいるのだという。
難しい話はよくわからん~~~。

 球磨川のことを「木綿葉川」といった。「ゆうば川」と読むが、綿の葉かと思わせるが「麻の葉」だとされる。
往古、下流の八代の人たちは木綿葉川に上流から「麻の葉」が流れてくるのをみて、その上流部に人が住んでいることを確認したという話がある。
桃源郷ならずとも、その「麻の葉」の流されたところをたどると、まさに平家の落ち武者の隠里があった。
扨そんな風景を句にしようとなると‥‥難題過ぎて遁走しなければならない。

 

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■ ゝとちいさき

2024-03-03 06:53:15 | 俳句

                         ほうこひな
         おん口のと小さささよ婢子雛  富安風生

 風生は「」を「ちょん」と読んでいるが、虚子が「ちゆ」と直し、以後は自らも俳誌などでは「ちゆ」とルビを振られているらしい。
踊り字とよばれるこの文字、本当は何と読むのか?答えは「読み方は無」ということである。
それを「ちょん」とか「ちゆ」とか読むのは、これはもう一流俳人の力量のなせるところであろう。
ほんとうに「雛」のお口はちいさい。紅が「ちょん」と描かれている。
今日は「雛まつり」こればかりは男どもは立ち入り禁止である。

              

 10年ほど前であろうか、大津町の入り口辺りから南に入った集落の通り道で野仏を見つけ、ほんのりと紅が差されているのを見かけた。
その時 野仏にちょっと紅差さしありにけり という句を作ったが、最近控え帳の「ちょっと」を「ゝと」に置き換えたりしてみた。

           野仏に と紅をさしてあり       津々

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■菫

2024-02-09 08:13:07 | 俳句

 漱石の句に 大和路や紀の路へつづく菫草 があるが、やはり菫は野原や道端に咲くものが愛らしく思える。

 そんな道端に咲いていた菫を頂戴して、バルコニーに置いているプランターに植え付けたが、今では実生の「菫」が生い茂っている。
その菫の今頃は、可憐な紫色の花が次々に咲いて騒がしいほどだが、これが小さい種を抱え込むように丸い球を作る。
これが三又にはじけるのだが、種は乾燥してから落ちるので、はじけてすぐ摘み取り、プラスチック・ケースに入れて乾燥させている。
それを、植木鉢に蒔いたり、マンションの植え込みに蒔いたり、それでも余れば道のわきの植え込みに蒔いたりもしている。
 そして私の部屋の前のベランダには、小さな鉢に「肥後スミレ」の種を蒔いてみたが、随分古い種子だから発芽するか心配していたが、二つほど芽を出している。

「肥後スミレ」は白い花弁がかわいくて、随分以前鉢物を買って育てていたが、夏の暑い日に水やりを忘れて枯らしてしまった。
さて今年白い花を見ることができるか楽しみではある。

           かわいいと思う齢や菫かな  津々

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■大寒や・・

2024-01-20 13:21:24 | 俳句

           大寒や 転びて諸手つく悲しさ  西東三鬼

                      たちい
           大寒に まけじと老の起居かな   高浜虚子

           大寒や 阿吽の像の力こぶ     津々           

 諸手をつくくらいは転倒するよりは良いのかもしれないが、本当に悲しいと思うだろうとつくづく思う。
齢を重ねなければこのような句は生まれない。
数年前、濡れたコンクリート型枠用の合板に足をかけて、見事に体が宙に浮いてしりもちをついてしまったが、以来転ばないように十分気を付けている。
転んでの骨折が怖いから滑らない靴底の靴を履いたりと、年相応の気遣いをしている。
もう力こぶはいらないが、まずは足腰がしっかりしていないと話にならない。

           大寒や 出かける前のスクワット   津々

今日は熊本史談会の例会に出席してきました。そろそろ20年、皆勤です。

 

 

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