津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■おんなふたり 奥の細道 迷い道

2018-09-28 21:17:03 | 俳句

 

  吉行和子・冨士眞奈美 おんなふたり 奥の細道 迷い道 (単行本)

 
         集英社インターナショナル


  秋の夜長の読書に、名コンビのお二人の俳句三昧を愉しみたいと思い購入の手続きをしました。

 

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■そよりともせいで秋たつ事かいの

2018-08-09 09:05:38 | 俳句

 あまりにも暑い日が続くと、一昨日が立秋だったなどと聞いても違和感がある。

          そよりともせいで秋たつ事かいの  という、上島鬼貫の句を思い出してごもっともと思ってしまう

昨晩は自衛隊で夏祭りでもあったのか、突然打ち上げ花火があがってベランダから眺めたことであった。
真正面の特等席、数百メートルも離れていないところで物凄い音とともに打ちあがるが、極暑を吹き飛ばしてくれる感じである。

                          

         その次の少し寂しき花火かな   山田弘子


朝の散歩の通りがかりのお宅の玄関先に、ブルーの朝顔が一輪さいていた。


         朝貌や咲いた許りの命かな  
という漱石の句が浮かんだ。

今朝は、夜通し付けっぱなしのクーラーのスイッチを切って、まどを全開してみると、何となく秋めいた風が流れ込んできた。
8月に入ってからずーと35・36℃が続いているが、あと何日こんな状態が続くのやら、76爺には少々寿命を縮めたかと思える大いに身体にこたえる夏であった。
本格的な秋はまだまだ我慢のさきにある。

 


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■漱石の成道寺

2018-06-27 13:18:53 | 俳句

 西区花園にある成道寺は、沢村大学以下沢村家代々の菩提寺として知られる古刹である。
自然山水の緑豊かなお寺として知られている。
夏目漱石はここに足を運んだかどうか知らないが、次の俳句を残している。

               若葉して 手のひらほどの山の寺  漱石

この句には「成道寺」と前書きがあるそうで、漱石の孫娘婿の半藤一利は「3,000坪も有する名園」に対して失礼だろうと「漱石俳句を愉しむ」で解説している。
半藤氏もこの著が出たときまでは「残念ながら訪ねたことがない」と正直に吐露されているが。

漱石熊本の句200選」の坪内稔典氏によるこの句の解説を読んでも、どうやら現場を踏んでおられるようには思えない。
ひめくり子規・漱石 俳句でめぐる365日」の神野紗希氏も同様と思われ、「手のひらくらい小さな山寺。人間の体の部位になぞらえたことで、静けさの中にある体温が加わる」と解説されるが、このお寺の由緒は抜け落ちている。

正岡子規は「寝牀三尺」を読むと、身動きもならぬ病中でいくつかの句を顕しているが、現場を踏まずともすばらしい句が創作されることに大いに感嘆する。
しかし、成道寺に親しむ熊本人からすると、少々筋違いの解説には違和感を禁じ得ない。私ばかりだろうか。

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■膝事情

2018-02-25 09:55:20 | 俳句

 昨日は史談会を終え、3・4月の会場をお借りするために熊本総合福祉会館まで約2キロ程を歩いてみた。
下通りから上通りをぬけいささか汗ばむほどの暖かさだったが、途中で本屋さんにより、街中の風景を楽しんだりしての事であった。
ふと今は亡き永六輔氏の「上通り下通り抜け 春の風」という句を思い出した。
まさに昨日のような春の陽気に満ちた日に永氏は上通りから下通りを散策されたのだろう。
決して上手な句とは思えないが、永氏の暖かい人柄をうかがわせる良い句だと思う。

歩いているうちに案の定ひざ痛が起こり、なんとか足を引きずりながら目的地にたどり着き用を果たした。
それからバス停まで500mほどをなんとか歩いて帰路に就いた。真剣に折りたたみ式の杖を購入しようと考えている。

         杖を頼りに歩く通りや 春の風  津々

こんなことになりそうな最近の私の膝事情である。お粗末さま・・・

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■金子兜太氏逝く

2018-02-21 10:38:56 | 俳句

                     麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人   金子兜太

 金子兜太氏の訃報を知って、すぐこの句を思い出した。
すくやかな若い女性がすらりと伸びた足をあらわにして、夏の暑さをものともせずに歩いている。
ショートパンツかミニスカートかと余計な想像をたくましくさせるような句である。長い脚は「恵」である。うらやましい。

句集を一冊持っているが、これがまた見つからない。今日は又段ボールを引っ張り出して探さなければならない。
ご冥福をお祈りする。

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■夢の中の作句

2017-06-16 09:55:37 | 俳句

         籐椅子の母が手の止む団扇かな  津々

 夢には何の前触れもない。久しぶりに母の夢を見た。
母の一人居の住まいはなだらかな丘陵地に建っている。母が一人で建てた家である。一人でというのは自らの労力でという意味である。
私が時折訪れて何本かの木を植えた。
またたく間に成木となって爽やかな木陰を作った。不思議なことにこの夢は何度も見る連続ものである。

昨晩(今朝かもしれない)の夢は、その粗末な家の縁側で籐椅子で母が昼寝をしている。団扇で風を送っていた手が止まって寝入ってしまったようだ。
夢とは不思議なもので、そんな母の様子を見ながら私も夢の中で俳句を作っている。

朝目が覚めると、その句のすべては覚えていない。こんなものだったろうと思ってメモに控えた。
どうやら昨日のTV「プレバド」で、辛口のコメントをされていた夏井いつき先生の見事な添削に、大いに感心したことが影響しているようにも思える。
添削をお願いするとどんな句に変身するのだろう。

 

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■粗略ならぬ袱紗さばきや梅の主

2017-02-03 17:31:27 | 俳句

 地震の後遺症はまだ続いている。引っ越しの際、段ボール箱をあちこちに入れたのは良いが、どこに何が入っているのか判らない。
押入れの上段から一つ一つ取り出しては確認して、何が入っているのかを記した紙をはるという作業をしている。
そんな中で壊れずに残った茶器数点の中から、袱紗入れが出てきた。
取り出して久しぶりに袱紗捌きをしてみたが、まだ捨てたものではない、パン・・・パンと軽やかな音がした。
肥後古流茶道の袱紗は、紫の袱紗である。千家さんのような華やかさはない。
肥後古流は=利休流というから、利休さんの時代は紫の袱紗であったのかもしれない。
正座が出来なくなって茶会にももう随分出かけたことがないが、春の茶会の様子を見に出かけてみようかと思ったりする。
 

         粗略ならぬ袱紗さばきや梅の主   漱石

漱石先生梅の花の咲く頃、どこかのお茶室に足を運ばれたのだろう。

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■酒苦く布団薄くて眠られぬ夜

2017-01-18 09:38:04 | 俳句

   酒苦く布団薄くて眠られぬ夜
あまり上手とも思えぬこの句は、漱石大先生の句である。何となく渥美清の句ではないかと思わせるが、「上手とも思えぬ」は渥美さんに失礼である。

渥美さんの句について書かれた「風天 渥美清のうた」は私の愛読書で、本棚のすぐ手の届く位置に置いてすぐ眼を通せるようにしている。
彼の句は哀愁に満ちた句が多くてそして悲しい。

   股ぐらに巻き込む布団眠れぬ夜
   いわせれば文句ありそなせんべい布団

が、一方温かみにあふれたものが多い。まさに「寅さん」そのものである。

   ゆうべの台風どこに居たちょうちよ
   秋の野犬ぽつんと日暮れる      その他いっぱい。 

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■一年前のブログから

2016-11-21 18:10:26 | 俳句
 
■インバネスとバーバリー

 東京やなぎ句会が出した句集「五・七・五句宴四十年」を読んでいて、8人のメンバーの内入船亭扇橋・小沢昭一・桂米朝・加藤武氏などが亡くなって、今後はどうされるのだろうと他所事ながら心......
 

 ちょうど一年前の記事である。改めてうまいなーと感心させられる句ではある。
「合羽」という言葉でググってみると・・・・

     さらさらと護謨(ゴム)の合羽に秋の雨    夏目漱石

     五月雨の 合羽つゝぱる 刀かな      正岡子規

漱石の句はあまりうまいとは思わないが、子規の句はばかばかしくて面白い。三度笠のやくざなおにいさんの姿が浮かんでくる。

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■成道寺と沢村大学

2014-08-03 08:33:35 | 俳句

 漱石に 若葉して手のひらほどの山の寺 という句がある。佳い句だなーと思いつつ、私はこのお寺がどこにあるのかを承知していなかったのだが、なんと沢村大学が眠る成道寺である事を知った。だとすると、「手のひらほどの・・」という形容はちょっと失礼ではある。
ということは漱石は成道寺には出かけたことがないのではないかとも思えるが、真実は如何なるものであろうか・・・・

最近当ブログに書き込んだ個人についての記事をまとめる作業をしている。当ブログの書き込みはトータルで5,256件に達したが、この沢村大学の記事も相当書いた。
                    ・戦場での働き
                    ・出奔そして帰参
                    ・借金問題
                    ・家系
                    ・文書その他

等が主なものだが、これをまとめようとするとなかなか難儀である。菩提寺「成道寺」の事に付いても知らない事ばかりだし、漱石のこんな句に出くわすとこのことについても勉強しなければならない。熊本県立図書館共々、併設している熊本近代文学館も休館中だし手の施しようがない。
あんなこんなをまとめるとなると小冊子くらい出来上がるかも知れない。

この暑い夏、随分出かけていないこのお寺に涼を求めるのもよいかもしれない。 

                                  

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■ひぐらし鳴く

2014-08-01 16:31:59 | 俳句

 昨日、今日と今の時刻蜩(ひぐらし)が鳴きはじめました。かなかな蝉ともいいますが、本当にそんな風に鳴きますねー・・・・。

私が大好きな久保田万太郎の句に、   ひぐらしに燈火はやき一ト間かな   が有りますが、本当にうまいですよねー。 

そして「ひぐらし」が季語としては初秋に入っていることを思わせる風情ですよねー。
今年は8月7日が立秋、九州は台風接近の中立秋を迎えそうです。 

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■書淫・・・・

2014-06-03 07:15:33 | 俳句

                                      


ご近所の生垣のウツギが満開の花をつけている。いわゆる「卯の花」だが、いまではウツギの方が通りが良い。
「卯の花」というと我々年代は、佐々木信綱・作詞 小山作之助・作曲の唱歌「夏は来ぬ」を懐かしく思う。
まさに「卯の花の匂う垣根」なのだが、ざんねんながら熊本の平地ではホトトギスには出会えない。

富安風生の句に 書淫の目あげて卯の花腐(くた)しかな という句がある。
私はこの句に出会うまで、書淫という言葉をしらなかった。(汗・・)その意は「読書にふけること。非常に書物が好きなこと。また、その人。」とある。
どうも淫と云う字の意味合いが、書という文字になじまないなーと思うのだが如何。
「読書に耽っていてふと目を上げると外は卯の花腐たしの雨が降っている」という句である。
季語について言うと「卯の花」ではなく「卯の花腐たし」のようで、卯の花の咲くころに降る長雨の事で、折角さいた花が腐れてしまうという意である。
熊本も昨日梅雨入りとなったが、まさしく「花腐し」の雨となるのだろう。 

私も書淫(人)の末席をけがしているが、どうもこの語句はなじめないなー。 

 

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■あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ

2014-05-13 09:22:21 | 俳句

 もうずいぶん前の事に成るが、近所にある大きなグリーンショップに出かけた折、可愛い山野草の鉢があった。「黄連」と名前が記してあり、スタッフの方の話では「根は漢方薬として使われている」とのことだった。「うん聞いたことあるなー、これがそうか」位で忘れ去っていた。

後年、種田山頭火の句に、あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ という句があることを知った。
情景が目に浮かぶ美しい句である。いろいろ調べていたら細川家ゆかりの豊前香春に於いての句だと分かった。
更に調べていたら、サイト「福岡県香春町の山頭火句碑」に出会った。山頭火が香春で詠んだという12(+1は木村緑平)の句が句碑や主題となった風景とともに紹介されている。ところが上記の句を あるけばきんぽうげすわればんぽうげ と紹介してある。句碑の写真を見ると「きんぽうげ」のような気がする。紹介文の方が間違いなのだろう。ついでに「こんぽうげ」を調べて見ると、「キンポウゲ科のコンポウゲ」とある。そして「コンポウゲ=黄連」であることを知り、数年前のグリーンショップで見た鉢物の山野草を思い出した。キンポウゲはよく承知しているが、黄連の方は御目にかかったことは無い。

さて香春の句碑の真実はどうなのか・・・コンポウゲもありかなとも思うのだが、やはりキンポウゲの可愛い花が道脇にづっと続いている風景が優っているように思える。

                                         香春をまともに乞い歩く                                        
                                         寸くひあげられて小魚かがやく              
                                         谺谺するほがらか
                                         登りつめてトンネルの風
                                     香春晴れざまへと鳥がとぶ
                                     香春見上げては虱とってゐる
                                     鳴きかはしては寄りそふ家鴨
                                     枯木かこんで津波蕗の花
                                     みすぼらしい影をおもふに木の葉ふる
                                     あるけばきんぽうげ すわればこんぽうげ
                                     ふりかえれば香春があった
                                     そこもこゝも岩の上には佛さま 

                                     香春へ日が出る雀の子みんな東に向く (木村緑平)


 つい最近、夏目漱石・没後100年を迎える2016年を前に、熊本県では「夏目漱石記念年100人委員会」が発足した。お歴々が顔をそろえていろいろ企画をされていくのだろうが、漱石フアンの意見も大いに取り上げていただきたいものだ。熊本に関係する漱石の句などを、関係する場所に句碑を建てるというのも良いではないか。句碑をたどるツアーなども結構だと思うのだが・・・・そんなことを考えていたら、香春のこのすばらしい取り組みを思い出して記してみた。

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■薀蓄な話

2014-04-16 08:19:26 | 俳句

 もうずいぶん前の事だが某氏が電話してこられ、色々な史料を読んでおられるようで、その中での話に、さかんに「あに・・・・」と言っておられるが、発音のせいか電話のせいかよく聞き取れない。前後の文章から「あにたか=兄鷹と言っておられることが判った。そこで「それはしょうと読むんですよ」と申上げると、「はあ・・・」という声が返ってきた。PCを開いて縷々説明をする。「よう知っとんなはるな~」と言われるから、「私は知らんばってんPCが知っとりますけん・・」と申上げると納得していただいた。文書によく出てくる兄鷹は「しょう」、弟鷹は「だい」と読む。それぞれ鳥の大きさから「しょう=小」は雄の鷹、「だい=大」は雌の鷹をさしている。私も長い間兄弟の鷹と思い込んでいたが、文章からどうもそうではなさそうなことに気づき、PCの御世話に成った。すぐ調べれば解決した事なのだが・・・・・・

           兄鷹 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/107178/m0u/ 

実は昨日村上鬼城の俳句を御紹介したが、この鬼城の句に「兄鵜・弟鵜」という言葉を使ったものがある。
                船ばたに竝んで兄鵜弟鵜かな

これはなんだ・・・鷹と同じに考えればよいのかと、こちらはすぐにぐぐってみると、松本たかしの句に答えがあった。
                火屑浴(あ)ぶ兄鵜(せう)よ弟鵜(をとう)よ勇みつつ
松本たかしは 宝生流座付の能役者の家に生まれたと言う人で、それゆえか句も格調が高く私も大好きな俳人である。
           松本たかし http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/pdf/matsumototakashi.pdf 

また薀蓄のねたが一つ増えたが、誠にインターネット様々である。
件の某氏にPCの効用をお話しているが、「判らんこつ(事)はまた教えてはいよ(拝領)」とのこと、「PCで判るこつはよか(良い)ばってん、それ以外は駄目ですばい」とお答えした。 

 

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■花筏

2014-04-04 10:15:34 | 俳句

 ここ一週間ほど続いた暖かさに水を差すように、昨晩から大荒れ、今日は気温が五六度低くてそろそろ直そうかと思っていたカーデガンなどを羽織ったりしている。風が強くて満開は過ぎているとはいえ、桜は一気に散ってしまったろう。一昨日散歩がてら郵便局まで出かけた折、マーケットの横手に十数本並んでいる桜が、脇を流れる水路に花びらを落しすばらしい光景を作り出していた。足やすめにしばらく立ち尽くしていると、通りすがりの人が怪訝そうに脇を通り抜けようとしながら、その景色にきずき「おう・・」と声をあげてこちらもしばらく眺めた後立ち去って行った。
 

                                   花筏 風が棹さす行方かな   津々
 

いつも散歩の時にはデジカメを持参するのだが、この時は所持せず残念の極みであった。葉桜も一気に通り過ぎてしまいそうだ。
 

付けたし:
書き終わって読み直していたら、「そろそろ直そうか」と書いていることにきずいた。「直す=片づける」の意で、熊本人独特の言い方で我々は標準語だと思い込んでいる言葉である。熊本を離れて各地で就職した新社会人や大学生たちが、この言葉を使って「何それ?」と怪訝な目で見られることに成ること間違いない。

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