津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■打越稲荷山古墳出土の「杏葉」

2015-11-30 09:30:43 | 歴史

                           チラシ(表)

 家紋の「杏葉紋」から馬具の「杏葉」にこだわっている。熊本市の打越稲荷山古墳から出土した遺物は現在熊本市熊本博物館に収蔵されている。
上の写真はその展示が行われた昨年末の企画展のポスターだが、ここに「杏葉」が出品されている。
欠損などあまりない見事なもののようだが、これを見落としたのが今と成ってはなんとも悔しい。(博物館は改修工事のため2年程閉館である)
私が持っている「熊本県文化財ハンドブック」の表紙と内表紙に、この打越稲荷山の「杏葉」の画が描かれているが、詳しい内容に付いては触れていない。どのくらいの大きさなのか知る術がない。
発掘の際の調査報告書があるのではないかと調べているが、県立図書館の蔵書検索をしても出てこない。さてどうしたものか・・・・・
ストレスが溜まりつつある。

 

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■細川家紋之事(三)

2015-11-30 08:42:13 | 家紋

△(7)付札   御家譜之内書抜
          松蓋菱
             頼有公御譜中
                  家之紋松蓋菱代々用之
          引輌
             忠興公御譜中ニ
                  引輌は細川之家之紋也
          
             頼有公御譜中ニ
                  明徳二年頼有公為鎮中國之賞従
                  朝廷後小松帝賜錦旗大樹又授桐紋
             藤孝公御譜中ニ
                  御部屋衆之時従義輝公賜之
          九曜
             忠興公御譜中
                  或時忠興公信長公之腰物を持ツ 小刀の
                  柄に九曜之紋有を見て愛シ衣服之紋とす
                  信長公御感ニ而自今家紋にすべき由被仰

                  しより忠興公九曜を用候なり


△(6)付札   寛政十二年十一月御目付に長谷能登守様松平
          多宮様より御旗之御紋御幕之御紋御家之御紋
          御差出被遊候様御達之節御役(紋カ)之御由緒之御訳
          吟味有之候趣
△(7)付札   引輌
          引輌筋ハ清和源氏足利家御験ニ而御当家御
          先祖様御以来御用被遊候
          
          櫻之御紋は頼有公御已来管領之御役ニ而
          綱利公御已来御替之御紋ニ御用被遊候
          松蓋菱  桐
          九曜御紋之御由緒之儀は本文之通御座候事 


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■正平塔を見たい

2015-11-29 11:26:18 | 熊本

             熊本市のHPから

 我が家から直線距離で3.5キロほどの所に小山諏訪神社がある。創建は935年(承平五年)だという古い神社である。
標高190メートルほどの小高い小山山の中腹にある。
ここに正平十二年(1357)に作られた正平塔が残されている。熊本市の指定文化財になっている。
近い所に在るのにもかかわらず、まだ訪ねた事がない。最近むらむらと出かけてみたいという気持ちが起きている。
なんとも膝が言う事をきかないのが難点だが、ゆっく歩けば何とか成りそうな気がしている。
小山山の頂上まで上り、360度の展望を楽しみたいとも思う。

「手のじ行くバイ」と命名されたブログに、写真が沢山紹介されているのを見つけた。(写真撮影の必要はないようだ)
         http://paapurin.exblog.jp/15332188/
ちなみに「手のじ行くバイ」とは、今ではあまり聞かなくなった熊本弁、手をとって「一緒に行こうよ」という意味の言葉、ほっこりさせられる。
 

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■細川家紋之事(二)

2015-11-29 08:03:02 | 花押

△(4)付札 一 昨夜被仰下候先年 公儀江御届二相成候御当家之御紋
         一冊并御紋之御由緒之儀御家譜之中御吟味之書抜
△(5)    一通申達仕候尤御紋之内櫻御紋御由緒之義御家譜
         中ニ相見不申候右御紋之御城に納居候頼有様宛
         之御武器可有御座哉先年小野武次郎列編集差上申候御
         家譜之中ニは御紋々々御由緒之義委敷相分居可申
         奉存候右御家譜御國御書所ニは一部納居候得共此御あ
         許ニは右御本無御座候間吟味相成兼申し候 御前本
         ニは可有御座候間御吟味被仰付ニ而も可有御座哉と
         奉存候以上
            十一月晦日        御右筆頭中

   △(4)付札  櫻御紋之儀ニ付御右筆頭中ゟ別紙之由達有之候
           間吟味仕達可申旨被仰下段々吟味仕候処御代々様
           御甲冑之内櫻御紋御座候分別紙之通御座候其外
           御武器ニ櫻御紋相見不申候以上
              十一月十五日      御天守支配頭中
            御城内中 御奉行衆中

   △(5)付札      覚
           一頼有公御甲御鍬形並之抱板枝菊之彫上御鉢付  
             板間々金物八重菊有り右之外御紋等相見不申候
           一妙応院様御甲勝進■赤銅ニ而櫻御紋付
           一隆徳院様御頬当赤銅ニ而櫻御紋附
           一霊感院御甲高■之■櫻九曜御紋附
           一大詢院様御頬当九曜櫻御紋
            右之外櫻御紋見へ不申候以上
                十一月御具足方

   △(6)付札      覚
            白金御用人衆中
                外より右御紋本ニ差出候節之御届書ハ御紋本ニ
                張付有之候写ニ而御座候以上 

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■貴理至端之精華 伽羅奢細川玉子夫人ー生誕400年記念ー 

2015-11-28 17:24:13 | オークション

■貴理至端之精華 伽羅奢細川玉子夫人 7,500円 
        (参考:生誕400年記念 熊本女子短大教授/宮島真一著)

これは2010年5月3日に「こんなものが有りました・・?」に書いた記事なのだが、ヤフオクなのか日本の古本屋なのか記憶が定かではない。
12年数ヶ月かかって再びこの本に巡りあい、オークションで落札した。応札者はなかったため540円(送料無料)という格安である。
そして落札後7,500円なる出品が見受けられる。(不思議・・・・・) 

著者が地元の方というのも親しみ易い。しかしながら私はこの方を存じあげない。1900年生まれで東京大学のご出身とある。
単なる小説仕立たてではなく、学術書でもなくといった感じの著作だが好感のもてる内容である。 

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■家紋のはなし 杏葉紋と茗荷紋

2015-11-28 09:01:29 | 家紋

                 抱き杏葉紋  抱き茗荷紋

 この大きさで見るとまったく違う二つの紋だが、細川家の侍帳の一つである「肥陽諸士鑑」に出てくる諸氏の家紋は、大きさが5㍉ほどで書かれているから二つの家紋の判別が困難で、これには大いに参っている。 

                                      「杏葉」の画像検索結果        

上の写真の「杏葉」は豊橋の馬越長火塚古墳出土のものである。熊本に於いても打越稲荷山古墳から同様の形の「杏葉」が出土している。
棘葉形鏡板・杏葉の変遷図というものを、WEBで見る事ができることは大変有難い。21に打越稲荷山古墳出土の「杏葉」のトレースが紹介されている。
実物は熊本博物館に所蔵されているようだ。実物を拝見したいものだ。
馬具である「杏葉」が、家紋である「杏葉紋」にどのようにして変化していったのだろうか。
私は馬具とは関係なく、「杏の葉」をデザインしたと考えるのが一番妥当ではないかと考えているが、素人の何の根拠もない戯言である。

「肥陽諸士鑑」には各家の家紋が紹介されている。
「杏葉紋」の殆どは豊後の大友家の子孫・松野家(五系)と、旧大友家の家臣であった諸家である。
改めて眺めて見ると、大友家の家臣が大変多く細川家に召し出されていることが判る。

家紋を眺めていると歴史の奥深さがうかがえて刻のたつのを忘れてしまう。

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■細川家紋之事(一)

2015-11-27 07:23:27 | 史料

 文化年間幕府からの「細川家の家紋の由来」の問い合わせに対し、藩のあたふた振りを伺わせる文書がある。
つまり問い合わせに応えるだけの資料が存在しなかった訳だ。これは不思議としかいいようがない。

        細川家紋之事

      新続跡纜巻二百七十六ノ三  文化五年九月(印判にて数文字判読不明)
   一櫻御紋御由来之儀白金御用人より申来於御國御
     吟味之趣書付参候付白金江差上事
       十月四日御國江立石助之進より申向之
△(1)櫻御紋之儀付而差紙之通白金御用人より申来候付
    御吟味を御便被仰越度則右之紙面御取遣之御紙面
    写進達仕候以上
    △(1)上ニ付紙
       享和元年正月其元より御紋本被差越候節之御
       申向は此元ニも扣御座候御家譜御吟味も可有
       御座と本文之通進達仕事御座候
△(2)付紙
    御当家之御紋之御由緒之儀去年申達候節公儀江
    御届ニ相成候御紋本写一冊并御由緒之書付一通詰合御
    右筆頭中より被指上候右紙面并御由緒之書付共写を差
    越申候右紙面写ニも有之候通櫻御紋之御由緒於此元
    相分兼候由御國御書所江は御紋之委敷相分居可申
    哉之趣ニ付右御紋之御由緒共吟味有之候上猶又被差上
    候様被仰出候間御國許江早々被申向吟味之上委物申
    上ニ相成候様可有御取斗候此段申達候以上
       九月十六日       白金 御用人中
           立石助之進殿

△(3)付紙
    △付紙(2)
       十五日之御飛脚ニ如左
       被仰越候櫻御紋之儀小野武次郎編集之御家譜(綿考輯録)之中
       も及吟味候へ共相分不申候ニ付寛政十二年御目付様より
       御尋之節吟味有之候趣を以付札用参候間右之訳を以
       申上之■御取斗候様被差越候白金より之別紙
       致返達候
    △(3)付札
       櫻御紋之儀
       頼有様宛之御武器之内ニ相見候哉ニ薄々及承候との
       趣去年白金江申上置候此節政府之趣承合候処御天
       守方ニ而吟味有之 頼有様御武器ニハ相見不申由
       ニ而差紙之通申来候付而写之差(紙・脱カ)進申候右之趣も申上ニ
       相成可然候ハヽ宜御取斗有之候様存候
          十一月十五日 

               (書き込み中)
     

 

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■家紋のはなし 茶と橘

2015-11-26 09:21:40 | 家紋

                   丸に一つ茶の実丸に茶の実紋  丸に橘丸に橘紋

 我が家の近所の空き地の土手に、一本の葉張りの大きい茶の木があった。最近久しぶりに前を通ったら新しい家が建って、その茶の木の姿が消えていた。

山頭火に 茶の花や身にちかく冬が来てゐる という句がある。ちょうど今頃白い可憐な花を付けている時期だ。
手折って一輪挿しに活けたこともあるが、これはうまくいかずすぐに花が落ちてしまう。茶の実を拾って庭に植えて見たがこれも失敗した。
(銀杏は成功したけど・・・) 

ところで上の家紋、左が「丸に茶の実紋」である。どう見ても「実」とはおもえず、「花だろう」と突っこみをいれたくなる。
右は源平藤橘の「丸に橘紋」、似て非なる二つの紋だがさてどちらが先に出来たのだろうか・・・・
「橘の葉を三枚取れば茶の実紋」というが、オリンピックのエンブレム問題ではないが、少々デザイン盗用のにおいもする。

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■「肥後先哲評傳」GET

2015-11-26 07:28:10 | オークション

                 ◆0.01 【肥後先哲評伝 日本談義 創刊3周年記念号】 昭和16年 

  昭和16年に発刊された、「日本談義」創刊3周年記念号「肥後先哲評伝」を落札した。

「日本談義」とは、熊本在住の作家・荒木精之氏が昭和13年に創刊した総合文芸雑誌である。この「肥後先哲評伝」はその「日本談義」創刊3周年を記念して発刊された。
私が生まれる前の年である。このような本は所蔵するだけで心豊かになる。

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■秋の蚊

2015-11-25 18:42:09 | 熊本

 随分暖かい日が続いてきたが、どうやら明日あたりから気温も例年並みになりそうな気配だ。
夕方から少し涼しさ(?)が増してきて靴下を履いた。近所の楓の街路樹がようやく色づいてきた感じ、果たして本格的な紅葉はいつになるのだろうか。
昨日まで、昼間は窓を開け放っていたから、時折虫が飛び込んでくるありさまだった。

夏目漱石に秋の虫の句があるのを思いだしたが、正確に覚えていない。熊本弁が使われていたのだが・・・・・
調べて見ると次のようにあった。

              秋の蚊と 夢油断ばし し給ふな

熊本弁というのは、「油断ば」で、熊本では「~を」を「~ば」とする。
明治30年の句だそうだが、9月には三番目の住まい大江村に転居、暮れから翌年正月にかけて山川信次郎と小天温泉に出かけている。
秋の蚊は大江村の蚊だろうか。 

 

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■幕末維新期の米国留学―横井左平太の海軍修学

2015-11-25 07:04:20 | 書籍・読書
   幕末維新期の米国留学:横井左平太の海軍修学
 
         慶應義塾大学出版会

出版社内容情報

本書は、横井左平太と弟・大平が生活した熊本やニューブランズウィックなどそれぞれの地域における時代状況を、新史料をもとに把握。

▼漢学から英学への飛躍、海軍への関心、異国の人々との交流――。
横井小楠の甥・左平太の留学生活と生涯を通して、黎明期の近代日本を描き出す。

本書は、肥後藩士で幕末の思想家として知られる横井小楠の甥・左平太の生涯を、史実に即して描きだすものである。彼は、幕末期に弟の大平とともにアメリカに渡り、さらに維新期にも法制官僚としての使命を帯びて単身再渡米。欧米の軍事技術や法制を身につけ、日本の独立に寄与しようと奮闘した。小楠のもとでの学問と政治的な原体験、アメリカでの詳細な修学状況、肥後藩士や恩師・勝海舟らとの交流を新たな史料に基づいて実証的に追究し、近代黎明期における日本人留学生の実態を明らかにする。

はじめに

第一章 横井左平太の訓育
 1 横井左平太をめぐる俗説
 (1) 横井左平太の名前について
 (2) 横井左平太の履歴について
 2 横井左平太の学び
 (1) 父時明の死と横井家の境遇
 (2) 養父小楠による教育の開始
 (3) 視野の広がり
 (4) 政治への関わり

第二章 横井左平太・大平の修業
 1 神戸行き
 2 長崎にて
 (1) 英語の学習
 (2) 長崎における横井兄弟の写真
 3 長崎出航

第三章 横井左平太・大平とアメリカ
 1 ニューヨークからニューブランズウィックへ
 2 ニューブランズウィックにて
 3 ラトガースカレッジ・グラマースクールの沿革
 4 グラマースクールの規約と修学課程
 5 手紙からみる学生生活
 6 アナポリスへ
 7 日本人留学生の経済事情

第四章 日下部太郎について
 1 渡米までの日下部太郎について
 2 ラトガースカレッジでの留学生活の開始
 3 日下部太郎の学生生活
 4 日下部太郎の死
 5 日下部太郎の交友関係
 6 日下部太郎のアメリカ留学の目的
 7 日下部太郎の訃報とその波紋

第五章 横井左平太の一時帰国、再渡米そして死
 1 一時帰国
 (1) 一時帰国の事情
 (2) 小楠の死
 (3) 大平の死
 (4) 小楠とキリスト教
 (5) 結婚
 2 再渡米
 (1) 再渡米の事情
 (2) 勝海舟との関係
 (3) 細川家との関係
 (4) ボストン近郊での生活
 (5) 肥後藩留学生の動向
 3 帰国そして死
 (1) ワシントン、そして帰国
 (2) 元老院出仕
 (3) 左平太の最期と墓誌

おわりに


あとがき
横井左平太年譜
索引
英文史料

【著者紹介】
高木 不二
大妻女子大学短期大学部名誉教授。博士(史学)。
1949年生まれ。1982年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。慶應義塾高等学校教諭をへて、1993年、大妻女子大学短期大学部助教授。2001年、同教授。2014年、定年退職。
主要業績として、『横井小楠と松平春嶽』(吉川弘文館、2005年)、『日本近世社会と明治維新』(有志舎、2009年)、『明治維新の新視角 薩摩からの発信』(共著、明治維新史学会編、高城書房、2001年)、『明治維新史研究の今を問う 新たな歴史像を求めて』(共著、明治維新史学会編、有志舎、2011年)などがある。

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■イヤープレート1942

2015-11-24 12:45:48 | 徒然

         「イヤープレート1942」の画像検索結果 

 毎月22日はショートケーキの日だそうな。カレンダーを眺めると22日の上には必ず15日(いちご)が乗っているからだと言うのだが、いろいろ考えるものだ。

友人の家に上の写真のイヤープレートが飾られていたのを見てから半世紀以上にる。
イヤープレートは、ロイヤルコペンハーゲン社が毎年「クリスマスプレート」と呼んで製作している。このイヤープレートの誕生(1908)で、クリスマスに自分の生まれ年や、記念年のお皿でケーキを食べる風習が生まれたという。
お金持ちの子だったその友人は、さも得意気に話したものだが、まったく知識がなかった私は上の空で聞いていたし、すっかり忘れてしまっていた。
一月ほど前か「なんでも鑑定団」に、1908年以来のプレートをフルセットで出品した人がいて、高額な金額(300万→800万円)になった。
それをながめていて、そうかあれはあいつの誕生を祝って購入されたか贈られたものだろうと理解した。 

それ以来彼に会う機会もないし、消息も聞こえてこない。彼の人生に鐘は高らかに鳴ったのだろうか。
幼い頃の思いでは瞬時に鮮やかに蘇った。      

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■熊本市の文化財を観る (4)

2015-11-24 10:24:38 | 熊本

                    9 不動院跡の六地蔵塔

 

 肥後型と呼ばれる六地蔵塔のうち、姿が一番美しいとされる「不動院跡の六地蔵塔」である。
昭和61年1月熊本県指定重要文化財になったが、当時の所有者は熊本の歴史に造詣深い寿司屋「時雨」の社長・佐渡資生氏であった。
熊本市九品寺の大きな通りの四つ角にお店があったように記憶するが、私は九品寺にあったというこの六地蔵塔の存在は知らなかった。
現在は坪井2丁目6-22にある某会社の裏手に移っている。(グーグルアースで確認)勝手に入る訳にも行かないから、まだお目にかかれないでいる。
夏目漱石が「名月や十三円の家に住む」と詠んだ第2の家「合羽町の家」(現・熊本市坪井)の筋向いである。その内に偵察に出かけようと思っている。

 先にご紹介した熊本県文化財保護協会発刊の「熊本市の文化財」にある写真は、九品寺にあったころのものだが、これがなかなか良い。
佐渡氏の心から郷土を愛する気持ちが顕れているように思える。
氏は「時雨かわら版」という数ページのタブロイド版の新聞(月刊?)を発行されていた。なんで私の手元に届いたのかすっかり忘れているが、残念ながら処分してしまった。私の先祖が佐々木介三郎(水戸光圀家来)が来熊の節、案内役を仰せつかったということをこの新聞の記事で知った。
私の歴史狂いはこの記事のお陰(?)といっても過言ではない。

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■熊本市の文化財を観る (3)

2015-11-23 21:18:03 | 熊本

    鐔 西垣勘四郎作 銀二引九曜桜紋透の写真  西垣勘四郎永久作 銀二引九曜桜紋透鐔                        

 細川家の家紋細川九曜・桜紋それに二つ引き両を見事に配した、殿様ご使用の仕様であろう。
前回ご紹介した「窓桐透」は初代勘四郎、こちらは二代目の勘四郎だが、父親とはまったく違うデザインで見事というほかない。
肥後鐔フアンが多いというのも、肥後金工のすばらしい技術と卓越したデザインによるものであることを実感する。県指定重要文化財である。
 

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■細川霊感公

2015-11-23 07:34:54 | オークション

  こんなものを落札してみましたが、どんな内容なのか見当が付きません。明治に入ってからの印刷ものかなー等と思っているのですが・・・・・・
  送られてくるのが楽しみではあります。

                                         細川霊感公 全

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