津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

覚え-岡倉天心「茶の本」より

2005-11-28 12:27:24 | 書籍・読書
 細川侯の御殿に、有名な雪村の達磨の絵が秘蔵されていた、ところがその
御殿が警護の武士の怠慢の為に、にわかに火を発した。其の武士は、万難を
拝してもその貴重な絵を救い出さねばならぬと固く心を決して、燃えさかる
建物のなかへ飛び込んでその掛け物をつかんだ。だがその時には、火焔に包
まれて、脱出すべき道は失われていた。ただその絵のことしか心になかった
その武士は、刀をもってわれとわが肉を切り開き、引きちぎった袖でその雪
村を包んだのを、大きく開いた傷口に押し込んだ。ついに火事は鎮まった。
くすぶった余燼の間から半ば焼け崩れた死体が見出された。そのなかに、か
の重宝は、火にそこなわれずにそっくりそのまま納められていた・・・云々                          岡倉天心著「茶の本」浅野晃訳
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最近の日課

2005-11-26 12:02:34 | 徒然
 「くずし字解読辞典」にお世話になって、悪戦苦闘することが多々あるが、
ふと自分が書いている文字の筆順が全く違うことに気付かされる。
目で追って文字を覚えようとしても、中々覚えることが出来ない。
筆で書いてみようと思い立ち、ここ数日我流の習字の稽古を始めた。
手本は「三體千字文」、久しぶりの毛筆は筆圧が一定せず、手元が不安定で
思うように筆が走らない。下手でもいいから「なれ」で、ある程度書ければ
よしとしょうと思い毎日書いている。悪筆の「先祖附」に遭遇すると、頭を
抱えてしまうのだが、自分で筆を取ってみると気持ちが理解できるような気
がする。しかし昔の人達は偉いものだと、つくづく思わされる。
難しい文言等の知識や識字、その筆捌きの素晴らしさに驚かされる。

 数十年前、茶道の相伝を頂戴する為に起請文を書いた時の緊張を思い出す。
日々の日課として一年も続けば、悪筆は悪筆也の自分の文字が誕生するので
はないかと考えている。新しい墨を買わなければ・・・・

 
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熊本七不思議-蒲生秀行の墓

2005-11-23 14:47:02 | 歴史
 安国寺というお寺がある。このお寺の開山は明智光秀の子とされる明厳梵徹
であり、土岐系図なども残されているという。細川家の菩提寺妙解寺(跡)に
程近い場所である。ここに何故か蒲生秀行の墓があるのだ。(多分供養塔だろ
うと思うのだが)いろいろ調べても、細川と蒲生の結びつきがはっきりしない。

 細川家根本家臣の一人に志水家がある。家祖は志水伯耆守宗加、弟が有名な
志水悪兵衛、宗加の二男が日下部(志水)元五である。系譜によると元五の内
室は蒲生四郎兵衛郷安の女であるという。郷安は元六角氏臣、旧名赤座隼人佐
後蒲生氏郷に仕え、氏郷の会津移封後米沢三万八千石の城代となり、筆頭の仕
置家老になった。氏郷亡き後息秀行の寵臣を殺害、加藤清正に預けられたとい
う。このことがきっかけで蒲生家は小田原に転封されることに成る。もっとも
関ヶ原後会津に帰ることになるのだけれど・・・。
郷安はキリシタンであったともいわれ、小西行長に預けられ、清正の宇土城攻
で死んだとも、大坂の陣で死んだともその最後は定かではない。

 安国寺のお墓からは、鎧に身を固めた遺体が見つかったと聞き及ぶが、とて
も秀行とは考えられない。果たして何様、まさか郷安?まさか、まさか。
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円乗坊宗円

2005-11-22 11:32:45 | 歴史
 天正十五年(1589)十月一日の「北野大茶会」に於ては、拝殿に三つの茶室が
舗設られたが、中央が秀吉の黄金の茶室である。「群書類従」の「北野大茶湯之
記」によると、利休を始め26人の名前が記されている。秀吉・前田利家・細川
玄旨・古渓和尚、今井宗久・津田宗及などの名前と共に「円乗坊」の記載が有る。
(千)紹安・少庵と共に列座している。超一流の茶人であった事が伺えるし、利
休の「極真之台子」の相伝が唯一、宗円に伝えられたことからも利休の信頼が如
何に大きかったかが窺い知れる。藤井学著「本能寺と信長」は、円乗坊を当代超
一流の大茶人としているが、茶道研究家の扱いは今一である。更なる研究がなさ
れて詳しい円乗坊宗円が紹介されることを願っている。

 わが「肥後古流」茶道の太祖である。
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耐震計算偽造事件

2005-11-19 11:33:12 | 徒然
 同業者として只々長嘆息を禁じえない。
地震国日本における建築の安全度については、度々の巨大地震のたびに見直
され今日のものへと至っている。世界一といっても良い優れた基準である。
建築基準法は「建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定め
て、国民の生命、健康及び財産の保護を図り・・云々」とその目的を記している。
「最低の基準」を守りながら、如何に効率よく、デザインや設備に優れた建物を
安価で造るかという、相反する要求の中でデベロッパー達は頭を悩ましている。
そんな中で起きた事件だけれど、「生命や財産の保護」が否定された思いがけな
い事件に、同じ建築士として憤慨に堪えない。
Professionという言葉の本来の意味は、「知的職業(弁護士、医師、教師、建築
家、聖職者」とされている(いた?)。Occupationに成り下がった建築家達に、
警鐘が乱打されている。
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八代のフロイス(覚え)

2005-11-15 21:12:02 | 書籍・読書
 島津勢の鎮圧を終えて軍の撤退を命じた関白は、肥後の八代に来た。
必要な戦後処理がまだ残っていたからである。
八代の地は、美しく、清らかで、優雅で豊穣で、とあるだけの形容詞を
並べて、フロイスはこの土地のすばらしさを強調したいる。
よほど魅せられたのであろう。
   
   まるで日本の自然は、そこに鮮やかな技巧による緞帳を
   張ったかのよう (4・177)

 と、もはや浮かれたような口調である。
そこに住むデウスの教えの敵が残酷であるだけに、その地の美と快適さ
はひとしおである、とも述べている。
 見渡す限り、小麦や大麦の畑が展開し、清浄で優雅な樹木に掩われた
森には、多くの寺院が散見し、小鳥たちの快い囀りが満ち溢れている。
このもっとも優れた領内の場所を、仏僧たちが所有し、居住している、
と伴天連らしく嘆いている。
 この風光明媚な八代に関白が来ていることが知れると、各地から参集
した諸侯の関白詣でが始まり、地元は騒然となった。 (以下略)

    川崎桃太著「フロイスの見た戦国日本」 
            P83「肥後八代の関白と伴天連」より
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祝・紀宮御結婚

2005-11-15 08:06:07 | 徒然
 最近の皇位継承に関する、いろんな議論を聞いているとなかなか面白い。
私は、「女性天皇でもよいが、次の天皇は男系であるべき」というのが正論だと
思う。あるTV番組で、元H大学教授T氏は「一度皇統は途切れている」と発言
して、他のゲストから失笑をかっていた。
どうも継体天皇のことを言っているらしい。
日本書紀は、先代の武烈天皇の悪行を赤裸々に書いている。継嗣がなく、応神天
皇の五代の孫を見つけてきて、天皇としたのが継体天皇だ。仁徳~武烈の十代の
血がカットされたことになる。
武列帝の血が引き継がれる事は、避けられたことになる。
意図的であったのかもしれないなー。継体という名前(?)が思わせぶりだ。

 マスコミは、蘇我入鹿邸の跡が発見されたことを大きく報道している。
聖徳太子一族の滅亡、蘇我一族の専横、中大兄皇子の入鹿殺害・蘇我一族の滅
亡そして壬申の乱、古代史にはまったくの門外漢だった私も、黒岩重吾の本は
むさぼり読んだ。その後、古事記や日本書紀も一応勉強したし、わが遠祖「磯
部氏」を知るべく、伊勢神宮の勉強へと及んだ。
先祖探求の旅は「肥後細川藩侍帳」に及んで終焉となった。

 今日の熊本はすがすがしい秋晴れだが、東京は如何・・・・。
紀宮の御結婚で今日一日マスコミは賑わいそう。お幸せに。
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六十肩?

2005-11-13 22:03:06 | 徒然
 もう二週間ほど、右の肩から腕にかけて慢性的に痛みが走る。
毎朝四時過ぎになると、決まってすごい痛みが襲ってくる。
身体の位置を変えるのさえ難儀する有様で「あ痛た、あ痛た」を連発して、妻の
不興をかっている。四十肩とか五十肩とかは経験もしたし、主な症状は痛みと共
に腕が上がらないことだと云うが、腕の上げ下げには支障はない。
「その内に直るさ」と思いつつ、二週間も経過すると、いささか心配にもなる。
首もスムーズに動かせないので、車の運転もおっかなびっくり状態。

マウスを動かすのも、タイピングするのも今のところ支障ないのだが・・・
そろそろ勘弁してもらいたいものだ。それでも病院には行かない私。
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見たい・・・

2005-11-12 10:50:37 | 歴史
三斎好み茶室もろもろ
 1、吉田屋敷の茶室図「松屋筆記」
 1、小倉城内本丸大書院囲の図「細川三斎茶書」
 1、福寿院の路地の図「茶湯秘抄」・・・・(愛宕山下ノ坊)
 1、 同上茶室の図 「松屋会記」
 1、細川休無邸路地の図「茶湯秘抄」・・・(聚楽第祉)
 1、 同上  茶室の図  同上
 1、天龍寺真乗院茶室 「茶室おこし絵図集・第10集」
 1、真乗院の三斎好数寄屋図
 1、真乗院の書院の図 「無題の茶室図集」
 1、真乗院の茶室と書院と庭 「都林泉名勝図会」
 1、東大寺四聖坊スキヤ図 「堀口捨己蔵」
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覚え

2005-11-10 15:13:06 | 歴史
    高山右近書状 横川理安(古市宗庵父)宛て

         尚々天気悪候者
         御出候事御無用に
         御座候
       明昼飛鳥井
       宰相殿少将殿御
       出候間如何程に御隙
       入候共御越待申候
       長岡も可有御同
       道候 恐々謹言
           高右近
        五月十九日
             (署名花押)
       理安老
          御宿所

             (解説)右近書状
  上の書状は東京ご在住の古市繁氏蔵。古市氏は古市宗庵のご子孫である。
千利休は、茶道極意・直台子などの秘伝を故あって実子に伝えず、門下の女
婿千宗円(円乗坊)に伝え、宗円はその婿古市宗庵に伝えた。
宗庵は寛永二年細川忠興の茶頭役に召し抱えられ、知行弐百石を与えられた。
  この書状の宛人は宗庵の父横井理庵である。千宗円に師人した茶人で忠興
とは蹴鞠の相手として親しかった。文中の飛鳥井宰相は飛鳥井流蹴鞠と歌道
の宗家参議飛鳥井雅庸(宰相は参議の唐名)。少将殿は雅庸の兄、右近衛少
将飛鳥井雅賢であろう。長岡は長岡式部興長だと思われる。
 この一枚の書状からも、右近の交友の広さと社会人としての人柄を偲び得る。
     
    (片岡弥吉著・日本キリシタン殉教史より P78)
 ※解説文中横井理安とあるが、横川理安が正しい。
 ※(円乗坊)の書きこみ。   津々堂
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読書

2005-11-09 21:27:50 | 熊本
 1、片山弥吉著「日本キリシタン殉教史」
 1、海老沢有道著「高山右近」

  山本博文著「武士と世間」に「加賀山主馬の父源左衛門は、摂津高槻城主
 高山右近の三男で、長男が加賀山平兵衛(奥田休悦)云々」とある。
 「ほんまかいな」と図書館へ出かけ「加賀山家由緒略記」などを見るが、裏
 付けになるような記述は見えない。詳細な系図が書かれており、それによる
 と奥田休悦、加賀山源左衛門の父親は、同名加賀山源左衛門。その兄がキリ
 シタン殉教で有名な加賀山隼人正興良である。その父親は伊丹隼人正朝明と
 ある。ちなみに休悦、源左衛門兄弟は転切支丹である。
 
 山本博文氏の上記記載の出典が知りたい。
 何かヒントは無いかといろいろ探し回ったが「空振り」。そんじゃという訳
 で、二冊の本を借りてきた。「日本キリシタン殉教史」は、読むのがつらい、
 「残酷史」である。
 
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八代通い・第五週目・・欠席

2005-11-06 09:25:47 | 熊本
 皆勤賞といきたい処だったが、残念の極み、欠席せざるを得ない仕儀と相成った。「仕方がない」と思いながらも、時間がたつと残念な思いがつのってくる。
お話は「細川幽斎と文芸、故実」(鳥津亮二学芸員)だけれど、私の一番苦手とするところだけに・・・・いつの日か同様のお話を聞く機会があればと思う。

「大名細川家-文と武の軌跡」展は、講演会を含め大変素晴らしかった。
博物館の活動の源は、学芸員の活動とイクオールであると思うし、八代市立博物館の活動は大変際立って見える。今後とも素晴らしい企画を提供していただけるものと確信している。感謝。

 
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文化の日

2005-11-03 15:13:42 | 書籍・読書
 朝からの雨も午前中に上がったものの、何となく外に出るのが億劫で人様のブログを見ていたら、「利休百会記」の記述があった。そこで、私は所蔵のその原本(?)と思われる「利休会席之留」という影印本を、ぱらぱらやっていると新発見(?)八代の展覧会(大名細川家-文と武の軌跡)に出品されている大名物利休の「尻ふくら」の名前が何度も登場している。例えば、霜月十四日昼の幽斎を主客とする席などにも「志りふくら」とある。驚いたのは、極月廿一日羽筑州(前田利家)の席の道具付、茶入れに「木葉さる茶入」と記されている。「なになに・・(絶句)」木葉さるといえば熊本だろうと考えるのが当然だが、頭が回転しない。しばらくぱらぱらしていると、十二月廿四日昼の席に松田庄左衛門のお相伴として尾池傳右衛門の名前がある。尾池道鑑(足利)の子の尾池傳右衛門だろうか。時代は合うのかなーなどと考えて「文化の日」の時間が過ぎて行く。

訓下文で読みたいのだけれど、私が持っている東洋文庫の「日本の茶書一・二」には所収されていない(残念・斬り)
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