津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

瑣事奏論

2004-07-29 22:46:47 | 徒然
掲示板のネーミングを変えた。筑紫哲也の「多事争論」に引っ掛けて
「瑣事奏論」としてみた。芥川龍之介は「人生を幸福にするためには
日常の瑣事を愛さなければならない。(また)日常の瑣事に苦しまな
ければならない」と言っている。私は論を争わすのではなく、論を奏
でて瑣事を楽しもうと思うが故である。
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中野孝次氏死去

2004-07-24 10:50:53 | 徒然
旧制五高出身の作家・中野孝次氏が亡くなられた。
本棚から「清貧の思想」を取り出し目を通す。視点の高雅な事は
また、氏の精神の孤高なるが故であろう。
清貧とはなんぞや・・・「簡素に生きる」だけではあるまい。
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今私が頭を悩ましていること -2-

2004-07-24 10:27:48 | 歴史
かって宇土細川家で見つかった「川越名号伝来記」を紹介した。
これによると文禄年中幽斎が秀吉に拝謁した際の逸話とされている。
ところが「綿考輯録-巻26」に類似の話がある事を最近発見。
なんと幽斎ではなく忠興のことだとしている。ン------。
(悩みは現在も継続中)
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分かったこと

2004-07-24 10:07:18 | 歴史
忠興の嫡男忠隆の二人の男子、忠恒と忠春の幼名が子孫で男爵の
細川忠雄の「細川忠雄家譜」から次の様に判明した。

 1、忠恒(忠政・与八郎)・・・・・坊丸
 1、忠春(半左衛門・伊豆)・・・・侍者丸

(ここでいう忠雄は、内膳家五代忠雄(忠亮・忠英)のことであり、訂正する 2008/5/12)
コメント (1)
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今私が頭を悩ましていること -1-

2004-07-24 09:27:27 | 歴史
1、細川忠興の六男とされる寄之(松井)の生年が「綿考輯録」では
  元和四年、「松井家先祖由来附」では元和二年、どっちが正しい
  のか、後者だと元和三年生まれの興孝と入れ替わってしまうの
  だけれど。
  (コメントのしようが有りません 2008/5/12)
1、清田五郎大夫は清田主計寿閑の兄としている(綿考輯録)が、地
  元郷土史家狩野照巳氏の著作「大友の枝葉・清田一族」では多数
  の資料を使って寿閑の二男(石見乗栄の弟)とされている。
  石見乗栄の妹幾知は立允・興孝の生母であり五郎大夫は忠興に
  近侍し幾知と二人の子供の成長を見守ったらしい。
  兄妹と叔父では話は全然違う。
  (五郎大夫を寿閑の子とする説は、明らかな間違いである 2008/5/12)
コメント (4)
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