津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■「市井雑式草書附録」(11)

2019-02-23 06:51:28 | 史料

                   

 七九 文化九年七月
一御府外御出向御道筋ニて、下方之者共、畑中へ深平伏仕
 候得は、作之痛ニ相成候儀、矢張御道筋脇え平伏仕居候
 様被仰付候、自然町家之者御府外え罷出、御道筋ニ参懸
 り候ハヽ、右之痛相心得候様、町中え及達候事

 八〇 文政四年七月
一所々御出御供揃御刻限半時前、御掃除頭以下、御道筋見
 分として出方之節、町屋之儀は、其懸り/\之別當以下
 罷出、掃除等致せ置、右御掃除頭以下見分として、通行
 之節迄相待居、掃除等不見分ニ相成候ヘハ、差圖を受申
 筈ニ付、以來御共揃御刻限半時前、町中掃除等相濟候て
 も、御掃除頭以下見分有之迄は、罷出居候様、惣月行司
 へ及達候事

 八一 文政九年八月    草履・草鞋
一町内被遊御通候節、店先ニそふりわらし下ヶ置候分は、
 すへておろし置申筈候、其外店ニ出置候商賣ものハ、其
 儘ニさし置不苦候、尤自然道筋ニ張出置、御通之妨ニも
 相成候品は、前以片付置候儀勿論ニ候段、總月行司え口
 達書相渡候事

 八二 文政十一年十月
一太守様略御行列二て野方御出、夜分町中御通之節は、挑
 灯を燈來候由二候得共、以來本御行列之節は各別、略御
 行列二て御通行之節は右挑灯燈候ニ不及段、及達候事

       九

 八三 文政十年正月
一熊本町之者共、力量有之角力取ニ相成申度者共、親類・
 五人組・所役人も故障無之、節々願出候者は得斗相糺、
 其様子ニ應し其段相達、受差圖候様、且又御制外之衣類
 等着用之儀は、勧進角力興行之内、宿屋より興行場所迄
 之儀は其通候得共、右之外平日角力懸り等ニて、他行い
 たし候節は勿論、其外願解祭禮角力なとの節、右様之身
 なりいたし候儀は屹ㇳ被差留旨、町方え及達候事

           芳盛「相撲絵 不知火光右エ門」    Siranui Dakuemon.jpg 
             不知火光右衛門          不知火諾右衛門       大空武左衛門肖像 / 渡辺花山 [画]

 八四 同年三月
一御府中於所々、勧進角力或は歌舞伎芝居・見せ物等及興
 行候節、其場所え詰方之御役/\え、受元之者より會釋
          ママ
 として、毎日酒肴晝喰等差出、間ニは廻役之内ニは疊等
 引除置、客疊と唱、家内又は手寄之者を日々無札ニて
 入、失墜有之、請元之者及迷惑候哉ニ相聞候間、以來決
 て右躰會釋ヶ間敷儀等いたし不申様、若心得違之筋有之
 候ハヽ、見聞方御役人より相達候様及御達候段、總月行
 司え及達候、将又新一丁目幷両坪井市場え出役之御役方
 休息所え、相應ニ會釋もいたし來候由ニ候へ共、以來右
 躰失費ヶ間敷儀は遠慮有之候様、右懸り別當へ及達、出
 役之面々えも及其達候事

 八五 文政三年三月
一町在之者、力量有之、角力取ニ相成申度者は、親類・五
 人組・村役人も故障無之、筋々願出候者は得斗相糺、其
 様子ニ應し被差免候との儀付ては、去ル文化十年正月委
 細及御達置候通候、然處、近年於在中聢ㇳ力量無之もの
 共も、無願ニて内分角力取ニ相成居候者も有之哉ニ相
 聞、間ニは前髪を立、或は異躰之衣服提物等、御百姓不
 似合之身なりいたし候者も有之様子ニ相聞、村役人共も
 等閑ニ押移候ともニては無之哉、彼是不埒之至候、依之
 以來右躰之者は、村役人等より屹ㇳ差留、若承引いたし
 不申者も候ハヽ、各手許え達出候様、左候ハヽ早速召捕、
 方申付置相達候様、右之趣庄屋・村役人は不及申、小      扌偏に乄=
 前/\えも不洩様屹ㇳ及達置候様、御惣庄屋え御郡代よ
 り達ニ相成候寫、五ヶ所町え差遣、町屋も同様之事ニ
 月、堅相守候様及達候事

 八六 文政三年十月
一近年地蔵祭之節、市中ニて仰山ニ作り物等いたし候様子
 ニ付、御時節柄旁たとひ費ヶ間敷儀無之候とも、仰山之
 作り物等不致様との儀、追々及達候通候處、當年も華麗
 成ル作物いたし候所も有之たる哉ニ相聞、御達之趣相背、
 不埒之事共候、以來、右祭之節、作り物大略左之痛
一作り花之類
  但、紙一式
一人形類
  但、數はニッ三ッを限、時候有合之野菜類を以作り立
  候分不苦
一至て手輕ヒ杓子類之小道具、費ニ不相成品々、幷貝から
 躰之捨利ニ成候程之品々
一小家懸幕圍
  但、是迄有來之痛ニて間數二間歟強て三間を限
 右之分不苦候
一金銀錢は勿論、渡金之金物類難成候
一絹類は勿論、櫛・笄・髪飾・楊枝指類難成候
 右之通被定置候、尤以來作り物いたし候所ニは、其所之
 丁頭々々より、前廣ニ町方御横目之内え、ヶ様/\拵候
 と申儀相達、差圖を受候様、若右之手數無之作り物は、
 假令不苦品々たり共、右御横目及見次第早速差留、右ニ
 携ろ候もの共は、屹ㇳ被仰付筋有之段、總月行司え及達
 候事

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■「市井雑式草書附録」(10)

2019-02-22 13:47:31 | 史料

 七ニ 天保元年八月
一造酒之儀、例年新米を以仕込來候由之處、一昨年凶作以
 後は、専古米を以新酒仕込候哉ニて、銘々前廣ニ餘計之
 御蔵預買込候故、下タ米無多事、米屋/\賣米乏相成、
 下方一統及難澁候様子ニ相聞候付、當年之儀新穀出來迄、
 造酒仕込候儀は、町在一統堅被差留旨、所々町え及達候
 事

 七三 天保十年亥十月十九日町方日帳
一造酒本手賣買之儀、御府中え有來候本手在中え賣出難相
 成、又在中之本手を熊本え買入候も被差留候様、追々願
 ニ寄、其通被仰付候處、此節僉議之趣有之、市在共賣買
 融通被差免候事

 七四 文政十二年九月 天保元ノ所ニ有
一空躰之歩札商御制禁之段は、追々嚴敷御沙汰ニ相成候通、
 彌以堅相守候儀勿論之事候處、間ニは御蔵預歩札之取組
 をも被差留候様ニ相心得候共ニては無之候哉、正路之商
 賣筋可有御構様無之候得共、畢竟、其末羽書商賣抔と唱、
 紛敷空躰之歩札商賣躰ニ成行候節は、時ニ臨歩入之根方
 をも被差留儀も有之事候處、左候ては一躰商賣不自由ニ
 有之、米穀一篇商賣之者共は、別て可及難澁候、仍て御
 蔵預を歩入之取組いたし候儀は無御構被閣候間、勝手次
 第相心得候様、若其末被禁置候空躰之歩札商賣筋ニ至候
 ヘハ、屹ㇳ其筋被遂御吟味儀は不及申、右歩入取組共ニ
 直ニ被差留筈候様、能々正不正之境を勘辨いたし、決て
 紛敷取遣致間敷旨、町中え及達候事
一歩入札賣買之儀、一切御制禁之段は、追々及達置候通ニ
 候處、近年間々心得違之者も有之哉ニ相聞、不都合之至
 ニ候、依て已來歩札之儀左之通
一歩入札を振出候ものは、質屋より歩入ニ取候丈ヶ之御蔵
 預ニ、歩札を添、町御奉行所詰別當手元え差出候様、左
 候得は、御蔵預は右別當手元え預置、歩札ニは官印を用
 相渡、其札は一統賣買被指免候、尤右手數之儀は、朝五
 時より八ッ時限り差出可申候
  本行歩札利上且流方いたし候節は、一々町御奉行所詰之別當
   手許承合取計候様
一現米入用之者、札を買取候ハヽ、取引之算用は、札屋直
 々ニいたし、其趣受込別當え申出、札を差出候ハヽ、預
 置候御蔵預相渡、其札は直ニ消方被仰付候
  但、現米所持いたし居候とも、前條之手數無之、私二
  札を振出候儀は可為停止候
 右之通、此節仕法立被仰付候條、向後彌以空躰之歩札幷
 札歩羽書躰之儀、決て無之様、自然心得違之者於有之は、
 御吟味之上、歩札等御取上は勿論、屹ㇳ御咎メ被仰付筈
 候、此段懸々不洩様、可有通達旨候、以上
    天保十四年九月      町方根取中
        出田彌一郎殿
 此一條委敷儀は
 町方日帳ニ記ス

 七五 天保十四年十月十一日町方日帳
一質物利足之儀、壹歩以下ニて取引いたし候様、去年一統
 及達置候處、質屋共願出之趣有之儀付、御僉議之趣を以
 百目以上之質物是迄之通利足壹歩、百目以下之質物歩合
 之儀は、御達以前取引いたし來候御達以前取引之歩合ハ壹歩半也振合ニ准
 し、成丈引詰、双方得便利候様、請季月數之儀は、以前
 之通都て二十一ヶ月限ニ被仰付旨、惣月行司別當え及達
 候事

 七六 同年十一月朔日町方日報
一質物利足之儀、前條之通候處、此節道具類ニ限、利上之
 儀願出、右道具類利合之儀ニ付ては、内輪無餘儀事情も
 有之、衣類同様之利足ニては、難澁之趣ニ相聞候付、猶
 追ては日仰付筋可有之、夫迄之處は、先道具類ニ限、百
 目以上壹歩半ニて取引いたし居候様、惣月行司別當え及
 達候事

 七七 弘化三年午閏五月廿八日町方日帳
一當座質と唱、纔宛之質物取入候儀は、以前より之事ニて、
 是迄利分月限等、格別制限も無之、其儘被閣候處、軒別
 異同有之様子ニ付、以來、衣類は百目以上壹歩、以下壹
 歩半、道具類百目以上壹歩半、以下貮歩、都て受季月數
 は二十一ヶ月限、尤、拾匁以下は利分月限共、衣類道具
 之無差別、是迄取遣いたし來候振ニ准、重疊引詰、双方
 辨利之申談いたし候様、右質物取入候者共え、差寄得斗
 申示候様、町御奉行所詰別當え書付相渡候事

 市中質屋共より利上之儀ニ付、願書被相達置候、依て御
 僉議之筋有之、百目以上ハ壹歩半、百目以下ハ貮歩之利
 合を以致取遣候様、町中不洩様可被達旨候、以上
   慶應二寅年      町方根取中
    十一月廿三日
    惣月行司        當年米双場大壹俵
      友枝丑之助殿    二付三百五拾匁也

 七八 慶應四年辰三月朔日
一當時諸式高直ニ相成、質物利合引合兼候處より、質物取
 入候者、間ニは取止候者も有之、小前之者迷惑いたし
 候付、衣類道具共錢高之高下ニ無差別、總て利合三歩ニ
 被仰付度、且、質物流月之儀も二十一ヶ月之處を、以來
 十二月限ニ被仰付度、町御奉行所詰別當共より相達候
 付、願之通利上被差免、限月之儀は是迄之通相心得候様
 及達候事[付紙]「是迄ハ二十一ヶ月也」
  但、委細は諸式直段調帳ニ記録有之候、且、川尻町よ
  りも同様願出候付、如本文差圖いたし、四ヶ所控川尻
  之坐ニ致記録候事

 

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■「市井雑式草書附録」(9)

2019-02-22 06:51:51 | 史料

 六六 文政十一年十一月
一熊本町中ニ御蔵預致所持居候者は、石高名當之書付幷歩
 入質札共ニ差出候様及達、差出候處、現預前幷諸御間ニ
 歩入致置候分共ニは大數貮萬八千石餘有之、相對歩入札
 前も貮萬貮千石内外に相見候、右有丈之現預を相當之直
 段にて賣出候ヘハ、斯迄米無多事中段以上ニ御救米をも
 被仰付程ニは至り申間敷處、畢竟、現預は歩入ニいたし、
 其質札を以御達ニ背キ候致商賣候付、彌以現物隠レ、直
 段は遂日高直ニ相成、諸人は日ニ増逼迫を重ね候を不顧、
 貧福持合之御沙汰にも相背候のみならす、右御蔵預等差
 出候様との御達之砌、餘計ニ致所持候ものは遠在抔知音
 之方え分遣、或は餘人之名前を借候躰之儀有之、右名前
 之内ニは分限不似合之者も有之哉ニ相聞、彼是不届之至
 ニ付、歩札商賣之手續等被遂御穿鑿、屹ㇳ被仰付筋も有
 之候江共、御僉議之趣有之、此節迄は先其分ニ被閣候て
 左之通
一相對歩入質札は一枚/\裏ニ官印を用、差返候間、三斗
 五升入四拾目を限、來ル廿一日限順々ニ取計仕舞候様、
 若日限迄ニ片付不申分は流ニ被仰付候
  但、十月以後之歩入取扱商賣いたし候もの有之候ヘハ
  町方御横目廻役より見當次第取揚、其段相達候筈
[付紙]「在町其外々え振出置候歩入札片付方も本行同断、
  若日限限持出懸合有之候ハヽ、札主持合町方御横目改
  を受歟申事」
一現預所持之者は、粮物其外商賣方ニ入用餘分は速ニ賣出、
 一統之融通肝要ニ過相心得候
 右之通被仰付候間、此上歩入商賣は不及申、有餘之米穀
 賣惜なといたし、諸人之難澁ニ係り候奸智之取計いたし
 候ものは、早速被召捕屹ㇳ被仰付之筋有之、一類・五人
 組迄其分ニては被差通間敷候條、向後聊心得違之儀無之
 様、相互ニ兼々心を付、其上ニも不相用ものも有之候ハ
 ゝ、不閣申出候様及達、銘々印形を取相達候様、惣月行
 司え及達、町方御横目・町方受込廻役えも及達候事

 六七 文政十一年十一月
一當年柄米穀至て無多事、右ニ付、當時は御郡より米穀一
 切、市中ニ付出不申由ニ付、折角町家ニ買貯置候米穀を
 在中ニ賣捌候ては、在中之貯乏敷相成、諸人難澁之基と
 相成候付、米穀を在中え賣出候儀は當分被差留、在中之
 者たり共御家中御扶持方拂等ニ俵數株立不申、賣買は是
 迄之通相心得候様との儀、先年委細及達置候通候處、近
 來間には大豆・麥抔を在中ニ商取組賣出候付ては、紛敷
 儀も有之哉ニ相聞不埒之至候條、以來穀類は一切在中え
 賣出候儀、當分被差留置旨候條、當時賣買取組置候者も
 有之候ハヽ、早々及破断候様及達候事

 六八 文政十二年六月
一空躰之商賣いたし候儀は、兼て被禁置候處、羽書商賣と
 名付、空躰之米穀商賣いたし候もの有之様子ニ付、向後
 右躰名目を以、米穀空躰之商賣いたし候儀屹ㇳ停止被仰
 付旨、文化五年十一月及御達置候處、近來又々穀物類之
 羽書商賣いたし候聞へ有之、米穀相場ニも相響キ、不届
 之至候、依之羽書商賣は勿論、前賣・前買抔と稱し、空
 躰之商賣いたし候儀、彌以停止被仰付候、自然心得違之
 者有之候ハヽ、御吟味之上急度被仰付筋歟有之候間、町
 中不洩様及達、人別印形之書付相達候様及達候事

 六九 文政十二年九月
一空躰之歩札商賣は、嚴敷被禁置候處、間ニは正真之御蔵
 預質入いたし候儀をも被差留候様ニ相心得候者も有之哉
 ニ付、御蔵預歩入は不苦段、此旨一統及御達候處、近來
 米直段少引上候付ては歩札商賣を被成御免候なとと氣取
 兼候故之儀と相聞候、空躰歩札商賣は勿論哉以難叶事ニ
 候間、若右躰不正之商売いたし候もの及見聞候ハヽ、不
 閣町方懸り之御役筋へ申出候様、左候ハヽ屹ㇳ御吟味可
 被仰付候様、相對を以申分ヶ間敷儀不仕、かさつ之取計
 等決て不仕様、町中末々迄不洩様、委敷申示候様、惣月
 行司え書付相渡候事

 七〇 文政十二年十月
一造酒哉之内、酒之小賣をいたし候店々は、手製之酒迄ニ
 て他之酒は買入申間敷段、文政三年十一月及御達置候通、
 彌以相守候様、若心得違之族於有之は、揚酒屋より訴出
 候様被仰付旨、諸色しらへ受込別當へ及達候事

 七一 天保元年六月
一熊本町中造酒本手を在中等え譲切は勿論、他所より買入
 願も容易ニ不被成御免候様ニとの儀付ては造酒彌共より
 先年願之趣有之、其通被仰付置候處、近來間ニは造酒職
 打立、内證は夫々手數相整候上、在中等より本手譲請願
 相達候族も有之、最早其期ニ至不被差免候ては、身代之
 障ニも相成候故、別段を以被差免候儀も有之、畢竟、不
 案内故之事とは相聞候得共、追々類引候様ニ成行候ては、
 先年御達之趣ニも致相違候付、以來新ニ造酒打立度存候
 ものは、前廣ニ造酒直段元え懸合、其様子ニ應し願出候
 様、町中え及達候事

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■「市井雑式草書附録」(8)

2019-02-21 07:10:32 | 史料

 五九 文政九年三月
一米穀空躰之質入札商賣は被禁段、追々及御達置候處、近
 來町内ニて諏合躰之者多人數打寄、米穀質入札を商賣い       
 たす様子ニ相聞、空躰之取組ニ紛敷、且は重キ穏便中多
 密々打寄候躰之儀有之候ハヽ、及見聞次第早速筋々申出
 候歟、又は町方御横目之内ニ申出候様、末々迄不洩様、
 早々相達候及達候事

 六〇 同年四月
一現之米穀歩入之質札幷御蔵預歩入質札は、小前目録書相
 添取遣いたし候儀は不苦旨、先年一統御達ニ相成居候處、
 書入質札商賣有之候ては米價ニ差障、自然と高直ニ相成、
 下方及難澁候様子ニ相聞候、依之御蔵預又は現米を相對
 ニ質入いたし候儀は、唯今迄之通不苦、右之質札を致商
 賣候儀は、當秋新穀出來迄之間は一切被差留候條、當時
 迄取組置候質札取遣は來ル十一日限、夫々取引いたし候
 様及達候事

 六一 文政九年五月
一去冬以來米直段高直ニて、末々及難澁候様子ニ相聞、先
 年も右躰之節は双場極を以致賣買候様被仰付候儀、追々
 有之候、今年之儀も、當秋新米出來迄之間、三斗五升ニ
 付御相場通錢三拾八匁八分八厘を限、過致賣買候、若右
 之直段より高直ニ商賣いたし候歟、又は福錢なとゝ名付、
 右究より上ニ取遣いたし候ハヽ、吟味之上屹ㇳ可申付旨
 及達候事

 六二 文政十年七月
一米穀空躰之歩札取遣は申不及、其外商賣ニ付空躰之取組
 堅不仕候様ニとの儀は、先年度々御觸ニ相成居候處、近
 年纔之手付錢を以、餘計之米高を取遣いたし、大勢打寄
 候由、全空躰之取組ニ相聞不届之事ニ付、向後屹ㇳ相止
 候様、若此上密々打寄右躰空ナル商賣いたすもの於有之
 は、町方御横目廻役より見出聞出次第相達候ヘハ、御吟
 味之上屹ㇳ被仰付筈之段、町中え及達候事

 六三 文政十一年七月
一米穀歩札致商賣候儀被禁段、此間及達置候處、町内諏合
 躰之者多人數打寄ケ所も有之哉ニて、やはり内分歩札商

 賣有之候得は、自然と米價釣上末々及難澁候處より、右
 取遣を被禁事候處、御達ニ背不届之至ニ付、諏合躰之者
 集り候儀屹ㇳ停止被仰付候、依之、自然密々打寄歩札取

 扱候躰之儀有之候ハヽ、及見聞次第、早速筋々申出候歟、
 又は町方御横目之内え可申出候
一徒黨狼藉躰之儀は兼々稠敷被禁置、自然心得違之者は重
 キ御仕置ニも可被仰付段、御達之通堅相守可申候、町中
 右躰之見、懸り/\惣鳶役中え被仰付候條何レも申合      扌偏に乄=
 せ、萬々一狼藉者有之、町屋ニ入込あはれ候躰之事有之
 候ハヽ、速ニ取抑相達可申候
 右之趣、町中一統不洩様早々及達、人別印形之御請書相
 達候様、惣月行司え及達、米穀高直付ては、末々之もの
 何となく諏合躰之者を忌悪ミ候情態有之、萬々一家宅等
 打崩候歟、又は打擲いたし候不穏之取計仕候者も難叶、

 廻役より精々心を用、右之崩シ自然有之候ハヽ、速ニ押
 捕候様密々含ニ相成候様、御刑法方え書付差廻候事

 六四 文政十一年七月
一現之米穀歩入質札、御蔵預歩入質札は、小前目録書相添 
 取遣いたし候儀は不苦旨、先年一統御達ニ相成居候處、
 歩質入札商賣有之候ては、米價ニ差障り、自然と高直ニ
 相成、下方及難澁候様子ニ相聞候、依之御蔵預又は現米
 を相對ニ質入いたし候儀は、唯今迄之通不苦、右之質札
 を致商賣候儀、當秋新穀出來迄は一切被差留旨及達候事

 六五 文政十一年九月
一無現之米穀歩札を以致商賣候儀、従前々御停止之段は不
 及申、此砌町家有餘之米穀を圍賣惜いたし不申、ヶ様之
 折柄は貧福持合候て押移候様ニ、若心得違之者も有之段
 於相聞は、被召捕忽ㇳ被仰付筋有之候段も委ク被及沙汰
 置候通候處、米商賣之者共下地過分之利潤を得なから猶
 も飽足ス、間ニは密々歩札を取扱、米價引上ヶ候手段い
 たし、夫のみならす御蔵預も相應ニ致所持居候ものも有
 之様子ニ候得共、潜ニ貯置諸人之難澁ニ無構、未為を専
 ニいたし、貧福持合候様との御主意心得方等閑之躰ニ相
 聞、彼是不埒之至候、依之見合ニ成候儀有之候間、熊本
 町中ニ御蔵預致所持候者共、一枚々々ニ石高名當共小前
 書書添、早々差出候様、若隠置不差出預は、根方及吟味
 通用被差留筈候付、早々懸り/\へ通達人別不洩様吟味、
 右書付來ル廿九日限無間違、一懸限取揃差出候様及達候
 事

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■「市井雑式草書附録」(7)

2019-02-20 08:26:10 | 史料

       七

 四九 文化十年十月
一御年貢上納之砌、在口/\え熊本町より出買之物罷出居、
 在中之物ニ申談、新米買取、右付ては紛敷筋も有之様子
 ニ相聞不届ニ付、堅出買ニ罷出不申様、雑穀も出買ハ難
 成段、先年及達置候通ニ付、是又心得違無之様、町中え
 及達候事

 五〇 同年閏十一月
一市中豆腐職いたし候者共、大豆直段之高下ニよつて、豆
 腐直段も夫ニ應し高下有之儀有前之事候處、大豆直段下
 り候とて、豆腐直段直ニ引下ヶ不申者も有之哉ニ相聞、
 不都合之事ニ付、以來は豆腐一挺ニ付拾六文宛定直段ニ
 〆、大豆直段高下ニて舛前之多少は別紙積書之通相違不
 致様、豆腐之形大小を以賣捌候様、且小路/\ニて右職
 いたし出商賣仕候者も、其懸り/\丁頭等より精々申付
 候様、示方可有之旨、町方御横目え書付相渡候事

 五一 文化十一年正月
一空躰之歩札商賣は、兼々御制禁之處、舊臘以來諏合共、      諏合→人名では「すごう」と読むらしいですが、ここでは
 近在又ハ市中ニてハ密々打寄申談候様子ニ付、空躰之商         「はかりあい」=「相談しあい」でしょうか?
 賣等企候ニては無之哉、右打寄候内ニは商賣方のミなら         
 す、よからぬ申談も仕候哉之風評も有之候、空躰商賣は
 勿論、萬不穏儀等企候ものは、早速押へ捕被召籠御吟味
 可被仰付候、正道之商賣ニ祕候儀ハ有之間敷候條、向後
 密々打寄候儀等堅仕間敷候、萬一心得違之物有之候ハヽ、
 諏合仲間同志吟味いたし訴出候様、自然かくし置外手筋
 より相願候ハヽ、屹ㇳ曲事可被仰付旨、諏合商賣仕候者
 共、別當宅え呼寄、町方御横目立合教諭被仰付候事

 五二 文政二年八月
一御儉約二付、武器類之質物流レ不申様との儀、衣服之部
 二有之候事

 五三 同年十二月
一町中二て質物取扱者は筋々相願、質屋札被渡下候處、近
 年不相願無札貮て、當座七なとゝ唱、歩合高直ニ取候も
 のも有之段相聞、心得違之至候、以來不相願質物を取、
 又は不法之高利を取候者於相知は、屹ㇳ曲事か被仰付旨、
 五ヶ所町え及達候事

 五四 文政四年十月
一在中より付出候穀類出買仕間敷段は、追々屹及達置候通
 候處、近年心得違之者有之哉二相聞、不埒之至候條、右
 躰心得違之者於有之は、抜米見在御家人之内見逢次第      扌偏に乄=
 差押、買取候穀類取上名前相達候様、猶此節右見役人
 え達有之候段、町中え及達候事

 五五 文政六年十一月
一町家之者、米穀出商賣は御構無之段、火廻御物頭等え及
 達候事

 五六 同七年四月
一諸所町・在町共質屋共歩合を取候儀、區ニ有之様子相聞
 候、仍て御府中重立候質屋共及吟味候處、衣類は一ヶ月
 壹歩半、道具類は貮歩ニて、拾匁以下幷一ヶ月ニて受候
 文衣類は貮歩、道具は三歩にて取引いたし候由、當時先
 中分之利合貮相見候、質屋共之儀何も依願被成御免、同
 産業之儀に付大小之無差別、利合等等ク相究、可及取引
 事候處、區貮有之候てが不對ニ有之、申分も引起、且賤
 家之もの別て及難澁候事ニ付、以來前文熊本町之通、歩
 合等ク相究、質札にも歩合を記取引いたし候様、且又質
 屋札不願受質を取候者之儀付ては、文政二年別紙此口ニ扣アリ
 之通及達置候處、年隔候事ニ付寫差遣、両條之趣一統不
 洩様達有之候様、町在え及達候事

 五七 文政七年十一月
一所々町在中等より熊本町え造酒本手譲受候儀、是迄勝手
 次第被差免來候處、當年より十五ヶ年之間、所々町在中
 等より造酒本手譲受候儀被差留候事

 五八 文政八年九月
一御年貢皆納ニ相成不申内新米買取候儀難叶段は、追々及
 達置候通候、若密々買取候者於有之は、御吟味之上屹ㇳ
 被仰付筈候、尤御家中御扶持方幷開米之儀は道送を以付
 出候様被仰付候、右送之儀、開米は何村帳本何某仕出、
 御扶持方之方は受主何村何某仕出、右何レも村庄屋連印
 之通帳ニ御代官中印有之筈ニ付、右之送を日當ニ買取候
 様、五ヶ町え及達候事

 

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■「市井雑式草書附録」(6)

2019-02-19 17:59:07 | 史料

        六

 四一 文化十一年
一近御郡之儀、買集置候俵物類、其所々方角村々之作馬を
 以付越、熊本町牽通向々迄付越候付、熊本町馬士共及迷
 惑候由相達候、右は継所/\ニては継替可申筈ニ付、以
 來津端其外所々え付越候商賣荷物は、熊本町ニて夫々継
 替候様、若又無據譯有之候ハヽ、其段人馬會所え相答上
 荷錢差出、人馬會所え印鑑を以牽通候様
一旅人猥ニ在中え入込、俵物等直賣いたし候儀は難成儀候
 間、彌以旅人え直賣不致様
 右之通諸御郡え御達に相成候段、継馬受取別當え及達候
 事

 四二 文政元年五月
一在中不作等ニて民喰難取續見込二付、御代之内を以
 穀類會所え買入二成、在馬二て付取候分、此節御僉議之
 趣有之、上荷錢出方なしニ、熊本驛所付通候儀被差免候、
 尤、御圍籾之儀は公義御備分は諸國一統非常急飢之御備
 として、別段ニ被圍置、御自分方分迚も同様之御主趣を
 以、年々御年貢米之内より籾ニて被引除置、急飢拝領拝
 借等取計ニ相成來候、右之通各別之御備之事ニ付、御圍
 籾代より御出方ニ成候分ニ限、上荷錢出方無之様被仰付
 置候事ニ付、おろしや御手當米或は會所御用錢を以貨殖
 筋ニ買入候分は勿論、悉ク上荷錢出方いたし候筈之段、
 驛馬受込別當え及達候事

 四三 文政元年六月
一御國町在之者共、堂上方之人馬帳等を願受、驛人馬受取
 候儀は難相成候處、相撲取共之内ニは心得違いたし居候
 者も有之様子相聞、不都合ニ付、以來右躰帳面等を以、
 人馬受取候儀は難叶段、町中え及達候事

 四四 文政元年八月 寶暦四年八月、寛政四年七月達
一馬士共一人ニて馬貮疋牽不申様ニとの儀は、兼て及御達
 置候通候處、高橋通之熊本馬士共之内、間ニ貮疋牽越候
 様子ニ付、示置候様馬差え及達候事

 四五 同二年六月
高橋町より石塘磧所上ニ平田船を登せ致積荷候儀ハ難叶      高橋町→五ヶ町の一つ、現・熊本市西区高橋
 段ハ、當四月十七日及達候通候處、右一件御取計之儀ハ      
 高橋町立行之為ニて、既ニ被及御達候上之儀付、今更御
 差留ニ相成候ては下方氣受ニも懸、於御役前も難相濟由、
 委細御内意之通候ヘハ無餘儀事ニも有之候得共、御存念
 通之御取計ニ相成候ては、細工町船屋共生産之妨ニ相成
 候由、右船屋共貸船を以産業ニいたし候儀は數年之致來、
 旁全御存念通之御取計は難叶事ニ有之候得共、前文御内
 意之通ニ付及僉議、磧所せかり居候内、右磧上ニ平田船      せかり=狭かり→「閉まっている」の方言「せかっとる」
 六艘登せ置、高橋町より積登せ候荷物運送いたし候儀は
 勝手次第相心得候様、尤、御用船と唱候儀は難叶、且又
 右六艘之船ニて致不足候分は、今迄之通、細工町船屋共
 致所持候船を借受可申候、右之通被仰付候上は、都て坪
 井川筋・高橋川口迄、通船之仕法不被究置候ては、後年
 煩敷筋可被出來哉も難計候付、以來左之通
一石塘磧所明キ居候節、高橋町より積登せ候荷物、商賣品
 は勿論、御用物・御家中荷物共一切、高橋町之船を以、
 何方迄も積登せ可申事
一右同断之節、熊本より積下候荷物は、御用物・御家中荷
 物共、細工町船屋共船を以本船迄積越、商賣荷物は高橋
 町迄積参か申事
一前條磧所せかり居候節、前文之荷物磧所下は、上下共都
 て高橋町之船を以致運送可申事
[朱書]「文政九年八月細工町船持共之依頼、已後石塘磧せ
 かり居候節、磧上ニ高橋町六艘登せ置候儀難成、磧上ハ
 都て細工町船荷積、磧下ハ都て高橋船荷積と分別被仰
 付、磧明り居候節ハ、文政二年相究居候通ニて被閣段及
 達候趣、四ヶ所町諸達扣高橋町之座ニ有之候事」
一右同断之節、磧所上下り荷物は、細工町船屋共船を以致
 積方、登り荷物は高橋町より積登せ可申、尤手船六艘ニ
 て不足之節は、細工町船屋共より借船いたし可致積方事
一前條之ことく致通船候節、高橋町之物共、細工町船屋共
 も手船及不足候ハヽ、相互双方より致借船、他所之船を
 借り候儀は難叶候事
  但、本行之趣相互致借船候儀ニ付、双方共貸船賃錢之
  儀は熟知ニ申談、不可致高直候事
 右之通被究置、細工町船屋共えも及達候段、高橋町御奉
 行え及達候事

 四六 文政六年十一月
一御蔵御年貢拂之牛馬幷荷付馬等、御花畑裏御門前下道牽
 通、在馬と町馬行逢候節之儀付て、今度在中より願出候
 趣有之、以來町馬は下道川端之方往來いたし、御年貢拂
 之牛馬ハ下道土手之方ニ寄牽通候筈ニ相究候間、行逢候
 節は御年貢拂之牛馬ニ對、強儀之仕形等不仕、川端之方
 往來いたし候様との儀、馬差甚兵衛え及達候様、驛馬受
 込別當え及達候事

 四七 同八年八月
一町馬取扱入念候様との儀、兼々御達之通候處、御蔵米付
 下等之節、口牽共我勝ニ馬を馳せ、往來之妨は勿論怪我
 人も難計、馬之痛ニも可相成候、其上不法ニ馬を打たゝ
 き候者も有之、重キ御役方見及も被致候由、追々示方不
 相用不届之事候、以來右躰之儀有之候ハヽ、名前承糺せ
 其分ニては被指通間敷候條、此段、馬士幷口牽之物共迄
 不洩様人馬會所え呼寄、委敷合點いたし候様可申示旨、
 馬差甚兵衛え致通達候様、驛馬受込別當え書付相添候
 事

 四八 文政九年十一月
一近御郡ニて買集置候俵物類、村々作馬を以熊本町牽通向
 々迄村越候付、馬士共迷惑いたし候付、以来津端其外所
 々え付越候商賣荷物、熊本町は夫々継替候様、若無據譯
 有之候ハヽ、其段人馬會所え相答上荷錢差出、人馬會所
 之印鑑を以牽通候様、先年御達ニ相成居候處、年久敷相
 成候付、間ニは心得違之物も難計、以來彌以右之通相心
 得候様、御郡中一統被及御達候間、人馬會所えも相達候
 様、驛羽化受込別當え及達候事
 

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■S家所蔵の熊本城の瓦

2019-02-19 07:19:40 | 史料

                                   

               ▲金箔が残る桔梗紋瓦

               ▼慶長四年八月の銘がある滴水瓦

                   

 先に「家系研究・山形家」(2)でご紹介した第58号に掲載されている、同家ご子孫が所蔵しておられる熊本城の瓦である。
今般鮮明な写真の提供を受けたのでご紹介する。
上▲は「清正公ご寝所」に葺かれていたとする金箔が残る桔梗紋の瓦である。
専門家の見解によると「伝来の経緯が怪しい」とのご指摘があったそうだが、これは「清正公ご寝所」の瓦であるという事に対する見解ではなかろうか。入母屋屋根の隅棟先端部かと考えたが、厚みがなく形からするとそういった殿舎のものではないように思える。
さてどのようなところに使われたものだろうか、素人判断は止めておこう。
下▼は慶長四年八月の銘がある「滴水瓦」であり、熊本県内でも数点しか存在していないとされる大変貴重なものである。
欠損部分も小さく状態も良くてすばらしい。

 山形家は遡ると「山根」氏・「村」氏と名乗られており、備後から肥後に入国して加藤清正に仕官し、慶長・文禄の役にも出陣しておられる。
加藤家没落後細川家に仕官され山形姓となり、細川家入国後加藤家の「桔梗紋」の瓦が九曜紋の瓦に差し替えられた折、瓦を頂戴して代々保管されたものだと伝えられる。

こういう品物は発掘などの経緯がはっきりしたものでなければ、なかなか真贋を含めて認められない傾向があるようだが如何だろうか。
科学的な調査が行われれば作成時期の特定などは容易にできるだろうと考えるが・・・

写真のご提供に感謝申し上げる。


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■「市井雑式草書附録」(5)

2019-02-18 06:58:18 | 史料

        

 三五 文政元年七月
一熊本市中之者共之内、近年大勢相催大造講會いたし、右      講會頼母子講
 之内ニは貧家之者も有之、當前之難澁を凌候とて、末は
 猶々難澁いたし候様子相聞、不宣事ニ付、此節屹ㇳ被差
 留筈候得共、左候ては講連之内損益不同ニ有之、及迷惑
 候者も可有之候間、是迄取組置候分は無御構被差置候間、
 此以後、右躰之講を企候儀は堅不仕様、若致違背候者も
 有之候ヘハ、御吟味之上其程ニ應し被仰付筋も可有之段、
 町中え及達候事

 三六 同六年四月
一於他御領、金銀之直段高直之聞有之候得は、熊本等より
 下直之金銀を持行、向々之銀札ニ高直ニ賣放、其札ニて
 御國端之産物等を買調、利潤を得候取計いたし候者も有
 之由相聞、他所之銀札、御國え入込候様子ニ候、惣て御
 國預・他所銀札共、御領内々々限通用いたす譯之物ニ候
 處、右躰之手段を以他所札取入候ては、漸々と御國中ニ
 て廣り不相濟事ニ付、以來右様之取計いたし不申様、若
 此以後、右躰之取計いたし候者於相顯は、屹ㇳ被仰付筋
 可有之段、五ヶ所町え及達候事

 三七 文政七年八月
一以前は惣仲間ニて月番を立、金銀包方致來候處、去ル辰
 年より引分り、銘々包方有之段相達、銘々印鑑をも差出
 置候處、此節僉議之趣有之、包方之儀舊復被仰付候間、
 以來は惣仲間ニて月番を立、包方いたし候様、平田彦三・
 友枝善蔵・笠吉蔵え及達候事

 三八 文政七年十一月
竹田表え銀夥敷入込候由、右は熊本町其外姦商共銀持越     竹田豊後岡藩(竹田藩ともいう)
                      ママ(敷・誤植か)
 候由ニて、岡札餘計ニ入込候段相聞候、仍て怪我荷物と     岡札→ 同上・藩札
 見受候分は、在御家人より押取荷明いたし、相改、銀子
 ニ相違無之候得は、商人共押捕候様、御郡代え及御達候
 間、熊本町之者共、右躰之儀無之様及達候事

 三九 文政十三年閏三月天保改元
一迎寶町人數、喜三次七十九歳也扶助基手錢として、貮百目、忰             (ニ六)に関連記事有
 共え被渡下候趣、御救恤筋之部 褒貶之部也 ニ有之候事

 四〇 同年五月
一現錢他所密出被禁候儀ニ付、別紙書付一通差遣候間、町
 役人は不及申、市中末々ニ至迄、達之旨趣能々合點いた
 し、心得違無之様、懇ニ教示行届候様精々申付、人別印
 形申付、來月十日限相達候様、自然教示等閑ニて、不行
 届之儀於相聞は、別當以下丁役人迄、越度之筋ニも可相
 成候條、聊無油断心を用候様ニと、惣月行司え及達、四
 ヶ所町えも及達候事
  御國用上下利便之ため、寛政四年以來、御銀所等之錢
  預通用被仰付置、右融通之助として現錢入用分は相應
  ニ引替被渡下候、現錢被備置候付ては、大造之手數失
  費も有之候得共、一統便宜之ため、大坂御拂米代等よ
  り御取下ニ相成候事候處、現錢暫も御國内ニ留り不申
  様子ニ相聞、自然は姦商躰之仕業ニて、他所え抜出ニ
  ては無之哉、現錢密出之儀は兼て堅被禁置、第一金銀
  同錢を以、唐紅毛人より抜荷致直買候者共は、聊之品
  たり共以後可為死罪旨、公義御觸之趣も有之、御國之
  儀は長崎え近ク、若現錢他所え密出いたし、其末異國
  人之手ニ渡候様之儀も有之候ては、如何成御難題筋差
  起可申哉も難叶、被對公邊え候ても重疊不相濟次第ニ
  付、彌以他所密出を被禁候條、其旨屹ㇳ相心得可申候、
  若旅出不致候て難叶子細も有之節は、其譯筋々申出可
  受差圖候、若御法を犯し密出いたすニおゐてハ、現錢
  は直ニ御取上被仰付筈候條、密出之儀見出聞出次第、
  早速相達可申候、仍て途中船中ニても心を付、密出を
  見出候ハヽ、其錢を押置、最寄之役方え相達候様、尤
  旅人之手ニ渡候分は、旅人え懸合、何方何某より受取
  候哉承糺、受取向明白いたし候ハヽ、旅人えは現錢を
  持せ差通候様、左候て、旅人え相渡候たけ之員數は密
  出いたし候者より、屹ㇳ辨被仰付筈候、惣て密出いた
  し候儀、跡達て相顯候とも、糺明之上其者より密出之
  員數是又辨被仰付候、尤右密出之儀達出候者は別段御
  心付可被下候、たとひ現錢密商・密出之企ニ加り候と
  も、前非を改訴出候節は其咎を免され、同様御心付可
  被下候、此段町中小前/\ニ至迄不洩様早々可被達候
  以上
   五月

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■「市井雑式草書附録」(4)

2019-02-17 07:26:29 | 史料

      四

 二八 文化十一年三月
一支配違之者、猥ニ市中え居住いたし候儀難叶段は、兼て
 及御達置候通ニ付、彌以連々之御達筋堅相守候様、且又
 町人數之ものたり共、他懸貮居住いたし候節は、以來本
 所之丁頭え願出せ、丁頭より其町人數貮相違無之との儀
 向々丁頭え送りを付、双方共委敷遂吟味、紛敷儀無之候
 ハヽ、御國法等屹ㇳ相守、丁役之申付等違背仕間敷との
 儀、其所之丁頭見込次第二請書申付請取置、其上にて引
 移せ、自然心得違之儀も有之候ハヽ生所之丁頭え送り返、
 彌以他支配之者猥ニ居住不致様、町中え達ニおよひ候事

 二九 文化十二年三月
一家屋敷買添いたし又は懸屋敷等買取候者、町並に蔵を建、
 或は屏圍等いたし、竈を潰候ては末々之者住所少相成、
 丁所も不賑ニ成行候事ニ付、其勘辨佳致處、當時猥ニ相
 成候様子ニ付、以來彌以堅令停止候、若無據子細有之懸       無據→よんどころなき
 屋敷等買取候ハヽ、其譯相達、借家にいたし候歟、又は
 見世を出し可申候、且又他支配之面々明内居住之儀表向
 には屋代を差置、町並之番公役等相勤せ申筈に候、空名
 之屋代を立、表向ニ致居住候儀、以來彌以令停止候旨、
 天明八年七月一統及達置候處、近年又々猥ニ相成候様子
 二相聞、心得違之至候條、彌以先年及達置候通堅相心得
 候様、町中え及達候事

 三〇 文化十二年三月
一他支配之者、町並居住は難叶御格に候處、近來ニ至候て
 ハ、在人數之内々ニて入込居候哉ニも相聞不埒之至候、
 右は畢竟、家移借家移等不取之所より、右躰之儀も出        扌偏に乄=
 來歟致哉、依之以來は家移借家移之者は、都て今迄居住
 之面々より、丁頭仕出之送り手形ニ、別當裏印を用、町
 方御横目口印を取、其時々相達候様、且又市中之儀、役
 儀等相勤候者之外は、病死出生之届是迄無之候處、以來
 は村人數ニいたるまで不洩様、其時々丁頭え届出、丁頭
 よりは通帳ニ記、別當え届出候様、左候て右通帳惣月行
 司別當より取揃、毎年正月ニ至相達候様、且役儀等相勤
 候者、産穢幷忌中病死之届を、今迄之通早速/\此方え
 も相達候様、町中え及達候事

 三一 文化十二年四月
一町方ニて米錢借貸之儀、間ニは空躰之取組等いたし、甚
 及難澁候儀も有之段相聞不埒之至候、就中家屋敷書入證
 文ニて現錢借受候分は、全家質之事ニ付、限ニ至聊難
 澁可仕訳無之候處、是又間々不埒之儀有之、御歳許をも
 願出不都合ニ候、依之以來右躰之申談ハ、家賃證文を相
 調、利も六七朱を限五人組共受人ニ相立、丁頭・別當共
 聞届候段、連印を以銀主え可相渡候、然上は不埒於有之
 は、申出次第證文前之通屹ㇳ可申付旨、安永八年三月一
 統及達置候處、近年ニ至心得違之者有之、御格通之證文
 取置不申、返辨不埒ニ相成候節ニ至御裁許願出、不都合
 之至ニ付、彌以先年及達置候通屹ㇳ相心得候様、町中え
 及達候事

 三二 文政三年四月
一御府中町家之孫庇、近年間ニは尺長之庇も有之、町幅狭

 キヶ所/\萬一出火等之節、往來之障ニも可相成哉之様
 子ニ相見候付、以來尺長之庇は懸方不致様、尤各別尺長
 ニて町並不揃之庇も有之候ハヽ、此節取替候様、且亦、
 孫庇は町並外道幅ニ懸候物ニ有之候處、間ニは本宅ニ取
 込作事いたし居候ものも有之由相聞、不都合之事候、此
 節取除可被仰付筈候得とも、有懸りは先其分ニて被差置
 候條、此以後作事之節屹ㇳ取除候様、惣月行司え及達候
 事

 三三 文政四年十月
一負銀不埒之譯ニより分散被仰付候者共、負高仕向相濟候
 上は、後年身上成立候儀も有之候ヘハ、何ヶ度ニても身
 上限取揚、銀主え被渡下儀は勿論之事候得共、間ニハ表
 向借宅之唱ニて、己は安らかに致渡世、銀主々々えは莫
 大之損失を懸ヶ、奸曲を以身抜いたし候儀も有之様子相
 聞不届之至候、以來右躰之者は、其節々被及御達、熊本
 町は不及申、四ヶ所町共ニ裏借家居住は勝手次第、表屋
 ニ致居住候儀は被差構筈候段、寛政四年二月、町中一統
 及御達置候處、近年ニ至、自他之商賣品は餘計ニ取入、
 代錢拂方不埒いたし、身代及分散候躰之者も間々有之様
 子相聞、重疊不届之至候、向後自他共一統銀錢之取遣筋、
 實意を以取計、不埒無之様相心得可申候、自然巧之筋を
 以不簾之取計等仕候者は、御吟味之上屹ㇳ御咎可被仰付
 旨、惣月行司へ及達、四ヶ所町えも及達候事

 三四 安政三丙辰年十二月廿一日
一町家作事之節、横幅之寸尺、軒帳前より餘寸有之候ヶ所
 餘寸丈ヶ殘置、軒帳前通切組、又は軒帳前より寸尺縮居
 候ヶ所、両隣え熟談之上、古家通之尺寸ニ切組候得は、
 子細無之筈之處、近年追々古形解除候跡ニて、両隣之境
 出入之異論差起難相濟事ニ付、向後作事打立候節は、古
 家解除不申以前、町役幷両隣之亭主と大工棟梁を頼ミ、
 横幅古形之寸法を改書記町役え預置、其寸法通切組せ候 
 様、町中不洩様可及達旨、惣月行司え及達候事

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■「市井雑式草書附録」(3)

2019-02-16 05:50:35 | 史料

 一九 文政七年閏八月
一熊本町之者共御賞美筋相達置候者共、如何様共不被仰付
 内御吟味懸り御尋之筋等有之候節々、是迄は届之手數無
 之候得共、御吟味中御賞美被仰付候ては難相濟事ニ付、
 得斗被及御吟味事ニは候得共、以來於町方も御賞美筋相
 達置候者御吟味御尋之筋等有之分は、其節々夫洩様相
 達、御裁許相濟候ハヽ其段も相達候様、選舉方より書付
 相渡候付、八代町奉行へも及達候事

 二〇 同年十二月
一丁頭列家内共影踏御免之者病死いたし、二代目引継之節、
 寸志上ヶ継無之共、影踏御免之一稜は相續被仰付筈ニ相
 究候事

 二一 文政七年十二月
一熊本町人之内、其身迄町並影踏御免之者、父母は影踏被
 成御免旨、及達候事

 二二 同八年五月
一追放者之儀ニ付御刑法方より書付相渡候事
  郡市籍之者追放被仰付候者之儀ニ付、今度僉議之趣有
  之左之通
 一町人數之者追放は是迄無多事儀ニ候得共、追放は尤重
  キ事ニ付、以後共彌以追放願は容易無之様、若不届之
  仕形等有之、支忠難被差置者追放被相願候茂有之候ハ
  ゝ、猶以精々吟味之上、其段委敷書付を以被相達候様
  所拂之儀は同懸り之内ニも居住不支事候得共、御城下
  御構又は里數追放なととハ譯も違候事ニ付、本所ニ難
  被差置者は成たけ所拂之方ニて相濟候様可被相心得候
 一以後追放者差寄生産難相立者えは、渡世為取付其懸り
  之支配錢等之内より相應渡遣、急度産業仕付候様町役
  人等より厚致世話遣、左候て五ヶ年目/\ニ至、生所
  之役人より落着向之役人え懸合、平日行状之様子見聞
  之書付を取被相達候様被及達置、全改心致候と相見候
  者は、其段書付を以被相達候ハヽ、其筋次第歸参をも
  可被仰付候
  右之趣兼て申達置候條、左様可被相心得候、以上
 [付箋]「本文追放被仰付候節は、宰領足輕より各内宅え連
  越可申候間、心得方教諭有之屹ㇳ謹慎を加、行状宜相
  成候ハヽ、追ては御構地入込候ハヽ、不被差通段得斗
  被申聞、才料え可被引渡候、其上落着向へ連越申筈候
  事」

 二三 文政八年三月
一市中之者犯事有之、眉無被仰付、年限満被差返候節、町      眉無→眉毛を剃り落とす事
 會所教諭之儀は是迄相究候通候處、影踏之節御法度書幷
 月々於別當宅教諭書讀聞候節、右差返候者えは別段心得
 方精々教諭いたし、第一産業ニ仕付ヶ様/\之商、又は
 何々を以渡世いたし候と申儀、丁頭より人別打廻承糺、
 左候て徒刑之者根帳一懸限仕立置、内某儀はヶ様/\ニ
 手産業取續、改心之様子相見、又は産業相立候得共病災
 又はヶ様/\之譯ニて難取續、又は産業怠り勝ニ有之候
 間、猶精々致教諭置候趣、一人別ニ委相認、毎年三月中
 右根帳年々用ニ〆相達、左候て此方より之見届印形を受
 取置候様、惣月行司え書付相渡候事

 二四 文政八年十一月
一町家相對取救之儀、數年之稜を集置、追て高積り候所を
 以継目等之申立は難叶旨、御達有之候得共、所柄救せ又
 は至貧之者飢寒を取救候手當として、別當手元ニ米錢等
 差出、又は異類等差遣、其節々此方えも相達置候分は、
 民力強之寸志ニ准、継目二被立下又は拝領物をも可被仰
 付旨ニ付、年數重り高積り候所を以、拙者共より相達申
 筈候間、當冬よりは取救之米銭衣類數等一ㇳ懸限遂吟味
 明細帳を以、十二月中此方え相達候様、左候ハヽ根方ニ
 居へ置、追て取束相達申筈之段、惣月行司え及達候

 二五 十二年八月
一川尻・高瀬・高橋・八代町別當以下町役人等相續願、或
 は御賞美申立等、達込之節々、以來御郡御目付歟御横目
 え見聞被仰付筈之段、達二およひ候事

 二六 文政十三年閏三月天保改元
一迎寶町人數にて、當時新細工町二居候喜三次儀、先月廿
 七日、安國寺川筋え落入候付ては、戸坂村之者共助揚奇
 特之事ニ付、右助揚候者共えは鳥目被下置候、然ニ喜三
 次儀、老耄之躰ニて、右之次第とは相聞候得共、必竟、
 忰八十八、兼々渡世方不心懸ニて、暮方及難澁、八十八
 初家内之者ニ至迄、極老之親いたわり方届兼候所より、
 右之事ニも至候哉ニ相聞、不埒之事ニ付、御吟味之上屹
 ㇳ被仰付筈候得共、此節迄は其分ニ被差置候間、以來屹
 ㇳ渡世方心懸、右躰之儀等無之様、家内ともどもニ老父相
 いたわり、孝養を盡候様、自然此後孝養等閑之聞も有之
 候へハ、其分ニ被差通間敷候間、此旨相心得候様、将又
 御僉議之筋有之、右老人七十九歳也扶助基手錢として、貮百目
 被渡下候間、何そ商賣を以、老人快相育候様、世話いた
 し遣候様、喜三次忰八十八、同人孫喜右衛門、町會所え
 呼出、町方御横目より及教諭せ候事

 二七 天明四年十二月諸達扣高瀬之座
一町人養老米之儀、御郡同様御本方より三俵、支配方より
 貮俵、都合五俵宛、年々被下置段相究候事
  但、四ヶ所町は本文之通候處、熊本町は町方より三俵
  被渡來、御本方よりは無之候處、此節天保十二閏正月町日報御僉議
  之趣有之、以來ハ御本方より貮俵、都合五俵宛被渡下筈
  二相究候事

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■「市井雑式草書附録」(2)

2019-02-15 06:17:15 | 史料

 一二 文政十二年四月
一異國船到來ニ付御人數被差出候節、兵粮米しらけ方御買     しらけ方=精ヶ方 →精白
 上等之儀町方引受ニて、渡邊甚三郎え受込被仰付置、右
 石高年々増減も可有之事ニ付、其節々可及達段申達置候
 通候、然處、以前及達置候日數五日分之石高は白米百四拾
 四石壹斗ニて候處、此節之積前白米百七拾六石貮斗五升
 相當両目え御人數日差出、川尻より乗船之節は日數十日
 分被渡下筈ニ付、先百七拾六石貮斗五升速ニ調達いたし
 残五日分之兵粮米はしらけ出來次第かつ/\西大手ニ運
 送いたし候様、且又御船手御船頭以下之粮米此節之積前
 三百貮拾七石壹斗之内百六拾石壹斗、此分も甚三郎え調
 達被仰付候條、川尻より乗船之段及達候ハヽ、惣高五百
 拾貮石六斗程之目當貮にて精ヶ方御買上等之手賦いたし、
 成たけ速ニ相調引續致運送候様、自然過米有之候共損失
 ニ不相成様、其節之双場を以御買上被仰付筈候、尤以來
 年々右之員數定規ニ被免置候條此旨相心得候様
一兵粮米は御軍備要用第一之品ニ付、到其期不捌ニ有之候
 ては難相濟事ニ付、兼て急場之手捌無油断心を用候様渡
 邊甚三郎え及達候事
[付札]「本行之外、二番手兵粮米日數五日分貮百貮拾石七
  斗、川尻より乗船之節は、日數十日分被指越置候、且
  又御船手粮米三百貮拾五石七斗之内百五拾八石七斗、
  都合六百石壹斗程之目當貮て、精ヶ方御買上等之手賦
  いたし、右之内貮百貮拾石七斗急速ニ調達いたし、其
  餘は可成たけ速ニ相調、引續運送方本文之趣ニ准し、
  以來定規ニ究置、町方引受取計被仰付候條、兼て其覺
  悟有之候様」

 一三 天保十一年八月日報
一諸役人え御召物等重キ御品之御用被仰付候節ハ、若出火
 等非常之節、持除馳付夫最寄之町夫より被召仕段相究候
 事
  但、町内ニ居候諸職人え被仰付候筋迄ニて候事

        

 一四 文化十年十二月
一六月・八月之惣月行司、以來は職人町を省、人別順番ニ
 相勤候様及達候趣、雑之部ニ有之候事

 一五 同十三年十二月
新座能役者共被賞等之儀付て、藝道ニ懸年行司より申立      熊本の能:本座(喜多流)、新座(金春流)
 様之儀、都て藝之熟不熟、出精之厚薄は大夫之手前承合、          新座は藤崎八旛宮に奉仕
 大夫印形を以向後相達候様、尤大夫方より申立候節も年
 行司之存寄承候上、印形を取差出候様、其外之儀共双方
 熟談之上願書相達候様、篤ト加申談置旨、年行司幷大夫
 え及達候事

 一六 文政四年五月
一両社幷代継・小幡社祭禮之節、又は本妙寺え町々より差
 出來候挑灯懸之儀、新規取建は難叶段、毎年及達事ニ候
 處、近年挑灯懸之躰を失ひ、都て座敷作りニいたし、種々
 之物數寄致増長、失墜多キ様子相聞不都合之事ニ付、座敷
 作り躰之挑灯懸ハ都て建方被差留筈候得共、別段を以是
 迄有來候分は其儘被差置候、仍之向後建替之節は、塔作
 り之挑灯懸ニ仕替、挑灯又は懸ヶ行燈等献可申候、欄間
 其外彫物組物金銀箔等用候儀は難叶候、尤其節々前廣ニ
 書付を以間敷等委細達、差圖之上切組等可仕候、成就之上
 は町方御横目被差出見分被仰付、萬一達ニ違候儀有之候
 ヘハ建方被差留候上、所之役人迄屹ㇳ被仰付筋可有之候
 且右之所ニおゐて酒宴等敷儀堅仕間敷段、毎年及達候通
 急度相守候様、将又、當時破損ニて疊置候挑灯懸も再興
 いたし候ハヽ、本文同前前廣ニ相達受差圖候様、惣月行
 司え及達、四ヶ所町えも右之趣及達候事

 一七 文政十年十二月
一中古町懸熨斗屋全五郎儀、來年本座年行司被仰付相勤候      熊本の能:本座(喜多流)、新座(金春流)
 處、此節初めてと申、殊ニ是迄役儀も相勤不申候付てハ、          本座は祇園社に奉仕
 萬端不案内ニ過有之候間、勿論申迄も無之候得共、各を
 初丁頭抔よりも諸事心を付、始末無滞相勤申候様ニ、且
 鳶役之者共も申分ヶ間敷無之様申合せ、諸事各年番勤有
 之候節之通相心得取計候様、間ニは無役之内より相勤候
 ヘハ、心得違之儀も有之儀ニ相聞候得共、年行司は重キ
 御用相勤候付、何之役儀有無ニ拘り可申様も無之、懸り内
 より相勤候節は都て助合不申候ては難相成事ニ付、夫等
 之處も委ク申付置候様、中古町別當えは及内意候事
[付箋]「本座より前廉惣銀所へ御神事米貮百石、御勘定所
  え銀子四貫五百目差上置、年々一割宛之利米銀被渡下、
  祇園御神事相勤來候由、右之利分當暮より半分相渡り
  申筈候へとも、諸入目等差支難儀仕候間、例之通一同
  貮被渡下候様ニと年行司より書付差出候由ニて、先刻
  被差越候願之通被仰付候付、其段御勘定所へ致沙汰置
  候間、左様御心得可有之候、以上       
   寶永二年
         十二月廿ニ日    奉行所
         御町奉行衆中」
[付箋の付箋]「此書付は機密間御記録方より見出ししらせ二相
      成候ニ付、此處ニ入置候事 機密間詰安田市助也

         弘化三年午正月」

 一八 文政十二年十二月
一新座両御神事御能番組究之儀付て、當七月年行司より伺
 出之趣有之、皆共より及差圖置候通候、彌以仕來之通年
 番宅ニおゐて大夫主ニ成、年行司申談相究、左候て大夫
 は是迄仕來之通、翌日中村庄右衛門え相伺候上、治定之      中村庄右衛門→中村庄右衛門家(現・金春流肥後中村家)6代
 趣例之趣を以相達候様、惣年番中は不及申役者共えも不          名は正彝、食禄百五十石、郡代、郡目附、勘定目附奉行職などを勤む。
 洩様通達いたし候様、新座年行司幷大夫右陳え及達候事          曾て諸郡の郡代となり、水利通渠、新墾、築堤、植林などに力を盡し其功績大なり。      
                                右陳→桜間右陳


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■「度支彙凾 文政六より十迄 法令條諭・二十」(16‐了)

2019-02-13 06:47:51 | 史料

 一〇二六
    覺
一衣類御制度之儀付ては被仰出之趣等追々及達、且文政二
 年被改候稜々をも及達置候通候處、近比一統猥相成、別
 て輕重之内ニハ心得違之者も有之哉ニ相聞候間、彌以御
 制度を堅相守候様、組支配方えも可被申聞候、尤火廻御
 物頭へも改方之儀猶及達候條、以來心得違之儀等無之様
 頭々よりも常々可被附心候、以上
  八月九日

 一〇二七
    覺
一御家中子弟心得方之儀付ては、火仰出之趣等追々及達候
 通ニ候處、間二は右達之趣致相違居候儀も有之哉ニ相聞
 候條、前條達之趣堅相守候様、彌以父兄等より無油断可
 加教諭候
一輕輩陪臣之者、士席以上ニ對し、不敬ヶ間敷無之様との
 儀付ては、寛政十二年及達候通候處、不敬之者も間々有
 之様子ニ相聞、心得違之至候條、彌以及達置候通堅相守
 加申旨、組支配頭・主人/\猶可被附心候
 右之通組支配方へも可被達候、以上
  八月九日
 右御奉行中より添紙面を以八月十一日御達

 一〇二八
一當月六日、太守様御婚禮御首尾好被遊御整、奉恐悦候、              文政10年11月6日、 細川齊護‐益姫・婚礼 
 依之益姫様御事、御前様と奉稱候、此段觸支配方えも可
 被達候、以上
  十一月廿三日         奉行所
一右之御歡、御物頭列以上太守様・少将様え便状、御郡代
 以下御知行取・御中小姓、御家老廻之御達、同日御奉行
 中より御達

 一〇二九
一盗賊之占を被頼、猥ニ名頭を指候所より、無辨之者は無
 謂不審をかけ拷問・打擲等いたし、其末御咎等被仰付候
 者も致出來、根元は占者之一言より御難題筋ニも至候事
 ニ付、向後人差は勿論名頭等指候儀、惣て盗賊之占一切
 仕間敷候、若此以後違背之者も於有之は屹ㇳ御咎被仰付
 筈ニ付、末々至迄不洩様可被申付置旨御用番被申聞候條、
 左様被相心得、此段觸支配方へも可有御座候、以上
  十二月七日

 一〇三〇
一御婚禮被遊御整候御禮、先月十五日御名代細川邦勝殿御
 登城御禮被仰上候、御到來ニ付、御物頭列以上太守様、
 少将様え便状、御郡代以下御中小姓御家老廻候段、十二
 月十五日御達

 一〇三一
一服部太門願之通御役御免之御達、十二月七日
杉浦仁一郎御奉行本役被仰付候段、十二月廿一日御達       
■杉浦仁一郎奉行となる
一唐物抜荷密賣、煮海鼠・干鮑・昆布等類、都て右様之代
 物を以直賣いたし候者可為死罪旨、寛政二年長崎市中御
 觸有之、猶又委御觸之趣、公義御觸十二月廿五日御達
一年頭門々ニ有之候飾縄、若年之者共剪取候儀有之、小兒
 /\之致方とハ乍申於名目筋悪敷事ニ付、卑賎之者の子
 供たり共堅不仕様との儀、追々御觸有之候處、相弛候ニ
 付猶十二月廿五日御達
一御家中手取米御積合次第年々増減被仰付段、先年御達ニ
 相成、今以御出納之幅引合兼、其上臨時之御物入も有之
 候得共、御差繰を以當年も去年通被仰付旨、十二月四日
 御達
一今度於江戸御城姫君様御誕生、御名泰姫君様と奉稱旨、      泰姫→徳川家斉27女、鳥取藩第9代藩主・池田斉訓の正室
 十二月十一日御達

 一〇三二                                      タカマサ
細川樂眞老正月十五日死去二付、今日一日御穏便之段、      細川樂眞→宇土細川家・孝應 細川立政(齊茲)次弟、齊茲本家相続に伴い
 二月十一日御達                             嫡男・立之成人まで後見役を勤む
一橋儀同様二月廿日薨去二付、日數十四日御穏便之段、      一橋儀同→一橋准大臣→徳川 治済 (細川齊樹室の実父)
 三月五日御達
德川式部卿様六月十日御逝去二付、日數五日御穏便之段、     德川式部卿→将軍家斉11男・従三位 左中将 式部卿 御三卿清水家家当主・徳川斉明     
 六月晦日御達

           (了)

 以上をもちまして「度支彙凾」(834頁)の全てを完了いたしました。「藩法集7・熊本藩」の進捗率は92%に至りました。
 以降、「市井雑色草書附録」(57頁)、「御刑法方定式」(17頁)をご紹介いたします。

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■「度支彙凾 文政六より十迄 法令條諭・二十」(15)

2019-02-12 07:04:46 | 史料

 一〇二一                文政十年
濱町様、以來少将様と可奉稱旨被仰出候段、五月廿九日      細川齊茲隠居後左京太夫、呼称・濱町様→少将様
 御達
一少将様五月十一日江府御着之段、六月廿一日御達
一先月十八日御参府之御禮以御使者御献上物被為濟候二
 付、御物頭列已上御両殿様え御歡申上候段、六月廿一日
 御達
一益姫様當月九日御引越に付、右同断御郡代以下御中小姓
 已上御家老廻之儀御達、右付て一統御達六月廿七日・廿
 八日

 一〇二二
    覺
一御先祖様以來御代々之儀、御家譜ニ古六有之事ニ候得共、
 尚追々増補被仰付候ニ付、御家中先祖付二書出被置候外、
 若御武功其外之儀共舊記等ハ不及申、承及之儀も候ハヽ
 何等之事ニても書付被差出候様、明和八年及達、其節夫
 々被相達候、然處猶又御用ニ相成候儀有之候間、慶安二
 年以前之儀は御庶子様方より拝領物或は御書付等被下置
 候儀も有之候ハヽ、其趣頭々承届追て其段可被相達候、
 此段觸支配方えも可被達候、以上
 右七月十一日御奉行中添紙面を以御達

 一〇二三
溝口蔵人殿依願御役御免、御留守居大頭同列被仰付、      溝口蔵人→溝口家6代・品方 文政11年7月22日死去・56歳
 九郎太郎殿御中老被仰付旨、八月九日御達            郡九郎太郎→郡家6代・眞紹

 一〇二四
一輕輩幷陪臣中小姓以下日傘相用候儀は不相成候處、文政
 三年僉議之趣有之、諸役人段以上陪臣中小姓澁張ニ限り
 日傘被差免段及達置候處、近比猥ニ相成、足輕以下之内
 日傘相用、且諸役人段以上ニも澁張外之日傘相用候儀も
 有之哉ニ付、彌以及達置候通堅相心得候様可及達旨候條、
 左様御心得、此段觸支配方へも可有御達候、以上
  八月九日           御奉行中

 一〇二五
一御家中増奉公人近來出柄無多事、割渡抱方共何十之様子
 ニ付、來一ヶ年為試左之通
 一新規望之面々は毎之通望差出達有之候様
 一柄代錢望之面々えは代錢ニて百五拾目宛被渡下候間、
  右望差出ニ其趣認印鑑添達有之候様、依之抱方等之儀
  は相對申談ニて、いか様とも勝手次第之事ニ候
 一父子同居ニて増奉公人被渡下面々、現柄望ニは現柄被
  渡下、代錢望ニは一人分百目被渡下候間、代錢望之分
  ハ右望差出、父子同居之段但書を以達有之候様
 一遂年奉公人共風儀不宜、主人々々迷惑ニ成候儀間々有
  之哉ニ相聞候間、奉公人共心得方之儀此節御郡代へ及
  達候間、主人/\於手元も諸事嚴重ニ被相心得、増奉
  公地居共被召抱候ハヽ、早速村方へ遣受人相立、庄屋
  裏書之受状圭角ニ被取置候様、於在中は受状之節々庄
  屋/\より奉公向之心得方屹ㇳ申付、請状相渡筈候、
  若又勝手儘之勤方いたし不埒之儀有之節ハ、其手永々
  々御惣庄屋及懸合、急埒不致候ハヽ其懸之御郡代へ被
  及懸合候様、左候ヘハ其次第遂吟味急度埒明可申候、
  則別紙受状案相添候、右之通一統可及達旨候條左様御
  心得、此段觸支配へも可有御達候、以上
   十月十五日         御奉行中

    仕上御請状之事
 一此何某儀、生所何郡何手永何村之者紛無御座候、何年
  何月より來二月迄之御極ニて御屋敷様え御奉公申上
  候、為御給銀御定之通被渡下慥ニ受取申候、然上は御
  奉公手全勤上可申候、若不所存之儀有之御咎被仰付御
  暇被下候ハヽ、被渡下候御給銀ニ一割加利足三日之内
  返納可仕候、尤病気又は無餘儀譯を以手前より御暇奉
  願候ハヽ、月割・日割を以被渡下候御給銀返納仕、跡
  柄相立御暇か申受候
 一御侍中様は勿論、帯刀之御方々様へ對し、慮外ヶ間敷
  儀、聊無之様相心得候様との儀奉得其意候
 一御法度堅相守、御奉公向諸事念を入、身勝手之勤方仕
  間敷、勿論喧嘩口論不仕於何方も理不盡之振廻等無之
  様相慎、若取逃缺落等仕候ハヽ、被渡置候御給銀は悉
  皆請人共手前より相辨、取逃之品々も被仰付次第、受
  人手前より急度相辨か申候
 一此何某儀切支丹宗門轉類族ニても無御座候、従前々何
  宗ニて何手永何村何寺旦那紛無御座候、則旦那坊主之
  裏書判形取之差上申候
  右之通堅相守、御奉公手全勤上可申候、村庄屋裏書判
  形取之差上申候、右之者相勤居申候内、何ヶ年ニても
  私共受人相立可申候、為後日御受状仕處如件
   何年何月      何郡何手永何村 何 某 印
             同郡同村受人  何 某 印
             右同断     何 某 印
    何之何某様御内
        何之何某殿
  表書之何某儀生所私村之者紛無御座候、何方よりも出
  入構等無御座候、表書御受状之通相違無御座候ニ付、
  裏書判形仕上申處如件
                同村庄屋
    何ノ何月             何 某 印
  表書之何村何某儀、従前々何宗ニて當寺旦那紛無御座
  候、為其裏書判形仕處如件
               何郡何手永何村
                     何 寺 印

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■「度支彙凾 文政六より十迄 法令條諭・二十」(14)

2019-02-11 07:46:17 | 史料

 一〇一四
一豊後路宿駅取計筋多年及難澁、是迄之通難被行願之趣有
 之、今度取締被仰付、別紙寫之通及達候間、右之趣一統
 知せ置可申旨候條左様御心得、支配方有之面々可被相知
 せ候
  二月九日           御奉行中

    覺
 一荷物之貫目嚴重相改、御定法之通相心得可申事
   但、大津・野津原・鶴崎えは此節斤量相渡置候
 一半馬之差紙を以乗下ニいたし候儀ハ難叶候、尤自然申
  談ニよつて乗下ニいたし候ハヽ輕尻之賃錢受取可申事
   但、私用付て輕尻之賃錢壹里四拾貮文宛、飽田・託
   麻ハ六拾三文宛
 一駕幷案駄兒夫四人宛差出可申儀は先年一統及達置候通      案駄安駄
  ニ付、彌以其通相心得可申事

 一御用ニ付往來之輩、飯米雑事是迄之通、尤以來代錢を
  以受取可申事
 一江戸・京・大坂上下共旅籠泊之輩。宿々ニ旅籠之錢高
  張出置可申事
 [付紙]「本行旅籠之儀野津原ハ是迄之通候事」
 一湯治往來之人馬賃錢壹里四拾八文宛受取可申候、尤人
  馬差紙渡方難成身分之者、自然外之名前を偽罷出候儀
  有之、不審ニ相見候ハヽ其所ニ留置、急速相達可申候、
  若等閑ニいたし置、脇より於顯來は駅所之役人可為越
  度事
 一御用物差越候節、才料之者より明松相望候共、継之譯
  迄及暮候程之刻限ニ無之候ハヽ相渡申間敷候、右ニ付
  若煩敷申分等いたし候ハヽ早速相達可申事
 一江戸・大坂等より罷下候輩、人馬望次第相渡來候處、
  以來左之通
   半馬貮疋迄    歩御使番以下
   同壹疋宛     足輕以下
  右之通相渡、右格外ニ望候ハヽ、享和三年究置通賃錢
  受取可申事
   但、案駄兒夫は是迄之通ニ候
  右は今度豊後路宿驛格別取締被仰付候に付、御領内之
  輩往來人馬宿等右之趣を以堅取計候様、此段驛々へ可
  被相達候事
   亥正月           御郡方御奉行中

 一〇一五
一道中慎方之儀は兼て被仰付置候通ニ付、御供之節は猶以
 厚可謹慎候様無之候ては、品ニより御外聞ニも拘難相濟
 候處、近年心得方不宜惰弱之振廻等之族も間々有之たる
 様子ニ相聞、不都合之次第候條、以來屹ㇳ可謹慎候様、
 若向後慎方不宜儀有之候ハヽ、其筋次第御吟味之上被仰
 付筋も可有之旨御用番被申聞候間、左様被相心得、觸支
 配方へも可有御達候、以上
  三月九日           御奉行中

 一〇一六
一御知行取・御擬作取・御扶持方當八月以後は先是迄之通
 りニ受取方不苦候、此段可及達旨候條、左様可被相心得
 候、以上
  三月九日           御奉行中

 一〇一七
一濱町様御發駕御前日、御物頭列以上麻上下着御花畑え罷
 出、御機嫌伺、且小倉路御通行御目見場所之儀は、二ノ
 丸御屋形より御發駕ニ付、杭木場所納兼候ニ付、是迄之
 杭木次第之通を以向々追繰打方ニ相成筈ニ付、左候へは
 御府中打方相殘候分は、新出京町構外より向々打方相成
 筈之段、御小姓頭より申來候旨御達、三月十二日

 一〇一八
    覺
一火廻御物頭廻勤之節、往來之者都中ニ片寄、行列之妨ニ
 不相成、不都合之儀等無之様相心得可申儀は勿論之事候
 處、夜中廻勤之節抔帯刀之族行列之妨ニ相成候儀、間ニ
 は有之哉ニ相聞候、以來右躰之儀有之節は、一應制方致
 候ても聞入不申候ハヽ姓名承届相達候様、若難閣時宜ニ
 も至候ハヽ不及異儀押捕候様、右御物頭え達ニ及候條、
 前文之趣家來/\支配浪人等えも不洩様被申聞置候様、
 勿論御侍之子弟等右躰振捌可有之様も無之候得共、萬々
 一心得違之族有之候得は其場ニ臨候ては用捨難相成儀ニ
 付、此段も可及達旨御用番被申聞候條、左様可被相心得
 候
 右添紙面を以御奉行中より四月廿三日御達

 一〇一九
一太守様四月十九日江府御着座之段、五月十一日御達

 一〇二〇
    覺
一於寺院佛事法會等之砌、帯刀之面々於境内不法を働、且
 途中にて僧徒を毀辱嘲弄いたし、或は寺内にて不法之遊
 戯および堂宇之瓦ニ石を投、又は檀家之石碑・樹木抔損
 候儀も間々有之様子ニ相聞、有間敷事ニ付、以來右躰之
 儀無之様、尤向後心得違之族も有之候ハヽ、僧分相當之
 場を以隠ニ相制シ、不相用候ハヽ姓名承届其父兄抔え相
 答、猶相用不申候ハヽ寺社御奉行所え相達候様及達候、
 右之趣可及達旨御用番被申聞候、以上
 右添紙面を以觸支配方えも相達候様、五月廿二日御達

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■「度支彙凾 文政六より十迄 法令條諭・二十」(13)

2019-02-10 07:39:47 | 史料

 一〇〇七
土井大炊頭様え御両敬被仰合、御名前左之通           土井大炊頭下総古河藩主。土井家宗家11代土井利位
  大炊頭様 御奥様 御養女御亮(サエ)様              細川齊護の生母栄昌院は利位の養父・利厚女である。(義兄妹になる)
   右之通ニ付、御家中え知せ置可申旨御用番被申聞候條、       齊護からすると義伯父である。その為の両敬の取り扱いとなったと思われる。
 左様御心得、已下例文
  十月廿七日          御奉行中       
                                                                                                                                 
 一〇〇八
一來ル廿八日有隣院様三十三囘御忌妙解寺御法事、奉行所                   有隣院細川重賢室・由婦 久我右大臣通兄

 御達十一月十六日
一來正月十日瑶臺院様二十五囘御忌、十二月九日より十日                   瑶臺院細川治年室・埴 宇土藩主・細川興文
 朝迄妙解寺取越御法事ニ付右同断、十二月四日御達
一太守様・濱町様思召之旨被為在赦被仰出候、依之當十一
 月廿九日迄之内顯居候犯罪之者御赦宥被仰付候、右ニ付
 一書幷別紙共文政六年正月廿九日達之通、十二月四日達
一御参勤御時分伺御使者横井岳之助之段、十二月十五日       横井岳之助→横井熊八 御使番・御中老支配 三百五十石
 御奉行達                                  文政十一年三月~文政十三年七月 高瀬町奉行・後三拾挺副頭
一濱町様御歸府中國路被遊候段、十二月十七日御達

 一〇〇九
一耇姫様御病氣之處、御養生無御叶今暁被成御逝去、奉絶
 言語候、依之諸事穏便可被相心得候、此段觸支配方へも
 可被達候、以上
  十二月廿四日           奉行所
一右御穏便正月四日迄ニて五日よりは穏便不及旨、十二月
 廿八日御達
                                                                                                            耇姫様・二の丸館にて卒去 三歳十ヶ月
                                
                                見つけた・・・・・
                                ・日本風俗史学会の「風俗-第32巻第2号」届く
                                ・耇姫様の「耇」の文字
                                ・「梅の薫」耇姫様の事 (一)
                                ・「梅の薫」耇姫様の事 (ニ)
                                ・「梅の薫」耇姫様の事 (三)
                                ・「梅の薫」耇姫様の事 (四)
                                ・「梅の薫」耇姫様の事 (五・了)
                                ・耇姫様の事・付けたし                                    
   


 一〇一〇
一年頭門松之儀正月五日御建方相成、六日迄被建置段正月
 三日御達
一御家中御禮六日・九日・十一日御受、不参ハ十八日御受、
 御謡初は十三日之晩被仰付、武功之家柄鏡餅頂戴十九
 日・廿日被仰付候事
一左義長之儀正月廿日はやし有之候様、正月七日達
一御登城御奉行所御入等十三日被仰付段、御奉行達

 一〇一一
一借財利足之儀は大躰世間之通用有之義候處、近來間ニは
 不當之高利を取、一ヶ年之内ニて度々算用之限ヲ立、餘
 計之利潤を貪取候族も有之哉ニ相聞、所柄衰微風俗之害
 ニも相成候儀不届之至候、依之向後右躰不當之利を取、
 又は過酷之取立、都て無法之貸方等いたし候族於有之
 は、勤三の上屹ㇳ被仰付筋有之筈候、尤心得方宜相當之
 筋を以取遣いたし候者は、所柄之寫ニも相成殊候處、其
 辨も無之、返辨不埒押移銀主及迷惑候筋も可有之哉、是
 等は借受候者共不心得之至ニ付、向後左様之儀無之様是
 又屹ㇳ相心得可申候、右之趣町在一統可及達旨候様、此
 段御支配方えも可被相達置候、以上
  文政九年戌十二月廿八日    御奉行中

 一〇一二
 文政十年正月十八日御達
一舊臘十四日依召御名代細川邦勝殿登城之處、太守様え      細川邦勝→ 人物の特定が出来ないでいる
 平安藝守様御息女益姫様御縁組御願之通被仰出候段御達      松平安藝守→浅野 斉賢 安芸広島藩の第8代藩主。浅野家宗家9代。
一右付て御物頭以下御中小姓以上麻上下着、廿一日・廿三         益姫→ 同上・女 23歳 (顕光院)
 日両日之内御花畑え出懸出仕御歡謁之御達

                                    顕光院

 一〇一三
一當年御参勤、來月廿九日五半時之御供揃二て御發駕被遊
 候段、正月廿三日御達
一諦觀院様來ル十二日御一周忌御法會十一日・十二日於泰
 勝寺御執行二付、火用心等参拝等之儀如例御達
一來ル廿一日御登城、夫より御奉行所え被遊御入候に付、
 御目見場所等之儀例之通御達、二月十六日
一御發駕之節豊後路御通行、御目見場所等之儀、二月十五
 日御達
一御發駕即日組ニ不入御中小姓以上廻り方之儀、御家督後
 初て後参勤ニ付、麻上下着之段、二月廿一日御達
一此度御見立ニ罷出候面々、此節は麻上下着之段、二月十
 七日御達
一來ル廿九日之御發駕三月四日被仰出候段、二月廿四日御
 達
一濱町様來ル十五日被遊御發駕旨被仰出候段、三月朔日御
 達

 

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