津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「新・細川家侍帳」更新中

2005-09-28 23:02:21 | 徒然
「細川家家臣略歴」に見受けられない個人名は、原則としてUPしていなかったのだけれど、この度すべてを載せることにした。・・・のはいいが、数があるある。
すでに100人以上を新たにUPしたが、残り6~700はあるのではないか。
さて、終わるのは何時になるのか・・・遅々として進まない。
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最近の熊日新聞「言葉のゆりかご」から

2005-09-27 07:04:19 | 新聞
【その1】
加藤清正に仕えた飯田覚兵衛、加藤家改易後は京都に浪居、寛永九年(1632)九月十八日死去。(2005/9/21)

藤崎八旙宮の例大祭(随兵祭)、かっては馬追いの掛け声から「ボシタ祭り」と言っていた。清正が朝鮮を「滅ぼした」ことを語源として「ボシタ、ボシタ」と囃したてたとされてきたが、いつの間にかうやむやにされてしまった・・・証拠があった。
【その2】
明治二十六年九月二十三日、熊本にあった小泉八雲は「『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです」と、友人に書き送っている。(2005/9/23)

  

  
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旧加藤家臣

2005-09-24 12:09:21 | 熊本
 ある方から、旧加藤家(清正・忠広)家臣が何人くらい細川家家臣になっているだろうかとのお尋ねをいただいた。40人くらいは確認しているが、昨日の細川家家臣先祖附の閲覧を通して、相当数になることを実感した。あと100人くらいは確認できるような気がする。
一時期細川を離れ、加藤家にいた志水宗加、元五(日下部与助)の親子が帰参、元五が旧加藤家家臣の細川家仕官に尽力したと伝えられている。その働きは顕著のようだ。
また、そのリストを作る必要に迫られそうだ。でも1000家の先祖附を確認する必要がある。・・・・・・・・・・・疲れる・・・。
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蒙古襲来絵詞

2005-09-24 07:50:24 | 徒然
 一昨日仕事の関係で、旧松橋町(宇城市)竹崎の区長をお尋ねした。
お隣が「竹崎季長生誕の地」とある。度々来ることもできないので、ちょっと離れた竹崎城跡も見学。この場所から、海東が広がっている。鎌倉まで出かけて得た領地なのだと思うと、いろんな意味でぐっとくる。甲佐大名神に収められたこの「絵詞」は、縁有って天草大矢野氏が所蔵することになる。祖・大矢野十郎親子も「絵詞」に登場している。
明治23年旧肥後藩士大矢野家から、皇室に献上され「御物」となった。竹崎氏は絶えたというが、肥後の一介の御家人が残した遺産は、燦然と輝いている。

 昨日、図書館でしばし「蒙古襲来絵詞」を拝見した。
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1日1500円×約40日・・・約一年

2005-09-23 15:22:13 | 徒然
 いつもお世話になっている、熊本県立図書館の永青文庫の「先祖附」を、各家の冒頭部分のみをコピーしようと思い立った。ちなみに今日は「し」の48家の内の32家分をコピーした。1時間ばかりの作業だが、必要な部分を確認しながらの事だから、いささか疲れてしまった。原本は60冊だが複写本(コピー)は、どうやら2割方ほど多いのではないか。今日くらいの作業量だと40日くらい懸かりそうだ。今日はコピー代約1500円、総額6万円で手許に置ける計算になる。週一の作業で・・・1年はかからないなー。

 各家の出自に関する部分で、改めて眺めてみると下手な本より数段面白い。
わがサイトの侍帳にぜひ反映させたいと思う。
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刑部家

2005-09-15 11:48:09 | 歴史
 於豊前小倉御侍帳(妙解院忠利公御代・於豊前小倉御侍帳并軽輩末々共ニ)に、次のような書き込みがある。「興孝公 御子孫今御国一門ニ而長岡之称号也、但御嫡男興之公御早世ニヨツテ断絶、御二男御取立興知公ヨリ新知一万石ニ而長岡之称号(御)国一門也、已前ハ御連枝様ニ而細川之御称号也」

 つまり、二代興之の早世により御連枝細川刑部家は断絶の取り扱いとなり、弟興知が相続の後は一門としての扱いとなり長岡姓としたとしている。
四代興章は二代興之の子なのだが・・・厳しい・・・
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鵜の真似

2005-09-14 16:10:25 | 書籍・読書
 豊前小倉藩士・小島禮重があらわした見聞書のようなものだが、昭和39年9月「豊前叢書」として発行された。最近古書センターから購入。なかなか面白い。
細川家に関することも見受けられるし、赤穂義士に関する風聞等も記されている。
禮重は無眼流剣術目録・甲州流兵学免許皆伝という人物だが、「御記録役」など勤めたらしく、情報を手に入れやすかったのかもしれない。評価「☆☆☆☆☆」
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やったぜ・・・・

2005-09-11 20:56:39 | 熊本
 大相撲初日、わが熊本出身の普天王、見事横綱朝翔龍を寄り切って勝った。
ようやく髷も結えて、本物だよ・・・久し振りの強い郷土力士でうれしいなー。

 不動裕里、女子オープン優勝
 内柴、世界柔道・銀(残念・・・・・) 熊本出身それぞれ大活躍。

※自民党の勝ちようは何だ 小泉さん曰く「やったぜ」・・か (9/12AM7:56追記)
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古市宗理

2005-09-09 09:28:13 | 歴史
 豊前小倉藩の茶道頭を勤めた古市宗理という人がいたそうだが、肥後熊本藩の
茶頭古市家とは関係ないのだろうか。
古市宗理は足利義昭に仕えた古市播磨守の後胤らしい。
熊本の古市家の初代宗庵は、京都の横川理庵の子とされているから・・違うか?
熊本古市家の歴代は皆「宗〇」と名乗っているのだが。
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台風一過

2005-09-07 08:07:34 | 徒然
「カトリーナ」以上と言われた台風14号は、各地に甚大な被害をもたらしたが、幸い熊本市内は目立った被害も無く通過していった。
平成3年(1991)、平成11(1999)、平成14年(2004)と、熊本は大きな被害に見舞われた。
今回はそれなりの事前対策で待ち受けたが、何事も無くほっと胸をなでおろした。
被災された方々には心からお見舞い申し上げる。

 熊本は藤崎八旛宮の例大祭(9月18日・ぼした祭or随兵祭)を迎えるが、この時期に急に涼しさが増してくる。随兵がんや(寒合)と呼ばれている。
後数日の残暑のなか行き交う選挙カーの喧騒と、随兵祭りの馬追いの賑わいの中、台風一過の熊本は秋の気配が濃厚になって行く。
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出たー

2005-09-01 12:12:52 | 徒然
 羽曳野市の庭鳥塚古墳から、「三角縁四神四獣鏡」が出たことをメディアが一斉に報じている。     TVの方は見逃してしまった、残念・・・・
またまた「卑弥呼」論争が再燃することになるのだろうが、大変興味深い。
近世史も面白いが、古代史も夢があっていいよなー。
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