津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■正立寺と清高院殿

2015-05-26 09:04:11 | 熊本

 横手の筒口にある正立寺は池上本門寺の末寺である。肥後国誌には次のようにある。
法華武州池上本門寺末寺 寛文二年常照院日輪上人開基之寺地三反三畝 元禄十四年ヨリ免許之寺中三十番神七面堂大黒天堂アリ

 藩法研究会発行の「藩法集7 熊本藩」(昭和41年3月第一刷)に面白い記事を見つけた。
高麗門外筒口正立寺屋敷三反壹畝拾五歩、御年貢上納仕候を、江戸池上本門寺末寺ニテ彼方上人より、清高院様え依願上納御免被成候事

 三反壹畝拾五歩に対する年貢が如何ほどのものであるのか承知しないが、正立寺としては出来るものならこれを逃れたいと思ったのであろう、本山の池上本門寺に頼み込んでいる。上の記事は何時頃のものか日時が良くわからないが、前後の記事から元禄八年以降、宝永四年の間の事である。
清高院とは細川綱利の生母で、宝永七年に九十二歳で亡くなり池上本門寺に埋葬された。
正立寺は清高院と池上本門寺の関係を承知のうえで、相談を持ちかけたことは想像できる。
まさに作戦は的中し、正高院様のお声懸りとでもいうことで一件落着したのであろう。御威光恐るべしである。

清高院は光尚公の側室で綱利と、弟で新田藩主で細川利重の生母である。綱利はその母亡きあと素晴らしい墓所を本門寺内に建立している。
歴代藩主の何方のお墓よりも際立っているように思える。贅沢を極めた母への綱利公の最後の贈り物となった。
このお墓は解体発掘されて調査が行われ、2002年坂詰秀一編 の『近世大名家墓所の調査 - 圓光院殿日仙榮壽大姉墓所、清高院殿妙秀日圓大姉墓所、高正院殿妙泉日流大姉墓所』なる調査報告書が作られた。高正院とは細川宜紀公の生母(利重公側室)である。

  

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2 コメント

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一言 ご連絡を! (三永 正太郎)
2024-05-11 09:26:04
ご連絡いたします。
私は「がらくた置き場 by s_minaga」というサイトを運用しているものです。
 
 先日、池上本門寺の墓地中の「肥後細川家・清高院殿宝塔」を整理していて、ブログ:津々堂のたわごと日録>正立寺と清高院殿のページ を発見いたしました。
 ※拙・池上本門寺墓所:https://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/edo2.htm#honmonji_boso
古記録も参照され、清高院と池上との関係を見事に表現されていたことに感服致しました。
 で、記事に省略する事項が全くありませんでしたので、拙ページ「高麗門正立寺」に「丸ごと」転載させていただきました。
 ※拙ページ「高麗門正立寺」:https://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/n_higo_honmyoji.htm#koraikon_syoryuji

 ほんとうに一方的で、かつ礼儀知らずの所業ですので、コメント欄に投稿させていただき、一言、お礼とお詫びとお断りを致す所存です。
ありがとうございました。
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一言 ご連絡を! (三永 正太郎)
2024-05-11 09:26:34
ご連絡いたします。
私は「がらくた置き場 by s_minaga」というサイトを運用しているものです。
 
 先日、池上本門寺の墓地中の「肥後細川家・清高院殿宝塔」を整理していて、ブログ:津々堂のたわごと日録>正立寺と清高院殿のページ を発見いたしました。
 ※拙・池上本門寺墓所:https://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/edo2.htm#honmonji_boso
古記録も参照され、清高院と池上との関係を見事に表現されていたことに感服致しました。
 で、記事に省略する事項が全くありませんでしたので、拙ページ「高麗門正立寺」に「丸ごと」転載させていただきました。
 ※拙ページ「高麗門正立寺」:https://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/n_higo_honmyoji.htm#koraikon_syoryuji

 ほんとうに一方的で、かつ礼儀知らずの所業ですので、コメント欄に投稿させていただき、一言、お礼とお詫びとお断りを致す所存です。
ありがとうございました。
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