津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■年末のご挨拶

2020-12-31 07:33:20 | 徒然

                               

    毎年暮れに購入する使い慣れたダイアリーが店頭になく、残念な年末となりました。
机の廻りや床の上は、相変わらず資料の山と本棚に戻されないままの本が山づみで、このまま年越しになりそうですが、少々動かして掃除だけはしなければなりません。

昨日から熊本も寒波に見舞われ雪模様になり、家々の屋根は真っ白な大晦日になりました。
体力が落ちてきたことは痛感させられた一年でしたが、365日皆勤とはいきませんでしたが朝散歩も続けられました。
コロナで明け暮れた閉塞感の中、どうやら元気に一年を過ごすことができたことに、自分自身に表彰状です。
皆様は如何だったでしょうか。お元気でよいお年をお迎えくださいませ。今年一年も大変お世話に相成、有難うございました。

                            令和二年・大晦日
                              サイト・肥後細川藩拾遺 主宰 津々堂 敬白 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(446)寛永六年・日帳(九月十日)

2020-12-30 11:11:22 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)十日

         |                        
         |    十日  加来二郎兵衛
         |  

         |      (坂崎成定)
         |一、三斎様ゟ道雲ニ被成下 御書、私請取申候、       道雲内橋本八右衛門(花押)
         |                        鳥うたい候て、
なべ女児ヲ安産ス |一、遠藤吉右衛門尉登城にて申候ハ、 御なへ様今夜〇七つ時分ニ輙御祝被成候、江戸へ便宜御座候
         |                  (南条元信室、細川興秋女)  
         |  ハヽ、御分を可被進之由、被仰由也、心得申候由申候、御息女之由申候也、
福王十蔵祇園神事 |一、福王千松登城ニ而申候は、十蔵登城仕候而、加申上候へとも、手前取紛申候間、私を進上仕候、
能ニ翁ノ面ヲ懸ク |  今日祇園任御神事、翁の面を懸ヶ申候由申候也、
         |      (三淵重政)
三斎書状ノ請取  |一、三斎様ゟ長岡右馬助内太田左太郎ニ被成下候 御書、慥請取申候、則相渡可申候也、
         |                            長岡右馬助内
         |                              有田吉右衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ山路太郎兵衛ニ被成遣候 御書、慥請取申候、追付太郎兵衛ニ相届可申候、
         |                     志水新丞煩故、内 榎本権右衛衛門(花押)
         |                                  〃
         |                            可児清左衛門内
         |一、三斎様ゟ可児清助ニ被成下候 御書、慥請取申候、      木村六太夫(花押)
病気見廻願    |一、金津助次郎被申候は、弟相煩居申由候間、知行所へ罷越、見廻申度由、被申候間、被参候へと申
         |  渡候事、
鉄炮長柄足軽ノ飛 |一、明石源左衛門与高野小兵衛、又長柄衆神戸喜平次与三蔵、右両人、江戸ゟ為御飛脚、今日参着
脚ノ旅程     |  候、江戸を八月廿五日に立、大阪へ今月四日ノ朝着、大阪を則四日ニ出船仕候由、申候事、
江戸ヨリ来状ノ覚 |一、右ノ御鉄炮衆持来 御書覚
         |  一、三斎様へ御文箱壱つ、
         |  一、我等共へ御書壱通、
         |         (木下延俊)
         |  一、式ア殿へ、右衛門太夫様ゟノ御状壱通、
         |         (長沢賢長室、沼田清延女)
         |  一、松井少吉ゟ伊予殿へ参候状、黒瀬九郎右衛門をよひ、伊予殿へ進之候へと申渡候事、
百石取ノ内江戸へ |一、百石取之内、江戸へ遠キもの壱人、則下国被成十日ゟ内ニ、御上せ可被成候間、可申付置旨被
遠キ者ヲ一人出府 |        (敦行)  
セシメ      |  仰下ニ付、続平右衛門ニ御書之趣申渡候、三上平五郎ゟ外、遠キ仁無之候、先平五郎ニ可申付
         |             (樽)
         |  由、被申候、かへニハ朽井左衛門をこしらへさせ可申由、被申候事、
忠利下刻後十日以 |一、御下国被成十日ゟ内ニ、江戸へ加々山主馬可被成御上せ候間、可申被旨、則主馬ニ申渡候事
内ニ加々山可成ヲ |
出府セシメル   |
         |       (山名宗由)
年頭ノ使者ヲ山名 |一、年頭ニハ、三淵藤十郎殿を江戸へ可被遣旨、則 御書■趣書状にて、藤十郎殿へ申入候、被得其
宗由へ命ズ    |  意由、御返事候事、
         |一、田辺平介も江戸へ可被遣由、被 仰下候、是ハ今ほと御使ニ、京都へ被越遣置候也、
         |                                  〃         
         |           (元明)
         |一、江戸ゟ之便宜ニ、住江甚兵衛所へ同求馬所ゟ差越申状内ニ 御書有之由、仁兵衛知行所へ参候ニ
書状請取     |  付而、私慥ニ請取申候、以上、              甚兵衛内
         |                                河崎甚介(花押)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ご恵贈御礼・諸田玲子著「女だてら」

2020-12-30 06:33:24 | 書籍・読書

                    女だてら

 京都府京丹後市峰山町丹波の相光寺のご住職・西田承元師から諸田玲子氏著の「女だてら」ご恵贈を賜った。深く御礼を申し上げる。
そしてこの本は、熊本史談会会員でもあるM様にお送りいただいたものを、M様の御手を煩わせて当方にお届けいただいたものである。
M様にも感謝申し上げる。
相光寺のご住職・西田師は、京都金閣寺ご出身のご住職だが、かって金閣寺に在ってのち還俗した下津棒庵(公卿・久我通堅の三男)が加藤清正に仕え、その子孫が細川家に仕えたことについて、お問い合わせをいただいたことがご厚誼をいただく発端である。
もう六・七年前の事なのだが、まだ直接御目にかかったこともなく、このようなお心使いにおおいに恐縮をするとともに感激している。

西田師は「藩校サミット」に積極的に関与させ、熊本の代表をつとめられているM様ともご交遊が深い故、こちらにお送りいただいたという事らしい。
M氏の出自の地も又京都であり、「牧」(福知山?)であり、これを以て氏とされている。

著者・諸田玲子氏の「あとがき」によると、主人公である女性の漢詩人・原采蘋について西田師から教え受けられて構想を練られ上梓に繫げられたとある。
師のご厚意だと思われるが、その諸田玲子氏の為書きまで入れていただいて居り、大いに恐縮している。

人の絆のありがたさを大いに感じている。皆様方にただただ感謝である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(445)寛永六年・日帳(九月九日)

2020-12-29 17:33:58 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)九日

         |        (ママ)                
         |    九日   
         |
         |      (朽木昭知)三淵藤英四男、三斎従兄弟               内匠内
三斎書状ノ請取  |一、三斎様ゟ三淵内匠所へ成被下 御書、慥請取申候、       宗像儀左衛門(花押)
         |                                    (ママ)
         |一、三斎様ゟ私へ被成下 御書壱通、慥ニ請取、致頂戴候、       吉田縫殿(花押)
         |                                  (元五)
         |一、三斎様ゟ被成下 御書、私請取、頂戴仕候也、          志水伯耆守(花押)
         |      (続重政)                               (敦行)
         |一、三斎様ゟ亀介所へ成被下 御書、私請取申候也、        続平右衛門(花押)
         |                                 (英貴)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、■慥請取申候也、           有吉頼母佐(花押)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、慥請取、致頂戴候也、       服部九郎左衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ成被下 御書、慥請取、致頂戴候也、
         |             但、黒部吉兵衛ニ被成下也、慥届可申候、安東九兵衛(花押)
         |      (牧興相)                             左馬允内 
         |一、三斎様ゟ左馬允へ成被下 御書、慥ニうけ取申候也、      下間左太夫(花押)
         |      (嶋正次)
         |一、三斎様ゟ又左衛門尉へ成被下 御書、慥ニうけ取申候也、   嶋少右衛門尉(花押)
         |                               藪市正内
         |一、三斎様ゟ市正へ成被下 御書、慥請取申候、          前田左兵衛(花押)
         |           (正直)
         |一、高田十兵衛・河喜多五郎右衛門尉へ 三斎様ゟ成被遣 御書、私慥請取申候、則相届可申候也、
         |                             深野二郎右衛門尉(花押)
         |一、安井長左衛門尉・真野九兵衛・松村太兵衛・林長兵衛・服部五郎兵衛・服部左太右衛門、原田又
         |  左衛門、
         |  右ノ衆へ 三斎様ゟ成被遣 御書、私慥請取申候、則相届可申候、以上、
         |                              服部九郎左衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ山田市左衛門尉ニ被成下御書、慥請取申候、追付届可申候也、
         |                                不破平太夫(花押)
         |一、三斎様ゟ寺井十兵衛ニ被成下候御書、慥届可申候、       不破平太夫(花押)
         |一、三斎様ゟ国友半右衛門・同式右衛門・佐分利兵大夫・杉山藤兵衛ニ被成下候御書、慥ニ請取申候、
         |  則届可申候也、                      山田加右衛門(花押)
         |一、三斎様ゟ大竹内蔵・山田新十郎・井関伝蔵・西郡長次ニ被成下候御書、慥請取申候、追付届可申
         |  候也、                         ■安場甚左衛門(花押)
         |                            (小崎)
         |一、小崎忠五郎ニ 三斎様ゟ被成遣 御書、私請取申候、追付與次右衛門ニ渡可申候也、
         |                               加来二郎兵衛(花押)
         |             (腫)
         |一、加来二郎兵衛事、此中種物を相煩、快気仕、今日登城仕候事、
         |一、村田半右衛門知行所へ参、病死仕候事、
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■三淵藤英と一族

2020-12-29 07:13:21 | 人物

                      

 今回のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」に於いては嬉しいことがいくつもあった。
その一つが、谷原章介演じる処の三淵藤英がかくも多くの場面に登場し、全国区に知ってもらったことであろう。
それでも細川藤孝(幽齋)の兄であるということまで、理解をしておられた方はあまり多くはなかったのではないか。
歴史的デビューを果たしたように思える。

下図の如く、藤英と細川藤孝は三淵晴員の子だが、ご承知の如く藤孝は将軍・義輝と船橋宣賢女の間に生まれた男子だと伝えられている。
藤孝を身ごもったままで晴員に下しおかれたというから、二人は同姓ながら、異父・異母兄弟ということになる。
二人の間に武田信重室となった「宮川」がある。ガラシャ夫人生涯の時、夫人の指示により玉造の屋敷から落ちのびた叔母と紹介されるのがこの人である。
藤孝の下に大徳寺の高桐院開山の玉甫和尚と、南禅寺の長老元冲がいるが、この二人の生母は船橋宣賢女の可能性はある。
細川家家臣の三淵家の祖の好重は末弟、生母は山名民部少輔女であることから、三淵氏は山名姓を名乗ったりしている。
一番下に女子があるがこの系図では欠落している。土御門久倄に嫁ぎ二条泰重を生んだ。


藤英の嫡男・秋豪は父と共に坂本城で戦死したとあるから、TVにあるような最後ではなく、壮烈なものであったのかもしれない。
秋豪の跡を継いだ藤利は、秋豪の弟・光行の嫡男である。
足利将軍家に最後まで仕えた藤英・秋豪の子孫は徳川家に仕えて明治に至っている。

               

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(444)寛永六年・日帳(九月六日~八日)

2020-12-28 17:13:40 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)六日~八日

         |                
         |    六日  安東九兵衛   
         |
質部屋ノ左右ニ小 |一、上林甚介登城ニ而申候ハ、篠崎わしとやの左右ニ小屋をかけ申候而、商売仕候もの、先日退候様
屋掛商売ノ者運上 |  ニとの被仰付にて退申候、彼者申候は、運上を上候而、右ノ所ニ被召置被下候は、左様ニ仕候而
ニテ営業ヲ願ウモ |                                           (様)
許可セズ     |  罷居度通申候、如何可仕やと申候へとも、一通御家老衆被仰付、御退させ候上は、今又か如何〇
         |  とも仕儀成ましく候間、右ノ分ニ可被仕之由、申わたし候也、
小倉町奉行切手ニ |一、吉田縫殿登城仕、冣前被申聞候日田ゟ当町之商人買来候木綿、御門入申儀被相尋候間、あきな
テ商木綿ヲ門内ニ |   (木 綿)
入ルヲ許ス    |  いきわたの儀候間、入可被申通、縫殿方ゟ御門番へ、切手被遣候へと申渡候也、
         |    (可成)         (加々山正慶)
切腹セシ鉄炮足軽 |一、加々山主馬方ゟ被申越候は、権左衛門尉与、先日町人の女をきり、腹を切り申候もの之かわり、吟
ノ跡ノ召抱届   |  味仕候而召置申候由、権左衛門尉組川崎惣内と申者を以申越候間、得其意候通、返事候也、
         |                     (長曾我部元親記著者、1,500石)
留守中ノ家ノ番人 |一、式ア殿・頼母殿ゟ、御使者にて被仰聞候ハ、立石助兵衛被居候家ニ、晩のもの助兵衛も一両人め
ノ付置方     |  しおかれ候へとも、大事之家之儀ニ御座候間、御番衆をめしおかれ被下候様ニと、助兵衛被上候
         |  刻、被申置候間、御番被仰付尤ニ存候由、被仰候間、此方ゟ申候ハ、御番を置候とても、御鉄炮
         |  ノものなとめしおき申候、又誰にても、御奉公人衆かり度と申もの候ヘハ、かしも仕候、助兵衛
         |  殿ゟ御番めしおかれ候ヘハ、それにて一段能御座候間、其分にてめしおかれ候へと、御返事申
         |  候、其上にても御番を置候へと思召候ハヽ、重而可被下候通、申候也、
         |        もの
常ニ路地ノ者ヲ雇 |一、いつも路地ノ衆御やとい被成衆、
用セル者     |(ママ)  (有吉英貴)(小笠原長元)(米田是季)(牧興相)(佐藤)
         |一、式ア殿・頼母殿・備前殿・監物殿・左馬殿・将監殿、
         |  (松井興長)

         |                
         |    七日  奥村少兵衛   
         |
         | 「寛永六年四月十三日:中村政長ニ福王十蔵ヲ付ケ能ヲ稽古セシム」とある。
福王十蔵旅修行ノ |一、福王十蔵能稽古仕ニ付、旅へ罷出候時之遣銀 御印ノ切手写、京都衆ゟ被差下候ヲ、粟野伝介・
時ノ遣銀御印ノ切 |  深野二郎右衛門・豊岡甚丞ニ相渡候也、
手写ヲ惣積奉行へ |
渡ス       |

         |                
         |    八日  安東九兵衛   
         |
清水社ノ祈祷札  |一、清水法印、当月御祈祷之御札御持参候間、林隠岐ニ御渡候へと、申渡候事、
         |一、小笠原備前殿ゟ、使者を以被仰聞候ハ、此五禄ヶ年以前ニ、式ア殿・備前両人ニ御用被 仰付候刻、
筑前ヨリ五六年前 |  筑前ヨリ女弐人走来申候、人留之番衆、備前当番之由にて、つれ来申候付、式ア殿何もと談合仕、御町
女走来ル 小倉町 |  奉行衆へ差遣、いつ方ニ成とも、御町中ニ有付申候様ニと、申付候処ニ、私召仕申村上新兵衛と申も
中ニ有付ントス  |  の申候ハ、いつれへ召仕候而もくるしからす候ハゝ、召仕申度通申ニ付、御談合場にて此段申談、
ソノ母乞食ノ躰ニ |  新兵衛召仕可申ニ相極、于今罷居申候処、此二三日以前ニ、彼女ノ母こつじきノ躰ニて、爰元ニ
テ尋ネ来ル    |  参、むすめを尋申候、左候て、昨日かのむすめニ尋合、新兵衛所ニ落付申候、かのむすめも何とそ
ソノ処置     |  やしなひ申度通申候、右新兵衛も右ノむすめをめしつかひ可申ため、かの母もめしおき申度通申
         |  候、御家老衆へも此段相尋申候処、くるしかるましく候通被仰候、いかゝ可有御座候哉、くるし
         |  かるましきと我々も存候ハヽ、めしおかせ可申通、被仰聞候、くるしかるましき通、御返事申候也、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■幼な子の警告

2020-12-28 16:27:49 | 徒然

 市民会館へ出かけた帰りのバスの中で、3・4歳くらいの女の子と思える声が聞こえる。
一番人通りが多いデパートの前の横断歩道に多くの人が行き交っているのをみて、「ママ、コロナなのに、こんなに沢山の人が歩いているよ」と母親に話しかけている。(見事な標準語だ)
なんだかほっこりさせられると共に、小さい子也に理解していることを素晴らしいと思った。
年の暮れ、デパ地下などはそれなりの賑わいを見せているのだろう、人通りは通常とあまり変わりないように思える。
最近ではすっかりマヒしてしまっているが、熊本もご多分に漏れず、多くの新規感染者が出ている。
私はのど風邪気味なのだが、会合や人通りの中や、バスの中などでは人様に不愉快にならないように、咳もこらえるからこれがつらい。
女の子に「あの人、咳をしてるよ?」などと言われるとこまるな~と思って、ずっとこらえていたが、下車するとともに大きくせき込んでしまった。
寒波がやってくるというが、今日は18度近くまで気温が上がり、朝晩の寒暖差で咽風邪・鼻風邪が完治することがない。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■遺品

2020-12-28 14:47:23 | 徒然

 今日は年末にもかかわらず、熊本史談会の新年度役員の会が催されるにあたり、前任者たる私にもお呼びがかかった。
新しい年度を迎えると、私はちょうど8年の大役を退かせていただくことになった。
役員の人事や、規約の制定などの打ち合せが行われたが、熊本史談会の未来に大いなる光明を見た思いがする。
一番年少の会員N君も新役員に選出された。

 そのN君は、平成肥後国誌の著編者・高田廉一先生を崇拝してやまない人だが、数万点に上るといわれた遺品の整理を無償で買って出たほどである。
遺族が廃棄されるものの中から、了解を得てもらい受けられたものがある。ダンボール箱20数個に及んでいる。
そんな中の一点を今日私にプレゼントしてくれた。「遺品のお裾分け」だが、それがこの先生愛用の「ゴールデンバット」である。
先生はヘビースモーカーでお酒好きな人だった。亡くなられるまで10年ほど親しくしていただく中で、私は事あるごとに先生に「禁酒禁煙」を随分申上げた。
「先生、医者の不養生ですよ」と・・・

ひとえに長生きをしていただき、色々教えをうけたいと思っての事だが、一切受け入れられることはなかった。
その煙草がこの「ゴールデンバット」である。カートンで購入されていたからN君の手元にいくつか残っているのだろう。
N君が先生をお慕いするのはかくの如くである。
さてこれをどうしようかと考えているが、まずはタッパーにでも入れて取っておこうと思うが、将来私の遺品の中にこんなものが出てきたら、家族は首をかしげるだろうから、由緒来歴を書き残して同封しておかなくてはならない。

                 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■二つの肖像画

2020-12-27 13:22:39 | 徒然

                                                                 

                           福地三左衛門           沢村大学

 先にNHKの「ファミリー・ヒストリー」再放送で、俳優・哀川翔が取り上げられていた。
本姓は佐賀の福地氏、ご先祖の福地三左衛門の肖像画が紹介されていたが、熊本の沢村大学の肖像画の事が思い浮かんだ。
絵師の事は判らないが、一瞬同じ人ではないのかと思ったほど雰囲気が似通っている。
陣中における人物を描く時の、共通の書き方なのかもしれない。面影は老いたりとはいえ精悍でまさに武人である。
なんだか「翔さん」に似ているような気がする。本名は「福地 家宏」家が通じになっているようだが、いかにも厳格であった家柄の名前に思える。御祖父さん・お父さん二代の不運の死が胸を痛めた。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(443)寛永六年・日帳(九月二日~五日)

2020-12-27 11:57:52 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)三日~五日

         |                
         |    三日  奥村少兵衛   
         |
相番       |一、瀧口伝丞登城にて被申候は、拙者相番無御座候而、私一人として何共迷惑仕候間、早々相番を被
         |  仰付候而被下候様ニと被申候、此方ゟ申候は、おくかたの御番人をゑらび申候ニ付而、少延引候
         |  茂、追付吟味候而、加申付候間、其御心得あるへく候由、申渡候也、
宮成掃部九月之祈 |一、うさ宮宮成掃部正、当月之御祈祷之御札之由にて持参被仕候、則御本丸へ被参、林隠岐守へ被相
祷札ヲ持参ス   |  渡候へ之由、申渡候也、
         |一、河本七左衛門尉、此中相煩候而、今日登城仕候也、
         |                 (規矩郡)
大里町ニ牛馬ノ市 |一、平井五郎兵衛登城にて被申候は、内裏町ニ牛馬之市を立候様ニと、被仰付置候、左様ニ候ヘハ、
設立ノ命     |  毎年小倉ニ立候市ニ茂内裏町へひかせ、内裏ニ而商売を仕候様ニと、御年寄衆奉りにて被仰付
小倉ノ市ヲ大里町 |  候、弥々左様ニ而可有御座やと被申候、此方ゟ申候は、冣前之様子此方ニは不存候間、御年寄衆
         |          (松井興長)
へ引カシム    |  御奉りニ而候は、式ア少殿へ被参候而、右之様子可有御尋由、五郎兵衛ニ申渡候処ニ、息五郎兵
惣奉行ヨリ町奉行 |  衛式ア少輔殿へ被相尋候ヘハ、御奉行衆ゟ、右之趣を町奉行ニ可被仰渡之由、式ア少輔殿被仰
へ命ゼシム    |  通、五郎兵衛又登城にて被申候ニ付而、則吉田縫殿助ニ申渡候也、
本丸奥ノ番    |一、御本丸おくの御番、桜井又兵衛相煩申候ニ付、かわりとして、大槻仁右衛門申付候也、

         |                
         |    四日  安東九兵衛   
         |                                           
作事奉行知行所見 |一、河田八右衛門尉登城にて被申候は、明日は知行所へ参候、左様ニ御座候へは、其次而ニ井のお茶
分ノ序ニ今井ノ茶 |                                       (宇佐郡)
屋ノ繕作事ヲ見分 |  屋繕作事仕候ま、か様の所を茂見廻、罷帰度由、被申候也、
セントス     |                                  (林)
求菩提山ノ祈祷札 |一、求菩提山ゟ、当月御祈祷之御札之由にて、使僧持参被仕候、御本丸へ上、隠岐ニ被請取候へと、
上ル       |  申遣候事、
大里町ノ市ノ少シ |一、吉田縫殿登城にて被申候ハ、内裏にて市ヲたて候様ニ、御町中ニも申付候、左御座候ヘハ、少之
ノ売買ハ米ニヨラ |  売買物、定而米にてうりかい仕候にて可有御座候、其米を御門ゟ内へ入可申様無御座候間、五升、
ム  五升一斗ノ |  壱斗ノ間ハ御門へも入候様ニ、被仰付候而被下間敷候哉、左様御坐候ヘハ、何とも小商人ともめ
米ハ門内ニ入ルゝ |  いわく可仕候由、被申候間、御国ノ米ニ而候間、五升宛之儀は入候而もくるしかるましく候哉、
ヲ許サレタシ   | (田中氏次)  
国の米      |  兵庫めしをたへニ参候間、談合可申由、申渡候事、
         |            (木 綿)
小倉商人日田ヨリ |一、又当町ノ商人、日田ゟきわたとはたこと苧ヲかひ候て参候処、中津口にてきわたハ留被申候、其
木綿煙草苧ヲ購入 |  外たはこと苧ハ入被申候、他国ゟかひ候て参候儀紛ム御座候間、御門ヲ入被下候様ニと、被申
ス   中津口ニ |  候事、
テ木綿ヲ留メラル |
他国ヨリ購入セル |
故入レラレタシ  |
知行所行ノ願   |一、竹内八兵衛登城にて被申候は、私親吉兵衛知行所へ参度由被申候間、被参候へ之由、申渡候也、

         |                
         |    五日  奥村少兵衛   
         |
         |  (規矩郡)(間島、同郡)
間島ヨリ曽根へ回 |一、曽根へ、ましまヨリ廻候石船にて取寄可然之通、横目衆見及申ニ付而、石積候切手調候而、御作事
遭ノ石積切手   |  奉行へ渡、則矢野勘右衛門尉ましまへ参、見被申候ヘハ、なか/\小舟ニ積申様なる石無御座候
小舟ニ積載スベキ |  手、曽根へ石積廻候儀不罷成、右之差帋、御作事奉行もとし被申候也、
石ナシ   差紙 |
ヲ作事奉行へ戻ス |
         | (七月十九日江戸にて没)
故菊野伊織ノ銀金 |一、菊野伊織銀子、六百九拾六匁三分弐厘壱毛四払三昧・金壱歩判弐拾壱、生嶋平三郎相改、御銀奉
ヲ改ム 銀奉行ニ |  行宗田伝左衛門・浅井五左衛門ニ被預置候、外ニ銀子七百め五分は江戸・長崎へ遣候間、重而取
預ク       |  返候て上可申由、平三郎ゟノ書立、金子喜左衛門・加藤新兵衛ニ渡置被申候也、
御印帳      |一、大学殿へ御印帳を持せ遣候へ共、留守にて候間、重而従是持せ可進之由、申候也、
         |   (敦行)
続敦育重陽ノ祝儀 |一、続平右衛門尉中津へ九日ノ呉服持せ被参候、 三斎様被成御満足宗にて、平右衛門尉御振舞被成
ニ中津へ使ス   |  候由、平右衛門被申候也、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■今年最後の図書館行

2020-12-26 16:47:41 | 徒然

 確認したいことが二三あって、21日(月)に図書館に出かけたら何と図書整理とかで休館日(22・25日も)、23日は天気が悪く、24日は別の所用で時間がなく・・・28日以降は平常休館(正月休み)
となると今日と明日の日曜日の二日しか開館していない。
別に年を越しても良いのだが、今日は天気も良いことだしと自転車で出かける。
あるお宅の先祖附+有禄士族基本帳をコピー、その他もろもろ調べ物、二冊の本を借りて一時間そこそこで退館。
帰りは道を間違え江津湖に出てしまった。良い天気なので散歩をする人たちの多いこと、密にならず大いに自然を満喫しておられる。
「行きはよいよい、帰りは怖い」のなだらかな坂を、ギアを一番弱くしてなんとか乗り切った。
途中の公園では、なんと満開の山茶花のしたで7~8人の女性がシートを広げ車座でお茶会(?)のご様子、テニスコートも、子供の遊具がある広場も大いに「密」状態、熊本も連日新規感染者の数がうなぎのぼりの状態なのに・・・気持ちにゆるみがある。 
私はといえば、マスクをしたまま自転車で乗り切ったが、わが家についたころには呼吸困難の状態でへばり込んでしまった。
(教訓:マスクをしたままの自転車は・・やばい)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(442)寛永六年・日帳(九月朔日~晦日)

2020-12-26 07:45:13 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年九月)朔日~二日

         |                
         |    朔日  奥村少兵衛   
         |
福王十蔵帰着ス  |一、福王十蔵、夜前罷下候由にて、登城仕候也、
京都へ屏風問合ス |一、佐野嶋平兵衛のせ上り候御船頭小崎吉助ニ、京都へ屏風間相・大間相、又美濃帋可被買げとの切
問合美濃紙買入ノ |  手、差上せ申候事、
切手ヲ送ル    |
金山奉行宇佐宮へ |一、春木金太夫被申候は、宇佐へ金ノ御へい、来ル廿日ニ上可申と存候、其次而ニ、うさ郡ニ而金も可有
金幣ヲ上ゲントス |  之候哉、かけさせ候て見可申候、又次而なから、私知行うさちかくニ御座候間、一日ノ逗留ニ参
         |  候而、免なとも、極申度存候、可然候間、ためしをも被申付、又知行所へも可被参通、申渡候事、

         |                
         |    二日  安東九兵衛   
         |
宇佐宮永勝院祈祷 |一、宇佐永勝院ゟ、当年之御祈祷之由ニ而、御札持参被仕通、志水伯耆殿ゟ、使者御添候而御上候、
札ヲ上グ     |  則本丸へ御上候而、林隠岐ニ御渡候へと申渡候也、
船頭村上某願書  |一、女壱人、此女前廉は御船頭岡田市介と申ものゝ女房にて御座候、後家ニ成候而、御船頭舟瀬九郎
縁者ノ後家幷ニ伜 |  兵衛と申ものゝ女房ニ罷成居申候処、又後家ニ罷成、爰元かんにん不罷成ニ付、十七八年以前ニ
ヲ門内ニ入ルゝヲ |  中国へ参、其後筑前へ罷越、五六年居申由申候へ共、筑前ニも頼可申ゆかりも無御座故、かんにん
乞ウ       |        (長門豊浦郡)
         |  不罷成、此節下関へ参候へ共、とかく御国ならてハと存由ニ而、此中中国ニ置申せかれ壱人めし
         |       (規矩郡)
         |  つれ、今日長浜迄参申候、かの女ハ私女房為ニおはにて御座候ゆへ、御門内へ入申儀、私ヲ
         |  頼申候、併、伺可申上と存、御門内ヘハまつ入不申候、此女幷せかれの儀、別条無御座候間、御
         |  門内へ御入被成候而可被下候、以上、
         |   寛六九月一日      村上七左衛門
         |      白井兵介殿
船頭惣奉行宛   |      鏡善右衛門殿
         |  右ノ通之書物、白井兵介持参被仕、御門内へ御入可被下哉と披申候間、御入候てもくるしかるま
家老ノ指図ニヨラ |  しくと存候、併、我々分別まてにて被入候へと申渡儀不罷成候間、御家老衆へ書物持参被仕、様
シム       |  子可被申上候、左候て、御家老衆御差図次第ニ可被仕通、申渡候事、
         |                          (敦行)
忠興ノ使者中津へ |一、三斎様へ、九日之呉服ニ被成御添、被進之御文箱、続平右衛門尉ニ相渡候、後復ヲも御納戸衆ゟ
出立ス      |  平右衛門尉被請取、今日昼より、中津へ御使者ニ被参候也、

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■読むのに難儀しております「沼田勘解由宛細川光尚書状」

2020-12-25 13:58:45 | オークション

                 細川光尚 書状 十二月十六日付 長岡勘解由宛 未装

           

 出品者に於いて記された時代の検証がなされているとともに、釈文が示されている。
甚だ僭越だが読み違いがあるように思える。文字を読むというより文章を読まなければなかなか読み解けない。
処が自分自身読みかかったが、文字の読みの確定に至らず大いに難儀している。
二時間苦闘の有様です。他力本願、皆様のお力をお寄せください。尚、( )は読み落としてある。

    而申候、十一月廿九日之            →追 追って
       追って申候、十一月廿九日の           

    返事、再十二月五日両
       返事、再十二月五日両
    通之状、何度臨見(申し)候、其         →か付(なにかに付) →披  
       通の状、何か付披見申候、其
    辺之儀申(越)通、可
       辺の儀申し越し候通、         

    得其意、何ニ               →茂(も) →為
       其意得べく、いずれも御為に  

    成事候、弥万事、               →最
       なる事候、いや万事、最  
   

    前申□□                →越  □□→ことく の→之(これ) →為
       前申し越し候ことく、これ御為

    可奉存候、此者差               奉存→??  →?
       存知奉るべく候、此のは差           

    (申し)候間、懇望ニ不及返          →急  懇望→態具  わざわざつぶさに
       急ぎ申候間、わざわざつぶさに
    事候、委其究之                 其究之→者平野九郎衛門  
       返事に及ばず候、委くは平野九郎衛門
    藤崎作右衛門猶上候間、其
       藤崎作右衛門、猶上げ候間、其
    節可申候、謹言
       節申すべく候、謹言 

           肥
    十二月十六日  光尚(花押)
         長岡勘解由殿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(441)寛永六年・日帳(八月廿七日~晦日)

2020-12-25 06:05:19 | 細川小倉藩

                      日帳(寛永六年八月)廿七日~晦日

         |                
         |    廿七日  奥村少兵衛   
         |
走リシてんりう寺 |一、東小倉てんりう寺召仕候小者、筑前へ走り申候をとらへ、今日誅伐申付候也、
ノ小者ヲ誅伐   |
馬盗人ヲ田川郡ヨ |一、田川郡にて馬をぬすミ申者彦松、今日田川郡ゟ引せ越候也、
リ引カシム    |

         |                
         |    廿八日  安東九兵衛   
         |
         | (南条元信室、細川興秋女)
なべかねヘノ重陽 |一、おなへ殿・御かね殿へ九日之呉服、京御納戸小山善次■郎被相渡候事、
ノ呉服      |       (筑紫重門室、細川幸隆女)
         |一、御昇衆早川加兵衛、長崎ゟ、為御飛脚参候を、今日差戻候事、
         |一、御長柄衆二人ニ鮭を 三斎様へ被進之候もの、今日状共持参申候事、
         |                                    (敦行)  
三斎ヘノ重陽ノ使 |一、三斎様へ九日之御服持参被仕候御使者、書付を以、御年寄衆へ伺候ヘハ、続平右衛門以を可遣之
者ヲ続敦行へ命ズ |  旨、被仰越候間、則平右衛門尉方へ申渡候也、

         |                
         |    廿九日  奥村少兵衛   
         |
         |
         |一、牧丞太夫与小頭北山清兵衛登城にて申候は、丞太夫与七田少太夫江戸御供仕候処、七月十七日ニ
         |  於江戸病死仕候由、申候也、
買入レシ材木ノ品 |一、山田加左衛門・松本彦進両人ニ申渡候は、御材木上かたゟ買げ申候ニ、上々ふしなしと送り切手
質ノ吟味ヲ買物奉 |  ニ在之を、遣候所見候ヘハ、悉節御座候を、御大工・御材木奉行・御作事奉行、何茂其ふしを隠
行等ニ命ズ    |  シ、入木なと仕申候、右ふし有ノ木を節なし木二仕候ヘハ、過分ニ直段ちかひ、御損ニ罷成申
         |  由、申仁御座候間、右ノ分ニ仕候やと、但、左様ニ茂無之をむさと申なし候や、各両人御吟味候
         |                  〃
         |  而、極可被置候、若此段以来、立 御耳ニ、御尋茂候ハヽ、御前にて有躰ニ可被申上様、能御改
         |  置候へと申渡候事、

         |                
         |    晦日  安東九兵衛   
         |
町牢ノ囚人腹中ヲ |一、吉田縫殿助登城にて被申候ハ、此比町之籠ニ被成御預候囚人、事外腹中を煩、籠者之ものともめい
煩ヒ同囚等迷惑ス |  わく仕候間、急度御誅伐被仰付被下候へ、其内は籠ゟ外へ出し、くひかねをさし置可申由、被
町奉行誅伐ヲ願フ |  申候間、其分ニ被仕候へと申渡候事、
頸鎖ニテ牢外ニ出 |
ス        |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■吉田縫殿助という人

2020-12-24 17:37:28 | 徒然

 毎日ご紹介している「小倉細川藩・日録」に寛永六年に入ってから盛んに「吉田縫殿助」の名前が登場している。
この人物は、細川家に枝葉を広げた豊後大友一族五家の内、細川家内に於いては大友義統の嫡流ともいえるが、大友・松野は名乗らず「吉田姓」である。
縫殿助は500石、義統からすると曾孫にあたる。能吏であったのだろう、肥後入国後は奉行を勤めている。
縫殿助の読みは「ぬいのすけ」だと確信しているが、縫殿進(ぬいのしん)の名にご丁寧にルビをして「ぬいどのしん」とする小説(島田真祐著・身は修羅の野に)がある。それも一か所にはとどまっていないから、これはわざわざそうしたと考えるべきなのであろうか?

                               義統五男        再興 
 大友宗麟---+---大友義統ーーーーーーー 義乗---+---義家(無嗣断絶)==*義孝・・・・・・・・・・→ (旗本大友家・高家)
                  |                        |
       |                       +---義親ーーーーー縫殿介・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣五百石・吉田淳家)
       |
                  +----松野右京---+--主殿・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 二千石・松野孫三郎家)
       |       | 
       |       +---*義孝(嫡家相続)
       |       |
       |       +---義冬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ (旗本松野家)
       |
       +---利根川道孝---松野織部---+==亀右衛門==亀右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 千五百石・松野亀治家)
       |             |           
       |             +----善右衛門----又右衛門・・・・・・・・・・・・・・・→ (細川家臣 五百石・松野一葉家)
       |
       +---半齋--------八郎右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・-→ (細川家臣 千七百石・松野八郎家)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする