津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■大日本近世史料・細川家史料「忠興(三斎)文書-元和八年」を読む (1)

2023-05-31 07:00:41 | 先祖附

 忠興(三斎)文書-元和八年

327、正月三日書状(三斎在国・忠利江戸12月14日着)
 ・年頭ノ祝儀 

328、正月十六日書状
 ・金森可重遺物(染付鹿之香炉)を給い礼状が延引、心外

329、正月廿一日書状
 ・三斎江戸屋敷(愛宕下?)の作事
 ・忠利(12月16日)・新發智(光尚・21日)、秀忠並びに夫人ニ謁す
 ・松平忠直未タ参府セズ
 ・忠利、秀忠ヨリ鷹ノ鶴、米ヲ拝領ス
 ・秀忠西丸ニ移リ、家光川越ニ赴ク

330、正月廿一日書状
 ・忠利屋敷ト三斎屋敷トハ程遠シ、屋敷普請ノ進捗ヲ督促ス

331、二月十七日書状
 ・家中京借銀ノ三斎袖判證文ヲ取返シ烏丸光賢室(三斎女・萬姫)ニ預ク
 ・幕府年寄衆ニ御振舞アリ
 ・加藤明成邸火事
 ・松平忠直ニツキ沙汰ナシ
 ・忠利、諸大名妻子江戸移居ニツキ土井利勝ト談合ス
 ・家中人質ノ交替ノ件ハ既ニ承知スミ

332、二月十七日書状
 ・元和五・六年、湯布院・横灘ノ幕府蔵入地ノ勘定一覧拝見、幕府蔵奉行大唐米ヲ請取ザルニヨリ賣替ニ手間取ル
 ・江戸蔵前堀割工事ノ為米ノ蔵入ヲ延引ス、切手到着次第算用スベシ

333、二月十七日書状
 ・細川興昌(忠興甥)従五位下玄蕃頭ニ叙任
 ・愛宕下屋敷、事済候コト

334、三月九日書状
 ・松平忠直御煩ノ使・近藤縫殿、帰路落馬ニテ死ス
 ・三斎屋敷ノ作事ノ念ノ入ㇾ具合ハ奉行次第、早期完成ヲ申付ラレタシ

335、(月日未詳)覺書  略す

336、四月晦日書状
 ・端午ノ祝儀、祝着

337、五月朔日書状
 ・

          

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■見性院殿

2023-05-30 08:30:29 | 人物

 つい先ごろ■霜女宛米田是政書状を書いたが、昨日「細川家主要家臣」を眺めていて是政ではなく是季の間違いに気付いた。(おおいにまずい)
この霜女覚書は、ガラシャ夫人の最期を記したものとして知られるが、これは光尚の乞いに対して正保二年に霜女に親族である米田氏が書状で要請したものである。
上記ブログでは「是政」としたが、よくよく考えると是政は同じ時期に岐阜攻めで戦死している。息の是季(興季)の間違いであった。

 この助右衛門是政、慶長五年(1600)八月廿三日岐阜攻の時、忠興の嫡男・与一郎忠隆の下で奮戦中、左脇を鉄炮で撃たれ「御用に立可申と存候所ニ無念なる事に候」と言い残して戦死した。42歳。見性院勲叔玄弘。
正保二年坪井の地に菩提寺「見性寺」が建立された。また、夫人・雲仙尼が明智一族であり坂本の西教寺にもお墓がある。

 助右衛門の働きについては逸話が残されている。天正十一年(1583)一月末、秀吉は滝川一益を攻めるが、細川軍は亀山の城を攻めた。その折の話に「唯今黄絹に日の丸の紋を付たる者群を抜てかせきたるハ誰なるそ」「見て参れ」との秀吉の仰せに、御小姓野々村伝右衛門なる人が確認に駆け出す。程なく帰ると「米田(是政)にて御座候、指物日の丸ニ而ハ無之、敵之鉄炮にて指物を破り御陳にてハ日の丸と見へ候か」と報告、「秀吉公甚御感被成候」て、助右衛門の働きに対し感状を賜り「向後指物に日の丸を用へき旨被仰出候」となった。25歳の頃の話である。

 さて岐阜攻めの時の指物ははたして「日の丸」だったのだろうか。こちらは未だ確認する術がない。


 

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■落髪令と遊行上人

2023-05-29 10:27:49 | 史料

 9年前の今時分■落髪令とは・・・?を書き、その後数回にわたるという遊行上人の肥後入りの跡をいろいろ調べて来たが、この資料の中で触れられている「藩主の不幸後」について、はっきりした年次が判らずにいた。
今般いろいろ資料を整理する中で、下津先生から戴いたお手紙が出てきたが、それがまさしくこの事に触れられていた。
その文章を御紹介して遊行上人に関する私の調査は打ち止めにしたいと思う。

「遊行上人一行は文政九年(1862)三月二十九日、柳川を出立、三池(大牟田市三池)町役人内田宅で昼食(中略)、長洲往還を通って今の荒尾市大島町から肥後に入ります。柳川からの見送りの侍たちは肥後の侍に引き継ぎ帰国。出迎えた侍たちは月代を伸ばしてむさくるしい状態だったとのこと。その訳は同年二月十二日、第九代藩主の斎樹公が逝去。喪中のため細川家では入国を断るけれど葵の御紋の幟を立てて入国します。その日は長洲泊まり。翌日は岱明町の千人塚で島原大変肥後迷惑の犠牲者の追悼を行って高瀬の願行寺に行きます。肥後では珍しい時宗のお寺です。」

 願行寺のサイトを見て、竜造寺隆信の首塚がある事を知り、導かれるように島原市の沖田畷合戦場跡のサイトを拝見、思わぬ勉強に及んだ。

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■御扶持方御切米御帳(9)   

2023-05-29 06:27:58 | 史料

御留守居諸奉行ー(4)

一 三人扶持拾石      御本丸御屋敷御番 井田小兵衛
一 貮人扶持拾石               山中太郎兵衛
一 貮人扶持七石               松見長右衛門
一 右同断                  緒方六丞
一 三人扶持拾石               八並勝助
一 右同断                  牛島藤兵衛
一 右同断                  上野猪右衛門
一 右同断                  三坂与三兵衛
一 右同断                  吉丸九左衛門
一 右同断                  赤坂傳右衛門
一 右同断                  森 作兵衛
一 三人扶持拾五石              菅野傳左衛門
一 三人扶持拾石               廣濱角蔵
一 右同断                  林 作左衛門                  
一 右同断                  野田左衛門
一 三人扶持拾石               山口孫太夫
一 右同断                  原田理右衛門                  
一 右同断                  末藤新兵衛
一 右同断                  清原籐左衛門
一 右同断                  久保小兵衛
一 壹人半扶持八石              秋吉角左衛門
一 貮人扶持八石               森 甚右衛門
一 三人扶持拾石               野田作丞
一 貮人扶持拾石               西田吉兵衛
一 三人扶持拾石               岡部市左衛門
一 貮人扶持拾石               坂本傳左衛門
一 三人扶持拾石               猿野長左衛門
一 貮人扶持拾石               大嶋喜右衛門
一 五人扶持                 松岡作右衛門
一 三人扶持                 岡島仁兵衛
一 貮人扶持                 有馬治郎
一 右同断                  長須専助
一 貮人扶持九石               原田安左衛門               
一 貮人扶持拾石               松尾十郎左衛門                  
一 右同断                  岡 久右衛門
一 右同断                  井上長兵衛
一 三人扶持拾石        御馬飼料奉行 横田与三兵衛
一 三人扶持八石          同    田内与三右衛門
一 壹人扶持七石          同    吉田十兵衛
一 壹人扶持六石          同    野上作兵衛
一 右同断             同    高木六右衛門
一 三人扶持五石         御馬屋横目 井上弥平次
一 壹人扶持五石       御中間諸役御免   吉六
一 三人扶持拾石         御客屋手伝 関 勝助
一 貮人扶持拾石          同    梶原太郎右衛門
一 貮人扶持七石          同    三木加左衛門
一 三人扶持拾石          御山奉行 中島十右衛門
一 三人扶持八石          同    手嶋太右衛門
一 貮人扶持七石          同    山下孫兵衛
一 三人扶持拾石          同    山路勘左衛門
一 三人扶持拾石          同    下瀬甚右衛門
一 右同断             同    渡邊少左衛門
一 貮人扶持七石          同    松本加右衛門
一 貮人扶持拾石          同    渡邊五右衛門
一 三人扶持拾石          同    安松茂左衛門
一 右同断             同    辻 次郎右衛門
一 右同断             同    諌山久兵衛
一 貮人扶持拾石          同    秋吉又左衛門
一 三人扶持拾石          同    渡邊喜兵衛
一 貮人扶持八石        鶴崎用水奉行 永富七左衛門
一 貮人扶持七石      佐賀関御著仕置人 井上猪兵衛
一 三人扶持拾石       鶴崎御作事奉行 速水四郎三郎
一 右同断             同    高並兵左衛門
一 貮人扶持拾石          同    野上九右衛門
一 三人扶持拾石        鶴崎御蔵奉行 加来五右衛門
一 貮人扶持拾石          同    小野弥左衛門
一 右同断             同    大塚少左衛門
一 右同断        同所御買物鍛冶奉行 天野猪左衛門
一 貮人扶持拾石     鶴崎御買物鍛冶奉行 阿部次郎左衛門
一 貮人扶持八石        鶴崎御銀奉行 赤井市兵衛
一 右同断             同    校聞為庵
一 貮人扶持拾石       同所御材木奉行 中野市郎左衛門
一 右同断             同    原田助丞
一 右同断          御鍋様江御付衆 灰方清助

〇御扶持方合八百貮拾六人半扶持
〇御切米合貮千七百三拾貮石       人数貮百八拾三人
                     外ニ四人ハ小者

          

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■遂に発見したこの写真

2023-05-28 11:04:10 | 古写真

 市電が熊本市公会堂の前を走る写真がありそうなものだと探していたら・・・あった。

    

 熊本百景の内「洗馬川および公會堂付近の景」とネーミングされた絵葉書である。
洗馬川とは現在の坪井川のことだが、当時はそう呼んでいたのだろうか。右手に御幸橋がありその向こうに公会堂日本館と公会堂が見える。左端には市電が見え、市役所前から坪井川沿いに来て、桜町の大通りに入る様が写されている。
山頭火が酔っぱらって市電を止めたというのはこの辺りのことであろう。
    (この写真は、Postcard Museumの文字があるように、此の版権は神戸市にある「絵葉書資料館」に属している。そこでA4サイズに拡大した写真を
     一枚注文したいと思っている。写真が手元に届くまではお許しいただいて、到着次第写真をスキャンして差し替えようと思っている。)

 大正13年、熊本市は桜町一帯で「国産共進会」というイベントを行っている。そんな時期にはまだ市電は桜町を直進していた。
公会堂は13年の暮れに竣工したとあるから、この写真は国産共進会も済み賑わいが一段落した後のものであることが判る。
市電の路線が現在のようになるのは、昭和3年のことである。


     

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■最後の奇跡の現象

2023-05-28 07:33:41 | 徒然

 熊本地震後、今のAPに引っ越してきてから7年を少々過ぎた。
ある朝、玄関ドアのドアスコープがやけにまぶしいことに気付いてもしやと思い反対側の壁をみてみたら、見事に七色に輝く像を刻んでいた。地震から三年後(2019)のことである。  ■一瞬の奇跡
2020年6月22日には■日蝕から14時間目、21年6月23日に■季節を知るすべ、去年6月23日に■サボテンの花と共に・・
と毎年この現象が気に成ってブログに書いた。
日にちがあまり変わらないのは、この時期にこの現象が起こる事を記録していたからのことである。

 引っ越しを前にして、この現象が見える時期はもうここにはいないなと妙にセンチメンタルになっていた。
処が今朝の事そのドアスコープがやけに光って見える。我が家の玄関には人感センサー付きの照明器具を付けているから、壁に像を刻んでいる事には気が付かないでいたが、スイッチを切ってみると何と壁ぎりぎりのところに像を刻んでいた。
ということは、例年今の頃にはこの現象は起きていたころになる。
約一ヶ月、ドアスコープの真正面に太陽が位置し、反対側の壁に虹色の数センチの玉を描き出したことになる。
今年は最後の証拠写真を撮影しようと思うが、光の道を遮らないように撮影しなければならないから、これがなかなか難儀なのである。
台風の影響で太陽が昇る日が少なくなりそうなので、明日も早起きしてチャレンジしようと思う。

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■早終いとぎっくり腰

2023-05-27 14:34:50 | 徒然

 引越し前にバタバタすると荷造りも出来まいと思い、早々に取りっかかったのは良いが、そこら一面ダンボールの山が出来ている。
三日ほど前から腰が痛みだし、椅子から立ち上がるのにも難儀するようになった。軽度のぎっくり腰だ。
それでも腰をかばいながら本の箱詰めを続けた結果、今日中には終了しそうな気配である。ダンボール16~7箱になった。
よくよく考えると家具の前に積みあがっているから、その家具をまず運び出すルートを確保しなければならない。
大地震の後の引っ越し前に、長さ50㎝×直系30㎜ほどの棒を2本購入して、家具などを動かすときにこれを使った。
これがあると重い物でもなんとか動かすことが出来るから、明日以降はダンボールをこれで動かそうと思っている。
見渡すと本棚に本がない。ブログのネタ探しにも支障をきたしている。
最期の箱はガムテープを張るのをしておらず、この箱の本を取り出してあと2週間ほどを過ごすことになる。
借りた本を返さなければならず、明日にでも図書館に出かけようと思うが、ぎっくり腰で自転車に乗れるかしら。
何かブログネタのためにコピーを採ろうと思っている。
現在のWi-Fiの解約、引っ越し先での新設と手続きや立ち合いも大変・・・・


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■御扶持方御切米御帳(8)

2023-05-27 06:55:41 | 史料

  御留守居諸奉行ー(3

一 三人扶持拾石          鍛冶奉行 山下少兵衛
一 貮人扶持拾石          同    吉村弥三左衛門
一 三人扶持拾石          御畳奉行 成瀬作丞
一 三人扶持八石          同    長得十兵衛
一 五人扶持拾五石      御普請道具奉行 坂根甚九郎
― 三人扶持拾石          同    久保四郎兵衛
一 三人扶持拾五石         石垣綱見 北川作兵衛
一 右同断             同    野口平右衛門
一 右同断             同    北川吉右衛門
一 貮人扶持拾石          石切奉行 竹崎久右衛門
一 三人扶持拾石          御銀横目 徳永市兵衛
一 三人扶持拾石          同    豊永太兵衛
一 貮人扶持八石          白土奉行 野口助左衛門
一 貮人扶持五石          同    川邉兵右衛門
一 三人扶持拾石       御鉄炮請合奉行 渡邊平左衛門
一 貮人扶持拾石          跡家奉行 秋吉少太夫
一 三人扶持拾石         萬細物奉行 宮木角兵衛
一 右同断             同    山田五郎兵衛
一 三人扶持八石          桶屋奉行 高並善右衛門
一 貮人扶持拾五石         同    西村十兵衛
一 三人扶持五石      御臺所御仕置奉行 庄村仁左衛門
一 貮人扶持拾石          同    斎藤権兵衛
一 三人扶持拾石          同    丸見勝左衛門
一 右同断            仕出シ奉行 松本長左衛門
一 三人扶持七石          同    河内山吉兵衛
一 三人扶持拾石          桐油奉行 三輪加左衛門
一 貮人扶持拾石        御米かち奉行 永田孫左衛門
一 右同断             同    南浪彦兵衛
一 貮人扶持五石          同御横目 辻 九右衛門
一 三人扶持拾石          用水奉行 眞玉半左衛門
一 右同断             同    高橋仁左衛門
一 右同断           大津新開奉行 緒方甚左衛門
一 貮人扶持拾石          同    西田羽右衛門
一 三人扶持拾石        御荒仕子奉行 南野九郎兵衛
一 右同断             同    戸田惣兵衛
一 右同断          岩神御米売奉行 南 五兵衛
一 貮人扶持拾石          同御横目 本田平助
一 三人扶持拾石        長崎御蔵奉行 松野忠兵衛
一 貮人扶持拾石          御皮奉行 糸谷弥太右衛門
一 三人扶持五石         御屏風奉行 八並市右衛門
一 貮人扶持拾石          渋帋奉行 後藤七左衛門
一 貮人扶持六石         御あミ奉行 西田吉左衛門
一 貮人扶持七石     上方ゟ下物受取渡人 上垣京右衛門
一 三人扶持拾石        御奉行所取次 山下角丞
一 三人扶持七石          同    甲野傳右衛門
一 三人扶持拾石          同    永瀬兵太夫
一 右同断             同    大野儀左衛門
一 三人扶持拾石          同    井手八郎右衛門
一 三人扶持七石          同    横山三郎兵衛

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■光尚のないしょ事

2023-05-26 10:01:57 | 史料

 三斎忠興の死後の八代は、まるで謀叛でも起こりそうな雰囲気が伝えられている。
実際はそうでもなかったのだろうが、三斎附の重臣たちが三斎の遺言の履行のために本藩の意向もうかがわずに独自の行動を行ったことによる、光尚の強い不信感が見て取れる。溺愛した立孝の遺児・行孝の宇土に於ける立藩は、薩摩に対しての八代の重要性を考えると、本藩の意を十分に機能させ得ないと感じている。
そこで松井興長が八代城主に起用されるのだが、次の書状によると興長に対して光尚は隠密裏の中で、この人事を画策していたことが判る。そして幕府の粗方の同意が得られたうえで、興長に対して理の書状ともいうべきこの書簡を送った。
三斎の死後、遺族は七日間のうちに八代を退去することを求められ小川のお茶屋に移った。
八代城は誰に委ねられるのかは、細川家家臣たちの最重要関心事であったろうし、松井氏の入城も選択肢の一つとして噂されていたのかもしれない。しかし光尚は、本人松井氏ほか藩の誰にも相談することなく、幕閣や小笠原家などと隠密裏に松井興長の起用を考えていたのであろう。まさに深謀遠慮の光尚が名君と呼ばれる所以の一つのエピソード共いえるのではないか。


   ■正保三年五月廿六日、興長を八代城ニ被差置へきに付而、公儀ニ御伺被成、御内書被成下候、
                             (綿考輯録・巻61ー出水叢書・第7巻p324)
     貴殿八代へ召置候事、かくし申事ニ而ハ無之候得共、八代向之事未被仰出候間、
     其方迄内証申遣候間、可得其意候、其方外聞無残所候、此
段式部少可有物語候、
     八代向之儀、四五日中ニ被 仰出可有之候間、
其刻一度ニ急度可申遣候条、それ
     迄ハ不存分ニ可被仕候、謹言

                          肥後
        五月廿六日              光尚
              長岡佐渡守殿

 

 

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■御扶持方御切米御帳(7)

2023-05-26 06:41:04 | 史料

  御留守居諸奉行ー(2)

一 拾人扶持四拾石        御内検衆 坂井彦右衛門
一 三人扶持拾石         同    伊津野平兵衛
一 右同断            同    笠原五左衛門
一 右同断            同    篠山孫兵衛
一 三人扶持拾石         御内検  恵良甚丞
一 右同断            同    和知理兵衛
一 右同断            同    中野仙右衛門
一 右同断            同    横田仁兵衛
一 右同断            同    岡村半兵衛
一 右同断            同    高橋安丞   
一 右同断            同    庄野藤兵衛   
一 右同断            同    倉岡半右衛門
一 右同断            同    吉村宇兵衛
一 右同断            同    藤村七左衛門    
一 右同断            同    中島吉兵衛    
一 右同断            同    緒方平左衛門
一 右同断            同    原 甚右衛門
一 右同断            同    石橋勘左衛門 
一 右同断            同    吉村喜右衛門        
一 右同断            同    佐藤徳左衛門
一 右同断            同    田尻次兵衛
一 右同断            同    関 仁兵衛   
一 三人扶持拾石         御内検衆 井上九兵衛    
一 右同断            同    前田清兵衛
一 右同断            同    高濱六右衛門
一 右同断            同    北川金右衛門
一 右同断            同    森山九右衛門
一 右同断            同    橋爪三郎左衛門   
一 右同断            同    上田吉左衛門    
一 右同断            同    樹木八兵衛
一 右同断            同    高橋杢左衛門
一 右同断            同    原田源右衛門    
一 右同断            同    日武加右衛門    
一 右同断            同    松村市左衛門
一 右同断            同    阿山三郎兵衛
一 三人扶持拾五石        同    峯川傳左衛門        
一 右同断            杣奉行  村川作左衛門    
一 右同断            同    今戸半右衛門
一 三人扶持拾三石       御算用奉行 佐野島平兵衛
一 三人扶持拾石        御買物奉行 犬童太郎右衛門    
一 右同断            同    三好半右衛門    
一 右同断            同    手島小左衛門
一 右同断            同    赤尾茂兵衛
一 貮人扶持拾石     御扶持方付替奉行 斎藤平左衛門    
一 貮人扶持八石         同    尾方次郎右衛門    
一 三人扶持七石         御紙奉行 堤 四郎兵衛
一 三人扶持八石         同    田内清左衛門
一 貮人扶持拾石         御薪奉行 古庄次左衛門    
一 貮人扶持拾石         同    池田四郎兵衛    
一 三人扶持拾石         直段奉行 原 喜右衛門
一 右同断            同    田内半左衛門
一 貮人扶持拾石         同    森 作右衛門    
一 三人扶持拾石         同    赤星加左衛門    
一 右同断            同    鹿子木徳太夫
一 右同断            職人奉行 塩津与三左衛門
一 右同断            同    宗田彦右衛門
一 三人扶持拾五石        御役人割 山本吉助    
一 三人扶持拾石         同    原 惣兵衛
一 右同断          御作事小奉行 南部次右衛門
一 貮人扶持拾石         同    上野文右衛門    
一 貮人扶持八石         同    永井五左衛門    
一 右同断            同    廣濱少右衛門
一 右同断            同    秋吉源左衛門
一 右同断            同    波多兵左衛門    
一 右同断            同    神山安左衛門    
一 右同断            同    渡邊七左衛門
一 右同断            同    守田九郎左衛門
一 右同断            同    中村佐左衛門
一 右同断            同    藤田九左衛門
一 右同断            同    中村半左衛門
一 右同断            同    名村喜兵衛
一 右同断       川尻御船作事小奉行 古川五郎右衛門
一 貮人扶持拾石         同    今村惣兵衛
一 三人扶持拾石        御材木奉行 守田又兵衛
一 右同断            同    河内山助左衛門
一 右同断            御竹奉行 大槻久次
一 三人扶持八石         同    入江与三左衛門
一 貮人扶持拾石      川尻御材木奉行 福島次左衛門
一 右同断            同    須子又左衛門
一 右同断            同    大塚権左衛門

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■大日本近世史料・細川家史料「忠興(三斎)文書-元和七年」を読む (3)

2023-05-25 10:34:27 | 先祖附

忠興(三斎)文書-元和七年

311、九月廿八日書状
 ・鷹ノ鶴二ッ給、令満足候

312、九月廿八日書状
 ・上方町人ニ豊前ノ山林ヲ請ケシム

313、九月廿八日書状
 ・老後ノ慰ミノタメ鷹場ヲ所望ス
 ・惣国鉄炮留
 ・四郡ヲ三斎餌差場トセラレタシ

314、十月三日書状
 ・梅若ノ能面ヲ請取ル

315、十月七日書状
 ・亥ノ祝儀、令満足候

316、十月十一日書状
 ・常ニ目まいノ氣分

317、十月十二日書状
 ・鴈一ッ給、令満足候

318、十月十三日書状
 ・隠居見舞不参ニツキ無分別ヲ申シ後悔ス 
    (原文=我々隠居不見廻者共之事、此以前無分別ニてむさと志たる儀を申、後悔ニ候) 記事301、309参照されたし

 ・中山勘解由一両日中肥後下向

319、十月十八日書状
 ・家臣ヨリノ銀子返済ノコトナド聞届クル氣力全クナシ
  公儀傍輩ノコト以外ハ耳ニ入ルゝニ及ズ
 ・家中縁辺(結婚)ノコトハ関知セズ

320、十月十九日書状
 ・能興行ニ折給、満足

321、十月廿日書状
 ・家臣ニ取替タル家ノ代銀及ビ大坂ノ川舟ヲ忠利ニ渡ス

322、十月廿六日書状
 ・移徙祝儀ノタメ忠利中津ニ立寄ルノ要ナシ
 ・国中貸米ノコト
 ・立花宗茂書状拝見
 ・(忠興女相婿)臼杵藩主・稲葉典通と日出藩主・木下延俊ノ不仲ヲ和解セシメン

323、十一月五日書状
 ・臺子棕梠箒ナドヲ贈ラル

324、十一月十三日書状
 ・算用ノ餘米ヲ家中ニ貸すベシ

325、十一月廿日書状
 ・国中ヘノ貸米(500石程)
 ・家中貸銀取立分五十貫目ヲ請取ル
 ・大坂ニテ取立タル銀ヲ中津ニ送ラレタシ
 ・小身者ノ借米借銀取立
 ・三渕伊賀(好重=忠興叔父)借米可成取立、残候米ハ借状可被申付
 ・忠興袖判ノ上方借銀
 ・忠利江戸召連ノ者ノ借銀借米ヲ切米ト差引ク、銀子出入ノ者ハ穿鑿中

 (忠利十一月下旬小倉出立、京都吉田滞在を経て、十二月十四日江戸到着)

326、十二月廿七日書状
 ・松平忠直ノコト
 ・歳暮ノ祝儀、令満足候

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■大旱(ひでり)が産んだ村々の山車

2023-05-25 06:51:17 | 熊本

 熊本市古町の出身で大阪毎日新聞の取締役・編集主幹などの要職を勤め、後には明治大学教授となられた岡崎鴻吉氏は、昭和27年に「熊本御城下の町人」を上梓刊行されている。
酒屋さんを手広く商売を為されていたお宅らしいくその出自は毛利氏だという。
自らを「金あげ侍」と称される古町の有力者のお一人であったらしく、多くの古文書が残されていたらしい。
いわゆる永青文庫(侍世界)などに残る資料とは目線が異なる、熊本の町、又近郊の村々の様子などを書き記されて、その資料をひも解きながら展開する空気感が大変面白い。
今日もダメージがひどいその本の頁をめくっていたら、頭書の事柄に出くわして大変興味深くご紹介したいと思い引用させていただく。

 さて、明治六年は熊本は大旱(ひでり)であったらしく、県官は雨ごいの為に宮詣り令を出した。
そうなると、農民たちがいきり立ち、その年の七月には各地で作り物の山車(だし)を引き回して、太鼓を打ち鳴らして市の内外を練り歩いた。
その作り物は農村らしくない風流なものばかりで、小農貧農の頭から出たものではなかろうと推測されている。
当時のこれらの村々は、人口も多くはなかったと思われるが、藩政時代の抑圧された鬱憤を爆発させるようにこのように多くの村々が参加したことに驚きを禁じ得ない。

また御城下の西北部~西南部に広がる村々に限られているように思えるが、これはどうした訳であろうか?
村々の山車その他の記録が残っている。労を惜しまずにご紹介したい。

  横手村=猩々太鼓   御寺領村=山伏鐘祈・太鼓   筒口村=菊慈童   戸坂村=紅葉狩・太鼓
  春日村=春日竜神   久末村=社司二人太刀持傘持乗馬一匹馳   阿弥陀寺村=火玉・雷神馬上馳
  田崎村=小野道風・太鼓   八島村=吉野静・太鼓   宮寺村=水王人形・太鼓・社司馬上馳
  古町村=玉遂ひ竜・僧都馬上馳   新土河原村=雨乞小町・太鼓・大菁(かぶ=大きな町巾一パイ)
  田崎村=清姫 但鐘ひき音頭子供五十人、鐘高さ二間・大きさ町巾だけ)
  権藤村=菊尾花・太鼓・山伏六百人余、僧平貫蔵院但人形俗にいふ低鼻院
  島村=牛蒡・太鼓・頼光大江山歸陣鬼首   島新村=浪走兔・太鼓・天拝山神楽舞雷神
  荒尾村=月に薄・太鼓・稲田姫   十三村=宝珠・海女の珠とり・太鼓   土河原村=雨乞小町・太鼓
  今村=小野道風・太鼓・雷神馬上  刈草村=珠・風王・太鼓   池畑村=輿竜神・太鼓
  上・中・下椎田村=芦蟹・大亀(巾町巾、長さ五間)   上白石村・上大久保村・妙実村=牡丹蝶・龍虎
  大保村=石鳥居・熊野権現額文・熊野尼大団扇   渋江村=三宝・神酒徳利麦藁細工・奴振
  白石村=唄船・太鼓   村名不詳=稲田姫   浜口村=弓削道鏡・太鼓   畠口村=珊瑚珠大鯨魚尽し
  正保村=傘行列
     

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■御扶持方御切米御帳(6)

2023-05-24 09:13:41 | 史料

御留守居諸奉行

 一 三人扶持拾五石           御代官 吉田善右衛門
 一 右同断               同   唐澤助兵衛
 一 三人扶持拾三石           同   田邊又右衛門
 一 三人扶持拾石            同   尾林与三兵衛
 一 右同断               同   加来次郎兵衛
 一 右同断               同   樹木新右衛門
 一 右同断               同   中嶋次兵衛
 一 右同断               同   高橋久左衛門
 一 三人扶持拾石            同   岩田甚右衛門
 一 右同断               同   小山次郎左衛門
 一 右同断               同   星出儀兵衛
 一 右同断               同   池田源助
 一 右同断               同   野村兵左衛門
 一 右同断               同   島田勘左衛門
 一 右同断               同   末次太郎右衛門
 一 右同断               同   野村太兵衛
 一 右同断               同   坂本弥左衛門
 一 右同断               同   井上七郎兵衛
 一 右同断               同   住江三丞
 一 右同断               同   吉井少兵衛
 一 右同断               同   長江茂左衛門
 一 右同断               同   岡島仁左衛門
 一 三人扶持八石            同   河邉与市右衛門
 一 貮人扶持拾石            同   久富市兵衛
 一 右同断               同   有田吉兵衛
 一 貮人扶持拾石            同   渡邊清兵衛
 一 貮人扶持拾石            御代官 右田三右衛門
 一 右同断               同   庄 理左衛門
 一 貮人扶持七石            同   古川忠兵衛   
 一 三人扶持拾石           御蔵奉行 吉村次左衛門
 一 右同断               同   杉原忠兵衛
 一 右同断               同   平川三郎左衛門
 一 右同断               同   高橋善太夫
 一 右同断               同   安永喜兵衛
 一 貮人扶持拾石            同   池邉太郎左衛門
 一 三人扶持七石            同   益田藤兵衛
 一 右同断               同   佐村又左衛門
 一 右同断               同   緒方長左衛門
 一 貮人扶持八石            同   山田九兵衛
 一 貮人扶持拾石            同   横田平右衛門
 一 三人扶持拾石           御銀奉行 野村三郎兵衛
 一 右同断               同   大矢野吉兵衛
 一 右同断               同   篠原文左衛門
 一 三人扶持拾石           御銀奉行 斎藤源丞
 一 右同断               同   生源寺武右衛門
 一 右同断               同   伊藤彦左衛門
 一 右同断               同   本郷傳右衛門
 一 右同断               同   近見少左衛門
 一 右同断            川尻御蔵奉行 進 仁右衛門
 一 右同断               同   男澤加左衛門
 一 右同断               同   田尻市兵衛
 一 三人扶持七石            同   宮川九右衛門
 一 三人扶持拾石         高橋御蔵奉行 中嶋儀左衛門

 一 右同断               同   菅 傳丞
 一 右同断            大津御蔵奉行 石橋十右衛門   
 一 貮人扶持拾石            同   竹島加左衛門
 一 五人扶持貮拾石        御客屋賄奉行 内藤左大夫
 一 五人扶持貮拾石           同   生田四郎左衛門
 一 三人扶持拾石          御遣物奉行 財満次左衛門
 一 右同断               同   熊野半左衛門
 一 右同断               同   野間理右衛門
 一 三人扶持拾石           表御納戸 安田三郎兵衛
 一 右同断               同   松岡彦兵衛
 一 右同断             御馬具奉行 荒木権右衛門
 一 拾貮人扶持三拾石              石田検校
 一 五人扶持拾五石 内五石者小者壹人給分      不清
 一 貮拾人扶持             組物屋   徳斎
 一 拾人扶持              塩飽屋   長然
 一 拾人扶持              はかせ   大膳
 一 五人扶持                  梁 三哲
 一 三人扶持拾五石 小者三人分壹人二付     同人
           壹人扶持御切米五石宛
 一 三人扶持              唐人三官子 三作
 一 拾人扶持                  宇田長門
 一 五人扶持拾五石               仙賀市右衛門
           
   

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■大日本近世史料・細川家史料「忠興(三斎)文書-元和七年」を読む (2)

2023-05-24 06:41:47 | 先祖附

忠興(三斎)文書-元和七年

299、九月三日書状
 ・忠利、嫡子六丸ヲ江戸ニ同道セントス
 ・忠利室・千代姫ノ江戸下向ハ土井利勝ト相談ス
 ・万事仕置ハ忠利ノ意向次第

300、九月四日書状
 ・為重陽之祝儀、喜悦

301、九月五日書状
 ・忠興隠居後、未ダ見舞ニ不参ノ者アリ
 ・重テノ催促ニモ不参ハ訝シ
 ・外聞モアレバ然ルベキ様申付ラレタシ

302、九月八日書状
 ・たいらぎ十七送給、祝着

303、九月十一日書状
 ・大坂廻米ノ運賃ハ六分
 ・国中浦々ヨリ小倉ニ廻ス米ノ運賃高シ

304、九月十二日書状
 ・祇園神事能、十一日雨天ニヨリ一日日延

305、九月十六日書状
 ・花畠ノ柿ノ初成一籠(十五)給、祝着

306、九月十九日書状
 ・忠利中津知行取ノ小物成ヲ忠興ニ附ス、(三斎返)中津侍ノ小物成ハ忠利ノ取ルベキモノ
 ・銀米ニ事欠カバ書立合力ヲ乞ハン

307、九月廿日書状
 ・給人へ貸付ケタル米銀ノ取立、中津召連ノ者家モナキ故知行ノ口明ヲ早ム
 ・中津城普請竣工セザルモ歩小姓等ヲ小倉ニ返ス

308、九月廿ニ日書状
 ・小者・仲間ヲ返す

309、九月廿六日書状
 ・大坂普請無精者ノ処分
 ・国中ノ苦労ユヘ無用ノ者中津ヘノ見舞ハ不要 (301、九月五日の書状により多くの侍が中津に見舞に押し寄せたため)
 ・忠利ニ台所人ヲ返す

310、九月廿七日書状
 ・小倉北ノ丸ノ植木ヲ中津ニ移ス

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■御扶持方御切米御帳(5)

2023-05-23 07:03:53 | 史料

御役者衆
 一 拾人扶持三拾石               吉武兵右衛門
 一 拾人扶持銀壹貫五百目            中村次郎兵衛
      但御扶持方ハ大坂著米ニ而渡、銀子ハ二季ニ被遣
 一 五人扶持三拾石               藤井安兵衛
      但御扶持方ハ大坂著米ニ而渡
 一 拾人扶持五拾石               平井十兵衛
 一 拾人扶持大佛判貮枚 大坂渡り          飛羽清右衛門   
      外ニ江戸御国へ相詰候時ハ五人扶持増被遣       
      大佛大判 、大閤大判 、大閤二分判、大閤圓一分判金等 ある も製造年代審かな らす。 )

 一 拾人扶持四拾石 大坂著米ニ而二季被遣      山口権助
        外ニ江戸・御国へ相詰候時ハ五人扶持増被遣
 一 拾五人扶持四拾石大坂著米ニ而二季被遣        深坂忠左衛門
 一 拾人扶持大判貮枚              藤寺七太郎

 一 拾人扶持四拾石               西島市左衛門
 一 拾人扶持貮拾石               奥野五兵衛
 一 右同断                   石田新次郎
 一 四人扶持拾五石 御扶持方斗大坂渡り           福西喜左衛門
 一 右同断                   福王十三郎
 一 五人扶持貮拾石               平井市兵衛
 一 七人扶持貮拾石  御扶持方斗大坂渡り         竹中市郎兵衛
 一 三人扶持拾石              衣裳きせ    傳右衛門
 一 百石  大坂著米ニ而渡ル                   河井専右衛門
      此百石之内ニ而拾五人ふち毎月相渡ル餘米ハ其替ニ被遣
 一 百石  右同                           神戸十左衛門
      此百石之内ニ而拾五人ふち毎月相渡ル餘米ハ其替ニ被遣
 一 拾五人扶持                   豊後屋清兵衛
 一 拾人扶持                    高木与五郎
 一 五人扶持                    宮村権三郎
            (扶ヵ)
 〇御扶持方合百六拾三人御持
 〇御切米合五百五拾石
 〇金大判四枚
 〇銀子壹貫五百目   人数貮拾壹人
    外ニ拾人扶持ハ御増扶持也

御物書・御算用衆                 (ママ)
 一 三人扶持貮拾石                案藤角左衛門

 一 右同断                    阿川十兵衛
 一 三人扶持拾石                 後藤喜左衛門
 一 三人扶持八石                 加来次左衛門
 一 三人扶持拾三石                深野五左衛門
 一 三人扶持拾石                 竹田八右衛門
 一 右同断                    亀尾三太夫
 一 右同断                    横尾吉兵衛
 一 右同断                    宮崎七左衛門
 一 右同断                    菅 権兵衛
 一 右同断                    嘉悦杢兵衛
 一 右同断                    永井安兵衛
 一 右同断                    原田又左衛門
 一 右同断                    野田猪兵衛
 一 右同断                    加来十兵衛
 一 右同断                    竹崎武左衛門
 一 右同断                    河村勘左衛門
 一 右同断                    中島平兵衛
 一 右同断                    坂田勝兵衛
 一 右同断                    片岡三丞
 一 右同断                    芦名彦兵衛
 一 右同断                    和田理左衛門
 一 右同断                    平松金左衛門
 一 右同断                    甲斐勘左衛門
 一 右同断                    足立瀬兵衛
 一 右同断                    篠原安右衛門
 一 右同断                    山田杢丞
 一 右同断                    南野九兵衛
 一 右同断                    大塚安丞
 一 右同断                    中村甚左衛門
 一 右同断                    佐伯徳兵衛
 一 右同断                    竹内善兵衛
 一 右同断                    芦名杢太夫
 一 右同断                    有田吉右衛門
 一 右同断                    河内山十左衛門
 一 右同断                    坂本喜兵衛
 一 右同断                    北川四郎右衛門
 一 貮人扶持拾石                 廣吉傳丞
 一 右同断                    波々伯部甚兵衛
 一 三人扶持七石                 野上五右衛門
 一 右同断                    中島安左衛門
 一 右同断                    則元藤兵衛
 一 右同断                    服部市左衛門
 一 右同断                    竹田文右衛門
 一 貮人扶持八石                 古藤助左衛門
 一 貮人扶持七石                 永松源丞
 一 貮人扶持五石                 守部新兵衛

 〇御扶持方合百三拾六人扶持
 〇御切米合四百六拾六石          人数四十七人                  

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