津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

岩滝の歴史

2005-02-22 12:41:18 | 歴史
 忠興の妹伊与の婿殿は細川家史料では一色義有としているが、他の史料による
と義俊とか義定などとしている。少し時代を遡ると義有という人がいるが別人である。
義有(義俊)は義兄忠興に謀殺されるのだが、地元に残る史料はその事変の日時
が違うとか、事変後伊与(菊姫)が自ら命を断つなど内容が混乱を極めている。
「岩滝の歴史」というサイトがある。代表者一色氏が経営される丹後ちりめんの会社
のサブサイトだが、昭和45年に発行された「岩滝町誌」から転載されている。丹後
時代の細川氏の動きが垣間見られて興味深い。関係者のご努力に敬意を表したい。
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WANTED

2005-02-11 11:54:06 | 歴史
「赤穂義士資料館」の佐藤さんからBBSに書き込みを戴いた。
堀部弥兵衛の介錯を務めた米良市右衛門について、ご子孫の縁類の方がWEB
上にエッセイを書かれているとのこと。さっそく覗いてみると、大叔父「米良爺」に
ついての事が、機知あふれる文章で紹介されていた。
それによると直系のご子孫が、何らかの史料をお持ちらしい。
札幌周辺にお住まいらしいが、珍しいお名前だけに何とか見つけ出せないかと
捜索活動を開始した。なにかうまい手立てが無いか、思案投げ首中・・・・
エッセイを書かれた方のサイトも所在がわからないし・・・・さてさて
コメント (6)
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