津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■沼田家記2・延之様御一代諸事御勤一帳(三)

2021-04-16 07:42:09 | 沼田家文書

            長崎黒舩一巻之叓 此儀光尚公御代之内      参考:正保四年長崎警備の図 
                    (ニ) 

          一七月朔日之朝夜明に肥前之内茂木と申所に御上り
           長崎江壱里真中に茂木峠と申大きなる坂御座候
           明石源左衛門殿組二十挺に候得とも足軽居合不申漸
           十人被連御鉄炮十挺持せ先立御押候 長崎町江入口にて
           勘ケ由殿御装束道服立付にて御出立被成直に政所へ
                       延武
           御出供之人数ハ同苗御息三左衛門殿被召連長崎御宿
           平戸町にて平戸屋助左衛門と申者之処へ御着勘ケ

           由殿政所江御出馬場三郎左衛門殿・日根野織部殿
           高力摂津守殿御對面此三人之衆より思召之外早ク
           御越之由にて段々被仰渡壱万三千の人数連レ参
           候よし御申候 舩場先土居之首に可被居候由にて夫より
           平戸屋助左衛門所へ御帰り政所御衆江御付人寺本
           八左衛門殿奥田藤右衛門殿御付候よし之事
          一阿蘭陀舩作り様大方黒舩に似候由に付様子御覧
           有度と政所江御届候に相叶政所付之与力衆一人
           通詞壱人天野屋佐太郎被召連候得と差圖にて
           阿蘭陀舩御覧其晩暮自分に土居之首に舩とも着候
           注進有之御乗候御組衆夜に入り追々着舩之事
            其比左近
          一柳川立花飛騨守様御家老十時三弥其時分高木
           之湯に入滞留之内に柳川勢も御出し候得と有之候付

           三弥高木より直に長崎江被越候 勘ケ由殿御越候
           其次に三弥被参候 柳川勢は家老矢嶋主水と
           申仁大将にて跡より着舩之事
          一政所江諸手の大将/\伺公一座頭に勘ケ由殿其次に
           平野弥次右衛門殿次に肥州之家門鍋島山城此仁ハ鍋
           島信濃守殿之国腹之御息之由家老ハ多久美作先手
           に鍋島七左衛門此仁は源塘代々之地頭 次に十時三弥矢
           嶋主水 寺沢兵庫頭殿より御家人守津縫殿之介並河
           太左衛門 松浦肥前守殿は松平筑前守殿後陳ゆへ諸事
           小笠原信濃守殿家来小笠原次郎兵衛番頭長岡
           久兵衛此久兵衛は勘ケ由殿伯父にて有之ニ付勘ケ
           由殿舩に見舞其後家老小笠原次郎兵衛も見舞被申候
           稲葉能登守殿よりも使者被参勘ケ由殿舩に見舞

           嶋津修理太夫殿より大身の使者長崎之津に大舩弐艘
           にて被参候 苗字は三原と申名は不知嶋原江も此仁
           親被参候由其時は三原左衛門と申由沙汰仕候 此方江
           通路は無之候事
          一右大将/\寄合之上ニ而政所衆被仰候ハ黒舩之儀
           江戸江被伺候其内に順風を見敵舩出候事も可有之候
           其用心に諸手より瀬戸へ大綱を引かけ當候様に
           可被仕候 木鉢と申候内瀬戸にて間も狭く是も政所衆
           被仰付度御口振にて候得とも左候ては當番前松平
           筑前守殿陳所斗此内に成加勢之諸手は大網
           はり切外江成候に付何連も不被聞入諸手の外よう
           ちうの入口高同こと申瀬戸口六十餘有之をはり切
           可申と一同に届被申相叶政所衆諸手之大将無余儀

           届所と思召被仰付候由扨一家中切に海上に大舩を
           まくはり其上に大綱を引帆柱を立中にも大綱を引
           渡申候 御家のハ勘ケ由殿下知にて大舩を間近く懸
           ならべ其上に横弐間余にむらなく大綱を引キ其
                   スガキ
           上にて丸太木を簀■の如くかき付ケ間壱間合宛に
           合掌を左右より立棟木所にても大綱平五通り
           二枚竹のことく大綱を引せすかきの上に人数何程もかけ
           通り防申候様にと被仰付出来仕陸地へ不相変様子
           にて御座候事

 

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■読み解きたい文書

2021-04-16 06:45:20 | オークション

      細川忠利書状 掛軸 細川忠興・ガラシャの子 初代熊本藩主 古文書 消息 花押状 戦国大名 戦国武将

 

 非常に興味深い文書が登場した。書き出しの「采女様」とは何方であろうか。忠利時代交流のある人物で心安く「采女様」と読んでいるのは、豊後府内藩主にして長崎奉行も務めた竹中重義であろうか
采女は長崎奉行時代の密貿易が幕府に知られるところとなり、寛永十年には罷免され、後には切腹を仰せつかっている。
違うかと思いよくよく紙面を眺めて居ると、上段中央のやや左寄りに「淺采女殿」と見える。
浅野長政の三男・長重だ。ウイキペディアによると、慶長五年(1600)采女正に叙任されている。細川家は浅野家とも非常に懇意である。
忠利が越中守を名乗るのが元和八年(1622)十二月であり、長重は寛永九年(1632)に亡くなっているので、その間約10年の間の書状であるが、日付に「閏八月」とある。
10年のあいだで八月が閏月になるのは、元和九年しかない。元和九年閏八月十三日の書状であることが判る。
これはこの文書を読むにあたり、大きなヒントになる事だろう。
        
 宛名の加々山主馬(可政1,000石)はよくわかるが、左の人物は何方だろうか(冨田?)
興味深い文書だが、随分高値になるのではないか? 年金爺には到底太刀打ちできそうにないから、早々に撤退することにして、ただ、なんとか全文読み下してみたいものだと思っている。
                             

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■子供らの水浴びと小堀邸跡

2021-04-15 13:50:17 | 徒然

            

 昨日返却が遅れた本を返しに県立図書館に出かけて、この辺りを散策した。
下の写真の右手、地図ではマークした場所の下(北側)に「ぞうさん滑り台」がある水深がひざ丈程の天然プール(水場)があり、夏になると子供たちの嬌声が聞こえる。
昨日はここに遊ぶ人はいなかったが、左手の川の中で、小学生の高学年らしい男女六七人が泳いで居るのにびっくりしてしまった。
昨日は気温も20度にはなっていなかったのではないか?。この場所はまさに私が子供のころ遊んでいた場所そのものである。
子供は元気だ。水着というわけでもないが、裸で泳いで居る猛者も居る。
証拠写真を撮ろうかと思ったが、いろいろうるさいご時世だからこれは控えることにした。
通りがかったご婦人が「見たばかりで震え上がる」と言っておられたが・・同感。

 上の地図にマークした場所を南から写しているが下の写真で、林の中がかっての細川家家臣・小堀家の屋敷跡である。
母方の祖母の実父の兄弟のほとんどが透水術・小堀流の師範を勤めていた。
このとんでもないでかい屋敷に祖母の従姉妹たちが住んで居たので、幼いころ二三度あそびに出かけたことを覚えている。
屋敷の北側に溶岩流の谷間が有り、ここから綺麗な湧き水が流れ出ていて、川舟がもやってあった。
写真でもわかるように西側には、樹々がうっそうとしているが、相当な年代物である。
そして、私が水遊びに興じた場所の東の崖上がこの小堀の屋敷であるが、子供のころは全く気付かなかった。

 現在体育館がある当りに、かって日本一といわれた酒精(アルコール)工場があって、その排水で江津湖の一部はドロドロになってしまったが、大正二年に此の江津湖で遊んだ徳富蘆花もその現実に遭遇して眉をしかめている。
排水の落し口が何処であったのか、私はよく理解していない。少なくとも私が遊んでいた場所は、いつもきれいな水であった。
幼いころの思い出は、誠にかけがえない物であり、この豊かな自然の恵みが壊されることなく未来につながってほしいと思う。

               

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■細川小倉藩(547)寛永八年・日帳(閏十月朔日~三日)

2021-04-15 08:33:11 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年閏十月)朔日~三日

         |                                       
         |   朔日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
         |一、安場仁左衛門尉、知行所ゟ罷帰候由ニ而、登城仕候事、
親ノ見舞ヨリ帰国 |一、かちの御小性伴次兵衛、肥後へ親見舞ニ参、罷帰由ニ而、登城被仕候事、
蔵子ノ詮議    |一、御蔵子弥市と申もの、御せんさくの儀ニ付而、御惣庄や城野五郎左衛門書物持参候を、請取置申
         |  候事
         |  (波多)
国遠道倫溜池ノ内 |一、中庵ゟ、入江勘三郎を以被申候ハ、国遠道倫開之儀、此中承及候、道倫御城ニも久敷被詰居、万
ヲ開キ放置ス   |  事之儀合点参筈候処、御ため池ノ内なと開申たると候て、打すて申儀、世間之ひはんもめいわく
作付ケセシメン  |                         大学殿なと
         |  なる儀候、存寄申躰にか/\敷仕合ニ候間、今一度、御談合候而、右開之内、少成共、作仕候様
         |  ニ、被仰付間敷候哉と、被申候間、談合可申由、返事申候事、        

         |                                       
         |   二日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也、
         |一、永良長兵衛銀子之切手有之書状、今日罷上候御船頭中靏仁左衛門ニ渡、上せ候事、
疊奉行へ表替ヲ延 |一、吉田源七郎をよび、申渡候ハ、御畳ノ表かへ、先被仕間敷候、御下国之御さたも候ハヽ、其時之
期セシム     |  儀ニ可仕候間、可被得其意由、申渡候事、
府内横目へ進物ノ |一、真玉半右衛門、苻内御横め衆へ御進物ノ使者ニ被遣、被罷帰候、御音信物請取候との裏書有之書
使者帰ル     |  付、弐枚持参被申候事、
請取ノ裏書    |

         |                                       
         |   三日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也、
彦山座主ヘノ申渡 |一、彦山座主へ被仰渡儀候間、我等共参人も、めし過ニ、監物殿へ参可申候、佐渡殿も被成御出候間、
ノ惣談      |  可参由、佐渡殿ゟ御使者被下候、畏存由、御返事申候事、
田川ニテ捉リシ鮭 |一、柏木二右衛門所ゟ、主小者田川ノ川にて鮭壱尺取候而間、上ヶ申由にて、書状相添、被持上候、
ヲ上グ      |  則、御台所へ渡候事、
山本村ニテ百性鮭 |一、規矩郡山本村にて、鮭壱尺取申由に而、神足三郎左衛門持被上候、朝山斎百性源二郎・三四郎と
ヲ捉リ上グ    |  申者取申由也、                                  (山本)
烏ノ蹴落セル鳩ヲ |一、池上加兵衛預り之御門ノわきにて、鳩壱つ、からすけおとし申由ニ而、持被上候、則、御鷹師二
鷹師へ渡ス    |  介所へ遣、

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■沼田家記2・延之様御一代諸事御勤一帳(ニ)

2021-04-15 06:22:07 | 沼田家文書

            長崎黒舩一巻之叓 此儀光尚公御代之内      参考:正保四年長崎警備の図 


          一正保三年ニ長崎へきどう外どう舩可参風聞仕候ニ付
           光尚公
           肥後守様御上り前に被仰出候は御人数被出筈ニ候ハヽ
           米田監物・勘ケ由可被遣候 一組被遣程之儀に候ハヽ勘ケ由
           可参候 監物組より藪市正・谷内蔵之允加り可参候 平野
           弥次右衛門・同茂左衛門・同四郎左衛門・同作左衛門勘ケ由組ニ入可参候
           鶴崎より御舩を呼置勘ケ由組之足軽役人共遠役
           等不遣熊本外曲輪内之普請を申付候へと御意にて候

           其年は黒舩参不申別条無之候事
          一翌四年其前に勘ケ由殿より殘る御老中へ被仰断候は
           長崎表之儀去年は舩不参候 當年は参る事も可有
           之候 去年御意之通に御手當被仰付可然由寄/\
           御催促候得とも何も御聞入無之候間靏崎より御舩も
           御呼寄無之勘ケ由殿組之足軽役人等も鶴崎方々へ
           遠役へ被遣居申候 然處に六月廿八日に長崎表へ南蛮
           舩二艘見へ候由入津之葡萄舩共申候由廿八日之晩方
           加勢之御人数被出候得と長崎政所衆より被仰趣ニ付
           俄に長岡式ア少殿・明石権太夫殿一同に御出勘ケ由殿
           も御出にて被仰候は如此可有之と存度々相届候に何連も
           御聞入なく候 監物殿へ貴様先御越之筈にて此勘解由ハ

           跡に残り居候ハヽケ様にハ仕間敷と 殿様御身躰にて
           隣国之叓ニ二千三千御出し兼延引候而は天下之御外聞
           不可然候 先年私儀御相役に被仰付候刻 殿様御意被成
           候は存寄之叓候共大方の儀ハ多分に付候へと被仰付候
           に付何事も不言候て聞入居候得共伯父子の或ハ家老之子
           のとて御脇の■なる仕合にて何角有之か若き
           殿様を家老奉行として欺シ申候 我等は罷越打死
           仕候 御横目衆御為を被候ハヽ此一々可申上候跡々之御為
           と存数年之鬱憤不残申置候 唯今相果て候而も存残
           す叓無之早参候と御立候得は式部殿玄関まで御老
           中不残御送り出御暇乞にて候 監物殿被仰候ハ一向に打死
           を可被仕候 扨も惜敷叓殺したむなき仁と涙を御流し候由
           金ノ間を近来唱
           扨火ともし候時分に御帰り候 御組中は杢之間座敷に御寄合

           候處に御帰り候て右之一々御語り早何も被帰候而随分
           急き御打立候得と追参在々ゟ人数参候を御待受夜
           五ツ時分に熊本を御打立沢村宇右衛門殿御壱人壱丁目
           勢屯迄御出迎暇乞蓮臺寺の渡り中程にて向之塘に
           松明熊本之方へ急き候を御覧候て川尻ゟ之注進に出迎
           承り候へと御申佐伯宇右衛門と申手廻りの頭走向ひ承り候に
           飛脚ノ者申候は勘解由様へ興津作左衛門殿ゟ之状を持参仕候
           と申候に付宇右衛門請取上申候川中にて灯烑を寄御覧
           候に御舩拵出来仕候間御急き被成候得と申来候付夫ゟ
           壱人御馬を早メられ御急き候 夜の内に河尻へ御着町口ゟ
           直に御舩可召候間乗舩之居所を見て参候さまにと見せに被遣候
           舩場御舩一艘も見へ不申候に付立帰り其段申上候處ニ御舩
           も乗申候御舩頭苗字は失念八左衛門と申仁紺之帷子

           葉大根ちらしたるを着いたし私は御召舩に乗申候
           御船頭何之八左衛門と名乗申候 直に御乗有之候間御
           先へ乗り候へと被仰候 御茶屋之前になり申候間川向ひを
           御覧候得は松明万燈之如くにて御舩おろし申候が御召
           舩はどれがにて候やと御尋八左衛門申候は只今向に御誘し
           申候が御召舩にて御座候と申候に付以之外立腹にて
           御茶屋に御入り候玄関前まて興津作太夫殿御出迎存之外
           早く御越被成候と被申上候得ハ舩拵出来之左右急き
           参候様にと注進被申候 直に可乗候間舩は何連にて
           候やと御申候得ハ作太夫殿返答不成候 そこにて勘ケ
           由殿刀を被押直扨々作太夫不届に候不出来之舩を出来
           候と被申注進被仕たるハ我等に難を付か申ため舩拵ハ
           出来被急候へと注進申候得とも勘ケ由速ク参り候と

           可申ため僞を被申越候 勘ケ由ハ早く参候得とも作太夫
           油断にて舩拵不出来仕合故勘ケ由は御茶屋ニ大■を      ■寝か
           仕居り候と言上いたし切腹すへき由御叱候て夫より御
           引籠り御しん成候 其後御用事候得共作太夫殿直に
           御出夫被成候間取次を以被仰達仕合御舩拵暁迄漸々
           五ツ過ぎニ出来候間勘ケ由殿召舩四拾六町・御嫡沼田三左衛門
           殿御舩四拾弐丁結舩四拾弐丁余米横目明石現左衛門殿舩
           四拾弐丁此四艘漸々出来合二十町小早其外ハ小早共
           にて出舩被仕候叓
           但南蛮船可参哉と風説御座候へつるハ正保二年
           之由御座候泉水之間に御具足櫃なと出居申候由
           然とも参り不申候 其年之十二月於八代 三斎様被遊
           御卒去勘解由殿八代江明ル秋まて御座候得共三年に

           何之物音も無御座年々過正保四年六月廿八日
           唐舩参り候由申来候 且又此出舩之刻丹羽龜
           之允殿より川尻御茶屋ニて暇乞之使者参り
           龜之允殿拝領之九曜御紋附御帷子二ツ御紋付
           肩衣斗熨斗を添追付御帰陳可被成よし
           

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■細川小倉藩(546)寛永八年・日帳(十月廿八日~晦日)

2021-04-14 14:52:20 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十月)廿八日~晦日

         |                                       
         |   廿八日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
田中氏次大橋ノ開 |一、兵庫ハ今日大橋之開所を見ニ被参候事、
所ヲ見分ス    |
江戸ヨリ飛脚ノ行 |一、江戸ゟ、友田二郎兵衛与梶取久丞罷下候、十月十四日ニ立、昨廿七日ニ中津へ着候而、今日参候
程        |  ニ持参仕 御書数之覚
 忠利書状年寄宛 |  一、御年寄衆へ被遣御文箱壱つ、
         |
 城信茂宛    |  一、城野織ア様へ被遣御文箱壱つ、是ハ則、佐渡殿へ相渡候也、
 沢村吉重宛   |  一、沢村大学方へ被遣御文箱壱つ、則、大学ものをよひ、相渡候、幷大坂ゟ之状も渡ス、
 惣奉行宛    |  一、私共へ被成下候 御書箱壱つ、
 少峯永勝院国遠 |    少峯
 道倫宛     |  一、永勝院 参人へ被遣 御書三つ下ル、
         |    道倫
大坂ヨリ袖判写  |一、大坂御蔵本衆ゟ、御袖判写、其外、殿様之書物共下ル、

         |                                       
         |   廿九日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也、
惣奉行等夏井興長 |一、今日は、三人共ニ、佐渡殿へ談合ニ参候事、
邸ニ談合     |
走リシ松井家加子 |一、佐渡殿加子ノ弥蔵と申もの曲事仕、筑前へ走申所ヲ、人留ニてとらへ参候由ニ而、今日御上候を、
ヲ新籠へ入ル   |  新籠ニ入申候事、
新籠ノ鍵ヲ林隠岐 |一、新籠之かぎ、恵三ヲ以、隠岐方へ相渡候事、
へ渡ス      |

         |                                       
         |   晦日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、兵庫・助進修理当番也、
         |一、今日、江戸へ遣御鉄炮衆・御長柄衆、のせ上候御船頭続仁右衛門ニ、京・大坂へ之状共相渡、遣
         |  申候事、
         |一、今日、江戸へ遣申御鉄炮衆、佐分利作左衛門与白石源兵衛、御長柄吉右衛門・仁介遣申ニ、渡遣
江戸へ文箱数ノ覚 |  申文箱数覚
         |  一、我等共ゟ、言上之文箱壱つ、内ニ 三斎様御書一つ
         |                     道倫言上一つ 入也、
         |  一、三斎様ゟ、御返書ノ御文箱壱つ、但、吉田孫四郎ニ被成御下御状ノ御返書也、
         |  一、佐渡殿ゟ、言上ノ文箱壱つ、
         |  一、城織ア様ゟノ御返書ノ御文箱弐つ、
         |  一、飯田才兵衛方へ、佐渡殿ゟ、ノそへ状壱包、
         |    (自徳院、松井康之室)
         |  一、しとくゐん殿へ、佐渡殿ゟノ状壱包、
         |  一、監物殿ゟ、言上ノ文箱壱つ、
         |  一、沢村大学殿ゟ、言上ノ文箱壱つ、
         |         (友好)
         |  一、同人ゟ、松井宇右衛門・飯田才兵衛へ之そへ状壱包、
         |                    (長岡考之)(辰珍)
         |  一、我等共ゟ、江戸諸奉行衆へ遣状、幷休斎様ゟ、津川殿へ被遣御状中ニ有之、其外御供衆中へ、
         |    方々ゟ参状ともかれこれ壱包、
中野某伽羅ヲ持参 |一、中野長兵衛登城仕候、伽羅を求申候、 三斎様懸御目か申と存、持参仕候、 殿様へも可被召上
ス        |  やと申候、

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■外付けHDDに残っていたお宝

2021-04-14 08:52:28 | 徒然

 わが帳面型電脳機器は、データの詰め込みすぎや不法侵略者が暴れまくり、作動状況がよろしくない。
買い替えるかとも思うが、年金生活者だからちょっとでかい出費には腰が引けている。
ならばHDDをいれかえるか?SSDに入替えようか、元桶が古いから、1-2TBくらいの外付HDDにしようかなどと等と無い知恵をふりしぼっている。

ふと昔使っていたIBMの外付HDDはどうなったんだろうと気が付いた。
丁度5年前の熊本大地震で、あるとあらゆるものが棚から飛び出し、ダンボールに入れたものさえぶちまけられてしまった。片付ける際に「捨てっちまえ」の掛け声よろしく処分して、最近奥方があれがない、これがないといいながら私のせいだと小言を言う。
PC周辺機器もご同様で私自身が困っているが、この外付HDDは健在だった。図面の原図を収納するのに使っていたスチール棚の一段下段の奥深く、ケーブルと共に顔を出した。
早速つないでみるが起動しない。電源のon/offが甘くなっている。青色ランプの点灯を確認、改めて接続すると動き始めた。
10年ほど前の機会だから容量が小さく、作動環境が抜群に良くなるという感じはない。
それよりも、HDDに残っていたデータを確認していたら、「あんた、こんなところにいたの」というような貴重なものが遺されていた。これは誠に有難いことで、今日はこれを一つ々々確認しながらUSBに落そうと思っている。
スピードアップのためには、新しく1TBの外付HDDを買おうかと思っている。値段も10,000円以下で録画をするわけではないからこんなもんでよかろう。
その内に帳面型電脳機も持主同様くたばるだろうが、その時はまた考えることにする。

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■沼田家記2・延元様御一代諸事御勤一帳(一)

2021-04-14 06:40:50 | 沼田家文書

                                                 延元(延之)様御一代諸事御勤一帳   延元は寛永元年に死去しており、以下の内容は息・延之の事跡である。

            御家御代々御出陣之時分御留守居役御断之事
          一先代加藤忠廣公落去之刻肥後陳と申候時分長岡

           佐渡殿ハ豊後杵築領地肥後筋にて候間被召連候
           勘解由延之小倉ノ御留守を被仰付候て兼て天下へ
           被召上置候は国本之儀長岡佐渡守・長岡勘ケ由ニ申
           付置候得は氣遣成事無御座候 御自身は何国にても
           御旗本へ馳付御奉公可被遊と被仰上置候間左様に被得
           可申旨被仰付候 勘ケ由御留守居之断被申上候内に無程
           肥後国無事に成 忠利公御拝領勘ケ由御留守居と
           有之候を心外ニ思召借銀に事寄小倉江御座候内弐知
           行一国ニ差上られ百人扶持被下候様にと御届候
           忠利公之御意に勘ケ由此申分にてハ定而馬乗共
           咄出し可申候 久敷家来共に候熊谷右馬之允・永井惣右衛門

           冨田小助各別の者共ニ候間知行其侭に御自分より
           被為拝領其外之馬乗とも當前の扶持方従
           公儀各別に可被為拝領候由之事

              嶋原陣之時之事    
            本ノママ永ノ誤
          一寛十四年嶋原陳之時分御城御定法に御人数
           出候叓有之砌は勘ケ由に御留守居被仰付と御極置候
           忠利公近日御下り被成由に付御詔訴可被仰上と御待

           候処に熊本へ御寄不被成白川鹿来瀬を勅に川尻へ
           御通御出舩被遊候付兎角之無了簡夫より嶋原へ
           以使者御詔訴一番に冨田杢之允右杢之允帰り不申
           居留り居申候訳ハ寛永十五年二月廿七日本丸に乗
           込本陳石垣下にて討死仕候 二番に伊東源之允・村越
           惣左衛門事
           傳兵衛・加来八郎兵衛段々被遣候 光尚公間に御入御扱

           此度は伺御意可申候重てハ 光尚公御談合被成候と
           被仰遣候得共承引無御座候 其後之御断にハ石井清兵衛
           を被遣候 早二月廿八日落城之跡に参着仕候事
          一嶋原御帰陣之上にて御家中御侍中御働之程御吟味相極
           候後江戸へ御参勤明る六月爰元へ御下着被遊候
           七月の時分より勘解由方御留守居之御断取極被
           仰上候之取次之衆津田三十郎殿・松山権兵衛殿・田中又
           助殿・明石権太夫殿・熊谷九郎兵衛殿・丸山左京殿此節
           此六人衆を為御取次之御談合にて勘ケ由存分之
          一筋之御紙面故右之衆中餘り無艶御文体に候間私とも
           可通リ調見可申由にて両方を被兼繕たる帋面故勘ケ由
           同心無御座候 然上は馬乗中江二通之紙面被見せ候とき

           坂井半右衛門・取井見候而勘ケ由殿帋免ハ餘り無艶御座候
           又各様へ被成候共急ぎたる御帋免此一大事之詔訴ケ様之
           儀にては中々埒明申間敷候由申候得とも然は半右衛門
           存寄に調へ見せ候様にと御座候に付相調懸御目
           候得は勘ケ由殿御心に叶此紙面可然とて其通に
           御書物調被差上候事
          一御書物上り候上にて然ラハ一陳にハ可被遣と被思召御同心
           無之に付其刻奈良より西源院と申出家下り被居候を
           御加へ御扱せ候得とも勘解由方合点不仕候 其後隔番に
           可被仰付旨御免ニ候得共是も御合点無之候 兎角御留守
           居と御座候儀何ケ度も御断可申上よし一筋に
           極被仰上候 ■ハ御讃談決不申候事
          一去夜長岡佐渡守殿ゟ呼に参勘ケ由殿も御出被成候

           大叓之場に極り候故詰に参り者共覚悟を極メ一左右
           を今やと待居候処に伊東源之允刀を取裏玄関より
           出跡より佐渡守殿御屋敷へ参候 其様子冨田十左衛門
           坂井半右衛門目を見合兎角不申候処に浅利九郎左衛門・原
           喜太夫両人刀を取可出と仕候時十左衛門・半右衛門両人を押留
           申聞せ候は各不心得にて候 跡より何十人参候共旦那
           之あたりへも不寄佐渡殿玄関前にて闇々とはて
           申事に候 最早旦那は捨り者に御成り行候 一左右次
           第に御嫡十五朗殿を押立云合置候如く熊本中を
           引請はたはりなき心得と申に付浅利・原至極仕留り
           申候 其夜も御別条無御座候叓
           其後重長岡佐渡殿より呼に参り御出候座席に坂崎
           内膳殿御一座ニ而勘ケ由殿申分を被聞候而然は勘ケ由

           殿御意を御背キ候哉と被申時勘ケ由殿返答に推参成ル
           被申様出頭をかさに着てか佐州の聟と被存左様に
           被申候哉あたまより御意を背き御断申候と氣色を
           変し御申候時佐渡守殿間に御入勘ケ由殿其訳にて
           無御座候 内膳も兎角被申間敷候と御取持にて無別条
           御帰候に門を打せ可申旨御申付候 扨馬乗り中泉水の間
           に被召出段々を被仰聞ケ様に有之迚殿様へ少シも御恨ミ可
           申上訳にて無之候 如斯申候とて妻子をかはひ申にては
           少しも無之と大誓言を御建て我等不仕合久敷其方共一日
           とても心あき叓に不逢不及是非候得共其方共我等一人
           切腹可有由御申候 冨田十左衛門座順に居申候か立破り申候
           に付何連も進出仕候 次の間に出十郎左衛門申候は皆ともへ
           對し可有御切腹よし空虚を御つくし候と申候時半右衛門

           申候は名誉を御申氣か違たるものにて可有之と申を
                                 〇御花畑へ聞エ
           たく/\御聞ふこと御笑にて候 扨門を御打せ候事当番之
           勘ケ由殿取籠り被申と
           御小姓頭丹羽龜之允殿詰被居候ニ付冨田十郎左衛門・坂井半右衛門          
                                  セキ・本ノママ関ヵ
           処へ手帋ニ而勘ケ由殿御申付候共各乍在門を打せ被申
           筈ニ而無之候 急き被備候へと申来候得共両人聞入不申候 然処に佐
           渡守殿御出何と仕たる仕合にて候哉此佐渡有間ハ勘ケ
           由殿此難に可逢哉と御高声にて■両度涙を被拭御通
           り候 勘解由殿奥江御はつし候て氣色悪しく奥に
           罷在候間不懸御目候由御断被仰候 左候ハヽ常々奥様江も
           懸御目佐渡にて候間夫に通り可申と御申に付了簡な
           く御出御相對候 佐渡守殿毎々被仰分候間此佐渡参候而
           取持候上は御難に成申間敷候私に御任せ候と被仰門を
           明させ御帰候叓

                     (続く)                                                                        

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■一勝と一礼

2021-04-13 15:13:01 | 徒然

 マスターズゴルフでの松山英樹の優勝は、前日のスコアから優勝はほぼ間違いなかろうと、最終日はTVの前に座り込んだ。
終盤ハラハラドキドキの展開とはなったが、見事な初優勝、感極まったアナウンサーの声にこちらもぐっとするものがあった。
そんな中で、キャディーさんがフラッグを外してポールをホールに戻し、頭を下げて感謝の意を表したことが、また、観衆やTV観戦の多くの人たちの心を打った。
なかなかできないことだ。

 若いころ松山はラウンド中、他の選手からマナーについて指摘をうけたりしていた。丸山茂樹プロからもお叱りを受けた過去がある。
それはまさに過去の話であって、風格さえも備わってきたように思える。

かって、マスターズで四位になった丸山晋吾プロが、アマプロ大会でのらしからぬ行為が大非難となったことが有る。
かれの名声に消すことができない大きな傷を、自らつけた。

 多くの素晴らしい選手たちの名声は、その技術や成績ばかりではなく、マナーや行いを普段の行いとしなければならない。
松山プロも丸山プロの教えを見事に自らのものにした。
そして多くの人が感動を受けたプロの優勝に、これまたプロの「キャディーさんの一礼」が加えられ、日本人の礼儀正しさが世界の注目を浴びた。
27歳の若者のこの行為が当たり前の事として現れることに、まだまだ日本の未来は捨てたものではないと爺様は感動している。

うち続く災害やコロナ禍の中、感動を与えてくれた「一勝と一礼」に感謝したい。

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■細川小倉藩(545)寛永八年・日帳(十月廿四日~廿七日)

2021-04-13 09:41:01 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十月)廿四日~廿七日

         |                                       
         |   廿四日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、兵庫・修理当番也、
江戸大廻リニ台所 |一、御船頭吉田市左衛門尉、江戸大廻りニ参候、何にても、御台所道具御つませ可被成由申、登城仕
道具ヲ積ム    |  候事、
鉄炮足軽江戸ニテ |一、国友半右衛門与小頭九右衛門登城にて申候ハ、半右衛門与安東市右衛門、江戸にて、九月十一
病死届      |  日ニ病死仕由、申来候間、其分ニ心得候へと申候事、
         |一、昨日中津へ遣候御飛脚、井門亀右衛門与尾崎長兵衛、 三斎様ゟ、殿様へ之御返書之御文箱壱つ、
三斎中津ニテ召舟 |   (貴田)  
ノ建造ヲ命ズ   |  幷半左衛門所ゟ、我等共ヘ之返事持参候、中津にて御召舟被仰付候ニ付、此地御舟大工弐拾六人
小倉舟大工二六人 |  可差越由、半左衛門ゟ申来候間、則、和田伝兵衛方へ申渡候事、
ノ用       |           

         |                 ママ                                       
         |   廿五日  加来二郎兵衛・奥村勝兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
         | (松井興長)
幕府横目交替期故 |一、佐渡殿ゟ御使被上、苻内御横目衆御替り時分ニ候間、兼日ニ御音信物調置候て可然候、たち付を
音信物用意ノ命  |  二つほとつゝ、其外ハ巻物之類可然候、御巻物当地ニ無之候ハヽ、前かとニ、長崎へも可申遣由、
裁着袴巻物    |           被遣候                          (ニ脱)
         |  被仰越候、又、今日之御横目衆へ之御音信物共、殊外念入候故、結構調申候由、被仰越候事、
         |           〃
         |
玄猪ノ使者    |一、去ル廿三日、いのこのお祝儀之御使ニ、のミ一郎兵衛中津へ被遣、御祝儀之物、則、納り、三
         |  斎様ゟ御書参候を、さいれう野田少介ニ持せ、一郎兵衛ゟさし越申候、幷ニ貴田半左衛門ゟ、御
         |                 (雲嶽霊圭)     (小笠原長元)
雲嶽霊圭ヨリ御所 |  進物請取候との切手を参候、又、圭長老ゟ、佐渡殿・備前殿へ御所柿壱籠つゝ、中津への便ニ参
柿        |  候て有之を、一郎兵衛所ゟ、戻り使ニ被越候間、則、相届候事、

         |                                       
         |   廿六日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番也、                         (扌に勾=抱)
花畠手伝死跡   |一、小堀長左衛門登城にて申候ハ、主手伝ニ被為付置候與左衛門尉病死仕候、替を■可申候や、又、
         |  上り人を可被下哉と申候事、
松井家加子筑前へ |一、佐渡殿加子作蔵と申者、筑前へ走候由にて、尾藤新介召連参候、則、佐渡殿へめしつれ参、渡候
走ルヲ渡ス    |  由申候事、
加子盗ミ走リシ故 |一、佐渡殿ゟ、中山助右衛門を以、被仰聞候ハ、只今、私加子筑前へ走候をとらへ、人留御番召連参
成敗セム     |  候、盗を仕、走申候ものにて候間、成敗可仕と存候間、其分ニ心得候へと、被仰聞候、ともかく
         |  も御分別次第ニ候由、御返事申候事、
長崎買物奉行急ギ |一、長崎ゟ、飛脚参候、御銀急下候へと、申来候事、
銀ヲ乞ウ     |
眼鏡林隠岐へ長崎 |一、長崎ゟ、林おき所へ目かね壱つ参候、玄徳を以、おき方へ遣わ候事、

         |                                       
         |   廿七日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛・
         |
         |一、兵庫・助進当番也、
明寰中津ヨリ帰ル |一、明寰、中津ゟ、昨日罷帰候由にて、登城仕候事、
         |一、長崎ゟ、昨日参候御飛脚御昇之喜兵衛、今日長崎へ、又、差遣候、佐渡殿ゟノ御文箱、しふかミ
         |  包状共一からけ、又、御奉行所ゟ、安井太右衛門・町市丞方へ被遣あまかミ包ノ御文壱からけ、
飛脚請取     |  中ニ銀子有之を慥請取申候、               御昇之喜兵衛〇(黒印)
         |        (吉重)(坂崎成政)
         |  右之銀ハ、沢村大学殿・坂清左殿・真鍋小左衛門ゟノ銀也、

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■沼田家記(1)‐延元様玄也公御一代之御儀覚書(四・了)

2021-04-13 06:52:40 | 沼田家文書

                                             延元様玄也公御一代之御儀覚書(四)
          
評議に不参     一延元様一比大備之頭被仰付御裁判被成候中に 忠興様御
           在国之時分筑前と御出入御座候而御城江御家老中御
           備頭中其外歴々被召集御評儀御座候節御老中御出候
           御座敷へ 延元様も御はいり被成候様にと御意御座候江共
           延元様一切御請不被成御様体にて其間江も御入不被成候 就夫
           被成御意候は惣而勘解由が我等申候儀は氣に不相と相見

           申候 心安不被存何ともすまぬ人にて候 向後何事も不頼候と    
           御意に御座候由之事
備頭を断る     一其後 延元様御組御断被仰上候趣は私儀不調法に御座候て
           組の裁判仕候儀致めいわく候間私組を長岡右馬助ニ御願
           可被下候 私儀も右馬助組に罷在り談合指引きは可仕との
           儀に御座候 此御断り如何可有御座哉と及異儀申候得
           とも 忠興様何事も御頼被成間敷と被仰候上は御六ケ
           式儀御さいばん被成訳にて無御座と御中被成御組被差上
           延元様を右馬助殿組に被成御座候叓
延元すねる     一忠興様御念比に御座候江共 延元様ハ何とそ被思召候
           御内存も御座候哉御一代 忠興様へ御す祢被成在故君
           臣之御中不可然よし御座候 されとも 忠興様御儀頼
           にても諫にも不被仰御崇敬はッ結構成儀にて御座候

           よしの事       
           光尚様御代正保二年之比 延元様八代之御仕置に
           被成御座候節熊川之上だんと申所へ川狩に御出被成
           候刻八代之御侍衆も御同道にて御座候 衣笠平兵衛
           殿被申出候は肥後へ御入国之後 三斎様京吉田より
           初而八代へ被遊御入城候刻小倉道中被成候時門司江被寄
           御舩古城御順見被成右之備共被仰出此城を願置候
           大名に被成あの水の手を本丸へ取込候程之身体に可被
           仰付と被思召時分を御伺被成候得共生得異風仁ニ而終に
           左様に被仰付時節も無之御志も空成候由御意候旨
           御物語にて御座候事
大坂城普請場での  一同五年大坂始之御普請 延元様も御登り被成御普請
喧嘩仲裁       中御勤労被遊候 大頭衆長岡佐渡殿・有吉頼母殿・長岡

           右馬助殿・牧左馬允殿尤 延元様を右馬助殿組に被成              
           御入御登り被成候 此御普請之刻 忠興様数ケ条之御
           掟出申候内九州衆之内若喧嘩出入りなと御座候刻は御一門
           中之儀は不及申嶋津殿・加藤肥後殿なとハ見頃か申又
           関東衆と九州衆喧嘩御座候ハヽ黒田甲斐守殿御中悪
           敷候共筑前江見頃可申旨被仰渡由に御座候 然處に

           或とき加藤肥後殿家中と黒田甲斐守殿衆と於御普
           請場喧嘩仕出騒動いたし候節 延元様ハ御小屋に被成
           御座候時分にて右之様子被成御聞弓鑓之矢具御持せ
           被成大勢被召連早速御普請場へ御出肥後殿方に被成
           御座候 何も杖棒にて御座候処 延元様武具を御持せ
           御出被成候に付様子相見へ申候其刻
           公儀御普請御奉行衆も楼の御紋に御座候而 延元様御出

           被成候を御見届け喧嘩之時荷擔ハ 公儀御法度候処に■之
           衆にて候哉と被仰候得共 延元様一段御尤に奉存候 何之

           家中衆にて候哉御法度を被背候と御鑓横に被成御下知
           被遊候振に御もてなし無前条御普請場へ御通り被成候
           されとも喧嘩無事に相済申候 其後御普請場御奉行衆
           より佐渡殿・頼母殿御呼被成今日於御普請場喧嘩之
           刻越中殿衆と相見へケ様之容躰之仁 公儀御法度之
           儀を被相背候其後石之上に被上杖をつかれて威儀事々
           敷様子にて被居候何と申仁にて候哉と御尋に付御両人
           ご迷惑被成佐渡殿被申候ハ長岡勘解由と申 越中守不遁
           ものにて門司之城に召置申候 惣して氣張に御座
           候て 越中守申付候儀も氣に相不申候得ハ不承候
           様成る生得之者に御座候 何とも迷惑仕候由被仰分候

           得は御奉行衆も如何様勘ケ由殿にて可有之と存候        
           常之仁体とハ見へ不申候由被仰何之相替儀も無御座
           其分にて御座之由申候事
           此喧嘩之刻 延元様見事成御作法に付而肥後殿
           家中衆致太慶 延元様を称美仕頼母敷存其後何事
           も御家中と申合せ一味之ことくに御座候由其刻
           木村宗賀も先代飯田覺兵衛致供大坂に罷立
           肥後殿家中之取沙汰承り候よしに御座候
延元逝去の事    一寛永元年 忠利様御代ニ番目之大坂御普請御
           座候 此時分より 延元様少々被成御煩なり 然とも
           為御養生御登り被成御氣色も能御座候 されとも
           御氣色■と御座候に付御上京被成相国寺之脇寺

           を御借被成御養生被成候 通仙院馿庵御薬被差上其後   
           大醫衆被成御服用候 延元様も従 公儀被進御■御上京
           被成様々御療治に御座候得とも終に御快氣無御座
           同年八月十三日に御遠行被成候 御年五十三相国寺門
           前にて御葬り被成相国寺之峯長老引導奉号
           永源院殿道号ハ鉄山玄也大居士相国寺守家林光院
           に御頼御石塔等今有之
           林光院は御先祖より之お寺にて玄也様御一門
           中様も御住持被成候儀も御座候由申候左様之故に御座
           候哉林光院住持替り申候時は 延元様御代に

           也候而も被伺之後住定まり申候 肥後へ御越被遊候以後
                本ノママ脱字か
           之儀も絶申候由と御座候
          一孝子 延元様高野山普賢院にも御位牌安置に罷

           成月々御茶湯怠慢無御座様に御追善被成候     
           真光寺御位牌御石塔御座候を承應之比肥後へ
           御引取被成安国寺得被成安置候事

             以上
           寛文十二年九月日

           右沼田家記之内延元様玄也公御一代之御儀覚書一篇十弐葉
           宮村氏雑撰録牧弐拾七所載也(上妻博之氏写)

 

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■細川小倉藩(544)寛永八年・日帳(十月廿ニ日~廿三日)

2021-04-12 11:12:40 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十月)廿二日~廿三日

         |                                       
         |   廿二日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、助進・修理当番也、
         |        (長岡考之)
福王十蔵ニ長岡考 |一、福王十蔵煩ニ、中務様御内宗清薬をたへさせ見申度候、此段十太夫・加平次、中務様へ申上候へ
之抱ノ宗清薬ヲ与 |  ハ、彼宗清一てつものニて、中務様被仰儀も合点不仕事のミ多候間、中務様被仰分ニてハ、分別
へタシ      |  仕間敷候間、御奉行所ゟ、中務様へ使を越候ハヽ、彼仰付ヵ被成御覧候間、使を給候様ニ、御奉
         |  行衆へ申候へと被仰由ニ而、加平次登城仕候間、林隠岐を頼、中務様へ其段申上候へと申遣候、
         |  善兵衛使ニてハ無之候由、申候ヘハ、可被仰付之由、御返事ニ候事、
         |       (川棚、長門豊浦郡)
河本瀬兵衛湯治願 |一、河本瀬兵衛、かわたなへ湯治仕度由申付、御暇可被遣由、監物殿へ切帋進之候也、
川棚湯治ニテ肥前 |一、中嶋五太夫・三輪久五郎、両人ひせんかさを相煩候ニ付、かわたなへ湯治仕、快気仕候由にて、
瘡快気ス     |  登城仕候事、
蔵奉行算用    |一、村川二郎兵衛をよび、御蔵奉行衆御算用仕上候間、当分御蔵奉行日仰付候間、被得其意、御蔵へ
         |  可被参由、申渡候事、
         |一、御かい物奉行岩田甚太郎・森次兵衛・渡長右衛門尉登城にて申候ハ、松ノ丸衆苧ノ直段を相究候
買物奉行購入ノ直 |  間、切手を調候へと被申候、右ゟ、私共不存物を、たれにても、何ニよらす、直段を究、切手調
段ヲ専決スルトノ |  候へと申候を、私共心得申候と申候て、以来立 御耳如何可有御座候やと存、御尋申候由申候、た
誤解ヲ憂慮ス   |          候共
         |  れ人聞立、直段究候て、切手を私共させ申様ニ申候ヘハめいわく仕候間、如何由被申各ノ分別ニ
需要者各自ノ分別 |          〃〃 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃
ニヨラシム    |  のり候ハヽ、かいか被申候、高ク候ハヽ、かい被申間敷由、申渡候事、

         |                                       
         |   廿三日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛
         |
         |  (浅山)
         |一、修理当番也、
         |一、吉田孫四郎・宮成掃ア下着被仕候事、
能衣装      |一、右便ニ、御能衣装参候事、                          (桑原)
         |一、右御物ニ付下御鉄炮衆、今戸亀右衛門与井上角太夫・佐分利作左衛門与有永六右衛門・主殿与坂
         |      (浅山)          (與三左衛門)
         |  本喜介・修理与寺田喜右衛門・神西与河野弥次右衛門参候事、
         |一、右之便ニ、 三斎様へ、越中様ゟ被進御文箱壱つ、又、沖津右兵衛ゟ、貴田半左衛門方へ参状壱
         |      (主水)(慰英)(吉右衛門)
         |  つ、又、寺嶋・仁保・野瀬三人所ゟ、貴田半左衛門方へ参状壱つ、何も中津へ持せ差上候事、
忠利薬用ニ猿ノ腰 |一、孫四郎口上ニにて、被 仰下候ハ、梅ノ木ニ有之猿ノこしかけ取置可申候、御薬之御用ニ成申旨
掛ヲ取置カシム  |  ニ候、則、孫四郎こしかけを御見せ被成候、常ノこしかけニ違不申由、被申候事、
薬箱作製奉行   |一、江戸ゟ被 仰下、御薬箱さゝせ申儀、又、ぬらせ申儀、多我與平次奉行ニ申付、
江戸ヨリノ能衣装 |一、江戸ゟ参候御■能衣装、かさはめ申ニ付、御番人申由、安田甚九郎被申候間、かちの御小性申付
         |  候、又、改、請取申相使も入申由、被申候間、是もかちノ御小性申付候事、渡辺五左衛門・安太
風干ニ番人ヲ付ク |  夫申付候事、

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■沼田家記(1)‐延元様玄也公御一代之御儀覚書(三)

2021-04-12 06:51:11 | 沼田家文書

                                             延元様玄也公御一代之御儀覚書(二)      

延元留守居を命ぜらる    一元和元年五月大坂御陣之節 忠興様 権現様之御味
            方を被成御手廻り迄にて被成御上り 忠利様ハ惣御人
            数を被召連陸路を御越被成候時 延元様江小倉之御留守
            居被仰付候間門司には 延元様を被召置小倉へ被成御出
            候得との御意に付 延元様被仰上候ハ小倉江罷出候得
            との儀ハ随御意可申候 御留守居之儀は迷惑仕候 此段ハ
            幾重にも御断被仰上候 其外之儀は何事にても可畏
            入候 御留守居役被成御免ケ様にと強而被仰上候に付如御届
            成申候所之御断 忠興様御意に不参故に御座候や
            延元様江豊前一国之山奉行被仰付御さはき被成候 其後

            御国中取遣之舛之判をも被遊候様にと被仰付候 舛之判ハ     
            何とそ異風なる御判被成度と御意之由に御座候 いまに豊
            前よりの小舛御座候に菱之下に一文字の焼き印御座候ハ
            延元様御判にて御座候叓
一国一城令      一此時節天下一国一城之御仕置に付門司之御城も割
            申候に付 延元様も小倉へ御引越被成候叓
宮本武蔵の決闘    一延元様門司に被成御座候時或年宮本武蔵玄信豊前へ
            罷越二刀兵法之師を仕候 其比小次郎と申者岩流之兵法
            を仕り是も師を仕候 双方之弟子共兵法之勝劣を申立
            武蔵小次郎兵法の仕相を仕候に相究豊前と長門の間
            ひく島に出合後岩流嶋と云ふ 双方共に弟子壱人も不参筈に相定仕
            合を仕候処小次郎被打殺申候 小次郎方ハ如兼弟子壱人も不
            参候 武蔵方ハ弟子共数人参隠居申候 其後に小次郎蘇生いたし候へ共

            彼弟子とも参合後にも打殺申候 此段小倉へ相聞へ小次郎      
            弟子共致一味是非とも武蔵を打果申と大勢彼島へ参申候
            依之武蔵難遁門司に遁参 延元様を偏に奉願候ニ付
 その後の保護     御請合被成刻城中に被召置候に付武蔵無忝運を開申候
            其後武蔵を豊後へ被送遣候 石井三之丞と申馬乗りに鉄炮
            之者共御附被成道を致警固無別条豊後へ送届武蔵親
            無二と申者に相渡申す由御座候事
筑前罪人の返還    一何時分の儀にて御座候哉他国之取遣之儀長岡佐渡殿と
            延元様へ被仰付御勤被成候刻筑前より科人小倉へ走り参
            居申候 其節は黒田甲斐殿と御中悪敷最中にて御座候
            得とも大犯人にて御座候哉付届ヶ御座候而彼者被召捕
            筑前へ被遣候 延元様ゟ坂井半右衛門佐渡殿ゟ元橋彦之丞
            と申す鉄炮両人にて走者を召連筑前黒崎之城主井上

            周防へ相渡申候 周防家老大崎彦右衛門と申者罷出挨拶      
            仕候 其時彦右衛門申分豊前ハ小国にて御家中手狭御座候に付
            可様之科人も早々被召捕被遣候 筑前ハ領内廣く御座候
            得は重て走り者参り候とも知レ不申儀も可有之なとゝ
            申につき坂井半右衛門返答仕候は被仰分合点不参候 国之
            廣狭にてより申間敷候今程天下一統之御代にて江戸
            よりの御仕置政敷御座候に付遠国彼嶋迄も一国のことくに
            罷成候 越中守儀は江戸之御仕置を堅相守り申候に付
            科人なと領分に居申候を無穿鑿に仕儀にて無御座候
            何様甲斐守様御仕置ハ緩せに御座候と相見へ申候 奉
            公人ハ不知儀に候得は向後如何様之儀にて国を立退申
            候共御国は西国之能高野山と存頼母敷存候と申候得ハ
            彦右衛門赤面し由に御座候 両人能帰候段 忠興様達

            御耳先様之様子御聞可被成御意ニも両人御城へ登り      
            申候 忠興様障子越に御聞被成所に半右衛門段々之次第
            具に申上候得は無残所返答仕候 物をよく申候由御褒美
            被成候由御座候叓
            大崎彦右衛門と申者は関ヶ原陳之刻石垣原にて
            大友家吉弘嘉兵衛首を申侍ニ御座候
多阿江戸證人に    一同四年正月おたあ様為御代 延元様江戸へ御仕立被成
            お多あ様御下り被成其暮か翌年平野九郎右衛門殿へ御祝言
            相調申由ニ御座候叓
忠興側室との再婚   一同年の秋 忠興様御下向被成候而 北之丸様を 延元様
            御内室に可被遣と被仰出候得とも 延元様御同心無御座候
            御内證にて色々御異見等御座候得共切腹被仰付候得共
            此儀御請被成間敷との儀に御座候 其時分 忠利様ハ

内記忠利の説得     内記様と申中津に被成御座候 延元様と御挨拶能御座候         
              〇内記様と申仲津ゟ夜遠シに小倉江被成御越直ニ
            に付延元様へ被遊御出種々様々に御扱御異見被遊
            貴殿切腹於被致は我等介錯可致候 其段に成候儀ハ無是非
            思召候間如何様に候ても此儀御同心可被成候 無左候ハヽ
            中津へ御帰不被成候間御感涙にて被成御意候に付て無據
            御請被仰上 忠利様もご満足被成被遊御帰候 左候而其
            暮か翌年か御祝言御座候叓 北之丸様後に号永寿院殿
      

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■春爛漫の花の色

2021-04-11 11:45:57 | 徒然

                        
 散歩道はすっかり葉桜になった並木に代わり、ヒラドツツジが満開です。車道の反対側の植え込みも同様で買い物で行きかう人が足を止めています。

               

 そして錦ヶ公園の藤棚も満開だろうと確認しに行ってみました。満開とまではいっていないようですが、「ほぼ満」の状態です。
二本ある木の内、手前の樹は芯の部分はなくなっているのですが、したたかに生きています。

近所のお宅のご自慢の薔薇も美しい色合いで競っていて、あちこちで「春爛漫の花の色」です。

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■細川小倉藩(543)寛永八年・日帳(十月十九日~廿一日)

2021-04-11 06:56:28 | 細川小倉藩

    日帳(寛永八年十月)十九日~廿一日

         |                                       
         |   十九日  加来二郎兵衛
         |        河本瀬兵衛・少兵衛罷上候
         |
         |一、助進・修理当番也、
明寰三斎ヲ見舞ニ |一、明寰、明日三斎様へ御見廻ニ参候間、薬箱持壱人被下候様やうニと申ニ付、御小人一人申付候事、
薬箱持ノ用    |
石舟ノ入目    |一、寛永六年ニ、江戸へ被遣一舟之入目之米、御蔵納方へも割符仕可然候由、御年寄衆、昨日被仰候ニ
惣積奉行へ蔵納へ |  付、今朝粟野伝介へ、御蔵納へ懸候六百石ハ出し可被申由、申渡候事、
六百石割符を命ズ |

         |                                       
         |   廿日  奥村少兵衛・加来二郎兵衛
         |
         |一、修理・兵庫当番、
         |  (松井興長)
三斎へ玄猪之祝儀 |一、佐渡殿へ此方ゟ申入候ハ、 三斎様御在国之時ハ、いのこの御祝上り申候へとも、初いニハ、
         |  三斎様御留守にて御座候ニ付、其儀務御座候、来ル廿三日ノいニ御祝い上ヶ可申やと申入候ヘハ、
         |  毎年上り申儀ニ候ハヽ、重而ノいニ上候へと被仰越候、得其意申候由、御返事申候事、
         |                           (有吉英貴)    (米田是季)
筑前ヨリ草履取走 |一、人留西村善兵衛、さうり取一人走来候由にて、めしつれ、頼母殿へ参候ヘハ、監物殿小性ニ小者
来ル       |              (抱)実ハ「扌ニ勾」とある
米田是季小姓ニ抱 |  もち不申もの有之ニ付、■申候間、其分ニ心得候へと、使者にて、監物殿ゟ被仰越候、得其意申
へシム      |  候由、御返事申候事、
         |                    (長沢顕長室、沼田清延女)           (林隠岐)(へ脱)

         |一、此中、上方ゟ下候むらさきかわノ内ニ、いよ殿へ参箱壱つ有之候を、祐甫ニ持せ、おき殿遣候事、

         |                                       
         |   廿一日  加来二郎兵衛・奥村少兵衛
         |
         |一、兵庫・助進当番也、
三斎ヨリ借用ノ船 |一、今度、 三斎様ゟ御かり被成候御舟、中津ゟ戻候而、中嶋ニ付、舟道具を舟之ともニ上置申候処、
ノ唐苧ヲ盗マル  |         (房)
         |  夜前、からを一はうぬす人取申候、御国・他国之舟共数多居申候間、理候而、舟毎ニさかし見可
舟毎ニ臨検セシム |                            御年寄衆へも
         |  申由、白井兵介申候間、修理殿被版にて候間、修理殿へも〇被相尋、改見可被申由、申渡候事、
         |                           (永谷)
福王十蔵ノ病道也 |一、佐渡殿ゟ、太兵衛を以、被仰聞候ハ、福王十蔵ニ、此中道や薬を四服たへさせ申候へ共、少も験
調薬ニ験ナシ   |  無御座候、少能かと相見え申候ヘハ、又もとの物ニ成申候、療治ニかゝわり不申病人をニ而ハ無
         |                                                                                                                                                  〃
         |  御座候を、しるしなき薬を、いつともなくあたへ申わけにてハ有之間敷候間、いつれにても、
         |  (福王)(山崎)
         |  十太夫・加平次望之医師可有之候、十太夫・加平次ニも、道や右之通申候ヘハ、両人もとく合点
         |  仕候間、いつれにても、又、余の薬をたへさせ見可申由、申候間、定而罷上り、其段可申上候条、
         |  其御心得仕候へ、今日ゟ道や薬ハ引申由、被仰候間、得其意申通、御返事申候事、

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