津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■文久三年「恕斎日録」(12)

2020-07-15 07:02:39 | 恕斎日録

78続
  十二日 今日 南関会所 影踏見分相済候事
    右相済 大田黒隠宅泊 御墓参之事
79
  十三日 肥猪町影踏見分相済候事
     今朝 大田黒より同所へ罷越 影踏相済上ニ莵狩
     見物之事 右見物之節 明日伊東右京太夫様
     御祖母様ニ而 顕光院様御叔母御通行 南関御          御祖母様とあるが実母である。略系図参照の事。
     昼之段 申来承事
     右莵狩ニ而 四ッ取候に付 壱ッ者宿所へ遣料理
     候事 明日右御通行御茶屋昼休ニ付 今晩ハ小
     森田角左衛門宅泊り之事 右莵料理廣メ候事
     右御祖母様 顕光院様御叔母様ニ被為當候段
     初而相分候に付 山中より早打を立 御道筋同役
80
     幷熊本當番政府へも相達候処儀ニ御道筋同役も出
     在いたし候事

                                                                                                      参考略系図
                        広島藩7代        8代       9代
                        浅野重晟 -----+-----斎賢 -----+-----斎粛
                                 |        |
                               |        +---- 益(顕光院
                               |          ‖
                               |        細川斎護
                               +-------
                                   ‖---------------------祐相
                            日向飫肥藩12代   ‖   13代    14代 ↓
                                                                             +---- 伊東祐民=== 祐丕=== 祐相(右京太夫)
                                |                            ↑

                                                                               +-------------------- 祐丕
  十四日 今日南関御家人中諸藝見分之事
    今日昼四ッ比 右御祖母様御着 直ニ麻上下ニ而宿
    所より罷出 御機嫌伺候事 向方應対 壱岐職
    此方より之口上 當所郡代ニ而御座候 當所御着座
    ニ付 御機嫌伺ニ罷出候 相應之御用向も御座候ハ
    ヽ 可被仰聞候 尤私儀ハ當所江出懸居候に付 罷出
    申候 御道筋同役共ハ罷出得不申候も 可有之候
    間 其段御聞置可被下候と申向候事
81
      但通例ハ御昼ニハ同役不罷出候得とも 御間柄
      様と申 出懸居候に付 罷出候間俄之事ニ付
      御道筋同役罷出候間ニ逢かね候も難計 右之通
      申伺置候事 右為御挨拶 金子三百疋被下候
      事
    右相済 直ニ武藝見分相始 夫々相済 今晩御茶屋
    泊り之事
  十五日 今日 諸生中相催 莵狩之事
    朝六時揃 肥猪社内揃 狩場相ノ谷・野田・太田黒
    村々山中 同道ハ御惣庄屋河野太郎助 横目橋本常
82、
    右衛門列 小山支配瀬上又右衛門 横目柳原敬右衛
    門 太郎助忰 河野常八 文武倡 長野濬平 肥猪社内よ
    り急御用筋有之 引返候事 右御用筋ハ左ニ録
      惣人数百四五十人程 社内ニ猫伏を敷並 御酒頂
      戴 盃ハ茶碗 酌ハヒ勺 樽ハ田子 肴ハ数の
      子一種 子供ヘハおこし まん中を投遣し候
      小子も惣座中へ罷出 右茶碗ニ而相始 倡方を
      初 諸生中年笠之面々へ差候事
83
    右相済候処ニ而 尚下山 狩候而獲有之 惣計三疋
    取候事
    右神酒廣之節惣座ニ下り 一統へ當時之世上に付
    上よりも武藝御誘第一ニ候処 惣躰下地者強気たる
    とも 無能無藝ニ而者 不覚臆する物也 手ニ覚有
    之候得者 弱柄なるとも張立自然ニ勇気を生する也
    左れハ武藝をえ候社第一之御奉公也と申諭候                =女偏に耆とある、搘か?
    処 いつれも感伏いたし候様子ニ相見候事
    今晩岩村光行寺泊 三野村ニ而暫休 同村喜兵衛・熊吉両人呼出宿所迠召連候事
    右狩ニ罷出ノ御家人之中 才角之者ハ廿人斗りも
84
    宿所へ礼ニ参候間 其厚意を謝し 此方より申聞候
    に者 数代大禄を戴候人も 命ハ一ッなり 無格之
    御家たるとも同様之事ニ候処 各武藝を相候儀者
    物場ニ望ミ一命を差上候覚悟ニ相聞候 其中寸志之
    身分抔ハ 尚更之事ニ而 誠ニ以 奇特之志 感入
    申候 無論各一命を差上候ハヽ 我々ことき数代御知
    行を戴候者は命が百有りとも足り不申 甚以感心
    いたし候段申聞候処 御心遣有之間敷 無禄之者
    共ニ而候得とも 物場ニ望 弥一命を差上可申候
    御安心可被成と申候間ニ 感涙を催候由なり
85
    右獲物ハ分配之数無之候に付 小子へいつれも遣
    候との事ニ付 持帰候事
   一今朝 肥猪社内ニ諸生相揃候を待居候処 熊本より          大筒製造の手配
    御物頭西洋筒製造受込被仰付候 佐分利又兵衛幷小
    野庄次郎嫡子小野   両人出会いたし候処 今度
    御様子有之 至急ニ西洋筒出来被仰付候ニ付 両人
    早打 南関江罷越 其手配いたし候筈ニ付 只今是
    迄罷越候 好所ニ而出会いたし 其子才者跡より可申
    候 先手配り之方一列も夫々差図いたし呉候
    様との事ニ付 直ニ常八・濬平を呼出 地金買入
86
    之手配いたし、官銭ニ而ふり替 柳川より買入候様
    敬右衛門へ者 右夫々ニ立会候様 小山支配又右衛門ヘハ
    臺木切出し之手配いたし申付返し候事
    右之子才ハ右之者共引取候上 極密佐分利より申候
    に者 夷人イキリス軍艦二十艘横浜ニ渡来いたし
    三ヶ条之難問申懸候処  将軍様御塗中迠 奉
    伺候得共 本より御受被成かたき事柄迠ニて 若御返
    答遅ニ及候ハヽ 直ニ戦争ニ及可申候段も申懸候由
    ニ而 右三ヶ条と申ハ 一条ニ者昨年嶋津三郎生麦          生麦事件賠償問題          
    ニ而イキリス人を殺害いたし候打手ニ首を取遣し候
87
    様 一条に者右難叶候ハヽ 右之代として五十万ド
    ル右軍艦造用として差遣候様 一条ハ右両条難叶候
    ハヽ 薩州を勝手ニ責取可申候間 脇方より決して
    加勢等いたし不申 若差構候者有之者 夫をも相手
    ニいたし可申候との事なり 右之御返答日数何日と
    限 若遅ニ及候ハヽ 彼方より直ニ戦争相始可申候
    との事と 今度江戸より大田黒某罷下り彼方ニ而
    機密承り申出候由なり 右之通ニ付 今明ニも横
    浜ニ而者戦争相始候も難斗 依而段々御筒取調
    日也候処 御備手薄有之 急々増製造被仰付候との
88
    事      

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■細川小倉藩(290)寛永五年・日帳(五月四~五日)

2020-07-15 06:28:45 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)四~五日 

         |              
         |    四日         
         |
大塚忠兵衛落馬ニ |一、大塚忠兵衛儀罷出候、道中ニ而落馬しニ付、不罷出由ニ而、山ノいもノす壱つ、熊谷九郎兵衛を
ヨリ出仕セズ   |  以、被差上候事、
山ノ芋ヲ上グ   |
烏丸光賢使者振舞 |一、烏丸様ゟノ御使者渡辺木工、今朝式ア殿ニて御ふる舞候事、
腹中故規式ニ出ザ |一、佐分利彦右衛門弟喜四郎儀、腹中を煩申ニ付、御礼ニ不罷出由、彦右衛門比申候事、
ル届       |
         |  (財)
欠礼ニツキ榧ノ実 |一、才津惣左衛門煩申ニ付、御礼ニ不罷出由ニ而、市兵衛弟助右衛門を以、かやノミ一折進上被申候
進上       |  事
服忌届      |一、林久太夫儀、しうとめ相果申ニ付、御礼ニ不罷出申候事、
忌明出仕     |一、田内左兵衛、此中おば相果申ニ付、不罷出候、今日いミ明申ニ付、登城仕候事、
         |一、竹内吉兵衛方ゟ被申越候ハ、黒部吉兵衛儀、進物ハ昨日上申候、明日の御礼如何之由や可仕哉と
         |  日申候、式ア殿ニ御尋候而、式ア殿次第ニ可被成由申候事、         〃〃〃
         |  (国遠)
硯ノ奉行     |一、道倫奉ニて被 仰付候、御賄硯之御奉行ニ塩田浜助・湯浅角兵衛与中嶋加左衛門ニ申付候、様子
         |  ハ道倫ニ可被相尋由、申渡候事、
         |  沖津弥五右衛門の兄、慶長十七年被召出新知二百石拝領、妻子無之家断絶     
沖津九郎兵衛死亡 |一、沖津九郎兵衛儀、元和七年五月十九日ニ相果被申由、沖津作大夫方ゟ書付にて被申越候事、
ノ日       |                          九郎兵衛三弟、宇佐郡奉行 百五十石(於豊前小倉御侍帳)                 
所々ノ茶湯ノ炭ニ |一、所々御茶湯炭の儀、三升入のすミとり被 仰付候間、一日ニすミとり壱つつゝ相渡候へと、渡
三升入ノ炭斗一日 |  仰出ニ付而、則金子喜左衛門、又御すミ奉行本庄喜介ニ申渡候事
ニ一ッ宛ヲ渡サシ |
ム   炭奉行  |

         |              
         |    五日         
         |
服忌届      |一、塩木又丞儀、しうと相果候ニ付而、御礼ニ不罷上由、沢庄兵衛被申候事、
         |一、浅見五兵衛・伊田半右衛門煩由、五右衛門被申候事
忠利厄年ノ祈祷札 |一、彦山座主幷ゑんめう院殿へ之去年御厄年御祈念被仕上ニ付、 御書出シ弐通、佐藤二郎兵衛ニ持
彦山座主幷円明院 |  せ遣候事
ヘノ書出     |
宇佐宮中への書出 |一、うさ社中へ之右同前之 御書出、宮崎掃アニ渡候事、
羅漢寺へ     |一、らかん寺へ右同前之の 御書出、小崎太郎左衛門ニ渡候事、
         |          〃      木村九郎兵衛ニ
         |
求菩提山へ    |一、求菩提山へ之右同前之 御書出、沢庄兵衛ニ渡ス、
大貞宮へ     |一、大貞へ之右同前之 御書出、右太郎左衛門、九郎兵衛ニ渡ス、
正月五月九月ノ祈 |一、正・五・九月之御札、いつも 三斎様へ先へ上申、其後 忠利様へ上申ニ付、今月之御札、去朔
祷札       |                      (久盛)                       ( 頬 当 )
中川久盛寄進ノ頬 |  日ニ中津へ掃ア持参被仕、上被申候処ニ、中川内膳様ゟ宇佐宮へ御寄進として、御はうあて、幷
当    初穂金 |  御初尾として金子壱枚御上候を、先 三斎様迄持せ被進候、右之はうあて 三斎様御前へ御披露
         |  之時、宮成掃アも参合申候処ニ、 三斎様被成 御意候ハ、中川殿ゟ御寄進之はうあて是へ参候
八幡御使     |                      (幡)
三斎中川久盛ヲ宮 |  と、そのまゝ宮成参合申候儀、ひとへに八満ノ御使とおほしめし、きとく成事候、然上ハ、右之
         |                                (旦 那)
成掃部檀那トスル |  御はつほ愈掃アに拝領可仕旨、被成 御意候、此後ハ中川殿を掃アたんなニ可仕候、 三斎様
契約ヲ勧ム    |  ゟも、この段中川殿へ可被 仰進之候間、掃ア儀ハ内膳殿へ追付御礼ニ可参旨、被 仰出由、掃ア
         |  被申候事、
         |                                     (丁替)
上リ者ヲ畳表打ノ |一、上りもの四人表打長兵衛手伝ニ付置候、かたひらを壱つ宛着せ申候、則長兵衛ニ
手伝ニ付シム   |
         |   〇落丁アルカ、

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■文久三年「恕斎日録」(11)・・細川護美の帰国(ニ)

2020-07-14 10:34:31 | 恕斎日録

     恕斎が良之助又はその周辺から聞いた京都事情

70続
    一将軍様に者 二月十三日江府被遊 御発駕 箱根
     御越之上 小田原ニ而外国御奉行様早打ニ而御出
     ニ相成 イキリス軍艦九艘渡来 三ヶ條之難問申
     出候段 言上ニ相成 同所へ両日斗被遊 御着京候
     而 日数十日之 御在京之筈との御事
    一近衛様を浪人共 望ニより関白職ニ被 仰付候処
71
     近来如何成子才ニ候哉 打替り 鷹司様を頻りに
     持立テ候由ニ付 頃日御會議之節 近衛様御出仕
     被成候ハヽ 浪人共存意立兼■■■可申候に付
     御出仕之御塗中ニ而 仕懸可申候との謀斗にて
     當日御門前へ浪人共五十人斗り抜刀に而構居候
     に付 御出仕之望 御病中ニ而御會議ハ御書通迠
     ニ而相済 其後者いまた御出仕も無之由なり 其
     外 公家衆之中 浪人共不気受之御方両所へ張札
     いたし候に付 御両人共御役被成御免候由 右之
     通ニ而 京師之黜陟総而 浪人共気向■次第ニ
72
     相成 大ニ威を張 辻切り闇打等 洛中勝手ニ
     行いたし候処 京都御守護職松平肥後守様御出京
     後 昼夜ニ百人斗り火廻りニ相成候ニ付 少し鎮り
     候由 薩長ハ不和ニ而 積り只者相済間敷候との
     事 此条御次之内より噂之事
    一柏木より申上候ニ者 国家之乱者京の乱たると同
     様にて 一筋の手綱を以 引立候得者能治り候処
     當時者乍恐天下御惣裁無之而者 一筋ニなりか
     たく 如何治り可申候哉と申出候処 良之助
     様よりハ御国中之事ニ御取直被仰聞候に者 御国
73
     中も一致ニ無之候而者 若兵端起り候せつ 勝を
     取かたく候 何様一致ニ文武を引立 不心懸之者
     ハ御留守居組ニも入れ候様に而も無之候而 引立
     かね可申候と被仰聞候処 柏木よりも取直し 以
     前者真組と申物相立居申候 子弟之内藝術宜者ハ
     此組ニ御入被成候ハヽ 引立可申欤よ申上候 小
     子より申上候に者 文武御引立ハ兎角に上より之
     御誘第一と奉存候 私支配御郡中中富手永文武藝
     頃日試業仕 段々相誘 當時之形勢を以 精々
     申諭 其序ニ莵狩抔をも相催 相励し申候処 い
74
     つれも若者共ニ而 不怪進立申候 寸志躰之者共
     さへも誘立候得共 直ニ引立申候間 兎角ニ上の
     御誘第一ト奉存段申上候
    一太守様江者一刻も 御下国被為在度奉存候処
     此節異船渡来ニ付而者 少しハ御延引可被遊候
     自身より関白様江も篤斗申上置候ニ付 當
     □相成居 其上御申訳も被為在候御事ニ付 當
     日中ニハ御発駕被遊被仰聞候事
    一御附役大矢野次郎八より申候に者 良之助様此
     節之下国至極之御都合ニ而 若今少も御隙取被
     遊候ハヽ 御引留可被成候 関白様方へも不怪
75

     御引留度御存年ニ而追々 良之助様ハ
     御隙之御身分ニ付 御勝りと御在京被成候様と
     の御噂ニ相成候事ニ而 御申訳も立かね候処 此
     節者師極之御都合ニ而 御安心被遊候段噂候事
    一肥前御隠居様江者御上京ニ相成 此節御下国 土
     衆之御隠居様に者此節御登り被成候との事
    一清蓮院宮様不怪御聡明ニ被為在 其外ハ格別之御
     方も無御座 鷹司様三条様かた者御壮年ニ而いま
     た御血氣ニ有之 一向御人も不被為在候ニ付 御
     一致ニ至りかね候由也
        異聞録   御次第之咄御前ニ而承る
76
    一一橋様ニ者東本願寺ニ御旅宿之処 御着之夜 御
     門前ニ生首をそなへ 札を付置候由 右首者千草
     様御家来嶋田列と同意ニ而 賄賂又ハ高利貸殖い
     たし 京都中より憎ミ居候由也 右之外同様之者
     八人有之候得共 何れも京中より逃出し居候由之
     処 右之者一人 近日帰京いたし候に付 直ニ右
     之通り浪人共よりいたし候由也 土州御隠居様御
     宿所へも同様之物を出し候由之処 首ニ耳無之
     古首ニ而 臭気有之候由なから 京都之儒者ニ
     而大坂へ逃レ潜居致たし居候処 浪人共殺害いた
77
     し 公家衆之中 一統より憎れ候御方へ 耳一つ完
     紙に封し投込候由なり 右両人之公家衆者其後御免
     ニ相成候由也
    一先日廿三日 加賀様御京着 御同勢も大造美々敷
     御行列ニ而御着之処 同日四條河原ニ而 足利三
     代将軍之御像之首を晒 下ニ御改名之御位牌を糸ニ
     て据付 制札を立 悪逆無道之次第ヲ書立 さら
     し有之 大矢野列も見候由なり 右之外御大名様
     御登り被成候節ハ 毎々浪人共右等奇怪振舞いた
     し候との噂之事
78
       跡より承候左之通
       右足利将軍御像を取扱候者共廿七人欤松平肥後
       様御手より搦捕候由之処 禁庭より右者忠志
       之物ニ付 赦し候様被仰聞候処 松平様御手
       より御断申上候由之事
     右御発駕相済候上 御茶屋へ引移 拝領之御肴を
     御惣庄屋以下へ少し完配當遣し 助勤小川次郎助
     へも竹の子を相添 長須会所へ持せ送り候事
     

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■細川小倉藩(289)寛永五年・日帳(五月ニ~三日)

2020-07-14 06:43:26 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)二~三日 

         |              
         |    二日         
         |
鳥屋対馬ノ高麗雉 |一、当町之とりやノ二右衛門と申もの、対馬へ売買ニ参、罷帰候とて、高麗きし一つ上ヶ申候事、
ヲ上グ      |
         |        供之者・御扈従与也 二百石 (於豊前小倉御侍帳)
佐田源丞知行ノ百 |一、佐田源丞被申候は、主知行ノ百生大小ニ五人御座候内、弐人は去旧冬正月ニ御代官ゟ上せ被申
姓女房子供牛馬残 |                              〃
ラズ代官ニ取ラル |  候、只今三人又上せ被申候、其上女房子供牛馬迄不残とり被申候、時柄かやうニ候ハヽ、不作申    
不作トナラム   |  仕候、たとひ根付仕候共、不作同前ニ可有御座候、重而は各以得 御諚申ニ而可有御座候間、其
         |  分心得候様ニと被申候事、
客人饗応ニ大鮒ヲ |一、明日の朝御客人御座候ニ付而、ため池にて大鮒を打せ上可申由、浦上瀬兵衛・池田伝右衛門奉ニ
漁ス  溜池ニ小 |  而、西田吉内ニ被 仰付候由ニ付、ため池へ小舟ヲ入させ可被申通、鏡善右衛門ニ申遣候事、
舟ノ用      |
稲生丁入へ音信  |一、稲生丁入ゟ使者被差上候、則今晩御返書出申候、御帷子弐つ・御単物壱つ、又御樽弐つ、当地之
         |  酒を念を入候て遣可申旨、 御意之由、熊谷九郎兵衛被申候事、
服忌中故節供ニ出 |一、中路虎助、母相果申ニ付、今度之節供ニ不罷出候由、林久太夫を以被申越候、但、去廿日ニ相果
仕セズ      |  申由被申候事、
         |

         |     
         |    三日
         |         

         |        母                    礼書                   ニ而
服忌届      |一、中路虎助、袋被相果ニ付而、襟度ハ出仕不被仕通、林久太夫夜前登城被申候、就夫、久太夫ため
         |       〃                 馬廻組五番 百五十石 (於豊前小倉御侍帳)
姑ハ二十日ノ忌  |  ニもしうとめにて候つる、しうとの服も廿日御座候間、其心得被仕候へと、林弥五左衛門方迄申
         |  遣候事
小笠原忠真ノ使者 |一、小笠原右近様ゟノ御使者、今朝被成御振舞候事、
ヲ振舞ウ     |
         |        医師并伽之者 百石(於豊前小倉御侍帳)姉(妹)忠利の乳母
         |一、門川阿心ニ御帷子弐つ・御帯壱筋被為拝領候事、
         |一、右ノ右近様ゟノ御使者三輪半右衛門二御帷子弐つ・御単物壱つ・御樽三つ被遣候事、
求菩提山惣中門札 |一、求菩提山惣中ゟ御門札幷御茶初尾五十袋差上候事、
茶ノ初穂ヲ上グ  |
掃除坊主へ厄年祈 |一、去年御厄年の御祈念仕候通、被 聞召届候との 御書出、御掃除坊主へ之分、林隠岐ニ相渡候事、
念ノ札ヘノ礼書出 |
         |   (一通)                                  (長氏)
         |一、稲葉民ア少輔様ゟ、御飛脚壱人ニ御文箱持参申候、平野九郎右衛門を以上申候事、
         |                                           小河半丞
桂ヲ花畠ニ移植ス |一、うさ郡ゟ参候かつら 御前ゟ被成御出、御花畠ニうへさせ可申旨、被 仰出ニ付、則御使番〇を
         |  そへ、小堀長左衛門所へ遣候、おくゟ持出候坊主ハ宗印、
         |  室:細川忠興娘・多羅                                           医師并伽之者 二百五十石 (於豊前小倉御侍帳)  
さかいかけ    |一、稲葉民ア様御内家老吐血被相煩候、あなたの薬師衆ノ薬ハ一切無験ニ付、竹田了由をさかいかけ
稲葉一通家老へ薬 |  ニ乗せ可遣旨、熊谷九郎兵衛を以、被 仰出候事、
師了由ヲ遣ス   |
         |一、右ノ民ア様へ之御返書、則出申候、本庄喜介与喜三郎ニ持せ、町宿ノ次飛飛脚所へ遣候、急可被
         |  罷帰由、可被申渡通、申渡候事、                〃〃
         |     (光賢)
烏丸光賢使者渡辺 |一、烏丸様宰相様ゟ御使者被参候事、但、渡辺木工と申仁也、宿ハひ物や又蔵所ニ被居候、御賄ノ儀
木工来ル     |   (住江元明)            〃
         |  甚兵衛所へ申遣候事、
中津ヨリ薬師明寰 |一、中津ゟ、明寰・三官御馬ニ被乗遣候、御飛脚一人被付遣候、則 三斎様ゟ被進候御文箱三官持参
三官帰着     |        
         |  仕候、明寰ニ〇小判十両・御帷子弐つ、三官ニ銀五枚・御かたひら弐つ宛被下由申候事、 
         |                                  〃
         |           (松井興長)
         |一、右之渡辺木工、明朝式ア殿ニて御ふる廻候由、被仰候事、
臼杵ヘノ薬師派遣 |一、稲葉様へ、明日了由被遣候道中、はさミ箱・薬箱其外荷持夫申付、可遣旨ニ候、幷御鉄炮衆壱人・
ノ道中手配    |  御小人弐人付遣可申旨、左候而、さき/\ニて了由もの同前ニつかわれ候様ニ可申付との 御意
         |  也、又道中にて、右ノ荷物持候人足出置、了由被参候而、つかへさるやうニ可申付通、被 仰出
鉄炮足軽ノ先触  |  ニ付、今晩ゟ御鉄炮衆一人さきニ遣候事、了由ハ明朝八つ時ニ罷立候へと、被 仰付候事、
         |


 

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■細川護美という人

2020-07-13 14:43:19 | 人物

 恕斎日録3月11日京都から帰国した細川良之助について、ご紹介する

      細川護美 細川家12代齊護の第六男、長岡良之助
           喜連川金王丸・同 左兵衛督紀氏・復して長岡良之助
           從五位下左京亮、参与職、軍防事務局補、第二軍副総督
           軍務副知事、熊本藩大参事、麝香間祇候、特命全権大使
           元老院議官、高等法院陪席裁判官、貴族院議員、錦鶏間祇候
           従二位勲一等、子爵、号雲海・簾雨

  天保十三年(1842)壬寅九月七日熊本花畑邸に於いて生る、長岡良之助と称す、嘉永三年(1850)庚戊五月廿三日幕府
  喜連川左馬頭煕氏ノ養子たることを許す、六月五日喜連川家に入り、金王丸と改め次いで左兵衛督紀氏と改む、
  安政五年(1858)戊午三月廿四日養家と離別、長岡良之助に復し護美と名乗る、
  明治元年(1868)戊辰二月晦日召により状況、翌三月朔日参与職、同二日軍防事務局補兼任、尚從五位下左京亮に
  叙任す、閏四月四日従四位下侍従ニ叙任し、東征第二軍副総督に任ぜらる、同廿二日軍務官副知事を命ぜらる、
  五月十二日東下し総督府を補佐し東国を鎮撫すべしとの命あり、同二年(1869)五月八日軍務官副知事を免ぜらる、
  六月十七日桂宮警衛を命ぜらる、八月廿日藩制改革のため帰藩する旨申告、廿九日熊本帰着、
  同三年(1870)六月一日熊本藩大参事となる、同四年(1871)七月十四日廃藩置県に付大参事を免ぜらる、
  同五年(1872)二月廿八日海外遊学のため横浜出帆米国に赴き、その後所々転学、最後英京龍動に在て法学卒業、
  同十一年(1878)の冬帰途に就き、十二年(1879)一月十日長崎着、同十一日熊本に到り、同十六日同所発、
  二月十四日東京着、留学凡そ八年なり、同十二年護久財産を分与し、別戸籍願許可を賜い同日特旨を以て華族に
  列せられ、麝香間祇候を命ぜらる、
  明治三十九年(1906)四月八日薨ず、年六十五、東京品川六石に葬る、碑面従二位勲一等長岡護美卿之墓と題す、
  同廿五日子爵細川利文の第二子・利功が後嗣となり名を護孝と改む

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■肥後の手永と村(13・了)豊後領

2020-07-13 09:10:01 | 史料

1、豊後領・野津原手永(手永会所・野津原村)
  臼杵領野山ニ境目
  ・野津原村(権現村、赤坂、平野)・惠江村(川端、松栗、小屋式、平野)
  延岡領木の上村境
  ・胡麻鶴村(塚野、上胡麻鶴、奥尾)・追次村(田吹、新田分、安友、三堂)・入蔵村(上野原、福宗、櫟木、山口)
  ・吉熊村(同方)・辻原(西村)
  延岡領野山境
  ・矢野原村(通堂、満野尻、岡、杉野木、中園、妙見前)・大田村(白森、中野屋敷、下ケ畑、土手、四ツクスキ)・今畑村(栗炭)
  竹田領野山境
  ・竹内村(下羽、長竹、矢貫、下矢貫)・原村(長野、両川、黒都甲、払谷、土穴、塩手野)
  ・詰村(堪水、広戸、上次、奥、糸棚、下詰、川津野)

  谷村手永
  ・福宗村(野々台、下野尾、波籠台)・筒口村(片野、上中尾)・中村(鶴巻、葛小野)・小野村(谷口、小倉尾)
  ・五ヶ瀬村(床土、沢津)・梶屋村(中津野)・大倉村(西鶴、原口)・山鶴村(七倉、内河野、迫)・阿鉢村(宮ノ原、大向)
  ・馬籠村(山田、底鶴)・谷村(酒野、白鶴)・田尻村(市場、榎辻)・田野小野村(芝尾、立小野)・鬼崎村(古園)

2、豊後領・高田手永(手永会所・上徳丸村→鶴崎村)
  ・小中嶋村 ・志村 ・迫村 ・鶴村 ・寺司村 ・鶴崎村 ・常行村 ・国宗村 ・関門村 ・道園村 ・下徳丸
  ・上徳丸村 ・亀甲村 ・南村 ・門前村(嶺)・鵜猟河瀬村(大鶴)・冬田村(上分、中分、下分)・竹中村
  ・岩上村(河瀬、花香、岩屋金、辺果)・伊与麻村(三ヶ村)・野中村 ・高橋村 ・中無礼村(津留無礼、黒仁田、杢代) 
  ・弓立村(石原、樫原)

3、豊後領・関手永(手永会所・上浦村)上浦は関村の小名か?管理人
  ・大佐井口 ・大西村 ・政所村 ・北村 ・横田村 ・城原村 ・竹下村 ・浜村 ・市村 ・久原村 ・蔵掛村
  ・木田村 ・東上野村 ・西上野村 ・馬場村 ・細村 ・神崎村 ・東木佐崎村 ・栗崎村 ・大平村 ・小志生木村
  ・大志生木村 ・古宮村 ・関村 ・白木村 ・田浦村 ・一尺屋村 

                       (了)
  
  

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■文久三年「恕斎日録」(10)・・細川護美の帰国(一)

2020-07-13 06:04:06 | 恕斎日録

62        細川護美
  十一日 今日 良之助様從京都御着 今朝瀬高七ツ半           良之助当時22歳
    時御供揃ニ而 南関御昼休 山鹿御泊座之事
     今朝五比より御境目迠御出迎申上候処 今朝者御
     急に而 最早御先者御境木近相見 直ニ御境木側
     ニ而平伏 御駕後二付 御供申上候 御供之中御附也
     尋被成候間 太守様江者御境目迠ハ 御上下共
     御案内申上候得共 其外様ニ者御案内ハ不申上候
     得とも 御出迎として罷出居候段申上候 依之羽
     織袴ニ而股立罷出候 夫より五半比
     南関御茶屋江御着 御門前杭場に而平伏 直ニ御
63
     機嫌伺ニ罷出 御小姓代下津久馬迠奉伺候事
     御用人間へ罷出 薮右馬丞方へ相伺候処 追而被
     召出候筈ニ付 扣居候様との事に付 御小姓頭詰
     間へ扣居 尚 下津方ニ一同御用人間ニ参り 同
     所ニ而 元氣付等出し相進メ候事
     献上物 表□ 鶏卵 此分者表向筋ニ差出
         山芋一  此分御惣庄屋より右同断
      外ニ鼈二ッ 鶏二羽 □菜 此分者御内々より
        御台所へ差出候処 御附御目付 江口平八郎
        取継候而差出候処 小倉以来 御好之品
64
        一向手ニ入不申候由ニ付 不怪御歓被遊
        鼈一ッ鶏一ッハ直ニ料理被仰付 残一ツ完
         ?
        者能之助様へ御土産之思召之段 平八郎より
        申候事
     御奉行副役柏木文右衛門江戸被仰付 今日此元ニ
     未着被召出 其跡ニ而 小子も被召出候間 一
     ㇳ通り御下着申上 當御郡作方等之事言上いたし
差上候品々ハ  候事
何より品ニ而  右相済候上 尚被召出 御酒被下候に付 暫相待
被 御満悦    居候様 御附役より被申聞候間 相扣居候処 柏
65
     木文右衛門と一同ニ被召出 御前ニ而御酒肴被下
     候 御吸物小鮎ニ豆腐 ミそにて 御皿鼈酒煮 御天塩ニ 鶏焼鳥 玉子焼等
     至而御簡易也 御前も同様なり 庄右衛門今日者
     過してたへ候様 度々被仰聞候 柏木氏へ御酌に
     て被下 其上ニ而 此方へもいたセと被仰
     聞 柏木よりハ御辞退申し上げ候処 左候ヘハ此方参
     候て酌いたすそと被仰聞候間 御同間ニ入り
     頂戴之上 御酌申上候 其次ニ小子へも訇入レと
     被仰聞 直ニ御同間へ入り 御酌を戴申候処 此
     方へも酌いたセと被仰聞候間 庄右衛門儀者是迠
66
     ハ在之御役迠相勤申候に付 ぶこつニ御座候得と
     も 乍恐 差上可申と御側ニ寄 御酌申上候処
     御笑御受被遊候 尚過してたへ候様 被仰聞 二
     三盃も重ね戴候上ニ而 乍恐今日者御前ニも御過
     し被遊候様 今一ッ差上可申と申上候処 尚御笑
     御盃を御両手ニ御抱御受被遊候処 御刻限も宜敷
     相答候に付 直ニ御立被遊候事
    今昼九比 當所御発駕 御茶屋御門江罷出候而 杭
    場平伏 御送申上候事
     右御酒被下候節 御懇ニ而 御■段御機密迠も            ■=扌偏ニ〆(締)
67
     柏木一同ニ被仰聞 天意相記置 堅他見を
     可憚也
    一此節者御上京中ハ御別暖之御首尾ニ被為在奉恐悦候
     乍憚 當時之御時勢ニ而 乍恐 嘸々御配被遊□
      此節之儀者誠に御退任ニ而 一次に而も天下
     之興廃ニ預り不申候事者被為在間敷 奉恐察候得
     者 誠に以 不一片御心遣被遊たると申上早漏也
     左様ニ而不怪心配いたし候日々開同様初公家衆へ
     も罷出 御機密之御咄合有之 公家衆之中よりも
     昼夜之無□別間ニ者深更之夜中 御懸ニ被相見
68
     在京一日 隙も無之 漸其中三日程往来之序ニ
     所柄少々見物いたし候程ニ而、誠ニきつく存候処
     漸罷下候様ニ相成 御境目を入込庄右衛門か面を
     見て嬉敷覚候段 被仰聞候事
    一開国攘夷之事 上ニかけ下ニかけ周旋いたし
     候得とも 上ノ方も一向腰すわりかね 朝夕之間
     ニぐらり/\と打替り 是には大ニ困り入候
     也 併在京中 是迠 日々彼是と心配を尽し
     漸々一致ニ相成 攘夷之方ニ相決申候との御事
69
    一一橋様御着京被成候処 直ニ三条様初歴々御方之
     御宿所へ御仕懸ニ相成 勅使も度々御出二而
     昼夜御セり付 是非共攘夷御決定ニ相成候様
     御惣裁 御後見之仕事ニ付 将軍様御上洛前
     是非共御決議相成候様 御差爪ニ相成候処 攘夷
     之方ニ相決 将軍様御上洛者十日之御滞留ニ而
     直ニ御帰府 夫より廿日を限り□事御伝法□被仰
     向候様との事候処 夫儀ハ 将軍様御上洛之上
     相決可申候段 一橋様より御断被仰向候得とも
     惣裁後見之仕事ニ付 是非御受被仰上候様との
70
     御セり詰ニ付 不得止 先ツ御一己之処ハ御受申
     上置 御決議ハ 御上洛之上ニ迠 御受に相成
     居候との御事

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■蝉の声聞かず

2020-07-12 20:43:42 | 徒然

                

 今日は夕方になって三日ぶりに散歩に出る。雨が又パラパラし始めたが、おお降りはすまいと強行。
そういえば雨ばかりで蝉の声が聞こえないなあと思いながら歩いていたら、桜の木のひこばえの葉に蝉の殻がすがり付いていた。
蝉の寿命は一週間ばかりだというが、この毎日の雨だと強い太陽を浴びることなく、泣きもせで死んでいく蝉もいるかもしれない。
それから、四五疋の抜け殻を発見したがどれも新しい。今週一週間は雨模様が続きそうで、今年は元気な蝉の声を聴く期間は短そうだ。

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■肥後の手永と村(12)阿蘇郡

2020-07-12 15:10:39 | 史料

                                       熊本藩領・手永図

阿蘇郡

 1、内牧手永(手永会所・内牧町)
   ・内牧町(別当、庄屋)・内牧村 ・宮原村 ・宇土村 ・小里村 ・分内牧村 ・西湯浦村 ・黒流村 ・小園村
   ・小池村 ・今村 ・小倉村 ・綾野村 ・小野馬田村 ・山田村 ・小野田村 ・役犬原村 ・小野田新村 ・西町村
   ・今西町村 ・竹原村 ・蔵原村(学頭坊、知行)・黒川村(御客分)・坊中町(別当)・黒川村 ・田代村 ・成川村
   ・乙姫村 ・永草村 ・赤水村 ・車帰村 ・的石村 ・跡ケ瀬村 ・狩尾村


 2、南郷高森手永(手永会所・吉田新町
   ・吉田村 ・下市村 ・上中村 ・下中村 ・下積村 ・二子石村 ・厚尻村 ・竹崎村 ・市下村 ・津留村 ・冬野村
   ・高森町 ・本市村 ・高森町 ・村山村 ・上色見村 ・色見村 ・白川村

 3、南郷野尻手永(手永会所・津留村
   ・永野村(大中野、幸子、大坂畑、所尾畑、下切、小笹)・草ケ部村(社倉、小崎、本郷)・芹口村(原口、馬場)
   ・田下村(水湛、菅山、水迫、下尾野、栖原、岩原)・野尻村(胡桃原、蔵地、向津留)・尾下村 ・矢津田村(吉尾野、小村) 
   ・東野尻村(津留、上津留、重井野、永野)・河原村(味鳥、黒岩、仁田水、市尾野)・上矢津田村(峯宿、中村、祭場)

 3、南郷菅尾手永(手永会所・菅尾村
   ・柳村(西竹原、東竹原、旅草、梶原)・小倉村(早憎、高畑、下山)・樺山村(楢崎、神働)・柏村(神木、八矢、二津留、花寺)
   ・玉目村(目畑、稲生、藏木山、仁瀬本、丸小野、大野原)・塩出迫村(今村、米山、大久保、大迫、大見口、上指尾)
   ・菅尾村(神前、大師、竿渡、馬見原町、長崎)・柳井原村(方ヶ野、斗塩、黒原、次苅、土戸)・名ヶ薗村(上原、馬場野、市原、鎌野)
   ・尾野尻村(大野)・小嶺村(貫原、楮原、松原)・木原谷村(西原、小中竹、高須)・河口村(梅木鶴、栗林、尾ケ分、栗藤)


 4、小国(北里)手永(手永会所・宮原町→北里村)
   ・黒淵村(仁田切、滴水、室原、小屋、奥山、原、小藪、岩下、山角、下津留、杉平、宝来、げそ)・城村(古池、柿木、江布)
   ・片田村(若宮)・杉田村(開田、脇戸、手形野、矢津野、平瀬、鳥越、上井出、下井出、畑中)・土田村 ・町分請(湯原、龍泉寺)
   ・宮原村(上仁瀬村、開田、下仁瀬村、上田、蔵原、殿町、奥保、広瀬)・西村(尾江田、柿迫、童子院)
   ・御境目/西里村(赤水、松野、野里、岳湯、杉屋所、取尾野、打越、中尾、岩爪)・幸野村(小原田、馬場)
   ・萩原村(下明星、湯津留、長田、志屋、柿峯、折立、矢田上、田原、田中、田代、小竹、浅瀬)
   ・江古尾村(鬼白、別所、狩持、高原)・北里村(堀田、山川、湯山、上村、幸津留、高地、川原)
   ・上田村(西原、蔵伝寺、坂下、仁瀬、谷川、塩井川、広田、地福寺、上村、楢ノ木)
   ・万成寺町(星原、和田、堀木、南平、内河野、名原、大津留)・蔵園村(小園)・波居原村(長迫、尾蕨、中村、旗通)
   ・満願寺村(志賀瀬、荒谷、鬼淵、波居原、千光寺、比良、動馬木、中園)・柿迫村(萩津留、垂玉)
   ・赤馬場村(扇、黒原、田中、市原、田野原、星和、黒川、白川、小田)
   ・馬場村(野目、田代、中村、黒原、立山、陳内、森園、鬼山、竹熊、年手、牛房草)
   ・下城村(市井野、坂下、石井、杖立、宇土、蔵本、小園、川平、中園、弓田、北河内)
   ・御境目/桑津留村(湯平、護身寺、池鶴、塚瀬、走込、向鶴、山下)・湯田村(中嶋田、樋口、城尾、阿蔵野)
   ・中原村(陳、米山、和田、樟本、四分一、爪上、松山)・松木村(坂下、大竹原、陳前、轟木、田尻、柳迫、古閑、南林、折立)

 5、久住手永(手永会所・久住村)久住手永は肥後領と豊後領(直入郡)が混在しているが阿蘇郡の扱いとなっている)
   ・桐迫村 ・久住村 ・阿蘇野村 ・白丹村 ・安原村 ・稲葉村 ・産山村 ・田尻村 ・山鹿村 ・大利村
   ・片俣村 ・赤仁田村 ・小園村 ・滝水村 ・中江村 ・波野村 ・小池野村

   

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■細川小倉藩(288)寛永五年・日帳(五月朔日)

2020-07-12 09:37:43 | 細川小倉藩

                      (寛永五年五月)朔日 

         |     
         |    (朔日)         
         |
節供出仕ノ断リ  |一、高並源兵衛被申候ハ、右之足のうらに三腫物出来仕候、事外痛申候間、節句之出仕罷成間敷哉と
         |  存知候、随分羪生仕、快気仕候は出仕可仕候間、其心得仕候へと、被申届候事、
         |                      
歳暮ニ出仕ノ有無 |一、去冬御下向之刻、歳暮之 御目見えニ不罷出衆御改ニ付、久野二郎左衛門尉差出ニうらかき仕、
ノ改       |  被上候へと、遠坂越後方ニ申渡候処ニ、裏書相調、被差上候、二郎右衛門尉子息二郎吉儀も、
久野某蝮ニ喰ル  |  節供ニ 御目見えニ可差出と存候処ニ、まむしにくハれ、さん/\の躰ニ而罷居候間、其儀無御
         |  座候、其心得仕候へと、被申候事、
         |一、鍋嶋信濃様ゟ被参候御使者ニ、御帷子壱つ・御単物壱つ被遣候事、
         |
忠利四十二ノ厄除 |   去年御厄違之御祈祷被仕上衆中へ之御書出
之祈祷札ヲ上ゲシ |  (松井興長室、三斎女)       (是次)
者ヘノ書出    |一、御こほ様へ 壱通 御使米田左兵衛
         |  (鍋、南條元信室、細川興秋女)
         |一、御なへ様へ 同  同 西沢弥平太
         |  (筑紫重門室、細川幸隆女)
         |一、御かね様へ 同    (同上)
         |  (長岡孝之)              米田
         |一、中書様御内儀様へ 同 同 左兵衛
         |  (三淵好重室、三斎妹栗)
         |一、惠光院殿へ   同  (同上)
         |                西沢
         |一、藤懸蔵人内儀へ  同 同 弥平太
         |一、彦山頭坊中・惣中へ   同
         |一、彦山円光院殿へ 同
         |一、宇佐宮社家中へ 同
         |一、大貞宮寺社中へ 同
         |  (上毛郡)
         |一、求菩提山北中法印・惣中へ 同
         |  (宇佐郡)
         |一、善光寺へ    同
         |  (下毛郡)
         |一、羅漢寺へ    同
         |  (国東郡)
         |一、両子山惣持院へ 同
         |一、山本宗覚へ   同  山本三四郎ニ渡ス
         |          (へ脱)
         |一、御年寄衆幷人持衆被遊                           壱通 式ア殿へ猿木何右衛門ニ持せ遣候事、
         |一、御鉄炮頭・御弓頭・御物奉行衆へ   壱通
         |一、御馬廻衆中へ            壱通
         |一、御詰衆中へ             壱通
         |一、御留守居衆中へ           壱通
         |一、御薬師衆中へ            壱通
         |一、春木金太夫・右田少右衛門へ     壱通
         |一、御船頭かしら人へ          壱通
         |一、御中小姓衆中へ           壱通  
         |一、御歩之小姓頭与共へ         壱通
         |一、御物書衆中へ            壱通
         |一、御側之弓・鉄炮頭与共ニ、幷御舁頭へ 壱通 
         |一、所々御番中へ            壱通
         |一、諸職人へ              壱通
         |                         (是門)    (米田是次)
         |一、小倉町中へ             壱通 米田與右衛門方へ左兵衛ニ渡遣之事
         |一、御小人御道具衆へ          壱通
         |一、坊主・山伏へ            壱通
         |一、御郡奉行・代官・惣庄や中へ     壱通
         |  (永良) (続敦行)
         |一、長兵衛・平右衛門与中へ       壱通
         |一、御留守居・寄合与へ         壱通
         |右之通、頂戴仕せ可申旨ニ而、熊谷九郎兵衛被持出候也、
         |
哲斎ヘノ合力米ハ |一、鉄斎への御合力米は引のけ候て置候哉と、熊谷九郎兵衛にて被 仰出候、いつものことくニ百石
         |                 ニ而
定例ニハアラス  |  渡申たる由御請仕候処、定被遣儀ハ無之候、何ものゟ渡候へと申ニ付渡候哉と、重而被仰出候、
         |  如 御諚定不被遣儀ニ御座候ニ付、江戸へ申上、 御印被成下渡申候由申上候ヘハ、左候ハヽ、
忠利裁可セルヲ忘 |  江戸へ申上候趣」、又江戸ゟ被仰下趣を写候て、懸 御目可申由被仰出ニ付、則江戸ゟ 御印被成
ル        |  下 御書を懸 御目候ヘハ、左候ハヽよく候由、被 仰出候事、
使者木下延俊ヨリ |一、歩之御小姓渡辺六太夫、右衛門様へ御使者ニ被参、革袴壱下拝領被仕由、被申候事、
革袴ヲ給サル   |           

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■文久三年「恕斎日録」(9)

2020-07-12 07:06:36 | 恕斎日録

52
  廿八日 晴 帰着
53
   今晩 小山力童吉広家江初入ニ而昏礼之事                                                      
    小山家より中山市太郎 同妻 同娘 中山源助妻 同娘
    □妻 小山直太郎 吉田少右衛門 中山源助 力
    童同道
    亭主方
    魚住衛門太 同衛門助 志賀太郎助 山形典次郎
    佐々半十郎 同権一郎 亭主代 小子
    家内おか寿 前垣娘おたゝ 待女口 ほわセ
          謡師五人  娘子 お寿
               伴馬助次郎
54
    右昏礼首尾能相済
    献立 吸物二種 硯蓋 大鉢 表受 同鯉生作
     同 鯉さしミ 此品ハ小山より持せ也 本膳
    右之通 當時柄に付双方申談相定候なり 尤持せ
    候ハ数之外なり
  廿九日
  三十日
    加左衛門養子願之儀 在江戸中に付 文案且取斗向
    坂本彦兵衛へ問合候処 加左衛門願書ニ相認 從江
    戸相認仕出候 小倉ニ而三十日斗以前之日付ニ而            
55
    内意書付差出 頭被存寄無之候節 加左衛門より内
    意之書付と一同ニ願書も相認遣し置 頭衆の存寄無
    之節ハ直ニ相達候様申越仕出来居候段 演舌ニ付
    直ニ本書を相達可申事 小山家よりハ遣候方ニ付
    頭迠ニ聞置ニ而候間 尊聴願書ニ不及候との事
      右之趣 吉広家ニ申向 手ニ分斗候程も相触ニ而
      候間 此方より直ニ夫々取調相達候様 託し置候
      事 三月初達込

56 
  三月朔日 社参 今日佐渡殿 胃助殿隠居家督被 仰付          佐渡=松井家10代・督之(タダユキ)
    候に付 上下着玄関迠歓ニ参候事                  胃助= 同 11代・章之(テルユキ)
  二日
  三日 佳節 今日胃助殿八代入城之段知せ来候処 今日
    ハ出仕不致候ニ付 夕方歓ニ参候事
  四日 今日 将軍様被遊 御上洛御模様之事              将軍様=徳川家茂
    今日ハ出在之事 今日出懸小田手永山神祭参拝
    雨天ニ付 寺田村庄屋鹿江頼助宅ニおゐて祭敷相済
      今日者雨天之処 木葉武藝諸生中 田平山に而
      莵狩いたし 小子へ遣度内存之由申出 一疋
57
      相増候に付 同所ニ而相供 此所ニ而開 役へも振
      舞候事
    今晩坂下詰所泊
  五日 今日穀雨 御祈祷満日ニ付 疋野社御代拝相勤
    候事
      社司より以前ハ石貫熊野宮も此方より懸持いた
      し候処 中古より而ニ不及申候由ニ而 寿福寺
      相頼候之由なり 依之 尚旧復いたし度 右
      住寺も存寄無之由 噂いたし候間 氏子中へも
      申聞いつれも一致いたし相頼候ハヽ 可宜候段申
58
      向候事
    右相済 山田村山中におゐて内田・坂下・荒尾・南関四手
    永 山神祭参拝之事
      疋野社司も参会 坂下諸生より莵狩いたし □
      一疋差出 相供 此所にて開候事
  六日 石貫廣福寺重物見物 内田 坂下三役共同道
    熊野宮参拝 羽根木社司 小山主殿御祓之事
      兄弟共ニ参る 坂下・内田三役共参拝いたし候事
    今夕 内田会所引移 同所泊
  七日 中富会所引移 今日直ニ影踏之事

59
      松村文童塗中へ出 案内 昨冬 此方より申立           松村文童=松村大成
      により主家将監殿より被賞縮緬羽折一拝領いた
      し候に付 右祝酒と申饗応いたし候事
      出立前より風邪氣に付 文童へ診察相頼 請察
      五帖大 同人養子へ対面 松村宗立
  八日 内田會所へ尚又引移 影踏候事 官銭封印相済
      今日尚文童宅江立寄 診□相頼候事 昨日ゟ相□候
      薬礼として半紙壱束送る事
  九日 小田引移 伊倉社内ニ而影踏之事 奉納拾匁
      社僧へ御祈祷相頼 御札御肴遣之事
60
    一南関より早打着 太郎助より書状
     良之助様明後十一日瀬高より御発駕 南関御昼
     山鹿御泊座之段申来候事
    一今晩小川次郎助助勤として小田會所へ来着之事 
      惣躰此節出在中 良之助様御通行ニ差合且又
      嶋原様も長洲御通行に付 差合可申候間 其節
      者助勤相頼置候処 明後日 良之助様御通行
      之事 今朝上妻より心を附候ニ付 出勤之上
      早引俄出立いたし候ニ而 此方ハ未夕不申
      越候内ニ出立 大ニ弁利ニ相成候事
61
      右嶋原様其内御通行之節ハ初御入部之事ニ付
      御口上書ハ小川より御家老方へ懸合受取持来候
      事
      右ニ付 影踏順番を操替 明日坂下より直ニ
      荒尾へくり替影板も同所ニ差廻 小川者此方へ
      手分出在いたし候筈也
  十日 小田会所より小川同道出立 坂下詰所へ立会 小
    子者直ニ南関へ罷越 小川者坂下影踏出役
    今夕 荒尾引移 明日同所影踏見分之事
     今晩 南関正福寺泊

 

    (次回十一日分は16頁に及ぶ良之助(細川護美)の京都からの帰国に伴う記述を、2回ほどに分けてご紹介する)

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■アラーム音が響いています

2020-07-11 17:20:02 | 熊本

 ベランダに置いていた観葉植物用の空のプラスティックの受け皿に昨晩の雨水がたっぷり溜まっています。
当然上の階のスラブがありますから、横雨が打ち込んでたまったものでしょう。それでも40㎜以上です。
そして今日は私のスマートホンが二度も三度も、アラーム音がなり響いて驚かされています。
がけ崩れの警報と、洪水警報ですが、こういったアラーム音というのはかってにボリュームを上げるのか、ものすごい音がします。
心臓によくありません。
おまけに、雷も頭の上で鳴り響いています。(遠雷ならば俳句の一つもひねってみようかとも思いますが・・・)
県南の水害地も一日止むことのない雨に加え、ここ一週間ほどは雨模様だといいますが、大変な事だろうと御察しします。
私事ですが、昭和28年の大水害で全財産を失った母親は、一週間ほど気鬱になっていたようだったと姉が語っていました。
まさに災害地の皆さんがそんな状態にあられるのでしょう。心折れぬように気を確かに頑張っていただきたいものです。
又、全国の皆様にも災害に遭われませんようご祈念申し上げます。

       

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■細川小倉藩(287)寛永五年・日帳(四月廿八~廿九日)

2020-07-11 13:48:05 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正四月)廿八・廿九日 

         |     
         |    廿八日         
         |
         |   (敦行)
中津へ端午祝儀ノ |一、続平右衛門尉、中津へ端午之御帷子・御単物持被参候而、今日被罷帰候事、
使者       |
金山観音堂新造遷 |一、春木金太夫被参、被申候ハ、昨日観音■堂出来仕二付、うつし申由、被申候事、
座ノ届      |
葛張ノ奉行    |一、つゝらをはらせ申御奉行、横田権佐与天野少左衛門・湯浅角兵衛与伊藤彦太夫也、
金山諸奉行ノ端午 |一、右之金太夫被申候ハ、来月之御節供ニ、御山諸奉行も可罷出候哉、幷沢治吉右衛門儀も如何之由
ノ節供出仕ノ可否 |                 (仕)
ノ伺       |  候、貴殿と吉右衛門両人ハ御出使候て可然由、返事申候事、
丑山猫ノ歯    |一、田川ゟ、牛ノ歯・山ノ犬ノ歯・猪ノ歯参候、則関小平次ニ相渡候事、
         |

         |     
         |    廿九日         
         |
         |       (規矩郡)
忠利横川へ石見分 |一、殿様今日横川へ石を被成 御覧ニ、被成 御座候事、
唐人少峯長崎へ帰 |一、小峯経長崎へ罷帰候事、
ル        |
馬喰町門ノ鍵借用 |一、馬喰町海手之御紋ノかき壱つ、私かり申候、以上       野原善太郎(花押)
書        |
東ノ茶屋ノ庭預リ |一、東の御茶屋ニ、前廉梅松軒被 召置候処、当春被成御替、小堀長左衛門被 召置候、然処、梅松
梅松軒ヲ小堀長左 |  軒ニハ、手伝之荒仕子壱人被成御付候、右之荒仕子は御切米高五石にて候、今度梅松軒長左衛門         
衛門ニ替リ    |                                      〃〃〃
荒仕子ノ切米   |  ニハ弐人被成御付候間、切手をねきり候て、やすきものを可被 召置由、申渡候、前廉梅松軒召
荒仕子取替米ノ処 |  置候荒仕子ノ御取替米、梅松請取、于今払不申、只今払申候か、三四十日ほと、ぬし手前ニ而
分        |  つかひ申候間、月引ノ算用仕、御取替返上可仕候哉と、申候間、長左衛門をよひ、口をきゝ申候
         |  処に、長左衛門申候は、御花畠うけ取申候時、あらしこ御座候も、又無御座も不存候へとも、梅
         |  松二私申候ハ、荒仕子をも付候而渡被申候へと申候へ共、あらしこハ当分五三日やとひ申候もの
         |  にて候間、其方にて御抱候へ、取替ハもとし可申由、被申候通申二付、しかる上ハ、月引ノ算用
         |  にてハ有之間敷候、其儘請取被申候分を、もとし可被申由、申渡候事、
         |   (勝茂)
鍋島勝茂使者   |一、鍋嶋信濃様ゟ御使者被参候事、端午之御帷子持参被仕候事、
端午ノ祝儀ニ帷子 |

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■肥後の手永と村(11)玉名郡

2020-07-11 06:53:27 | 史料

                                       熊本藩領・手永図

玉名郡

 1、伊倉→大浜→小田手永(手永会所・片諏訪村)
   ・大浜町 ・横島村 ・小野尻村 ・河嶋村 ・北牟田村 ・大国村 ・尾田村(斎藤)・小天村(有所、赤仁田)
   ・部田村(小山、久嶋)・立花村(大塚、米ノ山)・竹崎村 ・野部田村 ・宮原村 ・片諏訪村 ・横田村 ・桜井村
   ・桜井村(船津)・南方村 ・唐人町 ・西北帳村 ・中北帳村(岩井口)・東北帳村 ・小嶋村 ・立山村 ・桃田村(亀頭迫)
   ・寺田村(世間部)・向津留村 ・青野村(合田、原村、上横田)・坂門田村(高野、谷村、菅野、向村)・田崎村
   ・上白木村(城林、尾ノ上、今山、太郎丸)・白木村(箱井、岡山、彌二郎丸、小坂本、小林、小清水、小中尾、下り口、上古閑)
   ・二俣村(陳村、横林、助吉、庄林、鉢久保、藤尾、中尾、瓜生田)・千田川原村 ・西安寺


 2、内田手永(手永会所・山部田村)
   ・上木葉村 ・浦田村 ・木葉村 ・山口村 ・稲佐村 ・安楽寺村 ・津留村 ・下村 ・下津原村 ・西下津原村
   ・川部田村 ・山部田村 ・下小田村 ・上小田村 ・白石村 ・請村 ・日平村 ・蜻浦村 ・用木村 ・萩原村
   ・姫井村 ・上江田村 ・江田村 ・米渡尾村 ・原口村 ・藤田村 ・前原村 ・久米野村 ・岩尻村 ・志口永村
   ・高野村 ・大屋村 ・焼米村 ・榎原村 ・東下津原村 ・菰田村 ・江栗村 ・竈門村 ・上久井原村 ・下久井原村
   ・長小田村 ・内田村 ・月田村 ・寄名村 ・下社家村 ・上迫間村 ・下迫間村 ・富尾村 ・石貫村 ・下石貫村
   ・北石貫村 ・箱谷村


 3、坂下手永(手永会所・坂下村→繁根木村)
   ・繁根木村 ・永徳寺村 ・亀甲村 ・中村(上中村、下中村)・小浜村 ・滑石村(晒)・浜田村 ・高道村(中島)
   ・下沖洲村 ・扇崎村 ・鍋村(塩屋)・中程村 ・下村 ・山下村 ・土器屋村 ・前原村 ・野口村(上野口、中野口、下野口)
   ・西築地村(萩尾)・庄山村(池田)・友田村 ・上村 ・林田村(下林田)・古閑村 ・西照寺村 ・開田村
   ・築地村 山田村 ・中尾村 ・立願寺村 ・山崎村 ・秋丸村 ・河崎村 ・河床村(上坂下、下坂下

 4、荒尾手永(手永会所・長須村)
   ・上平山村(小名元)・平山村 ・下平山村 ・井手村(深瀬)・下井手村 ・原万田村(松葉、西原)・大嶋村
   ・西菰屋村 ・東野浜村 ・宮内村 ・宮内出目村 ・下荒尾村(本村)・上荒尾村 ・中壱部村 ・増永村(向増永)
   ・蔵浦村  ・水嶋村 ・向壱部村 ・牛水村 ・梅田村 ・小野村 ・高浜村(浜村、立山、本高浜、西高浜)
   ・長洲村(中塩屋、大明神塩屋)・宮崎村(鷲巣)・宮崎出目村 ・永方村(東永方、本永方、西永方、中永方、葛野)
   ・塩屋村 ・平原村 ・折地村 ・清願寺村 ・上沖洲村 ・向野村 ・腹赤村 ・赤崎村 ・東菰屋村 ・金山村
   ・上河登村(今寺)・下河登村 ・樺村(上樺、中樺、下樺)・府本村(松尾)


 5、南関手永(手永会所・町)
   ・関町 ・関村 ・関東村 ・関東村(猪原)・関外目村(北関、下原分)・吉地村 ・東吉地村(中村)・和仁村
   ・上和仁村 ・吉地村 上板楠村 ・上十町村 ・苧生田村 ・平野村 ・上津原村 ・岩村 ・上岩村 ・太田黒村
   ・小原村 ・野田村 ・相谷村 ・肥猪村(中村)・肥猪町 ・東坂上村 ・安原村 ・坂上村 ・赤坂村 ・東今村
   ・庄寺村 ・久重村 ・上長田村 ・下長田村(山口)・今村 ・高久野村 ・宮尾村 ・田原村 ・柿原村 ・上田原村 
   ・南田原村 ・石尾村 ・福山村

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■文久三年「恕斎日録」(8)

2020-07-11 06:39:19 | 恕斎日録

45続
  廿七日 文武諸生中 米野山ニおゐて兎狩之事              米野山・地図
    惣人数百人余 今朝正六時 岩原村社内揃
    今朝八比 起し之相図 大砲三發 会所ニ而 七半より出立
    尚三發会所ニ而 日の出比 岩原社内ニ着 直相図ニ而相揃
    小子ハ夜明比先ニ着いたし候処 一人も参り居不申候ニ付
          尚相図打セ候処 いてれも馳付候ニ付 直ニ瀬上・坂山様 二手ニ分 東組・西組
    米野嶽登山 城跡見物 夫より観音堂へ下り 薬師
    堂ニ而惣寄合 獲物を献壇上ニ而 山神祭 小子参
46
    拝 杉谷伊豆 祝文を読上 惣勢礼拝 神献兎三ッ
    樽二丁 饅頭
    右相済 神酒惣勢頂戴 堂之前ニ猫伏数十枚敷 諸
    生座也 小子者堂上ニ而神酒頂戴相済候上ニ而右諸
    生座中江出張 惣勢ニ申聞候者 當時不穏世上ニ付
    上より文武御誘之御主意を奉組取 張以文武更張
    いたし 御為に相成候様相心得候様 申諭 杯を取
    神酒を始メ 誘方以下諸生なかへも頭立候者へ差申候
    処 いつれも元気を張立 弥以相勵可申 此上ハ浦山
    坂より以南へハ敵一人も通間敷候間、安心いたし候
47
    様申合候事
      酒ハ冷酒 肴ハ数のこ一種 挺子樽抔ハ茶碗
      取賄候事
    右相済候処 尚いつれも励立 尚莵三ッ取候事
      右獲物今晩帰着之上 諸生一統へ分配いたし
      候様申付候得とも 多人数と申 方々江亘り 此分
      二而ハ何分届かね候段申出候に付 一ツ者今晩
      料理役にともたへさせ 二ッ者会所一手 二ッ者
      小子持帰り 一ツハ物書牧重左衛門相働候に付
      遣候事
48
      小子持帰之内 壱ツ者岩崎へ遣 半分ハ小川 半分ハ片山へ
             助勤之礼として送る 壱ツハ家内近隣招度
            〆候事
       右 祝文 左之通
        祝 文
    綾
    大山祇中山祇麓山祇乃大廣前大□取懸
    底申須 于茲文久三年二月廿七日吉日良辰
    神請動□□申奉當国奉里
    某守日嗣仕中村庄右衛門玉名
    懸令蒼生赤心志天
49
    木於計留露功已亦大木神
    向々□馳神多賜水神岡象女命損
    如此衆神抔御心比志波其大造
    美底久派今参集人々麻加比無
    手麻加比無災害利登
    幸波比江登申須
        中富懸分田社司
             杉谷伊豆文明 敬白
50
    狩莵記
    文久三年二月玉名郡宰試文武業中富三日而畢日
    一日与衆狩山以同楽何如皆喜曰謹諾 二十七日味爽
    発砲一聲以示出郊男山挙燎使見者奮起郡宰出中富
    館従者二十餘人 暗唖叱咜聲響于野比至干無田村
    東方巳明 是日也天気晴朗風埃不作西行一里至岩原
    社 衆会者殆百人単衣行滕手持竹杖来謁郡宰乞命
    於是立隊長二人吉田親利為東長 古庄直熙為西長
    各□部伍伍毎有長予亦列于伍長左右導者各□置而
    先之求莵所棲以設置隊長下令厳粛衆正列而進呼声
51
    動山谷郡宰登高而覧東西之勝劣相從者服部直寛等
    十餘人未時到来米野山麓薬師堂命社司杉谷文明築
    壇祭山神又発砲一聲直煕等来献所獲之莵二乃使之
    具山神文明告神以祝文郡宰登拝少焉親利等来献所
    獲野莵一又具之於神如初於是ヤ郡宰下堂労衆曰文
    武並用長人之道也汝輩入則治分出則講武予今使衆
    馳山野非□徒獲莵不同遊堂楽而知輩面目則緩急
    果何為乎乍命有司以酒食与衆長幼飲食坐紛乱郡宰
    与衆堂坐共杯飲酒衆感共意酣飲大酔親利直煕建吉
    曰請乗比勢再狩捕莵以奉於君焉郡宰美共言乃分衆
52
    東西間地理村翁入山聲喧呼西隊又獲三比夕帰中
    富館衆皆至謝終日之恩命予為此記乃不辞而記之
                服部直道頓首拝

    此記者よく形容を写したれハ録し置なり されと
    狩之主意ハ面目見知るの為のミに者非す 当時之
    世上に付 上よりも武威更張之□□第一なれハ 眠
    れる哉 気を引立ん その主意なれ者 其所まては
    貫少し見ゆれともしるし置なり

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