津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■朝顔

2024-07-27 06:29:55 | ご挨拶

              朝顔や 一輪深き 淵の色   与謝蕪村

今年の夏はやけに暑い。38度なんて日もあったがそれでも健気に朝顔が咲いている。
夏休みに入るころになると、子供たちが学校で育てた朝顔を自宅に持ち帰っているが、この日ばかりは大方は車のお迎えで帰宅しているようだ。
でかくなった朝顔を鉢ごと持っては帰れない。
「朝顔」は俳句の世界では秋のものである。肥後六花の凛とした佇まいは熊本の武士の心根である。

                                    朝顔や つる先高みに 遊びけり   津々

 

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■朽木定彦関係‐5「御尋二付御上覚」ー3

2024-07-26 06:09:39 | ご挨拶

                                                       

                                     ■朽木定彦関係‐5「御尋二付御上覚」ー2

                                 及落命候覚悟之由殊之外愁傷ニ而頼
         ニ而御座候間私茂甚難渋仕差圖何とも
         返答仕兼候得共何分一命ニ茂懸り申候程之
         申分故其分ニ茂難閣差當胸中ニ存候ハ
         右之通之趣ニ只今内匠ゟ頻ニ取遣御座
         候而者取茂直サス母子賣り相と申ニ而
         他聞人口茂如何敷存候間私返答仕候ハ
         不肖の身分と申其上私抔取扱申候
         議ニ者無御座候得共余り之様子難忍
         申分ニ付先今晩頼藤栄江内匠申向
         候之処者申當メ可申其上只今書付差上
         候而も最早
         御發駕前迚茂 御着座後茂
         同前之儀故将斗直ニ内匠江参相続
         可仕今晩之処ハ安心いたし候様ニ申聞
         紫英を返し申候紫英帰候後直ニ内匠方江

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■石光真清「城下の人」から

2024-07-25 06:03:32 | 書籍・読書

 石光真清著「城下の人」から、主人公の熊本時代を精読した。
その中の「神風連」の項を読んでいたら、この事件を予見して行動をしていた人がいたことが書かれている。
主人公の近所に住んでいた太田黒惟信は神風連の浦楯記等に踏み込まれたが、いち早く隣家に逃れて事なきを得たが、浦らは太田黒の屋敷に火をつけて退散した。
処が近所の嘉悦邸では、廃刀令を切っ掛けに神風連が何かしら行動を起こすのではないかと事件の三日前から、近所の進歩派の家の夫人たちが嘉悦邸に寄り集まり、
「主人が留守」だと言い募って毎夜かがり火をたき宴を催していたと記されている。

太田黒邸に浦らが踏み込んだのは、その三日目の事だと記している。進歩派の方々の家が襲われることはなかったようだが、この作戦が功を奏して襲われなかっ
たのかどうかは良くわからない。

しかし、そんな作戦に出たという事は、神風連の何らかの行動を起こすのではないかという、確信的な情報を得ていたのであろう。
そうだとすると、官軍がまさかの急襲を受けて初戦にて痛烈な痛手を負ったことは、情報収集が確かではなかったことを物語っている。
この小説は、石光真清の手記をご子息真人氏がまとめられたものである。嘉悦邸とは嘉悦孝子の屋敷だが、まさか作り話ではあるまい。

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■身動きできず

2024-07-24 13:48:38 | ご挨拶

 妻が入院してから9日目、リハビリテイション病院への転院の連絡待ちが続いている。
脳梗塞の病状が固定したから、後は一月ほど歩行訓練だという話なのだが、見舞も週二回と決まっているし、電話をしても通じないし、ひたすら主治医からの連絡待ちでここ一両日外出もままならない。
今日も連絡がなさそうだから、明日以降なんだろう。
何とも男やもめは切ない限りで、ご飯は炊けるがおかずとなると一切手が出ない。卵焼きに椿油を使って匂いがして食えなかったり、スクランブルはバターで作って一応成功したが塩コショウの量が多すぎた。
パンはオーブントースターで焼いたが焼け焦げてしまい一枚廃棄処分、日本人はお茶漬けが一番だ。
御飯に味噌汁と行きたいところだが、これがまだ完成形に至らない。TVで「もこみち」さんが手際よく色々作っておられたが、天才だと思う。
この際、自分の食い扶持くらいは、何とか自分の手でと思うが、やはりお惣菜やさんに頼りっきりである。
それでも9日は生き延びた。

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■朽木定彦関係‐5「御尋二付御上覚」ー2

2024-07-24 06:24:30 | ご挨拶

         

          「御尋二付御上覚」ー1 に引き続き

                                        守居存生之中順養子之儀ハ堅相成
           不申由必多度其儀迄平日申来候趣
           長ク書付茂出来申候得共書付者成然
           仕不申候中相呆遺言ニハ申残宜然共
           定彦親之命を背キ候ニ相當第一不
           孝ニ相成身近難相満之上内匠与
           年齢僅之違イと申信記又順養子ニ
           相成申候得者是又聊之違ニ而一向勤メ
           申候間茂無御座候得者僅之間二頻へニ
           代替リ相守候而而者新知之家筋旁以
           不宜存相断候得共一向ニ承知不被致
           最早此上之儀無詮方私打懸頼ミ申候間
           何卒内匠手前申申上有呉候様ニ必多度
           落議ニ而頼ニ而御座候勿論此儀毛頭挨拶
           尓而申候ニ無御座真実日月神ニ懸ヶ
           申候とも事ニ而既此事御断相立不申候将ハ

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■上林三入宛三斎書状

2024-07-23 06:26:40 | オークション

     【真作】武将大名、茶人 細川忠興(三斎) 消息文、古文書 ガラシャ ローマ字印 

       あと2日35人の方が応札されて現在60,500円、100,000円は超えるでしょうね。
       上林三入は宇治の御茶師、三齋公とはほぼ同年代の人である。

 

                                 以上
        被差越飛脚
        爰元珍敷氷魚       氷魚
        一折到来令
        満足候則賞
        翫可申候猶規
        面之時候恐々
        謹言
               三斎
           十月廿四日 宗立

           上林三入老
               御宿所

 

 この文書の相手方の上林三入とは、宇治市歴史資料館の収蔵文書報告書「上林三入家文書」によると、初代・三入だと思われる。
 幸盛。今西光盛二男・始め三右衛門。藤村家に入り、やがて初代上林三入となる。隠居後、三休。
    万治三年(1681)歿。91歳。
    参考*純正宇治茶専門店・三星園上林三入本店

 

 

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■間違いない梅雨明け・・

2024-07-22 17:13:53 | ご挨拶

 過日梅雨が明けたと思い込んでいましたら南九州のことでした。遅れること■日、ようやく北九州も梅雨明けとなりました。
昨日は午後に妻の見舞いに出かけましたが(週2日)、面会時間15分に自転車で往復20分脳天が焦がれるような暑さでしたが、今日はそれ以上の暑さです。
熊本は36度予想が出ていましたがどうでしょうか。あまり好きではない冷房を27度設定で付けっぱなしで過ごしていますが、頭痛がしています。
慣れない家事仕事や買い物や洗濯、それにベランダの観葉植物を枯らさないように水やりと、午前も午後も走り回って少々疲れ気味です。
主婦の苦労を感じながら、先ほどまでうたた寝をしていました。
そろそろ夕食のことを考えなければなりませんが、この暑さではスーパーのお惣菜やさんまで出かける勇気がわきません。
お茶漬けでお茶を濁すことにしましょう。

明日のお昼には冷やし素麺を食べたいのですが、只今作り方をインターネットで勉強中です・・・

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■漢字雑感

2024-07-22 06:10:10 | 徒然

 古文書に親しんでいる中で、最近漢字についていろいろ思うところがある。
御家流の筆法による文書ばかりではないから、9割方くらい読めれば私的には「読んだ」としたいのだが、読めない字を■と表示している
と、これが気になって仕方なく、一文字を一日がかりとかで何とか読めたときにはまさに留飲を下げる心地よさである。

ところで「変体文字」の中には、「耳」を「ニ」と読ませたりするものがあるが、これは漢音と呉音の違いからきていることを最近知った。
「耳」は「ジ」だろうと思い込んでいたが、「ニ」と読ませるのは呉音である。仏教の経典などはほとんど「呉音」で読むらしい。
たとえば時折くちずさむ般若心経などに「無限鼻舌身意(ムゲンビゼツシンイ)」とあるが如しである。

それゆえこれらの文字が呉音の読みであることを知ることになる。

「王」という字の読みは「ワ」とあることが古文書に初めて親しんだ当初は理解できないでいたが、これは「オウ=漢音」「ワウ=呉音」
であることを知ったが、ほかにも大変興味深いものが色々あり、「春=す」は音ではなく「人名訓」だし、「鵜=う」は訓読みからであり、
変体かな=音読みの常識が通じない。

「而」は「に」の変体カナでもあるが、音読みで「ジ」訓読みでは「て、しこうして」であったりする。
「音=ね」もまた訓読みからきているし、興味は尽きない。
最近では奈良・平安時代の「発音」などに興味をいだいている。
ワ行の「ゐ=Wi」「ゑ=We」「を=Wo」の存在や現在はそれぞれが「い」「え」「お」に吸収された意味など、先にも述べた釘貫亨著の
「日本語の発音はどう変わってきたか」を読みながら大変興味深く読んでいる。

古文書を読んでいるときは、とてもじゃないがこんなことは思いもよらずに一心不乱で読んでいるが、一息つくと漢和辞典を紐解きながら
こんな感じ(漢字)の愉しみ方をしている。

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■細川家家臣・真下氏と八代松井家家臣・澤井氏

2024-07-21 06:56:05 | 人物

 くまもと文化振興会の月間総合文化誌の「KUMAMOTO」を、史談会会員のN君からご恵贈給わった。御礼申し上げる。
実はここにN君の、江戸時代から現代まで続く地誌の世界『平成肥後国誌』についての記事が掲載されている。
平成肥後国誌の編著者・高田Drの最晩年大変かわいがられて、Drno死後は自ら膨大な資料の整理に関わり、一部の貴重な資料・膨大な写真やネガを遺族の了解のもとに頂戴して、整理している。誠に奇特な行いで頭が下がる。
                                                                 

 さて、この「KUMAMOTO」に、松井家家臣・澤村氏のご子孫が、代々受け継がれてきた武家屋敷「澤井家住宅及び長屋門」の継承とその活用について報告を為されている。八代市の有形文化財に指定されており、これらの活動はインターネットでも紹介されている。
           武家屋敷 澤井家住宅 生涯学習館/寺子屋「西小路」

澤井家は一色義有に召抱えられていたが、義有は細川幽齋女(伊也)を妻に迎えている。
その後、細川家はその結婚の祝いの宴を催したいとして義有を呼び寄せて謀殺するという黒歴史をつくった。
梶之助(25歳)は一色氏の居城に攻め来たった細川勢と相対し、米田是政と戦って戦死した。
不憫に思った是政は、その遺児等を助け育てたという。女・佐井はのちに細川忠興の御側に上がり、六男・岩千代を為している。
幼くして、のちに八代城主となる松井興長の養嗣子となった。松井寄之である。
その後佐井は細川家重臣・沼田勘解由にお下げ渡しになっているが、このことについては勘解由の苦悩ぶりについて過去に触れさせていただいている。■忠興側室を沼田延元内室に

母方の姓を名乗っていた元重の流れはそのまま真下姓を名乗り細川家につけた。
二男の流れは本姓・澤井をなのり松井家に仕えて明治に至った。松井興長が八代城主となり、佐井のなした子が興長の養嗣子として後には八代城主となり、澤井氏は親しくこれに仕えたのであろう。

忠興の死後、八代城に誰を置くかという一大事は、細川光尚を大いに悩ませたが筆頭家老・松井興長をしてその城主とした。忠興の溺愛した五男・立允は忠興より早くなくなり、その嫡子に八代藩を立藩することを遺言としたが、このことは光尚の受け入れるところとはならず、宇土にうつして3万石の宇土支藩となした。
その光直が死去すると、今度は肥後54万石の屋台を揺るがす継承問題が大問題となった。
その時活躍したのが、松井寄之沼田勘解由である。不思議なめぐりあわせともいえるが、江戸へ下り幕府に対してのこの二人の努力により、その後の細川家の安泰がもたらされた。

こうしてみていくと、歴史のめぐりあわせの不思議さを感じざるを得ない。澤井家の御安泰を願うばかりである。


                     細川忠興
                       ‖ーーーーーーーーー岩千代(松井寄之
                   +ーーー女・佐井
                   |   ‖
                   | 沼田勘解由(再嫁)
                   |
 澤井元家ーーー+ーーー真下元重(梶之助)ーーー+ーーー七兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→細川家家臣・真下家
      |
      +ーーー澤井重包ーーー+ーーー重豊・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→松井家家臣・澤井家
              |
              +ーーー正重             

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■松平春嶽夫人来熊、御母・顕光院様御見舞も御逝去

2024-07-20 13:38:31 | 歴史

 今日は熊本史談会例会で、会員の田邊元武氏が「細川家砂取別邸の江津花壇から熊本県立図書館への歴史 」を取り上げられる。
その主題となる場所こそが、かっての細川家砂取別邸のあった場所である。
そして奇しくも今日という日は、その屋敷の主であった顕光院(細川齊護夫人・浅野安藝守齊賢女益姫)が亡くなられた日である。
娘の勇姫(松平春嶽夫人)が江戸から汽船に乗って来熊し、生母の御見舞の誠を努めて熊本を離れた翌日に死去された。
そして報を受けて途中で引き返されている。葬儀のご様子は知る由もないが、勇姫様は最後のお別れをされることになる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大名夫人の江戸定住は「大名證人制度」の名残だが、文久年間には参勤交代と大名夫人の江戸定住が緩和され、夫人たちは帰国することになる。
肥後藩も同様で、まず故・斎護夫人顕光院と長男(慶前)室・鳳臺院が駕籠を前後にして帰国した。
顕光院は安藝浅野家のご出身だから帰国途中に実家に立ち寄られている。
その後、韶邦室・峯姫が数日遅れで帰国、藩では南関口に郡代・中村庄左衛門が出迎え、お伴の女中衆が驚くような歓待ぶりであった。
夕暮れの道には赤々と松明がもやされ、これも一同を驚かせている。
顕光院と鳳臺院は二の丸御殿、峯姫は花畑邸に入られた。のち、顕光院は砂取別邸、鳳臺院は二本木邸に移られる。
顕光院の最晩年、娘の勇姫がお見舞いの為に来熊されたが松平家の記録に一連の勇姫様の行動が書き残されている。
以前にもご紹介したが再掲する。

一、五月廿八日御簾中様御儀本日午前第七時真崎御邸御発車、白川県下熊本表江御出立被遊候、正二位様御同車新橋停車場迄御見送被遊候、正四位様・
   御前様・信次郎様・細川正四位様・細川従四位様・津軽従四位様神奈川駅迄御送被遊、藤沢御泊迄中根新被遣、 明朝之御発駕見上ケ罷帰、御機嫌
  奉申上候 但シ東海道通り神戸御乗船、下之関江御着船、夫小倉へ御渡り、陸通り熊本表江御着被遊候 正二位様より左之御哥被進相
成候 君のかへり
  給ふを    としゆきてとくかへりませ何となくいまたわかれの袖のむら雨

       朝な夕な我菴崎に待乳山ひとり千秋のこちこそすれ
一、六月五日御簾中様御道中無御滞、本日熊本県江御着被遊候旨電報 相達候条、細川様御直書ヲ以被仰進、御安慮被遊候
一、七月六日 細川正四位様御家従板垣信康 右熊本県昨日着、顕光院様・御簾中様より之御伝言旁、尚御 機嫌為申上出頭
一、七月十日熊本表電報、顕光院様御容躰去る九日朝より余程御不出来故、御簾中様御発途御日延相成候旨、委細御使者ニ而被仰越 候旨被仰遣候
一、七月十八日熊本表より御家従山田喜一と申者到着参上、顕光院様御容躰委細申上、且御簾中様御発駕御日延御願被遊候条言上、御両君様御同坐御
  取被遊候

一、七月十九日御簾中様御儀、本日熊本表御発駕被遊候旨電報相達候
一、七月廿日熊本表之電報細川様為御知 顕光院様近日御快ニ付、去ル十九日御簾中様御発途被遊、其後幾許之御不出来ニ而極々御気遣ニ寄、細川御両所
  様ニも為御看 病急々御下県御願相成り候ニ付、御簾中様にも御引返し願置候 との御主意ニ候 同日六時到着熊本より之電報細川様為
御知 顕光院様御
  儀十九日午後五時過俄之御不出来、廿日午前一時 御縡切恐入候ニ付、細川御両所様速ニ御下県奉願候条、御簾中様ニハ御途
中より御引返シ被遊候御
  儀、佐野久電報ヲ以申上 候 顕光院様御様子御替り、依而御途中御引返被遊候ニ付、御日延御願御差出可相成様との御
事也

 

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■我が家のことも・・

2024-07-19 11:54:08 | 自分史

 明治維新後、我が家も多くの士分の方々と同様、ご多分に漏れず世渡り下手の荒波に放り出された。
曽祖父は時習館の最後の居寮生なのだが、藩の解体後は細川護美公の推挙などがあったようだが、上京することもなく岳父・上田久兵衛と熊本に残った。
明治10年久兵衛が罪を得て死刑となるとその遺児たちの生活を見るために苦労したらしい。
祖父については、しばらくは母校・濟々黌の舎監などを努めたが、のちには「国士」などと論評する資料がのこされているが、ピョンヤンの日本朝鮮語学校の校長
などを努めたが、明治末期には細川家の家扶となり昭和19年に死去する迄続いている。

私が2歳にみたないその年に祖父母、そして父と三人が続いて亡くなったから母の苦労はいかばかりであったろうかと推察する。帰熊して私は熊本地吾郎となった。

 昨日、親族の方から、上田久兵衛そして祖父についてのお尋ねがあったから、資料を引っ張り出していろいろ整理を始めている。

考えてみると、人様の御宅の先祖探しなどは一生懸命やってきたが、我が家のことは知らないことばかりである。
例えば父親が学んだ小・中学校、高校がどこであったのか等である。姉が関口台小学校だったそうだから、父親もそうか?
中学・高校はとんと判らない。大学は近いという事もあったのだろうが、早稲田に進んで建築学を納めた。
台湾総督府に勤めたが、そこで姉が生まれた。しかし父が病を得て帰京、そして私が生まれた。姉とは7つの年齢差がある。
私が建築の道に進んだのは母の希望による。父子二代の建築屋である。
これを機会にわが家の歴史も正確に書き伝えなければと思っている。
子供たちは全く興味を示さないが、家内が思いもかけず倒れたりすると、明日は我が身という切羽詰まった気にさせられている。

 

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■新美八左衛門召し放ち

2024-07-19 06:34:25 | 人物
「松江城秘録」という文書の中に、新美八左衛門に関する光尚の文書が残されている。
これは八代城の三齋の死去後の八代城御附衆のうち、村上河内・庄林隼人・そして新美八左衛門を追放するにあたって光尚が家老・長岡佐渡へ通達したものである。
「今度の仕合奉公振りが気に入らないから扶持を召し放つ」という文言が強烈である。
三斎の死後七ヶ月経過して、八代城御附衆の処分も終盤に入っている。

 新美八左衛門等今度ノ仕合奉公振気二入不申扶持を放候段可申者

  正保弐年七月十九日之御書御飛脚持下八月三日ノ夜頂戴仕候
   猶々馬場三郎左より其方迄きり志たん改之儀諸
   事ニ至迄心入之段満足申候通礼状を遣申候き
   り志たん仕置之儀ニ付何とそ替様子も候ハヽ被
   仰聞候様ニ天野かたへ其方より申遣可然候以上

    追而之状披見候道家帯刀八代より罷帰候由ニ而帯
    刀状披見候其方内見候由尤候
 一、新美八左衛門妻女長崎へ遣其身ハ上方へ罷上江戸
    へも可罷越之由得其意候庄林義者筑後立花
    殿領内ニ居候由是又得其意候兎角今度之
    仕合常々奉公振気ニ入不申候而扶持を放レ候段
    迄を相尋候かたへ被申可然候事

       (中略)

    七月十九日         肥後 光尚御判
              長岡佐渡守殿

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■梅雨明け

2024-07-18 06:02:03 | ご挨拶

              暑中お見舞い申し上げます。

 真っ赤な太陽がビルの合間から顔を出しました。暑い一日になりそうです。

昨日熊本は梅雨明けしたようですが、ここ一両日家人を入院させるために忙殺され、疲労困憊の態で、昨夕ようやくTVの報道で知った次第です。
(梅雨明けしたのは南九州でした。疲れのせいと言い訳はなしにします。早とちりをお詫びします。7月19日追記)
妻がいなくなると、ご飯の炊き方さえよくわからない自分に愕然としています。
いつもはトーストで朝食を済ませますが、パンがどこにあるのかさえ判らず、昨日買ってきたコンビニおにぎりが今日の朝食になりそうです。いつもの定番ヨーグルトと変な取り合わせです。
昨晩は「炊飯器の取説」を読んで今日からチャレンジの予定です。
おかずは近所のスーパーに出来立てをたくさん預けて(?)ありますから、好きなものが選り取り見取りです。

 今また、コロナやインフルエンザの流行で、熊本市民病院は面会時間は15分、週二回までと規制されています。
また、マスクが手放されない生活が戻ってきた感じです。
厳しい暑さが続きます。コロナ・インフルエンザを十分ご用心の上お過ごしくださいませ。元気に過ごしましょう。

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■朽木定彦関係‐5「御尋二付御上覚」ー1

2024-07-17 06:50:30 | 人物

           朽木内匠・定彦関係略系図

     この文書は三渕嘉門(9代・松井営之四男・澄昭)が松井帯刀(営之嫡男)に当てたものである。
     尚、ここに登場する朽木内匠は松井営之の末子である。
     又定彦は朽木家7代・昭恒(雄山)の養子となった昭信(宇土細川家立禮(細川齊茲)の末弟)の子である。
     昭信は病身で朽木家を継ぐことなく宇土家へ帰っている。故に8代を松井営之末子内匠が継承し、甥にあたる
     定彦を順養子にしようとしているが難儀している。

        四月五日之夕紫英私方被罷越申聞候趣ハ
        定彦事内匠順養子ニ被致度由内匠ゟ
        以口上書紫英江被申向候 右之儀ハ當春
        二月之比雄山ゟも紫英承り候由其
        趣意は雄山深ク思惟仕候処先祖大和守
        血筋と申候は乍女系守居計ニ付願クハ
        定彦事内匠順養子ニ被致候様有御座度

        存候間内匠江去年十二月雄山ゟ以書付
        申向宜候段申聞候 然共紫英も一通ニ
        相心得候其上雄山とも段々咄合宜候筋合も
        有之候ニ今に成右之通変替りニ相成候
        事紫英存候は雄山儀最早老年
        万端志■ニ而之事と相心得等閑(なおざり)ニ
        當居候処近比内匠ゟ不計致書付俄ニ
        順養子之儀申聞候間甚行當申候 併内匠も
        厳養父挨拶ニは是非一通ハ手数事故
        左も可有御座然レ共紫英ゟ委細之以訳
        断申候ハゝ相謹可申候と存候 前内匠ゟ猶又
        以書付存念委細申向候間従是も又
        書付を以相断候得共一向承引無御座
        既ニ今晩ハ頼藤栄を招キ委細申含
        尊兄様江も申上近日ニ願書差上申候
        との事ニ而紫英大ニ驚申候其訳は
        

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■どんとぽっち

2024-07-16 06:22:49 | 書籍・読書

 NHK大河ドラマ「光る君へ」は、まひろが道長の子を宿していたことや、宜孝と結婚後も道長と逢瀬を楽しむなど、NHKとしては中々大胆な演出ぶりである。
さて私はいま、釘貫亨著「日本語の発音はどう変わってきたか」を読んでいる。
まさに「光る君へ」の時代の、優雅な紫式部や清少納言の歌を見たり聞いたりし、その水茎(筆あと)の優雅さもふくめて、これがその発音を知ると少々興ざめする感じである。
例に挙げられていたのが、柿本人麻呂の歌だが発音は下段の如くであったという。
こういった古い時代の発音が判るというのも、凄いものだとひたすら感心しきりである。

   ささ      みやま                いも 
   小竹の葉は深山もさやに乱るとも 我は妹思ふ別れ来ぬれば   柿本人麻呂
                     ママ
   ツァツァノファファ ミヤマモツァヤ二ツヤゲドモ・・・・・・・・

 ところで随分以前の「金鳥どんと(使い捨てカイロ)」のコマーシャルで、桂文珍と西川のりおが「ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんとぽっち」となんだか時代不明な恰好で叫んでいたが、このことが上記著書で紹介されていて、日本語の古い発音としてあり得る話だと紹介されている。
「寒い、寒い、どんと(カイロが)欲しい」がこうなるというのである。寒いが「ちゃっぷい」欲しいが「ぽっち(い)」となるらしいのだが、本を読みながら当時のシーンを思い出して笑ってしまった。

 少々粗野な感じが残る熊本でもよく聞かれた言葉二つが、奈良時代のものとして紹介されていた。
インデックスを貼り忘れてどのページだったのか判らなくなったので、こちらは後程・・・

 

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