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津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後藩国事史料 全10巻揃い

2025-08-04 06:20:57 | オークション

      改訂 肥後藩国事史料 全10巻揃い 侯爵細川家編纂所 編 国書刊行会 昭和48年

                                                                 

 全巻揃いの「肥後藩国事史料」がついに顔を出しました。欲しい~~~けど・・・高い~~~(即決80,000円+送料)
我が家の財務大臣にはとても決裁はもらえないことは目に見えている。こっそり購入するにしても送られてくるとバレバレだし、置く場所も考えなければならないし、指をくわえて見送らなければならない。無念・・・

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■蜂に注意???

2025-07-11 07:00:48 | オークション
  数日前面白い内容の古文書をヤフオクで手に入れた。

        
 ヤフオクの出品者はこのような読み下し文を添えられていたが、少々疑問に思われる部分がある。
読んでみるとすんなり文意が伝わらない。
                   此子弟ラ、御養地其外共
                   大評判夥敷事と御座候、
                   依之、此子匆々所々罷うつし候
                   間、此子其宅二而うつし、
                   組類之内へ有之様致度候、
                   且、大はち(蜂)異国より渡来、
                   ひとさしニ而さしころし
                   候間、用心可致旨之評判
                   御珍重候者也、
                            平輔より
                      東一郎とのへ

これは幕末異国船到来に関することだと考えられる。異国人を「大はち」と読み替えると大意を得ることができよう。
暑くて外出も侭ならない中、暇つぶしに読み下しにチャレンジすることとする。
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■感動・・田渕俊夫の「熊本城」

2025-06-05 06:58:28 | オークション

                   田渕俊夫『熊本城』◆銅版画◆直筆サイン有◆文化功労者!内閣総理大臣賞!人気作家!額装
                  現在52,000円(即決235,000円)

            

        田淵俊夫画伯に、熊本城に関してこのような素晴らしい作品があるとは今まで知らなかった。見事としか言いようがない。
  現役時代ならいざしらず、年金生活の身としてはただ見守るしかない。

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■6代・古市宗円の「証状」

2025-05-26 05:46:15 | オークション

【模写】古市宗円 証状軸装 萱野宗斎宛 安永三(1774)年九月(肥後古流 茶人 宗匠 肥後熊本藩 郷土史 近世文書 古文書 極真台子)

 

 茶道肥後古流の宗家ともいえる古市家の六代目宗円が、同じく肥後古流の萱野宗斎に宛てた証状である。
茶道史の上でも貴重な資料ではなかろうか・・

本来、茶道肥後古流は古市流・古堀流・萱野流(古田家)の三家であったが、古市家の流れは高弟・竹田元凞が継承して武田流となり、萱野流は門を閉じられた。
萱野家は7世に至り古田を名乗られているが、これは初代萱野某が古田織部正の弟・正的の子であり、正的が兄の改易の際に連座を逃れ奥方の姓に改名をしたことによる。

 古市家は初代宗圓が利休居士の娘婿で、利休流手前の継承者でもあり、利休の茶の湯の形が変わることなく肥後古流に伝えられている所以である。
古堀家、萱野家はその意味からすると弟子筋であり、ここにある「証状」が示すように、両家が弟子に相伝をするときには古市家の「承届」上と記されている。

 時代が移り変わり、熊本では古堀家・武田家二家が営々と肥後古流の伝承に努力されている。
私はいささか武ばった肥後古流の御手前の所作が大好きである。

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■【真作】『 細川三斎(細川忠興) 消息 田山方南旧蔵 国立博物館 』古文書

2025-05-18 08:45:59 | オークション

              【真作】『 細川三斎(細川忠興) 消息 田山方南旧蔵 国立博物館 』古文書

                                               

    細川忠興は隠居して三斎宗立と名乗っているから、元和六年以降の文書である。真筆間違いなし・・・
宛名にある牧左馬允はその働きによって忠興から一字を与えられ「興相(おきすけ)」の名を拝領している。
その左馬允からの音信物に対する礼状である。

                以上
               就我等上洛差越
               使者小袖貳ツ諸白
               大樽参干卅           
               到来祝着之
               續少助可申候謹言
                
                四月十二日 宗立(ローマ字印)

                  牧左馬允殿


                     +--新五(病死)
      兼重     嫡男・興相       | 善太郎・四郎右衛門
 牧遠江守---尉大夫---+--新五・左馬之允---+--平左衛門------------------→(新五家)
            |          |   虎蔵    
            |          +--藤左衛門------------------→(藤衛家)
            | 二男      
            +--五助 ------------------------------------------------→(新二家)
            |
            | 三男(細川忠興軍功記編者)
            +--丞大夫---+--権内 (病にて知行差上げ)
                 |
                 +--五左衛門---+--丹右衛門-----------→(市右衛門家)
                         |
                         +--丞大夫-------------→(丞大夫家)


 牧家は細川家根本家臣の一家であり、青龍寺以来の家格を持つ。
 牧氏の出自について、綿孝輯録は次のように紹介する。
【先祖ハ敏達帝より出で橘の姓也、薬師寺次郎左衛門公儀末流にて、攝津国河辺郡富松の城主富松与一郎元亮男也、同郡牧村に住故、牧を以家号とすと云。(綿考輯録・巻十)】

【牧丞太夫(兼重)ハ青龍寺より御奉公仕候、代々細川の御家臣筋目を以被召出、既ニ一色御討果の時も石川山にて狼烟を揚し役人也、其後小笠原少左衛門所にて黒川大炊と喧嘩 (中略)秀吉公より喧嘩は両成敗と被仰出・・(中略)立退・・夫より浪人して小西攝津守に奉公・・其後岐阜中納言殿ニも少の間奉公・・「今年(天正十九年)牧丞太夫・同新五父子帰参仕、聚楽にて御目見被仰付候」】

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■三斎雇入れ

2025-04-04 10:21:41 | オークション

                   

                                                                          五三日中此方雇
                   申度候 少々之御暇入
                   候共於御越候ハ可忝候
                   恐惶謹言

                    三月朔日  三斎(花押)

                    〆 松岡庄藏樣
                          人々御中

「近日中に(貴方を)此の方に御雇申したい。御暇入りをさせるがお越しくだされば忝ない」と云った意の「雇入れ」の書簡である。
細川家には松岡姓の家臣は結構存在するが、残念ながら松岡庄藏成る人物については、何者であるかの情報がない。
「恐惶謹言」や「樣」宛としたり、礼を尽くした文面であることから、それなりの人物であろう。
こういった、「雇い入れ」に関する文書については、私は初見であり興味深い。元和九年、隠居後の文書である。

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■於登見さまって何方?

2025-04-03 07:32:54 | オークション

          細川越中守書状 おとみ宛 書状 書簡 古文書 折紙状

 何方か判らないが細川のお殿様が、これも何方ともわからぬ「於登見」という女性に宛てた興味深い書状である。
この様な品に出会うとわくわくしてしまう。
長い内容の書簡だが折り紙を使い切っても書ききれずに、上部の行間に書き加えが見えている。それもいったん書き終えた後、中央あたりに「猶又」とあって再度書き加えられている。書き始めは4行目か?
上部中央に「御安産」の言葉が見え、それから6行目には「与松」と見える。
細川家の関係者で「与松」を名乗る人物は、宇土支藩の7代目の立禮(のち本家相続・齊茲)以降、宇土支藩の嫡男の幼名となった。
光永光熙氏の御労作「平成宇土細川系図」をみると、この「与松」と云う名は、本家から特に与えられたものらしい。
署名に諱がなく、「越中の守」とあるのもめずらしい。私は重賢公が立禮の誕生にあたり、生母周辺の老女「於登見」にお祝い・御見舞としての書簡ではないかと密かに推察しているが如何だろう。もしくは、齊茲が宇土に残した嫡男・立之に男子(与松-立政-本家相続・斎護)が生まれたときのものか?
大きくプリントアウトして読み下しをしてみたい。

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■うっかり・・敗北

2025-03-31 06:30:41 | オークション

                  

 ヤフオクに出品されていた古小代の船徳利、「いいなあ」と思って応札してみました。
締め切り前に風呂に入り、ついでにいつもはしない掃除までしてオークションの時間をすっかり忘れてしまい、あわててPCを立ち上げて応札しましたが・・・ ×××
作戦失敗でわずかに届かず残念の結果に成りました。落札額は5,250円。
先にお酒の事を書きましたが、これで燗を付けようという事ではなく「一輪さし」にいいなあと思ったのですが・・・

今日も一件チャレンジするものがありますが、頑張りましょう。
 (追記:肥後孝子傳三冊 撤退しました。連敗です・・)
                                                             

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■【深和】細川忠利 消息「雁一箱の文」 廿四日付

2025-03-19 06:56:38 | オークション

 【深和】細川忠利 消息「雁一箱の文」 廿四日付(掛軸 近世大名 近世古文書 藩主 肥後熊本藩 郷土史 御鷹 鷹狩 放鷹)

  家臣の加々山主馬を通じて「雁」が送られてきたことに対する礼状である。

   

          主馬かた迄かん一はこ       主馬=加々山主馬首可成   かん=雁
          送被下候而、御いんきん      いんきん=慇懃
          之至奉存とも、不浅御
          心さしおとろキ
          申候、先度之天気も
          あつき折ふし
          御くろうニ存入候、
          恐惶かしく
             廿四日 (花押)

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■小笠原民部あて三斎書状

2025-03-12 11:20:15 | オークション

          【真作】喜聞◆『細川忠興(細川三斎) 書状』

   

 あて名の人物は家臣の小笠原民部であろう。
民部とは、ガラシャ夫人に殉死した小笠原秀清(少斎)の嫡男・長光であり、室は三斎の姪で
吉田二位左兵衛兼治(室・忠興妹・伊也)女・たまである。
6,000石・家老、万治三年正月十日歿。
私はこの書状は、三斎の真筆ではないかと考えるが、そうだとすると丁寧な筆跡である。
しかし癖のある筆跡は相変わらずで、一見して即読み下しは出来ない。難行苦行が必要となるが興味深い書状である。

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■日本の古本屋にもない・・・

2025-02-22 08:27:13 | オークション

 ヤフーオークションで「細川」と打ち込んで検索して相当の数をチェックしてそろそろ止めようかと思っていたところに、この本が目に飛び込んできた。
この本は現在では大変な貴重本になっていて、「日本の古本屋」でも見当たらない。随分久しぶりにお目に懸った。
2007年頃私はこの本を探し回っていて「見つからぬ本・・そして雑感」を書いている。その後この本を所蔵されていたP様からご恵贈給わって現在に至っている。
以来気にして来たが、それ以来の事かと思う。
応札しようかとも思ったが、一冊持っているから人様にお譲りするのが良かろうと思ったことだ。

                     
                     細川ガラシャの娘・お長

 お長は忠興とガラシャの間に生まれ、前野出雲守に嫁いだが、夫君景定がその父但馬守と共に「秀次事件」(文禄4年=1595)に連座し切腹を仰せつかり、父・忠興の機転により剃髪して死を免れた。
傷心のお長が母と再び過ごすことができたが、その母・ガラシャも慶長5年(1600)には亡くなっているから、わずか5年の歳月だった。母の死の跡慶長8年に死去している。記録に於いても僅かである。

綿考輯録
(慶長八年)九月廿九日、前野出雲守後室忠興君御女御名お長安昌院殿御卒去、法号月心妙光
  考ニ一書、妙光を妙覚、慶長八年を九年、九月を八月、御名お長をお市なとある皆誤なり、御碑面を拝し候ニ安昌院殿心月妙光大姉、
  慶長八年九月
廿九日と有、但八月と云事は近年盛光寺より願之筋有之、由来記を御役所ニ書出候ニ先住誤て八月と調出候由、当住之
  物語也寛政十二庚申也、御名由
来記ニもお長と有之、お市と云事ハなし、当時八代安昌院に御位牌有、此寺ハ元ト盛光寺の隠居所な
  りしニ、安昌院ハ元来西光寺と云、三齋君の御
愛妾小上(コノウエ)といへる女の法名を西光院法樹栄林と云、此菩提の為元和年中
  中津に一寺建立西光寺と被号、右女の弟良運乗誉という僧開祖也、
夫より四世の僧三齋君を慕ふて八代に來り西光寺建立、安昌院殿
  殿御位牌も初ハ此所ニ在、後ニ盛光寺と改也、浄土宗筑後善同寺末也 

兼見卿記(結婚について)
  天正十八年十二月廿六日 甲午、長岡与一郎息女(お長)隣國但馬守(前野長康)子息(景定)へ祝言、今夜被罷向云々

 

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■落札しました

2025-01-30 07:19:12 | オークション

                                                                   

 しょっちゅう使うものでもないから持っていなくてもいいやと思っていた「熊本県百科事典」、日本の古本屋でも最近は見当たらないのですがヤフオクに出品されていたので落札してみました。
当時の定価が25,000円、落札価格は1/10以下+郵送料でした。本棚を整理してお待ちしたいと思います。
実は最近ヤフオクは連敗続きで、今回は満を持しての事でしたが応札は私だけだったようです。

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■中陰九曜紋

2025-01-22 07:16:06 | オークション

 【肥後拵の傑作】鉄地桜九曜紋散小柄 無銘 肥後金工 金象嵌 細川三斎 大名品 細川家 家紋 本歌 桐箱入

            

 細川家の家紋チラシの「小柄」が出品されている。金象嵌が施されているが、象嵌がはずれたり、地金に錆が出たりして状態は余り良くないようだ。
「長さ:約9.74cm、幅:約1.50cm、厚み:最大約5.0mm」とあるから、これを参考に写真のスケールを合わせてみた。小さなものである。
中陰(ちゅうかげ)九曜紋」が数か所みえるが、これは本家では使われないから、常陸谷田部藩細川氏もしくは内膳家・刑部家の御品ではないかと思われる。
これは状態が良ければ相当な値段になるのだろうが~~只今16,000円也。

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■文字散策4-「齋」と「齊」

2025-01-18 07:34:51 | オークション

 歴史のことなど深い知見もないままに始めた我がサイト、当初の頃はこの「齋」と「齊」の字の区別もままならず、お叱りのご指摘を受けたことも懐かしい思い出である。
「齋=斎」は「忌み」であるが、細川家における藤孝公の「幽齋」、忠興公の「三齋」の「齋」は 、「心身を清めて 神に仕ること。」と考える。
幽齋公の残された文書で「幽齋」と記名されたものは多く無く思われ「玄旨」が多いように思うが・・
さて、現在ヤフオクで三斎公の著名と花押の「断簡」が出品されている。つまり、ある文書からこの部分を切り取ったものである。
「模写」とあるのは、案文であることをうかがわせるが、それにしても内容が失われて痛々しい。

【模写】委託HK◇時代 細川三斎書状花押断簡(未装)(掛軸 掛物 茶掛 表具 揮毫 手紙 消息 花押 武将 大名 細川忠興 茶の湯 利休七哲 )


                  


「齊(斉)」の字は、細川家の10代・11代・12代の三代が、将軍家齊から御名を頂戴して齊茲・齊樹・齊護を名乗った。
一斉とか斉唱などの言葉から察せられるように、「凹凸がなく等しく揃っている。調っている。」の意である。

                                                            

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■豪潮の壬辰元旦の試筆

2025-01-07 09:27:38 | オークション

 お正月のこの時期に、熊本が生んだ天台宗の高僧・豪潮律師の「壬辰元旦」の試筆(書初め)がヤフオクに出品されていた。(すでに完了)
肥後三筆とも言われる豪潮の筆跡は、私にはなかなか判読が困難であるが、詳細な説明文も添えられていて大いに勉強になる。
この七言絶句、内容が高尚でその大意をつかみきれないでいる。どなたかご教示給わればありがたい。

 

  

         互挨一転一          互に挨す一転一の
         我詩 雪裏花         我詩 /雪裏花
         開梅一枝 三拝        開かんとす梅一枝 /三拝の
         爐中香未迭 海        爐中香未だ迭せず/
         東先照太初儀         海東先に照らす太初の儀

          壬辰元旦           壬辰(天保三年)元旦
         試筆             試筆
         九々年前三歳豪潮(花押)   八十四歳 豪潮

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