津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

有吉家文書「年中行事抜粋」(三十六)会議御入之式

2011-06-30 15:22:41 | 有吉家文書

一、御供揃一時前出仕 於詰間ハ例之通
  致座着候事
      但多ハ四時ニ被為入候得共 臨時之
      御模様も可有之事
一、被為入候者直ニ会議相始候間
  手配前以御奉行江懸合置候事
一、會議ニ被為入候事ニ付 御用番為
  伺御機嫌御殿江不及出仕候事
一、御入前詰間江御用人より御取次
  御小姓役を召連御居間向御手水所
  見繕セ御刀掛を出し置候事
      但右物初ニ御用人罷出御用番江相伺
      致同意候 尤御次坊主者罷出候儀不
      相成候事
一、御供揃   一、御立  一、坂之下  一、御帰座
一、御立之御注進ニて煙草盆等取入刀を茂
  取被付之事
一、坂下御注進ニて御玄関まて南壁付 西頭ニ
  御出迎仕候
一、御帰座之節茂右同断 東頭罷出候
  事
      但御次之御入之時者御敷しニ罷出
      候得共 会議ハ大勢ニ付本行之通
一、以前ハ銘々之硯箱 刀掛張上等一式取入
  扨又中之間より表之様ニ出ル口も屏風
  囲ニ相成候得共 御式之御入ニて無之候間
  有姿を奉入御覧候方可然と申談 奉
  窺候処 御意之筋茂被為在旁方ニ付
  文化九年八月十六日之御入より平常之通
  差置候事
      但西側之同席坐者
      御通筋ニ付 硯等左右ニ寄候 勝又口
      之間より表通之北之口江口之間例之
      衝立を壁付ニ持直覆候事
一、御入有之候得者御玄関より口之間まて
  参控居候 尤西側南頭ニ同席 大御奉行
  座着 東側ニ御次一手右同北側ニ西頭
  御奉行以下坐着之事
一、御用人より御宜段申達候ヘハ同席ハ口ノ間
  南之壁付ニ脇差を脱詰間ニ入口敷居外
  (当時ハ不残帯劔佐弐役ハ手数有之候ニ付脱劔)
  直ニ御辞儀仕銘々之坐ニ着候 其外之
  面々も一同ニ罷出候事
一、同席者南側西頭ニ御居間御敷居際
  より坐着之事
      但会議中ハ突居候得共 平伏ニ不
      及候事
一、相済候得者伺前之御奉行より大御奉行江
  其段申達 大御奉行より御用番江申
  達候間 皆一同ニ御辞儀退去 夫より
  口之間ニて帯劔之事
      但此取引次第ハ佐弐役 御目附
      御奉行 大御奉行 大御目附同席ハ
      跡引ニ下り候 右之通ニ而都合宜候事
一、御用有之候得ハ会議御前後之内ニ
  召出奉願候儀も不苦候事
一、相済候ヘハ直ニ被遊御立候付 御供廻り之
  恩模様見計御送ニ前条之通罷出
  候之事
一、御立被遊御敷出之面々平伏を之様子を
  見請被候事
一、御帰殿後 出仕ニ不及候事

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御代々様御参勤御帰国 (9) 齊茲公

2011-06-30 08:24:21 | 旦夕覺書

齊茲公
          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%96%89%E8%8C%B2

一、天明八年四月廿七日御家督後初而御暇被仰出 同廿八日御礼 五月十日江戸御発駕 東海道美濃路
  御旅行 同廿八日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月廿一日熊本御着
一、寛政元年 天明九年改元 三月十九日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 室路御越 四月十日大坂御着美濃路
  東海道御旅行 同廿八日江戸御着 五月十三日上使 同十五日御礼
      御生母長照院殿正月十二日於宇土死去付御病気之儀被仰立 御発駕御延引
      (細川興文側室?薗氏女・久、竹)
一、寛政二年四月十三日御暇被仰出 同十五日御礼 同廿九日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行
  五月十四日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 小倉路御通行 六月四日熊本御着
一、同三年二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 三月廿九日大坂御着美濃路東海道
  御旅行 四月十五日江戸御着 同十六日上使 同十八日御礼
一、同四年四月十三日御暇被仰出 同十五日御礼 同十九日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行 五月四日
  大坂御着 中国路小倉路御通行 同廿五日熊本御着
      今年四月朔日之夜 御領海高浪而御迎船乗廻之儀難相成 依之中国路御旅行
一、寛政五年二月廿五日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 三月廿七日大坂御着
  東海道御旅行 四月九日江府御着 同廿一日上使 同廿三日御礼
一、同六年四月廿七日御暇被仰出 翌廿八日御礼 五月四日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行
  五月十九日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月九日熊本御着
一、同七年二月廿五日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 三月十三日大坂御着
  美濃路東海道御旅行 四月二日江戸御着 同十一日上使 同十三日御礼
一、同八年四月十五日御暇被仰出 同十八日御礼 同廿三日江戸御発駕 東海道美濃路
  御旅行 五月九日大坂御着 室路御越従室湊御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、寛政九年二月廿三日熊本御発駕 小倉路御通行従大里御乗船 室路御越 三月十五日大坂御着
  美濃路東海道御旅行 四月九日江戸御着 同十三日上使 同十五日御礼
一、同十年四月十六日御暇被仰出 同十八日御礼 五月七日江戸御発駕 東海道美濃路
  御旅行 同廿三日大坂御着 室路御越従室湊御乗船 鶴崎路御通行 六月十三日熊本御着
一、同十一年三月四日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同十七日大坂御着
  美濃路東海道御旅行 四月十一日江戸御着 同十三日上使 同十五日御礼
一、同十二年四月廿三日御暇被仰出 同廿五日御礼 閏四月十五日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行
  五月朔日大坂御着 中国路小倉路御通行 五月廿三日熊本御着
       御召船泰宝丸損所有之 且波奈之丸ハ痛船ニ付当時新造中ニ付中国路御旅行
一、享和元年 寛政十三年改元 二月廿三日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越
  三月八日大坂御着東海道御旅行 同廿七日江戸御着 四月十三日上使 同十五日御礼
一、同二年四月十九日御暇被仰出 同廿一日御礼 五月九日江戸御発駕 東海道御旅行 同廿四日
  大坂御着室路御越 従室御乗船 鶴崎路御通行 六月十一日熊本御着
一、同三年二月廿五日熊本御発駕 小倉路御通行従大里御乗船 室路御越 三月九日大坂御着
  東海道御旅行 同廿七日江戸御着 四月十九日上使 同廿二日御礼
一、文化元年 享和四年改元 四月十八日御暇被仰出 同廿二日御礼 八月廿二日江戸御発駕
  東海道御旅行 九月十七日大坂御着室路御越 従室御乗船 鶴崎路御通行 十月三日熊本御着
       就御病気秋迄御滞府
一、同二年二月四日熊本御発駕 小倉路中国路御通行 同廿四日大坂御着
  東海道御旅行 三月十四日江戸御着 上使無之 四月十五日御礼
       御病気為御療養御願御参府ニ付上使無之
一、同三年四月廿一日御暇被仰出 同廿三日御礼
  此年就御病気御滞府
一、同四年 去年以来御滞府 四月七日より御出勤 上使無之 四月十一日御礼
一、同五年四月十五日御暇被仰出 同十八日御礼 同廿八江戸御発駕 東海道御旅行 五月十
  五日大坂御着室路御越 従室御乗船 鶴崎路御通行 六月七日熊本御着
一、文化六年五月十五日熊本御発駕 小倉路御通行従大里御乗船 室路御越 同廿八日大坂御着
  東海道御旅行 六月十八日江戸御着 七月六日上使 同九日御礼
       依御病気御国御発駕御延引
一、同七年十一月十日御隠居 今年十一月十三日浜町御屋敷江御移徏
一、同十年八月廿七日御積気御腰痛為御療養 相州宮之下御湯治廻之御暇御願之通被仰出 九月九日
  江戸御発駕 同十五日宮之下御着 同廿五日宮之下御発駕 同廿九日御帰府
一、同十三年八月廿四日御国許御湯治ニ十ヶ月程之御暇御願之通被仰出 閏八月四日江戸御発駕
  東海道御旅行 十月四日大坂御着中国路小倉路御通行 十一月三日熊本御着
  直川尻御茶屋御住居
一、文化十四年八月七日御病気御快方付 為御参府川尻御発駕 小倉路中国路御通行 九月朔日大坂
  御着 九月十三日伊勢御参宮 東海道御旅行 同廿九日江戸御着 浜町御屋敷住居 十月十三日上使
  龍口御屋敷御入来 同十五日御礼
一、文政三年正月廿六日猶又御国許御湯治ニ十ヶ月程之御暇御願之通被仰出 二月廿二 日江戸
  御発駕 東海道御旅行 三月十七日大坂御着中国路小倉路御通行 四月十四日熊本御着 本山御屋形
   新造 御住居
        御暇之月数満候得は其の時々御願継
一、文政七年六月六日二丸御屋形 新造江 御移徏
一、同十年御病気御快方付為御参府三月十五日熊本二丸御発駕 小倉路中国路御通行 四月十一日
  大坂御着 御風気付四月廿二日迄同所御逗留 東海道御旅行 五月十一日江府御着 白金御屋敷
  住居 十月十三日上使 同十八日御礼 御病気付御使者 御用人 を以御献上
一、天保六年十月廿九日御逝去
 

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御代々様御参勤御帰国 (8) 治年公

2011-06-29 08:55:01 | 旦夕覺書

治年公

          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E6%B2%BB%E5%B9%B4

一、安永四年九月朔日御部屋住初御暇被仰出 同廿八日御発駕 白金御屋敷住居 東海道御旅行
  十月十五日大坂着 室路御越 従室湊御乗船 鶴崎路御通行 十一月七日熊本御着
一、同五年四月廿二日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 五月十五日大坂御着 東海道御旅行
  六月四日江府御着 同十一日御礼 就御病気御使者 御傳役 を以御献上
一、天明元年 安永十年改元 五月十五日御暇被仰出 同廿二日御発駕 東海道御旅行
  閏五月八日大坂着 従大坂御乗船 鶴崎路御通行 六月十一日熊本御着
一、同二年二月十九日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 室路御越 三月七日大坂御着 東海道御旅行
  同廿三日江府御着 四月朔日御礼
一、同五年正月十五日御暇被仰出 二月十五日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行
  三月三日大坂着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御越 同十八日熊本御着
一、同年九月十一日熊本御発駕 小倉路中国路御旅行 同廿八日大坂御着 美濃路東海道御通行
  十月十一日江府御着 同十五日御礼
      治年公就御病気従重賢公依御願比節御参府 御内実は重賢公御不例 御勝不被遊
      ニ付而也
  (天明5年10月26日父・重賢死去 12月12日遺領相続す)
一、天明六年四月廿二日御家督後初御暇被仰出 同廿三日御礼 同廿九日江戸御発駕 東海道
  美濃路御旅行五月十四日大坂着 室路御越 従室湊御乗船 鶴崎路御通行 六月三日熊本御着
一、同七年二月廿八日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 室路御越 三月十九日大坂御着 美濃路東海道
  御旅行四月八日江戸御着 同廿二日上使 同廿八日御礼
一、同年九月十六日御逝去

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「こきんかいばしゅーか」

2011-06-29 08:41:59 | 熊本

 お読みになれますか。
過日同じ歳の友人からの飲み方の誘いです。

「古希の会をしようか」が正解ですが、熊本人でも中々判らないですね。

「ん」は「~の、~が」、「ば」は「~を」で日常茶飯につかわれます。例えば「雨んふっだした(雨が降り出した)洗濯もんば入れにゃ~」など・・・
「しゅー」は「~しよう」 古語辞典によると「しゅう=しふ」とあり「執」の字を当てるらしい。
なんとなく判る気がする。 「■■ちゃん、サッカーばしゅうい」という風にも使い、「しゅうい=しようよ」なのだが「~い」がよく判らない。

 熊本弁では「秋口、ちーっつと涼しゅうなってからしゅーばい」と返事することになるのだが、私は「秋になって、少し涼しくなってからしようよ」とご返事申上げた。(本格的にくづれると「涼しゅうなっちかる」となる)

 熊本弁は余り好きではなかったのだが、最近はそうでもなくてよく使うようになった。
地元の言葉は会話を豊かにすることに気づいた昨今である。

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いよいよ夏っ~~~

2011-06-28 13:56:50 | 熊本

 南九州はどうやら梅雨明けのようです。熊本は北九州ということでまだのようですが、どうやら雨も上がり現在ドピーカンです。ここ数日風が強く吹いていて、おかげでクーラーも付けずに頑張っていますが、ふと温度計を見ると31.5℃ありました。そろそろクーラーを入れましょうか・・・
6/21は28.8℃だったのですが、22日に33℃と30℃を越えてから毎日真夏日で以降の平均気温は32.6℃です。ちなみに6/1~6/21までの平均気温は28.8℃です。急激な温度変化は古希爺にはこたえます。節電は当然協力しなければ成りませんが・・・・「熱中症とやらであの世へ御旅行」はしたく有りませんし、なかなか難しい兼ね合いですね。
                                  皆様どうぞ御身ご自愛下さい。

9月中旬の随兵寒合(ずいびょうがんや)の到来まで、地獄をみます。

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御代々様御参勤御帰国 (7) 重賢公

2011-06-28 09:01:39 | 歴史

重賢公

     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E9%87%8D%E8%B3%A2

一、寛延元年四月十二日初御暇被仰出 四月十八日江府御発駕 東海道御旅行 五月六日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 同廿七日熊本御着
一、同二年二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 三月十七日大坂御着 東海道御旅行
  四月五日江戸御着
      http://www.ab.auone-net.jp/~xe2918/komonjo3/index.html
一、寛延三年四月廿二日御暇被仰出 同廿八日江府御発駕 東海道御旅行 五月十七日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 同廿九日熊本御着
      http://www.ab.auone-net.jp/~xe2918/komonjo4/
一、宝暦元年 寛延四年改元 二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 三月廿一日大坂御着 東海
  道御旅行四月七日夜江戸御着
     此節家治公品川大森辺御成付人留故 河崎而御見合 及夜陰御着府
一、同二年四月十三日御暇被仰出 同廿五日江府御発駕 東海道御旅行 五月十日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 五月廿七日熊本御着
一、同三年二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 三月廿四日大坂御着 東海道御旅行
  四月十一日江府御着
一、宝暦四年四月十三日御暇被仰出 同廿八日江戸御発駕 木曽路御旅行 五月十三日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月三日熊本御着
一、同五年二月廿九日熊本御発駕 小倉路御旅行大里より御乗船 室路御越 三月十五日大坂御着  
  東海道御旅行四月朔日江戸御着
一、同六年四月十三日御暇被仰出 同廿八日江戸御発駕 東海道御旅行 五月十二日大坂御着室路御越
  室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、同七年三月朔日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同十八日大坂着 東海道
  御旅行 四月三日江戸御着
一、同八年四月十六日御暇被仰出 五月三日江府御発駕 東海道美濃路御旅行 同十八日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、宝暦九年三月朔日熊本御発駕 小倉路御通行大里より復(御カ)乗船 室路御越 同十六日大坂着
  東海道御旅行 四月三日江戸御着
      http://www.ab.auone-net.jp/~xe2918/komonjo5/
一、同十年六月五日御暇被仰出
      此年五月十三日 家治公御台様従西丸御本丸御移替 大御所様家重公二丸
      移徏 依之四月御暇之御方々様 御代替御礼済之上御暇被下旨御触達有之候
一、同年八月九日江戸御発駕 木曽路御旅行 同廿五日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路
  御通行 九月十一日熊本御着
      御暇後 暑気御障 長途難被遊御旅行 依御願御発足御延引
      http://www.ab.auone-net.jp/~xe2918/komonjo6/

一、宝暦十一年三月朔日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同十八日大坂着
  美濃路東海道御旅行 四月五日江戸御着
一、同十二年五月十一日御暇被仰出 同廿二日江戸御発駕 木曽路御旅行 六月七日大坂御着室路御越
  室湊より御乗船 鶴崎路御通行 同廿一日熊本御着 此日昼九時大津御発駕
      此年去巳年より増上寺御普請御手伝御勤ニ付而四月は御暇不被仰出候

http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/4c5931c2d3831a3fb7200023308d7530
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/b027f4b47cd03213f9494c0ed81e02dd
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/c2655bd157cbfe1148a49b138e11d922

一、同十三年八月中旬被遊御参府旨被仰出 前年御手伝御勤ニ付き三ヶ月御用捨 仰之七月上旬御国
  許可被遊御発駕処 暑気御障 且御持病之御積気等ニ而御旅行御難儀被遊候付 御発駕御延引之段
  於江戸御届 且又追々御延引之段以御使礼被仰達候 九月朔日押而熊本御発駕 小倉路御通行
  大里より御乗船室路御越 同十八日大坂御着 美濃路東海道御旅行 十月五日江府御着
一、明和元年 宝暦十四年改元 四月十六日御暇被仰出候処 御持病之御積気ニ付 追々御願御滞府
一、同二年四月五日より御出勤 同十三日御登城御参勤之御礼
一、同三年四月廿二日御暇被仰出 五月朔日江戸御発駕 東海道御旅行 同十五日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月四日熊本御着
一、同四年三月五日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 三月廿三日大坂着 東海道御旅行 四月九日江戸御着
一、同五年四月十六日御暇被仰出 五月朔日江戸御発駕 木曽路御旅行 同十八日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月六日熊本御着
一、同六年三月五日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同廿五日大坂着 東海道御旅行 四月十七日江府御着
一、明和七年四月十六日御暇被仰出 五月三日江戸御発駕 東海道御旅行 同十六日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月八日熊本御着
一、同八年三月五日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 同廿五日大坂着 東海道御旅行 四月十二日江戸御着
一、安永元年 明和九年改元 四月十八日御暇被仰出 同廿二日御礼 同廿八日江戸御発駕 木曽路御旅行 五月十四日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月七日熊本御着
一、同二年三月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 室路御越 閏三月廿二日大坂着 美濃路東海道御旅行 四月八日江戸御着 白金御屋敷御住居 同十三日上使 同十五日御礼
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/a684da56b9785ddc37f37c70583d9f8e

一、安永三年 四月十五日御暇被仰出 同十八日御礼 五月朔日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行 同十四日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月五日熊本御着
一、同四年三月五日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同廿三日大坂着 美濃路東海道御旅行 四月九日江戸御着  同十三日上使 同十五日御礼
一、同五年 五月十五日御暇被仰出 同十六日御礼 八月六日江戸御発駕 木曽濃路御旅行 同廿二日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 九月七日熊本御着
      今年四月公方様日光御社参ニ付 還御以後御暇被仰出 其後御足痛ニ而御発駕御延引
一、安永六年年二月廿八日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 三月十七日大坂着 美濃路東海道御旅行 四月三日江府御着  同十三日上使 同十五日御礼
一、同七年乍御勤御滞府
      此年御暇之年ニ候得共 御持病等ニ付御暇不被仰出様御内意被仰達候
一、同八年御在府
      前年永良御勤御滞府ニ付 御参勤之御礼無之
一、同九年 七月廿五日御暇被仰出 同廿八日御礼 八月廿二日江戸御発駕 東海道美濃路御旅行 九月九日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 小倉路御通行 十月二日熊本御着
      此年 一昨年御大病後今以御出来不出来ニ付 秋御暇之儀御内意被仰達候
一、天明元年 安永十年改元 三月七日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同廿二日大坂着 木曽路御旅行 四月十二日江府御着  同十九日上使 同廿一日御礼
 御足痛ニ付以後御使者御用人献上
一、天明二年 四月廿三日御暇被仰出 同廿五日御礼 八月十九日江戸御発駕 木曽路御旅行 九月六日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 十月朔日熊本御着
      此年御暇後御足痛付 依御願御発足御延引
一、同三年三月六日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同廿日大坂着 美濃路東海道御旅行 四月九日江戸御着  同十八日上使 同十九日御礼
 兼而之御足痛ニ付以御使者御用人献上
一、同四年 四月廿二日御暇被仰出 同廿五日御礼
      今年御暇被仰出候得共 御足通付追々御願 来年御参勤之時節迄御滞府
一、御足痛為御療養豆州熱海三廻御湯治御願之通五月廿一日被仰出 同廿三日江戸御発駕 同廿六日熱海江御着 六月十九日熱海御発駕 同廿二日御帰府 同廿八日御帰府御礼御使者 御小姓頭 を以家治公干鯛一箱宛御献上
一、天明五年猶又御足痛為御療養豆州熱海三廻御湯治御願之通二月十日被仰出 同十九日江戸御発駕 同廿二日熱海御着 三月十五日同所御発駕 同十七日御帰府 同十九日御帰府御礼御使者 御小姓頭 を以御献上右同断
一、天明五年四月十五日御参勤之御礼 御足痛ニ付御使者御用人を以御献上
一、同年十月廿六日御逝去


 
      寛延二・三年、宝暦九・十年の道中記は藩士・堀部次郎左衛門によるものである。
      サイト「古文書で読む参勤交代」にリンクさせていただいた。

      宝暦十二年・安永二年についてのリンクは当ブログでかってご紹介したものである。
      川口恭子先生の「細川重賢御側日記」によるものである。
      安永七年のものも存在するが、ここでは「同七年乍御勤御滞府」とあり病気がちで
      あったことが判る。詳しくはCiNiiから
 
        http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/2704

   

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有吉家文書「年中行事抜粋」(三十五)窺帳奥書左之通

2011-06-28 07:56:20 | 有吉家文書

○窺帳奥書左之通
一、奥書者総而御奉行等執筆之紙より
  相認候 次之紙より書出し候而者縁切レ不
  宜 右之通可仕且切継等も不苦候得共
  其所ニハ印形用置候様先年従
  少将様被仰出候事
     印形之ヨカミ等少シ之麁抹は被遊
     御免度 且切継之儀茂弥以其通被
     仰付度 文化十一年十月十八日 監物より
     奉窺 其通可致旨 尤切継ニハ印
     形用候ニ不及段仰出候事
一、御奉行執筆之月付者奥書之月付
  越ニ相成候儀も有之候得共 夫々無構
  復議定日之通相勤認候事
     但御奉行ハ年号と月迄認 同席ハ
     年号月日認候 尤御在府ハ同席
     之方茂日付無之候事
一、着座以上并御奉行副役 御目附
  之外は八代ニ不及相談連名省キ候 尤
  出府中者同席並ニ連名印形有之
  候事
     但三家嫡子見習ニ罷出候迄ハ連名
     無之候
     本文着座已上御奉行 御目附之窺ハ
     自筆之事

○自筆伺帳認様左之通
一、帳面者中折仮綴ニ〆伺箱ニ入佐弐
  役差上候事
一、仰ノ字ハ一行之内可被ノ字計有之時は
  其下ニ欠をいたし相認候 其餘字数書
  下ニ有之節ハ 惣而次之行ニ上認候事
     但思召御意召仕等右ニ準
一、平常之伺物者惣而禄高高相認候得共
  病死跡ハ一ツ書 并父之禄高等不認
  子之姓名之右ニ肩書左り之下ニ歳
  付認候事
一、隠居家督ハ禄之下ニ親姓名を認
  子之姓名歳ハ僉議之書中ニ加候事
一、御中老已上右同断之節ハ 親之姓名等
  前条之通ニて隠居可被仰付哉之段
  相認其次ニ別ニ一ツ書なしニ子之姓
  名肩書歳付出来家督可被
  仰付哉之段右書相認候事
  右之外相認様別冊ニ有之
     御一門衆隠居家督ハ帳ニてハなし 惣而
     半切ニ認殿を加ル 但願書茂半切也
     右自筆物奥書左之通

一、御中老以上之伺
  右同席中連名ニ而大御奉行 大御目附
  連名無之候こと
一、御備頭 御留守居大頭之伺 右同席中
  大御目附 大御奉行連名有之候こと
一、大御奉行之伺
  右同席 大御目附迄
  右之通ニ而自筆之認様并奥書之
  いたし様等別帳ニ規則有之候 且又索
  引茂有之 惣而御用番箱ニ入居
  候之事
  一、佐弐役執筆之伺帳ハ一同復議御用
    番一名之事
  一、被仰出相済候跡 伺之帳ニハ自筆窺ニハ
    何年何月連名御中小姓已下に候得者
    御用番一名之事
  一、独禮已下之選挙方伺ハ奥書等ニ
    不及遂巡覧候迄ニ候事

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御代々様御参勤御帰国 (6) 宗孝公

2011-06-27 08:15:43 | 歴史

宗孝公       
          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%AE%97%E5%AD%9D

一、享保十七年六月宣紀公於江府御逝去 依之宗孝公 此時奉様六丸紀達公 七月十六日熊本御発駕 従鶴崎
  御乗船室路御通行 八月四日大坂御着 東海道御旅行 同廿日江戸御着
     此年八月廿五日御家督
一、同十八年御在府
一、享保十九年四月十六日初而御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行 五月十一日大坂御着
  室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、同二十年閏三月三日熊本御発駕 鶴崎より御乗船室路御越 同十九日大坂御着 東海道御旅行
  四月八日江戸御着
一、元文元年 享保二十一年改元 四月十六日御暇被仰出 五月三日日江戸御発駕 東海道御旅行
  同十九日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月七日熊本御着
一、同二年二月廿七日熊本御発駕 従鶴崎御乗船室路御越 三月十六日大坂御着 東海道御旅行
  四月三日江戸御着
一、同三年閏四月十六日御暇被仰出 五月三日江戸東海道御旅行 同十七日大坂御着 室路御越室湊
  より御乗船 鶴崎路御通行 六月十一日熊本御着
一、元文四年三月三日熊本御発駕 鶴崎より御乗船室路御越 同廿日大坂御着 美濃路東海道御旅行
  四月九日江戸御着
一、同五年四月十五日御暇被仰出 同廿三日江戸御発駕 東海道御旅行 五月八日日大坂御着 室路御
  越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 同廿三日熊本御着
一、寛保元年 元文六年改元 三月三日熊本御発駕 従鶴崎御乗船室路御越 同廿一日大坂御着 東海道御
  旅行四月八日夜江府御着
一、同二年四月十五日御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行 五月十二日大坂御着 室路御
  越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、寛保三年三月三日熊本御発駕 鶴崎より御乗船攝州兵庫之湊江室御着船 同所より陸路御通行 
  同廿二日大坂御着 東海道御旅行四月八日夜江戸御着
一、延享元年 寛保四年改元 四月十五日御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行
  五月十八日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、同二年六月十八日熊本御発駕 小倉路御通行 豊前国大里より御乗船室路御越 七月二日大坂御着
  東海道御旅行同十九日江戸御着
      去戌亥年 関東筋川々御普請御手伝御勤付 此年七月中御参府之旨被仰出候
一、同三年四月十六日御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行
  五月十一日大坂御着 室路御越室湊より御乗船 鶴崎路御通行 六月朔日熊本御着
一、同四年三月四日熊本御発駕 小倉路御通行大里より御乗船 室路御越 同廿二日大坂御着
  東海道御旅行四月八日江戸御着
    此年八月十六日御逝去 (江戸城中に於いて、寄合板倉勝該乱心にて刃傷に及ぶ)

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有吉家文書「年中行事抜粋」(三十四)寄合之式

2011-06-27 08:03:21 | 有吉家文書

  ○寄合之式
  御在国        御在府
   選           選                 (註:選挙方)
    三日         六日
    十三日        十六日
    廿三日        廿六日
   刑           刑                 (註:刑法方)
    八日         十日
    十九日        廿日
    廿八日        晦日 小ノ月廿九日
一、出役諸事会議之通 尤佐弐役ハ出席
  不致分職根取物書一人完罷出候
  事
一、御在国は御勝手方大御奉行まて定日
  には政府江出席有之 其餘同席中
  大御目附出席無之候 尤御用人ハ出方
  有之候事
    但御在府者同席中大御目附 政府
    に付 詰懸寄合有之候 右之通ニ付御勝
    手方之外ハ定日たりとも改晦日候而も
    不苦候事

  ○復議之式
  御在国        御在府
    朔日         十七日
    十日
    廿一日
一、會議之帳并一同復議之帳共窺
  箱ニ入 復議定日御奉行より御用番江
  差出候事
    但選挙方根取執筆之伺物其
    節一同ニ大御奉行江欠席之節ハ御用番江差出
    相成候得者詰懸致巡覧候事
一、御用番清見総巡覧之上御用番
  奥書相認印形いたし 差廻候得ハ銘々
  名之下ニ印形大御奉行 大御目附共いたし 御用番江
  返しニ相成候得者 佐弐役を呼箱之内
  等改サセ 窺帳入組御用番封印を用
  御用人を呼出 御用番坐ニて相渡差上候
  尤一同復議并根取執筆之選挙方
  伺物者 御奉行江返候ヘハ彼方より差上ニ
  相成候
    但伺箱ニは伺帳并半切又ハ辞職
    御奉公御断之竪紙其外頭々之封
    物御目附引取書等入組候事
      御目附之引取書ハ御横目之聞方之書
      附ニて僉議ニ相成候上 復議定日前ニ
      右聞方之書付御奉行より差出相成候間
      まて 復議前日迄差出ニ相成候様申達
一、欠席有之候得者印形等不相揃 定日ニ
  差上之儀出来兼候節ハ 翌日差上之儀
  も有之 左様之時分ハ其段御用人を以
  御用番座へ呼申達申上候事
一、右同断之節者伺帳之箱ニ御用番
  封印を用 佐弐役江相渡候得ハ 翌朝
  欠席之面々宅印形取ニ機密間
  御物書を差廻 宅より宅江持廻候節銘々封印ヲ用 印形相済
  佐弐役より御用番江差出候 左候得ハ
  前条之通取計候事
    但一同復議之伺帳も一ツ箱ニ入組
    尤選挙方 根取執筆之伺帳者
    差廻ニ不及候
一、賞罰共ニ一箱ニ入組差上候 尤年頭之
  初伺御下国後之初伺等ニハ 病死跡又ハ
  御咎筋なと之伺ハ見合候事
一、御着座後初伺ニハ会議帳不差上
  御着座後初而会議有之候上 右伺帳ハ
  御着座之前終会議之伺帳と一同ニ二
  度目之伺日之前 復議日ニ差上候事
               当時ハ此差別ナシ
    但右両度之伺帳二箱ニ取分候而
    差上候
一、半切伺ものハ拝領方又ハ小姓組ニ組替
  又者免職等ニ而御印頂戴不仕之事
    但右之外急場之伺ハ惣而半切を以
    奉伺 追而御印頂戴仕候 尤免職
    も不應等ケ条有之分ハ追而僉
    議帳ニ直候事
付紙
  ○御在府之節半切ニ而伺之節 江戸詰定
   紙面案
      何某ニ而儀ニ付別紙半切を以奉伺候条以
      御序被達御聴被仰出候趣被仰越候者
      御印者追而会議帳を以頂戴可仕候 以上
         何々口         連名
         在江戸名当
一、御在府は復議定日月ニ一度ニて御飛脚
 △ 間合も有之之事ニハ候へも定日御奉行より差出
   候得者即日御用番奥書致し 詰
   懸同席 印形いたし佐弐役江相渡
   置 欠席之面々印形ハ御飛脚前迄ニ
   相揃候得ハ宜候事

付紙
 △半切認様
   中杉原半切紙認様惣而帳面之
   見合ニて候 書出右者と認帳面と違
   右何某儀とは不相認 書留可被
   仰付哉可被下置哉 以上を書月を
   認日付ハ御在国御在府之無差別
   不認連名なし

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「旦夕覺書」 鳥--7

2011-06-26 09:11:04 | 旦夕覺書

一、同姓二観郡奉行勤候時分在宅より致出府候時道筋左右見候へは畑の崩れ不申候様に芝をつか
  せ申候故道もせまくは成候へとも畑のくすれ申さぬ様とも見掛に不構申付候 其時節は中々後年
  の儀を打捨當分の能様に諸人心得候分故扨も/\能仕候 妙解院様御代ならは御意に叶可申儀と
  感心仕内入に咄候へは夫は文左衛門預りの郡にて候間文左衛門申付たると被申候 其後文左衛門
  に尋候へはいかにも左様にて候唯今時分尋候ては前のことく/\と諸事聞へ申候故尋不申心まヽ
  に申付候 若悪敷成候ても郡奉行さのみ望に存不申と申候 尤■極と感心仕其時分山名殿御働の儀
  に候へは委細に申道すから感申候へは文左衛門預と内入申聞候
  妙解院様御代ならは御意に叶可申と神以如書付咄申候 本より文左衛門儀故如斯に咄申たるにて
  も神無之候 他人にてもケ様の儀當座/\の御意には叶申間敷候へ共後年の御為と心を付申候へ
  は信實と奉存信實は天の好むと承り候 同名にても能に能悪は悪と見へ申候

一、同名弾蔵御聞番相勤候趣十七人の衆へ刀脇差可被下候間其心得仕刀屋共にそろ/\申聞金貮
  三枚の札有之を才覺仕候へとの御内意三宅藤兵衛殿・松野一二なと覺申候 其座に横山五郎太夫
  も居被申候而承候て拙者に咄被申候 扨ヽ弾蔵に能申たると拙者に被申候故神以即座に申候は惣
  躰同名共打寄咄申時分は萬事吟味仕咄申候 本より左様の儀申兼候 弾蔵にて無御座候由返答仕
  候 委細に事永く書付不申候覺書共傳右衛門見候はヽ咄可申候御聞可有候 其後町宅へ弾蔵参候
  てケ様/\と申候折節三枚の正利の刀拵出来仕目釘打申時之儀に御座候へは同名中並平九郎差
  替差上可申と申候故則刀は是より上ケ可申候たぶん内蔵助に可被為拝領候 數年數寄候て求申候
  にケ様の時御用に立申儀武冥加に叶たると申候 定て弾蔵覺居可申候 其後熊本への出府の刻右
  の刀初て差出候に内入屋敷前にて家来走りで候 不相應かと存召置候處其後油屋源二郎承及申候
  御刀在宅にて當分御用になくは御拂被成候へ去る御大名さま方御聞及被成候て申上候由在宅へ
  申越候 其刻圖書殿御妹か縫殿殿に縁邊被仰出候時分にて多分此衆と存拂申候へは十左衛門殿
  御取被成唯今に帯刀殿差料と承り候 其後十左衛門殿咄申笑申候 若き時分刀脇差馬を數寄申候
  老父被申候は武士の數寄尤に候へとも人により刀脇差數寄は取賣の名を請馬數寄は馬苦労の名
  を請申候間無左様に心得申候へと若き時分に被申たる事神以少も失念不仕尤至極に存候 尤大小
  共に拂たる事多く御座候へとも御國中にて拂申事は叶不申候ハ拙者道具とて取申自然切兼候時き
  れぬ故に拂たると申候へは御國中皆々朋友も心にて古人の傳にては快く不存候 此咄は於江戸舎
  人殿小屋にて互に刀脇差見申時拂物多く参候時拙者申出候へは尤と被申たる儀迄失念不仕候置候 

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御代々様御参勤御帰国 (5) 宣紀公

2011-06-26 09:10:26 | 歴史

宣紀公 (綱利養子--実新田藩主・細川利重二男)

          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%AE%A3%E7%B4%80

一、宝永五年四月十四日 宣紀公 此時奉称利武公 御部屋住而初而熊本之御暇被仰出
  六月十九日江府御発駕 七月廿七日熊本御着 鶴崎路御通行
一、同六年正月廿七日熊本御発駕 三月三日江戸御着
一、同七年五月廿八日御暇被仰出 七月六日江戸御発駕 八月六日熊本御着
一、正徳元年 宝永八年改元 二月四日熊本御発駕 三月七日江戸御着
一、同二年御在府 七月十一日御家督此年家宣公薨御 家継公御代替
一、同三年四月十六日御暇被仰出 御家督以後御初而 同廿七日江府御発駕 五月十二日大坂御着
   同所より御出船 鶴崎路御通行 同廿八日熊本御着
一、同四年三月四日熊本御発駕 鶴崎より御出船 同廿三日大坂御着 四月十一日江府御着
一、同五年四月十五日御暇被仰出 同廿二日江府御発駕 五月六日大坂御着室路御越
  室湊より御出船 同廿五日熊本御着
一、享保元年 正徳六年改元 閏二月廿八日熊本御発駕 三月十三日室湊御着船室路御通行 
  同十七日大坂御着 東海道御旅行 四月三日江戸御着
一、享保二年四月十三日御暇被仰出 同十九日江戸御発駕 東海道御旅行 五月四日大坂御着
  同所より御出船 鶴崎路御通行 五月廿二日熊本御着
一、同三年二月廿七日熊本御発駕 三月十三日大坂御着 四月朔日江府御着
一、同四年四月十三日御暇被仰出 同十八日江戸御発駕 五月朔日大坂御着同所より御出船
   鶴崎路御通行 同十八日熊本御着
一、同五年二月廿七日熊本御発駕 従鶴崎御乗船 三月十六日大坂御着船 東海道御旅行 
  四月朔日江府御着
一、同六年四月十二日御暇被仰出 同十九日江府御発駕 東海道御旅行 五月朔日大坂御着
   同所より御出船 同十五日熊本御着
一、享保七年二月廿七日熊本御発駕 鶴崎より御乗船 三月十五日大坂御着船 東海道御旅行 
  四月二日江戸御着
  此年公儀上ケ米被仰付 御在江戸半年宛御免 御書付之内左之通
           辰三月参勤    細川越中守
           同九月御暇
              此翌壱ヶ年休息
一、同八年三月十三日御暇被仰出 同廿七日江戸御発駕 東海道御旅行 四月九日大坂御着
   同所より御出船 同廿四日熊本御着
一、同九年正月廿七日熊本御発駕 二月十三日大坂御着船 東海道御旅行 三月朔日江戸御着
一、同年九月十三日御暇被仰出 十月四日江府御発駕 東海道御旅行 同十七日大坂御着
  同所より御出船 鶴崎路御通行 十一月四日熊本御着
一、享保十年御在国
一、同十一年二月四日熊本御発駕 同廿日大坂御着船 東海道御旅行 三月六日夜江戸御着
一、同年九月十三日御暇被仰出 十月四日江戸御発駕 同十七日大坂御着同所より御出船
  十一月七日熊本御着
一、同十二年御在国
一、同十三年正月廿八日熊本御発駕 鶴崎路御通行 二月廿日大坂御着船 東海道御旅行 
  三月七日江戸御着
一、同年九月十三日御暇被仰出
    此年宣紀公日光山為御社参九月廿六日龍口御屋敷御発駕 九月廿九日御宮御拝礼
    十月二日夜御帰府 十月十八日為御帰国江戸御発駕之筈之処 同月八日より御病気ニ 
    付御快気次第被遊御発駕度旨 御願之通被仰出 十一月廿一日猶又御滞府御願之通
    即晩被仰出
一、享保十四年御病気付来春迄御滞府之儀 閏九月十三日御願 同十九日御願之通被仰出
一、同十五年三月御病気付御参勤之御礼以御使者御献上
    此年四月十五日上ケ米従来年被遊御免候 依之来年より参勤交替可為前々之通由被仰渡
    御書付如左
         当九月御暇可被下候間
         来亥八月中旬為参府候  細川越中守
一、同年五月廿八日
  宣紀公御登城 御病後之御礼
一、同年九月廿二日御暇被仰出
    今年御暇被仰出候得共 御病後長途難遊御旅行 来秋迄御滞府之儀
    九月廿五日御願 同廿九日御願之通被仰出
一、享保十六年御滞府
    此年八月中旬被遊御参府由前年被仰出置候 依之八月十五日御参勤之御礼
    御病中ニ付以御使者 御家老脇小笠原多宮 御献上
一、同十七年御滞府
    此年六月廿六日御逝去 (57歳)





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御代々様御参勤御帰国 (4) 綱利公

2011-06-25 08:26:10 | 歴史

綱利公

         
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E7%B6%B1%E5%88%A9

一、寛文元年二月三日初而(19歳)御暇被仰出 三月廿七日江戸御発駕 四月廿八日熊本御着
一、同年九月十八日熊本御発駕 十月廿二日江府御着
一、同三年六月七日御暇被仰出 八月七日江戸御発駕 九月六日熊本御着
  此年六月十二日綱利公御婚姻ニ付江戸御発駕御延引ニ相成候歟
一、寛文四年六月十一日熊本御発駕 七月九日江府御着
     前年御帰国御延引ニ付 七月中旬為御参府旨被仰出候
一、同五年四月廿一日御暇被仰出 五月十八日江戸御発駕 六月十日熊本御着
一、同六年三月四日熊本御発駕 四月十三日江府御着
一、同七年四月廿三日御暇被仰出 五月十九日江戸御発駕 六月十五日熊本御着
一、同八年三月四日熊本御発駕 四月四日江府御着
一、同九年四月十八日御暇被仰出 九月六日江戸御発駕 十二月二日熊本御着 鶴崎路御通行
     此年御暇以後御病気ニ付 御願御発駕延引
一、同十年七月五日熊本御発駕 木曽路御旅行 八月七日江府御着
     前年依御病気御在府経数月候付 此年八月中旬為御参府由被仰出候
一、寛文十一年四月廿三日御暇被仰出 五月朔日江戸御発駕 七月二日熊本御着
一、同十二年二月廿二日熊本御発駕 三月廿二日江府御着
一、延宝元年 寛文十三年改元 四月十八日御暇被仰出 六月十四日江戸御発駕 七月十日熊本御着
一、同二年二月十一日熊本御発駕 三月七日江府御着
一、同三年閏四月五日御暇被仰出 八月廿二日江戸御発駕 九月廿一日熊本御着
     此年御実母清高院様御病気ニ付 依御願御発駕御延引
一、同四年二月十四日熊本御発駕 三月十三日江府御着
一、延宝五年四月十五日御暇被仰出 九月六日江戸御発駕 十月八日熊本御着
     此年御実母清高院様御病気ニ付 依御願御発駕御延引
一、同六年九月十一日熊本御発駕 十月十一日江府御着
一、同七年四月廿八日御暇被仰出 八月廿三日江戸御発駕 九月廿三日熊本御着
     此年御病気付 依御願御発駕御延引
一、同八年七月十八日熊本御発駕 木曽路御旅行 八月十三日江戸御着
一、天和元年 延宝九年改元 四月十九日御暇被仰出 四月廿九日江戸御発駕 五月七日熊本御着
一、同二年三月六日熊本御発駕 四月七日江戸御着
一、天和三年 四月廿二日御暇被仰出 五月十日江戸御発駕 閏五月七日熊本御着
一、貞享元年 天和四年改元 三月十日熊本御発駕 四月六日江戸御着
一、同二年 四月廿六日御暇被仰出 五月廿三日江戸御発駕 六月廿一日熊本御着
一、同三年閏三月六日熊本御発駕 四月六日江戸御着
一、同四年 四月廿八日御暇被仰出 六月朔日江戸御発駕 同廿九日熊本御着
一、元禄元年 貞享五年改元 三月四日熊本御発駕 四月七日江戸御着
一、同二年 四月十一日御暇被仰出 五月十一日江戸御発駕 六月十日熊本御着
一、同三年 三月四日熊本御発駕 四月四日江戸御着
一、元禄四年 四月十四日御暇被仰出 五月四日江戸御発駕 六月四日熊本御着
一、同五年三月四日熊本御発駕 四月四日江戸御着
一、同六年四月十四日御暇被仰出 五月十三日江戸御発駕 六月十八日熊本御着
一、同七年三月四日熊本御発駕 四月九日江戸御着
一、同八年四月十四日御暇被仰出 八月十九日江戸御発駕 九月廿八日熊本御着
     此年御病気ニ付秋迄御滞府
一、同九年三月六日熊本御発駕 四月十一日江戸御着

一、同十年四月十四日御暇被仰出 五月十九日江戸御発駕 六月廿五日熊本御着
一、同十一年三月四日熊本御発駕 四月九日江戸御着 初而小倉路御旅行
一、元禄十二年四月十四日御暇被仰出 八月廿五日江戸御発駕 九月七日熊本御着
     此年御実母様御病気付 依御願至秋御発駕
一、同十三年二月廿八日熊本御発駕 四月三日江府御着
一、同十四年四月十二日御暇被仰出 八月廿五日江戸御発駕 自大坂中国路御旅行十月四日熊本御着
     御実母様遂年被為至御老齢候付 依御願三伏中御滞府
一、同十五年二月廿五日熊本御発駕 四月三日江戸御着 小倉路中国路御旅行
一、同十六年四月十三日御暇被仰出 九月廿八日晩江戸御発駕 十一月五日熊本御着 小倉路御旅行
     此年御老母様御侍養之儀依御願秋之末御発駕
一、宝永元年 元禄十七年改元 三月廿五日熊本御発駕 四月三日江戸御着
一、同二年四月十一日依御願今年可為御滞府之旨御奉書御到来
一、同三年三月廿九日御滞府御願之通井上河内守正通様御宅御招被仰渡之
一、同四年三月十九日大久保加賀守忠増様御宅右同断
一、同年八月十一日 御老母様為御侍養 今年御滞府御願之通 秋元但馬守喬朝様於御宅右同断
一、同五年御滞府
     此年正月如御願利武公 後宣紀公と御改 被為成御養子
     四月利武公御国江之御暇被仰出 七月初熊本御着
一、同六年御滞府 此年利武公初而御参府
一、同七年御滞府 此年二月十二日滞府之儀宣紀公江御暇御願之通同十六日被仰出之
     (この年三月廿九日・生母清高院死去92歳)
一、正徳元年 宝永八年改元 四月十二日御暇被仰出 此年茂御滞府尤御滞府御願之儀不相見
一、同二年御滞府 此年御足疾ニ付四月十三日以御使者御家老木村半平御参勤之御礼御献上之
     此年七月十一日綱利公御隠居 宣紀公御家督
一、同四年十一月十二日綱利公御逝去(享年72歳)

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夏目漱石著「草枕」

2011-06-24 15:26:12 | 書籍・読書
          草枕 (岩波文庫)
 
            岩波書店

 

 夏目漱石の著・「草枕」は熊本を舞台とする漱石の代表作だが、金春流肥後中村家の中村勝氏は、草枕は「能そのものですよ」と常日頃おっしゃっていた。
氏のHPの中の、「草枕と道成寺」という一文には、『作者自身が、作中に「しばらく此旅中に起こる出来事と、出遭う人間を能の仕組と能役者の所作に見立てたらどうだろう。」と、第一節(次第、名乗)に予告していたのである。』と書いておられる。
        http://www1.odn.ne.jp/higo-nakamura/kanwa8.html

 先の熊本史談会の例会に於いて、「草枕と能」について一文を書きましたと報告があった。
そして氏のHPにもUPされていた。題して「能と草枕考」である。
        http://www1.odn.ne.jp/higo-nakamura/kusamakura.html

 「能の家」に生きてこられた氏だからこその、読むものをして納得させるすばらしい御説である。数年ぶりに漱石の「草枕」を読みながら、漱石の文学の奥深さと共にただただ感じ入っている。
東北大学には、漱石に係る300件にも及ぶ論考が集められているが、「能」との関わりについて論じられるのは初めてのことのようだ。
        http://tul.library.tohoku.ac.jp/modules/coll/files/sdoc.pdf

二年ほど前、峠を越えて草枕の舞台となった所を車で訪れたことが有る。
また訪れてみたいと思うのだが、古希の爺さまにはちょっと簡単には参らぬ。
萩やススキが秋風に揺れる頃が良いのだが・・・扨々如何

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「幸せの太鼓を響かせて~INCLUSION~」

2011-06-24 08:27:44 | 徒然

              http://inclusion-movie.com/
              http://www.youtube.com/watch?v=PkjqKOL7GtQ

「日本スペシャルオリンピックス」の名誉会長を勤められる細川佳代子様が、製作総指揮をとられた映画「幸せの太鼓を響かせて~INCLUSION~」が公開の運びとなった。

 障害者に対する理解やささやかなお手伝いは、まずはこの映画を鑑賞することから始まる。
ぜひともお近くの映画館に足をお運びいただきたい。

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御代々様御参勤御帰国 (3) 光尚公

2011-06-24 08:01:47 | 歴史

光尚公

          http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%B0%9A

一、元和七年十一月光尚公 于時御三歳 忠利公と共小倉御発駕 十二月十四日江府御着 同十六日御登
  城 御内分にて秀忠公御台様御拝謁 従是御在府
一、寛永十四年冬嶋原一揆付光尚公御暇被仰出 十一月十五日江府御発駕 十二月六日熊本御着
  天草御渡海 賊徒嶋原退散付而河尻に御帰り 上使之御左右御待
一、寛永十五年正月二日 光尚公兵を御帥ひ従河尻嶋原御渡海として御出船 同四日嶋原之頂川御
  着岸 同五日原城大手御向 三丸御在陣 二月廿七日落城付三月朔日有馬御発 即日熊本御凱陣
一、同年三月十五日熊本御発駕 四月九日江府御着 同十五日御登城御拝謁 於有馬御父子様御辛労
  御感之旨上意
一、同十六年御暇被仰出 御部屋住御初而 四月十六日江戸御発駕 五月七日熊本御着
一、同十七年二月廿六日熊本御発駕 三月廿七日江府御着 四月朔日御拝礼
一、寛永十八年三月忠利公於熊本御病気御大切付 光尚公依御願被成仰出 急江戸御発駕之処
  忠利公同十七日御逝去之段遠州濱松におゐて御承知 御国許江御下向無之御帰府
一、同年五月五日光尚公御遺領相続 同六日御拝礼 同十一日御暇被仰出
  同十九日江戸御発駕 六月十四日熊本御着
一、同年九月廿九日熊本御発駕 十月廿六日江府御着 十一月朔日御拝礼
一、同十九年五月朔日御暇被仰出 此時上位ニ今年滞府勤仕いたし度可有之候得共 去年国許不作
  百姓困窮之聞有之付御暇賜也 帰国ありて政務可為専要之旨上使御演述之 同十四日江府御発
  駕 六月十二日熊本御着
一、寛永二十年三月十九日熊本御発駕 四月十七日江府御着
一、正保元年 寛永二十一年改元 四月廿四日御暇被仰出 五月三日江府御発駕 同廿七日熊本御着
一、同二年二月十二日熊本御発駕 三月十二日江戸御着 同十五日御拝礼
一、同三年四月十八日御暇被仰出 六月十三日江戸御発駕 七月十一日熊本御着
一、同四年三月十三日熊本御発駕 四月四日江戸御着
一、慶安元年 正保五年改元 二月御暇被仰出 同十四日江戸御発駕 三月三日熊本御着
一、同二年三月三日熊本御発駕 同廿五日江府御着 四月朔日御拝礼
一、同年十二月廿六日御逝去

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