津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■間違い

2017-09-30 09:20:13 | 史料

 「I家蔵書印」がある「御先祖御由来」の内、治年孝に関わる部分の抜粋である。
「御母 圓諦院」とあるが、「細川和泉守立礼様御妹埴姫様」とある説明とは大いなる間違いがある。
「御母」君は、重賢公の側室・此井であり法号・清心院、称号・円諦院である。

「御母」ではなく「御室」ではないのか。もしそうであれば埴姫様で話は通じるのだが、但し立礼の妹は間違いで四歳年上の姉君である。
どうやら書き間違いが重なってしまっている。

   御母 圓諦院殿
   御室 瑶臺院殿
     細川和泉守立礼様御埴姫様 月翁様御息女
     天明五年巳十二月十二日五家督無御相違御
     相続之仰出養給ふ

ところが御父・重賢公のご逝去に伴い「天明五年巳十二月十二日五家督無御相違御相続」したのはまさに治年公ご自身の事である。
そうすると次のような文章にするのが正解であろう。

   御母 圓諦院殿
     御室瑶臺院殿細川和泉守立礼様御埴姫様 月翁様御息女
     天明五年巳十二月十二日五家督無御相違御
     相続之仰出蒙給ふ

治年はわずか三年ほど後亡くなっている。
一方圓諦院は文政三年まで長生きされた。没年齢は判らないが70歳代か?

この文書内容をよく読むと刑部家内の蔵書ではなかろうかと推測される。そんな蔵書にも間違いがあった。


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■やもめ解消

2017-09-29 16:29:20 | 徒然

 奥方を退院させるなど多忙な一日でした。病院食がなじめなかったらしく、体重をすっかり落として帰ってきました。
しばらくは自宅療養です。検査の結果も良好で旦那も一安心しています。
いろいろ多忙な一日が過ぎ、シャワーをしてビールを飲んでのんびりしていましたら、ブログがまだだと気づきました。
友人から「最近プライベートな書き込みが多すぎる」といわれていささか反省をして居りますが、奥方がいないと本当に大変だということに気づかされました。
お許しください。私にとってはプライベートなことを書くことは、単にネタ切れ状態であるということを白状しておきます。
一振りすればネタが出る「打ち出の小槌」を何方かプレゼントしていただけませんか。奥方も無事生還しましたから、ネタ探しにとりかかろうと思います。 

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■川添登の著

2017-09-28 21:28:07 | 書籍・読書

 つい先日見当たらない川添登の著「民と神の住まいー大いなる古代日本」(光文社・カッパブック)を日本の古本屋で購入した。
ところが本棚の隅っこから同名の本(こちらは講談社学術文庫)が出てきて、内容の同じ本が二冊となった。
近ごろ同氏の著「伊勢神宮ー森と平和の神殿」を読んでいて、いささか内容が被るけれど先述の本と合わせ読みをしている。
川添登という人はお馴染みではないかもしれないが、建築の世界で飯を食った人間にとってはよく存じ上げる方だ。
かっては雑誌「新建築」の編集長を勤めた方だが、建築界の巨匠・村野藤吾の作品を批判して、社長から編集以下部員全てがが解雇されたという事件があった。
社長にとっては大先生の手前致し方なしということが有ったかもしれないが、なかなか骨のある人だと喝采したことを覚えている。

その後建築評論家、民俗学の研究者としても活躍、上記の「伊勢神宮ー森と平和の神殿」は彼の代表作といってもよい作品である。
なかなか伺い知ることのできない「伊勢神宮」の建築その他について論考である。
一気にというわけにはいかず、奥方不在の秋の夜長に焼酎を飲みながら読んでいる。

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■去年が四年だからあと三年

2017-09-27 20:07:32 | 熊本地震
 
■あと四年「新・肥後細川藩侍帳」の整備

2013:9:10 2020年を目指す を書いた。無為にすごして3年が経過、あと4年しかない。資料を読み返してわが「新・肥後細川藩侍帳」を整備しようという計画である。いろいろ間違い......
 

 何度こんなことを言っただろうか?。侍帳の整備があと三年になった。
最近いろんな資料を読んだり、いろんなお宅の情報がもたらされたりで、段々内容が濃密になっている。
これは現在進行形だからとどまるところを知らない。どこかで一線を引いてとにかく一度終わらせる必要がある。
去年くらいまではあまり健康に心配することはなかったが、あの元気者の奥方が入院するなんて思いもしなかったから、自分の健康にも地震が無くなってしまった。
あと三年・・・くたばることはなかろうと思っているが!!!

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■あわてて経口補水液を飲む

2017-09-26 16:07:31 | 徒然

 昨晩は少々遅くまで仕事をして気が付いたら日が変わっていた。
途中で憂さ晴らしに焼酎をロックで二三杯飲んだのだが、今朝ほどは腹が張って気分がすぐれず、昼頃になると頭痛がする。
汗はかくし、まずいな~と思っていたら、なんと熊本は29℃だそうな。汗は気温のせいだった。
こりゃー熱中症になるぞとばかり、買いこんであった「経口補水液」を飲む。
やもめ暮らしも14日目、未だ奥方の退院の日取りが決まらない。
朝・昼はめんどくさくて食事抜き、そろそろ腹も減ってきたので又買い出しに出かけなければならない。
スーパーの既製品も食べ飽きて、ますます食欲減退気味である。

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■事件やまもり

2017-09-26 16:06:37 | 徒然

  市井の単なる歴史好きの人間にとっては、熊本大学の書庫に山をなす永青文庫の膨大な史料などは誠によだれが出るようなお宝の山だが、残念ながら簡単には拝見出来ない。そこで勢い先哲が書き残された書写史料を拝見して鬱憤をはらすことになる。尤もこちらも膨大な量であるから、一人の爺が気負いこんでも触れる情報量は高が知れている。そんな中から垣間見える小さな事柄をほじくり出しては悦に入っている。例えば「熊本藩年表稿」を眺めていると、武士が関係する殺人事件などが意外と多いことに気づく。上妻文庫所収の「手討達之扣」をみると、宝暦六年(1756)から文化五年(1808)の間に52件の事件の詳細が記されている。又、同じ上妻文庫の「風説秘話」などにもいくつかの事件が取り上げられているが、これらの貴重な史料は必ずしも連動していない。
これらの事件の数は武士がかかわる事件とは別に、町民・農民などの事件を加えると大変な数になると思われる。剣豪松山権兵衛は、病のために自宅牢に入れおいた嫡子の為に槍で衝かれ死んでいるし、儒学者・水足屏山は奥方の不義の相手を討ち果たそうと出かけるが、返り討ちにあって亡くなっている。
万石の西瓜畑ではN某が無断で西瓜を喰らい、見張り番をしていた百姓に袋叩き似に合い死亡した。「百閒石垣後ろ飛び」で有名な山東弥源太は、井芹川で魚釣りをしていて、刀を盗まれのちに犯人の町民を切り殺している。又、法華坂で立ち小便をしていたO某は、通りがかりの米田家家臣の馬乗りの武士にとがめられこれを殺害した。この男は法華坂脇の志水家に逃げ込み、二の丸に屋敷がある米田家から鉄炮衆も出て引き渡しを求めたが、志水家がこれを拒み一触即発状態になった。この時は藩主の意向により止む無く米田家側は矛を納めている。あとの始末が如何つけられたのか判然としないが、法にのっとって処分されたことは間違いない。このような話は列挙にいとまがない。親を殺す者もいれば、女房に横恋慕(ストーカー)した男を追い回す武士もいた。巷間良く知られている事件としては、鍛冶屋の主人が息子に投げた薪が通りがかった侍Oの額にあたり、無礼討ちにあったという一件がある。息子は自分の親不孝を反省し出家し、107体の地蔵を建立した。いわゆる放牛地蔵といわれるものである。このOは綱利公の近習であった。当時の武士の仕法としては何ら咎められるものではなく、引き続き近侍している。同僚であった堀内傳右衛門の覚書によると、大変優秀な人物であり綱利公の覚えも目出度い人であったようだ。しかしこの事件の影響によりご近習の職を離れ外様となっている。被害者・加害者共に不幸な結果を招いている。
サイトを拝見するとこの事件を非難する意見が記されているが、これは現代人感覚の最たるもので当時の武士の生き方を全く理解しておられない。

侍にはいわゆる「切り捨て御免」という特例がある。ただし奉行所で厳正な事後調査がなされる。
不都合と思われる事件もたくさんあり、加害者が罪を得ることも多々ある。最近取得した古文書を眺めていたら、どうやら殺人事件を目撃したのかいろいろつづられているが、読み解くのに難儀する筆跡である。鬼が出るか蛇が出るか興味は尽きない。

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■爺様の編著本・・??

2017-09-25 23:27:46 | 徒然

 若い友人N君と電話で話していたら、YSさんという親戚の方か何方か居られますかという。
私の祖父だけどと返事をすると、「古書籍販売会目録」に「錦渓 1号~30号迄揃」30,000円と出ていますよとの事、カタログを慌ててみてみると確かに祖父の編とある。明治25・1(1号)~29・11(30号)が全部そろっているそうな。
この本「御存知ないんですか?」とN君はいうが、私は全く知らなかった。満2歳で祖父母・父の三人と死に別れたから、祖父が何をやっていたのかさえよく承知をしていない。祖父は明治四年の生まれ、21歳から25歳の頃の話である。いったいこの「錦渓」なるものがどういうものなのか?、これは人様に渡すわけにはいけないだろうとは思うのだが、出品者の舒文堂さんを訪ねてみようと思っている。
平壌にあったという東亜同文会系(?)の朝鮮学校の校長を勤め、ある本には国士と書かれていた爺様だがどうやら血の気が多い人だったようだ。
30,000円祖父様供養に購入せねばなるまい。(とんだ物入りです、祖父様・・・) 

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■六所宮祭礼の賑わい

2017-09-25 13:07:47 | 熊本

                       六所社 六所宮・藤崎八旛宮HPより

六所宮の由緒は藤崎八旛宮のHPによると「寛永九年、豊前大守、左少将細川忠利当国(熊本)移封、其の長子侍従細川光尚、産土神たるの故を以て正保元年、豊前国中津六所宮を勧請鎮齋せらる。」とある。
なんで読んだのかはきとした記憶がないが、光尚の幼名「六」に因んで六所宮を勧進したという話があった。
いずれにしろ藤崎八旛宮の末社として祀られ、現在は藤崎宮境内に祀られている。(上記写真)
加茂大神・春日大神・松尾大神・稲荷大神・八坂大神・貴船大神を祭神として、現在は10月11日に例祭が行われているようだが、「歳序雑話」によると藩政時代は9月11日であったらしい。大変な賑わいの様子が記されている。

                      

   十一日六所明神の祭日なり、貴賤列行参詣夥し。社頭神人鳥帽子狩衣を著し幣を持す。楽人雅楽を奏す。
   其体真に切なり。又神殿の大庭において傀儡人衆会して其の技芸を尽くす。朔より今日に至りて止む。
   四面虎落を結ぶ。楽屋を営み緋氈錦幕を飾る。其の三面桟敷を作る。空地を以て芝居をなす。寔に興ある
   見物なり。朔の前霄、太鼓を以て路港に来り。呼びて曰く明日六所に於いて興操す、大夫は何某、牋の値
   は幾許、所望の人は至りて看るべし。城下の郊辺悉く斯くの如し。以て人々是を知る。見物の体、又希代
   の一興なり。貴者は駕輿に乗り、或は馬に乗り供乗りを列す、錦の障泥飾り行列を整う。或は忍びて駕籠
   を用う。釣鬚の鎗持有、(つづく)

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■ちょっと体調不良です

2017-09-24 22:02:50 | 徒然

 ちょっと体調不良です。疲れでしょうか、久しぶりに口内炎などできて・・・
やもめも13日目、毎日何を食べようかと考えるのも億劫になってきて・・・
奥方はといえば、明日腎臓の検査があって結果が良ければ一両日うちには退院の予定ですが、ただ良い結果を待つのみです。
男やもめは疲れ果てました。

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■マロンの霍乱

2017-09-23 10:06:16 | 徒然

 知り合いの男性が遠くから会釈している。それも柴犬を抱いてだ。
「下ろして歩かせないの」と聞くと、「病み上がりだからね~」とのたまう。
話を聞くと柴犬のマロンちゃん、二週間ほど前熱中症を起こして生死をさまよったらしい。
動物病院に運び込みどうやらこの世に生還したらしいが、ペットというものは大の男をだらしなくする。
「お大事に」と声をかけて別れた。

熱中症の事を昔は「霍乱」といったが、「霍=にわか」で文字通りいきなり来る。「鬼の霍乱」という言葉があるが、鬼さえ霍乱するのだから、人様も子犬も霍乱するのだ。
奥方の「腎盂腎炎」もいきなり来たから「霍乱」かもしれない。余りの高熱で意識も「撹乱」していて、覚えていないことがあるらしい。
ようやく涼しくなってもう「霍乱」することもなかろうが、奥方としみじみお互い健康に過信していたことを反省している。



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■第48回・古書籍販売会目録

2017-09-22 18:36:59 | 熊本

 まさに読書の季節のこの時期になると、恒例の古書籍販売会の目録が送られてくる。今年は第48回になる熊本の恒例行事ともいえる。
頁をめくると欲しいものが沢山、目の毒で仕方がないが手に取って大いに楽しんでいる。

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■やもめ11日目

2017-09-22 10:19:23 | 徒然

 奥方が入院してから11日と相成った。主婦がいないとこんなに忙しいのかと実感している。
食事の手配・買い物(もっぱら近所のスーパーでお惣菜を調達)、食器洗い、洗濯、ごみ捨て、その他もろもろだが、やもめ主夫はどうやら飢えもせずに生きている。
昨日は抜歯をして麻酔が三時間ほどきれず昼食抜き、今朝も痛みが残って朝食も少々、こんな生活をしているから体重が2.5~3.0キロ減った。
奥方が退院してくると元の木阿弥になる可能性があるが、なんとか今の体重を維持したいと思っている。

明日は秋分の日、秋の気配がずいぶん増してきた。Tシャツ・短パンの生活もそろそろお終いか・・奥方の退院前に夏物の洗濯を終らせなければならない。

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■加藤(清正)家資料がない

2017-09-22 08:52:43 | 熊本地震

 加藤清正に関する史料は文箱に入れてあったのだが、地震の時底が割れた。大事な漆塗りの文箱だったが処分してしまった。
地震から一年五か月、加藤家史料を見る機会が無かったということになるが、その資料が行方不明である。
加藤家侍帳を見ようと思っての事だが、中野嘉太郎の「加藤清正傳」に掲載されているから差し当たっての事はすんだ。
多分紙袋か何かに入れたのだろうと思うが、厚みが10センチくらいはあったからすぐわかりそうなものだが・・・
押し入れを開けて探してみるがそれらしいものが見当たらない。さて今日は家探しをしなければならない。

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■初出「侍帳」

2017-09-21 08:07:10 | 史料

 T家が所蔵されている関係史料(抜粋)のPDF資料をお送り戴いた。
大変貴重な史料満載の中に「侍帳」があった。刊本となっている侍帳および熊本藩侍帳人名索引から照合すると、初出の史料であると思われる。
なんとか現物を拝見してその内容をわが「新・細川藩侍帳」に反映できないものかと強く願っている。
まだこのような貴重な史料が眠っている。

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■再度の抜歯

2017-09-20 17:16:11 | 徒然

 先に治療をした歯の歯茎が腫れていたのがどうやら落ち着き、最後の治療だとばかりに出かけたら、ブリッジを受けている歯がダメージを受けて歯茎の腫れにつながっているとの事。将来的には歯が割れるかもしれないとの話。
「えっ、どうするの」と思ったら、今抜いておいたほうが将来痛みが出るより良いだろうとのご託宣・・・ご尤も・・
「入れ歯にしますか?ブリッジにしますか?」と畳みかけるように話が進む。
年を取ってから大口を開けるのはもういやだから、明日抜歯ということに相成った。型取りは今日終、27日にはニ連ブリッジの完成である。
本当に/\歯の治療はこれで最後としたものだ。

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