津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■今朝の空

2018-11-16 07:18:31 | 色・いろいろ

                          6:20頃        自衛隊の大木越しに明けの明星が輝いていました。
                          乱視の私にはカメラの撮影は向いていないようです。


                 6:40 我が家のベランダから

               
              6:50 雲が朝日を受けて金色に輝きを変えていきました。
                 これも段々白い雲へと変わってきました。

 実はこの左手に空を切り裂く傷口のようにジェット機の軌跡が輝いていたのですが、残念ながら撮影できませんでした。
 多分宮崎の新田原基地から飛んできたのでしょう。日本でただ一人の女性戦闘機パイロット(26歳)が居られるそうですが、ひょっとしたら・・・・

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■「山本勘助の孫」つづき

2018-11-09 09:24:49 | 色・いろいろ

 もう10年ほど前、このブログで「山本勘助の孫」をご紹介している。
出典の明らかな記事で、勘助の孫とされる下村已安(300石)については、その子伝蔵と共に次の様に記されている。
「妙解院殿忠利公御代於豊前小倉 御侍帳軽輩末々共ニ」によると、「三斉様御附中津ニ相詰候衆」の中に、「弐百石・下村巳(ママ)安、百石・下村傳蔵」が認められる。肥後入国後の消息としては、肥後讀史総覧に掲載されている「八代分領侍帳 正保二年十二月」に、「下村伝蔵・弐百石」とある。
伝蔵の家禄に違いがあるのは、天草島原の乱での百石の加増によるものである。
そして「其後御暇申候而熊本二而致病死、其子孫当時南郷一領壱匹下村伝右衛門也」という記録が残っている。

最近「近世大名の領国支配の構造」を精読しているうちに、「下村勘兵衛」なる人物の項目を見つけた。一領一疋・下村傳右衛門の先祖附が記載されており、これが山本勘助の血を引く子孫であることが判った。
已安を初代とし、2代伝蔵(後傳右衛門)・3代淳庵(初勘兵衛)・4代伝蔵・5代傳右衛門・6代勘兵衛(初伝太、平之允)・7代伝蔵(初傳太)そして8代勘三郎、9代伝之助は養子ながら脈々と山本勘助の血脈は阿蘇南郷の久木野(現・南阿蘇村)に続いていた。

 

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■お安く読む・岩波新書「江戸東京の明治維新」

2018-11-05 13:13:14 | 色・いろいろ
  江戸東京の明治維新 (岩波新書)
 
      岩波書店

内容説明

維新の激動に飲み込まれた江戸。諸大名の一斉帰国で人口は一挙に激減し、百万都市は瞬く間に衰退した。横行する浮浪士のテロ、荒廃する屋敷地、流動化する身分。江戸の秩序が解体してゆく東京で、人びとは時代の変化に食らいつき、生き延びる道を求めて必死にもがきつづけた。歴史に名を残さぬ人びとの明治維新史。

目次

第1章 江戸から東京へ(大名小路の風景;戦略的な藩邸配置 ほか)
第2章 東京の旧幕臣たち(新政府の悩み;身分の再編という矛盾 ほか)
第3章 町中に生きる(家守たちの町中;明治の人返し ほか)
第4章 遊廓の明治維新(新吉原遊廓と江戸の社会;遊廓を支える金融と人身売買 ほか)
第5章 屠場をめぐる人びと(弾左衛門支配の終焉;牛肉産業のはじまり ほか)

著者等紹介

横山百合子[ヨコヤマユリコ] 
1956年生まれ。1979年東京大学文学部国史学科卒業。神奈川県立高校で社会科教諭として勤務後、1999年退職。2003年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。千葉経済大学経済学部教授などを経て、国立歴史民俗博物館教授。専攻、日本近世史

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■「蒙古襲来絵詞」余談

2018-11-02 12:06:07 | 色・いろいろ

 くまもと文学歴史館で御物本「蒙古襲来絵詞」の展観が始まった。
17年ぶりに郷土への里帰りだし、なんと無料という事もあって賑わっているらしい。
20m程の巻物が二本あるが、前半・後半で入れ替えるらしい。会場が狭いのもあるかもしれないが?

処で余談・・・
先の史談会で無彩色の「絵詞」を拝見したが、その折りある人が、日本勢が「鑓」を持っていないことに気づかれた。
太刀に長刀に弓が主なる武具である。

石垣の上に居並ぶおえら方の中に肥後の菊池氏の姿がある。
熊本には「菊池千本鑓」とか「菊池鑓」とかいう言葉があるが、菊池勢の勇猛さを表す言葉である。
ある時菊池勢の戦況が悪くなった時、短刀を竹の先に結び付けて反攻にでて危機を脱したにという。
資料を見ると、蒙古襲来の以後の事らしい。

これが後の戦闘の主流になる「鑓」につながったのだろう。

           「菊池千本槍」の画像検索結果 菊池千本槍 - Wikipediaより

「絵詞」にある当時の戦いぶりは、蒙古軍は火器を遣ったりしてるにもかかわらず、日本勢のこのような有様を見ると、当時の武人の勇敢なることに驚かされる。

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■だんだら模様の空

2018-11-02 07:23:46 | 色・いろいろ

 5時半ころ右足のふくらはぎがつって目が覚め起床、ベランダに出てみると東の空が赤くなりつつある。
過日見事な朝茜に出会ったが、今朝はどうだろうと思いながらデジカメ片手に散歩に出る。
6時20分すぎ、空が見事なだんだら模様になり思わずシャッターを切る。
今日の散歩の証拠写真、もうそろそろ立冬を迎えるが、街路樹の紅葉はまだまだの様である。

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■朝茜と有田焼の赤

2018-10-28 07:43:01 | 色・いろいろ

 今日は日曜だと思うと起床も少々遅れてしまう。6:15散歩に出る。
我家から6~7分、自衛隊の北西の角から東に一直線の道がいつもの歩き出しのコースだが、今朝は其の自衛隊の敷地内の木々の向こうの空が広範囲に交じりっ気なしの茜色に輝き、まるで大火事の空かと思わせるほどであった。
携帯かデジカメを持って出ればよかったと悔やまれるほどの美しさだった。

 昨日のブラタモリでは「有田焼」の「赤色の顔料」を作る話があったが、「水の中に入れた鉄さびを、毎日水を変えることにより酸化させ、10年懸けてナノ単位の顔色を作る」と聞いて、驚き入ってしまった。
「酸化鉄の粒を小さく細かくすればするほど、鮮やかな赤が生まれる」という。

白磁の肌に赤のグラデーションで色付するにはこの「赤の顔料」が使われるのだそうだが、伝統の継続に携わる方々の、気の遠くなるような年月をかけたご努力に、タモリならずとも只々敬意を表するばかりである

                

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■刀の明治維新:「帯刀」は武士の特権か?

2018-10-12 18:19:27 | 色・いろいろ
  刀の明治維新: 「帯刀」は武士の特権か? (歴史文化ライブラリー)
          尾脇秀和・著
           吉川弘文館

内容説明

「帯刀」=武士の特権という今日の“常識”は、はたして正しいのか。江戸~明治初年まで、武器からファッション・身分標識・旧弊のシンボルへと移り変わる姿と維新で消えゆくまでを追い、「帯刀」の本当の意味に迫る。

目次

帯刀とはなにか―プロローグ
帯刀の誕生と変質―武器・ファッション・身分標識
身分標識としての帯刀―「帯刀人」の登場
虚栄と由緒と混乱と―ひろがる「帯刀」のゆくえ
明治初年の帯刀再編―消えゆく身分標識
身分標識から旧弊・凶器へ―貶められた最期
刀を差せない日―エピローグ

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■度支彙凾  文化より文政迄 節儉號令・十三(7)

2018-10-02 14:16:12 | 色・いろいろ

 一一二
  〇文政二年卯四年(月の間違い)御達
 去ル戌年非常御儉約被仰出候節、諸御間受込金も減方被
 仰付置候處、受込之面々厚心を用、無御支様取計有之尤
 之事候、依之當御儉約御年限は以前之通之高ニ舊復可被
 仰付處、未御出納之御幅釣合兼、年々御不足之見亘ニ
 付、何分減方被弛下候儀、於御勝手方は難澁之次第候
 處、受込料之儀は向々え被任置、現實取計ニよつて増減
 いたし候儀有之、受込料被減置候ても、臨時申立等ニて
 不得止不時御出方有之候得は、其詮も無之事ニ候、年ニ
 寄御用之多少は勿論之事候得共、局々ニおゐて受込之面
 々御出方之繰合等、心懸之精粗によつて御省減之厚薄も
 過有之、此上押て減方之難被及御沙汰候得は、御勝手向
 御難澁之次第を相考、たとへハ一局二付ては纔之増方二
 候得は、是式之儀は聊之儀二て此局二おひてハ難澁之事
 二付渡方有之度との儀は可有之候得共、纔宛二ても諸
 方より之事ニ付、集候所は餘計二相成、御幅張出遂年猶
 御借財相増、又ハ別段之御儉約二ても不被仰付候てハ御
 立行茂被出來兼候様有之候ては、一統之難澁相増候條、
 精々御出方減之仕法手を詰、彌以受込料等可成丈ヶ是迄
 之通ニて取賄、御本方御不足償之一助ニも相成候様心を
 用、局々 ヶ年之惣計を見亘、大凡積書早々取しらへ可
 被相達候、右之趣附屬之面々えも篤度可被申達候、以上
   四月廿三日

 一一三
 非常御儉約年限畢り候付て、此節被成下御直書をも可有
 拝見候、右御書之寫相渡候間觸支配方えも拝見仕せ可被
 申候、将又當年より猶五ヶ年之間御儉約被仰出置候付
 て、此節委細被仰付候趣幷手取米等之儀付て、別紙書附
 四通相渡候、是又觸支配方えも可被達候、以上
   四月廿三日

 一一四
  文政二年卯四月廿三日書附渡     
 去ル戌年より五ヶ年中自他共萬端格別省略相用候付て
 は、初年は家中扶持方迄遣シ其後手取米迄も減少、一統
 嘸(さぞ)致難澁たるにて可有之處、能ク相凌、奉公も無懈怠相
 勤、文武藝等不怠段令満足候、就中願等も不致輩ハ猶以
 奇特ニ候、向後は相應ニ手取米等可増遣所、先年も申聞
 候通、年來勝手幅合兼何分我等存念程ニ成兼、苦悩之至
 候、委細之趣家老共より可申聞也

 一一五
 御勝手向之儀年來御幅合兼、非常御儉約年限中ニも諸事
 思食通行届不申、上下一時之甘ニ至兼、甚以被遊御心痛
 候、依之去冬及達置候通、當年より猶又五ヶ年之間御儉
 約被仰付事候、尤御省略筋之儀、自他共非常御儉約通ニ
 出格之儀難被仰付置稜々は、不得止此節斟酌被仰付筈
 候、於御家中も右年限中彌以質素を相守、萬事分限ニ應
 し省略可仕事
一御勝手向右之通ニは候得共、御家中手取米之儀は責ては
 非情御儉約以前之通ニ被仰付尊意ニ被為在、重疊僉議被
 仰付候得共、何分御積合及不足、思召通難被仰付段申上
 候ニ付、御苦悩之御事なから不被為得止、別紙書付之通
 被仰付旨
一年頭・五節句日其外之御禮等、五ヶ年中略式被仰付置
 候へ共、來辰年よりは別紙之通被仰付候、尤小手取被下
 置候事ニて、御家中之勝手向甘ニ相成程之儀は有之間敷
 候ニ付、御斟酌も可被仰付處、左候ては御家中之面々御
 前ニ罷出候儀又々間遠ニ相成候ニ付、御親ミ之思召を以
 右之通被仰付旨、右之通可申渡旨被仰出候、以上
   四月


 年頭御禮等は文化九年申十月御達之通
 御家中手取米目安、左之通
一熊本居御役付五百石已上拾六石手取
  三百石二百石、拾七石手取
  百五拾石、三拾石三斗手取
  百石、貮拾六石三斗手取 寸志廿三石貮斗 外様醫廿六石
一熊本居無役五百石以上拾五石五斗五升手取 寸志拾四石
  三百石二百石、拾六石五斗手取
  百五拾石、貮拾九石七斗手取
  百石、貮拾五石七斗手取 
一在宅右同五百石已上拾五石三斗手取 寸志拾三石八斗
  百五拾石、貮拾九石三斗手取
  百石、貮拾五石五斗手取 寸志廿三石 外様醫廿五石六斗
一旅詰三拾七石手取  御切米九石三斗手取
一地居御切米四石八斗 御中小姓五斗増

 一一六
  文政二年卯暮より       同二卯四月御達
一諸御間拝借手取米ニ懸候は、御取立五ヶ年中疊置被仰付
 置候處、右之分は此節都て被捨下候
一手取米外之品御取立を以諸御間拝借有之、是迄利分迄之
 御取立被仰付置候分は、此節別段を以都て元利ともニ當
 年より五ヶ年中疊置被仰付候、右之内寸志之面々拝借は
 當年より利分上納は不被仰付、拝借之高ニ應し五朱宛之
 元入ニ上納被仰付候
一戌年以前相對借物之儀は五ヶ年中疊置被仰付候旨、御年
 限後之儀は相對取引勿論之儀ニ候、尤手取米は前文之通
 候得共、銀主/\ニおゐては右躰取引之利潤を以世を渡
 候事ニ候得は、可為難澁事ニ付、旁以別段諸御間之拝借
 都て筋付被下候事ニ付、右之趣を相考、成丈相應/\取
 引申談候様被仰付候、則銀主/\えも一統不及難澁様、
 相應之取引いたし候様及達候、以上
  四月

 一一七
   覺
 去ル戌年より五ヶ年非常之御儉約被仰出候砌、公邊えも
 御届被遊、御家之格御供立御人數をも被減置、去年迄ニ
 て右御年限相濟候ニ付、最前御届被置候通、當年よりは
 御家格之通被召連候段、舊臘御用番大久保加賀守様被遊
 御届候、此段為被奉承知申達候、以上
  四月

 一一八
 御家中手取米之儀今度被仰出之通ニ付、重場前渡割増を    重場=重陽ヵ
 左之通
一地居御知行取高百石七斗宛、右同御切米取拾石高三斗五
 升宛
 右之通被渡下、此外節々之渡方は地・旅とも是迄之通ニ
 て被閣候、此段可及達旨候條左様御心得、御支配方えも
 過有御達候、以上
   七月廿ク日        御勘定方御奉行中

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■大風一過迎えし朝の置きみやげ

2018-10-01 07:24:20 | 色・いろいろ

       

 熊本市は台風24号の暴風域すれすれで通り去って大した被害もなかったが、被害に会われた皆様には御見舞い申し上げる。
朝から散歩に出て銀杏並木のあたりに至ると、大量の銀何の実が落ちて、車で踏みつぶされてあの独特な臭いにおいを発している。
熊本は熊本城を銀杏城と呼ぶように、街路樹にも植えてあるところが良く見受けられる。
厄介なのはこの銀杏の実とこの葉っぱの後始末である。ご近所の方々はご苦労な作業が残る。
おつまみに最高な銀杏は、この実の外皮を取り除かなければならないが、なんとも臭くて往生する。お好きな方は拾って帰られるかもしれないが、これも秋の風情ではある。            

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■丹後細川能番組

2018-09-30 09:23:52 | 色・いろいろ

 昨日のブログ「■宮津・田邊時代の20年」を書くに当たっては、多くの史料を眺めながら確実を期すことに勤めたが、一二の史料が見当たらずに少々焦ってしまった。
一つがこの「丹後細川能番組」である。まさしく宮津・田邊時代に数多くの御能が各所で催されたものの記録である。
戦乱に明け暮れる中でこの様に多くが催されたことは驚くべき事であり、又詳細な記録が為されていることにも感嘆する。

本棚を探し、段ボールの山を開いて見つけるが、見当たらない。
日本の古本屋にあれば新たに購入しようと検索すると、大分の古書店に在庫がある。しかし高くて首をかしげる。
他の史料を探しているうちに、B5ファイルの一冊に綴じ込んでいたものを発見。
購入を決断前でよかった。ただしファイルに綴じ込むのに孔を開けてしまっている。これは大いにまずい。今後このような資料の保存には気を付けなければならない。

もう一つは「丹後舊事記」「一色軍記」等のコピーファイルである。
こちらはどうしても見つからない。幸いなことに国立国会図書館のデジタル史料として「丹後史料叢書・第一輯」が公開されており、ここに他の史料と共に掲載されている。
こちらも日本の古本屋で検索すると、1冊だけ残部があったのですぐさま購入の手続きをとった。

いろいろな史料を読んでいると、著名な先生方でも明らかな間違いが目について気になって仕方がない。
出典などを明らかにすることがいかに大事かを大いに痛感している。
その為にこんな具合で史料の購入が増すばかりである。

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■散歩つれづれ・朝の植物たち

2018-09-25 08:45:53 | 色・いろいろ

 

 夏みかん? 

     彼岸花 

 ????

  芋の葉に露       

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■貴田玄蕃宛山鹿素行の書状

2018-09-24 06:50:45 | 色・いろいろ

                     

 この写真は、今般「赤穂民報」に発表された山鹿素行の書状である。
実は過日、東京在住の史家S氏から、貴田玄蕃宛の山鹿素行の書状を手に入れられた旨のご連絡をいただいたのだが、それがこの記事のものである。

加藤清正の重臣の一人に貴田孫兵衛がいるが、加藤家没落後その子権内は細川家家臣となっている。「綿考輯録-巻21」において「権内は・・・貴田玄蕃弟なり」としている。
そして「大日本近世史料」では、「貴田正勝--玄蕃、加藤清正庶子、加藤家改易ののち攝津国尼崎にて青山幸成に召出さる、千五百石」とある。

赤穂民報が報じている記事においては、「尼崎藩の家老に新春のあいさつや贈り物への御礼」とされており、まさしく貴田孫兵衛の子孫だが、この書状が天和三年ころのものと比定され、この玄蕃なる人物は正勝の子であろうと考えられる。
S氏からは三枚分割の写真をお送りいただいたが、とんと読めずにいる。

 

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■細川藩士平山氏の出自は足守藩主木下氏

2018-09-10 14:10:32 | 色・いろいろ

侍帳で平山伊一郎家をながめると、家祖は木下内記とある。その孫長助を初代としているが、父の才蔵には享保六年の宜紀公の220石の御書出(宛行状)が残されている。
この家祖・木下内記なる人物は、秀吉の正室高台院の兄・木下家定の二男・備中足守藩の家系である。
諸資料を眺めながら謎を読み解いたときは、まさに至福の時である。
     

  +------木下家定---+---勝俊(長嘯子)
  |          |
  |                     +---利房-------+---利當----利定----+---公定=====利潔・・・・・・・→(備中足守藩主)
  |             |            |         |                        ↑
  |         |            |         +---藤栄---+----利潔
  |         |            |                                        | 
     豊臣秀吉   |            |               +----才蔵---長助・・・→(細川家臣・平山氏)
  |           ‖     |          |
  +------高台院============+---利次(旗本3,000石)        
          |
    細川藤孝----------+---忠興-----忠利
                           
                  +----於岩 松平忠重室(上総佐貫→駿河田中→遠江掛川藩主)    
                     
                    +----於豊 木下利當室(備中足守藩主)
            |  +---加賀   
            |    ‖ ----+----於栗 (梅松院室)
            +----木下延俊
            |    ‖-----+---俊治・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(豊後日出藩主)
            |    ●       
            |        +---延次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(寄合交代衆)
            |        
            |        +---三郎左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(細川家臣・木下家)  
            |        
            +---小早川秀秋

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■井田衍義・御惣庄屋十ヶ條 縣令條目 廿一(4)

2018-08-28 09:32:10 | 色・いろいろ

 七三七
  條々
一公義之船は不及申、諸廻船共遭難風の時は助船をいたし、
 船破損せさる様に成程情をいるへき事
一船破損之時は其所近き浦之者入情、荷物船具等取揚へし、
 其取揚ヶ候所之荷物之内、浮荷物は貮拾歩一、沈荷物は
 拾歩一、川舟ハ浮荷物三拾歩一、沈荷物は貮拾歩一取揚
 候者ニ科遣之事
一沖にて荷物はぬる時は、着岸之湊におゐて其所御代官下
 代庄屋出合遂穿鑿、船に相殘荷物船具等之分可出證文事
  附、船頭浦之者と申合荷物盗取之、はねたる由偽申に
  おゐては、後日に聞といふとも、船頭ハ勿論申合輩悉
  可被行死罪事
一湊に永く船を懸置輩あらハ、其子細を所之者相尋日和次
 第に早々出船いたさすへし、其上にても令難澁ハ何方之
 船と承届之、其浦之地頭・代官ニ急度可申達之事
一御城米廻之刻、船具水主不足之悪船に不可積之、幷日和
 好節於船頭は船主沖之船頭可為曲事、惣て理不儘之儀申          よしなすといえども
 懸之又ハ私曲於有之ハ可申出、縦雖為同類其科をゆるし、     縦雖為ー縦し為すと雖も(たとえやるとしても、たとえやったとしても)
 御褒美可被下之、且又あたを不成様ニ可被仰付事
一自然寄船幷荷物流來におゐてハ揚置へし、半年過迄荷主
 於無之は揚置之輩可取之、若右之日數過荷主雖為來不可
 返之、雖然其所之地頭・代官可受差圖事
一博奕惣て賭之諸勝負、彌堅可為停止事
右之條々可相守此旨、若悪事仕におゐてハ申出へし、急度
御褒美可被下之、科人は罪之輕重ニしたかひ可為御沙汰者

  寛文七年閏二月十八日    奉行

 七三八
一前々より浦々高札相建、公義之船は不及申諸廻船共猥成
 儀無之様ニ日仰付置候處、遭難風候節も所之もの共船の
 助には不相成、却て破損候様にいたし、態と荷物を刎さ
 せ、或は上乗船頭と申合不法之儀共有之様に相聞不届ニ
 候、御領は御代官、私領ハ地頭より常々遂吟味、毛頭不
 埒不仕様急度可被申付候、若此上不埒之儀於有之ハ、後
 日ニ相聞候共其ものハいふに不及、所之者迄可被行重科、
 其上其所之御代官地頭迄可為越度事
一御城米船近年破損多候ニ付、今般諸事相改、別て大切ニ
 可仕旨申渡、船足之儀も深ク不入様ニ、大坂船ハ大坂奉
 行、其外國々之船ハ其所支配之御代官より、船足定之所
 ニ極印を打、船頭水主之人數不減少様ニ急度申付、令運
 漕筈ニ候、依之、湊ニ寄候船之分ハ船頭水主人數幷船足
 極印之通無相違哉、送状ニ引合急度相改、帳面ニ記置、
 上乗船頭ニ印形致させ、右書物其所ニ留置、御料は御代
 官私領ハ地頭へ指出之、御代官幷地頭より御勘定奉行迄
 可被差出候、且又、極印より船足深ク入候有之候ハヽ積
 候俵數委細に改之、御城米之外、船頭私之運賃を取、他
 之米穀或ハ商賣之荷物等積入候歟、又は水主人數定之内
 令減少候ハヽ、私に積入候荷物は其所ニ取揚置、水主人
 數不足之分は其所ニて慥成水主を雇為致出船、其上ニて
 右之譯早速御勘定奉行へ可訴之事
右之條々急度可相守、若違犯之輩於有之は詮議之上可被行
罪科、不吟味之子細も候ハヽ、其所支配之御代官又ハ地頭
迄可為越度者也
  辰八月

 七三九
  条々
一浦々におゐて船を借り候て、異國船之ぬけ荷を買取候者
 有之由相聞へ候、自今以後はたとひ初より其事をしらす
 して借し候とも、其船の船頭水主はぬけ荷買取候ものゝ
 同罪ニ行ハるへく候、然上ハ諸國浦々の船頭水主つねつ
 ね申合せをき候て、若ぬけ荷買取候ものに船を借し合候
 ハヽ、からめ取候て長崎奉行所又ハ其所の御代官所地頭
 荷なりとも程近き所へ申出へし、若又、船中にてハとら
 へかたき事も候ハヽ、何方へなりとも船をつけ候所にて
 其所の者に告しらせ、からめ取候て其所に預置、是又長
 崎奉行所又ハ其所之御代官地頭へなりとも申出へし、其
 船頭水主は急度御ほうひを下さるへし
一浦々の船頭水主、たとひぬけ荷買取候事を申合せ候とも、
 或ハ船中にてなりとも、或ハ船を付候所にて成とも、ぬ
 け荷買取ものをからめ取候事、前にしるし候ことくに仕
 候ハヽ、初より申合候罪科をゆるし御ほうひハ船借り候
 時に申合候代物の一倍下し置るへき事
  附、其船の事ハ船主船頭等相對にて借し候とも、其水
  主の働により候てぬけ荷買取候もの幷申合候船頭等か
  らめ取候ハヽ、其水主に被下候御ほうひの事、是又船
  借り候時船主船頭等と申合せ候代物の一倍を下さるへ
  き事
一諸國浦方におひて、ぬけ荷買取候もの有之由を告知せ候
 者有之候ハヽ、其所の者共早速に出合ひ候てからめ取へ
 し、若油断せしめとりにかし候におゐてハ、急度罪科に
 行ハるへき事
右之条々急度相守へき者也
  正徳四年二月    奉行

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■御恵贈御礼「椰子の実に托す・血路歴程」

2018-08-05 17:40:17 | 色・いろいろ

 この本は「日本の古本屋」で検索しても見当たらない。昭和51年非売品として刊行されている。
発行者は「血路歴程刊行有志」と書かれていて、御身内やごく限られた方がたに配布されたものと思われる。
この真新しい装丁の本は、今回元々の本をばらして、複写製本された貴重な復刻本である。
著者の孫にあたられるS様から、今回復刻された貴重な10冊のうちの一冊を御恵贈たまわった。有り難く御礼申し上げる。
父祖の地の熊本の図書館に是非お納めいただくようお願いしている。

著者の奥様は手嶋家(旧細川藩士)のお出であるが、ご一族に手嶋郁郎なる方が居られる。ご兄妹か姉弟ではないかと推察する。
無教会派といわれる「原始福音キリストの幕屋」の創始者として知られる方である。
実はこの方の著に「地路歴程-手嶋郁郎日記」というものが在ることを知った。
この二冊の著書の誌名が、偶然とも思えず似ていることに気づいた。1950~1962年にかけては熊本に居られたらしい。
氏に関係する図書は多くを数える。図書館通いをして触れてみようと思っている。

                          地路歴程―手島郁郎日記


 

 


  

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