津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■一年間ありがとうございました。

2015-12-31 08:26:40 | 徒然

今年73歳の小生にとっては思いがけず身体にがたが来た一年となりました。
勉強の方も思い通りには進まず、納得いかない年と成りましたが、なんとか乗り切ったと言う感じです。
まずもってこれで良しとしましょう。あたたかく見守っていただいた皆様に厚く御礼申し上ます。

                                    本年も一年間有難う御座いました。
                

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■年末・年頭の読書

2015-12-30 10:08:09 | 花押

 数日前から平成肥後国誌(上)全1263ページを、精読しようと取り掛かっている。
いろいろお教え頂いた著者・高田泰史先生と突然お別れをした悲しみが、いまだ信じられず後を引いている。
そんな先生の偉大なる功績を改めて偲んで見たいとの想いである。改めて読み直すと、その博学ぶりにただただ圧倒される。
なかには見解を異にする記述も見受けられ、議論したかったなーと思う部分もある。
時代の流れで消えかかっている史跡や資料を、次の時代へとつなぐ貴重なお仕事であった。
細川藩士の出自に関わる事で教えられることが多々あった。改めてわがサイトに反映させていただこうと思っている。 
今日で四日目、メモを取ったり、ゼンリン地図で場所の確認をしたり、他の資料と照合したりしながらの事で、未だ160ページ程しか進んでいない。

一昨日机やPC、周辺機器を動かして一段落、じっくり腰をすえて完読を目指したい。

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■のどの骨

2015-12-29 10:32:52 | 徒然

 のどに引っかかった骨のように永く日韓間でつづいた慰安婦問題が、戦後70年の年の年末に至り急転直下の解決に至った。
「最終的かつ不可逆的な解決」で合意したとするが、日本政府の本音は「もう言い出さないでくれ」というところだろう。
「少女の像」の撤去問題などは、民間団体の設置であるから問題も残るのであろうが、韓国政府の尽力を願いたいものだ。
そして本当の日韓友好の親しい交流が望まれる。 

新年の安倍首相の得意げな自画自賛の挨拶が予想されるが、長期政権へ向けて大きな加点となったようだ。
次は本気に成って北朝鮮の拉致問題の解決に頑張って何らかの前進があれば、永く歴史に名を残す名首相になることだろう。
一方、安保問題などでの強引な手法は少々いただけないが、野党勢力の奮起も望まれる。
18歳以上の若い人たちの選挙への参加が、政治にどのようなインパクトを与えるのか興味あるところである。

ひょっとしたらオリンピックの開会式に安倍首相が出席していたりして・・・・そんな世界もありえるか・・・

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■有働氏のこと

2015-12-28 07:08:47 | 人物

 NHKの有働アナは御両親が熊本出身だそうだから大変親近感がある。それにしても「脇汗事件」とか「付けまつげポロリ事件」「胸寄せ事件」など、放送事故にも成りかねない事柄を、さらりとかわす度胸はさすがと言うべき大物だ。紅白の総合司会後、独立するのではないか等と昨今いろいろ取り沙汰されている。彼女の動向は来年のTV界の台風の目になりそうだ。

「有働」を「うどう」と読めれば熊本人と良く言う。そして熊本が有働氏のルーツの地であるとされる。熊本の歴史がお好きな方は、佐々成政が城村城を攻めたとき、隈部勢の中にあって大活躍をした隈部氏が家老「有働大隅」とその一族の勇士の名前を思い出されるであろう。いわゆる熊本国衆の一族と言うことになる。

山鹿郡城村籠城之次第 (一)  山鹿郡城村籠城之次第 (ニ) 

隈部軍記 - 2 「多久大和降参之事 付 冨田安芸討死之事」 隈部軍記 - 3 「隈府城陥事 付 隈部親安敗軍之事 」 隈部軍記 - 4 「 隈部親安城村の城ニ楯籠事 付 合戦之事 」 了

その後は帰農したのだろうか、しかしながら地方の有力者として身をなしたものと思われる。
「有禄士族基本帳」には次のような方々の名前が見える。有働アナウンサーのご先祖様もこの中に多分居られるのではなかろうか。                  

  • 有働岩太
  • 有働文〇
  • 有働丈二
  • 有働幸都
  • 有働健太郎
  • 有働孫次郎
  • 有働三郎
  • 有働源次郎
  • 有働真男

又、「牢人片付け」には有働泰庵なる人物の名前が見える。

神風連の一人・有働数彦は21歳で参加し、志破れると人前に骸をさらすことをよしとせず、雁回山中で一人密かに自害して果てた。
後年発見され遺品から数彦であることが判明した。

     大君の御楯となりて武士の名をば傳へむ萬代までに

一方、北海道に新天地を求め屯田兵として篠路兵村(現・札幌市北区屯田)に雄飛した有働常雄等がいる。
いつの時代にも現状を打破して、前を見据えて行動する有働氏の姿がある。
来年は有働アナウンサー飛躍の年と成らんことを切望したい。

 

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■奥方の本気度

2015-12-27 13:57:37 | 徒然

 私の机の引越しが現実味を帯びてきた。急ぐ事はないのだが、奥方が本気である。「手伝う」とのたまう・・・・・
今日はなにやら所要で出かけたので明日以降のことに成るのだが、机を動かし、プリンターを動かし、ついでに下の倉庫にある書類棚を一つ運べば完了である。書類棚は少々重そうだし来年にしようかなー等と、のんびり構えている。

奥方は毎日ちょこまかと出回っているが、私は居残って窓を拭いたり、ベランダに水を流して掃除をしたり、その他新年を迎える準備は万端である。
もっともサボテンの鉢を動かそうとして、小さなとげが右手の薬指にささってなんとも痛い事、第二関節が曲がらない。

それでもあと四日、今年は悠々たる年末である。 

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■一思案、年末の引越し・・?

2015-12-26 14:09:57 | 徒然

 小林一茶に うす壁にづんづと寒が入りにけり という句があるが・・・・・・・

私の部屋は西北角にあって、壁は薄くはないがコンクリートだから冷気がじわりと沸き出てくる感じがして、何とも寒い。
暖房はあまり好きではないから設備がなく、温風ヒーターも頭が痛く成るから使っていない。少々厚着をして厚い靴下を履いて過ごしている。
今朝ほど奥方の前で、禁句「寒いさむい」を連発していると、机を日当たりのよい暖かいリビングの方に動かせと言い出した。
「年末の最後の仕事、決まり・・」なんぞと言っている。まずい事に成った・・・そう簡単には動きませんぜ。

一方ちらりと、机を動かして本棚を増やそうかしらという魂胆が頭を持ち上げた。
まずはお説ごもっともで机を動かし、しばらくして本棚を購入する話を持ち出そうという訳である。
これで床の上に積み上げた資料類も少しは片付くだろう。しかしPCの横にいつも積み上がる資料や本を、いちいち本棚に戻す毎日の作業も厄介ではある。
思案のしどころである。
 

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■細川幽斎 池部義象著 金港堂 明治36年初版  と  [DC06 1401] 細川幽齋 川田順

2015-12-26 10:27:42 | オークション

                細川幽斎 池部義象著 金港堂 明治36年初版 細川幽斎 池部義象著 金港堂 明治36年初版


                   [DC06 1401] 細川幽齋 川田順   [DC06 1401] 細川幽齋 川田順

 


                                    

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■松寿庵先生・第172講

2015-12-25 07:13:02 | 歴史
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■高平台校区地図から

2015-12-24 10:48:46 | 熊本

  高田泰史先生の「平成肥後国誌」に掲載されている「高平台小学校区の史跡・公共施設」図である。
まだ訪ねた事がない「五町手永会所跡」や「打越稲荷山古墳」のあらかたの場所が是で確認できた。
ゼンリンの住宅地図と照らし合わせても、なかなか見つけるのは難儀のようだ。是非とも見て見たい処だが、他にも人形師松本喜三郎の「谷汲観音像」がある浄國寺などもある。暖かくなってから出かけて見たいと思う。 

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■新国立のコンペについて 一建築士のたわごと

2015-12-23 10:52:46 | 徒然

 新国立競技場のデザインコンペティションは、やはりというべきか、伊藤豊雄氏が負けてしまった。
私は業者との組合わせをみて、最初から隈氏が勝つなと思っていた。デザインからいうと伊藤氏の圧勝ですよ。
そういう意味からすると、これはデザインコンペティションではなかったと言うわけだ。工期と工費で押したT建設+A設計と隈氏の作戦勝ち・・・・・
伊藤氏のいろいろな発言をみていると、その無念さは察するにあまりある。

JSCの幹部は「実現可能性が評価されて選ばれた計画だが、これだけ大きな事業なので計画どおり進まない可能性は否定できない」と話している。
決定早々もうこんな話だ。工期遅れのお墨付きが出た。それはまずいのではないか、そうなればエンブレム同様また議 論を呼びそうである。 

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■荒木山城、死の真実

2015-12-23 09:49:36 | 花押

 荒木山城(左助 高則)に関する綿考輯録の記事である。 
             荒木高則朝鮮にて両度軍功を励し、弟荒木太郎助高基文禄二年二月朔日討死
                                                    (綿考輯録・巻11-P113)
             岐阜戦功・首取候衆
             田辺衆・高則、後号山城助左衛門并外斉等か親なり、今の助十郎小助運次等か祖なり
             高則ハ、高麗・関ヶ原にても戦功有、慶長の末故有て浪人いたし播州にて病死
                                                     (綿考輯録・巻14-P257)

             (慶長六年)七月七日、於中津去年岐阜・関原・木付の役ニ手ニ合候者不残御饗応
             (一書)・・・荒木左助ハ此時まて与十郎殿ニ居たりしか、高木貞盛之中脇差・御帷子ニ被
             下候、後御直ニ成山城と名付られ候、父ハ民部大輔と云、祖父を山城と云、丹波士也、藤
             孝君・忠興君・明智氏と共ニ嶺山の城御踏潰し被成候時、民部明智氏へ居候而振舞悪しく
             候間、民部か事ハ何の仰もなく、祖父ニも負ぬ働したれは、荒木山城と御付被成候との事
             なりと云々、荒木助十郎か家記ニハ、荒木山城守高子丹波の国荒木の城を守り、其子民
             部大輔高兼共ニ甚武功を彰し、後明智光秀ニ属し、光秀生害の時、左馬助光春安土より坂
             本に帰る道筋にて危きを助け、父子共ニ討死いたし候、高兼子高則此時十四歳、纔に残兵
             三人を随て愛宕山下坊ニ入、其後丹後ニ赴く、藤孝公ニ仕て田辺ニ在、又忠興公ニ仕へ朝
             鮮にて両度軍功を励、岐阜の城攻に両度鑓を合、関原ニて武功有、此働を御感賞、其日の
             晩に及御腰物を被下と云々、翌年拝領の事ハ見江不申候    (綿考輯録・巻17-P411)

この「慶長の末故有て浪人いたし播州にて病死」について、「盤桓随筆」の記事「荒木家之事」に記されていた。
ところが真実は「不慮ニ闇討ニ逢被申」とあり、病死ではなかった。綿考輯録も先祖附もこの事を隠しているが、事実は如何なるものか・・・・・・是非とも知りたいのだが。 

                          

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■揚げ羽蝶紋

2015-12-22 17:02:21 | 家紋

                                    「揚げ羽蝶紋」の画像検索結果

かって中村(萬屋)錦之助の当たり役で「源氏九郎颯爽記」という映画が在った。「秘剣揚羽の蝶」で悪人どもをバッタ/\と切り倒す、なんとも爽快な時代劇だった。その源氏九郎の家紋が「揚げ羽蝶紋」であり、なんときれいな家紋だろうと当時思ったことであった。
この家紋は、平家の公達が良く用いたため、平清盛流の家紋として知られている。それを源氏九郎殿が使っていると言うのもなかなか面白い。
肥後細川家の侍蝶の一つ「肥陽諸士鑑」をみると、この家紋を使っているお宅がある。村井家であり、こちらは「丸に揚げ羽蝶紋」である。
先祖附を詳しく読んでいないが、ご先祖様は平家流かもしれない。 

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■たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座

2015-12-21 20:06:32 | 書籍・読書

 

  たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座
 
             キノブックス

 

毎日下らぬ文章を書いているが、上達の気配はまったくない。小中学生の域を出ない。

小説仕立てのものを書いた事があるが、恥ずかしくてとても人様にご披露できるものではない。今回のPCのトラブルで都合よく全部消えてくれた。
書き溜めた「擬作百五十石・我が家の歴史」もついでに消えた・・・・こちらは大いにショック、最近は根気がなく生きている内に書き直せるだろうかといささか弱気に成っている。
それにしても文章を綴ることは大いに難儀な事で、「たった40分」の講座で書けるなんてあり得ないのだが、何が書いてあるのか一寸興味もある。
何かヒントを得る事ができれば、一歩前進にはなる。

老い先短い年齢に成ってくると、同年代の人様に「自分史」をお書きなさいと大いに薦めている。悪友が「自叙伝か?」と聞くので、これははっきり否定しておいた。
ある本を読んでいたら、自叙伝とは「自己の人生が、他人にとり何か有意義と思い上がっている人々の書く自慢話」とあったのを思い出して、そう言って置いた。
悪友いわく「ご尤も・・・」と。

あまり気取らずに「我が家の歴史」を書き残そうと思うのだが、子や孫に「文章の下手な事」といわれて赤恥は書きたくない。

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まったく偶然のことだが、朝日新聞デジタルの記事から誘導されて、「路上文学賞」のサイトに行き着いた。
今回第4回の受賞作に目を通して、思わずうなってしまった。見事というしかない。生活や経験からくる真実の声であろう。説得力があり迫力に満ちている。
路上文学賞を追ったNHKドキュメンタリー『路上で文学が生まれた』が、関西地域以外は12月26日(月)午前0時40分~1時、関西地域は12月26日(月)午前1時25分~1時45分に放映されるらしい。これは是非とも見なければ成らないとカレンダーに書き込んだ。
 

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■熊本城下の都市デザイン・京町は二階町

2015-12-21 08:24:13 | 熊本

                               熊本市都市政策研究所のニューズレター第9号から、久保美代子氏の「研究コラム」を引用紹介する。
                             先に鎌田氏もう一つの手討ち事件をご紹介したが、これなどは京町筋で起きた事件かもしれない。 



          

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■遠坂・津川・入江蟄居中銘々心得之事

2015-12-20 10:57:37 | 史料

 二年ほど前 改革の影に・・・ を書いた。政変があり遠坂・津川・入江等の執行部が排除されて10年の間、閉門蟄居させられたが、その折の三人の生活ぶりが夫々特徴的で有る。
其の詳細を宮村典太が書写した記録だが、なかなか読みづらい筆跡である。読解をお楽しみいただきたい。読み下しは後にご紹介する。
 

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