餌は押し麦ですが、口いっぱいです。
夕日を受けて羽毛が輝いています。
一ニ
○田方下見の事
一下見ハ惣百姓立合一歩舛を入、有籾はかり立、一反ニ何
石何斗と積立、此毛上何石何斗段と極、且其あたり同し
下名之内に右同壹歩禮、其外下ヶ名/\に舛を入、石見
の目かねを取出す、尤作り物により異同有之、同坪の内
にも窪かしめと申、一方ハ宜敷、一方は悪敷、又は穂枯
圓座蟲なとにて不揃の田方、又ハ山付谷筋等之田方ハ一
坪の内枚數多ク同毛に無之、是等之下見ハ都て見撫しに
て相極候ニ付、的當之所六ヶ敷、よつて下見の仕法は村
々致馴候通村格之様に相成り、譬ハ五帳・七帳と申所有
之候、五帳見ハ頭立たる者を五人帳取を極、惣百姓五手
ニ分ヶ、七帳見は右同断七手に分ヶ、損引に出候作高何
レも石見を極、不残見仕廻候上、七帳・五帳共一所に突
合、隋一の高段と随一の下段を除き、五帳候中の三帳を
合三割にして石段を極め、七帳は同高下の二帳を除、中
の五帳を合五割にして石段を極申候、此儀は檢見先の實
事にして不同無之候、又ハ村中一帳にて見候所も有之
候、一長見ハ下名/\に舛を入、東西南北中程の下名舛
田/\の毛上を目かねにして、石段を記候上見撫しいた
し候も有之候、然處、村中一帳にて見候村の内、勢ひ強
聲高にいひいたし候者の籾反下ヶ候様の事も有之、又
ハ内證にて歪曲の謀なといたす村方ハ、道上ヶ奥引なと
ゝ申、道端の田方ハ石段を上ヶ、奥深き所々田見分役人
参不申所にてハ石段を下ヶ、御徳懸相濟候うへ於内輪
差引いたし候村も有之由、各所々の仕馴候通の下見仕出
候儀實前二て候、尤毛頭甲乙無之様廉直に下見仕候様、
兼々被仰付置候間、道上奥引不同之下見可仕様は無之
候、然共、人ハ欲に就き候習にて油断難成候間、陰微の
事も記録いたし候、右之通下見相濟候上、見立籾置上人
別積立、下り米相見不申者ハ通り方に極め、下り米相見
候者共迄下見帳に書のせ、御惣庄屋へ相達候事
一三
○人別小積之事
一人別小積ハ御免帳之作高一組限書抜、御土物成田畝數に
割付候へは、上田勝に受取候物ものハ、村中の撫土反譬ハ
壹石に當候所ハ壹石壹貮斗に當可申候、下田勝に受取候
者ハ八九斗ニも相當可申候、惣て下見帳之見立籾置合見
込ニ應し割増を加へ、上納米取出し小積帳に突合、上り
下りをしらへ付、通り高・御損高相極より可申事
一四
○御損引高分之事
一高分之儀、惣百姓庄屋元え呼出、通り高・御損高相極候
節、庄屋・村役人・惣百姓之見込、何某/\ハ上作ニて
御土免通之毛上と見込、其身/\も大かた其見込有之受
除申候、其次二諾の作高ハ下見に加り、不作之御百姓打
込に下見いたし、見立籾置合見込に應し割増を加へ、上
納米取出し、小積帳に突合見候得は、上り下り明白に致
候ニ付、御土免すり/\已上の作高ハ都て通り方に相
極、高分を堅、下見帳相添御惣庄屋へ可相達候事
但、本行之通ニて御百姓共廉恥に基き、正道の下見い
たし、欲をはなれ候様成行候へハ、高分至て安く田方
一はたの所柄なと聊の甘ゆき無之候て、民産立兼候村
柄ハ、すり/\の作高分り兼、役人の困窮是等の境ハ
村々の強弱に取切可申事
一五
○御惣庄屋内舛の事
一村々より下見帳・高分帳調達いたし候上、御惣庄屋内舛
に出、下見の勾配を見渡し、中分と相見候坪々數ヶ所に
壹歩舛を入、惣百姓目前にてはかり立、割起の算用いた
し、人別に積致せ、自然下り米相見不申、作高御損引に
加り居候得は遂吟味、御損引ハ差省其段御達申上、兼て
被仰付候趣違背いたし、右躰下り米無之、作高御損引に
出候儀不埒之至、急度被仰付筈ニ候、且又莫大の見込い
たし候村々は、正道の教に背莫大の見込仕候ニ付、是又
相達候ハヽ被仰付様も可有之候へ共、左候てハ不簾に舊
染いたし候下方、陥穽の難にかゝり可申と其恐不少候ニ
付、代々の御惣庄屋取計を以、見込深き下見ハ上ヶ方申
付、御土免刷り/\以上の作高ハ教示を加へ、通り方の
申談來候、よつて御惣庄屋の内舛は高分舛の様ニも成行
候所も有之由、御法を敷、教を施し候も、風俗に随ひ斟
酌いたし候も當前之儀ニ候、依之御惣庄屋内舛ハ下見の
甲乙を正し、高分の勾配に極候準縄にて、御徳掛積立の
場に至候得ハ、御内檢と百姓の間中正を極る規則と相成
候間、聊私情を用ひ候てハ其中を得不申候、御損引の節
ハ上下こも/\利を争ふ様になり安き境にて候間、御内
檢よりハ下方不直にて籾反を見下け損引すると見て、内
舛の坪より初、御試舛・御例舛の見立等起割の太き坪に
かたより、其意終に聚斂に至り申候、下方ハ下り米の多
きを好む所より御試の坪見立、起割の細キにかたり其意
終に不簾に至申候、聚斂不簾何レも可不及之病有之候、
よつて両端の境を相考候處、御内檢は御損米の少きを主
として取計ふ一偏役にて、其條理か有之候、又下方ハ御
物成之外、三口米・水夫米・諸出米、其外高懸の品々肥
大手間料迄取束候得は、五割の作徳にてハ不足に及ひ何
を以渡世可致哉、不残御取上被成候ハヽ御百姓は是限と
覺語(ママ)いたし候、此儀諸上納内輪の諸懸物迄苛刻(ママ)の御仕法に 覚悟 過酷
相當り、御役人の取計におゐて有間敷事ニ候、依之寛政
八年被改一例に被仰付候、其節之御書附ニも右之意味相
見、両端の通弊改り兼候所よりと相聞申候、所詮兼て被
仰付置候ゆるますからけさる様ニとの中墨肝要ニ候、下 中墨=どちらにも偏らないこと
り米少きを主とする御内檢之取計におゐて、中墨に當る
へき様無之候、御惣庄屋ハ其間に取計を入候役前ニて、
中墨を目當に取計可申儀肝要ニ候、其中墨の準備を立可
申ものハ、内舛にてハ御惣庄屋之内舛に當、毛上相應の
損高相極御内檢へ相渡候得は、御内檢も疑惑なく、其高
分帳・下見帳無事故受取、内舛を入、下見の甲乙も無之、
下見の勾配等御惣庄屋の糺方中正に當ると相見候へは、
御試舛の見立も強チ割起の太キ坪にかたより可申様も無
之、夫に應し御徳懸の割増も程々に有之、下方御請相濟
不及御例候、御内檢は向役と申聚斂の仕形相見候ニ付、
一手永の御百姓を預り御撫育筋取計候御惣庄屋の心とハ
不輕違にて、難忍儀も有之所より、大かた下方ニ就き候
實情有之候、下方に就キ候得は忽中墨を迦れ候ニ付、御
内檢よりハ下贔屓と見なし聚斂の心益強く、すへて下方
の難澁とも可相成事ニ付、只中墨を主としてかたよる事
無之候儀肝要ニて候、安永年中御免方御潤色の砌、御内
檢向ニ被立置候儀御法の一と有之候ヘハ、筋々の御役方
粉骨を盡ても存分正敷不相成ものと可相心得事