津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

御礼

2011-12-31 11:05:41 | 徒然

 東北の大震災、これに伴う福島の原発事故、経済不況、国政の不安定などまさに国難ともいうべき平成21年もいよいよ大晦日となりました。
年が改まれば解決する問題ではありませんが、気持ちを新たにして前進したいものです。

熊本の大晦日は見事なお天気になりました。明日の初日の出もこの分だと拝むことができそうな感じです。
そして私はあと20日ばかりで70歳に突入します。昨年転倒して痛めた膝がまたこの秋から痛み出しましたが、どうやら健康で過ごすことができました。あと五年ばかりPCのキーを叩くことができればと思っています。

ブログのほうはネタ切れ状態で、毎日ひやひやして過ごしておりますが、来年からは少しペースを落として、サイト本来の目的である侍帳の充実に一段と励みたいと思っています。
本年も当サイトをご覧頂き有難う御座いました。厚く御礼申し上げます。

                                 津々堂 敬白

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正月頭

2011-12-29 20:42:21 | 俳句

 
ものぐさの私は、ようやく正月頭を作りに床屋さんに行きました。何方かの句に

                       床屋出てさてこれからの師走かな 

という句がありますが、床屋さんも大賑わいでしばらく待たされてしまいました。晩秋から初冬にかけて続いた暖かさのせいで、街路樹の紅葉も随分遅れていましたがようやくこの時期になって葉を落としています。

                       喧騒の師走や街は落ち葉かな  津々

待合でこんな下らぬ句を作ったりして、今年の句作も終了です。
鷹羽狩行氏に、「スランプのおかげで俳句は上達する」という言葉がありますが。私はそのスランプの真っ只中にあってどうしようもありません。

一年を振り返るTV番組をみると、東北の大震災や福島の原発問題が取り上げられ、記憶を新たにして心が痛みます。
遠く九州の地で生活していると、現実が実感できないこともあって申し訳なさも募ります。ただただ平安をお祈りするばかりです。

                          
                                         
                          
我が家の黒ウサギもお役ごめんと相成り、元の飾り棚に収めました。古希爺は来年早々の誕生日で本格的爺になります。
あと5年なんとかPCのキーを叩かせてもらえる健康を保持したいものだと願っています。

 

 

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忠興の養父

2011-12-28 14:46:50 | 史料

 

 細川幽齋の養父については、実父とされる三淵晴員の実兄・細川元常とする今までの説が昨今大いに揺らぎ始めている。
これはいみじくも、幕府からの問い合わせに対する忠興の言に基づいているから皮肉なものである。
一方忠興の養父であったとされる細川輝経成る人物についても良くわからない。
綿考輯録において編者小野武次郎は、「将軍の命にて細川中務大輔陸奥守輝経主御養子の約有之を以、後迄も大外様と称せらる、然れ共直ニ藤孝君の御許に御座候而、与一郎忠興と御名乗被成宋労、忠の字は織田信忠卿より進せられ宋労となり」と解説する。そして「一書、細川輝経の養子として家督を継、大外様の役也、輝経窂浪の後、本家に帰住して与一郎と唱し、藤孝君の家督となり給ふと云々、又一書、義輝公の仰にて、輝経主の継嗣にならせ給ふ(中略)、又一書、輝経主は永禄八年義輝公御生涯の時、御一同ニ討死と記し、或は天正元年、義輝公信長公と矛盾の時、公方家御家人数の内に輝経主も有、此時御討死とも窂浪とも分り不申・・・・」記す。

ところが、ウイキペディアに於いては次のような説明がなされている。

細川 輝経(ほそかわ てるつね)戦国時代安土桃山時代の武将。細川氏の一族で細川奥州家当主細川晴経の子。官位は陸奥守。妻は松井正之の娘(松井康之の姉)。細川奥州家は南北朝時代に宗家足利尊氏とともに活躍した細川顕氏の子孫である。戦国時代当主は将軍家13代将軍足利義輝から偏諱を賜り、輝経と名乗る。細川藤孝の長男忠興を養子とし、藤孝や一色藤長らと共に将軍家の近習として仕えた。義輝の弟の義昭にも仕え、義昭が織田信長に追放された後も他の幕臣と共に義昭に従い、備後鞆の浦に下向した。その後、養子である忠興の重臣で、輝経の義弟であった松井康之の元に客将として招かれる。関ヶ原の戦いの前には大坂細川邸にて忠興の妻玉子を守る。丹後久美浜城の守将を務めたが、戦後西軍に内通したとして切腹させられた。

 

幽齋公の田邊城籠城の際、敵に内通したことが露見し、息・松井久左衛門昭経とともに逃げのち自殺したと伝えられているが、小野武次郎はこれに触れていないのは何故なのか、これにも首を傾げざるを得ない。

 

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和本のすすめ―江戸を読み解くために

2011-12-27 09:08:23 | 書籍・読書
           和本のすすめ――江戸を読み解くために (岩波新書)
 

【著者紹介】
中野三敏著 : 1935年福岡県に生まれる。1964年早稲田大学大学院修士課程修了。専攻、江戸文学。現在、九州大学名誉教授 

http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn1110/sin_k618.html
 


その他いろいろ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前表紙 
中野三敏  角川学芸出版
江戸の武士から庶民まで、時代を彩った多彩な生活の場面を、人々の愛用した和本から読み解く。和本のうち、活字になっているものは文学を中心にして1パーセント足らずであり、活字にならなかった多くの本にこそ、江戸に暮らした人々の生活が見えてくる。江戸文化の様々な局面を、動物、賭博、易占、言葉遊び、印譜、春本、武家作法などに関する和本から照射する。豊かな文化を見つめ直すための格好の案内書。


  
中野三敏 ぺりかん社 
江戸の出版上・座談会―「板本」をめぐる諸問題;江戸の出版下・座談会―板元・法制・技術・流通・享受;万葉集出版小史;深江屋太郎兵衛の出版活動;「日本小説年表」考黒本・青本を中心に;浄瑠璃中字正本刊行の事情;歌舞伎の出版物を読む―江戸の上演システム・「東海道四谷怪談」のことなど;絵草紙屋追懐;東京鳳文館の歳月;近世における重板・類板の諸問題〔ほか〕




橋口侯之介 平凡社
書物にも作法がある!創業70年の和本専門古書店主が実例にもとづき基礎知識を紹介。


前表紙 
橋口侯之介  平凡社
江戸期の書物事情を“つくる”“売る”“読む”の視点から探索する。『和本入門千年生きる書物の世界』に続く和本専門古書店主による書物考。



 

今田洋三 平凡社
江戸時代のはじめ京都で、出版業は始まった。次いで大坂で、やがて江戸でも、本の商売が興隆する。読者層が拡がる。書目が変わる。統制の制度がつくられ、須原屋とか蔦屋とか、本屋たちの新しい経営戦略が展開される―出版を軸にして近世という時代とその文化を見直すとき、既存の歴史観の殻がやぶける。新しい近世研究を促した名著、待望の再刊。



 

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出ました「肥後藩士上田久兵衛先生略傳並年譜」

2011-12-26 15:36:05 | 史料
肥後藩士上田久兵衛先生略傳並年譜  

舒文堂河島書店

16,000円

鈴木登、 熊本地歴研究会、 1冊、 昭3
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坂の上の雲 熊本のロケ地

2011-12-25 21:32:16 | 熊本

 「坂の上の雲」が終わりましたね。熊本でも下記の場所がロケ地として協力しました。

三角西港、九州海技学校は程近い場所にあります。それぞれ「A列車」にでものってお出でまっせ。
       
http://www.tetsudo.com/news/671/%E4%B8%89%E8%A7%92%E7%B7%9A%E3%81%AB%E8%A6%B3%E5%85%89%E7%89%B9%E6%80%A5%E3%80%8CA%E5%88%97%E8%BB%8A%E3%81%A7%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86%E3%80%8D/
                                    

三角西港

http://www.kabosu100.net/guide/misumi/history.htm

熊本県宇城市
  • 横浜港
    秋山真之と正岡子規が、高橋是清とともにイギリスから購入した最新鋭の軍艦を見に行くシーン
  • 佐世保港
    日露戦争に向かう戦艦「三笠」を人々が見送るシーン

熊本大学五高記念館

http://www.goko.kumamoto-u.ac.jp/

熊本県熊本市
  • 陸軍大学校
    陸軍大学校が招へいしたドイツの陸軍少佐メッケルを出迎えるシーン
  • 大学予備門教室
    秋山真之や正岡子規、それに夏目漱石が「大学予備門」の入学試験を受けるシーン

九州海技学院

http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=119157

熊本県宇城市
  • 子規が亡くなった後、学校に通い始めた「律」を幼なじみの真之が学校の門の前で待つ場面

 

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久しぶりの出久根達郎

2011-12-25 18:23:25 | 書籍・読書
     東京歳時記---今が一番いい時

          河出書房新社

     よくよく考えたら随分出久根達郎を読んでいない。新刊書をサーフィンしていたら発見、又氏の博識ぶりにお目にかかろうかとの思いである。

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ご紹介・・「群雄堂書店」日本戦国史部宣伝係

2011-12-24 23:22:46 | 書籍・読書

                                         f:id:muxia:20111221235326j:image:medium

                                    http://d.hatena.ne.jp/muxia/

                                    http://shiramatsu.sengoku-jidai.com/
                                         お申し込みはこちらから・・・

                               

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スティーブ・ジョブズ Ⅰ・Ⅱ

2011-12-24 10:04:04 | 書籍・読書

 

                 

昨晩はNHKスペシャル「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズ」を観る。   http://www.nhk.or.jp/special/stevejobs/ 
長男が大変な
スティーブ・ジョブズ信奉者で、これはちょっと桁が外れている。当然の事ながらiPhoneも、ベストセラーとなっているウォルター・アイザックソン著の「スティーブ・ジョブズⅠ・Ⅱ」も、発売と同時に手に入れた。

私はといえば長男からいろいろ耳学問しているくらいで、お下がりならぬお上がりのiPhoneの使い方もままならぬ状態である。
勧められて「
スティーブ・ジョブズⅠ・Ⅱ」も読まなければ成らないのだが、こちらは苦労をしても古文書を読むほうが良いのだが、暮れからお正月のゆっくりした時間に読破しようかと考えている。「牛に引かれて善光寺参り」状態である。

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堤勘十郎--往来手形

2011-12-23 17:26:55 | 史料

 

               ★江戸期 熊本細川時代 道中手形(往来手形) 2点 掛軸 真筆保証_画像2

                                   この人物については現況特定できないでいる。

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鉄炮隊・・そのニ

2011-12-23 08:54:37 | 歴史

 熊本市の隣町・菊陽町は、熊本市のベッドタウンとして又多くの大企業が立地し、国道57号線が貫通して郊外型商業施設が集積し発展している。
一方鉄炮小路などという歴史を感じさせる由緒ある集落が存在するなど、古いもの新しいものが混在する魅力的な町である。
何度かご紹介したが、この鉄炮小路は江戸期掃除方に属したいわゆる「地筒」が住まいした所である。

                       http://teppokoji.wordpress.com/

 官職制度考は次のように「新地鉄炮者」を紹介するが、鉄炮小路に該当するのは合志郡大津一ヵ所がそれであろうと思われる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 掃除頭の支配
 新地鉄炮者 236人 公襲封の始置之

此組合志郡大津一ヵ所 ○飽田郡平山村 花立 黒石 楡木 麻生田 兎谷 ○飽託郡保田窪 皆農兵之類古に所謂野武士と云者此類なるべし
右の所々に住居して常に鉄炮を稽古し平日掃除頭の指揮を受城中又は公館庭中庭外の酒掃道造の事をつとむ 定れる歳俸月俸なく渡り地と唱て山林空原の地を開き取て高貮拾石を定とす 一人二町三町又五六町をも自ら耕して給す 平日一刀を帯す事に臨て■刀を帯其外武芸得手に任す 惣代・小頭一人宛
      地筒
大津、平山、麻生田、黒石、花立、兎谷、楡木、保田久保
右仕立之儀は寛永十三年 妙解院(忠利公)御鷹野に御出之節上林甚助へ御意之頃菊池往還を西之境にして合志郡鳥巣村より弁天山目當に立田杉馬場限東之境にして立田山神子松を南之境に極此内に地筒百二十人御仕立鉄炮之者所々より被召抱候事

一給米之儀は御免地一人前野高二十石勤方は一ヶ月五日二人扶持之営を以五斗宛月々被渡下候 御奉公之儀は外様足軽同様相勤可申旨被仰付、小頭は野高
  四十石被下置候
一島原御出馬の節は被召連御本陣御葉串之御番相働二月廿七日総責之節澤村宇右衛門殿手に付申候 三月二日御帰陣之節罷帰申候
一保田久保之儀は阿部彌一右衛門殿承に面寛永十二年より追々仕立に相成宋労事
一大津原地右同年御仕立百人頭吉谷平太夫

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天草本

2011-12-22 18:46:36 | 新聞
今日の熊本日々新聞は、国内に唯一残存する約420年前、天草で印刷された「天草本」と呼ばれるキリスト教布教書の展示が21日、東京・文京区の東洋文庫ミュージアムで始まった事を報じている。
                http://kumanichi.com/news/local/main/20111221006.shtml 
                 http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/ 

天草市河浦というところは、熊本市内から車で3時間半ほどかかり、私は過去一度しかたずねたことがないが、「崎津教会」「大江天主堂」などが残りキリシタンの島であることを実感させられる。このようなところにグーデンベルグ印刷機が持ち込まれ、記事にあるような布教書をはじめ天草本イソップ物語などが印刷されたのである。時代の最先端にあった。
               天草コレジヨ館 http://tenten.kataranna.com/e677.html
               崎津協会  http://washimo-web.jp/Trip/AmakusaTrip/amakusa1.htm
                         http://www.youtube.com/watch?v=-aCS3LKiowg 
               大江天主堂 http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/ooetensyudou.html
                        http://www.youtube.com/watch?v=LFFdhUJb3yc

ところでこの記事を報じた熊本日々新聞社には「新聞博物館」があり、グーデンベルグ印刷機が展示されている。
                        http://kumanichi.com/museum/kiki/museum-kiki-m.html 
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鉄炮隊

2011-12-21 12:35:11 | 史料

 熊本の「葦北鉄炮隊」はあちこちのイベントなどで演武を行い、多くのフアンを魅了している。

                http://www.minamata-hiyori.jp/satsuma/ashikita.html

 

 

その前身である「芦北郡筒」は郡代の支配下にあり430人で構成された。

此組寛永十五年島原の役畢りて始て此備を立らる、平日鉄炮を本業として武芸人々の得手に任す。平日郡代の指揮を受て郡中土木の用を勤む。此又寛永以来人数増あり。
          ○ 21人 久木野
          ○107人 水俣
          ○ 42人 津奈木
          ○103人 湯浦
          ○ 70人 佐敷
          ○ 87人 田浦  高4,540石地士31人に5石宛 小頭四人は10石宛

又、郡代支配の郡筒としては「八代郡筒」がある。61人で構成され「無禄農兵ナリ」とある。
此組天明の初年(3年)八代城警護の為に始て置之、種山・平永35人 高田25人

 

 

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御門番

2011-12-20 19:49:02 | 歴史

 現在、高麗門跡の発掘作業が急ピッチで行われている。旧JP鹿児島本線(在来線)が走っていたところだが、現在在来線は新幹線高架下に移されている。新幹線高架に並べて在来線高架を建設して、再度在来線を移動させるという厄介な工事が続く。

 これにより高麗門の正確な位置や規模などが明らかになる。現地説明会が年末に行われるという話があったが、年も押し詰まりどうやら来年にずれ込むのだろう。楽しみに待っているのだが・・・・

 さて熊本城や御府内を守る諸所の門について「官職制度考」をひもといてみた。

 

 

大番所 城内本丸の警備也 昼夜交番す
      君公東国の時は番兵六人宛衛之 在東京の時は番頭・物頭・大組付交番して衛之

城内所々
 ○耕作門 四人
 ○札門  八人
 ○手取口 四人
 ○数奇屋丸 四人已上切米取番也

 ○頬當門側 足軽六人昼夜守 此門に出入を改事厳なり 皆券帖を以出入す
 ○大手門  足軽五人昼夜二人宛
 ○南北門       同上
                        以上城内所々

公館
 一花畑表門番昼夜二人  足軽以下同
 一同裏門右同
 一裏須戸口同一人
在国                     在府
 一定香番八人 昼二人夜三人     一同六人昼二人
 一寶蔵番六人 昼夜


城門外郭中所々辻番所
 ○流長院構口 昼一人夜二人    有明燈
 ○新堀口右同               同
 ○出京町構口右同            同
 ○長岡監物屋敷下右同         同
 ○住江甚右衛門右同           同
 ○壱丁目門右同              同
 ○長六橋構口右同            同
 ○高麗門辻番三人昼夜一人      同
 ○慶宅坂上門右同
 ○新三丁目門              有明燈
 ○長岡図書屋敷向
 ○坊庵坂上右同
 ○大木彌亮屋敷右同
 ○帯刀屋敷下右同
 ○山崎口辻番四人昼一人夜一人  有明燈
 ○下馬橋右同
 ○同所辻右同
 ○同所南辻右同
 ○追廻田畑木戸口右同
 ○同中辻二ケ所
 ○同北辻右同
 ○所々役所八ケ所
           已上足軽番

他邦より入来る六十六部虚無僧巡禮猿廻其外異色異形の者城下街道の外小徑に入る事を制す

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オークション ★☆ 天草・島原の乱 細川藩史料による 戸田敏夫 ☆★

2011-12-20 15:45:18 | オークション

★☆ 天草・島原の乱 細川藩史料による 戸田敏夫 ☆★ 

即決4,300円って出てますけど・・・・・「日本の古本屋」でも見かけないんで貴重ですよね~

持ってはいるのですが二冊目が欲しくて・・でも、ちょっと考えてしまいますね~

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