台風が消滅してしまいました。今朝ほどまで猛烈な雨と、サッシュを揺さぶるような風が吹きまわりましたが、現在ではすっかり平常の曇り空と云ったところです。私が住んでいるところは大雨の影響もなく、県内のあちこちでは随分降ったようです。明日は二百十日、まだ雨の心配も残っているようですが、どうやら台風は空振りとなりました。ここ五年とか六年とか台風の九州上陸はないのだそうですが、有り難いことです。
あちこちでいろんな災害の報道を聞くたびに申し訳ないような気さえしています。この後数日は雨模様のようですが、皆様には何事も有りませんようお祈りいたします。
元和六年九月十日の内記(忠利)宛て忠興の書状(細川家史料・217)は、筑後柳川藩主田中忠政の死去(八月七日)が伝えられたことに対する返書ともなっている。忠政には嗣子がなくお家断絶となった。御仕置のために派遣されたのが岡田将監(善同)である。
岡田将監内儀被申之由懇切ニ候、われ/\聞候て可然儀候は、可被申由満足ニ候、此地被通
候は其禮可申候、坂崎親類之由、道雲を遣可申候事
この坂崎道雲成る人物は、坂崎出羽守の弟だとする資料が見受けられる。また「細川家主要家臣」には次の様にある。
川崎忠三郎・坂崎清左衛門・内膳正・兵庫介 池田勝入に仕 後蒲生氏郷に仕備頭 小早川秀秋備頭 牢人 忠興に召出される由の所御断(?)
岡田将監と坂崎道雲が親戚であるとする関係は、将監の御内儀の関わりにあるように思える。
細川家家臣としての初代坂崎成政は道雲の養嗣子であるが、筑後牢人岡田修理の二男だとされる。召し出しは忠利代で四百石、追々加増あって綱利代には四千石となっている。筑後牢人ということは田中忠政に仕えていたと考えられ、岡田姓であることからすると岡田将監とも遠戚であったのではないか・・・
まったく憶測の域をでないが、この推理は案外当たっているのではないかと思っている。岡田将監に関する史料を集めたいと思っている。
蔵書の苦しみ (光文社新書) | |
光文社 |
蔵書の苦しみ
溜まりすぎた本は売るべきなのである。スペースやお金の問題だけではない。その時点で、自分に何が必要か、どうしても必要な本かどうかを見極め、新陳代謝をはかる。それが自分を賢くする。蔵書は健全で賢明でなければならない。初版本や美術書など、コレクションとしていいものだけを集め、蔵書を純化させていくやり方もあるだろうが、ほとんどの場合、溜まり過ぎた本は、増えたことで知的生産としての流通が滞り、人間の体で言えば、血の巡りが悪くなる。血液サラサラにするためにも、自分のその時点での鮮度を失った本は、一度手放せばいい。
―と、悟ったようなことを言えるようになったのは、じつは、2011年秋に、身を削るような思いで蔵書の処分をしたからだ。
目次
第一話 蔵書が家を破壊する
第二話 蔵書は健全で賢明でなければならない
第三話 蔵書買い取りのウラ側
第四話 本棚が書斎を堕落させる
第五話 本棚のない蔵書生活
第六話 谷沢永一の場合
第七話 蔵書が燃えた人々
第八話 蔵書のために家を建てました
第九話 トランクルームは役にたつか?
第十話 理想は五百冊
第十一話 男は集める生き物
第十二話 「自炊」は蔵書を解決するか?
第十三話 図書館があれば蔵書はいらない?
第十四話 蔵書処分の最終手段
著者紹介
岡崎武志(おかざきたけし)
1957年大阪府枚方市生まれ。ライター、書評家。書評を中心に執筆活動を続ける。『読書の腕前』(光文社新書)、『昭和三十年代の匂い』『女子の古本屋』(以上、ちくま文庫)、『ご家庭にあった本 古本で見る昭和の生活』(筑摩書房)、『上京する文學 漱石から春樹まで』(新日本出版社)など著書多数。
新暦・旧暦の差はあるが285年前(寛永五年)8月29日の忠利宛て三齋書状に、京都における珍事が紹介されている。
今朝上ゟ舟参候、それニ申来候、餘不思議成儀と書付進之候、板倉所ニねこおどり候事、
ひかり物之事取々申候へ共、そ似たる事を取付申候かと存候處、板倉下屋敷ニ而、ねこ數
多クおとり申候、何もあかき手拭をかつき候由にて候、見申たる者の口にて候、又修學寺
邊ゟ、七月廿五日之暁、大から笠程なる火出候て、内裏之上へとび、落候かと見候ヘハ、
引返しひゑの山へ歸候を、三條之橋から見申たる者、是も直口之由候、きとく成事共候、
右之事とも見申候者両人、名書付て参候、ふかく隠密と申来候ニ付、書中ニ不申候事、
已上
八月廿九日 三齋 花押
越中殿
御返事
ちょっと興味があって調べているが、案の定皆目判らない。どなたかご存じあればご教示願いたい
猛暑が随分長く続いた後二三日雨が降って一息ついていた処ですが、今度は台風がやってきそうです。進路が少し北に上がったようで、直撃は免れそうですがそれでもそれに近いようです。最近は死語になった「二百十日」(今年は九月一日)という言葉がありますが、昔はこの時期に成ると必ずといっていいほど台風がやってきたものですが、地球の温暖化がもたらす気象の変化はびっくりするほどですね・・・・
今でも生暖かい風がカーテンを巻き上げるほどの勢いで唸り声を上げて吹いています。
台風のあと、一気に秋の気配にと願いたいところです。お祭りが近い熊本では、ときおり風に乗って練習の太鼓の音が聞こえています。
まずは大きな被害が出ないように願うばかりです。
誰とは記していないが多分重賢公のお食事であろうと思われる。
誠に質素なものだが、これは度支彙函の「寛延から文化迄節儉號令」にあるもので、侍を始め農町民にこれをしらしめることにより、みずからも節約に努めるようにとの意味合いが見て取れる。
一、上之被召上物、朝御膳は御茶漬之御飯・御香物・御焼味噌・梅干之類ニて被召上、御料理ものハ不及申、御汁も
不被召上候
一、御夜食前、御吸物外ニ御在合之輕キ御肴一種ニて御酒被召上、御夜食ハ御香物・御焼味噌迄ニて被召上候
右之通之御様子は當時之御定規ニて、御保養之為ニも可被為在候得共、兼て飲食之著侈と被遊御意候ニ付、御誡
旁々思召ニも可被為有難有儀御座候間、乍恐右之御様子御家中之面々は不及申、末々ニ至迄奉存候ハゝ、分々之
心得ニも可相成儀ニ付、今年柄之儀彼是組々えも無規度寄々可被申聞置候
「肥後諷刺文学」をみると、宝暦の改革の立役者たちをネタにした落書などが見える。
それは藪市太郎(従兄弟)であったり平井三郎太夫(義弟)であったりするのだが、これがごく近い血縁であったことを知って少々驚いている。
又政敵として重賢公に封書を上げて平太左衛門を攻撃した益田弥一右衛門は、娘婿の父親である。
藪 弥次左衛門---+---久左衛門----+--市太郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (市太郎家)
| (槙庵) | (槐堂)
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| +--茂次郎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (小吉郎家)
| (孤山)
+---●
∥--------堀平太左衛門
堀 二郎大夫 ∥----------+---丹右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 堀家
+------● |
| |
平井杢之允----+---三郎太夫 |
+---民之助(木下氏)
|
+---●
| ∥
益田弥一右衛門--------弥一右衛門 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 益田家
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+---● 西山弥次郎・室
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+---大八(松野亀右衛門養子・・病気にて離縁)
年経れば わが黒髪も白川の みつはぐむまで 老いにけるかな
老女物で能の中で重きを置かれる曲「檜垣ひがき」を題材とする「世阿弥シンポジウム2013 世阿弥の舞い」が9月2日午後3時半から、東京・渋谷の観世能楽堂で開かれる。とかく幽玄、洗練という観点からとらえられがちな名曲に、劇的な身体性を取り戻そうという狙いで、通常とは異なる舞で「檜垣」を見直す実演も行う。若き日に美しい白拍子として多くの人間を魅了した女の霊が老女として出現、生前の業ごうゆえに苦しみ続け、僧に助けを求める。老女らしく「序ノ舞じょのまい」と呼ぶ物静かな舞を見せていた。一方、「老女が過去の恋の情念を燃え上がらせるのを見せるのが作者の世阿弥の狙いだった」という説があり、これまでも一部で「乱拍子らんびょうし」と称する小鼓とシテ(主役)との緊迫感あふれる呼吸の間合いが見どころの舞を取り入れる動きがあった。能が専門の松岡心平東大教授は「戦国時代が終わってから能では美しい舞が重視され、生々しく土俗的要素のある乱拍子は『道成寺』のような曲に限られた。それは、舞手が神がかる憑依ひょうい芸能だった能の身体性を抑圧することにつながった」と語る。根底には、美しく舞ってまとめるような曲ばかりでは、能が小さくなるという考えがある。「世阿弥の原点に立ち返り、能を読み直して閉塞感を打破する契機にしたい」と話す。
シンポジウムでは、松岡教授らの講演に続いて、シテ方の観世清和のほかに、藤田六郎兵衛(笛)、大倉源次郎(小鼓)、亀井広忠(大鼓)という囃子はやしが参加し、舞台で様々な試みを行う。松岡教授は「今年は世阿弥生誕650年。今後も様々な観点から能の再検討を試みたい」と意欲的だ。(電)03・3469・5241。
ヤフオクで落札した「肥後文献叢書・全八巻」が手元に届きましたので、一日堪能しております。デジタルライブラリーも有り難いのですが、やはり現物を手元に置くという事が、こんなに心ゆたかにすることを実感しています。
ここから色々な情報をピックアップしてご紹介したいと思います。
熊本県立大学文学部の馬場良二氏の、『日葡辞書』の肥後方言 が面白い。
私はかねがね熊本弁のルーツとは如何なるものなのかに興味を持っているのだが、これに応えてくれるものに出くわさないでいる。
日葡辞書にいくつかの肥後の言葉があることは承知していたが、これだけのものが数えられるとは知らなかった。
これとて熊本弁のルーツではないのだが、大変興味深い論考である。
幕末の朝廷―若き孝明帝と鷹司関白 (中公叢書) | |
中央公論新社 |