津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■肥後の里山ギャラリー・平成30年度イベントスケジュール

2018-05-31 18:35:21 | 講演会

肥後の里山ギャラリー
平成30年度イベントスケジュール

里山ギャラリー歴史・文化講座2
肥後細川家と天下人たち1 細川家と信長・光秀

           講 師:稲葉 継陽氏(熊本大学教授・永青文庫研究センター長)

           開催日:平成30年6月30日(土)

           時 間:13:30〜15:00

           定 員:60名

           申し込み期間:5月28日(月)〜6月22日(金)

           申し込み方法はこちら

里山ギャラリー歴史・文化講座3
肥後細川家と天下人たち2 細川家の「関ヶ原」

           講 師:稲葉 継陽氏(熊本大学教授・永青文庫研究センター長)

           開催日:平成30年9月15日(土)

           時 間:13:30〜15:00

           定 員:60名

           申し込み期間:8月13日(月)〜9月7日(金)

里山ギャラリー歴史・文化講座4
島田美術館の40年 ―真富翁から島田真祐へ―

           講 師:清川 真潮氏(島田美術館 事務局長)

           開催日:平成30年12月8日(土)

           時 間:13:30〜15:00

           定 員:60名

           申し込み期間:11月5日(月)〜11月30日(金)

里山ギャラリー歴史・文化講座5
肥後細川家と天下人たち3 島原天草一揆と熊本藩

           講 師:稲葉 継陽氏(熊本大学教授・永青文庫研究センター長)

           開催日:平成31年2月9日(土)

           時 間:13:30〜15:00

           定 員:60名

           申し込み期間:平成31年1月7日(月)〜2月1日(金)

コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(10)

2018-05-31 06:18:33 | 史料

 九五
一諸御郡庭帳改革被仰付候ニ付、書開之儀質地・譲地・出
 作等入替之節、各しらへ之儀本地同前彌以厳重清算を
 受、書開運上銀幷御赦免開反懸米等、御土免割手札へ加
 候様及達候
一村ニより御赦立等ニて地方善悪組合受持方相究候分、組
 合之通永久受持御百姓ニ成立之儀勿論ニ候處、病災又は
 無據子細有之受付之儀届兼、内證下作之取組を以致入替
 候様子も有之、地組を崩候ハ容易ならさる事候得共、諸
 帳面之取扱内外有之候てハ難相濟宜ニ付、地組當否を
 糺、相當いたし候ハヽ、有前之通見圖帳を踏へ受持相極
 候様、右之外無據内證入替いたし候類、此節ハ右同様ニ
 被仰付、以來質地譲地高下作之外、不得止事致入替候類
 有之候ハヽ、有筋之趣を以各へ申出、しらへを受候様及
 達候間、精敷相糺不正之筋無之候ハヽ、其趣御郡方へ相
 届被置候様
一御免方儀色々潤色有之、厳重ニ被仰付置候、撫損引等
 前々より御停止候處、間ニ表裏之帳面を拵不正之取計も
 有之哉ニ相聞候ニ付、遂吟味被仰付筋も可有之候得共、
 今度庭帳御改正ニ付、是迄之儀ハ宿習ニ因循いたし候儀
 も有之、被閣、以來之儀屹ト相心得候様及達候間、各よ
 りも此節相改御仕法之通堅相守候様被心用候様
一村々竈數抱高等、當春改奉等被仰付段及達置候、右改帳     竈(カマド)數=世帯數
 案文相渡候間寫相添候、村々しらへ相濟候上各へ可被差
 出候間、右帳面を以歟被改候、御國中人別ニ至り候事ニ
 付改帳等簡易被仰付置候間、改方等も手數ニ成不申候様
 可被申談候
一抱高引分候儀は古格も有之不容易事ニ候得とも、内證煩
 敷筋有之、有筋願出候ハヽ及僉議、抱高多少ニよらす引
 分被仰付ニても可有之段及達候
 右之通被相心得可有申談候事
   寛政十午正月

 九六
                木村元右衛門
                石原瀬左衛門
 右両人庭帳御改正付て差出候間、高地入替有之所々、別
 紙達之趣を以両人へ懸合、諸事申談可有取計候、格別異
 候儀ハ可被相達候事
   正月

 九七
   申談之覺
一庭帳御改正ニ付高地入替有之、異候儀可相達段御書附之
 事
一抱高引分候儀、有筋願出次第夫々御書附之趣を以僉議を
 詰、明細之書附受取相堅可申事
  但、委吟味之趣御書抜被置、御扣込有之度事
一御土免割しらへ之節、人別居屋敷畝番を記、抱高之上ニ
 夫々付紙仕せ置可申候、尤懸屋敷類ハ、竈改之節仕出せ
 可申候、左候て屋敷所持不仕稜々吟味詰置可申候、右之
 通仕せ置候得ハ、第一竈改之儀御土免割を踏候儀ニ付、
 向々見合ニも宜御座候事
一他村出作分、勿論帳末ニ一並ニ仕出せ、村名不洩様記置
 候儀勿論之事
一人別・高出作・質地・譲地等、例之通引しらへ之事
一御同役中より先達て被差出置候御書附、夫々御横目ニ懸
 合之筋と懸合付紙之通、其外之儀ハ及御相談可申事
一庭帳ハ御免割喰違候類ハ、兄弟分り御法立居候付、少高
 引分難成分御救立之類、抱高永久地組受持之類、又ハ御
 土免割後下作ニ遣候類も可有之、外ニハ庭帳と喰違可申
 譯有之間敷事
  但、此類抱高引分之儀、明年より此方取計ニて難相
  成、筋々ニ達相成候趣事
一諸開之事
一恩米等ニて地子居住之竈改之儀ハ追て御達も有之趣ニ相
 聞申候事
一竈改被仰付御達ニ付、追々村方しらへ方相濟、帳面調達
 之村も有之候哉、村方ニより名寄帳各別手入多、入組之
 儀も御座候、近日之内出在相願候所も御座候由ニ付、右
 躰之ヶ所/\何レも出在可仕候間、右之趣御聞置被下候
 様根取中へ達ニ相成候處、此儀被致承知相達申との儀、
 付札ニて申來候事
一御用有御呼出之御受紙面之事
   二月

 九八
   御救立村々入替之儀付て、渡邊殿御存寄原田へ被仰
   聞候聞書
一庭帳御改正ニ付、御救立分も無據子細有之分ハ、高地入
 替之儀御達之通ニ候、然處、御救立と申儀、零落為御取
 立餘計之御出方を以夫々被仰付置、永代譲地至迄、所ニ
 より候てハ受返し被仰付候程之儀ニて、各別相心得、村
 方成立右地方永久受持之儀勿論之處、左も無之内證ニて
 入替いたし候處より、帳面前内外有之趣ニ付、今度御達
 之通被仰付候事ニは候得共、右之通被仰付候付ては、心
 得違いたし、勝手次第質地・譲地ニ遣候ても支不申様成
 行候ては難成事ニ付、右躰之筋有之ハ其趣筋ニより各別
 相達候様、區ニ無之様一統同役中可申談旨
  奉承知候、此儀ニ付被仰付候趣も御座候ハヽ、追々内
  輪ニ煩敷筋出來ニて可有御座哉と、乍憚奉存候と御答
  仕候
 猶又被仰聞候ハ、遠方付て難被閣儀も可有之、御免方之
 儀付てハ、各より御郡代へ兼て懸合も有之事ニ付、右躰
 之筋有之ハ御郡代へ懸合有之候様、左候ハヽ御郡代より
 方等可有之、右之趣ハ御郡代へも渡邊殿より御懸合可    ■扌偏に乄=締
 被置旨被仰聞候事
 奉承知候、被仰聞候趣同役共方申談ニて可有御座と申
 達候

コメント

■武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景

2018-05-30 10:59:36 | 書籍・読書
 武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景 (角川ソフィア文庫)
     
      KADOKAWA/角川学芸出版

慶應大学文学部古文書展示室という大変ありがたいサイトがある。
その中に「石城日記」があるのだが、この本はこの「石城日記」を底本として書かれている。
このサイトを見ながら、この本も買おうと注文したあと「まてよ」と考えた。
同じ著者の「幕末下級武士の絵日記・その暮らしと住まいの風景を読む」という本を持っている。
どうやら出版元をかえ、本の題を変えて再出版されたものらしい。しまったと思ったがまあいい・・・

幕末下級武士の絵日記―その暮らしと住まいの風景を読む

さてこの本の内容は次の如くである。
   幕末の暮らしを忍藩の下級武士が描いた『石城日記』。家族や友人、寺の和尚や料亭の女将たちと仲睦まじく交わり、書を読んで歌を
   唄い、食や酒を大いに楽しむ。家族団樂、褌一丁での読書、素人歌舞伎などの描写は、飄々とした作者の人柄がにじみ出ており、思わ
   ず吹き出すような滑稽味にも溢れている。封建的で厳格な武士社会のイメージを覆し、貧しくも心豊かな人生を謳歌した下級武士たち
   の、真の日常生活がわかる貴重な記録



コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(9)

2018-05-30 06:20:58 | 史料

 八八
   御郡頭衆口達之趣
一新役の面々抔は、内舛抔之節たり共斟酌等敷、上見中入
 込を見合居被申候様之儀も可有之哉之由、御免極之儀ハ
 如何ニも差急候儀ニ付、右躰之儀抔無之、以後ハ差はま
 り兎角果敢取候様、其外萬事史上を用不申、只公平之取
 計有之候様、各より申談被置度候様
一下方下見之仕法、石詰ニ被下見筈之處、其儀却て格例畝
 ニ延畝も有之故、起方も強ク有之抔、不と號之儀申段、
 間違之申分との噂有之候
一試例之儀、各内舛等夫々被入試之上御免極被申候ニ付、
 先二重之試ニ相成候様子ニ付、不入ものニ候得共、只今
 之通ニいたし可申段、尤當時迄之試例ハ、下見等之揃候
 村か、又ハ畝數之不同無之村方を、御惣庄屋此村ニて御
 試可被下段相願仕來申候趣、右ニ付例村ハ一手永之内ニ
 て大躰極居候様成儀被及承、左候ヘハ申分ヶ計之例ニて
 候哉、以後ハ別紙之通、いつれの村ニても各見を以試例
 有之度由
一竈數改方之儀、年久敷無之候ニ付、併此儀ハ大造の儀ニ
 付、來春ニ至候てハ改方ハ支申間敷哉之事、諸御郡見積
 徳懸之節、例之儀此間書附を以及達候通ニ候、當時下方
 例之儀見立坪 (以下缺文)

 八九
   覺  
一諸御郡去秋作不熟之所々、御損引願出候内、御土免より
 上り候毛上を以御損引ニ加り、儉見しらへ之節、御土免
 通り方相成候者有之、作方宜御免合候者ハ御土免通受除
 不申候て難叶候處、不心得之者有之、其上御惣庄屋幷村
 役人共御法之通糺方不行届處より、右之通不都合之様子
 ニ付、以来屹ト入念候様加被申付候段、御郡代へ及達候
 間、高分しらへ之儀各よりも心を付、損高不同之見込ニ
 候ハヽ精々糺方有之、不都合之畝方は指省候様、去秋達
 之通彌以加被申談候事

 九〇
一先達て洪水ニ付、手永村々田畑荒地ニ相成候内、當毛
 荒・極荒・作り替畝とも、夫々取分不申、坪付帳相達見
 分を受申度段、御惣庄屋願書御郡代より被相達候處、當
 毛荒・極荒之取分ニ不及候得共、作り替分は取分候様、
 尤見分受候節迄諸作仕付置不申共、追て植付候見込之坪
 々、作り替畝ニ加へ相しらへ、各見分受候様、此段は同
 役中へも通達有之候様、上益城御郡代へ被及達候間、右
 之趣を以御身分有之候様、右立合御横目役も不被指出候
 間、御見分相濟候ハヽ手永限御蔵納・御給知は打込、古
 新地・御郡間新地・荒地起各別上納、幷畝物等夫々稜を
 分ヶ、しらへ濟次第、一紙帳面各御加印候て早々被相達
 候様、且又當年之儀は、餘計之荒地等出來いたし候所々
 多、各御見分、於村は帳面調達被是混雑之筋も可有之候
 間、手數減候て支不申分作略之儀も御申談、兎角御免極
 に至候て及延引不申様、此段ハ不及申事ニ候得共、各別
 之年柄故御心得ニも相成加申哉と申達候、右之段、御同
 役中へも早々可有御通達候、此段可申達由ニ付如此御座
 候、以上
   寛政九巳七月廿日     御郡方根取中

 九一
一當年も二ノ口米ハ被成御免候、増水夫米は御勘定所小物
 成方え相納候様、御郡代へ及達候間、左様被相心得候様、
 尤二ノ口米之儀、御土免手札ニ差引立候儀は去々年及達
 候通可被相心得候、此段御内檢中へ可有通達候、以上
   三月

 九二
一諸御郡荒地起御物成、御郡間格別上納被仰付置候分、惣
 て元起上納被仰付、格別上納之儀、以來共ニ被差止候
 條、左様歟有御心得候事
   三月           御郡方御奉行中

 九三
            上地御内檢え
一諸御郡御免帳幷寫帳・御代官御算用請方目録等、當時迄
 御郡間おゐてしらへ方有之候處、以來は各へ清算被仰付
 候條、懸り/\出在向ニおゐてしらへ方有之、毎年四月
 限、御郡方へ可被相達候事
  但、しらへ方仕法、御郡方承合有之候様
   三月

 九四
   覺
一御免帳幷受方目録等喰合之諸帳面、別紙目録を以引渡候
 通候間、夫々しらへ相濟候ハヽ取揃、一手永限可有御返
 達候、右外ニも喰合之帳面等直ニ受取被申候分も有之候
 ハヽ、一同ニ加被差出候
一御免帳寫幷受方目録之儀ハ、張こそけ・だみ字等有之候
 てハ決て相濟不申候
一しらへ懸ニ相成居候帳面、違等有之候は付紙用イ置候得
 共、猶委敷引しらへ有之、直方等御申談候様
一御免帳寫、撫高幷免或ハ外引高等も書載來候所々有之候
 間、右様之儀は惣て省方相成候様
一新井手等之費地根帳、御惣庄屋より直ニ受取有之、願之
 節御埒之趣を以しらへ方有之候て、御免帳引合ニ相成候
 様、尤物成懸出シ不盡有之分ハ九ニても揚方相成不申候
 様
一受方目録合方の諸帳面しらへ之儀、定規有之品々ハ前年
 より引しらへ有之、違候分ハ御惣庄屋へ懸合願等御埒之
 書付等披見有之、分り兼候分は御郡方へ御問合有之候様
一御免帳寫幷受方目録之外は、しらへ方之節、諸帳面ニ引
 合之朱有之候様
一右帳面目六ハ御惣庄屋仕出ニて、直ニ御郡方御奉行御算
 用所當ニ調方相成候事ニ候、尤御免帳寫ハ帳面之口ニ各
 扣印、受方目録ハ裏印継印共御用有之候様
一御郡方新地・御山方新地御免帳も、御本方同前しらへ方
 有之、尤寫帳達方ハ無之事ニ付、御免帳内引ニ相成候
 分惣て引、殘物成を受方目録之口ニ立來候間、其見合を
 以しらへ方有之候様
一受方目録御本方御郡方分ハ、當時迄之通堅紙ニ調候様、
 尤今迄ハ御郡間新地方御年貢書上納米銀受方目録と調米
 候得共、以來ハ御郡間新地御年貢諸上納受方目録と調方
 相成候様
一馬恩米・年賦米・神護寺御初穂・鯨油代銀・指懸銀、此
 五稜之儀は御郡方受方目録ニ相立候間、員數等追て書附
 差越歟申候ニ付、小前よりしらへ立ニ不及、右書付前を
 以受方目録しらへ方有之候様
一新地方物成六石以上小庄屋給被下候得共、御損引等ニて
 六石以下ニ相成候分、永荒ニは不被拝領宜御格之通ニ候
一御郡代御足高分ハ別紙書付相添候通ニ候
一御用心苗高物成右同断
一御本方幷古新地御免下合目録引ニ相成不申、御免帳内引
 ニ相成候分書付相添候得共、御郡方分ハ御惣庄屋懸合有
 之、願書御埒之書付等披見有之候様
 右之通御心得しらへ方等御申談候様、尤御免帳ハ御所務
 方根元之帳面ニ有之、且又寫帳受方目録之儀ハ、御代官
 御算用受ニ相成候事ニて、各しらへ方相濟、被相達候へ
 ハ直ニ御算用所へ差越候間、何レも精々被入御念しらへ
 可有之候、左候てしらへ相濟候所々ハ、早速/\御郡方
 へ可被差出候、右之趣出在之面々へハ可有御通達候、已
 上
   三月           御郡方根取中
        上地御内檢衆中

コメント

■堀部家の家紋

2018-05-29 19:10:10 | 歴史

 細川家家臣の家紋帳を眺めていたら堀部家の次郎左衛門系三家と彌兵衛系一家の家紋が少々違うのに気づいた。
朱書きの重蔵・伊右衛門(甚之允系)の二人は、弥兵衛・安兵衛の吉良邸討ち入り後細川家に於いて「遠慮申付」られている。
長兄・三右衛門の当時の消息は現況判らない。次郎左衛門の二男庄兵衛は元禄16年の召出し、弥兵衛の養子・文五郎は少々下って宝永5年の召出しである。
文五郎も討ち入りに加わることを望んだらしいが、弥兵衛は安兵衛亡き後の堀部家を想いこれを許さなかった。
又事件後の連座を恐れ文五郎は実家に帰されている。


竜田藩片桐出雲守家臣  同左・後浪人  浪人・正保4年来・肥後  慶安元年(1648)召出
 堀部助右衛門---弥兵衛---+--次郎左衛門---+--甚之允---+--三右衛門・・・・・・・・・・→甚之允家
             |       |     | 
             |       |     +--重蔵左近右衛門)・・・・・→右学家
             |       |     |  
             |       |     +ーー伊右衛門(成田家養子)
             |       |
             |       +--庄兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・→庄兵衛家
             |         元禄16年(1703)召出
             |                                                     
             +---弥兵衛ーーーーー+==安兵衛====文五郎・・・・・・・・・・・→文五郎家
                      |         ↑
                      +==文五郎ーーーーーーーーー・
                     弥兵衛妻わかの甥・忠見氏

 さて本題の家紋の話、次郎左衛門系三家は「隅立て四ツ目結紋」、弥兵衛系文五郎家は「丸に繋四つ目結紋」である。

                            ちなみにこれが繋四ツ目結紋である。これが丸の中に納まっている。

                    弥兵衛さんの家紋は「四ツ目結二つ」とあるから、こんな感じか?

コメント

■梅雨入り

2018-05-29 16:48:42 | 熊本

      紫陽花やまたるる雨の知らせかな 津々(随分前の駄作)

                                   

 梅雨入りしたことを知ってか知らでか、奥方が私に雨傘を買ってきてくれた。
もっともしばらくは雨の気配はなさそうだ。
 私の傘は持ち主同様すっかり草臥れていて、奥方も気が付いていたのだろう。
随分骨が多い傘で、開くときにガバッと音がするし、姿もまるで蛇の目傘の西洋版といった感じ・・・
膝が痛くなってからますます外出が億劫になり、ましてや雨が降るとなると一層の事だが、さてどこへ出かけましょうか。

コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(8)

2018-05-29 06:57:31 | 史料

 八三
一今日私共御郡間より呼ニ参罷出候處、仁田市郎左衛門殿    仁田市郎左衛門  御鉄炮拾挺頭・御郡頭兼帯 百五十石、外御足五十
 被仰聞候ハ、當秋御免方之儀、去年平太左衛門殿より被             宝暦七年七月~   菊地郡代
 仰聞候通、いつれも相心得候様、當秋も御徳懸之儀、御
 郡代衆へ被任候てハ、萬一存寄之筋被申談儀有之候ても
 其所ニ拘り不申、毛上有前之通取計候様ニとの儀御座
 候、右之趣、同役中え通達仕候様、尤御一手御内檢衆へ
 も御通達被成、御受之儀ハ各様より直ニ根取中ニ御達被
 成候様、有御座度奉存候、以上
 天明四年辰七月廿九日 佐藤・浅井・仁保・神崎・田部

 八四
   覺           上地御内檢え
一在中え被差出候御役人中、於其向々村々失墜ニ不相成様
 可被相心得旨、先年委ク相達置候處、いつとなく相ゆる
 ミ、御役人ニより其守薄く、受取候御扶持方之引切手等
 も、村々へ不相渡、是在中之飯米は出米ニ相成、其外失
 墜多く、自然と村々の出銀増方相成候様子ニ相聞、不埒
 之至候、就中、御内檢中ハ出在から之御役ニ候へハ、別
 て堅可相心得儀候、殊ニ上役之輩守り薄候てハ、附属之
 下役之者迄不ニ相成候儀、勿論之元ニ候條、彌以先年     ■扌偏に乄=締
 相達置候通、屹ト可相心得旨可被相達候、以上
   天明三年八月

 八五
   覺
一諸御郡御徳懸之節、御郡吟味役見聞として差出被來候
 へ共、去々年以來御跡見聞ニ相成候處、當秋よりハ又々
 被差出、手足り不申所々ハ御郡横目被差出筈ニ候、尤御
 徳懸之法ニ拘り申儀ハ無之候へ共、見聞之儀ハ諸御郡共
 不洩様との儀、御郡代へ被及御達候間、左様相心得可申
 候
   助役御郡横目
   青山宇七・西川左蔵・馬淵忠蔵・井場武八
 右之通被差出段及達候、右之趣同役中へ夫々可有通達
 候、以上
   七月 天明五年七月之達

 八六
一天明七年未七月十九日、渡邊善右衛門殿宅ニて田部喜大    渡辺遊水 名は昭常、善右衛門と称し、致仕して遊水と称せり。
 夫・井上森助・下田庄助・高田藤次・小野吉平・武藤         食禄二百石、郡代郡目附、郡頭及び奉行職等を勤む。(略)
 貞右衛門・中村源五へ御内意頭書                   天保七年三月十四日没す。享年九十三。広町安養寺に葬る。
   口達
 當秋豊作と相見奉恐悦候、御免方之儀、兼て被仰付置候
 通、彌以廉直ニ御取計之事

 八七
一出在之節諸事御慎之趣ニハ候得共、別て被入御念、少之
 儀たりとも下方之出方を省、夫仕費なき様ニ心を用被申
 度事
一御用筋御申聞候ても、不埒ニ相心得候儀は急度可有御申
 付候得とも、一通りニても可相濟儀を事々敷被申聞候得
 ハ、猶以間違ニ相成、且内證ハ色々手數掛り、迷惑之筋
 も間ニハ有之様子ニ相聞へ候、ヶ様之儀は御心得ニより
 申事ニ候得ハ、一統ニ得御意候てハ如何ニも候ヘハ、寄
 々御申談候て、御同役中少も申分無之様ニと存候付申入
 候、兎角正道之筋を以、何事も教諭と被存被申聞度事
一御所務之儀は御政務之根本ニて、各於御役前御免極至て
 重き事ニ候、追々御達も有之、ゆるますからまさるやう
 ニ公平ニ心得、役柄之本分被相守候様、彌以堅相心得、
 聊も市場を加へ被申間敷候
一御徳懸割増受合例願出候節、各見立之坪相極、御郡代
 以下ニ立合ニて、先年被仰付置候通、毛上中分之所ニて
 三歩舛を入、決定之上村役人共へ見せ、申分も無之候ハ
 ヽ直ニ三歩例今迄之通、若申出其儀至當之事ニ候ハヽ、
 可有詮議候へ共、中分を不得申分ニて不納得候ハヽ、以
 來小畝ハ畝例、大畝ハ把例歟被相極候、下方見立之坪も
 右同前、撫割合之仕法是又今迄之通、且蟲入等之節ハ、
 毛上不殘中分所難相極儀も可有之哉、右躰之節ハ衆議
 有之、直ニ畝例・把例何れも歟被相極候
  但、小畝ハ大抵五畝以下、大畝五畝以上と被相極、少
  々の多少ハ其所之様子ニ應し候様、把例は縄を以把     
  數致惣把ニ、鬮を置、村庄屋へ開せ、當鬮を以六把例
  相極歟申事
一各内舛入候儀、村方下見地帳を以見分有之、被差急候様
 子ニハ候へ共、先年達之通随分隙取不申様取計、勿論上
 見中所持心を付、徳懸不及延引様前廣ニ手配可被申談候
一高極之儀、御惣庄屋共精々滅詰相極申事ニ候へ共、届兼
 候儀も可有之哉、不都合ニ相見へ候、畝方ハせり詰損高
 を差省候様可被申談候
一坪苅之儀、御格之通可相心得儀勿論ニ候處、近年猥ニ相
 成候所も有之由、各よりも彌以萬事手堅相心得可被申
 候、以上
   寛政六寅七月        御郡頭中

コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(7)

2018-05-28 09:32:15 | 史料

 七九
一諸御郡荒地起方之儀、猶又當三月委細及達候趣ニ付て、
 當年起畝年季受又は畝物起等、各幷御惣庄屋・村役人共
 存寄之儀、追々被相達候分ハ如願及達候
一當三月已然之起畝幷年季受等ニ成居候分之御年貢は、只
 今迄取計來候筋々可致上納候、三月及達候趣付て起畝ニ
 相成分之御年貢、御蔵納御給知古新地・御郡間新地其外
 共一切、當分御郡間上納被仰付置候條可有御達候、尤三
 月以後之起畝分ハ、高物成帳各別致調達、御代官共御算
 用掛り合は指省候様可有御申付候
一右御蔵納小切手納帳之儀、今迄御郡間諸上納通帳打込
 ニ不仕、各別通帳を仕立、何程/\ハ御蔵納御給知古新
 地・御郡間新地當年起畝・畝物起年貢、又ハ何ノ年よ
 り何ノ年迄年季受御年貢、何ノ年分と通帳ニ委ク書記候
 様御申付、尤一ヶ年限ニ不仕、右通帳を年々相用候様可
 有御申付候、此段御仲間中へも可有御通達候
 右之通御郡代へ及達候條、左様被相心得、高物成帳調出
 候ハヽ各幷御内檢可有印形候、尤當三月以後起畝分ハ、
 荒地帳ニも御郡間上納と申儀年々書記申筈ニ候得共、當
 年ハ差懸候儀ニ付、相達被置候帳面ニ付紙を用ひ可被申
 候、右之趣不洩様通達候様、清(請か)書ハ銘々より相達候様可
 有之候事、已上
   卯七月廿八日           御郡間

 八〇
  明和八年卯秋各別之旱損ニ付、左之通
一田方作替之儀相伺申候處、當年之旱損各別之儀ニ付、引
 放、作替分迄を御損引被仰付候間、宜取計申旨根取中
 より申來候、左様御承知、作替分ハ不殘御損方御加へ被
 成、御土免通巻込相成不申候様御しらへ被成候、以上
   八月十九日        尾崎・西上見両人
            御内檢中

 八一
  明和八年九月
一天水所旱損之年柄ハ、田方作替相願候節ハ、願之通作替
 被仰付候上ニて、名寄帳ニ作替分ハ坪々付札仕直せ、尤
 作替と申儀相記申候て村方より差出候節、猶又印形を用
 置候事
  但、御損引之節ハ下見帳一紙之上ニ、内何反何畝何作
  替と相記申筈之事

 八二
   申談之覺
一御免方之儀、各様御精勤之事ニハ候得共、下方相手之御
 勤ニて思召之通届兼候稜も可有之哉、致推察申候、然處
 一昨日平太左衛門殿より御書附を以被仰渡、委敷御口達
 之趣も御座候、依之私共よりも猶又申談候様、御郡頭衆
 被仰聞候間、彌以被入御念、諸事ニ付被御心附、間違之
 儀無之様ニ有御座候事
一御免方御仕法被改二三年之間ハ下見等も漸々と改り、既
 ニ被為賞候所々も段々有之候所、近年いつとなくゆるミ
 候所有之、下見不同にて例割之起方、一例譬ハ十割餘も
 起、今一割と申候て例有之候ヘハ漸々見立儘ニ成候歟<
 強て一二割も起候様なる様子も有之、撫割六割ニて御徳
 懸有之相濟申候、左候てハ十割見込之坪ハ四割之得をい
 たし、二割見込之坪ハ四割之損をいたし、ヶ様成儀ニ付
 儉見先之御仕法立か申哉、御役筋之儀ニ候間必多度御教
 諭有之、相改不申候てハ大切之儀ニ候間、随分御心を被
 用度候事
一下見無甲乙いたし置候、いつれ之坪ニて御例被成候とも
 一言之御断申間敷と申儀、下見帳右書前ニて古來より之
 御法ニて御座候、近年ハ御惣庄屋又ハ村役人共よりも其
 坪ハ見落、其坪ハ畝廣抔と申候て相断候へハ其趣ニ被任
 候儀、畢竟、下方御いとひ御時節故、下方より何歟と申
 分有之候てハ成不申候と御心持も可有御座候得共、右躰
 之儀、下方申分ニ任せ被成り候へハ、村役人共奸計を生
 し、小百姓共難立筋も有之、公事訴訟も出來可申候、屹
 ト無之候ハてハ、下方御いとひと申所却て上之御不仁ニ
 成可申哉と、乍然奉存候間、能々御心を被用度候事
一御徳懸之節、案内帳引之者へ道筋御差圖も有之、見分可
 有之所、只今ハ下方よりも案内し大二て、一通り之道筋
 迄を御見分被成候、内舛之節御見分被置候なとゝ申趣も
 有之候得共、都て左様ニも難成儀と存候、ヶ様成儀下方
 悪癖付申候間、道筋ハ下方不意ニも御見分被成度事
一私共同役内ハ御存之通御同役相勤候者も有之、三四十年
 以前之御免方も用ハ大概存居申候、見積御損引と被仰付
 置候間ハ、御法も全備不仕、所々區々ニ異同も有之時分
 御役所向より之御察討も有之、屹トいたし候御達迄ニて
 心遣も多ク、慎方等之儀も稠敷被仰付、萬端御役前もし
 つまり入候様覺居申候所、御法被改候てハ左様之儀も無
 之候、勤方も心能見及申候以前之趣等御考合被成、此以
 後間違候儀抔出來不仕候様、御心被用度候事
一御損引方之儀、二割五歩了簡米を被為拝領、例之仕法も
 被改、胡麻・大豆御徳懸も被差止、居屋敷土物成上納被
 仰付、其外ニも色々ニ御心附、以前ニは相替り結構成儀
 ニ御座候間、御百姓共忘却不仕様、必多度被仰付候事
一御損引方迄ニ被御心附候てハ、農業出精いたし、すり
 /\之作方ニて御土免ニ通候者も多有之候、ヶ様之者不
 釣合ニて、却て風儀を損候様成儀有之候間、旁以御損引
 方之儀、毛上有前を以屹ト不被相極候てハ難叶儀ニ御座
 候事
一試例之儀、差寄之村ニて例有之と申儀、法之様ニ相成、
 下方其所合點ニて、差寄之村ハ下見も能クいたし置候様
 相見へ候、右下見抔宜村ハ差寄たり共例ニ不及、下見下
 宜畝方多村方ニて例有之候ハヽ、仕くせも直り可申候、
 尤試例之儀一度ニ不限二三度も有之苦る間敷候、且又村
 々下見延引いたし、御徳懸之節ニ至り候てハ、天氣之内
 一日も早ク相濟候様ニと御惣庄屋より申達、御郡代衆よ
 りも挨拶なと有之、無餘儀相聞候得とも、譬、御徳懸隙
 入と申ハ一日歟半日之違ニて可有之候、下見延引之所ハ
 如何相心得候哉、ヶ様之儀、御惣庄屋抔兼て被仰談、下
 見不致延引様有之度候事
一例割之儀ハ、餘計之引高無之筈之儀御座候、程合次第二
 割にて撫合イニ相成候ハ各別之事ニ候、勿論下方より願
 出候例ハ少も引高無之候事
一一村之内免分之分ハ、免切貮御損引支不申候儀勿論之事
 御座候、一免貮て反別迄違居候ヲ引分御損引いたし候
 儀、難叶候事
一御免方一巻之諸帳面ハ、夫々私共へも御見せ可被成候事
一惣躰御徳懸一巻之儀、御法之趣を以、毛上有前相極不申
 候ハてハ難叶事御座候、夫とて毛上不相應之御極方有之
 候てハ、下方可致迷惑候間、精々御心を被用度候事
 右之通申談置候、此上ハ毛上有前を以、正道に御徳懸相
 極候様無御座候ては、御土免通之者々氣受も違可申候
 右之稜々存付候ニ付、及御相談申候、御存寄之儀も御座
 候ハヽ、無御遠慮可被仰聞候、以上
   天明二年寅七月廿三日    御郡御吟味役

コメント

■せきしょうばん

2018-05-28 06:49:13 | 徒然

 いつ廃棄したのかよく覚えていないが、我が家では全く使われたという覚えがない、白磁の差し渡し40センチばかりの縁が丸く内側に丸まった水盤があった。
中には新聞紙に包まれた剣山が入れられていた。
東京から引き上げるときに持って帰って以来一度も使われていないように思う。
祖母に「これはセキショウバン」だと教えられたが、よく理解しないまま今日に至った。

最近植物図鑑を見ていたら、ビオトーブにもってこいの「セキショウ=石菖」という植物を見つけた。
何のことはない、江津湖の上流部の湧水池に繁茂している植物だ。

                      セキショウ サイト季節の花300から引用

ウェブで色々調べていたら「セキショウバン=石菖盤」に行きついた。高価そうな水盤に石菖が刈り込まれて植えられている写真がある。
しかし我が家に在った水盤とは何とも様子が違う。
いろいろググっているうちに大正解のサイトを見つけた。「めだか釣り」というサイトである。これだ・・・・間違いない。
そして何とも素晴らしい水盤である。
HN波平さんは何とも楽しそうに釣りに興じられている。それも釣り竿まで拵えておられると、ある。尊敬してしまう・・・

せせこましい現代を生きる皆さま、この様な心境になってみたいものですよね。
石菖盤は解決し、めだか釣りという遊びを知り萌えの一時を過ごした。

コメント

■不圭角之儀有之・・?

2018-05-27 09:21:23 | 徒然

                                            おなしく不圭角之儀有之たる様子相聞
                                                   不埒之至候以来屹ト相慎候様及達

 現在読んでいるある文書に登場する「不圭角」という語句がどうも理解できない。
最初は不圭ノ角(かど)とか圭角でないとかいろいろ考えたが、後者だろうと結論付けた。
圭角」という語句さえ今回初めて知ったが、weblio辞典は三省堂の大辞林から「〔「圭」は玉の意〕玉にあるかど。転じて、性質や言動にかどがあって、円満でないさま。」としている。

これは不容易に「不」を付けたのではないか・・と、私は考えているのだが如何だろうか。
古文書をよんでいると時折このようなことに出くわす。間違いではないのかと判断したのだが何方かご教示いただけないかと思っている。・・


コメント (1)

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(6)

2018-05-27 07:10:48 | 史料

 七三
   明和七年寅四月上地御内檢御加扶持増方願、付札左
   之通
一此儀容易難叶候得共、各別之筋を以被及御参談左之通
 一三人扶持御加扶持    上内檢
 一貮人扶持御加扶持    地内檢
 右之通被仰付候間、左様相心得可被申候、不及申於在中
 慎方等之儀、去年及達候通彌以堅相心得可被申候、以上
   四月四日            御郡間

 七四
一在中へ被差出候面々慎方之儀に付、委ク被仰付筋有之
 候、當時迄不埒之筋ハ何そ無御座候得共、右之通ニ付
 別て入念不申候てハ不叶事御座候、依之左之通申談候
 一詰小屋ニて一切酒杯取扱不申候様可仕候、村方止宿之
  節ハ勿論之事
 一右同、茶・油・炭・薪諸造用之失墜、一ヶ月限ニ仕上
  可申事
 一右同、飯米立用之儀は一出在限ニ相濟、追て之出入無
  之様ニ加仕候事
 一村々ニて飯米渡方之儀、其時々相濟可申候、束候て追
  て立用と申儀堅仕間敷候事
 一右同、一やニても相應失墜有之分、其時々ニ書出せ可
  申事
 右之通、手代中・村役人中へも被仰付置可被下候、萬一
 飯米立用抔相滞候ハヽ、手代中より無遠慮致催促、急度
 相濟可申候、勿論各様迚も御會釋ヶ間敷儀毛頭無之様、
 御心得被成ニて可有御座候、右之通是迄不相替事ニ御座
 候得共、被仰付筋ニて改申談置候間、為念御聞届居被成
 委御記被置可被下候
   子四月        尾崎・荒巻・西
        玉名御惣庄屋衆中

 七五
   覺
 今度被仰渡候趣奉恐入候、當時迄不埒之筋少も無之候得
 共、右之通ニ付、御互ニ別て入念不申候ハヽ不叶事御座
 候、依之以來左之通
 一ヶ條全文同断
 右之外、萬端ニ付被御心附、聊も勿なる儀無之様御心得
 被成候て可有御座候、且又、手代中は不及申、御惣庄屋
 中たり共毛頭會尺ヶ間敷儀絶て無之候、可被仰談置候、
 為念右之趣御承知被成候との儀、御記被置候様奉存候、
 以上
   子四月        荒巻・尾崎・西
        御内檢中

 七六
   覺
一出高床田畑免極居候所々ハ、畑免懸ニ極る
  但、出高迄御損引願申候ハヽ、床物成上納入念候事
一御歩下御損引願ハ本方ニ准ス
一一徳懸も受不申候て直ニ見積出候村々ハ、中田・早田之
 早熟之内より藁取を受け候様申付筈
  但、極順遅ク不熟之所々ニ應し可申候事
一試例之儀、御書附之通此方より存寄之通可仕候事
一見積相濟候上ニて、若壹人ニても上り方之者ハ通方不叶
一見積場所ニて上地申談、積前算用之通書付相調、立合之
 御横目へも見せ、其上ニて御郡代衆へ可申談事
一居屋敷ハ都て村免掛ニ積加申事
  明和三年戌七月十八日、本山彌平次宅寄合之節、一統
  ニ究候

 七七
一今日御役所より御用御座候ニ付、私共罷出候處、仁田市
 郎左衛門殿口達ニて被仰聞候ハ、諸御郡追々御徳懸時分
 ニ相成申候、今年も去年之通諸事被仰付、御横目役をも
 被差出候、去年ハ所ニより御横目役より存寄之儀有之候
 由、今年之儀ハ御仕法違ニてあの方(ママ)よりハ存寄付不申、
 御横目役は横目役之勤方迄ニて有之筈ニ候、各儀ハ御郡
 代衆申談見込之通御極方第一之事ニ候、御横目役ニ極方
 之儀ニ付、各より何角と相談ニは及不申由被仰聞候、尤
 今日出在無之面々へハ、私共より申通候様被仰聞候、以
 上
   戌八月三日        戸北・高野・前原
  右外ニ慎方、賄賂ヶ間敷儀受不申候様ニとの書附被相
  渡候事

 七八
   覺            御郡代え
一諸御郡荒地之儀、束ね候ては餘計之畝數損失ニ相成居
 候付、開明之儀、追々御達之趣も有之、年季ニて起方ニ
 相成所々も有之候得とも、果敢/\敷開明ハ相決不申
 候、畢竟、何れ之御郡も最安キ所々ハ起方相成候得共、
 相殘分ハ多クハ山崩レ・塘崩レ・土砂居込廻・塘下打ほ
 き又ハ川成抔ニて、開明手に不及類ニて可有之哉、乍然
 右之内ニも、精々心を用ひ、取計之仕法ニよつてハ漸々
 と起方ニ相成可申ヶ所/\加有之候條、御惣庄屋共委ク
 御申付、少々宛ニても開明之致工面候様可有御申付候、
 尤起方丈夫ニ見込有之所々ハ、御出方をも被仰付置、先
 年御達之通年季受之外、相應/\ニ御徳懸をも可差面候
 條、兎角起方ニ相進候様、各ハ勿論御惣庄屋共へも工面
 いたし候様ニ御申付、存寄之趣被相達候様ニと存候
一宮崎平兵衛へも、起方可相成場所心寄有之候ハヽ、各へ
 熟談有之候様及御達候間、存寄申達有之候ハヽ宜御申談
 可有之候、右之通御仲間中へ可有御通達候事
 右之通御郡代へ及達候條、追々荒地改之節心を付、起方
 ニ可相成ヶ所/\ハ、御郡代へ及達候趣を御惣庄屋共へ
 熟談被仕、少々宛ニても起方ニ取計有之、其趣追々此方
 へ可被相達候、此段仲間中御内檢へも可有通達候、以上
   五月八日             御郡間
        藤木・前原・田代・塚本へ當ル

コメント

■赤メダカ

2018-05-26 17:16:49 | 徒然

                                                                               

  落語家・立川談春のエッセイ集に「赤めだか」がある。
この「赤めだか」は、師匠談志が飼っている金魚がいかにも貧相で、談春が密かにそう呼んでいたことに由来する。             

 さて、宝暦の改革で有名な細川重賢公、一方では本草の博物知識でも知られ「錦繡叢」や「毛介綺愌」など採色図鑑などを残している。
そのようなことを知っていたか、あるとき江戸へ出府する某が、大阪で「紅メダカ」なるものを見て人を通じて申し上げるたが、そのようなものがあるはずが無いと叱られてしまう。後日佐田右州なる人が同様「紅メダカ」を見つけて買い求め、フラソコに入れて重賢公に献上したという。重賢公は大変喜ぶと共に、先に叱り付けた某に対して、「自分の誤りであった」と断りを入れられたという。

その値は二尾で百疋だったという。百疋=千文(一貫文)=1/4両とすると、二匹で二万円ほどだろうか。
珍しいものだったのだろうがえらく高い、無駄使いするなとお叱りにならないところは、さすが殿様である。

某なる人「御側に相勤居候が、感涙にたえかねけり」と「槙集記」は記している。
ちなみに佐田右州とは「名は英景、右州と称し、造酒之助と改む。食禄二百五十石、小姓役、使番、中小姓頭小姓頭等を勤む。
多芸多能のひとにして俳辭、散楽、蹴鞠、茗理、篆刻、種樹等皆能くせざるはなし、又頗る剣技に長ぜり。」とある。
文化十四年十二月五日没す。享年五十九。

我が家の「緋メダカ」は1疋70円位だったかな~~ 500円分くらいが黑メダカ・青メダカと一緒に仲良く泳いでいる。

コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(5)

2018-05-26 07:59:35 | ご挨拶

 六九
   覺
一諸御郡御免方之儀、近年は毛上見積ニて、徳懸無シニ歩
 下を以御免極被仰付候、然處、右見積之不委所も有之、
 區々ニ有之候てハ所ニ寄御免極不同有之候ニ付、假令歩
 下を以御免相願候共、損方之分ハ徳懸を受候同前ニ下見
 帳仕立、上地御内檢立會見積候籾高之通ニて難受合所
 々、御法之通御徳懸願出候、左候ハヽ、其場より直二
 御徳懸取懸候様被仰付候間、早速御徳懸を受候儀、少も
 支ヶ間敷無之様相心得候様ニとの趣は、去ル辰年一統
 及達置候處、村役人とも下しらへ等委無之、毛上見積之
 帳面粗メニ有之故、御内檢より徳懸を受相極可申段申聞
 候ても、帳面出來不申、又ハ帳面出來居候ても、徳懸ニ
 は難用様子ニ相聞候、御惣庄屋を初村役人共心得違之事
 ニ候、今年も所ニより歩下願出候ハヽ、精々念を入、損
 方ニ出候分ハ田地一坪/\の毛上を下見仕、帳面等仕立
 置、上地御内檢見分之上、右見積を以御免極かたき所々
 ハ、其場より直ニ御徳懸を受候儀、彌以無支様帳面委相
 しらへ候様、下方へ不洩様申付可有之候
  但、見積ニて難決候節ハ、例様之儀ハ先年相極候通被
  仰付候間、例坪等之儀廉直ニ申談候様、是又可被申付
  候、已上
   六月
 御免方之儀ニ付、御中老より御郡代中へ被及御達候書
 附、各へも及達可申旨ニ付、右之通寫差越候間、被仰付
 候趣被得其意、委敷可被申談候、不及申村々毛上委致見
 分、下見帳之突合候て相極可申候、其上ニて下方受不申
 所ハ、直ニ御徳懸支不申候様ニと、精々被仰付置候事ニ
 付、各えも委敷心を付、右躰之所ハ其場より無味ニ徳懸
 ニて相極可被申候、畢竟、歩下之所ハ手數少ク、第一下
 方勝手ニ宜故、歩下を専ニ青心得、最初より是非歩下に
 て相極巧にて、下見等もしかと不仕様子ニ相聞候、去年
 も所ニより下見帳出來不申、其場より徳懸難成由申出候
 所も有之候、利欲ニ迷ひ申候とハ乍申、被仰付候趣忘却
 いたし候次第不届之事ニ候、御役人も其所ニ心付薄く、
 前後近村之見計も無之極方有之候故、立置候同毛同位之
 村々えも甚不同有之様子相聞候間、右之所ニ心を付、歩
 下ニて受不申所ハ、其場より直ニ徳懸ニて相極候様可被
 申談候、委細ハ猶又歸在之上可申入候
  六月廿八日            御郡間

 七〇
 大豆畝之儀、前々より徳懸畝ニて相極來候處、右御仕法
 ニて上納餘分少ク銘々當用支候所より哉、畝方紛敷事も
 有之様子ニ付、近年畝懸ニて上納被仰付候得共、今以前
 格之通風儀不相改所も有之様子ニ相聞、不埒之事ニ候、
 依之、今年より大豆・胡麻共石數を極メ、年々常規上納
 被極置、畝懸をも不被仰付候間、向後色付帳随分入念、
 少も無間違書出可申候、尤大小豆・胡麻作畝付帳各手前
 ニ受取、青葉之内及吟味申筈ニ候、此上ニても自然心得
 違之者も於有之ハ、其者ハ不及申、村役人共急度被仰付
 筋有之候間、小百姓共委申聞せ、後年共違却無之様ニと
 御郡代中へ及達候間、左様相心得被申、畝付帳迄取、青
 葉之内遂吟味可被申候、以上
   寶暦十四年申四月        御郡間
            上地御内檢中

 七一
一私共今日御役所へ罷出申候處、清原藤蔵方より被申聞候
 ハ、惣躰御郡頭衆へ御郡代衆より御用達御座候節、御郡
 間へ被罷出候節、前廉と違申筋御座候付て、去十月御奉
 行衆より御郡代衆ヘハ直ニ被及御達候由、右ニ付上地御
 内檢中、此以後出在出入答ニ御郡間へ罷出申候節ハ、先
 敷居外ニ差扣へ、相伺申候て、御郡頭衆より御挨拶御座
 候上御間へ罷通り、相答申候様ニとの事ニ御座候、此段
 不洩様申通可申旨被申聞候間、左様御心得被成、御一手
 /\御内檢中へも夫々可被仰談候、以上
   明和四年亥五月十三日  市村辨助 宗村諫右衛門
        下益城上地御内檢え

 七二
一各儀在中へ被差出候節、慎方之儀付ては追々被仰付候趣
 有之、拙者共よりも不絶申達候通ニ候、然處、近年漸々
 と慎方疎ニ成行、飯米等も不被相渡候、間ニは此方より
 催促候て酒杯も給被申候様子ニ相聞、甚不埒之至ニ候、
 必多度出在有之候付てハ、厚キ御詮儀を以相極候御渡方
 之外、分限不相應拝借米も被仰付置候處、聊も其譯を忘
 却之躰ニ成行候てハ、奉對上如何被相心得候哉、誠以言
 語道断の様子ニ候、右之通有之候てハ、拙者共も支配も
 届兼、此節別て奉恐入候、尤各内ニも、是迄右躰之儀潔
 白ニ相心得居申族も有之様子ニ候得共、一統風俗之儀成
 行、存寄難被申達面々も可有之哉、此節存寄等も有之候
 ハヽ、銘々封印を以可被相達候、惣て在役人とも心得之
 儀ニ付、連々稠敷及御達候得共、間々行届不申、近年別
 てゆるみ候様子ニて、毎々ニ其御詮議も有之事ニ候、畢
 竟、御手元より被差出候御役人、前段之通心得違有之儀
 を見透候てハ、下方ニ至り可申様も無之候、左候ヘハ      ■扌偏に乄=締
 一分/\之心得違迄ニ不限、在中一統之風俗之害ニ相成、
 至て重キ事ニ候、此等之趣相心得、相互ニ心をも付、屹
 ト可被相改候
 右之段、先ス拙者共より屹ト可申達旨ニ候、萬一、以來
 右躰之趣相心得候ハヽ急度御糺明有之候様、拙者共より
 も可相達候條、此段も可被承置候事
   明和五年子三月
  右之通、御郡頭仁田市郎左衛門殿より三月廿四日書付
  渡口達候ハ、御國中一統ニ被申聞候由、依之差扣之儀
  相達候ヘハ左之通
 昨夕根取中より紙面参、喜三次罷出申候處、牧殿被申聞
 候ハ、頃日被仰渡之趣付て御郡頭より西村殿へ差扣之儀
 被相尋候處、御奉行衆へ被相伺候を御家老衆へ御伺有之
 候處、今度ハ其分ニて被差置候様ニとの儀ニ御座候、此
 段御奉行衆より作左衛門殿へ被申聞候、御郡頭ハ御両人
 ニて御手之届兼候様成儀、大切至極之事ニて御座候、此
 以後ハ右躰之儀有之候ハヽ、御郡頭衆より被差通間敷由
 ニ御座候、此段上地御内檢衆へ不洩様申通候様ニとの儀
 御座候、以上
  子四月八日 藤木・田代下益城地内檢中へ廻状
 

コメント

■沼田延元跡式

2018-05-25 20:59:25 | 歴史

 細川幽齋室・麝香夫人の甥・沼田延元は寛永元年八月十三日に死去(53歳)している。
寛永元年八月の日帳によると九月十八日の項に次のようにある
   
    沢村大学殿登城、平野九郎右衛門被被指上候時、長岡十五郎殿へ被成 御書候、然ハ勘解由殿知
    行不相替十五殿へ被遣候。十五郎殿千石之分ハ仁平次殿へ被遣候、仁平次殿三百石之内、百五十
    石平野九郎右衛門御加増ニ加被遣之御書、此地奉行衆へも、御書見せ可申旨、被仰下候 以下略

十五郎とは延元の子延之事である。父・延元の知行5,000石を相続したわけである。
35歳という年齢だが、それまでは1,000石を拝領していたことが判る。
その1,000石は収公されそのまま仁平次なる人物に遣わされているがこの人物が誰なのかが良くわからない。
仁平次の所領300石の内、150石が平野九郎右衛門に加増された。残り150石は収公か?

有力家臣の子弟にはこの様に高禄が供されている。故にその父親が亡くなったりすると収公されいろんな家臣への加禄に使われることになる。
このような新陳代謝(?)も興味深いものではある。

コメント

■井田衍義・歛法式令ー十・十一(4)

2018-05-25 06:06:42 | 史料

 六四
一諸御郡御免之儀、近年不毛之上之所々ハ見積を以御足米
 極被仰付候、然處、見積之仕法區々御座候ニ付、當秋よ
 りハ御郡中一統ニ始終御内檢・御惣庄屋・村役人立會見
 積、左候手御郡代へ委細見分之上極方有之候様被仰付候
 條、何レも委敷申談、不當之増減無之様、彌以入念可申
 旨、御書付附之趣奉得其意候
一壹坪/\ニ立會見積仕候得ハ、御徳懸同前ニ隙取ニ相成
 申候間、無油断内廻、一村/\之毛上見居へ置、不毛上
 之村々ハ歩下之積仕出候帳面と、私共見積置候通、御郡
 代衆立會相しらへ相濟可申と奉存候、餘計之御足米願出
 候所ハ、猶又申談候ても難相濟御座候ハヽ、御沙汰之通
 御徳懸被仰付ニて可有御座候、見積之儀は今迄之通相心
 得過申と奉存候
一早田大唐之儀が中田熟方迄ハ見積之日疊も御座候ニ付、
 御徳懸けニて相極過申と奉存候
 右之通何れも打寄申談候趣、書附差上申候、以上
                 上地御内檢共
   七月
[付札]「此儀相達候處、本行之通相心得居候様可致沙汰
    旨、御中老被仰聞候事 七月廿四日」

 六五
一當秋御免歩下願米御免伺目録仕立様之儀、歩下御損引之
 仕法被仰付候、此儀區々ニ無之様ニとの旨、此談御郡代
 衆へも及沙汰候、何レも不洩様可有御通達候事
   八月晦日
 右御郡間ニおゐて高橋次郎右衛門被相渡候事
 今日於御役所高橋次郎右衛門仰聞候ハ、當秋諸御郡御
 免見積之儀、上地御内檢毛上見込之通急度申付相極候
 様相心得可申候、零落高之儀ハ各別之儀ニ候、御郡代衆
 取計ニ候間左様相心得、零落高之申立之儀、心を寄せ不
 申、毛上見積之通取捌候様ニと御奉行衆より可申聞旨、
 被仰聞候由御座候、以上
   九月二日   田代嘉市 藤木忠右衛門承る

 六六
一村々地引合ニ付、正敷帳面被仰付次第之儀は、追々及沙
 汰候通ニて、後來共地方之帳面相違ニ成候ては、折却被
 改候詮も無之儀勿論之事ニ候、以來之儀ハ別て可被入念
 候、依之地引合相濟候所々、萬一無據筋にて地方之振を
 かへ申度趣有之節ハ、其段願出候様、所詮今度引合候て
 相極候地面、内證ニて振を替候儀は決て難叶儀不及申
 候、右躰之儀付てハ、惣て之地引合相濟候以後極置候筋
 も有之候得共、先其内ハ右之通堅過被申付候事
  右之趣、地引合相濟候村々ニは、早速/\書附を以可
  被申談候、以上
 別紙之通御郡代中へ被及沙汰候間、各も此旨相心得、委
 心を付候様可致沙汰旨、御中老より被仰聞候間、左様相
 心得可被申候事
   七月
 右御書附七月廿四日於御役所相渡候事

 六七
   覺
一諸御郡當秋御免方之儀、去七月及沙汰候通、毛上見積を
 以上地御内檢申談、歩下ニて御免相極可申候、尤御内檢
 見込ニ相違之所々ハ委ク徳懸仕筈候間、其節ニ至、下見
 等相達候儀不埒ニ無之様、惣て歩下之儀ハ御徳懸受候覺
 悟ニて、下見帳を拵置候様ニ、都て去年及沙汰候通可被
 得其意候、右仕法之儀ハ所ニより委行届不申様相聞候
 間、今年之儀ハ随分心を付、仕法之趣不致相違様、御惣
 庄屋以下在役人へも夫々可有沙汰候、以上
   七月
 諸御郡當秋御免方之儀、去七月致沙汰候通、未熟之節よ
 り打廻、追々毛上見積置、御郡代・御惣庄屋申談歩下り
 にて御免極可申候、尤下方より申出候歩下り、御内檢見
 込ニ相違之所々ハ、委徳懸候て明白ニ御免極可申候、勿
 論右歩下り之申談之節、御内檢手前ニて滞之事無之様、
 前以よくしらへ置、速ニ沙汰可仕候、去年ハ右仕法之儀
 行不届所も有之たる様子ニ候間、随分心を付、仕法之趣
 不致相違様可申談候、自然仕法之内難相分儀も候ハヽ、
 前以書附相伺可申候
 右之通可令沙汰旨候間、左様可被相心得候、尤御郡代へ
 相渡候御書附別紙寫相添候、以上
   七月
 右巳七月廿三日上地御内檢ハ役所へ被呼出候て、御書附
 相渡候事

 六八
   口達
一諸御郡潮塘・川塘筋・大風・洪水・高潮等ニ而及破損候
 節ハ、早速潮留申付、即刻御役所へも被相達候儀ハ勿論
 之事ニ候、右滞留延引いたし度々潮入候てハ、田畑作毛
 病甚強及損毛御損失ニも相成、且ハ下方も迷惑仕候事候
 間、兼て委ク御惣庄屋へも御申付置、右躰之節無遅滞致
 注進、取計申筈ニ被仰付置候處、達方及延引儀も間々有
 之、御為ニ不相成儀ニ候條、彌以右之通之儀有之節ハ、
 不限日夜致注進候様、左候ハヽ御役人急速差出、御法之
 通相改せ可申候、此儀新敷申達候ニも不及事ニ候得共、
 猶又御仲間中へも御通達、夫々御申付可有之事
   九月
 右之通御郡代中へも及達候、右之趣ハ各へも前々より被
 仰付置候ニ付、新ニ申達候ニ不及事候得共、右躰之節ハ
 随分心を付、無間抜様相心得可被申候、取計之遅滞ニよ
 りてハ莫大之損失も有之儀ニ付、委心を付可被申候事
   九月
       上地御内檢中

コメント