昨日書いた「にたつよりもやあたつ」に対して、悪友が異論を唱えてきた。
私は「にたつよりも、やあたつ」として解説したのだが、句読点の場所が違うのではないかというのである。
すなわち、「にたつより、もやあたつ」で「似た者よりも、燃やした者」ではないかという。
熊本弁では確かに「燃やした=もやあた」といったろう。
今回は御高説を静かに聞いたところだが、「にたつ」は「煮たもの」じゃなかろうなとの話だったが、これは話の前後からするとありえない話で、悪友も納得した。
「焼いた」も「燃やした」もあまり変わらないように思えるが、解説を加えた宇野廉太郎氏によると、薪を1.5m程離れた場所に取り囲むようにして火を放したという。
そうすると「焼いた」が正しいのかもしれない。
「火刑=火炙りの刑」は、火をつける前に命を絶つて実行することもあったようだが、これは苦しみを避けるためである。
この事件は藩の重職がそのような判断していないということは、この事件の凶悪性を大いに認識しての上でのことである。
しかしながら熊本弁はなかなか奥が深い。句読点の打ち方でこのような話になる。
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「にたつ」は「煮たもの」ではないのか、という御友人の解釈は、正しいのではないでしょうか?
江戸期の小咄や頓知話には、現代の感覚では笑えない落ちがけっこう有ります。これも、獄吏が、松五郎に「似た男」と言って慰めたのを、気が動転して理解できなかった女が、「煮たものではなく焼いたもの」と返答した、という、シリアスな話題に小咄的な落ちを盛り込んだ話のように感じます。ちょっと悪趣味ですが。(そうすると、「もやあた(燃やした)」ではない、という事になります。)
度々のコメント済みません。話の筋をよく理解できていなかったようです。
件の女は、地回り役者松五郎の熱烈なファン、近頃言う所の推し活をしていた女だったという事でしょうか?
獄吏が、「松五郎に似た者は他にも居るだろうから、そちらに乗り換えればよい。」と言う風に慰めたのに対し、「にた者よりも焼かれた者」と答えた、という事であれば、津々堂さんの仰るように、「似た者よりも火刑にされた本人」でなければ駄目なのだ、という答えだったように思います。ただその場合でも、この話を書き残した人物は、「似た」と「煮た」を掛けている感じもしますが。