魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

水菅措置

2011年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

自民党の石原幹事長が、個人的意見と言いながら、復興財源を先に論じるより、復興方針が先だ、と言っていたらしい。

全くその通りだと思う。だが、一言、言いたい。
これまで、「財源、財源」と言っていたのは、自民党ではないのか。
ノホホンと、「やりくり論」だけの官僚論理を、政治と勘違いしていた政治屋が、今になって初めて、政治に目覚めたようだ。それも、この土壇場で、しかも、野党の立場だから気づけたのだろう。
やはり人間、土壇場でなければ目覚めない。

これまで、政治というものに、どうにも納得がいかないのは、
「財源なくして政策無し」と、既成事実の踏襲だけの官僚思考や、
「政党は憲政の常道」などと、昭和初期か、平安貴族の、権力闘争や地位争いのような、「おまつりごと」で終始して来たからだ。

石原幹事長の言う復興方針「ヴィジョン」こそが、政治の仕事だ。
その後、この意見は広がって、復興会議でも「財源より復興方針が先だ」ということになったらしい。

帳簿を合わせられない非常時だからこそ、ヴィジョン先行が受け入れられるが、平時でも、本来それが政治の仕事だ。
予算に合わせて仕事が決まるのではなく、仕事に合わせて予算を考え、ひねりだし、双方の折り合いを付けるのが政治だ。

戦争が起こったら、予算など言っていられない。今の事態は、完全に戦争だ。
オッチョコチョイの菅総理は失敗だらけだが、今、首相をかえているような時ではない。選挙と政局を政治だと勘違いしてきた連中が、協力どころか足を引っ張って、自滅している。見限られるのも当然だ。首相の首をすげ替えることより、いかにバックアップするかだ。
野党の方が、よほど冷静だ。

菅総理のオッチョコチョイはエンジンだから?
自動車人間のエンジンについて、本には
「予定外の事態にもすぐ立ち向かおうとするので、しなくても良いことや、してはいけないことまでやってしまいます。これはビックリ屋のパニック行動です」
と書いてあるが、ヘリで現地に飛んだのも、まさにこれで、集中砲火を浴びた。ただし、これについては、事故当時、原子力安全委員会のメンバーはほとんど集まらなかったことが、後でわかった。

ともかく、人一倍、死にものぐるいで頑張っていることは間違いない。ただ、エンジンの欠点は、「何もしないことも行動の内」ということが理解できず、立ち止まって、事態を見極め判断し、方針を伝えることができない。だから、何でも自分がやろうとする。しかも、一端行動を起こすと、他人の言うことを聞かなくなる。

菅政権の命運は6月までと、中国の新聞にまで書かれたら、かえって辞めさせるわけには行かないではないか。
エンジンに必要なものはハンドルの智恵と、ブレーキだ。
与野党、民間、誰でもいい。菅総理をハンドルで固めて補佐してやって欲しい。ダダ漏れの原子力エンジン総理は水菅にして、他で発電するしかない。

ハンドル:優香、真鍋かおり、茉奈・佳奈、中井貴一、阿部寛、京本政樹・・・こんなんじゃダメか