魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

安物買い

2011年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

原発のゴリ押し潮流については、とっくに諦めていたので、いまさら、「だから言ったじゃないか」などと、言う気にもならない。
北朝鮮のミサイルの前に、津波がやってきただけの話だ。

東電清水社長は、保証を口にできる目途が立ったら、謝罪に出てきた。
手みやげのない謝罪には出ないが、保証云々と、多少なりとも自分の顔が立つ部分のある場には出てきて、「謝罪」した。

責務としての対策表明や、ひたすら陳謝ではなく、やることをやっているような顔ができる「自己主張」の「ドヤ謝罪」だ。
シャーシには、自己否定ができない。
(自分を曲げない自殺も一つの自己主張。←この理解は難しい)

原発事故補償については、原発誘致で保証金を貰っていたわけでもないのに、立ち退きや風評被害を受けた自治体は、進んで誘致して恩恵を受けていた自治体にも、賠償を求めるべきだ。

もちろん、誘致した自治体は、これまでの恩恵どころではない被害を被っているから、とても保証などできないだろう。
しかし、目先の利害で、地域興しだと錯覚すれば、どういう事になるか、全国民への、戒めになるだろう。

ソロバンが合わない
今、原発事故によって、日本の受けた損害は、原発によって受けた利益とは比べものにならない、膨大な損失を出している。

日本からの食品輸入制限や、観光客どころの問題ではない。
日本国家、日本人の信用まで失いつつある。
全く関係のない、日本の工業製品まで、忌み嫌われ始めている。

福島から転校した子供が、「放射能がうつる」と、逃げられたことが問題になっているが、世界の人々の放射能に対する認識も、実際、この程度なのだ。

日本人の教養レベルと同じように、世界の人々が、ものごとをわきまえてくれると思ったら、大間違いだ。
いや世界の人々どころか、日本国内でさえ、退避地域から来た子が治療を拒否されたという、信じられないニュースもある。

日本の評判が上がった、ある意味で単純な理由と同じ理由で、簡単に失墜する。
国内での風評被害なら、同じ日本語で暮らしているから解決できる。

しかし、一度世界に広がったイメージは、20年や30年でぬぐい去れない。戦後65年経って、「ドラえもん」や「おしん」が愛されても、日本人は好戦的な民族だというイメージは、全く衰えていない。

原発によって失墜した日本の信用を、逆手にとって、日本にできる唯一のことは、
「日本は、完全に原発を放棄し、自然エネルギー国になる」
と、大々的に宣言することだ。 これこそ逆転の勝機になる。

戦後の出発「一億総懺悔」は、今また、原発に「一億総懺悔」だ。