魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

電気自動車

2009年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

20年ぐらい前に、クリーンエネルギーや交通システムに関心があって、シンポジュウムを聴きに行った。

化石燃料を止めるために、電気自動車にすべきだと思っていたので、最初に、電気自動車の問題点という話を聴いて、目から鱗だった。

自動車に使う電気を、化石燃料で発電していたのでは同じ事だ、という指摘だった。
結局、トータルなエネルギー政策と、交通政策、技術の発展が相まって初めて、クリーン社会が実現するということに気づかされた。

このところ、ようやく電気自動車が現実の商品として話題になるようになってきた。
太陽光発電にしても、日本は進んだ技術を持ちながら、一貫性のない政策や、過去に囚われた原子力政策によって、停滞し、みすみすチャンスを失い、後発国に逆転されてしまった。

太陽光・熱発電などの技術開発が冷や飯を食っている間に、過去のパラダイムにしがみついた、ハイブリッド自動車や原子力発電が、あたかも、優等生のように脚光を浴びている。(射手座の効用

電気自動車には電池という大問題があるが、様々な問題は、これまで人類が果たしてきた技術革新と比べれば、それほど困難な問題とは思えない。
社会全体の「本気度」に掛かっている。
原子力はあまりにもリスクが大きいし、石油はもう終わりだ。
燃料電池がまだ使えないのなら、とりあえず、電気自動車に絞ってはどうだろう。

電気自動車時代になれば
太陽光発電が普及する。ガソリンスタンドは無くなるが、炭屋や油屋がガソリン屋に転換したように、別の産業が生まれる。
夜中にバリバリと騒音をあげるOO族がいなくなる。
車はシンプルになるから、資源消費が押さえられる。

車は馬車の替わりではなく、自転車の替わりに位置づけられだろう。
そうなれば、遠距離には電車などの公共交通機関が発展するだろう。
フェリー列車やレンタカーが発達し、走行は無線やトレースカーなど、管制制御で走るようになるから、運転の必要が無くなる。
あるいは、もっと発展すれば、自動制御のロボット運転になるかも知れない。
このぐらいまでは、極めて簡単に実現可能だ。

問題は、政治がどれぐらいリードできるか。産業が市場迎合を超えてコンセプト生産をできるかだが、最も重要なのは、社会全体がどれぐらい進歩を求めているかだ。

ハイブリッドカーは、エコという点では詐欺だ。
(偽物は本物より複雑だ)
それでも低価格になると爆発的に売れる。社会は本当にエコカーを求めているからだ。
プラグイン電気自動車が150万円ぐらいで出れば、150キロぐらいしか走れなくても爆発的に売れることは疑いない。
それができないのは、やる気がないからだ。乾いたタオルでもう一絞り儲けたいからだ。

おそらくこの状況をぶち破るのは、創生期のホンダのような町工場だろう。電気自動車は町工場レベルの設備があれば、ガソリン車の改造で誰でも造れる。