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占いという もう一つの眼

奥羽越

2011年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

幕末から明治維新、朝敵にされた東北はひどい目にあった。
それも、最も忠義心が強い故だった。
西の新政府になっても、やはり忠義で、日露戦争で膨大な犠牲者を出し、太平洋戦争でもそうであったが、いずれも黙として愚痴を語ることがなかった。

日本成立の前後から、関東・東北には多くの渡来人が移住し、その後も、中央を追われた人々が、幾重にも移っていったが、今日でも東北には蝦夷の文化が根付いている。

蝦夷は、原日本人である縄文人と同根らしく、風貌や感性など、沖縄などとも通じるところがある。
沖縄と東北の中でも、泣きと諦めの文化と、粘っこい頑固さとが入り混じっていて、後者はおそらく渡来人の文化だろう。

大陸から渡来人が来る以前の、縄文時代の日本列島は環太平洋の世界であり、釣り針の研究や、漁業に関する言葉なども説得力があるが、ハワイ語の語感(発声法)と、「プツプツ」弱く切れる感じの沖縄の人の語感とが、似ていることに驚いたことがある。

言語研究と言えば、単語やアクセント、語順の話しか知らないのだが、言葉にはリズムや言葉の相「言語相」のようなものがあって、(よくある外国語の物マネ)長い年月を隔てても、案外これは保たれるのではないかと思っている。

外国語の上手な人は、単語や文法より、まず言葉のリズムを体得する。
山形弁のダニエル・カールなど典型だが、
逆の例として、ドナルド・キーンは、日本人が日本語や日本文化を教わるぐらいの人だが、いまだに、強烈な英語なまりが抜けない。

話を東北文化に戻すと、おそらく縄文から続く、静かで控えめな文化は、江戸弁にも影響して、言葉尻を消すのが江戸の上品とされており、九州のたたみかけるような早口や、関西の二音節語*や「暑い暑い」のような繰り返しの厚かましさとは隔絶している。
*「~やで」の「で」が「De」ではなく「DeE」になる)

ただし、環状言語圏のせいか、福島や北関東は九州と同じ、たたみかけるような話し方をする。主張もきつく、両者が幕末に対峙したのは、何か因縁を感じる。

幕末以来の海王星が戻ってきた。
東北の人はまた故郷を追われる。故郷を追われたユダヤ人は優秀な人材を輩出した。苦境の中で人は研ぎ澄まされる。
幕末明治期には、東北から、新渡戸稲造、新島襄、津田梅子、野口英世、安達峰一郎・・・など、優秀な人材を輩出し、故郷を追われた人々は北海道開拓に貢献した。

この苦境はまた、必ず東北を強くするだろうし、東北の文化が日本に再配分されて、日本人がまた、心の姿を取り戻すことを期待したい。