魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

復興時代(1)

2011年04月14日 | 日記・エッセイ・コラム

終戦直後の童話には、こんなのがあった。うる覚えだが、
・・・
焼け野原になった街で、おじさんは雨風を防いで寝ようと思う。
焼けてしまった我が家の板切れを集めて、掘っ立て小屋を作ろうとするが、釘がない。
でも、あちこちひっくり返すと、曲がった焼け釘が次々見つかる。
ほらここにも、ほらこれも使える・・・

誰の、どういう童話だったか記憶がないが、この部分だけ、やけに頭に残っている。

敗戦時は、無政府状態で、焼け出された人達は、今の贅沢なホームレスより救いがなかった。焼け跡には本当に何もなかったからだ。
それどころか、暴徒が跋扈し、唯一残った土地まで奪われたが、誰も守ってくれなかった。

昭和40年頃まで、都会の金持ちと言えば、ヤミ成金や密輸業など、たいていは得体の知れない素性と、誰でも思っていた。

比較的新しい映画としては「麻雀放浪記」や「肉体の門」は、よく当時の雰囲気を出しているが、その後の映画では制作者が世代交代して、戦前戦後の映画には、全く現実感がない。

今、津波で被災した人達には、焼け釘も残っていない。
しかし、敗戦時と同じではない。曲がりなりにも食料があり、避難所があり、仮設住宅も建つ。暴漢に襲われたり、土地を奪われたりすることもないだろう。

第二の戦後復興と言うが
被災当事者は別として、今の日本人には、まだ居直りがない。
「あるべきものが無い」という発想である限り、保障問題や不手際の批判、失いたくない人達の利権問題など・・・

とても、戦後のような、「何でもやれる復興」の状況にはない。

終戦直後には、停電に文句を言う人も、一ドル360円に文句を言う人もいなかった。と言うより、言ってもどうにもならないから、世論にならなかった。一億総懺悔、一億総お手上げ・・・だった。

毎日の食料に追われる日々、権利を主張しても始まらない日本人は、それぞれが、明日に向かって歩き始めた。

今回の大災害の前で、日本人は自粛し、ボランティアに進んで参加し、あたかも、日本が一丸になっているように見える。
しかし、これは、「まだ大丈夫」の「ゆとり」で考えている。

自分は「ゆとり」があるから、困っている人のために・・・
という姿勢が、あるべき物がないと抗議し、しなければならない事まで自粛し、自分の持ち場を離れてもボランティアに行こうとする。

本当に、日本が復興の力を持つには、日本人一人一人が、「自分の事」に追われ、「不謹慎だ」と、他人を束縛する「ゆとり」も捨てなければならない。
「自粛」主張こそが不謹慎であり、無責任な「ゆとり」思考なのだ。

「不謹慎!」「非国民!」と、国家を信じる「ゆとり」思考で敗戦し、
何でもありの、アプレ、カストリ、デカダンの居直りの中で、日本は復興した。

「不謹慎」などと、「ゆとり」をこいていると、本当に足腰立たない事態になり、しかも、そうなると、他人を中傷していた人間ほどエゴむき出しの行動に走る。「自粛亡国

本当の復興を考えるには、終戦直後を洗い出してみる必要がある。