魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

狼が来た

2011年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

大津波が起こった時
これまで、あれだけの津波情報や、津波警鐘番組が繰り返されてきた日本だから、あまりにも少ない被害者に、世界中が、さすが「TUNAMI」の先進国だと、あっと驚くだろう、と期待した。しかし、結果は無惨なものとなった。被害者の数はいまだに計り知れない。

同じ日、避難指示が出た、紀伊半島や四国の沿岸でも、実際に避難したのは、わずか2%だったそうだ。

一方で、津波に襲われた原発は、いまだに、放射能汚染エリアに入れない状態が続いている。
ロボット先進国とか、小型無人ヘリとか、さんざん聞かされてきた話は一体、何だったんだ。全く理解できない。
それどころか、海外からロボットを貸しましょうと言われる始末だ。

被災地に支援物資が届かないと、報道は既に入っているのに、なぜ、全力投球の自衛隊が、ヘリで投下できないのか、不思議でならなかった。

日本人が傷ついたのは、大災害の不幸だけではない。
日本の経済や技術、先進社会の叡智、そういうものへの信仰やプライドが、ボロボロになった。もちろん対外信用も。

出口からの発想
今になって、防災の専門家が言い出したことは
「災害が起こらないようにすることより、起こった時どうするかを、考えなければならない」

何度も言うことだが、何事に於いても日本は、「入口」しか考えない。
入試、入社、結婚から、一見さんお断り・・・まで
入口を、通すか通さないかで考える。
真珠湾攻撃で「勝った」と思った時から、何も進歩していない。

防災も、入口で防ぐことばかり考えて、防ぎきれずに、起こった場合のことは考えない。起こってしまったら、「お手上げ」になる。

システムより「人間力」とは、とっさの時の対応力のことだ。
「予定や訓練」より、安全避難の意味と、臨機応変な状況判断の思考力を身につけることだ。

どの「程度」で防げるかではなく、「防げない」ものからどう逃れるかだ。
必ず起こる大津波を前提にすれば、あんなバカげた原発設置はあり得ないし、防潮堤に1000億以上かけるのなら、町の再開発をすべきだった。
「予定や避難訓練」は、形骸化するから逃げる人がいなくなる。

悲しい、悔しい