魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

約束の(2)時代考証 

2009年08月16日 | 動物

40歳以下の人には、イメージできないだろうと思う情景の一つが、野良犬が町中を勝手に歩いている風景だ。

古来より、日本には犬が勝手に暮らしていた。
絵巻や浮世絵の中にも、ちゃんと描き残されている。

今、それと同じようなものを想像するとすれば、カラスだ。
人間の中で暮らし、つかず離れずの集団生活をしている。
人間は困ったやつだと思いながらも、直接の害がない限り放っておく。

古典落語の中でも、魚屋の店先で魚を盗んでいくのは犬だったりするから、飼い犬と野良犬との境界は、あまりはっきりしていなかったようだ。
カラスは飼う人もいないが、人なっこい犬には餌をやったり、家で飼ったりしたのだろう。(カラスも餌をやると次から必ず飛んでくる)

縄文人の伝統からすれば、犬は狩りや生活を供にする家族だが、弥生人にとっては家畜だったようだ。(弥生遺跡からは食べた犬の骨が出る)

花咲じいさんは縄文系で、桃太郎は弥生系だ。ついでに言えば、花咲じいさんの隣の意地悪じいさんは弥生系だ。役に立たなければ殺してしまう。(本当は食べてしまったに違いない)

日本の町や村では、昔から、犬とそんな関わりかたをしてきた。
かわいがる人もいれば、野良犬を捕まえて食べてしまう人もいる。
だから、生類憐れみの令は悪者になった。

戦後も昭和30年頃までは、保健所とは別に、犬殺しとか犬捕りという商売があって、それで生計を立てている人がいた。
4~5才の頃、そういう人が、野良犬を捕まえて、河原で殺して皮を剥いでいったのを、子供達が皆見に行ったが、軟弱者だったので、何が起こるか解ったところで引き返した。
見てきた連中が、得意そうに事の子細を話していたが、多分、その連中は、いまでも、躍り食いや、活け作りを喜ぶのだろう。

人権も希薄だった頃は、犬の立場など、カラス以下だった。
カラスには羽根があるが、ネコは三味線の為に捕まったし、犬は毛皮や肉の為に捕まった。逆に、子供が犬の集団に襲われることもあったし、江戸時代には行き倒れが犬に襲われた。

忠犬ハチ公は、そんなワイルド・タウンの時代、犬が厳しくも自由に生きていた時代の話だ。舗装されない土の道の至る所に犬の糞が転がり、ハエが群がっていた。

今の時代、ハチ公が駅に通ったら、3日目には保健所に連れて行かれてしまうだろう。


誤流布

2009年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピックにゴルフを入れるそうだ。
ゴルフがどんなに楽しくても、オリンピックに入れてはアカンやろう。

競技者あたりの必要な競技場面積ということを考えた場合、環境に逆行している。
競技場面積が単に大きいからと言って、マラソンや近代五種、ヨットやトライアスロンとは、意味も内容も違う。

オリンピックと言うことになれば、ゴルフ大学はお笑いぐさでも、国の威信を賭けてゴルフ練習場を増やす国も出るだろう。
そうでなくても、ますます一般に盛んになってゴルフ場が増えれば、バブル期のような森林伐採で、はげ山だらけになる。もちろん色はグリーンだが、森林の機能は失われる。

初めから、森林の育たないような土地や、放牧を主とするような国なら、ゴルフは大いに結構なスポーツだ。

しかし、湿潤で、森が、水害や地震の災害から守ってくれる日本のような土地を、わざわざ、至る所をトラ刈り状態にしている惨状をみれば、山の神も、田の神も、貧乏神に落ちぶれるしかないのだろうと嘆いてきた。

こういうことを世界中に広めることに、オリンピック協会が荷担しようと言うのだから、またも、オリンピックなるものの正体が露呈した。

楽しければ良い。気持ちよければ良いなら、覚醒剤は好きにやらせてやれよ


約束の(1)

2009年08月14日 | 動物

「ハチ公物語」のアメリカ、リメイク番「HACHI」に「約束の犬」のフレーズが付いている。
ヒットしているようで、いろんな番組にも「約束の・・」とタイトルを付けるのが流行っているようだ。

考えてみれば、マニフェスト選挙も「約束選挙」だ。HACHIに「約束」を付けたことと、関係があったかどうか分からないが、今はとにかく、そういう時代なのだろう。

約束とは何だろう。
互いに信用しあって決めること・・・互いに信じ合うこと
互いを認め合うのは水瓶座で、信じるのは魚座だ。
聖書の中の「約束の地」は、神との約束だから運命だ。運命なら山羊座と言うことになる。いずれにしても今の時代の象徴だ。

子供に、「約束したのにィ」と言われると、大人はかなりつらい。
純粋な信頼を裏切ることが、汚れた大人の、純真に訴えるからだ。

それでも、子供は犬と違って、必ずしもそんなに無垢でもない。
相当、小さな子供でも「約束」を持ち出すぐらいなら、それが駆け引きに使えることをどこかで知っている。

人間の言葉の中に、そうした様々の意味、文化が閉じこめられているからだ。
言葉のお蔭で、人間は複雑で幅の広いつながりや、高度な文明を持つようになった。
しかし、時々、それに疲れてしまう。

そんな時に、物言わぬ動物が、癒しとなるのだろう。
言葉のないコミュニケーションの中にある、ウソの無い信頼関係。
その理想の姿が「ハチ公物語」なのだろう。

天王星がちょうど一回りした今。昭和の初めの話がまた脚光を浴びる。
「約束の犬」はこの時代の約束のフレーズだったのだ。


安全宣言でない

2009年08月13日 | 星の流れに

このところ東海で、小さくない地震が続いている。
気象庁は東海大地震とは関係ないと言っている。

関東大震災から86年、天王星は一周して同じ魚座にいる。
この秋、土星もまた同じ天秤座に来る。(2009秋

大天災を表す海王星も、まもなく、安政大地震と同じ魚座に来る。
海王星と天王星が魚座で共鳴して起こった、スマトラ大津波、四川大地震・・・この飛び石が、次に着水するのは(世界地図をみると)???

海王星と天王星の共鳴とは、
水瓶座の天王星が魚座に入り、魚座の海王星が水瓶座に入り、相互に強調し合う状態で、
爆発的+大災害をもたらす。

この後、天王星は魚座から去るが、替わって海王星が、本来の魚座に来れば最大の魚座パワーを発揮する。
むしろ、大災害が恒常化し、驚かなくなるのかも知れない。

気象庁は、注意報ぐらい出しても良いのでは。


ゴミ箱

2009年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

財源論は、成人年齢の引き下げ反対と同じだ。
「現状」とつじつまが合うかだけに囚われて、大局を見失う。
何の発展も改良もない発想だ。それどころか、衰退と滅びへの引力だ。

いつまでもあると思うな親と金
成人年齢引き下げに反対するのは、いかにも過保護な母親と若者が多かった。渡辺えりも汗を吹き出しながら反対していた。
「今ある姿」だけで考える人は、何で今、それがあるのか忘れている。
過保護ゆえに幼児化した人間を見て、さらに保護しようとする。

好景気の頃から、福祉、教育などは、お金論議だけの悪循環に陥り、とうとう破綻状態になった。役人の放漫も金権主義からだ。

教育も、ひたすら平等と高学歴だけが目標になり、進学対策ばかりで、偏差値が教育の成果のように思われている。その結果、人間教育が破綻した。

いずれも、金余りの中で、目先の満足だけを追求した結果で、
過保護が、母親のヒマから始まることと、まったく同じ理屈だ。

みんなに平等にお金が配られ、受験勉強のテクニックが教えてもらえるような、ひたすら小さな満足のばらまきが政治と言えるのか、
いざという時に、救ってくれる保証こそが重要なのではなかろうか。

目くそ鼻くそ
財源論は、現状維持を前提に、どこにお金があるんだと言う、つじつま論だが、その現状がとっくに失われているのに、相変わらず、腐ったパイの、ばらまき方で言い争っている。(無人島

今、国民が求めているものは、「新天地」なのだ。
日本をどんな国にするのか。その為には、これが必要で、こんなことをする。それには、こんな困難や失うものがありますが、一緒に国造りをしませんか

そういう、正直で誠意のある情熱を見せてもらえば、国民は熱狂するだろう。
将来像がどこにもないのに、ゴミ箱から何を選べと言うのか

小泉元総理の「米百俵」はネコ騙しだったが、
今こそ、本当の「米百俵」の使い方を示して欲しい。


捨て身で言って欲しいこと
年金を廃止して、税による最終保証。定年と定期採用の廃止。所得税を止め食料品などをのぞく高率消費税導入・・・切りがないが

とにかく、「制度の単純化」が最大目標だ。
制度が単純になれば、国民の目が届きやすくなる。役人も減らせる。


ウソの生年月日(2)

2009年08月11日 | 占いばなし

虚言癖
取りあえずウソの生年月日を言う人がいる。(答えないのではない)
生年月日を聞かれても、うかつに「本当のこと」を言ったら危ない、と考える人だ。近頃では、個人情報の問題もあって、ますます増えた。しかし、「アホ言うモンがアホ」の理屈で、実は、こういう人こそ信用できない人だ。

占い師に、わざとウソの生年月日を言う人もいる。
占い師の能力を試してやろうと考える人や、占いにケチをつけてやろうと考えている人だ。
あまりにもかけ離れた結果が出る時は、すぐ分かってしまうが、
当てものではないから「うそでしょう」とは言わない。
要するに、そういう人だと言うことを内心、把握するだけだ。

こういう人は、何を言っても、要するに、信用できない人だ。
例え、見抜かれて「恐れ入りました」と言っても、表面だけだから、無駄な駆け引きをしても切りがない。だまされておく方が賢明だ。

しかし、第三者について占っている時は、あまりにも話が合わないと、時々「生年月日が違ってませんか?」と言うこともある。

ところが
ウソにせよ間違いにせよ、告げられた生年月日が違っているのに、結果として、同じ星が出てくることがよくある。

植木等は戸籍の生年月日が、手違いから、本当の生年月日より2ヶ月遅れていたのだそうだが、どちらも同じタイプの性格がでる。

同僚との付き合いで困った二人が、困った君の生年月日を照合したら全然違う日を聞いて来た。どちらかがウソか両方ともウソか、占いで見てみると、偶然にも同じ星になっている。しかも、その星の性格に二人とも痛く同意する。一応それと仮定して、対処法を話しておいたら、うまく付き合えるようになったのだそうだ。
本当の生年月日は分からないが、占いは有効だったことになる。

こういうことからも、占いの生年月日や星というものが、科学と同じような解析の対象ではなく、合理的解決を導くインスピレーションのヒントだと考えられる。

卜星相の一体性の観点で考えると、生年月日も卦象と同じものであり、偶然に出てきたことは、背後にある「大きな必然」に繋がっている。

巡り巡って同じ結果になる・・・

正解のウソ
森羅万象、何事もそうなのだが、つじつまの合うことが一番、怪しい。
科学と同じように、政治経済まで、知識のつじつまを合わせようとすれば、たちまち道を誤る。
もちろん、科学こそ、権威や既成概念にとらわれたらそこで命を失う。

「ほんとうのこと」など、人間が理解できるはずがない。
その謙虚な前提で、なんとか正しい答えを出そうとするなら、理詰めより直観に従うべきだろう。

決して民主党に味方するわけではないが、財源を突けば正論になると思っているような感覚は、それ自体が危険だ。

明治の初めも、終戦直後も、財源など考えているヒマはなかった。


ウソの生年月日(1)

2009年08月10日 | 占いばなし

公開している生年月日や、戸籍の生年月日が、本当の誕生日ではないことは少なくない。

芸能人が若く言うのは、半ば常識で、誰も驚かない。若くなければ商品価値が落ちる芸能人とは、性的魅力を売り物にしていることになる。美貌や愛嬌は性的商品ということだ。
だから、ジャンルが違う久本雅美の年齢詐称告白は笑い話になった。

「女に年齢を聞くのは失礼よ」と言う人も、自ら性を売り物にしていることを宣言しているようなものだ。まあ、これを言ってしまえば、あらゆる美容産業は実もフタもないわけだが。

性的価値は、何も、見た目だけではない。芸術家も実業家も、様々な自己アピールはすべて、生き残りを賭けたDNAの宣伝だ。

戸籍と誕生日が違うケースでは
年末生まれを、めでたい正月の1月1日にする場合や、学齢末生まれを、幼すぎてかわいそうだと、次の年度になる4月2日にする場合がよくある。

ここで余談だが、何で4月1日でないのかと、混乱することがある。
うっかりしやすいことなのだが、誕生日とは、既に、次の歳が始まる日だ。

20歳の誕生日は、丸20年が過ぎて、20歳と1日目で、既に21歳が始まっている。
4月1日生まれは、3月31日までの満年齢の仲間なのだ。
と言うことは、30歳までに結婚しなければ、と言っている29歳は、もう30年目を日々過ごしている・・・かなしい、かなしい

旧暦の国
東洋では旧暦で生活している人たちが、少なくない。
戦後の日本人には無くなったし、旧正月を祝う中国人でも無くなったが、韓国人などは、いまだに旧暦で誕生日を言う人がいる。
日本人でも、戦前の生まれでは、旧正月生まれで正夫という人もいるが、
金正日も旧暦の正月2日生まれだから、「正」の字なのだろうか。
5まで数えられても、6は数えたくないらしい。

※「正」の字は5を数える時に使う


世相ですな

2009年08月09日 | 星の流れに

あまり興味はないが、
酒井法子の名前については、これまで読んでいただいた方なら、すぐ、ピンと来るはずだ。

画数などは関係ない
魚座時代。「酒」はそのものズバリだし、今年は木星→水瓶座で「井」。

「法」とは法律のことではない。もともと、宇宙の「理法」のことで、それを人間界に設定したものを「法」律と呼んでいる。
だから「規範」の意味で「規」=「のり」=「法」→のりこ

と言うことは、「法子」が天の法、神仏の法なら、これも、水瓶座と言うことになる。

そして、酒井法子は、2月14日バレンタインデー生まれの水瓶座だ。
(この日生まれは「とんでる」と言うか、妙に虫のいい人が多い)

木星が来た人は、良いことも悪いことも表面化する。
なお、できちゃった婚は天王星が通過中の10年前。これが因果の始まりなのだろう。水瓶座は夫で運が変わる。

今回の事件は、今年の世相現象の必然だ。
酒井法子ショックは不幸中の幸いかも知れない(これは芋の蔓だ)

当惑しているのが獅子座の「サンミュージック」だが
これは、ご愛敬


光と影

2009年08月08日 | 星の流れに

天王星→魚座の終わりがせまり、世の中、魚座狂乱で、これで魚座がおとなしくなるかと言えば、そうでもない。入れ替わって本命の海王星が魚座にやってくる。

しかし、天王星による「改革」は、既に起こりつつある。
ペット問題がこれほど大きくなれば、法律も変わるだろう。
薬物や酒タバコの業界も変わりつつあるし、映画産業も変わるだろう。
盗難が相次ぐ仏像ブームも、ゆるキャラも、そしてもちろんロボットも、全部、魚座だ。
来年、木星が魚座に来ればピークに達して、大変革となる。

芸能界の薬物汚染も、いよいよ来るところまで来ているようだが、芸能界そのものが魚座だから、夢、虚像、薬物は初めから一体のものだ。

人は何で、仏像を造るのか
人は何で、物語を創るのか
人は何で、酒やたばこを好むのか
人は何で、歌い踊るのか
人は何で、ペットを飼うのか
人は何で、鏡を見るのか
人は何で、絵や写真に写そうとするのか
人は何で、霊を信じるのか
人は何で、化粧をするのか

こういうことすべてが、人間ならではの、自己の追求だ。
客観的な自分、もう一人の自分に出会い、対峙する。

光があって影がある。影を見つめて自分を確認する。
もし影がなかったら、もし鏡を見なければ、自分がいることさえ気づかない。しかし、影や映像が自分かと言えばそうではない。

正体のわからない自分というものを、影を通して、おぼろげながら確認する。それが行きすぎると、影こそが自分になる。

性同一性とか、コスプレとか、すべて魚座時代ならではの現象だ。
もちろん、スターも、自分の「夢」をたくす影だ。

では、「影」自身は、何で自分を確認するのか、
ファンの反応、ギャラ、露出度・・・そういうモノから逃れ、自分を確かめるためにさらに、逆説的に虚構を求める。
つまり、他動的な仮想ではなく、自分自身に内在する仮想を追求したくなる。
芸能界の薬物汚染には、そうした要因もあるのではなかろうか。

しかし、なんと言っても元凶は、目の前に薬物工場があることだ。


やれやれ

2009年08月07日 | 動物

今年もツバメが早くからやって来た。
3月末のまだ寒い時だが、「去年のこと」があるから、卵を産む前に吹き付け壁にポリプロピレンの版を貼り付けた。

慌てて行ったDIYショップに、薄いツルツル板はポリプロピレン、しかもオレンジしかない。
どうかなあと思ったが、とにかく急いでいたので、それを買って帰って急いで貼り付けた。

ヘビ除けに、反り返りの裾も付けたので、ツバメも嫌がって来ないかも知れないが、それならそれで気楽で良いと思った。
しかし、まったく気にする様子もなく、その夜も泊まり込んでいる。

やがて、4月初め頃、二羽で夜を過ごし始めた。
『いよいよ、卵を産むのかな』と思っていると、翌日からいなくなった。
一週間ほどして、また、二羽いる。
二日ほどいたが、またいなくなった。

今度はメス?一羽だけいたが、これもいなくなった。

どうも、「お泊まり」をしてもらっても、気に入られないらしい。
そりゃ、そうだろう、
こんな、オレンジ板で囲まれていたのでは、落ち着かない。
ツバメがどれぐらい識別力や好みがあるか知らないが、色のせいかもしれないし、パネルの張り方のせいかもしれない。

それにしても、確か、去年ふ化しなかった卵が一個残っていたはずなのにどうしたんだろう。不思議だったが、のぞきもしなかった。

とうとう、5月中頃からまったく姿を見かけなくなった。
あきらめたなと、妙にホットして、気楽な毎日を過ごしていたのだが、6月になって、また巣のチェックに来ているのを発見。

一羽なのに、巣に来て、
チー、ジュジュジュジュ、チー
と、求愛鳴きをしている。
もてない君、とうとう狂ったか、
可愛そうでもあり、申し訳なくもあり、
でも、順調でヘビにやられるよりは良いだろうとも思う。

6月の末、巣の中のものが全部掻き出されて、去年の卵も一つ落ちていた。
『なんだ、あのバカ、一度も巣の整備をしていなかったんだ!』

いや、バカは行ってしまって、遅ればせに来た切れ者かも知れない。
去年、ヘビにやられた気配のまま、卵まで残っているのに、メスを勧誘していたバカさ加減と、図々しさにあきれてしまった。

それにしても、周辺のツバメはみな巣立って、あちこちで幼稚園みたいな、おぼつかないツバメ集団が飛んでいる時だ。
今更遅いだろう・・・かわいそうに
そう思っていた、7月初め。夜、一羽が巣にいる。卵を産んだらこれまでは、二羽ともいたのに、一羽だけだから、わけがわからない。

翌日、留守中に、棒の先に付けたミニ鏡でのぞいてみると、卵が五個並んでいる!

その後、三羽が孵った段階で、エサやりを始めたのだが、どうにも不可解なことだらけだ???

遅い季節だから、三羽に集中したのはわかるとしても、
卵を温めている間、一羽だけで、オス?は夜来なかった。

三羽が孵った後も、一晩、二晩は親が一羽いて、残った卵を温めようとしたが、ヒナに邪魔され、とうとうあきらめたらしく、まだ目もあかないヒナを残して、夜、親は来なくなった。
普通にあることなのかも知れないが、不思議で心配だ。
それでも、昼間は、二羽でエサをやり続け、8月2日ちゃんと巣立った。
今夜もまだ、三兄弟が帰ってきている。
(webカメラ。下がオレンジの裾板)

200908061850

オスは夜、追い出されているし、ヒナは、子供部屋に置き去りだし・・・
どうも、雌も雄も、子育て一年生なのか、それとも、ツバメも現代風なのだろうか、おんぶに抱っこで育てる執着は、無いらしい。

でも、虐待はしていない。

P.S.12日の夜まで帰ってきたが、13日から帰らなくなった。


人物整理

2009年08月06日 | 占いばなし

星新一と山口瞳
どちらも大正末年の生まれだ。
作家の寿命は一般的に短いが、その中でも、どちらも短命の方だろう。
世代的に、食料に恵まれなかったこともあるだろうが、
おそらく、短編の売れっ子は、長編作家より、生活が乱れやすいのではないのだろうか。

短い作品は楽なように思えるが、長編のように一貫した意識の持続が無く、生活リズムから切り離されている。
しかも、ストーリーを完結させるエネルギーは、長編短編にかかわらず、同じエネルギーを必要とするのかも知れない。

アイデアを、たゆまず出していくことは、まるで、毎日、心臓をえぐられるプロメティウスだ。
象の50年と、ネズミの50年。ネズミの営みの方がしんどそうだ。

大スター
昭和33年が六白のスーパースター特異年であることを言ったが、
同じく六白の、昭和6年は、
ジェームス・ディーン、市川雷蔵、勝新太郎、高倉健
やっぱり、スーパースターの当たり年。

個人的には、市川雷蔵だ。
決して美形ではない。しかし、単なる男前を通り越している。
映画全盛期もあったのだろうが、もう、観ているだけでストーリなんか忘れてしまう。
しかし、今、生きていたら、どうかは、あまり想像したくない。

することが似てる
NHK、黒崎めぐみと、小野文恵はまったく同じ生年月日だ。
どちらも東大で、海外に縁がある。
生年月日の同じ人はいくらでもいる。しかし、同じ仕事で有名になる必然はないはずなのだが・・・

石ノ森章太郎と、松本零士が同じ。
石原慎太郎と、五木寛之も同じだ。
野際陽子と、市原悦子も同じ。
円広志と、関根勤も・・・
高橋由伸と、上原浩治も
マナ、カナも同じ・・・当たり前だッ!


本音トーク

2009年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

クリントン元大統領は、予定通り人質を連れて帰った。
金正日はどうしても、米大統領または同等の人物と、直接話をしたかった。
近年の北朝鮮の動きを見ていると、それだけが目的のように思えた。

それが正解なら、今回、金正日が話したことは想像がつく。
数年前からそうではないかと思っていたが、口には出せない。

誰も、一言も触れないことだが、あの性格ならあり得ることだ。
推測の条件として、
金正日は奇をてらうがバカではない。それでいて、お人好しだ。

何を言ったのかは、最終的に、わかるだろう。

なお、
今年は木星・水瓶で、今がそのピークの太陽・獅子座の時期であり、
金正日は水瓶座で、クリントンは獅子座だ。(2007年の瀬
クリントンの表情は、到着時、非常に硬かったが、帰る時は笑いをこらえんばかりの表情だった。

どうするどうする


無人島

2009年08月04日 | 日記・エッセイ・コラム

「もし、無人島に、この二人ならどっちを選ぶ?」
・・・と、究極の選択を迫るヤツがある。

こんな馬鹿な質問に、まったく答える必要はない。

しかし、たいていのお人好しは、選んでしまう。
ちょっと、意地のある人は、
「どちらも選ばず、一生、独身でいます!」
と、答えるかも知れない。

「どっちもダメな奴」を選べ、という馬鹿げた仮定の質問には答えない人でも、
「自民党か、民主党か、ここは二大政島ですよ」と言われれば、
まじめに選ぶ。

無人島にダメな奴や、犬やロバしかいなかったとしたら、根性のある人なら、結婚なんか考えない。

志の高い人は、自分で筏を組んで大海原に乗り出すだろう。

若者に頼む
どっかの党に参加したり、応援しようとしても、この島には、もう食料も無い。

このさい。一か八か、維新の若者のように、手探りで自分たちの未来を造って欲しい。幕末維新には、至る所で若者が徒党を組んだ。

どこでもいい、何でもいい。サ-クルのノリで自分たちの候補をつくって選挙に出る時だ。
当然そのためには、勉強や調査も必要だ。
若者にはしがらみがない。「この指止まれ」で、2、3人から始めればいい。
パワーがあれば、資金もいらない。供託金もサークルやパー券のノリで集まる。それが若者の強みだ。
政党や、憲政の常道・・・そんなものは、無視すべきだ。
最大のネックは、立候補条件が25歳以上だが、
しかし、それも探せばいい。次の選挙でもいい。

腐りきった日本を自分たちのものにする チャンスだ!

ついでに言えば、
ヒマになった年寄りもだが、これは、放って置いても、やるなと言っても、やるだろう。

だから、若者は、文句を言う前に、自分たちでやればいい。


キジも鳴かずば

2009年08月03日 | 占いばなし

被害者が100%正義とは限らない。
事件の詳細は知らないが、板橋のアルバイト店員(25)が「株や宝くじで数億儲けた」と話していることを、聞いた連中に殺された。

話すのは、何を話そうとタダだ。何のためにそんな話をしたのかは分からないが、25歳というから七赤か八白だが、七赤ならあるかもしれない。

七赤は口を表す。適当なことや皮肉を、その場の雰囲気でチョコチョコしゃべる。飲み屋の客あしらいが最適といわれる。
三碧や六白のように「デッカイ」話をするわけではないが、人の話の相の手としては「えっ」と言うようなこともしゃべる。

想像だが・・・例えば
誰かが、「競馬で100万儲けたぜーィ」などと騒いでいたら「あ、俺も宝くじでね・・・」と、サラリと嫌み混じりで言いかねない。
追求されれば、まことしやかに説明する。

まともな人なら信用しないが、とりあえず、場の雰囲気はぶちこわしになる。七赤は口先だけで、盛り上げも盛り下げも自由自在だ。

盛り下げられたヤツは、なんか悔しいけど、ホントかも知れない。
もともと誇大妄想の自慢家だから、今度はその話で自慢して回る。
「俺のダチなんかよう・・・」

三分の理


花火で夏

2009年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

花火大会を止めるところがあるそうだ。
不景気でも異常気象でも、花火ぐらいは上げて欲しい。
幸い、琵琶湖大花火大会は7日にあるらしい。

この時期、琵琶湖は花火の国になる。
花火は水辺と、お定まりだから、
琵琶湖の周りでは、大小、至る所で花火大会がある。

なにしろ、水辺の市町村が、湖を挟んで互いに向かい合っているから、
こちらと向こうの花火大会が、同じ日になる。

しかも、水辺に上がる花火は、鏡富士ならぬ鏡花火になるから、
一気、三倍の狂乱花火だ。

数年前
守山の花火を見に行ったら、会場が分からないうちに暗くなり、突然、ポーン、ポーンと上がり始めた。
「あ、あそこか」と思って、そっちに向かおうとしたら、
後ろで、ポポーン、ポン、ポンと光る。

「え、え??」と、見ると、前も後ろも花火が上がっている。
『聞いてないよ~!』と、どっちに行って良いか分からなくなり、とりあえず、近い後ろに引き返すと、すぐ終わってしまった。
最初のは、まだ続いているから、あっちが本命だったかと、向かおうとするが、車が渋滞して進めない。
結局、到達できないまま、車から眺めて終わった。

もっと早く出てくれば良かったな・・・と思いながら、琵琶湖大橋まで引き返すと、橋のたもとでボン、ボンと、上がっている。
なんだ、ここにいれば良かった。と、思ったが、これもすぐ終わった。
見ると、橋の向こう側の、堅田の方で、
ポーン、シュ、パラパラ、ポーン・・・と、上がり始めた。

以来、懲りたので、花火は追っかけないことにした。
今年は、小規模ながら1200発の雄琴の花火を、ネットで確認してから観に行った。
人混みは苦手なので、穴場はないかと、隣駅の堅田で、スーパーの屋上に上がると、相当、離れているのに20人ほどが集まっている。
聞くと、堅田でも花火大会があると言うから、ここで観ることにした。

遠くで、花束ぐらいの雄琴の花火が上がり始めると、湖の向こうでも、プリクラ程度の花火が上がり始めた。三カ所で上がっているようだ。

雄琴の花火が上がるたびに、親子連れの2歳ぐらいの子供が
「かただ、はなび、あがった」
「かただ、はなび、あがった」
と言うのだが、堅田の花火は一向に始まらない。
水辺の方で、夏祭りをしているらしい。
かすかに江州音頭が聞こえてくる。

♪き~み~のいた夏は・・・ と、じじいも、しばしの郷愁

あちこちの大会が終わった頃、ささやかな堅田の花火が上がった。