魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ゴミ箱

2009年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

財源論は、成人年齢の引き下げ反対と同じだ。
「現状」とつじつまが合うかだけに囚われて、大局を見失う。
何の発展も改良もない発想だ。それどころか、衰退と滅びへの引力だ。

いつまでもあると思うな親と金
成人年齢引き下げに反対するのは、いかにも過保護な母親と若者が多かった。渡辺えりも汗を吹き出しながら反対していた。
「今ある姿」だけで考える人は、何で今、それがあるのか忘れている。
過保護ゆえに幼児化した人間を見て、さらに保護しようとする。

好景気の頃から、福祉、教育などは、お金論議だけの悪循環に陥り、とうとう破綻状態になった。役人の放漫も金権主義からだ。

教育も、ひたすら平等と高学歴だけが目標になり、進学対策ばかりで、偏差値が教育の成果のように思われている。その結果、人間教育が破綻した。

いずれも、金余りの中で、目先の満足だけを追求した結果で、
過保護が、母親のヒマから始まることと、まったく同じ理屈だ。

みんなに平等にお金が配られ、受験勉強のテクニックが教えてもらえるような、ひたすら小さな満足のばらまきが政治と言えるのか、
いざという時に、救ってくれる保証こそが重要なのではなかろうか。

目くそ鼻くそ
財源論は、現状維持を前提に、どこにお金があるんだと言う、つじつま論だが、その現状がとっくに失われているのに、相変わらず、腐ったパイの、ばらまき方で言い争っている。(無人島

今、国民が求めているものは、「新天地」なのだ。
日本をどんな国にするのか。その為には、これが必要で、こんなことをする。それには、こんな困難や失うものがありますが、一緒に国造りをしませんか

そういう、正直で誠意のある情熱を見せてもらえば、国民は熱狂するだろう。
将来像がどこにもないのに、ゴミ箱から何を選べと言うのか

小泉元総理の「米百俵」はネコ騙しだったが、
今こそ、本当の「米百俵」の使い方を示して欲しい。


捨て身で言って欲しいこと
年金を廃止して、税による最終保証。定年と定期採用の廃止。所得税を止め食料品などをのぞく高率消費税導入・・・切りがないが

とにかく、「制度の単純化」が最大目標だ。
制度が単純になれば、国民の目が届きやすくなる。役人も減らせる。


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