魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ウソの生年月日(2)

2009年08月11日 | 占いばなし

虚言癖
取りあえずウソの生年月日を言う人がいる。(答えないのではない)
生年月日を聞かれても、うかつに「本当のこと」を言ったら危ない、と考える人だ。近頃では、個人情報の問題もあって、ますます増えた。しかし、「アホ言うモンがアホ」の理屈で、実は、こういう人こそ信用できない人だ。

占い師に、わざとウソの生年月日を言う人もいる。
占い師の能力を試してやろうと考える人や、占いにケチをつけてやろうと考えている人だ。
あまりにもかけ離れた結果が出る時は、すぐ分かってしまうが、
当てものではないから「うそでしょう」とは言わない。
要するに、そういう人だと言うことを内心、把握するだけだ。

こういう人は、何を言っても、要するに、信用できない人だ。
例え、見抜かれて「恐れ入りました」と言っても、表面だけだから、無駄な駆け引きをしても切りがない。だまされておく方が賢明だ。

しかし、第三者について占っている時は、あまりにも話が合わないと、時々「生年月日が違ってませんか?」と言うこともある。

ところが
ウソにせよ間違いにせよ、告げられた生年月日が違っているのに、結果として、同じ星が出てくることがよくある。

植木等は戸籍の生年月日が、手違いから、本当の生年月日より2ヶ月遅れていたのだそうだが、どちらも同じタイプの性格がでる。

同僚との付き合いで困った二人が、困った君の生年月日を照合したら全然違う日を聞いて来た。どちらかがウソか両方ともウソか、占いで見てみると、偶然にも同じ星になっている。しかも、その星の性格に二人とも痛く同意する。一応それと仮定して、対処法を話しておいたら、うまく付き合えるようになったのだそうだ。
本当の生年月日は分からないが、占いは有効だったことになる。

こういうことからも、占いの生年月日や星というものが、科学と同じような解析の対象ではなく、合理的解決を導くインスピレーションのヒントだと考えられる。

卜星相の一体性の観点で考えると、生年月日も卦象と同じものであり、偶然に出てきたことは、背後にある「大きな必然」に繋がっている。

巡り巡って同じ結果になる・・・

正解のウソ
森羅万象、何事もそうなのだが、つじつまの合うことが一番、怪しい。
科学と同じように、政治経済まで、知識のつじつまを合わせようとすれば、たちまち道を誤る。
もちろん、科学こそ、権威や既成概念にとらわれたらそこで命を失う。

「ほんとうのこと」など、人間が理解できるはずがない。
その謙虚な前提で、なんとか正しい答えを出そうとするなら、理詰めより直観に従うべきだろう。

決して民主党に味方するわけではないが、財源を突けば正論になると思っているような感覚は、それ自体が危険だ。

明治の初めも、終戦直後も、財源など考えているヒマはなかった。


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