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占いという もう一つの眼

もしもし

2024年06月05日 | 日記・エッセイ・コラム

海外探訪番組で出会う外国人、ことに中国人には驚くほど日本語が上手な若者がいて、それが皆、独学の上、日本人に初めて会ったという。そんなシーンが、一度や二度ではないから、かなりの人口がいると思われる。大方は、日本のアニメやテレビ番組に触発され、勉強を始めたものらしく、正式な学習をした人より自然な会話をする。
日本人は10年以上英語を勉強しても、まともに話せる人が少ないが、学校での語学学習がむしろ能力を摘んでいるのではないか。

学校教育、ことに日本の学校は個人の能力を伸ばすのではなく、型にはめることだけに専念し、不適合者を規格外として弾き飛ばす。スーパーで売られる規格品のキュウリより、商品にならなかった変形キュウリの方が圧倒的に美味いのはよく知られるところだ。ついでに言えば、現在の日本がここまでダメになったのは、この規格品作りに偏差値という等級まで付けて、トコトン個性を剥ぎ取った規格品が社会を動かすようになっているからではないのか。マニュアル社会もその一例だ。

学校で正式な日本語を習った人ほど、母国語の癖が抜けない。日本人になったドナルドキーンほどの日本通が、英語イントネーションが抜けなかった。
学校教育の適合者は、識別、記憶、組み合わせが得意な、パズルやクイズの専門家だが、現場で言葉を吸収した人は、違和感のない話し方をする。アニメや映画などでも原音で聴けば、子供と同じで、知らない単語や曖昧な発音はあるが、ネイティブのようになる。言葉とは本来そういうものだ。もちろん、大人だから、深い理解もする。

さらに、語学も発展した現代では、体感を知識で補強することもできるから、本当に「ぺらぺら」に外国語をしゃべる人がいる。ところで、この「ぺらぺら」というのはおそらく日本人が欧米語を聞いたときの音感だろうから、「日本語がぺらぺら」はおかしいが、もう日本語として固定している。

言語差別
語学などなかった昔から、人々は知らない言語と出会っても友好的であれば互いになじみ、片言で意思を通じ合ってきた。7世紀以前の日本もそうだったはずだが、千年以上も島国に閉じこもり差別意識に加え、教育の普及や識字率の高さが災いし、異邦人への壁が生まれた。しかし、これは政権寄りや内陸の話で、長い海岸線に暮らし漁労、交易などで生きてきた人々は、積極的な交流感覚を持ってきたし、今でも海沿いの人はオープンだ。
ネットなどで、人を蔑視し誹謗したがるのは、ネットや組織の閉鎖意識の人だ。英語の野蛮人=barbarianも、ギリシャ以前の「バーバーと訳のわからない言葉をしゃべる人」から始まっている。他言語や文化、異論を積極的に理解しようとしないのは平安貴族と同じで、変化を恐れ、他を蔑視し安寧に閉じこもろうとする島国日本の習性だろう。

幕末維新や敗戦占領下では、日本中の至る所で積極的な体感言語を学ぶ人が増えて、学校など行ってなくても自由に話していた。最も、この時でも会話ができる人を周囲は「語学」ができると表現していたから、日本人には能力や学力への信仰心があるようだ。
このため、学位を過信したり、逆に学ぶことの難しさを過剰に意識して、なかなか実力がつかないことも、日本人の会話力の低さにつながっている。
日本の英語教育は、道具としての言葉をパズルや謎解きにし、おいそれと蘊奥を極められるようなものではないと、恐怖心や距離感を植え付けるだけの逆効果を生んできた。
幼児期からの英語教育に反対する人にはそのトラウマがあるのだろう。

垣根のない人々
インド人や中国人が簡単に日本語を話すのは、外国語並みに方言が存在し、違う言語に抵抗がないからだろうし、欧州人は逆に方言を外国語と認識し、その違いを学ぶだけで話せるものだと考えている。
日本人は関西弁と関東弁を平気で聞き分けるのに、恐れ多い「語学」の壁が外国語を遠ざけた。近年は環境変化や教育改革でかなり解消されてきたが、聞きかじりの単語だけで外国人に声をかけたりする文化は無い。

日本語に聞き耳を立てている外国人が、かわいいと面白がる言葉に「もしもし」がある。
確かに、言われてみれば、「もしもし」は角の立たない言葉だ。
「申し上げる」の「もおす」は、始めは「a」を含む「まおす」だったが、遠慮しながら発する言葉なので「o」に変わったのだろう。母音の「a」はハッキリさせる音で、「o」は柔らかい音だ。呼びかけの言葉なので両唇音の「m」でインパクトを付けながらも「ま」ではなく「も」で柔らかく呼びかける。さらに二度繰り返すことで、リズムにより言葉の意味を薄め、ただの音にする。「ハイは一度にしろ!」と怒る理由でもある。

電話に「もしもし」と呼びかけるのは、ハッキリとしかも柔らかく対応する「おもてなし」精神の表れで、外国人だから音感でそれが解るのだろう。だから、同じ両唇音でも「b」と「a」で始まる「バカヤロウ」は、日本人、ことに関東人が思う以上に、外国人に強烈なインパクトを与えるようだ。中漢の映画では、悪辣な日本人がやたら「バカヤロウ!」を連発する。

 


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