魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

凜と日本

2024年06月11日 | 京都&ケンミン文化

またも世界遺産でグダグダが始まった。日本は軍艦島に懲りず、佐渡金山を「果敢に」願い出ている。
政治が絡む文化遺産組織などに、不様な媚びを売る卑しさは捨てるべきだ。どうしてもお墨付きがほしいなら、UNESCOやICOMOSの実態をただす努力の方が先だろう。

何度も繰り返すが、日本は自ら世界の権威づけの中核になれないのなら、潔く一切の権威付けに距離を置いて、暗黙の抗議を示すとともに、モンドコレクションと大差ない安っぽい遺産ショーとは無縁の、世界の遺産「日本」として孤高の姿を示すべきだ。
世界遺産に媚びることで、日本の価値を劣化させていることに気づかないのだろうか。
善し悪しは別にして、どう見られようと、日本は確実にスペシャルな国だ。
その特殊な国が権威に媚びを売ることで、貴重な特殊性が汚れそのものになっていく。

元々、世界遺産なるものは人類の歴史と営みの中で、結果的に偶々あったものに乗っかって権威になろうとする、ハゲタカのような欲と偽善の「魂胆」の塊だ。政治家が自らの存在理由を誇示するために、他人の業績に乗っかって国民栄誉賞などを授けて見せる、えげつないでショーだ。
世界遺産委員会なるものが何時どの様に生まれ、そして消えていくのか。大局的、客観的に考えれば、いかに儚いものか誰でも気づくはずだ。このうたかたの夢に翻弄され、刹那の時代の間でさえ、自ら価値を落とすことになる世界遺産委員会巡礼など、どう考えても愚かしい。

世界遺産として守らなければ消えてしまうと考えるのは、それこそ人間の傲慢だ。何千年の遺産なるものは残るべくして残り、消えるべくして消えた。まして、数十年や数百年の遺産など、つかのまの祭りそのものだ。消えるか残るかは土地の人間の選択であり、日本に多く残る文物も中韓では消えている。爆破されたバーミヤン大仏のように、武力の前には何の歯止めにもならなかった。

日本人が本当に歴史や自然を守ろうと思うなら、それは日本人が決めることであり、そのためにも、怪しげな世界の魑魅魍魎に惑わされず、自らの価値を理解し、凜として孤高な日本であり続けるべきだろう。
それでも、どうしても世界遺産がほしいなら、天皇制を申請する事を考えてみてはどうか。
→「日本遺産」20150708 「家元本山」20240522