魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

年の初め

2007年01月01日 | 占いばなし

正月は春
一年の初めは一月一日だが、新暦、旧暦、宗教歴、年度初め・・・と、みな違う。暦は生活や信条に合わせて人為的に決められたものだからだ。

では、占いの年始めはいつかというと、これも各説あるが、「自然に従う」という点では一致している。
四季を表す「春分、秋分、冬至、夏至」の四点はわかり安く、超古代遺跡にも計測の工夫が多く残っているから、暦や占いとともに確立していたのだろう。
年の長さはわかっていても、どこが始点ということはない。だから人間が勝手に理屈をつけて決めるしかないわけだ。

太陽と季節の消長を命に見立て、太陽が育っていく「春」を一年の始めとしたのは自然のことで、もっと原始的な時代は、太陽は毎日生まれて死ぬと思われていた。(注1)
春を一年の初めとする場合。昼の長くなる春分「牡羊座」を初めとする考え方と、春分は春の中心とし、前半に遡った「立春」を初日とする考え方が生まれた。
十二支はこの立春を年始めとする。したがって、節分までは前の年だから、亥年の2月1日生まれは前年の戌年生まれと言うことになる。

ちなみに太陰太陽暦の旧正月は、春の中心の春分から、一月分30度遡った雨水が一番目の月の中心ということになるので、新月を一日とする太陰暦の一ヶ月中にこの雨水を含む月を正月としたもので、春の一番目の月に当たるから「初春」と言う。旧暦は農業用で、実は占いとはあまり関係がない。

冬至
ところで、太陽の生まれる春を一年の初めとするのは生物の営みにマッチするが、理屈で考えれば、太陽が命を持った時、受胎の時が一年の始まりだ。太陽の誕生日は春分だが、受胎日は冬至ということになる。
冬至を知った太古の人々は、太陽の鎮魂と弥栄を祈り、これを年の初めとした。鎮魂祭やクリスマスなどがその名残で、春を年の初めとするのが農耕民の一年なら、冬至はそれより古い時代の一年と思われる。

干支の一年は立春から始まるにもかかわらず、十二支の一番「子の月」は冬至にあって、立春から始まる「寅月」は年初めなのに三番だ。つまり、実感としての一年は春に始まるが、理屈の上の一年は冬至に始まるわけだ。

易では、陰の中にぽつりと陽の現れる姿を地雷「」といい、一陽来復として冬至の姿になぞらえる。「冬来たりなば春遠からじ」の希望、一筋の光明がさすのが年の初めの冬至というわけだ。地雷復は地の下に雷がいる姿。雷とは蕾とも同義で、雪野原の下に春を待つ命の芽のこと。

暦や占いには、人間の歴史や哲学が複雑に絡み合っている。現行のグレゴリオ暦の1月1日が、自然の束縛から離れようとしながらも冬至の概念からは脱しきれていないのは面白い。
欧米で1月1日よりクリスマスを盛大に祝うのは、キリストの生まれた日だからではなく、太古からの年の始まりだからだ。キリストが実際に生まれたのは魚座や天秤座と諸説あるが、少なくとも冬の寒い日ではないようだ。早い話、クリスマスは古来の元日をキリスト誕生日と決めたにすぎない。

注1:一年と一日が比例するという考え方の発生。例→西洋占星術では生後の1日=1年とし、29日後は29年後とする。干支術では月の干支と時間の干支の干のふり当てを同じにする。


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