魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ゆく春に

2024年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

薄雲に君忘れじの花一つ

ひさかたの薄雲かおる葉桜に春をとどめん一輪の花

街に出ると、桜はもう葉桜になって初夏の陽が差し始めていた。

・・・・・・
『港が見える丘』
あなたと二人で来た丘は
港が見える丘
色褪せた桜唯一つ
寂しく咲いていた
船の汽笛咽 (むせ)び泣けば
チラリホラリと花片 (はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした

あなたと別れたあの夜は
港が暗い夜
青白い灯り唯一つ
桜を照らしてた
船の汽笛消えてゆけば
チラリチラリと花片
泪の雫できらめいた
霧の夜でした

あなたを想うて来る丘は
港が見える丘
葉桜をそよろ訪れる
潮風浜の風
船の汽笛遠く聞いて
ウツラトロリと見る夢
あなたの口許あの笑顔
淡い夢でした
・・・・・・

近年、桜歌が洪水のように生まれたが、戦後育ちにはなんと言ってもこの『港が見える丘』が一番だ。それまで「貴様と俺とは同期の桜・・・見事散りましょ国のため」と歌っていたのだから、このスイング歌謡で、世の中は変わった。『東京ブギウギ』の3ヶ月後、桜に合わせて出したのだろう。4月発売だから、始めから葉桜を狙っていたものと思われる。
同じくこの1947年、坂口安吾の『桜の森の満開の下』も発表され、全きものへの拒否感が語られているから、葉桜に見る哀愁や郷愁、そして安心感が、日本人のわびさびに沁みたのだろう。
美しき皇国史観の夢破れた思いを断ち切る『東京ブギウギ』の一方で、心のやり場を与えてくれた歌『港が見える丘』の最後は、「淡い夢でした」と嘆息する。

これから4年後の『上海帰りのリル』は、まだ、一日中「尋ね人」が放送される中で、断ち切りがたい過ぎ去りし日への思いを歌い、
翌1952年のNHK連続ドラマ『君の名は』の冒頭では、「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」と語りかける。
敗戦、占領下の日本人の心の葛藤を最も慰めてくれた歌は、『港が見える丘』ではなかろうか。


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