魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

家元日本

2016年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

ジョージ・ルーカスの職人魂と、ディズニーの商人魂の対比も面白いが、日本では士農工商で武士を特権階級にして、生き方の基本とした。その下は生産者を重視し、農工の下に商を置き、市民権のある者の中では商を卑しいものとした。

武士は基本的に農民の出身だから、農業生産こそが国の礎と考えたのだろう。工よりも上になっているが、徳川の安定社会が続く中で、生産しない武士は、結局は食えなくなり、商人に借金をして食わせてもらい、下級や浪人は内職仕事で食いつなぐようになっていた。

幕末から幕府崩壊に至るまで、武士は商人とは一線を画し、農業か工業でしか糊しようとしなかった。武士の中には商家との縁組みで体を変える者もいたが、少数派で、徳川三百年は、過剰に精神的な武士道が確立し、同時に、工業の中に武士道が入り込んでいったのではなかろうか。

農業は武士のカオス的原点で、支配する立場としては、改めて入り込む余地はなかっただろうが、食うに困った武士が手を出しやすかったのは、内職的な職人仕事で、箱根の寄せ木細工のような物から、絵師や戯作者のようなものまで、アウトサイダー的な分野なら入りやすかっただろう。
先日、テレビで、北海道の木彫りの熊が、旧幕開拓武士団の産業として始まった話しがあったが、武士道と職人魂の接点を見たような気がした。

バブル崩壊で追い詰められた日本の中から、「ものづくり」の大合唱が起こった。
徳川三百年は、今の日本人の宗教にまでなっている。食い詰めたら、何とか上手い商売をしようと考えるのではなく、「精神」に頼ろうとする。
左甚五郎伝説のように、物づくりを崇拝する文化は、現実離れした武士道と表裏一体で、物に魂が宿るに始まって、魂が物を造るという信仰心となっている。

追い詰められた戦況には「大和魂」、バブル崩壊には「ものづくり」と、唱え始めるのが日本人だ。
日本は武士道と職人魂の島として確立し、商の駆け引きにはあまりにも疎い。もっと世界基準の駆け引きを考えるべきだと言いたいが、ない袖は振れない。
どうせ出来ないのなら、本当に、徹底的に「ものづくり」の家元になることを考えるしかないだろう。

何でもかんでも売ろうとせず、ノウハウの家元として、学術、芸術、娯楽の場を提供することに徹底していけば末永く生きる道があるかも知れない。

 


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