魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

始まった

2010年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

No.946

また始まった
菅総理は、森総理、麻生総理と同じ、「自動車人間」のエンジンだから、言葉尻を心配していたが、(導く人
案の定、また、マスコミの揚げ足取りが始まった。

))))
「エマージング・カントリー」を「エマージェンシー・カンパニー」(緊急の会社)
「国連安全保障理事会」を「国連常任理事会」
「G8」を「G7」
メドベージェフ大統領を「ベドメージェフ」、
李明博(イ・ミョンバク)大統領を「イ・ミョンビャク」

・・・と、言い間違えたと、得意になって報じている。

菅総理は未知数だから、今後、何をするかは解らない。
しかし、
森総理、麻生総理の時に、戦艦大和に襲いかかる米軍機のように(ハエとは言わないが)、執拗に揚げ足取りをして、動きを封じ込めて撃沈したマスコミが、またも、同じパターンの攻撃を仕掛け始めた。

こういう表面的な報道に、反応する国民も国民で、マスコミになめられていることにも気づかず、一緒になってバカにし、非難し始める。

カエルの望む王様は、美しいコウノトリだ
見た目や言葉が美しければ、信頼できると思っていると、みな食べられてしまう。
アナウンサーで俳優上がりのレーガンは、見た目も言葉も美しく、最も人気ある大統領だったが、実は、双子の赤字の産みの親だった。

いったい日本のマスコミは何がしたいのだろう。
政策批判や不正疑惑なら解るが、ひたすら言葉尻の揚げ足取りをして、自国の顔を貶めることが、正義の味方と勘違いしている。

日本の代表の顔が定まらないことに、世界中が困っている。
もちろん、日本にとっても何の得にもならない。
いや、もしかしたら、神様がカエルに与えた最初の王様が、丸太ん棒だったことを考えれば、代表の顔が無いことは、賢明なことなのかも知れない。

ともあれ、森、麻生、菅・・・と、体裁を気にしないエンジンは、揚げ足を取りやすいかも知れないが、やることはやる。
党利党略、主義主張を越えて、温かい目で見守りながら、良いアドバイスをすれば、現実主義で、いくらでも方向転換をして仕事をする。

問題は、見た目の悪さに、国民が食わず嫌いで、食べなくなることだが、
横から、マスコミが、「わぁ~、バッチイ」と、焚き付けるから、ますます食べ手がいなくなり、また、新しいメニューの話になってしまう。
もう、日本には次の皿を待つゆとりはないはずだ。