魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

風雲サッカー

2010年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

No.945

ドイツ-イングランド戦で、また、明らかな誤審が起こった。
スポーツに誤審はつきものだが、サッカーほど誤審が話題になるスポーツも少ない。

ワールドカップ、アメリカ大会の時、アメリカの野球評論家だったと思うが、「面白くないスポーツだ」と言っていた。
「なかなか点が入らない上、卑怯で女々しいスポーツだ」
サッカー不毛の地と言われた、アメリカならではの見方だが、
一面では、的を射ている。

サッカーは、リアルタイムで動く。
野球のように、得点権の攻守が替わるスポーツは、観て楽しむ様式美がある。源氏に「扇を射てみよ」と言った、平氏の発想に通じる。

一方、格闘技やサッカーのように、時差のないガチンコ勝負は、原始的で、観る方も興奮するが、ルールがなければ、終いには殺し合いになる。
ルールを守らせるのが審判だが、横で座って見ているわけではない。
選手と一緒に走り回る、戦場同行記者と同じで、自分も必死だ。

当然、見落としや感情が入る。裏金の噂も後を絶たない。
審判次第で、PKなど、勝敗を決定づけるから、
いかに、審判を味方にして、有利な判定をもらうかも、戦法になる。

ファールをもらうために、オーバーなアクションで痛がったり、相手より早くひっくり返ったりする。
サッカーには、なりふり構わない、実戦の汚さがある。
本当の戦場なら、死んだふりをして、突然襲いかかったりするから、死体でも突き刺してまわる。命がけだから何でもありだ。

野球のように、一人一人の見せ場があるスポーツからすれば、痛いふりなど、女々しい態度かも知れないが、サッカーは戦場だ。

源平合戦のような、美しいスポーツも良いが、むちゃな喧嘩も、また、スポーツ観戦のおもしろさだ。アメリカの観客は野球の乱闘を密かに期待している。

サッカーはシンプルだけに、国の個性が、戦い方にハッキリ現れる。
だから、戦争シミュレーションとして、そのぶつかり合いが面白い。
審判によって、試合の行方が変わるのも、戦場に突如、舞い起こる風雲嵐だ。想定外の事態が勝敗を左右する。

戦争は正しい者が勝つとは限らない。強い者が勝つとも限らない。
科学的審判が見当されているし、やがてそうなるのだろうが、
不合理だからこそ、「ザ、サッカー」なのかも知れない。

負けても、「本当は勝っていたんだ」と言い訳けをする人にも、嬉しいシステムだ。
サッカーは単純だから、奥が深くて面白い。