魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ゆく河の

2010年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

No.942

自動車文化の拡張期に、ガソリンスタンド、ドライブイン、モーテル・・・等の関連ビジネスが成長し、日本の風景を塗り替えた。

ところが、近頃は、これらの建物は郊外で廃墟となっている。
たまに、昔通った道路を走っていると。廃墟がそのまま残って、撤去もされず、凄惨な姿をさらしている。
往時の賑わいを思い起こすと供に、この景色を初めて見る若者には、どう映るのだろうと、興味をそそられる。

最近は、「道の駅」や、郊外のショッピングモールが、往時のニーズを吸収したこともあるが、もともと、張りぼて小屋のような建物で、美味くもないメニューでフンだくっていた、雲助商売であった。

本当にリーゾナブルで美味しい物を提供していたのなら、例え幹線道路が移っても、少なくとも、周辺の人はわざわざそこに食べに行ったはずだ。

こうした、雲助根性は、客に選択肢のない高速道路のサービスエリアではさらに酷く、学校給食より劣るような物を、平気で高額メニューで出していた。(学校給食が断然美味しい)

この背景は、利権がらみの特権業者だったことが大きいが、さすがに悪事は続かず、最近はサービスエリアの合理経営が始まり、商品サービスの向上で、道路利用客以外の顧客も利用するようになった。

時代というものは恐ろしくもあり、滑稽でもある
流行りの商売でぶいぶい言わせた店も人も、時が過ぎれば、跡形もなく消えてしまう。借入資金の返済はうまくいったのだろうか。

上手く生き延びた会社の名前には、元の姿をとどめるものがある。
「00ミシン」「××無線」「△△電気」・・・など、今の商売とのつながりが不可解な会社もある。それでも続いていることは立派だ。

一世を風靡した「ポケベル」は、昔ギャグとして懐かしい。
農業でも、農地解放、農協王国、二ちゃん農業、農業企業・・・と時代は変わっていく。

どんな商売であれ、流行り商売ほど危険なものはない。
商売を始める時は、30年ぐらい先を見越してみる必要がある。
企業も、隆盛の企業が20年先にどんな姿をしているか、わかったものではない。

学生の就職希望は常に、目立つ企業だそうだが、一流企業に就職を望むこと自体が、先の読めない無能を物語っているのかも知れない。
起業しようとか、中小企業を自分の手で大きくしてやろう、という学生が少ないことが、社会の老化を表している。